奈良倉山東尾根から佐野峠・西原峠への県界尾根と佐野の旧登山道

  佐野の幾つもある峠越えから小佐野峠にでて.坪山の1175m圏コブから派生する北枝尾根の旧道.「飯尾ハイキングコース」に回り込む。
     廃道化したむかし道と戦後の第2次登山ブーム期の旧登山道・・更に時世により変えられた2つの「西原峠」周辺を歩む。

    観音堂から奈良倉山東尾根・鶴川右岸尾根
    佐野峠道の西原峠から坪山の佐野古道.東コース・・旧登山道を見付け.コースの変更と最後は県道に渡渉

   葛野川中流流域
   真新しい鹿棚の網の間より.12:30
   遠望は御正体山と杓子山に富嶽

  佐野山は佐野峠を隔てて南北に2つの佐野山があり.作業道は共に北側を巻いている。
    南側の佐野山は北側の緩やかな登り.そこを下った所に新たな鹿棚が谷側に造られていた。ここから葛野川を見下ろす展望はすこぶるよい。
    足元真下の茂みが中風呂辺り.右岸に八坪.七久.保瀬戸.更に左岸には富岡.瀬戸境と下部尾根の下山地点や上平の集落も見下ろされていた。

  展望・・今倉山稜と御正体山と鹿留山.更に朧に聳える富士。
    葛野川と右岸裾の尾根は楢ノ木尾根.大峰から南下する瀬戸境の山並。尾根末端は二俣川出合に没し末端の集落は上平。

  葛野川下流正面の右斜めに落ちる尾根は百蔵山から葛野に下りる支尾根。
    その手前の左方からは支流の浅川川を合わせている。回り込んだ下流に下れば葛野川左岸古道がある。
    又「浅川の指さし地蔵」があり.浅川川を遡るれば二手に分かれ.古道の浅川峠を越え上野原へ.或いは逢坂峠越がある。

  桂川支流葛野川流域 
  






中央奥に霞むのは道志九鬼山東尾根
その手前が馬立山田野倉尾根

霞む正面奥が九鬼山と桂川本流出合に広がる菊花山

葛野川出合が猿橋の街並で右の岩殿山.裏陰が大月市街地になる
  左が百蔵山西尾根.右手前がセイメイバン東尾根

中央末端の右から入る尾根が楢ノ木尾根.尾越山から南に延びる尾根
  流域は天平付近で対岸左は浅川峠からの浅川川が入り込んでいる

手前下の流域は上流側から七保.上和田.中風呂(松姫鉱泉)の集落
  2010年10月には大菩薩嶺長峰から矢坪先まで歩んでいる
  矢坪は中央右からの尾根.瀬戸境が左へ張り出した手前の集落。

左壁は鋸尾根末端で奥が百蔵山.対峙する小山が岩殿山と重なる花咲山
  この2つの小山の間にjr・富士急の大月駅がある。

左景アップ・・佐野峠より葛野川を眼下に望む.12:19

     佐野峠から鶴川沿いの飯尾・八ッ田へ
   12:20佐野峠一12:50作業道と坪山方面小径に離れる地点大休止)13:25⇔作業道分岐(松姫鉱泉.坪山分岐)
   元の地点13:45一13:53小佐野峠一14:20(1170m峰巻き道ベンチ:30一15:00鶴川.渡渉一15:25上野原丹波山線.飯尾橋上.

     葛野川流域
  昨年暮れK先輩と松姫峠から松姫鉱泉へ車で下った葛野川の谷間が見下ろされた。霞む向いの最南部が九鬼山。その対峙は岩殿山.間が桂川.
    中流の中風呂の一軒宿.松姫鉱泉に2人だけが貸切り状態で宿る。湯舟に浸かりながら優雅に翌日の山行を考えていた。

  2人でも賑やかな酒宴. 久し振り宿る友.語る言葉に途切れることはなかった。翌日は岩殿山を経て大月駅に下る積りでいた。
    それが調べ不足でバス路線が異なり.慌てて登るべき山を車内で百蔵山に変更している。

  運転手はその会話を聞いていたのだろう。独断でバス停でなく路肩に停めて降りるよう勧められている。それから百蔵山への珍道中が再び始まった。
    前日は防寒具を身に付け.大菩薩の雪山を越えている。それにも拘らず.翌日は冬至.肌着一枚になり登るほど暑い一日になった。

  又2010年11月に石丸峠から米代長峰を下り.深城湖に降りてからは街道をトボトボ1人歩いていた。
    そして中央右当たりの矢坪先で早くも日没を迎えた。黄昏は帳を迎え.周りは目の慣れだけで歩くも苦になりだしていた。
    最終バスは擦れ違ったばかり.エレキを出す積りで止まると私の脇にバンがスーと停まり.笹子駅まで乗せて頂いている。

  更にその後日は青梅街道の拡張工事が進み.長かった松姫バイパスが開通。それに伴いこの街道の路線バスは念願だった松姫峠を越している。
    2014年11月に富士急山梨バスは大月七保町深城から更に小菅村間を結ぶ国道139号線の延長運行を開始した。
    青梅線jr奥多摩駅と中央本線の上野原駅.及び大月駅からの路線バスが小菅村.小菅の湯で結ばれることになる。

    1170m峰と右手の窪地が小佐野峠
   境界尾根を離れ小藪へ偵察し大休止.12:47

     西原峠手前の作業道分岐
  その間々市町界尾根を南下すると直ぐ西原峠.その手前に左手から急激に登り詰める林道のような作業道が尾根に合わさっている。
    Y字の分岐,急坂を登ってきた合流点.反対側には葛野川を見下ろせる素晴らしい展望があり.真新し鹿柵が設けられていた。
    七保.飯尾を指向する立派過ぎる道標が設けられている。「飯尾ハイキングコース」とこれまた古いが確りしている。ただ山道は心細い姿.

  その分岐手前で初めて赤テープのマーキングを見付けるも旧コースの入口は判らないでいた。Uターン用の小さな荒地があり.その奥に入ってみる。
    奥を探るが踏み跡はなかった。ただ樹間の茂る枝々に塞がれよう.窪地を隔てた右手前方に1170m峰の大きな山容が望まれた。
    食後に向かう山になる。この1170m峰の見える山腹を横切るよう旧ハイキングコースの旧道がある筈だった。

     大休止
  間を空けて取付きを考えようと昼食を摂っている。場所は風が避けられる場所を求め,点々と探る内.見付けたのが林道の真ん中。
    何故か? ここだけが風を避けられていた。陽射しも相変わらず真上から全身に照り付けよい場所だった。
    作業道にデンと腰を降ろしコンロを点す。メーンは相変わらず1人の場合常にラーメンだった。

  力天婦羅ラーメン.生卵入り.料理名は長い。天婦羅は妻が新しいく探してきたドライの真空パックに入っている。
    沸騰すると同時にセットしたボールに湯を注ぎ.麺を軽く解してから生卵と長ネギを加える。そして軽く煮込む。

  調理道具は質素なステンレスのボール2と蓋用の皿1つ。待つこと1分.長ネギの量も多く美味かった。
    やはりコンロを持参したのがよかった。体が温まり食欲も大勢に。

   小寺山と三森北峰
   今年造られた鹿棚. 正面奥が北峰鋸尾根.1129m峰.13:32
    坪谷方面に入る小径前で.道標は更に下ると左に林道を分け.角に旧登山口があった。

  食後直ぐ.10mも離れていない場所で踏み跡の取付きを見付けている。判ると判っていても,見付ければホッとするもの。
    気持ちを大らかな気分でいても.あるものがないと小さな不安が付きまとう。焦りが一番怖い。

     脇道・・西原峠
  ホッとした所で坪山へ入る前に.林道沿いを先へ.西原峠方面の分岐まで歩いてみる。抉り落ちる右縁はずっと鹿棚に囲まれていた。
    全てが今年できたばかりの新しい鹿棚だった。作業道を隔てた向かいの崖淵には点々と赤テープのマーキングが付けられている。

  皆同じ人が新しく付けた小径への印だろう。ここまで多く付ける必要があるのだろうか。それほど多い。市町尾根から東に分かれ尾根上にでる。
    もし見失っても300mも進むと坪山への分岐に立派な.道標があった。ここも同じ人が付けたように思える。

   西原峠1040m
   西原峠.佐野峠.小佐野峠・・西原峠上の分岐から戻る.13:28

     古い峠道
  「松姫峠.小菅方面」と「飯尾,坪山方面」の道標が立つ分岐にでる。直進すれば大寺山に至り.松姫鉱泉方面は右へ真直ぐ緩やかに下っている。
    左手に下る林道は蛇行し急坂を綴っている。その50m先に坪山への旧登山道の分岐がある。このコースが小佐野峠へ続く。
    ・・佐野峠ハイキングコース.

  「甲斐の山山」小林経雄著によると西原峠は七保側の呼称.佐野峠は西原側の呼称。
    飯尾あたりの男衆はこの峠を越えて.大月まで日帰りで用足しに行ったとのこと

  後に思うにここには不釣り合いに残る昭和40年代前後を思わす道標が立ち.立派に残る道標「飯尾ハイキングコース」があった。
    たどる道中の道標は崩壊.或いは倒れ無残な姿て放置されていた。一度廃道化され.最近は作業道として改修されてようだ。
    哀愁漂うコースに思える。ただ私が歩んだ右手の枝尾根コースは膝下の渡渉をし.最後は藪登りで街道にでている。

  佐野峠1234.7mと西原峠には南東に延びるアシ沢両岸の尾根がそれぞれの峠を頭として踏まれている。
    昔からの佐野峠道で現在も登山道として共に中風呂.松姫鉱泉を起点に降りられた。ただし急尾根である。

  アシ沢右岸尾根は佐野峠経由でも三角点峰と合わさり下れ.展望もよく1時間ほど。中風呂橋を渡り小寺バス停にでる。
    西原峠からは左岸尾根を絡み下り.「右にさいはら.左にちちぶ・小すげ」と刻まれた石標を見て右岸道を合わせていた。1時間半.
    また反対西原側には阿寺沢沿いに阿寺沢乗越道が阿寺沢へ下りている。今の林道だろう。

  大休止した鹿柵の場所に戻り,藪から小径に入り.15mも漕げば小高い丘にでる。その先は赤テープが点々と付けられていた。
    赤テープはこの1ブロックだけは多い。印は後にはないに等しい位少なくなっている。進む小コブ手前で左手に折れていた。

  直進すればコブを越え先程の林道口(西原峠.松姫鉱泉)への道にでる筈だ。
    踏み跡なりに尾根を綴り下ると次第に茂みは深みを増し.深い密林に囲まれた小佐野峠にでる。ただ狭く渋い峠路.

    小佐野峠
      13:49
   正面が下ってきた方向の十字路で.左手は西原峠.七保.松姫鉱泉へ。足元が坪谷方面.右手が1170m峰北を回る。

     小佐野峠
  この峠は昔の峠越えの重要な要所になっていた。七保.飯尾.坪山.佐野峠の十字分岐になる。坪山へ進めば先は阿寺沢尾根と
    北東尾根に分かれて派生し.北東尾根は八ッ田に没している。下山時に路線バスを拾った地点になる。峠は藪の中.
    小広い平坦地で晩秋の色混ざる雑木の素晴らしい大地。被い茂る灌木が峠に迫り.その茂みの中に踏み跡が十字へと綴く。

  真夏は木洩れ日も透さぬ勢いで被い茂る樹林は峠を緑一色に埋め.薄暗い分岐を造りだし.狭いが神秘的な所を生み出している。
    この小佐野峠から1175m圏コブから派生する支尾根は一番左方に綴られていた。西側の谷間に入り込む昔の旧飯尾ハイキングコースがある。
    昔の道標も幾つか残るされていた。

  まだ時間的には十分ある。見付けた旧ハイキングコースを諦め坪山から阿寺川へと阿寺川尾根の登山道を選ぶべきか,悩む。
    遅い入山でまだ歩いた距離は知れていた。ただ古道は藪山に変わり.道は判りずらく.一般者向きでないと聞いている。
    ただ下れば早く街道にでる。どちらがよいか悩む。そして折角来たので坪山にでず.最後まで旧コース(佐野峠ハイキングコース)を偲び下ることにした。

    11390m峰と坪山
   静かな藪の小径.13:54

  1170m峰北側の巻き径を取る。長い山腹を巻くトラバースの小径が続き.径床は斜めに谷側に傾き歩き難い径。
    それでも確りした踏み跡になっていた。

    今しか見えぬ鶴峠方面.中央が右が3つの頂を持つ三頭山
   13:54

   落ち終える最後の紅葉と佐野山東面1234m.13:57

   1170m峰北周り.左の道が阿寺沢ノ尾根で.坪山方面への分岐.14:06
   トラバースの小径を下って丘のような台地を綴る小道

  まだ若木は背丈が2m程に育った小木林の密生する植林帯になり暫く縫うようなる。日差しが射し込みやや明るさが増している。
    途中で右後方から阿寺沢ノ尾根1170m圏峰を下る.坪山からの径と合わさる。更に巻き道は続く。

   陽溜まりを浴びた奈良倉山東尾根を巻く鶴川源流
   14:10
   1180m圏峰から北東に延びる尾根.1000m地点手前で・・拡大図

  鹿倉山(ししくら)の奥が飛龍山と雲取山石尾根. 奈良倉山と東尾根(肩窪みが十文字峠.尾根末端が長作の集落).
  市界尾根1238m峰から東南東に手前右手まで尾根が延びる・・佐野山1234m峰と佐野峠. 佐野山1260m峰と1238m峰.間の大きな谷が佐野川

  鶴峠より1057m峰.1322m峰を越え三頭山へ。又牛飼尾根の先端には御嶽神社とむささびの森が眺められる。
    三頭山を小菅川沿いから横断した時には.右下半の牛飼尾根から上野原丹波山線にでて.阿寺沢入口まで歩んでいる。2011.02
    北側の神楽入沢を隔てた右岸尾根が神楽入尾根。

   ここだけに何故かベンチがあった.1000m分岐.14:16

     旧登山道
  坪山にでる北側の支尾根(阿寺沢ノ尾根1170m圏コブ北東尾根)に知らずして下っていた。ほぼ一直線に下る旧登山道には
    珍しく丸太のベンチがあり休息している。地形図の破線はこの先で2つの枝尾根に分けていた。

  左尾根に乗れば佐野峠登山道入口に通じる山径を下っている。後日調べたところでは左手の枝尾根は鶴川支流美流沢出合に下りていた。
  ・・Pあり.こちらは丸太橋が架かかり.降りて確認すると県道へ登る道があった。

  真っ直ぐ右手の枝尾根の作業道を下る。道標らしき道しるべは殆ど少なく.あっても崩壊した残骸があるのみ。ここも以前は立派な道標が立ってる。
    通う人も疎らな筈だが.古いコースの割には確りし過ぎた山道。それなりに手の入っている作業道が続いていた。
    ベンチを見付け.あずきを食べ英気を養う。予定より1時間も早い。最終バスの待ち時間が長くなりそうだ。街道を少し歩くことになるだろう。

   大地に崩れる「旧飯尾ハイキングコース」の倒れた道標.14:26

     旧飯尾ハイキングコース
  旧佐野峠の小径は小佐野峠から中央へ並行気味に左手へ巻き.坪山1102.7m峰下から尾根は2つに分けられ..北側に派生し鶴川へ没する尾根を選ぶ。
    昭和40年代に古道は飯尾から西原峠を結ぶハイキングコースが整備されたらしい。長閑に下る枝尾根には.はっきりした踏み跡が残されていた。
    今は作業道を主に.兼ねているようだった。

  頂稜の境界尾根,西原峠手前の分岐には「七保・飯尾」を指向する不似合いな立派な道標が崩れながら立てられていた。
    後に下り終えた折.道標はここだけだった。坪山北尾根には更に916m点で2つの支尾根に分けていた。

  北東側は下ったコースは鶴川の河原に下りると渡渉地点に木橋の基礎土台だけが残されている。
    注意して県道に登れそうな所を見付けて渡渉している。坪山北尾根(西コース)と916m点北側コースの合わさる河原は上流側に木橋があった。

   裏山のような晩秋の風景・・北東尾根
   西陽に傾いた晩秋の柔らかい日差しを浴びる.14:23

  陽光が傾き始めると針葉樹の茂みの所も多く.尾根筋は照葉樹林帯との明暗が強く映し出された尾根になる。
    斜陽する日差しは雑木帯では長く透し明るさが強調され.陰の植林帯に入り込めば黄昏のような薄暗く.視界は閉された。
    そしてその薄暗さは谷合いが近ずくにつれ増してきた。

   晩秋の翳りだした森風情.14:43

  鶴川の谷間沿いの山陰に入ると暗がりは更に急激に陰を造り.黒木の森に飛び込む感じを受けている。
    目を霞まさせている。そして尾根末端の長いジグザグを終えている。

   落葉しつつある山陰.14:44

  見えぬ対岸の県道から車のアクセルを踏む音が大きく響き聞こえてきた。
    対岸に道路が微かに見下ろされ.道路の高さが私と同じになり.低くなると瀬々らぎの音を聞き.そして鶴川の流心を見る。

     鶴川本流
     14:56
    橋板はなく崩れた土塀台跡だけ残された鶴川        下流側は上野原丹波山線側の側壁が登れず

     渡渉
  出た鶴川の河原に渡るべき橋はなかった。下り切り.赤テープの古いマーキングを珍しく見るも橋はなかった。周りを探すが橋はない。
    よく見ると少し上流側対岸ヘチに2m程の基礎が木材で組まれた場所を見付けている。昔の橋場跡だろう。
     かなり古く崩された足場として残されていた。

   ただここは流心がやや早い。渡渉を覚悟し下流を覗き込む。比較的渡り易い所があるが対岸の県道への登り口が見付けられず。
     道路に上がる崖淵を如何越えるか。靴を脱げば何処も渡渉できる水深だった。戻り.最初の流れの強い所を渡ることにした。

   素足になり対岸へ。膝下の流れだが足を入れると同時.鋭い冷たさが伝わってきた。初冬に入り.日が陰ると薄く暗さが一層冷たさを誘っていた。
     更に対岸に渡りバラ科の茎に手が触れトゲを刺す。足場がぬかるんでいる為.素足で靴を履き乾いた場所で改めて履き直している。

     道標裏に分かれた佐野道あり.15:22

     上野原丹波山線の擁壁上に夕陽が煌めき照り付けている
   右のスナップは少し上流側にあった道標から河原に降りて御美流沢出合下の鶴川を渡ると先程分れた支尾根末端の古道の径にでる。

  県道.上野原丹波山道沿いの土手に踏み跡はなかった。崖下はゴミカンの散乱した急斜面を両手で支え乗り越える。
    出た県道に「飯尾一小菅」の道標があり.飯尾橋に下るの20m程手前だった。路上に立つと道路の向かい側.山側の上部に.
    残照を欲しむようオレンジ色の夕陽を浴び照り付けていた。そこは見るからに暖かそうだった。

     経路と古道
  奈良倉山東尾根を綴る経路は平均した緩斜面で藪絡みも少なく.程よい踏み跡は難路と云うものではなかった。
    涼やかな秋空の下.日溜まりにも恵まれ.落葉狩りに境界尾根は冬木林と楽しい登行を味わっている。
    左岸の尾根上の裸土の幅広い作業道もよかった。強風にあおられるも遮る樹林に恵まれ.日差し暖かく.静かな山旅をここでも味わっている。

  ただ旧佐野峠道は少し違っていた。
    旧道として昔より径巾は狭くなるも.今でも多くの人が通う確りした峠路だった。歴史を秘めたような石碑や石像は皆無に等しい。
    ただ峠の場所だけは昔の自然の良さを残す雰囲気を持っている。登山道として下る主尾根は坪山北東尾根になる。

  それでも荒れた小佐野峠付近や鶴川の取付の木橋は大分前に失われ,両岸の橋桁下の丸太を杭打ちした土台の跡のみが昔の間々残されていた。
    支尾根を分けた左尾根(上から)がメーンのコースのようだ。下山して出合を覗くと丸太2本だが簡単な橋が架けられていた。
    後半の旧佐野峠道の方が呆気ない径となり.出合付近に佐野山登山口の道標があり。

    飯尾の集落
   狭い街道の集落には家屋が軒を連ねていた.15:41
     下山飯尾
   15:25上野原丹波山線.飯尾橋上一飯尾一御岳神社一15:45八ッ田.¥940=16:45上野原.臨時快速「河口湖2号」:21=18:05新宿

  県道を大きく2回程蛇行しながら下るとまだ明るい飯尾の集落の中に入る。バス路線としては幅狭い街道が軒下を潜りうねり綴られていた。
    丁度雑貨屋で女将さんに出会いバス停を尋ねると「何処でも停まる!」と言葉が返ってきた。
    この辺では角道で合図さえすればバスが拾えると。バス停はあるにはあるが。行きに1ケ所で小さな車庫.飯尾のバス停を見ただけだった。

  下りの路線バスは4時45分発.まだバスが来るまで時間は十分ある。途中で酒屋を探し.ビールを呑みながら街道を下ろうと思っている。
    陽光が山の裏側に陰り.今の明るさも後1時間で日が落ちる。薄暗くなった谷間の街道に下りた安堵感か.時間だけがゆっくり流れていた。
    トコトコ1人で歩くのも嫌ではなかった。鶴川左岸の右路肩沿いを1人歩む。

     アプローチ
  その気持を欺くよう御嶽神社を過ぎると軽くクラックションが鳴る音を耳にした。何かと振り返ると路線バスが近ずいてきた。
    頭の行先に「上野原」とある。咄嗟に反対側に渡り.バスを停めていた。八ッ田でバスに拾われる。
    直ぐ近くの向橋が坪山.北東尾根の登山口がある。

  「小菅の湯」からの臨時バス.歩く決心をする間もなく.バスの方から近づいて来た。
    このところ1人で独占して乗ることが多かった路線バス。今日は7.8人が乗車し賑やかだった。

  乗物には今回は何処でもタイミングがよかった。jr上野原駅ではホームに踏み込んだ途端.扉が閉まり列車が動きだしている。
    ガックリした私の顔を見て.駅員に声を掛けられた。「後3分待てば河口湖発臨時快速列車が入線する!」と。
    ビックリし追う迎えしに聞き直す。本当に待つ間もなく列車は入線した。

   2つの地図
    昔の国土地理院の地形図.s23.09.空中写真.s24.11.現地調査,s34.03.発行.1/2.5万地形図「丹波」を見ると.
  今回買い求めた測量.h19年更新の1/2.5万の地図「七保」を比べ.大分登山道の違いが浮き掘りにされていた。

    旧地形図は45年以上前.高校の頃.同級生と初春の残雪を踏みしめ大菩薩嶺小金沢連嶺を南下して初狩に下りている。その時使用した地図
  旧地形図には今回の登山ルートの入山が長作の集落から観音堂と異なるだけで.下山も街道に出るまで.全てのルートが記載されていた。

    それに反し.今回購入した地図は坪山から飯尾や阿寺沢の集落へ通じる登山道は全く示されていなかった。
  地名としては鶴峠.長作.大羽根峠.佐野峠があるのみで.牛寝ノ通りは石丸峠はある。他の地名は尾根上にも全く記載されていず。
  勿論.大菩薩湖.松姫湖.深城湖は存在していない時代である。

    新地形図では反対に奈良倉山から西原峠への尾根沿いに作業道が描かれているものの,東尾根や旧道は表示されていない。
  十文字峠から佐野方面の巻き道もなくなっていた。地名では鶴川沿いの集落名が多く増え.奈良倉山が山名として加えられている。
  又上野原町から上野原市に行政も変わり.西原峠は同名の峠名が2つに増えている。・・地形図「七保」.山と高原08「高尾.陣馬」

   昭和50年代
    「中央線の山を歩む」藤井寿夫著によると昭和50年代の終わりに.飯尾までバス路線が延び.奈良倉山へは大分取り易くなっている。
  大羽根峠越えをし.集落とは名ばかりの一軒家がポツンとあるのが侘しい「牛飼」で.先程分かれら車道から.長作(倉骨)から東尾根を登っている。

    近年.奈良倉山のとりわけ西面は松姫峠から山頂を過ぎて1234.7mにかかろうと云う広範囲があらかた伐られ,林道までも通ずるに及んでいた。
  頂から林道に入り.1238m峰までは林道を歩く。その先は佐野峠を経て1234m三角点峰までは尾根通し・巻き道のいずれをも可.
  佐野峠にはベンチが置かれていた。」とある。

  プリムスカートリッジホルダー¥800.オイル入り磁石と即乾性肌着購入

     奈良倉山東尾根から佐野峠古道へのルート図
     観音堂から奈良倉山東尾根・鶴川右岸尾根
     佐野峠道の西原峠から坪山の佐野古道.東コース・・旧登山道を見付け.コースの変更と最後は県道に渡渉