日光への歩き旅
ふた冬越しての踏破
| 元浅草マンション前,am6時25分出 , | ||
2 61年01月04日 大袋―幸手, 3 1月15日 幸手―利根川―野木, 4 3月31日 野木―小山―小山遊園地 5 5月05日 小山遊園地―麻利支天塚古墳―壬生町−鹿沼―楡木, 6 6月22日 楡木―杉並木―下今市, 7 7月13日 下今市―杉並木―日光駅―輪王寺,東照宮,薬師堂,日光廟大獣院,二荒山神社―細尾入口, 8 8月16日 細尾入口―馬返―イロハ坂―明智平―華厳ノ滝―中禅寺瑚, 17日 神橋前,泊 中禅寺瑚遊覧船,立木観音,華厳ノ滝,(合流), 9 11月23日 中禅寺湖―龍頭ノ滝―戦場ヶ原―湯ノ瑚, 10 62年06月23日 湯ノ瑚⇔前白根山―五色沼―五色山―湯元, |
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| 国道4,千往新橋を越え荒川土手,左岸, | ||
元浅草のマンションを夜明けと同時、歩き出す。震災に備え一度歩いて観ようと。 サムを加え妻,俊雄の見送りを受け,第一歩を踏み出した。 国道を 入谷から国道4号線に入り,一本目で千住大橋を渡る。長い一日になりそうだ。 父母の家まで一本道、越谷を越え明神町で右折すれば元荒川に出る。 子供でも分かり易いが,歩いてみない事には。 荒川土手 二本目で千住新橋を渡る。秋晴れの紺碧の空が広がっている。 小高い土手に腰を降ろすと,更に視界が開けた。 穏やかに流れる荒川と,その上を横切る鉄橋,首都高、目を転じると小さな工場や民家が密集していた。 天を仰いぐ。透き通った空が何処までも続いている。 皆,すこぶる元気。深く深呼吸し父母の家を目指した。 元渕江公園 国道沿いのスーパーで良い場所があると聞き,竹の塚,元渕江公園に寄る。 暖かい日差しの下,広い芝生に寝転び食事をした。 草の香りと揺れる陽炎、子供は走り出す。 池では大勢の人が釣り掘りをしていた。 ヘラに始まり鮒,鯉,クチボソまで,各々の仕掛けで竿を垂らしている。 草加バイパス 国道4より県境を越え,バイパスに入る。 気温も上がり,草加を過ぎて急にペースが落ちた。国道沿い,家並みの間から田畑も現れだし,見る見る緑が多くなる。 越谷市に入り,初めての長距離に子供達に疲れの顔が現われる。止まる者も現れた。 トップを歩む真佐子は.後を見詰め庇うよう歩調を変え導いている。 大分前に末田用水も越えた。もう直ぐだ。 何度も車では来ている。ボーリングのピンが目立つロジャースを過ぎ,子供達も父母の家が近いと分かったらしい。 ペースが戻り,明神の信号を右折すると急に元気になる。 走るよう元荒川を越え,どうにか北越谷へたどり着いた。 私は腿痛し。子供はもう現金で家の中を走り回っている。私だけが疲労に満ちていた。 国道4, 25k,57.900歩(隆史),9時間05分, |
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| 元荒川左岸,越谷御猟場へ , | ||
もうこの時点で,日光まで歩こうと考えていた。 国道2k, 4.500歩(博史),1時間22分, 全行程62.400歩, |
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| 古利根川の日ノ出 | ||
記録,会計,万歩計は,その都度,子供に任す事とする。 会計は,酒を含め飲食費,1人平均¥1000とする。それ故,私が一番使う事になる。 この日から子供との交渉が始まった。 |
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| 春日部,東八幡神社 , | ||
国道沿いに,時には田に降り,前回より好調に前進した。 だが,12時40分,被い始めた雨雲は,とうとう降り出した。栗橋までの目標を断念する。 正月,早々、雨も中,更に歩くのも不憫である。日光への旅も始まったばかりだし。 幸手の駅に着いた時、雨は本降りになりだした。 21k, 32.600歩(博史),6時間20分, 全行程95.000歩, |
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| 新利根川橋,右岸、茨城県へ | ||
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| 東武,野木駅ホームにて , | ||
![]() 足の裏にまめが2つでき,腰がとても痛い、禮子 23k,41.500歩(博史), 全行程136.500歩,6時間44分, |
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| 小山遊園地 | ||
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| JR小山駅より,車内で , | ||
![]() 思ったより長く感じられた小山までの距離も,はかどり小山遊園地で昼食にする。 小山遊園地 13時,壬生に向かう積もりが,真佐子風邪でダウン。 一時,悪寒が激しく,全員でゴンドラに乗り帰京する事にする。が, 寒い寒いと言っていた真佐子が,コンドラから戦闘機を見た途端、真近で見たいと言い出す。 自衛隊博覧会前に見学 真新しく塗り変えられた戦車や装甲車に乗り,子供の靴跡が描かれていく。 砂埃の靴型が真新しい車体に,ドンドン描かれ,広い鉄板を埋めていく。 自衛隊員が洗車したのにと閉屈している中,我が子は屈する事なく乗り回していた。 本物を見るのが初めての上,触れたり乗って居る。橋渡車はやはりデカい。 扇のよう広がる車体に,タイヤも大きく,子供の背丈もあるタイヤは数も多かった。 さすが,戦闘機は乗れなかったが,我が子だけで会場を独占していた。 写真も随分撮った。自慢しに学校へ持って行くが,全て紛失する。 (防衛博,4/1〜8/31) 戦車2台,装甲車,ブル,ロケット砲車,橋渡車,ヘリ,練習機,戦闘機と数多し。 ようやく陽差しが現れた頃,バスに乗り込んだ。 遊園地,大人\1.000, 子供,20周年記念で無料, |
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| 歩き始めて直ぐ,初めて日光への標識を見る | ||
| アスファルトの割れ目から竹の子が , | ||
県道に入りカントリー・クラブが多くなる。姿川手前,道路脇にアスフャルトを破り竹の子が覗かしていた。 何故と思うが,顔を出している。 姿川の竹藪から隆史,竹の子をゲット。地主から掘れるなら持って行けの言葉にハッスル。 それを博史が大事そうにザックに詰め,家へのお土産にする。 翌日の夕飯は当然,竹の子の炊き込みとなった。 革は梅漬けを挟み子供達にしゃぶらせた。思川の土手を歩き。 |
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| 壬生町,飯塚一里塚 | ||
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| 道脇の稲穂干し , | ||
車の往来が薄れ,人と出会う事も少なくる。ただ暑さのみ増してきた。 |
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| 雑貨屋前での昼食, 鯉のぼりが揚がる, | ||
店前は国道, ベンチに座り,この時だけは美味しくインスタント・ラーメンを食べた。 薬缶に湯を沸かし,持って来る店主、のんびりした風景だ。 通う車も疎ら,人影はまったくない。 強い陽差しに,空は高く広がっていた。蒸す暑さに,ビニールの庇が快い。 |
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| 鹿沼土の山 , | ||
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| 東武,楡木駅 | ||
三筋への道 浅草より闇の道、はしゃぐ子供を横でみ,足を敷きずるよう帰る。 腰の付け根の皿が,油が抜けたよう,かさかさでピノキオのようだ。乾き軋む違和感が股を擦る。 それに比べ子供のファイトは凄い,持久力はないが,1つの切っ掛けで驚く程の回復力を生み出す。 動こうとしない隆史、くたくたで楡木駅に辿り着いた。 もう発想を変えている。無人の駅を歩き回り,列車が入ると走るよう席を取った。 荒川を渡り雨になるも、浅草,終点では治まった。 浅草からの濡れた歩道。今日の凱歌を喜び,子供達は良くしゃべる。暗い道並でも,はしゃいでいた。 反対に私のみ疲労が増してきた。家が見え,それはピークに達す。昔は幾らでも歩いたのに。 最後は何時も子供達に負ける事になる。 負ける? 23k,44.300歩(隆史),今日トータル49.200歩, |
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| 例弊使街道 , | ||
![]() 第六回日光歩き旅, 61年06月22日,晴, 楡木一下今市, 妻,隆史,博史, 三筋6:00,タ=浅草6:39,急行=8:35新栃木9:47=楡木10:05一11:20昼13:40一17:30下今市:58 =20:01浅草,タ=20:13三筋, |
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| 杉並木,鹿沼街道,車道を | ||
途中でカマキリの卵を見つけ,次に蛇が金網を這っているのを見てビックリ。 杉並木の中で,線香工場を見つけるも,急いでいるので見学せず,臭いだけ嗅ぐ。 下今市駅を見た時は感激する。 14時50分、電話あり今市まで11k, 妻, 全部で50.300歩, 費用、 浅草=楡木,¥890+¥450×2、 昼食、 牛丼¥550、卵丼¥500、チャーハン¥400、 1時休憩、 ジュース3本,¥300、 野球帽¥198、麦藁帽子¥380、 3時休憩、 アイスコーヒー¥350、麦茶¥100×2. 下今市=浅草,¥1000+¥500×2. |
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| 下今市へ,東武車内で , | ||
![]() 第七回日光歩き旅, 61年07月13日,小雨午後曇, 下今市一細尾入口(足尾,中善寺湖二股), 私,真佐子,隆史,博史, 三筋6:06一浅草6:39=下今市9:20一10:22石の鐘一11:34東武日光駅 一12:18東照宮,各参拝14:30一15:54細尾入り口,バ\420=東武日光16:51,\1000 =浅草一19:13三筋, |
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| 下今市からの杉並木 | ||
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| 杉並木,石の鐘を祭った社 , | ||
![]() 杉並木の途中にある石の鐘を祭った社で,最初の休みを取る。 しっとりした湿りけが,森を思わせ気を安らめる。 この長い並木に人の往来もなく,初めてバラバラに気ままに歩いた。 |
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| 東武日光駅構内,駅弁確保 | ||
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| 薬師堂(鳴龍),拝観 , | ||
![]() 東照宮 三仏堂の庭園で大きなアメンボーを見付け, 東照宮から薬師堂の鳴き竜を仰ぐ,子供三人もちゃんと耳を傾けていた。 大獣院で昼食。3つの別々の弁当を4人で食べる。 これから中禅寺湖への道が,待っている。 |
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| 俊雄,東照宮で | ||
東武日光駅から東観荘まで徒歩, 荷物を置いて直ぐ東照宮を見学。 見ざる,言わざる,聞かざる,眠りに猫を見て,奥の院へ行く。 鳴き竜では他の人と4人で手を打って,ちゃんと鳴いたのを耳にする。 奥の院でメロンソーダを飲んだ。 拝観料は3ヶ所で¥710, |
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| 国道119,細尾まで真近 , | ||
61年07月13日, 午後,東照宮からイロハ坂へ,正味2時間の東照宮見学が響いたせいか,距離が伸びず全員バテる。 暑さが増して来た。バイパスに抜けた為,バス停も遠のき,急に足が重くなる。 足尾への分岐,細尾でバスを拾った。 40.300歩, 費用, 浅草=下今市,¥1000大,計¥2500、 菓子¥60、アルキメンデス¥200×2、サンドイッチ¥350、ワンカップ¥220、駅弁¥600×2, 東照宮拝観¥1580、お参り¥10×4、フイルム¥620, パン¥520、ビール,ジュース¥420, 細尾入口=日光¥1050、日光=浅草¥2500, 真佐子記, |
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| 馬返, イロハ坂入口,野猿に会う | ||
8月16日,曇, 細尾入口一中禅寺湖, 日光,東観荘で禮子,俊雄と合流, 17日,曇午後雨, 父母と家族全員で中禅寺湖,立見観音見学, |
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| 挑むイロハ坂 , | ||
強い日照りで汗ばむも,高度を上げるにつれ霞みだす。 途中,明智平手前で,ノロノロ走る運転手に天気予報を聞く。答えは雨だった。 |
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| イロハ坂登り途中,ガードレールの外で休憩 | ||
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| 白雲第一トンネルを抜け , | ||
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| 華厳の滝 | ||
イロハ坂を下り,神橋前の東観荘に宿る。¥7000,組合 夕方,父母と妻,俊雄と落ち合った。各々が東照宮を見学,それぞれのコースから,ここ神橋の宿に集う。 湯に漬かり,夕飯の膳は8人と賑やかに。 真佐子が祖父母にイロハ坂の苦労を,1から話し,隆史は黙々食べている。 博史が華厳ノ滝の凄さを手いっぱいに広げ,俊雄に語っていた。 私は,それら手を交え語らう子供達をみ,冷たいビールに酔いしれていた。 22.400歩, |
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| 休憩兼ね滝を見学 , | ||
61年08月17日,曇午後雨, 中禅寺湖周辺,観光,父母と家族全員,総勢8名で中禅寺湖,立見観音見学,遊覧船で廻る。 華厳ノ滝、霧濃く見えず、俊雄は見たいとだだをこねるが,この天気では如何しようもない。 盆で2,3時間多く掛かると云うので,昼食後,早めに日光へ下った。 宿,東観荘9:00,¥800=中善寺温泉10:30,船,¥700⇔立木観音, 華厳ノ滝(濃霧で滝見えず)13:45,¥850=日光,ロマンスカー¥2000=18:22浅草,タ=18:40三筋, 8月21日〜23日, 日光キャンプ,博史,上野消防少年団, |
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| 中禅寺湖,湖畔左岸の径 | ||
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| 湖畔遊歩道から目差す雪の白根山 , | ||
広く柔らかな青空にコバルトブルーの湖水。澄んだ空気が全てを被っている。 枯葉を踏み締め,竜頭まで快い朝の散歩があった。 |
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| 男体山を背に戦場ヶ原 | ||
もう目の前には,原野が広がり,湿原を縫うよう木道が走っていた。 西側,奥の木道に回り込む。更に通う人も居なくなる。 誰も入り込まぬ自然の中、木道だけが進み,親子だけの秋を満喫した。 |
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| 戦場ヶ原,木道用物置場でキャンプ , | ||
![]() 今日はピクニック 戦場ヶ原で充分時間を掛け昼食を摂る。 キャンプ用フルコースの装備を持ち,食糧も贅沢に子供の欲しい物,全部を持参した。 食べ方も自由なら,料理する順番も自由に子供に任す。 真佐子の先導で,まずお燗から摘みのアタリメを作った。 頭が良い。親を手懐けようとしている? だが,私より先に三人で焼きながら食べている。秋晴れの天高い空の下で。 それから主食が始まった。炊事中の摘みが半分近くなくなるが,美味そうに食べている。 私には酒がなくなりそうになると燗をしてくれるので,何も云えなくなった。 五合の酒パックが,見る見るコッヘルへなくなっていく。 のんびりした炊事、コンロに乗せる物がなくなると,又ザックから何かを探しだす。 コンロは休む事なく,ゴーゴーと快調な響きを出していた。 ここは本道から少し外れてをり,通う人も居ない。終わりには周り一杯にザックの荷が散乱していた。 |
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| 冷たい水での炊事 | ||
秋の柔らかい陽差しが,枝木から漏れ,落葉の黄葉した絨毯で敷き占められている。 寝転ぶと空は雲一つなく青かった。 酒もあり,心地良い気分に時間が止まったように思える。 子守唄の如く,小鳥のさえずりと子供達の声が,清々しい風に乗り伝わってくる。 他では手に入らぬ,ここだけの贅沢さ。 溺れるような満足感がある。 長い憩いの後,枯れ果てる戦場ヶ原を抜け,湯ノ湖へ向った。 小川の水は冷たかったが,皆で気持良く片付けた。 もう子供達も先を急ぐでもなく,距離を縮めるより,足元の自然を楽しんでいた。 |
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| 中禅寺湖, 再び戻り,ボートで日没を迎える , | ||
![]() ボートでの日没 中禅寺湖にバスが停まった時,真佐子がボートに乗っていないと云い出だした。 湯の湖で乗るはずのボートは,もう時季が終わっていた。咄嗟に降りる。 日没30分前,我々のみボートに乗る。 断わらぬ船宿に感謝し二艘で沖に出た。 素晴らしい紅葉を湖上で受け,漕ぐより周りを見るよう子供に諭す。 岸よりかなり離れている。離れないようボートを並べ,落日を迎えた。 霞駆れの湖水に,帳が落ちた。闇の中,紅葉も霞み,闇への洛陽に落ちている。 暗闇が又,別の湖水を浮き出した。一瞬のキラメキに湖紋の輪は,知らぬ間に無くなって行く。 もう,晩秋の情緒もない。暗過ぎる湖に,闇が追うよう向って来た。焦る事なく子供の舟を導き帰航した。 年を超越した自然の神秘、年齢を隔て子供だけでなく,全てを肌で感じ取っている。 距離の割に,17時間半と行程は長かった。 日出を列車内で迎え,日没は湖上,ボート内で仰ぐ,変化に富んだ旅となる。 言葉に変られぬ自然の無があり,言葉があった。 親こで共鳴し無言に慕っている。明日は明日,明日は早くから学校があるが,今は,今を大切に思っている。 積雪期となる。来年,春を迎えてから最後の旅,白根に挑む。 |
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| 白根山,概念図 | ||
日光5:28=湯ノ湖6:27一10:00前白根一10:55五色沼,昼食12:23一13:29五色山,2379m一16:00湯元:24=イロハ坂,雨 =日光17:55,快速=19:55浅草一三筋, 真佐子記, 夜食, オデン,枝豆,結飯,サクランボ, 朝食, 結飯,お新香, 昼食, ラーメン, 乾杯, 湯元で牛乳とビール, |
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| 最後の一日が始まる , | ||
白根山へ山岳夜行に乗り込み,車中で仮眠,日光駅から湯ノ湖にでる。 素晴らしい天気だ。最後の一歩が始まった。 沢沿いに金精峠への径を歩む。私が十代の春,登った径を。 背丈の熊笹を越え,雑木の多い頂稜への径を歩む。 最後の頂を目差し,皆頑張った。 風もなく蒸す登山道、汗が滴る中,前白根にでる。 四方の峰々が山波となり繋がり,今まで登って来た戦場ヶ原も足元に覗まれた。 谷を越え,山々の向こうに東京がある。 |
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| 白根への径 | ||
勢いよく炎は上がり,コッヘルはゴトゴト踊り出す。熱いラーメンを小皿に盛り,直接食べた。 旨い,皆良く食べ,直ぐさま底が現れる。 五色山より山を降りる。群馬県側は雲海が湧き出し,下りは走るよう熊笹の径を潜った。 40年5月, 吹雪の白根山, |
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| 五色池から頂へ , | ||
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| 白根山を被う熊笹 | ||
63年08月03〜05日、隆史,博史,日光林間学校, 3日,夕方,一時小雨, 夜のきもだめし, 4日,曇, 戦場ヶ原散策, 5日,曇, 東照宮, |
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| 笹トンネルの中,下る , | ||
22日, 竹町小一仲御徒町=日光=神橋,h, 東照宮周辺, 23日, イロハ坂一華厳ノ滝一中禅寺湖=湯元一戦場ヶ原, 24日,東照宮=仲御徒町, 何回も行っている日光だが,いつもとちがうような日光でした。 一番心に残ったのはきもだめしです。 昨年,軽井沢で,ず一と泣いていたのに今回は一回も泣かなかった。 私の行ったグループは,一番さいごでスペシャルでした。(本当は2人ずつなのに6人でいった) コースは本当ははかばでやるのに,ちがうばしょでやり,道には電気がついていた。 行きと帰りのコースがちがって,おりかえし地点で,ある葉をとってくるのです。 戦場ヶ原では今とちがうばしょを通ったので,ながくかんじた。 温泉寺での10円玉をきれいにしたのは,はんたいに手がきたなくなったように見えた。 ふつうの温泉になっていると思ったのに,水たまりのような所からわいていたのにはおどろきました。 東照宮のなむりねこは,どうしてヒゲがないのだろう。 今でも解決できていないそうです。 家への手紙 何回か来たことのある日光ですが,いつもとちがうような感じがしました。 私のとまったホテルは小西屋ホテルです。 小西屋ホテルは東照宮のすぐそばです。 一日目は少ししか見ていないのに,足がぼうになりました。 明日が思いやられる。 |
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| 全てを終え,湯元バス停, | ||
山径, |