小さな二人の旅Y 2008年 2009年 2008年01月01日.下谷神社 01月08日快晴. 五條天神社→湯島天神 五條天神社本殿花園稲荷神社 一対の狛狐03月11日, ピアノ三重奏,ウェルナーヒンク,フリッツドレシャル,後藤泉, 第一生命ホール 04月16日, 旧岩崎邸庭園, 今回は和室のみならず洋館と撞球室も見学できるが,規制は厳しくなる。 05月22日晴, 富士山麓一周と下部温泉の旅 富士IC=白糸ノ滝=富士国際花園=下部温泉=本栖湖畔=御殿場わさび=御殿場IC 竹町地区レクレイション 2年前の町会旅行と重なる旅となる。今年は山行を含め春の霞が強い日々が続いた。 六号目まで残雪被る富士は朝より霞が舞い,一日中その中に閉ざされていた。陽射しは強い。 白糸の湧水は春と云う事で多く,階段脇まで幅広く湧水の滝を造っている。 若葉と清む湧水,空気も軽やかに澄み,霞が薄れれば尚更新緑溢れる渓谷を抱かすだろう。 富士国際花園は今回で秋,春に訪れた事になる。季節を問わず華麗なスケールでベコニヤを見る事になる。フクロウと鷹,猛禽ショーを見学 花園前の小高い丘ではパラグライダーの練習を初心者達が行っていた。刈り取られた芝の坊主山で。 背には天子山塊北端の雨ケ岳が蒼空との境をなし,よく見るとパラグライダーが点々と蒼空に舞っていた。 風は肌で感じるより強い。風力旗が真横に棚引いている。 下部温泉下部ホテル 富士ICより朝霧高原を抜け富士の裾野を徐々に登ってきた。本栖みちに入り,下る道は急に険しいジグザグ街道となって脅かされた。 常葉川沿いの谷間に入り込む。富士の高原から一挙に下る下部温泉は富士川に出合付近に温泉郷を構えている。 赤松に囲まれた透明度の高い柔らかな湯である。ただ外湯は鉱泉ゆえ温い。今日は25℃を越す暑さ。 寒ければ我慢を強いられる湯である。 3つの源泉を持つアルカリ性硫化水素系単純鉱泉。胃腸病によく飲泉としても全国飲み湯番付で東の横綱といわれていた。 10月05日晴後曇, 南総館山の旅, 東関東道,富浦IC=南房館山市立博物館,館山城=夕日海岸ホテル(海ほたる,平久里川ハゼ釣り)=鴨川カステラ工房=君津,四季の蔵 =アクアライン,海はたる=湾岸道路, 町会バス旅行,21名 圏央道(首都圏中央連絡自動車道)木更津東IC〜木更津JCT間の約7kmが2007年(平成19年)03月に開通。 館山道(館山自動車道)で未開通区間だった君津IC〜富津中央IC間の約9kmが2007年07月に完成。 城山公園と館山城 里見氏のデブリカ甲冑を体験着用,私が天下を取る戦国時代 関東管領を継承した上杉謙信は一時は北条氏の居城小田原城を攻囲するも奪えなかった。この上杉氏・北条氏の争いは 全関東の諸豪族を二分して,北条氏康と里見義尭(上杉陣営)による国府台合戦などの戦いを惹き起こした。 1579年,上杉謙信が死ぬと常陸の佐竹氏,安房の里見氏などが北条氏の侵攻に抵抗したが 北条氏の勢力拡大を抑えることができなかった。 東京湾の利権をめぐる抗争をしながら江戸時代初めまで安房を支配した戦国大名里見氏の興亡 里見氏滅亡後の江戸時代の人々のくらしなどを時代をおって解説している。館山市立博物館 館山の海ほたる 海ほたるはミジンコの仲間で体に透明な2枚の貝をもっている。大人で3mm位,米粒ほどの大きさで水深5m前後の海底を活動域とし, 昼間は砂地に潜り,夜になると砂から出て活動する夜行性。節足動物,甲殻類・貝虫類 北は青森から南は沖縄まで主に太平洋側の岸で見られ,特に館山湾は密度の高い場所である。 海ほたるは殻から青紫色の液(蛍光蛋白質)を海中に吐き出している。光る海ほたるの周りの水も一緒に光り,あたりもぼんやり光らせる。 潮の加減で,動きが活発になり発光。 ノーベル化学賞 帰宅した翌日,ノーベル物理学賞に南部陽一郎,小林誠,益川敏英各氏,3人の日本人が同時受賞したのに続き 8日,ノーベル化学賞に下村脩・米ボストン大学名誉教授が受賞した。 受賞理由は「緑色蛍光蛋白質の発見と開発」。発光するオワンクラゲから緑色に光る蛋白質を取り出すことに成功した。 蛍光蛋白質は医学や生命工学(バイノテクノロジー)の分野の研究で広く利用され,医薬品開発などに欠かせない基本的な道具となっている。 研究成果は生命科学の手法を一変させ,ガンとの闘いを導く「星」になった。 何の因果か? 「海ほたる」との共通性は判らぬが,発光するクラゲからの緑色蛍光蛋白質である。 アクアライン 正面が海ほたる ![]() 海ほたる シールドマシン外径14.14mは当時世界最大 アクアライン 東京湾アクアライン連絡道は神奈川県川崎市から東京湾を横断して千葉県木更津市へ至る高速道路。 川崎側の9.6kmが「アクアライントンネル」と呼ばれるトンネル,木更津側の4.4kmが「アクアブリッジ」と呼ばれる橋で延長15.1km 境目の人工島には海ほたるパーキングエリアが設けられている。 車線数:3.5m×4車線(将来構想6車線),設計速度:80km/h,事業期間:1987年07月〜1997年12月開通 総事業費:約1兆4,409億円, 10月09日晴, 米丸ヨネスケの公開講談,「食卓訪問と昔からの言葉」, 大江戸博物館大ホール 10月21日快晴, 清々しい秋空を迎え,芝に寝転ぶ 11月13日快晴, 野川公園と武蔵野公園, JR神田=武蔵境,西武多摩川線=多摩9:20一野川公園一武蔵野公園一14:00JR武蔵小金井=御茶ノ水 都立野川公園 武蔵野境から6つの駅しかない西武多摩川線,単線で2ツ目の駅多摩で下車。 踏み切りを渡り人見街道を三角路,近藤勇生家前が野川公園正門にあたる。昨日までの雫雨も上がり小春日和となった。 ピンホクの落葉とドングリ秋空に芝生が広がる手前に幹の太さ3.85mのクスの木の巨木があった。その脇にピンホクの木がある。 入口で頂いた銘木見どころマップの最初に載せられていた珍しい木で,2人で探し回った末,目の前にあった。 落葉は深い切れ込みのあり,小さな1cmにも満たない真丸のドングリが,胡麻のよう足元に散りばめられていた。 野川右岸に広がる芝と雑木林ゴルフ場跡の広い芝生と湧き出る野川の散策路,疎ら過ぎる人に公園を2人で独り占めする。秋の陽射しが眩く空は高い。 隣接する調布飛行場から列車の時刻表の如く等間隔でエンジンを轟かせ,セスナが暫し頭上を飛び越える。 雲1つない紺碧の空に機体を煌かせ,続くセスナは通勤電車並みに忙しく飛び立った。 野川,「ハケ」と呼ばれる国分寺崖線風もなく1つのざわめきが葉を落し,舞う仕草はヨロリヨロリと落ちる。1枚落ち2枚落ちた。落葉のクッションが体を踊らせ心を癒す。 木漏れの陽射しと雑木林。野川左岸の自然観察園を歩む。雑草と雑木林,森に木道があり,妻がクモの展示会と言うほどクモの巣が多い。 あっちこっちに落葉が空中に留まっている。掛かったクモの巣は背丈以上に大きい。 ![]() 寒桜は満開近い,北側の芝生の上にあった。気侭に歩み小鳥はさえずり遊ぶ。アカトンボが肩に停まった。再び芝の丘にでる。 都立野川公園は旧中島に工場の跡地で後に元国際基督大学の農地となり,付属ゴルフ場から昭和55年野川公園として開園された。 サービスセンターは元のクラブハウス。 武蔵野丘陵の南縁にあたり野川は国分寺崖線の湧水を集めて,国分寺から発し世田谷区で多摩川に合流。18.8k 野川に平行して東八道路が横切り,左岸北側には「野鳥の森」,「植物観察園」があり,池と雑草の絡む雑木林で構成されている。 右岸は元ゴルフ場の芝と武蔵野の雑木林に囲まれた森でもある。 接続する正門南側には200m程で調布飛行場を囲むよう「都立武蔵の森公園」がある。 又西側口には「都立武蔵野公園」が接続し,野川の上流にあった。 都立武蔵野公園 ![]() 左岸遊水地 切株にびっしり付いたキノコと道標 野川上流は武蔵野公園と繋がり,右岸南側には各施設と苗園を備え,東八道路に面し雑木林と小高い丘の芝がある。 左岸は遊水地として開け,年に何度かの草刈と落葉,枯死木の徹底した撤去で土壌は乾き小動物の生息は著しく減少していた。 園内左岸の間を縫う「ハケ」の径は陽溜まりの長閑な散策路。抜けると小径となる。 小さな小川と言うのも可笑しいが,ヘチに下りた小径は武蔵野の雑木林と小川の雑草の生い茂る径だ。 ヨシが水心まで被さり埋め尽くしている。約2kの径,雀が群がり,背丈を超すススキにヨシからは鮒が跳ねる。 木漏れを受け,武蔵野の風景を最も漂わしている所であろう。 径末端で小金井街道にでる。JR武蔵小金井は直ぐ傍だった。 南口は駅前再開発と駅の大改築が行われてをり,駅全体が工事現場となっていた。 11月13日快晴, 自宅⇔神田明神一駿河台,登山道具店 神田明神イワタニ,プリムスP-153とノースフェンス,ゴアティクスジャケット購入 11月22日快晴, 渋谷「空の庭」還暦祝い 11月30日快晴, 自宅10:00⇔14:00清澄公園 清澄公園のイチョウ来週の隅田川ハゼ釣り大会下見を兼ね日当たりよい右岸テラスを下流に向け散策した。 神田川を抜けると中央区の幅広いテラスが伸び,風もいなく犬と散歩する人や陽溜まりでは時折釣人が竿をだしている。 ただ太公望を望むも釣果は悪かった。ハゼの姿を見ぬ者が多い。 新大橋,清州橋を越え江東清澄公園へ。芝とイチョウの大木の下,親子で蒼空を仰ぎ,駆け回る子供達。 買出しした昼食を摂りながら見詰める私達。長閑な気分にさせられる。目の前で4,5才の男の子が迷い子になった。 今いた子供がいないと親達は子供達と共に探し回る。近所の親子ずれグループのようだ。10人前後がいる。 オデンを食べビールを空けた。暫くして私の斜前の茂みに迷子は隠れていた。「いた!」「いた!」と引き摺りだす子供達。 迷子の子は周りを枝に囲まれ出られなくなったと。泣くでもなく一番小さな子が答えている。ホッとする母親達。 昔の子供達を想い出し懐かしく,観るからにほのぼのした気を起こさせていた。 帰りは陽を求めの左岸テラスを遡り両国テラスへ。左岸の釣人はセイゴが半分以上獲り,ハゼは型14〜17cmいた。 キャンプ用カップ310ml,@698仙台掘脇コーナン 12月07日快晴, 第8回隅田川ハゼ釣り大会 2009年 03月17日曇, フランスワインを楽しむ会, 浅草ビューホテル27p,J:COM台東 ![]() 04月23日快晴, 春日部藤まつり 藤棚風ややあるものの陽射しが強く袖を捲くるほど。高層の建物が少ないせいか街に拡がる蒼空が気持ちよい。 藤棚の密度が濃く,又数も多く見ごたえがある。白い花の藤が印象的だった。 帰り際頂いた春日部駅前周辺街並み散歩マップはもっと楽しめたと思う。活用前に帰宅。駅の案内チラシに加えて欲しい地図である。 東武春日部駅前通り1kの間,道路の両側歩道上。ヤマフジ(野フジ)を台本として高接ぎしたもの。 台本としては幹周15cm位,10年以上経つものを使用。平成20年度で31〜44年と推定される。フジ282本,藤棚50,藤,白,桃色 04月30日快晴, ツツジの根津権現と東大三四郎池 やや早いかツツジの丘初めて台東区循環バス「東西めぐりん」に乗車,根津権現へ出向く。 昔彼女が住んでいた街角を抜けツツジ咲く権現へ。まだ7分咲き人だけは多い。翌々日からツツジ祭,出店の準備が始まっていた。 木陰の多い三四郎池池畔で酒饅頭を頂き東大構内へ。久し振り裏門から入る。中央食堂で昼食にした。 今日のお薦め定食は和食¥510。サバの味噌にと肉豆腐,実の多い豚汁と炊き込みご飯,量もあり味はマァーマァーである。 定価¥270のラーメンには少々昔を想い懐かしかった。東大には時折来るが27,8年前に生協で家具を買い,食堂に入っている。 今日は陽射しも強く,日陰を求め三四郎池を回って,川面に蓮の芽が出し始めた池之端を経由,モンジャの木に寄り帰宅した。 05月09〜10日晴, 下谷神社御祭禮 09日,子供神輿竹町連合渡御,大人神輿竹町連合渡御,4基 10日,下谷神社連合神輿渡御,20基, 区役所前A地点 赤鳥居前にて修祓下谷神社1280年前年蔡で渡御が行われ筈だったが名称が変更され,天皇陸下御即位20年蔡となる。 北竹神酒所より春日通りで東上野2,北竹,佐竹,南町会,徒2,徒1が合流六ケ町渡御, 大通りで中町会を含め20基で下谷神社連合神輿渡御を行う。 05月22日曇, 清里泉清寮とさくらんぼ狩り 長坂IC=清泉寮一三分一湧水一小淵沢ホテルリゾナーレ「オットセット」イタリアン料理コース一塩山岩出,サクランボ観光果樹園一勝沼IC 竹町地区婦人部レクレイション 清泉寮と八ケ岳本峰(ギボシと権現岳,三ッ頭)3年振りになろうか再び清泉寮に出向く。天候は幸運にも下り坂の予想を裏切り時折陽射しを受ける。雲を割り蒼空が顔をだしていた。 泉清寮は観光としては天候に左右されている。青々とした牧草と新緑の木々 空に突き出した八ケ岳連峰東面は残念ながらビビたな残雪しか望めなかった。今年は私の知る限り何処でも山での積雪は少ない。 この時期で八ケ岳核心の谷は殆ど雪を臨めず。道中は富士山七合目付近は積雪があるものの奥秩父の稜は穂のかな残雪になっている。 南ア,南部の峰々も中途半端な霞みに煌き輝く雪稜は望めなかった。 それでも牧場から見る八ケ岳の裾野は新緑に飾られ,居るだけで癒される場所である。 家屋の赤みに多彩な緑,岳の岩肌との調和がよい。晩春を終えもう直ぐ初夏が来る感じをも抱かさせられた。青葉に満ちていた。 観光客が少なかったのもよかったかも知れない。修学生が何グループか見られ,その中小学生のクループも居た。 ![]() 牧場から緩やかに下る麓の広い源流に玉須川が開け,その先に茅ケ岳から金峰へと続く稜の山波を連ねている。 この南東に延びる山々はまだ私の踏み込んでいない山域である。 三分一湧水,東側水路三分一湧水は若葉溢れる高原道を下る。東俣川沿いによじいながら下る。 昔,学生の頃,この沢を赤岳まで遡った覚えがある。清泉寮での誘いを断り,奥の二股で冬の叫びを聞き根穴を見つけ1人野宿した。 一昨年の清掃ボランテァでは急に山頂清掃を頼まれ,日程が合わずやはり宿泊を断っている。 バスの広い視界の利くフロントガラスは前面を新緑が被い,枝々の淡き草色が幾重にも重なり先を塞いでいた。ここはまだ春の兆しを残していた。 バスはそこを突き進む。そして裾野を横切りながら小海線沿線へ下りた。 三分一湧水 三分一湧水へは8年程前,妻と麦草峠越えをした時,寄った覚えがある。下流にある村の農業用水の「湧水配分をめぐって争い, 武田信玄が湧水の分水枡に三角石柱を立てて,水を3等分する仕組みを生み出したと伝えられている。 ヨモギ やや熟しぎみのサクランボを食後とわいえよく食べた。梯子に登りむしり採られた上部の実を食べる。口に放り込む上品な甘みが慎ましい。 サクランボ園の脇にヨモギが群がっている。先週与田浦フナ釣で分けて頂いたヨモギは茎より採り,硬く食べられるものではなかった。 聞くところによると新芽だけを摘めば美味しく食べられるそうだ。帰宅し天婦羅用に早速試みる。香りと歯ざわりがよい。 06月19日高曇, 都立舍人公園 9:20JR御徒町14:30⇔日暮里舍人ライナー,¥320=舍人公園前 舍人ライナーと舍人公園無人運転の舍人ライナーは尾久橋通りの真上を走っている。日暮里北口交差路5階程の高さから出たモノレールに乗る。 昨年03月に開業してから,早いものでもう1年が経つ。9.7kmを20分で結ぶモノレール線で,この地区からJRにでるには極便利になった。 何度か手長エビ釣りで訪れた荒川扇橋,工事中の脇をよく通っていた。そこを過ぎ舍人公園駅で下車。 左側は陸上競技場,テニスコート,野球場の各施設が並び,右は自然を生かした水と緑の公園になっていた。 アシ茂る大沼駅前の噴水から水の流れの中で雀の水遊び,小鳥より鳩やカラスが多い。もう期を終え池畔脇に広がるキショウブ田を抜け大池へ。 ガマがいる。中央にはアシが自生しカモガモがつがい潜る。その絡みを狙う地元のヘラ師が竿をだしていた。 常連の釣師達,ポイントが決まっているようだ。若者はルァーでブラックバスを狙っている。ビクとタモが辺に転がり今日の釣果は悪い。 久し振り薄日が射し気温を上げだしていた。蒸す茂みの臭いと時折流れる風が心地よい。 ただ大木はあるものの必要な所にはまだ少ない。更に暑くならば逃げ径が大変だと思う。 足立区は23区内で最大の緑地面積を有するそうだが,s56年開園の割りに広場の立木はまだ手を掛け始めた感がある。 後10年も経てば木陰も増え自然に溶け込むだろう。 小径の茂みは西新井方面へ抜ける道路を挟んだ南側にあった。ただ中央にある密生した森はバード保護園に指定され入園禁止で囲まれていた。 その南側に広がる森,3本柳の谷など,人影が少なくゆっくり歩めると思えるが外からの舗装道路が立て横に細かく横断し, まだ整備が進んでいないようだ。中央に民家が2棟あった。 他所の公園と比べる事はできないが都心近く草木の茂みを掻き,仰向けになれば空が広がり,先の楽しめる公園である。 昔の地図を見ると平成の初めまでは真っ直ぐの尾久橋通り左は入谷に運動場があり,今の野球場が舍人公園だった。 右側は農地が広がり,今現存する大沼だけが記載されていた。 09月05日高曇, 勝沼ぶどう狩り 7:30竹町公園=勝沼ぶどうの丘=ハーブ園=恵林寺一休庵,昼食=大沢農園=帰宅17:30,町会バス旅行,26名 勝沼ぶどうの丘より山梨市を見降ろす赤い屋根の笛吹川フルーツ公園,その丘の上には「ほったらし温泉」,左が棚山 土,日曜,高速道¥1.000で八王子まで2時間,大変と思われたが後はスムーズに。 快晴の秋空に迎えられる。 恵林寺の参道 境内一休庵で昼食 大沢農園の巨峰10月04日晴, 親子で蒸気機関車に乗ろう 竹町小学校校庭,円周100m,露天4, 台東四丁目町会主催 11月29日曇, 隅田川ハゼ釣り大会 小さな二人旅Top, |