| 鎌倉古道. 湯坂路から箱根湯元に戻り.それから一夜城を経て小田原漁港へ・・箱根山地Top 旧東海道畑宿から歴史の古道を歩む.後半は石垣山へ綴り小田原へ 2012年04月21日.L滝島m見城.黒岩.鈴木.工藤.松村 4月21日(土)朝方晴後高曇 jr東京¥1450. 7:33=9:04小田原箱根登山線¥300=箱根湯本¥380. 9:45=10:08旧街道畑宿bs. 今回の山行は昨年の春.滝島氏から街道を歩きたという言葉から始まった。今年の2月に箱根湯坂路コースを散策し 早川小田原漁港を経て小田原にでて解散する計画が立てられた。私は3日前に西丹沢畦ケ丸に入り.新松田の駅前の飲み屋で 下山の凱歌を味わっていた折.その場で「炊事用の水1.000ccを持参するよう」電話を受けている。 見城氏から指定された東京発7時33分の小田原行鈍行に乗り.横浜で見城先輩と黒岩嬢と落ち会い.終点小田原で滝島先輩と鈴木と合流。 又後輩工藤君も参加し箱根湯元で待つ。彼は昨日までゴルフ旅行をしていたようだ。 旧東海道.寄木細工の畑宿.10:09畑宿から湯坂路―湯本駅 10:08旧街道畑宿bs:20一10:50飛龍ノ滝一11:17国道1号線接点一12:00浅間山:45一13:05jr東海36号鉄塔 一14:26国道1号.旭橋一14:33小田急湯本. 湯坂路 湯坂路は箱根湯本から相模湾を望みながら下る街道で.江戸時代の「旧東海道」。今の東海道が開通以前に歩かれていた箱根越えの古道。 「天下の険」と云われた箱根越えは矢倉岳と金時山との鞍部にある足柄峠を越えている足柄道で.万葉集にも詠まれ,古くからある旅路。 その後803年の富士山大噴火により従来の道が崩され.浅間山を通る尾根上に造られたのが鎌倉古道。 伊勢物語の在原業平.一六夜日記の阿仏尼,鎌倉時代の将軍たちも歩んでいる。 この道は徳川家康が江戸に江戸城を開城したことにより.戦略上の理由で上方からの防衛最前線として. 尾根上の湯坂路から南側の須雲川沿いに「旧東海道」が開かれた。それ以来湯坂路は山に埋もられていた。 現在の国道1号線は湯坂路の北面を囲むようの早川沿いを綴り.強羅付近までの間は箱根登山鉄道とも並行している。 小田急湯本駅に集合,総勢6名が市営の小型路線バスに乗車。須雲川沿いにある狭い温泉街の街並みを抜けている。 箱根新道と並行して走る旧東海道.県道732を綴り,畑宿で下車。今日も朝方は明るい陽差しに恵まれる。 湯坂路(芦ノ湯〜湯本)への登路としは畑宿から飛竜の滝自然探索歩道を歩む。 寄木会館脇から「湯坂路・鎌倉古道入口」の看板を見て.沢沿いに.飛龍ノ滝への小径に入ると散り始めたばかりの夫婦桜が目に入る。 谷間の小径.高度を上げるにつれ,重なり合う山並みが開けると時期がら山肌に咲く山桜を多く見る。 これから葉桜になりつつあるが今は真っ盛りだが人出が少ないという。5月の連休までの束の間.それでもハイカーが多い。 左奥が飛龍ノ滝.10:49沢沿いに下ると広い河原の先に飛龍ノ滝谷が見事な庭園的な場景で落ちていた。そこを境に尾根伝いに登りだす。 背には二子山が認められる筈だった。霞みに隠され.空は何時の間にか高曇に覆われていた。 飛竜の滝・・自然探勝歩道(富士箱根伊豆国立公園) 11:17浅間山(湯坂路)802m.基準点名「鷹山町」. 鷹ノ巣山 国道1号接線から鷹ノ巣山へ.11:17 神奈川県自然環境保全センター県有林部.11:53湯坂路 国道1号線の接点が湯坂路入口で.大きな案内板の「箱根県営林案内図」を見渡すと西側を走る国道1号線から湯本までの 東面の山道として鷹ノ巣山林道や湯坂路.その支線が描かれていた。 一回り大きく見る山の概念としては北側に明星山を迎え.1号線の西側には神山.駒ケ岳(芦の湖).二子山と連なり. 南側には大観山から北東に延びる尾根が湯坂路を綴る尾根を取り囲んでいる。 この全体像は先日西丹沢に出向いた折.新松田から路線バスに乗ると酒匂川の河原の右岸丘陵を走っていた。 左の車窓から富士の雄大な裾野が広がりを見せ.同座同位して.jr御殿場線からのこの風景を眺めてもいた。 尾根は又早川とその支流の須雲川に挟まれ.鷹ノ巣山.浅間山.湯坂山を連ね.出合である湯本に没している。 湯坂路は尾根筋を湯本へと綴られ.国道接点の所から右に折れる道は防火帯を兼ねた広い切り開きになっている。5分程歩んで鷹ノ巣山にでた。 11:50国道分岐から伸び伸びとした緩やかな起伏の丘が続き.まだまだ大地を覆う下草は薄い。 鷹ノ巣山城址833mと浅間山との鞍部には地図にも載る確りした鷹ノ巣山林道を横断すると木漏れの薄暗さを造りだしていた。 鷹ノ巣山林道は国道1号線を起点に湯坂路を越え.南に長く延びる林道の終点は二子山(火打山)の県有林の中だった。 横断分岐地点から別の北側の径を取ると千条ノ滝から小涌谷へ抜けている。 浅間山801.6m 昼食・・餡かけラーメン.14:02浅間山の頂手前で左手に宮ノ下へ降りる小径を分ける。枝越えの樹林の隙間からは堂ケ島.宮ノ下の別荘.温泉街が望まれた。 そこには早川沿いに箱根登山鉄道と国道1号線が走り.幾つもの温泉地を抱いている。尾根にでてからは今日初めての展望になる。 浅間山 平らな起伏のその先が芝の坊主頭のような草原の丘.頂にでる。薄日に変わるも明るい台地。頂の三角点標石は気が付かなかった。 幾つものグループが生い茂り始めた野草の上にシートを広げ.寛ぎ昼食を摂っている。我々もその仲間入りをした。 昼食は小田原港の食堂の筈がコンロでのラーメンに変わっている。最初の予定では港で歩み.昼食を摂る計画だったらしい。だが如何みても無理. 炊事は慣れたもので言葉もいらぬ動作でコッヘルに水を足し.沸けば具を入れ麺を茹でる。慣れた手順は食器を渡すまでの動作。 濃くのあるトロミのラーメンができあがる。後はビールを片手に箸を持つ。 椿林に挟まれた・・桜の木.12:42 jr西−沼線36号鉄塔.13:04jr東海の鉄塔 浅間山から20分程で左脇に送電線jr東海の「西−沼線36号鉄塔」の基部脇を通る。 東海道新幹線に給電するため西相模変電所(東京電力.JR)から沼津変電所へ送電されている。交流275kVの送電線. 施工s39年06月.竣工は東海道新幹線開業年. 富士川を挟んで西側の距離を多く走る東海道新幹線は交流2.5KVの周波数で同一に統一されていた。 東京電力から50Hzで受電後は大型の周波数変換所(東京都浜松町.神奈川県綱島.西相模.静岡県沼津)で60Hzに変換されて給電。 又長野新幹線の車両はトランスの実用化が進み.50Hz.60Hzの両方が走れるようなっている。 新幹線の架線の電圧は2万5000V・在来線は2万V・家庭用は100〜200V・又中央新幹線は15万V. 丘のような尾根筋を綴る 湯坂山付近は以外に多い桜林・・歩き易い葉桜の径.13:11浅間山から緩やかな尾根道を下ると赤桃色に咲くツバキが目立ち.キフジを見れば頭上に葉桜を見る。 艶やかにピンクに染った山桜は満開の時期を終え.枝々は葉桜に変わり.淡く白み多き桜になっている。 広い尾根道の散策路は両側からは若葉に替えられた桜の枝々が大きく張り出され,長閑さを誘っている。 それぞれが気侭に歩き.バラバラになす様がこれまたよい。春の花咲くトンネルが続く。 ボヤケる明神山と800年の歴史を持つ石畳.14:02尾根に登ってからは背に見える筈の二子山も.主尾根にでて駒ケ岳.神山も.途中で望められる筈の明神山も.眺められずいいる。 湯坂路を綴る尾根からは垂れ込んだ雲に覆われ.何処も望めないでいた。聳える方向さえ分からず。 743m圏コブ手前が城山. 大平台への分岐.北側の道に入れば箱根登山鉄道.大平台駅にでる。 又湯坂山城址は山名標がなければ通り過ぎてしまうような通過地点にあった。 広い防火帯の尾根道から小径に変わり.石畳道になると枯葉が乗りやや歩きずらいが抜ければ湯本にでる。 国道1号線 先は強羅.宮下へ.右側は芦ノ湖を源とする早川.14:26杉林の急坂に入ると更に暗くなり.旅館の裏側から国道1号線にでている。国道の右前方を歩めば宮下.芦ノ湖へ。 右折して旭橋で左岸に渡り下れば箱根湯元に戻ることになる。 後半の小田原漁港に至るにはもう1つ山越えせねばなず.湯本の温泉街を抜け石垣山を目指した。 湯本旭町温泉街を抜ける.14:13国道を右折し早川旭橋を渡り.日帰り温泉「弥次喜多の湯」を右手に見て.旭町の温泉街を抜ける。 朝方出発した湯元に戻り.改めて国道1号線沿いに小田原方面へ。石垣山まではこれから先.殆どが舗装道路になっている。 箱根湯本から石垣山―jr東海道早川駅 14:33小田急湯元駅一15:00入生田駅前一16:00石垣山一夜城:20一17:03jr早川駅. 1号線信号三枚橋 山崎インター・・箱根新道分岐付近の工事現場.14:46右上の尾根を越え海岸線へ 再び湯元駅前を抜け三枚橋の信号の先.1号線と横浜新道.山崎ICとの交差付近は大規模な道路改修工事が行なわれている。 歩道は行き止まり.1号線の橋から早川を渡り.1号線と箱根登山鉄道との間にある旧道から再び国道に戻っている。 そして小田急入生田駅前の信号を右折し.生命の星「地球博物館を見て国道を分ける。 道路標識には「一夜城歴史公園.4.5km」とある。2車線の真新しい関白沢左岸沿いの広々した広域農道が山越えした。 この農道は延長工事中.終点は湯河原になる。 再び石垣山ハイキング 早川太閤橋を右岸に渡る.15:132つずつ鉄塔がある送電線は真鶴線鉄塔と箱根線鉄塔。 徒歩の場合は箱根登山鉄道入生田駅か.jr早川駅に下車.右上の横筋は箱根ターンパイク。 舗装された道幅広い広域農道を左に大きく回り込み.早川太閤橋を渡ると頭上に鉄塔4基が今にも降りだしそうな曇天の空を向き聳えている。 西相模変電所の2号鉄塔から早川の対岸風祭駅付近まで架かる箱根線と真鶴線は上下段に併架されていた。 ここから双方の送電線は別々の鉄塔を持ち.真鶴線は石垣山の手前を左に巻きながら尾根を登り真鶴に至っている。154KV それに控え箱根線は尾根上から須雲川沿いを遡り.朝方の出発点.畑宿を抜けて元箱根線に分岐していた。駿東変電所一西相模変電所間.66KV 広域農道 橋を渡って直ぐ右手に農道向山縦断道路を分けている。奥には家屋があるが関係者以外通行禁止をうたっていた。 その道路両側には扇状に枝を広げるイチョウの木が植えられていた。T氏によると自然のものではないと云う。 銀杏収穫用のイチョウで.他に梅畑や蜜柑畑があり.右側のイチョウの木脇にはモノレール軌道が設けられている。 暫く登っていくと道端に大岩がある。石垣用の石材で江戸城に運ぼうとしたものだと推測されていた。 またその先では道路の崖面から大きな岩が露出し.解説板に示されたのは.こういう岩を使って一夜城の石垣が作られたそうだ。 緩く蛇行する農道.時折工事用ダンプが荷を乗せ越えて行く。その道伝いを我々は歩む。 重くなった足.私はズックだが皆登山靴を履いていた。尚更足は重くなる。大きく左にカーブする手前でお茶畑の傍からショウトカットした。 2ケ所ほど直登する1mほどの脇道歩道があり登っている。単調な道に距離が稼げ助かってもいる。 再び農道に戻り.尾根筋を通る箱根ターンパイク(小田原から湯河原に至る延長15.782kmの観光有料道路)の陸橋. 姫ノ水橋を跨げば石垣山も真近だった。頂を綴る大きな台地.左手に関白林道400mの終点が合わさり.その上が西曲輪,石垣山になる。 石垣山一夜城 一夜城の二の丸中央芝.16:17天守台近くに小田原市が設置した水準点がある。三頭三角点標石.260.15m.山名は「石垣山一夜城・水準点」.基準点「飛乱地」. 石垣山一夜城 石垣山262mの城跡一夜城があり.知らぬ間に周りは薄暗くなる。 私たち以外に誰も居ない城跡にいる。広い芝生の広場.二の丸跡真ん中でK氏が持参した結飯2つと林檎2を分けあった。 石垣山城は東国では最初の総石垣の城で.一夜にして築かれたということで「一夜城」の名が付けられている。 築城にあたり,山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り.白紙を張って白壁に見せかけ.一夜のうちに周囲の樹木を伐採したと言われていた。 実際は約80日を費やしたと考えられている。ここに本陣を構えた豊臣秀吉が100余日をかけ.東方に見下ろせる北条氏の小田原城を攻め 天下統一の総仕上げをしている。石垣山は「太閤一夜城」とも呼ばれ.本来の名は「笠懸山」。 来る途中では林道工事をした時に発見された「早川石丁場群」を通っている。砕石跡地で中にはノミの跡があり.丸で囲んだ刻印が残されている。 直ぐ近くに一夜城の史跡があるがこの石は江戸城.築城の為石垣用に切り出されたものらしい。 今回は望めなかったが本丸跡の東側からは丹沢大山や小田原城,小田原の町並みが見下ろされた。 そして江ノ島へ延びる海岸線の背に三浦半島.房総方面がよく眺められるらしいい。展望台からは明神山が見られると云う。 又今月の上旬に日原から入山し.ネズミサス尾根から鷹ノ巣山に登り.榧ノ木尾根.倉戸東尾根を下りている。 その折石尾根の1つのコブが城山(じょうやま)1523mで.ここにも平将門の一夜城があった。 足柄平野と相模灘 分離した真鶴線鉄塔.送電線はL字に折れる.16:38良く晴渡った日は遠くに三浦半島や房総半島が望める もう4時を回っている。尾根の裏側の太平洋側へ.東麓へ繋ぐ舗装された石垣山農道を下る。 一車線では広く2車線としては狭いゆったりとした1本道.小田原へ下る道。 小田急入生田駅から石垣山を南側に深く巻き込む形で歩み.海岸沿いのjr東海道線早川駅にでたことになった。 途中には石垣山に参陣した武将達(徳川家康.宇喜多秀家.伊達政宗.堀秀政)の案内板が点々と綴るようある。 3つの送電線・・途中で潜ったjr東日本の送電線「二-湯線」は在来線に送電される二ノ宮2号線と湯河原2号線の略称。 二ノ宮変電所からjr二ノ宮変電所と繋ぎ.2つの送電線が別々に送電され.途中で1つの鉄塔に併用され.尾根筋を登り. 石垣山の南側へと抜けていた。写真の鉄塔は真鶴線23号鉄塔. 先ほど早川太閤橋を渡た時.見上げた送電線。 ここで角度を極端に西側に変え.私達の下って来た尾根を登っている。 小田原の街並 海岸線は望めるも江ノ島は見えず.16:41横切る新幹線と箱根新道 早川の街並が広がる先に小さな丘に建つ小田原城が望まれる。 右先に海岸線が見える。その先が相模トラフと呼ばれる日本海溝。船で沖に30分も進めば水深は1.000mを軽く越す。 数年前まではよくワラサやカツオ.ヤリイカ釣りに通っていた漁場。 遠く見える筈の三浦半島・房総半島は今日は望めなかった。手近の西浜の先.江ノ島も霞に隠れている。 その海岸線との間に横切る溝のような直線は新幹線の線路。丁度下り列車が街並みを突っ切り通り過ぎた。 蘇我丘陵と箱根板橋方面 奥は丹沢山塊,右は相州大山中央にトンビが舞っている 小田原 山から丘へ.街の一隅に入る。T字路にでて「石垣山一夜城歴史公園.1800m」の道標があり.右に折れ下れば ここから早川駅まで要所要所に駅への道標が綴られていた。 勘高い太鼓の音色が響き渡っている。手前街角で山車を曳く子供達の姿が小さく見下ろされた。 そして別のお囃子の車が私達の前を擦れ違う。街に入り祭の関所を通る。道端で酒を呑むのも祭ならではの特権だろう。 新幹線に東海道本線のガードを潜り.国道135号線早川の交差点を歩道橋で渡り右折した。 向かいが直ぐ小田原漁港だった。湯本から丁度2時間でjr東海道本線早川の駅に着く。 後日調べたところ石垣山から石垣山農道を少し下った所で.右に舗装された関白農道を分けている。 やや細道で石垣山農道と並行して下り.国道135号線早川みかん選果場角にでる。やや近道になるが案内板はない。 下山と鯉のぼり 今年は4月に入ってかは,奥多摩日原から奥多摩湖.新松田から西丹沢.更に箱根湯坂路から小田原と三度.山を越えている。 ただ端午の節句「鯉幟」には山村や温泉地.海岸線を回るも残念ながら一度も見ることはできなかった。 平安時代の中期.関東の豪族平将門は朝廷の敵となり.撃退され逃げ込んだが民家で揚げた鯉幟で所在が知れ.攻められ敗死した。 と云う「平将門伝説」があり.それに倣い鯉幟を揚げない地区.集落が多いと聞く。 回ってきた所には石尾根将門馬場と呼ばれる山々があり.平家の落人との慣習が大きいのか? 鯉幟は不幸にするとの伝えは 今でも全国的にあるらしい。海岸線でも大空に舞い泳ぐ鯉幟を見ることはなかった。早川では祭旗に変わっている。 あっても気が付かったかも知れない。鯉幟が慣習になったのは江戸時代になってからと聞いている。 この時期山から下りると里に泳ぐ鯉幟を楽しみによく見ていた。今年はまだ見ず.年と共に廃れてゆく感じを受けている。 何故か仰ぎ和む鯉幟. 帰宅して孫の家に寄ると街中で外には揚げられず.室内に玩具のような鯉幟が昇る。 jr早川駅ホームにて.17:1317:03jr早川東海道線¥140. :05=17:08小田原19:35=21:00東京. 東海道本線にでて食堂を探すもお祭の為閉店している店が多い。K氏推薦の食堂「こじま」も臨時休業の張り紙が貼られていた。 ここから続く小田原漁港への道を覗き込むも.黄昏を迎え静かなものだった。 時間は5時を過ぎる。見城氏の決断は早い。JRで小田原に移動した。空腹感もあり.喉通しも乾いている。 駅前の居酒屋「たわわ」寄り.解散した。写真Ts.M・・34.358歩 |