| 秩父音霊場34ケ所 秩父市の荒川左岸の札所. 22番.23番.21番.20番.19番と小鹿野の札所31番を綴る 。 2018年12月23日.m滝島.鈴木.松村 秩父札所 秩父札所三十四ケ所観音霊場は文暦元年(1234年)甲牛三月十八日開創と伝えられ.長享二年(1488年)の秩父札所番付。 (長享番付 札所三十二番蔵)が実在していたことから室町時代の後期には秩父札所が定着していたと考えられている。 江戸時代に入ってからは多くの江戸庶民の観音巡礼の聖地として賑わいを見せていた。 又西国三十三ケ所.板東三十三ケ所と共に日本百番観音に数えられている。 秩父市.横瀬町.皆野町.小鹿野町に点在するお寺で秩父札所34ヵ所は観音霊場と呼ばれ. 今回は滝島先輩の提案で同期鈴木と共に荒川左岸と小鹿野の札所を訪れた。アクセスにはマイカーを使用している。 公共機関を使えば西武秩父駅からは西武観光の路線バスを利用し.「小鹿野車庫・栗尾」行の終点までの沿線を綴れ,巡札し廻ったことになる。 「 仁王門」の童子堂の山門.9:45久し振りの東上線若葉駅に8時.滝島さんと待ち合わせて.県道でなく高麗川沿いの細道を綴り.高麗武蔵台へ。 鈴木と合流.巡札の旅にでる。正丸トンネルから横瀬を抜け.秩父に入ると秩父公園橋で荒川左岸に渡っている。 左前方に秩父ミューズパークを見上げられた。右折し長閑に朝陽が差し出す県道72号線を北上すれば点々と札所が鎮守し .左岸道からはおぼろに霞む武甲山が望まれた。 河川丘陵の田舎道的な田畑の雰囲気を持つ住宅地に入ると初めての札所.童子堂の境内に入る。 童子堂の山門は仁王門の童子仁王といい.又山門の左脇には童顔の六地蔵尊が祀られていた。 華台山・童子堂 札所22番.9:39聖観世音菩薩・真言宗豊山派・・秩父市内 このお寺は正式には「永福寺」と名指すが子供にまつわる伝説が次々に生じ.今の「童子堂」という呼び名が目立ち呼ばれるようなった。 府坂地内より現在の地.永田城跡に移したと伝えられ.近くに城の堀跡が今でも現存されている。朝日を浴び.巡札者に会うのも疎らが又よい。 境内から山門背は秩父ミューズパークに至る尾根 この尾根を右に下り終えた所に音楽寺から下る江戸巡礼古道(長尾根道)の尾根道が綴られ.直坂を下ると府坂地内にでる。 そこに江戸元禄から明治末期まで旧22番が童子堂あり跡地が残されている。更に下った街道沿いに薬師堂がある。 その先が札所21番.観音寺になり.これからそれぞれを巡礼する。 里を向く木祠 音楽寺への旧道口.9:45次は音楽寺への落葉道.明治巡礼古道(中山みち)を歩む 武甲山・・長者屋敷尾根が横切る 十三地蔵のある小鹿坂峠より.10:09昨年4月に3人で訪れた武甲山。小雨に見舞われ一時みぞれにもなり寒かった。頂は冬木に覆われるも.裾は若葉が燃え始めていた。 長者屋敷尾根表参道から浦山口駅に至る。秩父市街地と右奥が城山. 長閑な尾根沿いにでる松風山・音楽寺 札所23番.10:17聖観世音菩薩・臨済宗南禅寺派・・秩父市内。秩父ミューズパークの最北端の小鹿坂峠には十三地蔵が祀られている。 その下に位置するのが江戸中期の大きな堂.音楽寺。近代的な名前であるが松の梢を吹く風の音から生まれた寺名。 近年音楽に関せる願い事をかなえてくれる寺として歌手らの祈願が多いことで知られている。願い板にはビヨが用意されていた。 滝さんグループも祈願に訪れたとのこと。目指す先はまだまだ先のようだ。 音楽寺内陣 正堂の右脇に構える天神様木祠の上を被うのが天然記念物の「御影松」.1本の枝が横に長く延びている。 この「御影松」の梢を吹く風の音から寺名が付けらたのだろうか? 天神様は学問の神様として祀られている。 二子山東尾根 荒川に直接下りる公園より.10:24秩父市街地と左下が公園橋の斜張塔。市街地の中央を横切るのが昨年武甲山から見下ろした秩父駅前の公園・緑地. 北側は「見晴しの丘」.南側は「芝桜の丘」と呼ばれ.「芝桜の丘」には9種類.40万株の芝が咲き誇る。 「中山みち」に戻り.10:34要光山・観音寺 札所21番.10:52聖観世音菩薩・真言宗豊山派・・秩父市内 車を停めた童子堂に戻り.更に県道72号線を北上すれば直ぐ道沿い左に観音寺を見る。ここから再び巡礼古道を歩む。 観音寺の本堂左側には六地蔵尊が並び.右には「宝篋印塔(ほうきょういんとう)と地蔵尊」がある。 境内には六地蔵尊の他に11体の地蔵尊とその後宝暦14年建立の宝篋印塔が立てられ.歴史的には貴重なものらしい。 その奥の墓地との間には「八幡宮」が祀られていた。 昔この観音寺は八幡宮の社地で観音様を安置するとき.この一帯の悪鬼共が反抗して火の雨を降らせた。 このとき土地の守り神の八幡宮が鏑矢(かぶらや)を放って火を追い払ったとされている。 法王山・岩之上堂 札所20番.11:05聖観世音菩薩・臨済宗南禅寺派・・秩父市内 観音寺の先.学校前から道路の対岸に渡ると古道の分岐に合わさる。右に折れれば明治巡礼古道(寺尾みち)に入り.童子堂に戻っている。 左に折れれば江戸時代の道しるべ石があり.江戸巡礼古道(寺尾みち)を綴ると右下には樹林に囲まれた岩之上堂が見下ろされた。 荒川対岸は二子山のある景色. 岩之上堂は荒川河岸の崖の上に建立され.参道の石階段を降りている。 岩之上堂の本堂昔は願成寺といわれ大伽藍の寺であったが永禄の兵乱により焼かれ.本尊は仮堂に安置された。その後.内田家の祖先が建造している。 岩之上堂は江戸時代から今に続く旧家.内田家の個人所有(現在16代目)で武州鉢形城落城後.内田家の祖先が今この地で堂守になっている。 観音堂内陣・・藤原時代の作といわれている本尊の聖観音像を安置する厨子は観音開きの裏面に日天.月天.風神.雷神と共に 極彩色で三十三観音の彫刻がされていた。 荒川西岸.秩父札所20〜25番・・江戸巡礼古道図 ![]() 昼食 岩之上堂から先の古道はガレ場の崩壊があり通行止。 国道299号線を回り込むようにして荒川.秩父橋を右岸に渡り.住宅地から竜石寺を目指している。 昼食は秩父公園橋近くの「うどん屋」で摂る予定だったが.秩父橋西詰手前に蕎麦屋「さきいち」を見付け暖簾に誘われた。 窓際から秩父橋が臨め.客は他にいなかった。酒は飲まぬがまず「ダイコンの柚子酢漬け」の通しが.小皿にひと巻き付けられていた。美味い。 蕎麦はやや平らな細目で.ややちじれた麺で蕎麦そのものが香る麺。本山葵にそば猪口つゆは温かい。¥650. 更に昆布.胡桃.護摩.鰹節.山椒が混ざりの自家製の生姜の佃煮を土産に購入。 3代の秩父橋 対岸右の茂み脇に蕎麦屋がある.12:16秩父橋 秩父橋は秩父市阿保町と寺尾の間の荒川に架かる国道299号線の橋。 現在車が通るのは上流側に並行して架かる逆Y字型の斜張橋。1985(昭和60年)に完成した3代目の橋・・「関東地域の橋百選」に選出. 手前の2代目.旧秩父橋は1931年(昭和6年)に竣工した鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋。橋長134.6m,幅員6m. 県内初期の大型コンクリート・アーチ橋で貴重な近代化遺産の遺構に指定され.現在は遊歩道橋になっている。 この遊歩道橋を渡り.私達は竜石寺へ目指し往復している。 初代秩父橋は1855年(明治18年)12月に架設され.我国でも最も古い時代のトラス橋に属し.現在は橋脚2基.親柱2本だけが残されている。 明治期の築造技術の粋を集め橋梁技術史上貴重な構築物。現在も橋中央に残された橋脚は小鹿野町産の岩殿沢石を使う切石積構造で. 旧橋に重なるよう残されていた。当時は漸く馬荷が渡り郡内と繋がったとある。上州を指していたのだろうか。 高曇の日差しを浴び.コブシを見て南天を見る.11:59飛渕山(ひえんざん)・龍石寺 札所19番・・岩盤上に建つ龍石寺.12:03千手観世音菩薩・曹洞宗・・秩父市内 秩父橋を右岸に渡り.古い蔓べ井戸に御蚕屋敷を見て住宅街を抜けると河川丘陵の台地に.1枚の岩盤に乗る龍石寺が建立されていた。 本堂内陣・・龍石寺の本尊の千手観世音菩薩はすべての厄を払う「厄除け観音」と知られ,特に女性の19歳.33歳の厄除け参りで人気がある。 本堂左の河原側の三途婆堂には死者の衣を脱がせる奪衣婆(だつえば)と閻魔大王.賓頭廬(びんずる)尊者の三尊が祀られていた。 最後に小鹿野の巡礼古道.31番札所を尋ねる 観音寺のPまで往路を戻り.先の国道299号線を赤平川沿いに遡る。小鹿野を過ぎ,黒海士バイパスを横切ると路線バスの終点,栗尾へ。 赤平沢左岸の支流.岩殿沢沿いに遡ると車道の行き止まりが観音院の山門前になる。徒歩45分.本堂まで1時間・・江戸巡礼古道. 鷲窟山・観音院 札所31番山門.1:19牛首峠 更に道路終点の突き当りは小沢から綴る山径に変わり.カタクリの群生地を抜けると牛首峠にでる。 越えた直ぐ先に日尾城址があり.馬上(もうえ)から西秩父桃湖の北西側の湖畔.倉尾に至る。その先が日尾. 倉尾地区に県道282号線が通り.県境尾根に進めば矢久峠(二子山と父不見山間)を越え西上州へ。 ただ「荒廃が激しく通行止」となっていた。後から思えば登山道(旧道)になり巡礼社と異にするための注意板かも? 牛首峠は二子山東峰付近のm点コブから茅坂峠.白石山を擁する尾根の末端近くにあり,歩いて20分ほどの距離。 峠の右尾根が観音山と 山になる。裏側は西秩父桃湖が広がり.その北側が上州との県境尾根になっている。 観音山の手前の山懐には観音院が建立されていた。 聖観世音菩薩・曹洞宗・・秩父郡小鹿野町 観音院の山門 山門両側の仁王像は高さ約4mもあり石造り仁王像としては日本最大。明治元年に長野県伊那谷の石工.藤森吉弥が奉納したもの。 地元の岩殿岩を利用している。母の実家.伊那谷と聞き何か嬉しい。母は農家育ちだが親戚は高遠で彫刻を職にしていた。大分昔の話. 私が小学生になった頃.南アルプス千丈ケ岳・駒ケ岳に登るには伊那北から高遠で路線バスを乗り換えていた時代になる。 観音院本堂山門を潜る本堂への石段の数は296段。般若心経「276字」と普回向(ふえこう)「20字」の合計で.296段になっている。 急な石段を登り切ると最初に右脇にある梵鐘にたどり着く。一打.撞かせて頂いている。 本堂には奈良時代の僧・行基(668-749年)の作とされる聖観音像がご本尊として本堂に祀られている。 鎌倉の武将.畠山重忠が鷲の巣より本尊を見つけたと云われていた。 本堂の背後には大岸壁が覆い.左側に「聖浄ノ滝」.落差60mが落ちている。 この時期は水量が殆どなく滝の様相はよく分からないが修験者の滝行が行われていた。源頭は観音山. 右前方端に立旗のある谷間には観音院専用のモノレール軌道の起点があった。 滝の左側の断崖の大きな岩は埼玉県指定史跡「鷲窟磨崖仏(しゅうくつまがいぶつ)で.沢山の石仏が岩肌に刻まれている。 一説では平安時代初期の僧・弘法大師(=空海)の作とも。 磨崖仏は「海底」に小石や砂が積もってできた礫質砂岩(れきしつさがん)の岩肌を利用して刻まれ.大変貴重な文化財になっている。 本堂に右奥の「東奥の院」に登ると東屋付近から眺められた。又礫岩層があり.この地が海底だった時代あるとは驚かされた。 観音院の境内にある礫岩層.13:18ジオパーク秩父 1700万年前の新第三紀中新生代の礫岩層.13:32本堂の右奥に続く小径は「東奥の院」への入口.そこに700万年前の礫岩層が剥き出しに示されていた。この付近は以外と多いと聞く。 その先,馬の蹄(ひづめ)の跡が残のこる「畠山重忠の駒繋ぎ場」を過ぎ.右に回り込むと東屋にでる。 又左上の迂回路に入る所に観音山への登山口があった。 ここから25分ほど登ると狭い頂の観音山に立つ。北東側に急壁を擁し眺望に優れている。西秩父桃湖が見下ろされるだろう。 戻り主尾根の分岐を右に折れれば日尾城址にでる。この台地は秩父地層の底に当たる礫岩層で.海底から隆起して現在至ったようだ。 更に日尾城址を10分も進めば牛首峠にでて.山門前のコースと合わさっている。 峠路の幅は2mほどで.その両側は7mほどの切り通しができている。旧道の巻道があることから何故かとの疑問があるらしい。 「西奥の院」側 「東奥の院」より.13:39頂稜の右奥が牛首峠.更に右方は観音山698.0mで南面の懐は観音院になる。 中央に建つ鉄塔は送電系統図によると500kV送電線(1000kV規格の「安雲幹線(仮)」の送電線鉄塔とある。 新秩父開閉所から先.新所沢変電所までの区間は休止中になっている。架空地線を通新線に使ているか.工事等で使う仮線かも? 観音院には本堂の両サイドに「東奥の院」と「西奥の院」とに分かれ.「西奥の院」は小径の崩壊が激しく全面的に通行止になっている。 現在散策できるのは「東奥の院」のみ.山道とは別に小さく周回できる巡礼路ができている。 見ずらいが写真の対岸鉄塔の右斜め下に東屋が見えている。「西奥の院」になり.今はそこまでは立ち込むことはできない。 鷲窟磨崖仏と右下が本堂石仏群 天神様.13:42「東奥の院」へ入ると岩庇の中に石仏群がある。西奥の院(現在立入禁止)にも石仏群があり.含めた石仏は190体になる。 東屋の裏側にある鉄製の祠.13:47東屋の先端尾根尖っ突きにある古い鉄製の祠.ボロボロに錆び苔が付き.違った風格を示している。 本堂に向いた裏側は絶壁になり岩殿沢に没している。右手前脇にこの下を回り込む小径が合わさっていた。 先程「畠山重忠の駒繋ぎ場」から分かれた小径を綴る。 鈴木邸に戻り帰路も高麗川沿いに綴る。軽トラがギリギリ渡れる小橋を渡っている。渡ってから以前通ったことのある記憶が蘇っていた。 昼間の蕎麦屋の「通し」を作るよう滝さんが畑で3k近い大根を抜き.ザックに漸く入ったデカい白菜と柚子を土産に頂いた。 そして若葉駅で16:45発急行に乗車.日没を迎えている。 山とは違った里山の古道歩きを組んでいただき.師走の一日を仲間達と愉しく過ごすことができた。ありがとうございます。 赤平川流域 初めて赤平川流域に出向いたのは大分昔になる。2005年に地図を広げ.目暗ましで指したのが赤平川。 妻と赤平川を遡り赤平川国民宿舎に寄り.入浴後私は赤平川の河原で釣を試みるが釣果は0. 途中の長瀞ではハヤを仕留めていた。 滝沢ダムはまだ建設中で.帰路は雁坂トンネルを潜り中央道にでている。 2年後に滝さんと鈴木に誘われ左俣の小森川上流薄川を遡り.日向大谷から両神山をピストンした。 土砂降りになり「薬師の湯」に寄った記憶がある。 更に翌年08年には両神山を裏側から詰め.八丁峠から林道金山志賀坂線に入ったものの道路崩壊で通行止.改修工事が行われていた。 仕方なくし戻り国道140号から黒海士にでて小鹿野の川畔「須崎旅館」に宿り.翌日は西沢渓谷を探索した。 11年には忘年会山行として赤平川本流を遡り新山梨開閉所を経て.志賀坂峠を越えている。西上州の天丸山.烏帽子岳をピストンした。 そして今回は左岸沿いの支流岩殿沢の右岸道を詰めて.札所31番の観音院巡礼を訪れている。 最初の妻との旅以外は此のところ.どの山行も.このトリオを含めた山行になっていた。 |