サム初泳ぎ.キャンプと炊事 キャンプTops60年08月.富士七合目より夜明けの山中湖 |
||
山中湖キャンプ.s62年(1988年)08月13〜15日.家族全員とサム
我が家にはポインターの雑種,中型犬の大きめのサムを飼っている。 まだ末っ子より大きく.サムは自分の方が上だと信じている。家族6人までは数もできる。 のほぽんとした顔に似合わず忠誠心と闘争力は強く.今回も車の助手席の陣取りを長男と争い負けていた。 キャンプ初日は陽差しが弱まると少し肌寒いが午後は以外と暖かく.子供達は湖水の水遊びに通っていた。 湖畔際でサムと戯れた子供達は沖合へと入り.奇声を上げては飛沫を跳ね戯れ合っている。 サムはその光景を見て当然とばかり湖水に浸かり.子供の居る場所まで歩み寄る。足が届かないと思うも向って行く。 水に浸っていたサムが泳ぎだした。初めて自分で犬掻きをする。私だけでなく妻も子供も唖然と見詰めていた。 凄いと子供は歓喜を上げ手招きする。サムもひっひで沖に居る子供の所へ向っていた。 何度か行き来する間にサムも慣れてきた。サムにも余裕が現れ子供4人と犬一匹が水辺で戯れだしていた。 「凄いぞサム!」と撫でると嬉しい表情を現わし,僕も仲間だと得意な顔をしているようだった。 飛び込みたいと望む子にボートを出す。湖中央に出て飛び込むも.水面近くまで物凄い藻で張り占めている。 体に絡みつく藻. 魚は居るはずである。釣竿を持参しなかったことを悔む。 焚火の炎 子供達は毎日泳ぎサムも付いて行くことが日課になった。それ以外は焚火に精を出している。 最初は1束のみ買い入れた薪. 後は自分達で何処からか掻き集めてくるのが慣例になっている。 俊雄が売り場の薪束を抱きかかえて持って来た時は.びっくりさせられた。 焚き火は火の種を絶えさせぬことなく,我がキャンプ場に入れば常に薪が加えられ,火の途切れることはなかった。 無くなると自ら薪拾いに出掛けている。又上3人にはライターを持たさせている。寝る時以外は自由に任せていた。 それ故.炎の上には常にナベか薬缶が掛けられていた。 薪取りの間.持参した自転車で妻と湖畔を一周した。 一時間半.陽差しが強いも乾いた大気が心地よい。風を切りアイスクリームと干し魚を土産にキャンプ場に戻っている。 夕方.隣りの住民からヒラ貝とシジミの差し入れを受けている。早速.茹でるが大味で不味い。 明日は皆で獲ろうと威勢を揚げたものの萎んでしまっていた。帰りは水槽用に水草を採っている。 キャンプと炊事 食事 我が家では山行及び釣行は.常に昼食は適当な具を足せば足りるラーメンに決めていた。 又,晩飯はその時の希望を含め.1から献立を決めてから始めるが.朝食は決めていた。 時間のロスと食欲を考え..朝は常にオデンに好みのものを加えている。そして白米に海苔と生卵がある。 味噌汁は勿論.生で玉葱とじゃが芋が多い。他の登山者から看れば夕飯の食事となる。 キャンプはもっと自由である。安い高いに係わらずデトルトは使わなず.焚火を主に常にナベか薬缶が乗せられた。 ゆっくり時間を掛け炊事を始めている。 焚火と炊事 朝も昼も関係はない。朝は小鳥のさえずりを聞き.水汲みから始まる。 自然と分担が決まり.小さな震える手が働き終われば誰もが枝を持ち.カマドをいじりだす。 ここで末っ子.俊雄が登場する。小枝をボンボン放り込む。姉兄が止めろと言うまで楽しんでいる。 炎が高く揚り過ぎ周りを熱くする。 昼はさすが惰性になる。ただ誰か一人は番するかのよう留まっている。 太い丸太が半分程燃え尽きるも.薪を加える必要はなかったが交代に現れては消えて行く。 黄昏から帳が落ちると又違った雰囲気をかもちだしている。 ゆっくり炎を見詰め薪を加え.星空を仰ぎ今日一日を語い会うよう時間が過ぎてゆく。 焦ることもなく茹で出したナベを見詰め.ゆっくりした炊事を楽しむ。 1泊,2泊で下山まで火の落ちることはない。 それだけ自由に飲みたい物を飲み.間食も自由に。主食は全員で。 道具.我が家のルール ライターは小学生二年になると全員に与え.その1年後には鉈を持たす。本物の鉈である。 子供には重すぎるが.足に落さぬよう気を使っていればそれなりになる。 当然.薪の購入は最初の1束のみ.全て何処からか探し集めている。 面白いことに薪枝では直ぐ燃え尽きる。ゆえ太い枝木を求め.最後には丸太の倒木を引いてくる。 当然.鉈や鋸が活躍する。 薪がなくなれば子供達は自主的に薪拾いを始める。時には前記のよう倒木を引いてくることもある。それも全員で。 太い倒木は鋸を引くにも.子供では時間が掛かり過ぎる。互いに交代し飽きると私の番が回ってきたりもした。 丸太を1本見付ければそれだけで2.3日は持つ大きさである。 又子供の振う鉈にも凄みがある。手の何倍もある本物の鉈を使わしていた。 両手で鉈を振うすざましさがあるがこれだけは皆真面目に振るっている。 奥多摩の時は,生木で6食.2日間が火種を落さず半分残っていた。 それも時間を掛け.子供達で引きずってくる。最後には私と顔が会い.手伝いを頼まれた。 釣りでも理屈は同じである。釣果が乏しくとも,自分で釣った魚は一匹だけでも自分で捌かせていた。 デバなり包丁を。ただ砥いでない包丁を使うと怪我をする。できるだけ鋭利な刃物を渡すことになる。 凄い子供がいた。 末っ子が少し分かりだした。山中湖から帰ってから自宅の屋根裏で好奇心が湧き.ライターの火遊びを始めた。 まだ末っ子にはライターを持たしていない。 我慢と後.半年待てと。小学二年生はもう直ぐだ。ライターを与えると。 我が家では,二年になると自然と向う時だけは大人と同じ物を与えた。これが我が家のルールになっている。 俊雄ははっきり応え.うなずいた。 俊雄.1年生 ボートにのったとき.すこしこわかった。 みずうみにいった.おもしろかった ごはんがうまかった よるにはなびがおもしろかった 博史 山中湖でおよいでいるとき.たかしが「ここに魚がいるよ」といった。 ぼくは下をのぞいた。でも魚はいなかった。 そんなあそびをしているときに.父がとびこみをした。 ぼくの倍もある深さにとびこんだ。 ごはんをたくときは.けむりでけむかった。 ねるときは.ねぶくろであったかかった。そんなキャンプは楽しかった。 隆史 湖でおよぐとき魚を見た。 ひろしはわからないと思ったけど.いっぱい.およいでいたと思った。 つりをしていた人はたくさんいて.つりをしている人は.でっかい魚をつっていました。 火をもやしているときは.けむかった。 おそくまで火をつけていて.ひろしとお父さんとぼくが火をつけたのしかった。 真佐子 8月13.14.15日で山中湖へキャンプへ行きました。 キャンプと湖でおよぐのとがミックスしたような旅でした。 山中湖は海とちがい.干潮もしおもありません。 およいでいるときは水草があるのできもちわるく.深いところでいつもおよいだ。 山中湖でつりをしていた人が,たくさんいた。 でもおよいでいて.魚はみつからなかったけど.ほんとうにいるのかな。(隆史が魚がいるといっていた。) ごはん作りはたき火をするのにけむかった。 夜は,朝5:00に起きたたせいか.はやく眠むった。 二日目の日は眠くもないのに.はやく眠ってしまった。 |