キャンプ・・984年08月霧ヶ峰車山・1988年08月山中湖・990年07月奥多摩大丹波渓谷・
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         霧ヶ峰キャンプ
              家族で初めてのテント生活・・奥秩父大弛峠抜けられず急遽.霧ヶ峰へ

          霧ヶ峰から編笠山と冨士山・・2001年07月

        霧ヶ峰キャンプs59年(1984年)08月11〜13日. m私.妻.真佐子.隆史.博史
            竹町=勝沼IC⇔塩山=塩平.焼山林道入口. =上諏訪IC=霧ヶ峰Cs=竹町

       8月11日薄曇
    予定では奥秩父金峰山と国師ヶ岳との間の峠,大弛峠と焼山林道が繋がり.峠で幕営し金峰山をピストンする計画を立てる。
      それから峰越林道から信濃川上にでて,増富温泉へ向う筈だった。
      正に真夏だが山梨.焼山林道は春に豪雨に遭遇し今だ通行止とのこと。道路改修工事は遅れていた。

       川上牧丘林道
    大弛峠に至るには塩平より焼山林道を越え.右に折れて杣口(そまぐち)林道を分け.ほぼ直進方向に川上牧丘林道を遡る。
      更に先で鶏冠山(けいかんざん)林道が大菩薩嶺北部で青梅街道へ抜ける分岐.Y字路を.左に回り込めば大弛峠にでられた。

    国師岳と朝日岳の鞍部を越えると峰越林道.信州側の上梓山と繋がれている。
      千曲川の源流にあたり.過って新人養成合宿でここから金峰山へ登っていた。当時はまだ林道はできていかった。

    昭和40年に梓山からの林道造りは行われだしている。
      今は上梓山のT字路を右折すれば三国峠越えをし.中津川林道から彩甲斐街道へとも結ばれていた。

  冬用天幕を持参.パラソルがよい

    残念だが塩山から塩平まで林道を入りるも.現場に入りゲートは通行止め。仕方がなく引き返す。
      もう梅雨期から大分経つが改修は進んでいなかった。まだパサコンもない時代で現地に行くまで分からなかった。

    塩山へ往路を下りながら考える。このまま帰宅する訳にもいかず。
      中央高速道に入ればもう霧ヶ峰も近い。更に先信州へ足を伸ばすことにした。20年振り再び霧ヶ峰に出向く。

    諏訪のスーパーで豆腐等を買い出し,初めて家族でのテント生活を楽しむ。
      互い協力し合い飯盒で飯を炊き,シュラフに寝る。先週.新しくシュラフ3具を買い込んでいる。私だけシュラフカバーのみとなるが。
      県営キャンプ場は広く.隣りのテントも樹林に遮られ.互いに覗めぬ良さがあった。

  何時も何かを食べてる

   8月12日快晴
    車山をリフト@70で登る。初めてのリフトに子供は興味しんしん。
      真佐子ははしゃぎ.隆史はじっと堪えるようポールを握っている。博史は「怖い!」と叫ぶ。

    草原の丘に蒼空が広がり.グライダーがその天空を飛行し続けていた。
      心が洗われる風景だ。もう子供達も恐怖心より憧れに惹かれ.ジッと見詰めていた。

  焚火は一日中.消えることがなかった。薪は幾らでも拾える。

  懐かしいチャンバラ

  6人冬天.内幕を外し8人用に

    帰り.諏訪で国道沿いの回転食堂に寄っている。
      鳥の唐揚げが出れば寿司もあり.仕舞いにはケーキにアイスが廻っていた。

    羽毛シュラフ1.夏用シュラフ2.羽毛テントシューズ1を購入。以後,私はシュラフカーバー(ナイロン1枚のペラペラに袋)を使用
      キャラバン登山靴は真佐子.隆史.博史のを購入(池袋石井スポーツ)