丹沢山域の旧鉱山

   丹沢の鉱山跡を探る・・12丹沢だより437号,2007,01,

     添付図は昭和7年発行の大日本帝国陸地測量部「中川」2万5千分の1図に鉱山関係の事例と、その位置関係および
   それらを取り巻く経路を書き入れたものだ。現在の「中川」と比較して、桧洞丸周辺(特に経角沢源頭部)が大まかに作図されているのが判る。
   そのほかの地形も現在の地図とは違っているので、「事例の相互位置関係を知ることを目的として」のみ見てほしい。

     ちなみに中ノ沢休泊所とユーシン休泊所が記入されており、玄倉林道は、まだ出来ていない。玄倉川の立間大橋から上流には堰堤は、
   出来ておらず丹沢黒部の様相を呈している。玄倉から中ノ沢休泊所を経由して山神峠を経由してユーシン休泊所。
   山ノ神から玄倉川へ降り、中ノ沢休泊所までの経路は、元々から記入されれている。

     玄倉から前尊仏様を経由して谷戸ノ影沢出合までの経路は、明治25年発行の2万分の1地図「塔嶽」を参考にして書き入れた。
   ちなみに「塔嶽」には、中ノ沢休泊所まで。山神峠を経て逆木までの経路は、すでに存在している。女郎小屋ノ頭から出合までの経路は、
   足柄之文化2号「信玄の金山をたずねて」の記事を参考に、現在のWebで調査した経路を踏まえ書き入れた。
   玄倉鉱山から丹沢鉱山までの経路は、現代登山全集8 富士丹沢三ッ峠の奥野氏の地図を参考に書き入れた。


   (1)玄倉=前尊仏様=谷戸ノ影沢
     明治25年に発行された2万分の1「塔嶽」に書かれていた経路で「丹沢だより419~423号の前尊仏様を探す」で述べた経路。
   玄倉の八幡神社から前尊仏様を通って谷戸ノ影沢出合に降りてきているトラバース経路は、出先の鉱山への経路だったかもしれない。

   (2)玄倉=中ノ沢休泊所=欅平=中ノ沢乗越
     玄倉から中ノ沢休泊所を経由して東沢出合に通じる中ノ沢経路(別名信玄ノ隠シ道)、この経路の先には、信玄の隠し金山(多分、
   違うと思う)があったと言われている東沢(金山沢)、はたまた小川谷上流の金沢という沢の名前がある。
   御料林経路の一部と考えてもおかしくはないが、地名考証から考えると鉱山道であった可能性もある。

     前号では、小川谷上流部分の銅鉱脈露頭の存在を明らかにしたが、坑道を掘らなくても露天掘の可能性もあり、その場合中継地点として
   欅平の存在は、大きなものとなる。小川谷左岸に出合う長ザレ沢右岸には、石積の跡も発見できるので、ここにも生活の跡があったようだ。
   中ノ沢乗越を越えて経角沢を下れば、水晶や輝水鉛鉱が取れたと言われている桧洞上流部分(別名桶棚沢)に簡単に行くことがでる。

   (3)玄倉=山神峠=芋の沢出合=芋ノ沢頭=中ノ沢休泊所
     山神峠から分かれて中ノ沢休泊所に至る経路は、御料林経路とも呼ばれている。中ノ沢休泊所と山神峠の先には、逆木を経由して
   ユウシン休泊所があることを考えれば、林業のために開かれた経路と考えてもおかしくはない。しかし、芋ノ沢の地名考証、赤棚の旧抗跡、
   前々号で見つけた坑道跡や玄倉川を遡れば女郎小屋沢出合という事例を考えれば、鉱山を繋ぐ連絡路と見てもおかしくはないだろう。

     中ノ沢休泊所の玄倉寄りには、弥七平があり鉱山跡と思える大穴があったそうだ。さらに中ノ沢休泊所からは、穴ノ平沢を経由して
   箒杉までの経路が、かつて存在しており箒沢から玄倉方面に出かけるときは、大仏、神縄経由よりも早く着いたそうである。

   (4)東沢源頭部の鉱山跡=女郎小屋沢出合
     東沢源頭部の鉱山跡から女郎小屋沢出合までは、前号で述べたように尾根を伝わって簡単に行くことができる。
   女郎小屋沢出合から下流には鉱山に関係している事例も多くあることから、ここにもし女郎小屋があったとてもおかしくはない位置である。
   なぜこの位置に女郎小屋があったと仮定できるのだろうか?欅平にあったほうが便利なのではないか!

     それは玄倉からの物資の補給を考えてみれば判る。明治25年に発行された2万分の1「塔嶽」の地図をみると玄倉から山神峠に行く経路は、
   生活道路として寄に抜ける道路の一部を利用し、途中塔ノ平で分かれて山神峠に向かっている。物資の輸送経路からみれば、
   欅平に設けるより簡単に物資が運べて鉱山にも近い、あの場所に設けたほうが利便性は高い。
   また史実上の玄倉の銅山が玄倉川沿いにあったと仮定すると、やはりあの場所がそうであったと思える。