| 湘南海岸の波打ち際歩き 子供達と素足で歩く.鎌倉〜江ノ島 |
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七里ヶ浜より腰越と江ノ島と右奥の岬が腰越 |
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湘南海岸歩き旅・・鎌倉駅→七里ケ浜.腰越.東浜から江の島へ昼食後再び西浜から砂風強く.小田急駅に戻る。 s60年(1985年)05月05日. 私.真佐子5歳.隆史.博史4歳 できるだけ波うち際を素足で歩む。海岸脇には脇に江ノ電が併走しいる。 辻堂で銭湯に入り帰宅する予定が.西浜にでて砂嵐に会い.目も開けられず歩行困難に.江ノ島駅へ戻り.三筋湯へ. 高曇.風強し.三筋バス6:35=JR錦糸町=鎌倉9:00一15:00片瀬江ノ島. 由比ヶ浜 鎌倉駅の東口をでると目の前は.鶴岡八幡宮へと続く小町通り。メーン通りを真っ直ぐ海岸に向かう。 暖かい陽差しに穏やかな海だ。波打ち際に崩れる波も小さい。子供達と素足となり靴はザックの中へ。 大勢の人が潮干狩りをしていた。 潮吹きアオヤギ.通称バカ貝を捕っている。子供達も負けずに堀りだした。 今日はこの広い砂浜で凧上げ大会があると云う。 稲村ヶ崎 20分程歩いて潮溜りに横切り遊ぶ. 明るい陽射しに照らされた岩窪には小魚が多い。よく見ると小ウニに混ざり大きなウミウシがいる。 ここは危険の為靴を履かせるがチャポチャポ潮溜りを回る内.見事なクロアナゴが一匹跳ね上げた。 手摘みで追っかける子供達.浅場のせいか.とうとうその1匹を掴み獲る。 七里ヶ浜 忠実に砂浜.海岸線を歩む。海岸を隔て平行して江ノ電(鎌倉=藤沢)が走り.素足の波うち際が快い。遠く江ノ島が眺められた。 少し粗い砂.苦になる程でもなく波と戯れながら波打ち際沿いを黙々と歩む。 小動海岸(こゆるぎ) 七里ヶ浜の端.小動岬が近ずくと波打ち際は固い砂浜とジャリ混じりで足裏が痛みだす。 ここは私が小学校時代.夏4.5年過ごした所である。揚船場で手動巻き上げ機に両手を添え.よく手伝わされた。 沖の岩場で突き落とされ泳ぎを覚え.櫓を覚えた場所でもある。 現在.シロギス投げ釣り場として通う人もいるが.サーフィンする姿はいなかった。 昔は岬.瀬戸周りは手前はテトラ.海虫を追い岩伝いに腰越港へ回り込むことができた。 裏道一腰越港 靴を履き一時.海岸と離れる。湘南道路R134を横断し.子供の頃世話になった出川鉄鋼所.裏道を通るが不在だった。 路地は舗装され井戸もなくなり.昔の面影はなくなっている。 出川宅裏には縁側がある。裏通り3軒隣りで.前には井戸があった。斜め前の駄菓子屋の掻き氷はよく食べた。 逆の斜め前が無口な漁師の家だった。親父さんには櫓の漕ぎ方を教わり.近所には姉と同じ年頃の友達が多かった。 懐かしい家並みはあるものの.何時も集まっていた縁側の家々は雨戸を閉め.駄菓子屋も井戸もなくなっていた。 突き当りを右折すれば大通りから江ノ電「腰越」駅に。左へ折れば海岸通りから腰越港へでる。 漁港前には魚屋を兼ねたような船宿があり.父が来る時はここで刺身を調達していた。 腰越港は小さな漁港で当時突提が築工され港らしくなったが.今回は又一回り大きな漁港に変わっている。
大きくなった腰越港を過ぎ.腰越橋を渡ると目の前に再び江ノ島が開ける。視界が開け急に大きさを増していた。 腰越海岸は通称東浜と呼び.七里ヶ浜より砂粒は繊細で.又白みを含んでいた。 陽射しが強ければ熱くて足を跳り上げる所だ。波打ち際まで細かい重い砂が広がっている。 真夏は海水浴客で賑わうも.彼岸を過ぎると土用波と台風がくる。荒れた海に人影は疎らとなり.よくその海を見詰めていた。 子供達の足取りは快調.まだ海ノ家はない。広い砂浜が大きな弧を描き江の島までの弧の字の砂浜が続く。 片瀬西浜 片瀬川を渡り西浜にでる。上流は町田街道沿いの境川で.東高尾山稜の草戸山.町田市の最高峰の源流に突き上げている。 江の島での昼食後.西浜の駄々広い湘南海岸に変わり歩む。 午後になり風が巻きだすも黙々歩いた。風は更に強さを増した。巻き上げる砂の痛さが頬を打つ。 通う人も疎らになり.砂風で目は開けていられず。屈めねば進めぬ姿勢になる。そして子供達にも限度がきた。 向かい風が壁となり.歩む一歩を難しくさせていた。砂嵐は先へ進むことを拒む。 西浜14:30 16時までに辻堂まで砂浜歩き.風呂に浸かってから帰宅する予定を断念する。 今度は背に風を受け.振られながら江ノ島へ戻っている。 片貝小田急江ノ島¥大400=新宿¥150=浅草橋一18:20三筋 「銭湯三筋湯」で菖蒲湯に浸かり帰宅する。浅草橋下車.とうとう雨が降りだした。 素足 昔はよく素足で海岸を駆け回っていた。 私が小学校下級生で.車はミゼットの時代である。夏に何年か.江ノ島.腰越に住んだことがあった。 七ヶ浜まではよくサンダルや下駄を履くも.素足で遊ぶことが多かった。 東浜では何故か砂の熱さを憶えている。それでもサンダルを脱ぎ砂浜を走り回っていた。 当時は遭難救助をした覚えもある。台風の荒波でサンダルを脱ぎ.気侭に飛び込んで浜まで引き寄せたが.亡くなっていた。 硬直した腕を掴み大人に混じり引き上げを手伝されていた。酷く感傷的になりサンダルを両手に持ち.濡れた体で帰ったことを憶えている。 又即死したオートバイ事故にも会っている。最初に見付けウロウロし.救急車を呼んでもらっている。その時も夕飯は食べられなかった。 何処でも素足で居た時代である。家裏の縁側ではよくサンダルを飛ばし素足で怒られていた。 勿論.表道り以外.腰越付近は何処も舗装はされていない時代である。 その当時の私を少しでも子供に味わえさせたく歩んでみた。 山の経歴.経過Top |