10周年アラスカ遠征記念 m富山貞男(s38卒),新津 賢,中山司(s40卒) アラスカ遠征計画の私一その序説一 富山貞男 我が,RHCの十周年記念行事の1つとしての,アラスカ遠征計画の話は,丁度2年前の正月の富士五合目のテントの中から生まれた。 メンバーは中山,新津,田中,松村で,御殿場の太郎坊から登り始めてのであったが,例年より雪が少なく, 最初の計画では二合目か,三合目あたりで,設営する積もりが,五合目まで足をのばすことになった。 新津と田中は計画変更でブーブー言い,雪の少なさをなげいて,彼等にとって無慈悲な登行であった。が, 幸か不幸か翌日は吹雪で一日中、テントの中でチンデンせざる得なくなった。 しかしこのチンデンの中での退屈からアラスカ行くのきっかけが生まれたのである。 山に入ってヒマが出来ると,必ず来シーズンはどこにしよう等という話がでてくる。この時の新津、中山が,台湾の玉山(新高山)はドウラロウカと持ちかけた。 台湾なら日本語がまあまあ通じるし,国民感情も非常に友好的であるとの話であったが, 富山はどうえ海外へ行くなら,台湾なんぞよりヒマラヤの方がエエゾと言い出したのであった。 ここで話は熱くなり・・・・あとは皆テンデにしゃべりだしたので速記できなくなった。 しばらく国会での論争の様に話の収拾がつかなくなり,あまりのヒドサにカンシャクがおきさうになったので富山が出て, ソナラ,RHCの十周年の頃にヒマラヤに出発出来るよう,目安をつけて,計画を立てていこう,という修正案を出し,全員一致でさいたししたのであった。 そしてその後の1年はヒマラヤ関係の本,文献を読み漁り,つきに1回の会合を持ったり,計画は着実に進んでいった。 目的地はポカラからクチナート方面のヒマラヤ観光旅行で,氷河を踏めば上出来という構想であったが,ネパール国の登山禁止やインナーラインの拡大で, 我々の目的とするチベット的な奥地への旅行は困難であった。我々はこの計画を考え直さねばならぬと、各々考え始めていた。 次ぎの年の正月,中山,新津,富山の3人は木曾御岳のスキー登山の中でヒマヤラに変わる遠征地を考えてみて, ニュジランドとアラスカが候補に浮んできたにであった。 中山は最後までニュジランドに執着したが,新津,富山の行くなら大陸だ,という論におされ, ここにアラスカ行計画が目出度く決定し,メンバーもこの3人で実行となったのである。 「アラスカ遠征計画」 新津 賢 アラスカの総面積は152万平方km,2本の4倍以上あり,その内の1/3以上が,夏は太陽の沈まない日がある北極圏内にある。 我々はこの大陸で登山目標とする山を,その内陸部に求めた。主峰マッキンレー山(6191m)を含むアラスカ山脈の東端に位置する。 ブラックキャップ,ホアイトプリンセス,オールドスノー,スノーホワイトと云うような,氷河に包まれた3000m級の山塊である。 我々はこの山塊を決定するのに次ぎの条件を考えた。 ・氷河の山である ・高度の登山技術が不用 ・天候が安定している ・ベースからの放射状に登山ができる ・交通が便利(ハイウィーが近い) ・飛行機を使わぬ(資金的に) 以上の6条件を満たしてくれる山と云う事で資料なだ集める一方,アメリカの地図を発注し,又アラスカアルペンクラブに連絡を取り, 写真を見る事で決定したのである。 コース日程 昭和44年6ガツ日,横浜発(テキサス49・USA) 6月17日,カナダ,バンクーバー着,20日,バンクーバー発、25日,アラスカ,フエヤパンクス着、28日,フェアーバンクス発、ブラックラビット着、29日,ブラックラビットより入山 30日,Theyer hut着、7月1〜2日,荷揚げ、3日,休憩日、4〜18日,Black Cap, Surdy Summit, Black Warrier, Whife Princess 18日,下山,キャストナ橋よりフェァーバンク着、25日,アンカレッジ着,解散, ![]() A,CよりのW,Princess![]() Bc地点周辺 高度単位はfeetBcはハイウェーより10miles A,Cより135m/m望遠レンズで![]() W,Princess食糧 主食及び入山中の食糧は生もの以外は日本より持参 入山までのアプローチ及び下山後のアラスカドライブは現地食とする。 装備 春山装備一式(含む,三ッ道具,フイックスザイル) スキー装備 自動車現地購入 尚,登山以外の生活費は1日8弗とする。 写真提供は富山氏 RHCT・・・s44,06,06 |