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昭和55年2月25日,春合宿先発隊は高倉山立教ルートをスキーで滑降中,雪崩により事故で3名が軽傷を負った。これはその事故報告
L万代(4)sL大出(3).m佐野.山本(2).塚越,京谷.梅沢(4).鈴木.
1.状況説明
2.考査
3.反省
1.状況説明
2月25日午前11時25分頃からトップを鈴木にし.山本.京谷.佐野.塚越.万代.梅沢のオーダーで滑降を開始する。
天候は3日続きの快晴である。風が非常に強く.Wヤッケは役に立たないよう思われた。
このオーダーはスキー技術の功拙や4年生の他は高倉の斜面を滑降した者がいない事を考えて決めた。
またルートに関してはOBより.立教ルートとして定まったルートがあるわけでもなく.降り易そうな所を降りれば良いと聞いており,
また風が強く尾根上で吹き飛ばされそうになる上に.台湾沖の低気圧が気掛かりだったので.
早めに行動を切り上げるため今回のルート(図1参照)を決定した。

事故は11時25分頃発生した。全員が慎重に行動しており.下降を始めてからかなりの時間が経っていた。
ルート上は尾根から吹き降ろす風のため.時々雪煙が上がっていた。メンバーの位置は図2の通りであった。
京谷が軽く尻もちをつき,私は「転んでも安全だ」と思った。すると突然, 塚越から佐野間の斜面に亀裂が入り.崩れ始めた。
亀裂の下の方にいた京谷.山本.鈴木の3名は始め波に乗るようしていたが.それも一瞬の事でまたたく内に雪ののまれ,見えなくなった。
この間の事を当事者のひとり京谷は次ぎのよう記している。
「体に異常な振動を感じ,目の前の木々がせり上がってくるように見えた。直滑降姿勢をとり維持しようと努めたが,直ぐに足をすくわれ転倒した。
その時になりやっと雪崩に巻き込まれたと気付き必死になってもがいた。駄目だと思った時,体が止まっていた。
そして自分が埋められていない事もわかり,あたりを見回すと,上部と下部にそれぞれ1名が居る事を確認した。」
一方雪崩にのまれなかった4名は,支持力を失った不安定な斜面にいた。
私は下の2名に尾根に上がるよう指示したが,すぐ下の足場が崩れ登れないと回答してきた。
少し落ち付いて下を見ると,石が転がるように人が雪の中から出てきた。鈴木が立ち上がり,ストックを振っている。傍に居るのは京谷だ。
10m程離れた所で山本がうずくまっているが動いている。この間,雪崩始めてから,何秒も経っていないだろう。
雪崩は深さ50cmの層が,幅20m位にわた理、約200m程崩れたものだ。
雪崩のあった斜面を下る事は,残された雪がいつ落下するとも限らず危険であった。
しかし下にいる3名が心配であったし,一度崩れた所は雪崩ないと思い、残りの者も下る事にする。
塚越をトップにし,佐野,万代,梅沢のオーダーで下り始めるが,各自滑りやすい所を滑るため,バラバラになってしまう。
途中高倉山手前のコブの尾根上を滑る。ここは崩れた場所ではなく,明らかに層になっており,今にも崩れそうである。
また,強風にあおられてキックターンがしにくく,転倒・滑落したり,風に吹かれて帆掛け舟のよう滑ったりした。
それでも何とか高倉山斜面の下に全員たどり着いた。雪崩に巻き込まれた3名は,手足を打ったと言いながらも,大きな外傷はなく事無きを得た。
賽ノ河原下降点で昼食。3名の服を脱がしてみると鈴木,京谷の腕がそれぞれはれていた。
五色温泉に帰り,その日のうちに福島か米沢の医者に診せようとしたが,交通の便が悪く,本人達も大丈夫だと言うので応急処置をし,
翌日福島の渡辺整形外科へ行く。その結果は鈴木は右腕の軽い打撲,京谷が左腕の肉離れ,本山が左肩捻挫と判った。
2,考査
状況から判断して,高倉山の雪崩は表層雪崩であり,その誘因はメンバーの斜滑降時に同じシュプールで滑ったため,雪面を切った事にあると思われる。
また地形的にいっても,高倉斜面は雪崩を予想できた。層ができた事については,次ぎのよう推測される。
事故の起きる3日前までは天候が悪く,連日雪であった。3日前に緑樹山荘の小屋開けをした時は,雪に層は見られなかった。
しかし,その後連日好天に恵まれ,夜,小雪が降る,或いは西側の雪が風で東側に吹き飛ばされ,それが好天で一度とけ,そして凍りつき,
層になっていたのではないか。
また,雪崩発生の誘因は事故当日も好天であったため,雪面がゆるんでいた事も考えられよう。
一方雪崩にのまれた者は,もがくのが精一杯で,よう言われるように雪の中を泳ぐような事はできない。と報告している。
3,反省
今回の事故で致命的な失敗は,高倉斜面で過去に雪崩があった事を知らず,また雪崩発生の危険性を考えようとしなかった事である。
ここ数年高倉格好が行われておらず,絶対的な情報・知識不足のまま計画を決定した事は,無謀のそしりを免れないだろう。
滑降の事しか考慮せずに,図2のように,前者の後を追うようなフォメーションを取った事が,直接の引き金となってしまった。
このような計画段階からの重大ミスに加え,リーダー個人の責任も追求されなければならない。
まず自分自身のスキー技術が,急斜面を下級生を連れて降りる技量に満たないものであった事。
第2に,コース的に雪崩の確率の点で差異がなかったにせよ,両ルートを比較検討する余裕がなかった事。
そして第3に,雪崩発生に狠狽してしまい,事態を適格に把握し,命令を絶対的なものとして発する事ができなかった事。
そして第4には,自分の下降に気をとられ,最後まで下級生の面倒をよくみずリーダーとしての責任を放棄してしまった事である。
このようなリーダーの甘さと,運営委員の客観性の欠如のために,3名もの人々にケガをさせてしまったと言える。
・・先発隊,リーダー,万代記, 「峠」より,
資料提供, 56年度卒,山本修氏
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