| 丹沢主稜・・丹沢の核心部を巡る錦絨に飾られた山稜 みやま山荘から不動ノ峰.棚沢ノ頭.蛭ヶ岳.臼ヶ岳を越え.神ノ川乗越で水ヒルを見て.檜洞丸からはダイヤモンド富士 10.30. 鍋割山南尾根一丹沢山主脈 10.01. 丹沢山主脈一檜洞丸主稜.「青ヶ岳山荘」2・・親子鹿・水蛭・ダイヤモンド富士 10.02. 檜洞丸主稜一道志甲相尾根 11月01日快晴. 丹沢山脈.丹沢山〜檜洞丸 みやま山荘6:30一7:20不動ノ峰一棚沢ノ頭一7:40小:55一8:30蛭ヶ岳9:00. 朝焼けの塔ヶ岳 みやま山荘2Fの窓から.6:20素晴らしい静穏な夜明けを迎える。低気圧は日本海から大分離れて通過したらしく.朝霧は嘘のよう失われ.空は朝から何処までも蒼い。 昨日から広い尾根伝いを綴り.笹原縫う頭上を仰ぐと雲1つない紺碧の空が描かれていた。蛭ヶ岳から下った鞍部を登り返すと急登になる。 ここまでは山蔭で朝日の陽光にも恵まれず肌寒い。そして進む前方に日当たりのよい山肌を見出だす。 不動ノ峰へ.6:47玄倉沢右岸沿いの山並 6:49這い下がる朝陽を浴びる不動ノ峰と棚沢ノ頭南尾根弁当沢ノ頭 北面の茅ノ木山稜と檜岳山稜と伊勢沢ノ頭。小コブとなり遠くは.山北の山々.日影山と更なる遠方は.霞む箱根の山.明神岳 玄倉沢の広い河原を隔てて中央奥が同角山稜・・大石山.石小屋ノ頭.同角ノ頭・・2013.04 昇る大陽 目の前に開けた不動ノ峰の東斜面は一様に朝方の陽光が照り始めている。天空から降り注ぐ陽射しの境が山肌を頂から谷間へと降し始めている。 それはゆっくり進んでいるようだが.そのスピードは意外と早い。再び同じ処を振り返るとと駆け下るように山全体が朝焼けに燃えるていた。 まだ日陰に沈んだ玄倉川の谷間は陽が高く昇るにつれ.白味を帯び明らめだしている。 陽光の明陰の境の一部が私の傍まで近ずいてきた。陽光に触れると山肌の紅葉美と共に全身に眩い朝日を浴びる。そして陽の暖かさに包まれる。 この時期は朝方の日陰はまだ肌寒い。それが一瞬で別世界に飛び込み.陽のありがさを改めて悟らされる。 聡明な蒼空が広がりを見せ.深い空は今日一日の間違いない晴天を約束させていた。 朝日を浴びた眼前に広がる西丹沢の山々が次第に山肌を照り付けられ.錦の絨毯に染まる山肌を浮き上がさせている。 重なり合う山並が錦の紅葉に飾られ.眩き私達は迎えられた。玄倉川箒杉沢と早戸川とに挟まれた稜にでる。 早戸川源流はまだ闇の中だった。蛇行する箒杉沢本流の幅広い河原が真下に見下ろされた。そこまで行く岳傾斜はスパッと切れ落ちている。 西丹沢山塊を背に極端に落ちるV字状の本谷と白い河原が印象的に望まれた。 早戸川本谷左岸の尾根群 丹沢山と不動ノ峰との鞍部付近より.6:55姫次から黍殻山.焼山への尾根. 中央は榛ノ木丸尾根.大滝新道が二俣尾根から早戸大滝を下り.早戸川林道に抜けている。 手前が蛭ケ岳から延びる市原新道・・早戸川上流の雷平に下り.鬼ケ岩ノ頭から延びる白馬尾根ルートと合流した。 不動ノ峰と東丹沢東末端の山々 秋満ちる東丹沢山塊.7:17東丹沢最東端の山々・・経ケ岳.大山三山.大山.三ノ塔と連なる連山。 経ケ岳と重なる鍋嵐から三峰山に連なる中央は唐沢峠.右に巻き込み相州大山の北尾根が重なり.表尾根の三ノ塔に繋がり遠望される。 不動ノ峰の鞍部から登り返すと西丹沢は錦の彩りが山肌を染め.軽やかな秋風がそよ..絶好の展望が示された。 振り返ると朝日を浴びた笹原の丘が開かれ.その先に東丹沢最東部の山波が望まれる。 左右に中津川を隔てる相州大山から北側へ.宮ケ瀬湖へ延びる藪絡む稜。今この大きな丹沢山塊の半ばに私は立っている。 秋たけなわに染まる頂稜を歩む.7:27西丹沢の頂稜と道志の山々 不動ノ頭より.7:30左から檜洞丸.熊笹ノ峰.大笄から犬越路を越え右手の大きな山容が大室山。 その間も左奥が甲相境界尾根に聳える水晶沢ノ頭。背の左奥は道志の今倉山稜.右奥は道志鳥井立方面。 右手前が蛭ケ岳になり.これから今日.明日と綴る山々が望まれていた。 丹沢の背稜 不動ノ頭に立つと西丹沢山塊の背稜が連呼の如く見渡す限り開かれだしている。言葉には現せぬパノラマが秋色美を飾り.一瞬に飛びだした。 手前から綴れば右手に蛭ヶ岳が近ずき.今日の宿泊地.檜洞丸(ひのきばらまる)が深い谷間に対峙して現れている。 そして熊笹ノ頭,大笄が肩を並べていた。大笄から犬越路を越え.右手の大きな山容が丸みを顕著に現わした大室山。 その間奥に黒く小さな三角形を描いているのは甲相境界尾根に立つ水晶沢ノ頭。背の左奥は道志の今倉山稜.右奥は菜畑山だろう。 熊笹ノ頭から下ると犬越路を越え.中央には大室山の大きな山容を現し.右肩奥に連なるのが道志の朝日岳(赤鞍ケ岳).鳥井立方面。 大室山は下山を予定している室久保川の対岸にある道志の主峰群になる。 までも続き染まりゆく山々.これからその山々を1つずつ踏み越えて行く。その先には道志の山々も次第に近づき始めていた。 棚沢の鞍部より棚沢ノ頭南尾根.弁当沢ノ頭 鞍部より.7:36同角山稜の奥は中川川左岸尾根.その先は富嶽 右上アップ奥中央が愛宕山塊と右に富嶽。 右奥が檜洞丸から続く同角ノ頭。同角山稜と石棚山稜に分かれ.その下流はヤブ沢ノ頭から繋がる尾根になる。 中央左半の玄倉川で隔てられた左岸北面に広がるのが鍋割山稜と茅ノ木棚山稜.中央が檜岳山稜。間が雨山峠. 雨山峠の奥がシダンゴ山と高松山と山北町の山々.更に遠くは箱根山地北部。 中央の檜岳山稜右手が山神峠.その奥が日影山になる。 陽射しが増すと暖かさも増し.徐々に広がる谷間も昼間の明るさを取り戻し始めていた。 谷間は明るさを増し再び活動的な姿を生みだし始めている。既に深い玄倉川源流の峰々は黄葉や紅溢れる精彩美に飾られていた。 棚沢ノ頭 秋の強い陽刺しが気温の明暗を極端に現している.7:36蛭ヶ岳と臼ヶ岳南尾根(朝日向尾根) 7:43手前が熊木沢. 奥が同角ノ頭から檜洞丸熊笹ノ峰 蛭ヶ岳 棚沢ノ頭付近.7:43不動ノ峰を過ぎ乾いた陽差しを受け汗が垂れ始めている。蛭ヶ岳が近ずき胸突き八丁に。標高は丹沢第2の棚沢ノ頭の登りになる。 汗は滴り.タオルが活躍した。顔に溢れる汗を拭き拭き棚沢ノ頭を越えている。 休む都度ウインドブレーカーは必要だが風が無いと蒸す汗でメガネが曇がちになる。 黍殻山と手前に横切る榛ノ木丸尾根 鬼ヶ岩ノ頭.背は早戸川源流.8:12岩稜帯に入り.飛びだした顕著な岩山が対をなしていた。二ッ岩は角のようで鬼ヶ岩と呼ばれ.大らかに開けた蛭ヶ岳が目の前に姿を現わしている。 鎖場を過ぎ鞍部を越せば広い蛭ヶ岳山の平頂にでた。 蒼空に覆われた雲1つない空の下.陽射しに照らされた主脈の山々は顕著に描かれた秋色美で山肌を赤らめている。 その色合いの流れに乗る山並は北面では焼山へと延び.更にその尾根は宮瀬ヶ湖へと湖畔.裾野へと延びている。 蛭ヶ岳山頂 山荘が見える最後の登り.8:28蛭ヶ岳山荘の直ぐ脇に標柱と崩れかけた三等三角点がありましたが.国土地理院の成果では亡失になっている。 三等三角点.標高は1672.65m.基準点は「蛭ヶ岳」。津久井町と山北町の境にある。又山頂を示す標柱の脇に御料局三角点の宮標石蛭ケ岳は 宮越石.標高は1673mで.石面には薄くなった「宮」のマークが読み取れます。 蒸す暑さにそよ風が心地よい。木段が現われだすと蒼空を切るよう蛭ヶ岳の頂にでた。 丹沢最高峰の展望が開かれる。広い平頂の台地から四方を回れば360度の大パノラマが展開されていた。 又これから目指す西丹沢の山々が近づくと共にその大きさを増していた。 蛭ヶ岳山頂の展望・・南東面.丹沢山と丹沢三峰 東方放免・・8:40左上.丹沢山から延びる丹沢三峰(太札ノ頭.円山木ノ頭.本間ノ頭)に分かれて栂立尾根と手前の尾根末端の三角山がヌタノ丸。 その直ぐ左奥に見えぬがK先輩が見付けた筑波山が如何にか望められた。 左手前が棒ノ木丸からの尾根で後は柏腹ノ頭.茨菰山と続き宮ヶ瀬湖へ抜けている。 左奥が高尾山稜.手前遠くが南山と宮ヶ瀬湖に挟まれるのは高取山と仏果山.右手に進み鍋嵐.大山三峰.右奥が大山北尾根。 北東面.道志と奥多摩の山々 北方方面中央奥は大菩薩連嶺から奥秩父連峰へと続いている。 中央は道志川を隔てた道志山地.その奥桂川沿いでjr中央東線が走りる扇山と権現山.更に霞む奥が奥多摩山地になる。 左,大室山東尾根と神ノ川を隔てて右側が地蔵尾根. 姫次から派出した袖平山と下るコブが風巻ノ頭.右末端は焼山。 大室山右奥に写真では見えぬが八ヶ岳連峰がはっきりした輪郭で頂稜を描き.以外と小さく望まれた。 左奥は御正体山と三ッ峠. 御正体山の左奥には白銀煌く南アルプスの赤石岳が望め.霞みは更に塩見〜農鳥岳方面へ。 明日向かう大室山周辺 北西方・・アップ今年早春には三頭山笹尾根を3回に分け縦走。霞む権現山地を反対側に常に丹沢主稜の展望が開かれ高尾までの尾根筋を歩んでいる。 安易な気持で迷い下山をもした。この2年.低山の良さを知り.奥多摩.陣馬周辺を歩むようなっている。 ここから望む奥遠くの山並みは道志から大菩薩山稜.更に先は奥秩父連峰.右奥に連なるのは奥多摩の山々。 西面.箱根と富士山 南西方面西面は箱根外輪山.駒ヶ岳・神山と小さく三国山と金時山. 中央は愛宕山塊.更に烈風に棚引き雲を引く富嶽。 富士の右裾(檜洞丸右奥)は甲相尾根の菰釣山 左手前は鍋割山稜から続く檜岳山稜と伊勢沢ノ頭. 玄倉川で隔てる右手前は同角山稜で尾根末端に大石山が立つ。 右に横切るよう同角山稜を詰めると大石山.石小屋ノ頭.中央が同角ノ頭で石棚山稜と合わさり檜洞丸の頂にでる。 手前右(富嶽下)が石棚山稜檜洞丸.吊尾根状の右隣りは熊笹ノ頭と重なる道志御正体山.共にK先輩の頭に隠れている。 蛭ヶ岳南稜から熊木沢を経てユーシンへ至る踏み跡は.林道終点に「路荒廃危険,通行止」の標示あり.山頂の指導標は撤去されていた。 玄倉林道の崩壊で通行止になっている。ここを下ると茅ノ木山稜の雨山峠越えの下山になる。 丹沢山稜 8:30蛭ヶ岳9:00一9:30鞍部一10:00臼ヶ岳:15一10:40神ノ川乗越.⇔水場..12:05一14:00檜洞丸.青ヶ岳山荘h2. 熊木沢西沢と熊木沢 ミカゲ沢ノ頭と臼ヶ岳の鞍部より.9:27熊木沢西沢と臼ヶ岳南尾根.1196m点コブ 突き当たりが玄倉沢との出合で下流脇に熊木ダムがある。→玄倉沢本流沿いの玄倉第二発電所へ。 正面背は茅ノ木山稜と雨山峠を隔てた檜岳山稜・・鍋割山.茅ノ木棚沢ノ頭と雨山峠.雨山.檜岳.伊勢沢ノ頭 蛭ヶ岳南西面を振り返る 臼ヶ岳より.10:17丹沢山稜 確りした山径は丹沢山稜に入ると人気を失い狭ばまり少し荒れ気味の小径に変わっている。飽きるほど下ると秋の陽差しに汗も忍びだす。 狭まりだした山稜に変貌し.山径には山バラが急に多くなってきた。そして登る足も重くなる。 脇道に降りてホンシュウジカの親子.10:34神ノ川乗越と水ヒル ユーシン沢源流の水場.11:06水場とヒル 昨日水汲みをした水はまだ1000cc程しか使用していなかった。明日下山までの飲料水として改めて水汲みをする。 昼食用にコッヘルとは言わずカップも汲めるだけ飲水を入れ.空箱にしてユーシン沢源流のツメへ駆け下りる。 鹿の親子が横切った土崩れ場を下る上方より昨夜とは違った優しい鹿の啼き声を聞く。 枝沢二又まで6.7分。その下右岸に小さな湧水を見る。木洩れ日の陽射しを受けて洗顔する心地よさは冷たく水も旨かった。 小を足し手洗で水溜りに手を添えた折.沢底の岩陰にうごめくものを見る。水ヒルだ。それも1匹どころではない。 何匹のヒルが沈石の脇にたむろっている。サンショウオが岩陰にたむろうよう微々に動き群がっていた。その1点を数えると6匹のヒルがいた。 ヒルを見ただけでアレルギー的に体は固まりだしていた。帽子もタオルも入念にヒルがいないことを確め乗越へ戻っている。 鞍部の草地で先輩自作の塩水スプレーを改めて丁寧に足元に擦り付け.ホッと息をつくことがきた。 後に檜洞丸小屋で川ヒルと山ヒルの違いを教えて頂いたが.ここでは昼食を摂るにも落ち着かぬ場所に変わっている。 K先輩は子供の頃.渋川の実家脇の小川で川ヒルをよく見たと言う。 私は3年前の5月.他会のフナ釣り競技に参加した折.千葉県黒部川阿玉水門下流の田圃で水ヒルを見ている。 田植え前でタナゴやメダカの水槽に浄化のためタニシを捕っていた。その時.黒いヒルがいた。やや太みがあったよう思える。 その後も釣場で水槽用に田圃土を譲り受けた時もヒルがいた。水槽で育った糸ヒルはその後度々見るようなる。 他の山岳では何度が見ることもあるが東丹沢の鍋嵐付近はヒルの宝庫。私は春先後は東丹沢の入山は控えている。 水ヒル 水ヒルは水蛭(すいてつ)とも呼ばれ.山ビルと同じくに血を吸われるとなかなか止まらなくなる。 水ヒルは体の10倍もの血を吸い.6〜8ヶ月もの時間をかけゆっくり消化する。 又水ヒルが医療に用いられたのは古く.中国では2000年も前に食べられていた。 東洋医学では「毒を持って毒を制す」という説の中で「血を吸うものは血に効く」という考えから水ヒルが治療に使われた。 古代エジプトではピラミッドの壁画にヒルを食べる絵が見られ.紀元前1500年も前から食用にされていた。 水ヒルには抗疑血酵素「ヒルデイ」が含まれ.現在は血栓の詰まりを溶かしサラサラにする.漢方薬や健康食品としても活用されている。 増えるヒル 丹沢では局地的に生息していたヤマビルが爆発的に分布を拡大していた。 その勢力は地域によっては山から裾野.畑まで広がり始め.この急速なヤマビルの拡大は主に鹿による媒介が原因とされている。 ニホンシカの蹄に吸血するヤマビルが組織を壊死させ有穴腫癌と言われる口が開かれ.そこに寄生し.鹿の移動と共に分布域を広げている。 以前は札掛周辺や丹沢三峰コース下部で見られていたが.今は焼山下部やヤビツ峠付近.鍋割山稜南麓二俣まで及んでいる。煤ヶ谷の山ヒルU ユーシン沢のツメ 水ヒル群がる水場より仰ぐ.11:09昼食 それからこの笹地で長い昼食を摂った。コッヘルに細かく裂いた餅を入れ.真空パックした調理済みの具を入れる。 それが沸騰するのを待ち.カップヌードルに加える。正確に3分.久し振り美味いラーメンを平らげた。 食べ物は正確に調理せねばならない。ただ湯を足すだけでも。心を込めて料理すればうまい筈である。 飯豊の山行では酷い目にあっている。美味い筈のアルファー米も食べられるものではなかった。多ければ大丈夫という考えが一番悪い。 その時の担当は誰だと名指ししても始まらない。 傍にいるも.2度と繰り返すまいと時計の針先を見守っていた。 そしてコーヒータイム. することは簡単ではあるが知らぬ恐ろしさもある。 コーヒーをドボッと湯を入れてしまった先輩.頷く彼。それでも香りだけはよいコーヒーが頂けた。 金山谷乗越へ.12:40楽だった水汲みとヒルを恐れ.枯葉に座る長い昼食を終える。 神ノ川やユーシン沢の源頭. 頭を回り込む稜のガレ場は崩れ落ち.荒れた岩肌と起伏が丹沢核心の山々を深めている。 ツメの痩せ尾根にガレ。細い小径の激しい起伏が続く。金山谷乗越沢のツメも厳しいガレ。頭上の空は狭く小さいが蒼い空。 金山谷乗越にも水場はある。檜洞沢源流の水は「洞仙の水」と呼ばれ.岩壁からではなく河原から直接湧きだしている。 距離は下り10分.登り15分ほど。ただ秋には枯れる恐れ大。このルートには金山谷を越えユーシンに繋がる踏み跡が続いている。 又檜洞沢源流には踏み跡はないが下降すれば経角沢出合で登り返し.同角山稜の中ノ沢乗越にでられ.一番楽な踏み跡ルートかも。 ラスト 溢れる汗に顔をぬぐい.足元は疲れで鉛のよう重くなる。操り人形のように足を上がれば幸いだが.気持だけが先になり足を持ち上がらず。 膝頭を手で押さえ体を乗.ての動きになる。そこまで来るとカメラを向けるのも億劫だった。前者との距離が空き.追い付くのに苦労した。 呼び止めればよいが.それでは二人で休むことになる。急ぐことはないが長い道中.一歩一歩の歩きを大切に。 年と共に筋肉の回復も遅れ出してている。気だけは焦るも騙し騙し登る以外方法はないのだろうか。 顧みる丹沢山脈と山稜 金山谷ノ頭付近より神ノ川乗越越え.手前が金山谷乗越.13:22手前右の臼ヶ岳からヴァティケーに頂稜を延ばすと蛭ケ岳に重なる.ミカゲ沢ノ頭を越え.蛭ヶ岳から中ノ沢乗越.鬼ケ岩ノ頭.棚沢ノ頭.不動ノ頭へ。 正面は蛭ヶ岳北尾根で地蔵平から姫次にでて.左は袖平山に立つ。右に折れれば八丁坂ノ頭から黍殻山へ。 青ヶ岳山荘 檜洞丸東側肩にある山荘.13:31青い屋根が現われると山小屋があり.檜洞丸にでる。 檜洞丸青ヶ岳山荘 山荘前より同角ノ頭と石棚山稜.14:20青ヶ岳山荘 諸感・・1 主人高城氏で週末.祭日.年末年始のみ営業。運営は仲間のボランテァで構成され.当日も5人がボッカ.ボランテァと仲間達が集う。 小屋の修理は仲間達で行っていらしい。外壁は青色で昔造りの47年目の古い山小屋。 土間を行き通う仲間達の騒々しさは五色.家形ヒュッテ時代を想い起こさせていた。 南側角が玄関で入って土間中央にはコンパクトな囲炉裏があり.ヒメサラの柱が何本かある。サルスベリに似たツルツルの柱を自慢し教わった。 東側が台所。南側L字には長いテーブルと長い掘り炬燵がある。テーブルの端板を外すと小さな火鉢になっていた。 小細工のような工夫が自慢のようだ。掘り炬燵は練炭の仄かな暖かさ.火の勢いより大勢の人が入れば暖かくなる。 北側には小部屋が左右奥に設けられている。仲間達はここ1階に宿るようだ。登山者は2階が寝床で灯りはなく.天井は四方が極端に低い。 何人もが頭をぶつけていた。布団は多いが湿った煎餅布団.週2日の営業ではしょうがないかも知れない。 日没から8時半まで裸電気が点り.ランプはなし.冷蔵庫もない。 HPに「ランプの小屋」とある。ただ階段下だけは.1つでよいが安全と小屋のムードを偲ぶためにランプが欲しかった。 青ヶ岳山荘内 掘り炬燵より土間と玄関.15:20左手奥が炊事場 諸感・・2 夕飯は登山者の入来が終わってから始まり.時間の決まりはないようだ。私達が着いた2時にはキリタンホを焼くことから炊事が始まっている。 入口で練炭を点け.PH「山のてんぺん」の主催者が焼き始めている。その内ボッカ隊が鍋の具を運んできた。美味い鍋になる。 朝食は希望を述べ6時にして頂いた。早いと言われたが大倉へ下山するパーティも居て助かった。 山岳写真集団を含め主催者の仲間達は多い。客が少なければ夜半12時までだべるとのこと。 新宿西口で野外ライブをしていたギターリストの調べも楽しいが.私達は早目に寝ることにした。 私が仲間であれば楽しめた山小屋だろう。断熱材もなく質素で寒い小屋だった。それでも私は彼等のように自慢した筈である。 ただ気を使っているのは判るが.私達が料金を払う側。居候している気を起こさせられては困るが.そのようだ。あくまでも主人公は仲間達にある。 今日より宿泊費は¥6500から冬期用¥7000に値上げされた。その差の違いが判らなかった。ビール 予約に念を押し電話で決めた料金も無視された。電話番には料金を答える権限がないと。不思議なことを云われた。 又ここでは水場は神ノ川乗越の水場は涸れ.金山乗越から下るよう指導している。 今は廃道となって折.50分ほど掛かる。みやま山荘の主人は金山谷乗越を下ると下山してしまうと云い.昨日聞いたばかりだった。 神ノ川乗越は絶対ではないが大丈夫と念を押され.水の確保に安心した由縁もある。 出掛ける折.外まで出向いて下さった小屋の主には感謝に耐えない。仲間達に圧倒され.一番大人しい人かも知れない。 要領が悪く手伝いたくなるが黙々働く人でもある。仲間の外野は煩すぎ己の宿だとふんずり返っていたが.今朝はまだ宵の口にあるようだ。 キリタンポ鍋に朝は炊き込み飯.宿泊者半分は昨日の鍋雑炊を選ぶ. 山荘は丹沢の核心にあり.難度の高い沢を含め.付近には蛭ヶ岳山荘か.犬越路避難小屋しかない。 特に積雪期には貴重な小屋になっている。中川川.西丹沢自然教室からも近く.冬でも交通の便はよいとのこと。 周辺に他の山小屋がないため陰で松田警察署も何かと支援しているようだ。小屋の裏側には小さな公衆トイレがあった。 小屋名 「青ケ岳」という名称は大正時代に神ノ川周辺の地元の三自治体が分割所有した際に.青根村の所有となった為に名付けられた。 尚大室山には牧野村の牧の字があたられ「牧ケ岳」.蛭ケ岳には青の原村の「原ケ岳」と云う名が付けられたらしい。 ダイヤモンド富士 16:40 洛陽した望遠の富士と山中湖. 檜洞丸山頂より.16:42檜洞丸(大丸.本藤裏.彦右衛門谷の頭ノ丸) 丹沢山塊の河川は2つの水系からに大きく分けられる。ひとつは相模平野に流れる相模川水系.もうひとつが小田原に流れ込む酒匂川水系。 中川川は酒匂川水系の河川であり.西丹沢の山中を流れている。その左岸側に連なる静かな山々の最深部に位置るのが檜洞丸。 どっしりした頂稜はブナの森に覆われた雲霧帯にある。山陰の北東からは橋本から東京方面が望め.南側には煌く小田原の街並が夜更けに望まれた。 ダイヤモンド富士 昨夜丹沢山荘で話題になった丹沢山のダイヤモンド富士は先週の土曜から火曜日に掛けて見られる現象。今日が檜洞丸が丁度その日を迎えていた。 富嶽の頂に落ちる夕陽は鍋割山から始まり塔ヶ岳.丹沢山。そして昨日は蛭ヶ岳.今日はここ檜洞丸。 頂まで徒歩3分.走れば1分の頂。先輩と防寒用に雨具を被り.登山靴を引掛け出向くことにした。 樹林に被われた頂の樹木の間から富嶽を仰ぐ。地面にへばり付くようカメラのレンズを覗くと正に洛陽を迎える富嶽の頂は雲が掛かるよう被われていた。 頂のみが隠れている。「雲よ飛べ!」とお互いに呟くよう言葉を吐いている。 すると切れた。雲が流れて頂が顔をだす。そして落ちた。夕陽は5時半に頂に落ちる。 アッという間に大陽は半分埋まり切れる。陽の頭だけが残光を浴び.陽は頂に落陽した。次は大室山からがダイヤモンド富士になる。 又東京近郊の高尾山は「関東富士見百景」に選ばれ.冬至の日没直前に高尾山,富士山.太陽が一直線に並び.富士山の山頂に夕陽が沈む ダイヤモンド富士が眺められる。又富士山信仰が盛んだった江戸時代.人々は富士に向かう前に高尾山から富士を山を拝んでいた。 10.30. 鍋割山南尾根一丹沢山主脈 10.01. 丹沢山主脈一檜洞丸主稜.「青ヶ岳山荘」2・・親子鹿・水蛭・ダイヤモンド富士 10.02. 檜洞丸主稜一道志甲相尾根 |