権現山と扇山周辺の山々・・葛野川と鶴川に挟まれた流域地形図

   権現山と扇山周辺の山々は桂川に沿って走る中央東線の北側の山域で.西側は松姫峠に至る葛野川. 北側は三頭山を源とする鶴川。
     東側は笹尾根の三国峠を取り囲む山域と区分した。笹尾根と牛寝通りを繋げる背稜にはハイマゼ尾根.三頭山西尾根と長い尾根を持ち.
     その間を隔てる鶴峠は奥多摩湖に入る白沢川と相模川に流れる鶴川とを厳として流れ込んでいる。

    甲武国境尾根(笹尾根)・・三頭山笹尾根上半.下半地形図
      2011年02月. 玉川出合から入小沢ノ峰北西尾根―三頭山牛飼尾根から阿寺沢入口bs・・源流大長沢の右岸尾根
      2008年02〜04月. 三頭山笹尾根から生籐山―陣馬山と高尾山・・鶴川本流左岸尾根
      2016年02月. 数馬bsから都民の森.三頭ノ大滝を経て三頭山ピストン.槙寄山南西尾根・・西原峠から1001m点尾根を経て郷原・阿寺沢入口bs
      2011年02月. 井戸bsから熊倉山南西尾根―浅間峠からトヤド浅間.京岳bs=十里木「瀬音の湯」・・本流左岸末端の黒田川左岸の尾根
    西原古道
      2019年12月. 檜原街道森沢橋から森沢700m圏出合右岸尾根・丸山南尾根・西原古道・アッチ沢右岸尾根・南沢中間尾根を経て再び街道に戻る
      2020年01月. 鶴川.猪丸から城山を経て土俵岳南尾根を綴り県境を越え.大伐採地に入り北尾根を下り南秋川.人里
      2023年10月. 初戸から中群山東尾根を越え.偏盃から槙寄山南尾根を詰め.西原峠からは錫ケ窪右岸尾根を下り鉢指沢から数馬
    松姫峠から権現山稜・・鶴川と桂川に挟まれた流域(市村界尾根)大月・小菅村・檜原村
      三頭山山Top
      2009年11月. 長作観音堂から奈良倉山東尾根―佐野の古道左俣道から八ッ田地区・・支流井戸川左岸から佐野川右岸尾根
      2025年05月. 鶴峠から奈良倉山.佐野峠.坪山分岐.西原峠で林道と分かれ.小寺山.大寺山から三ッ森北峰鋸尾根を下り.カワツバタ窪ノ頭から小姓へ.H=jr猿橋
      2014年06月. 初戸bsから尾名手川左岸道中退―尾名手尾根1098mコブ下山・・支流尾名手川出合
    権現山陵
      2011年01月. 初戸bsから権現山北尾根―権現尾根(葛野川支流浅川右岸尾根)から尾名手尾根・・鶴川右岸尾名手沢を周回.阿寺沢入口bs
      2013年05月. 浅川bsから浅川大入沢670m圏二俣中間尾根―麻生沢730m圏中間尾根下降・・葛野川中流左岸尾根.奈良子入口bs
      2014年06月. 初戸bsから腰掛集落を経て尾名手川左岸道を綴り.沢沿いだがルートを失い中退. 尾名手尾根1098mから阿寺沢入口bs
      2020年01月. 浅川bsから浅川峠を経て権現山―権現尾根を東進し二本杉からコヤシロ山・要害山・鶴川鏡渡橋bs・・残雪と山道
    扇山.百蔵山周辺・・石丸峠から大菩薩嶺牛寝通り
      2008年12月. 新大菩薩峠から牛寝通り松姫峠から下山―松姫鉱泉から猿橋経由七久保から百蔵山を周回・・jr猿橋
      2013年01月. 地獄谷出合から曽倉山西尾根―扇山から800m圏コブ北尾根.浅川瀬戸線と葛野川左岸古道・・地獄谷周回と葛野川左岸尾根.葛野
      2017年01月. 四方津駅から綱之上御前山東尾根.西尾根から斧窪御前山東尾根―480m圏コブから南尾根を経て遠山地区・・桂川左岸.鳥沢

       奥多摩.三頭山笹尾根と権現山稜の鶴川接点・奈良倉山から佐野山へ回り込む・・牛ノ寝通り周辺Top

    奈良倉山.旧佐野峠道・・十文字峠・佐野峠・西原峠・小佐野峠からの旧登山道
      鶴川上流右岸の2つの支尾根・・奈良倉山東尾根と坪山手前の1175m点西尾根(小佐野峠からの佐野古道)

   満悦に満ち飾り立てられた奈良倉山の華麗なる紅葉の裾野を抜け.十文字峠から冬木の佐野古道の尾根に乗ると寒風の声を聞いている。
     長作観音堂から艶やか紅葉美に飾られた奈良倉山東尾根を詰め.十文字峠からは佐野峠.西原峠へと綴り.北風の吹き抜ける坪山へ旧佐野道を歩む
                                                  2009年11月15日.単独
    観音堂から奈良倉山東尾根と鶴川右岸尾根・・放牧的な尾根筋
    旧佐野峠道と坪山手前.1175m点の佐野古道.八ッ田

   奈良倉山東尾根と市界尾根
   権現山々頂より
    初戸から林道腰掛線を綴り.権現山北尾根を詰めた折.権現山の頂から望んだ展望・・2011.01.18/12:27

     手前は大寺山尾名手尾根で奈良倉山から左側の頂稜(葛野川左岸尾根)を綴り.今回は坪山手前の1175mから北方へ延びる尾根
   旧佐野峠ハイキングコースの右支尾根を下り.鶴川沿いに再び上野原丹波山線に下りている。

      2つの「西原峠」
   今回の山行は昨年の早春には三頭山笹尾根を歩み.そう遠くない場所に2つの「西原峠」があることに疑問を抱いたことから始まっている。
     笹尾根槙寄山傍の西原峠と鶴川西原の集落を挟んだ葛野川左岸尾根にある旧佐野峠に.もう1つの「西原峠」がある。

   昨年の暮れ牛寝通りより松姫峠に下った折.宿った松姫鉱泉の主人から「西原峠」の不思議な.又その場主義の行政で改名された峠名を知らされた。
     峠名はただの改名ではなく.昔から幾度も移し変えられていた。その古道を探ろうと思っている。二つの西原峠
     又二つの「佐野山」があることも.その時知らされた。

   奈良倉山は大菩薩・牛ノ寝通りの山稜と大寺山・小寺山へと続く権現山西北稜との接点に近い1348.9mにあり.
     松姫峠の東側の1321m点の小コブを越すと奈良倉山がある。牛ノ寝通りから続く葛野川左岸尾根は鶴川上流側の右岸尾根にも当たっているた。
     鶴川の源頭と対峙するのが三頭山. 三頭山南面の広がりには3つの北尾根と大茅尾根が顕著な起伏の尾根を現している。

   春と秋の登山シーズンには鶴峠から向うハイカーの多い山としても知られていた。
     今回はその奈良倉山から延びる東尾根の作業道を歩み.旧佐野峠道の古道を尋ね.もう1つの「西原峠」にでてみようと思っている。

   昭和30年代の国土地理院の地図を探し出し.新たに買い求めた地形図と見合わせると古いルートに甲州街道と結ぶ古道の奈良倉山東尾根がある。
     又佐野の山を横断する南側の旧古道をも探索し歩むことにした。

   このルートは又甲斐の国から三頭山笹尾根を越えて.武蔵の国に通じる拠点になっていた。
     奈良倉山から南下し佐野峠や西原峠を経て大寺山を越えて笹尾根へ達する尾根は.過っての大月市と上野原町との境界線。
     そのため市町界尾根と呼ばれてる。2005年には上野原町と秋山村が合併し市に昇格した。それが所以にもなっている。

   jr上野原駅発.鶴峠経由で松姫峠行の路線バスは春と秋の一時だけ.一日一便の臨時バスが運行されていた。
     そのバスに便乗しても日暮れとの競争になるだろう。関東地方では4週間振りの青空.ゆっくり藪山に向かい対話したいと思っている。
     そのためにも大菩薩山系と権現山稜の接点に当る奈良倉山を目指した。
     奈良倉山東尾根経路と旧佐野峠道

   jr上野原駅北口の高台ターミナルにて・・離れて派出所あり.8:15
    栃尾.無生野.井戸.犬目行と重なり合うよう路線バス

      佐野峠の道
   奈良倉山は地形的には大菩薩. 牛寝通りの山稜と大寺山.小寺山へと続く.権現山西北稜の接点近くにある1348.9m峰。
     鶴川を挟んで対峙する三頭山笹尾根(西原峠)と競い合い.又北側の松姫峠に対等し.奈良倉山を越した南側には旧佐野峠道の「西原峠」がある。
     又奈良倉山東尾根にある「十文字峠」は鶴峠と佐野峠を結ぶ旧峠路の山腹道が横切り.この峠から頂に向かっている。

   佐野峠道の雰囲気をよく現わしている「花の旅.湯の旅.縦横」田口隆二著によると「佐野峠の秋はいい。峠そのものより峠路がいい。
     西原峠から鶴峠まで.つまり佐野峠越えに要する全ての行程が初めから仕舞まで.最も峠らしい峠の雰囲気で満ちていることらしい。

   佐野峠は普通の峠のように登り越えて下るというイメージとすぐ結びつかない峠でもある。登り口と下り口に里を持たず.代わりにもう2つの峠を持つ。
     言うならば峠の上の峠である。」とある。

   昭和27年に奈良倉山に訪れた「中央線の山々」.藤井寿夫氏によると「飯尾までバス路線が延びたことで.奈良倉山は大分取っつきやすくなった気がする。
     大羽根峠そのものは杉に囲まれた平凡な地点に過ぎぬが舗装された県道ると名ばかりの集落.「牛飼」は1軒ポツンとあるだけで侘しい所。
     長作橋を渡ると3方向に分かれて中央が鶴峠へ。道筋には重要文化財の観音堂なんかもあるのだが.今日は左の車道から支流のずっと
     北側の破線からスタートした。」とある。

   東尾根から十文字峠を越え奈良倉山からの林道に出て.佐野峠を越え西原峠から中風呂に降りるコース。私は旧「飯尾ハイキングコース」から佐野古道へ。
     そして飯尾に戻り八田でバスを停めた運転手に声を掛けられ終えている。

     11月15日.快晴
        jr神田.中央快速6:32=7:31高尾:46=8:12上野原.富士急山梨バス¥1.000. 8:28=9:30長作観音堂bs:40.

   遅い路線バスの始発に合わせ全てが遅い出だしになっていた。
     その為か東京近郊の黄葉も始まり.秋の行楽日和とも合わさ.高尾発松本行の列車の込み具合は普段とは異なる満員の酷いものだった。
     逸れも殆どがハイカーで占められている。異常と思える風景に昔の登山ブームを想いだす。車内は暖房も利いて.朝の活気に満ちていた。

   上野原駅北側の高台のバスターミナルでは路線バスの登降で混雑し.渇服のよいバス会社の係員がバスの手配や尋ねてくる乗客に色々世話をしていた。
     私が長作観音堂へのバス停を訪ねるとバスの運転手に直接.長作橋でバスを停めるよう助言して頂いた。
     季節限定の路線バスは一日1便.今日は満員の乗客を乗せている。

       晩秋の長作観音堂.牛飼(倉骨)
   
   後に三頭山牛飼尾根を下り長作観音堂の県道に降りている。正面の道.少し高みに長作観音堂があり・・2011.02.02/14:38

    上野原駅でバスの運転手に長作観音堂で下車するとお願いした。すると長作観音堂バス停の数m先.観音堂の入口角でバスは停車。9:32.
     そして奥の赤い鳥居を指し教えて頂いた。馬鹿丁寧な動作に感謝し.バス停を知らずして長作観音堂の裏側から山道に入っている。
     バス停から右に大きく曲がる県道は鶴峠に至る県道上野原丹波山線.

      路線バス
   私の座席の隣りに座った中年女性は活気の強い人だった。語るにつれ言葉を選び.若者のだらしなさを語る。
     昔は皆自分の意見を持っていたが今は無口になる人が多い。自分の元気な気持が中々若者に伝わらぬらしい。

   登る山と登山口を尋ねられた。登山道ではない尾根から奈良倉山へ登ると答える。何故登山道ではないのか? 言葉が返ってきた。
     1人で来たので1人で歩きたいからと咄嗟に言葉がでた。迷えば磁石があると。まだグループ登山しか知らないらしい。

   不安はないか? 寂しくないかと。 日向ぼっこは1人に限る。蒼空を仰ぎ草木の揺れるさざ波を聞く.今日は風の声も聞こえるだろう。
     贅沢な山登りですね。私も経験してみたいと彼女は頷いた。

   権現山に登るために彼女達は初戸(はど)の集落で途中下車した。ここには権現山への登拝路がある。ここで1/4ほど大勢のハイカーが降りるも.
     まだ座席は満杯だった。松姫峠までは初戸川から鶴川沿いを綴っている。その間.次に降りたのは私1人だった。

      街道
   鶴峠への街道は初戸からは鶴川本流と離れ左岸の支流初戸川を遡ると初戸川のツメにでて笹尾根の笹ケタワ峰から延びる南尾根の麓.
     西原古道を廻り込む。田和.篇盃(へはい)の集落から上流の枝沢を少し下り.西原の集落で再び鶴川本流沿いと合わさる。
     バス停の名の如く阿寺沢入口近く.大きな目で見ると広い意味で西原地区に入る。

   車窓から眺めていると私にとって.初めて通う街道で.臨む風景は不思議に思えた。初戸から先の路線バスは鶴川支流の初戸川沿いを詰めている。
     その後は忠実に本流を綴り.源流からは鶴峠を越え小菅へ抜けている。

   鶴峠の手前.街道(上野原丹波山線)が小菅村に入った所で.私1人のため長作観音堂の正面口前で停めて頂いた。
     運転手はその上.指先で門の中へと導いてくれている。丁寧に礼を述べバスを見送る。

   長作観音堂は国指定重要文化財に指定されている。鎌倉時代.07年(大同2年)の建立と推察されていた。如意輪観音像は本尊である聖徳太子作の
     秘仏として安置され.安産と養蚕祈願の人で賑わい.年に2回開堂されると云う。・・対岸三頭山西峰肩の岩峰より奈良倉山東尾根写真

    奈良倉山東尾根
      9:30長作観音堂:40一9:50四阿一10:10間伐尾根を右側で迷う一10:35初めて立木に赤テープを見る.一10:45テープ姿の幹
      一11:00十文字峠:10一11:30奈良倉山.

   杉林の裾から登りが始まる.9:59

   街道を分け観音堂右手奥から山径に入る。杉林の広がる斜面. 誰も居ないフィールドの錆びれたアスレック場内を抜けている。
     強い陽射しが降り注ぐも閑散とした周りの風景は少し荒地模様。
     四阿には佐野峠への立派な道標が設けられていた。ただこの先は奈良倉山の頂まで道標等の印は何1つないと聞いている。

   雑木の痩せ尾根を越えると裾野は広がりを見せ.ジグザグに植林帯の踏み跡を追う。作業道が幾つも交差した。
     確りした踏み跡の作業道に頼り過ぎたのか.少し右側(小米沢川側)に回り過ぎたようだ。黒土と落葉混ざりの薄い踏み跡の
     斜面を直登する。ツメは片手でバランスを使っての登りとなった。ここの確りした作業道は早めに左へ折れた方がよい。

   照葉樹林帯の明るい森.10:09

   尾根の左寄り倉骨川(井戸沢)側がよい。薄暗い樹林帯を抜けると雑木の照葉樹林帯になり.明るい斜面に導きられている。
     広がりを見せた自然林は殆どが樹葉を落し.落ちた枯草が艶やかな紅葉色の土色に変えていた。照り付ける陽光は溢れるよう降り注いでいる。

   観音堂から歩き始めて1時間弱. 登山口からの高度差は200m前後。里では真っ盛りの紅葉も
     ここでは既に殆どの落葉樹は葉を落としている。里からの距離は短く高度差も小さいが北側に面している為か?
     ほんの少しの地形の違いが山肌の姿を変えていた。植林帯がその境を示していたようにも思える。

   雑木林と植林の境を綴る山道.10:11

   落葉の重なる踏み跡は不明瞭になる所も多い。径を失えば考え過ぎずに高みを選べはよい。そうすれば自ずと径は開かれた。
     左手は赤松混じりの雑木林.右は植林帯が延び.その境を越えを行く。緩い傾斜の登りが延々と続いていている。
     今まではずっと左側の山腹をやや巻くよう登ってきた。

   初めて見る鹿避けの透明テープ群.10:13

   この写真の所で作業道を失う。幹に透明ビニール紐が何巻きも巻き付けられた檜林を見て.右手に直登する。
     この辺だけ何本もビニールが幹に巻き付けられていた。本数が多いところを見るとこれは鹿の食害対策として試しているのだろうか?
     熊・鹿の保護と獣害は決め手が中々付かない現状だが兎も角.手間の掛かる仕事である。

   意外と長い植林帯のトラバース.10:23

   直登すると歩き易い針葉樹林の山腹道にでる。この作業道も暫くはゆったりとトラバースしながらの登りだが.ここでやや下り気味になった。
     植林帯を綴り谷間へ降りているようだ。再び直登すると直ぐ平行するよう同じような作業道が現われる。

   木の幹に赤テープのマーキングがあり.このトラバースも直ぐ下り始め.枝尾根沿いを降り始めていた。小尾根に乗り下らず.右上に折れ
     枝尾根を直登する。更に明るい雑木の照葉樹林を詰め.尾根筋を外さぬよう詰めれば間もなく東尾根に乗る。

    枝尾根より自然林被う枝尾根を
   左上が奈良倉山の北側に聳える1221m峰.10:36

   小枝絡む枝尾根を潜ること15分程で東尾根に乗る。漸く本来の尾根にでて疎らになった樹林。
     もっと忠実に東尾根を手前から詰めていれば時間は短縮された筈。
     それでも今まで歩んで来た踏み跡は大したロスでもなかった。本来のルートより変化に富み面白い。

    正面が三頭山三峰
   東尾根に乗り背側を望む.10:45

   主尾根にでて閉ざされていた視界が急に開ける。正面東面の樹間を透し1221m峰と鶴峠へ続く尾根が連なり現れた。
     左手へ奈良倉の頂き方面に回り込めば背後には三頭山三峰が誇らしげな姿を示し.大きく望まれた。

   大きく望めるようなった奈良倉山.10:55


    十文字峠.11:00

  
 
      十文字峠
   尾根幅が広がり傾斜が全く落ちると峠状の十文字路にでる。ここは右手に踏み跡を折れ.旧道と綴れば鶴峠へ。
     左手は旧道から鈴ケ尾山1238m峰手前の背稜にでる。ただ踏み跡らしさは失われ.薄く分からなくなっていた。
     山腹を巻く水平歩道は過って小菅と繋がれていた葛野川を結ぶ旧佐野峠道。

   今は松姫峠に車道が開通し.鶴峠からの旧道も廃道で踏み込めぬほどの志向者向けの踏み跡になっている。
     右手口の立木に付けられた小さな板切れに「十文字峠」と峠名が示されていた。道標類はない。

   北側に小米沢川左俣と南側には秋切沢の枝沢が詰め合わせている処が十文字峠。奈良倉山東尾根の分水嶺を成し.共に鶴川の右岸支流になる。
     鶴峠から十文字峠に至る巻き道の旧道は谷筋の荒廃が目立ち.藤井氏によると十文字峠と山頂の中間地点には.数年前に早くも.
     鶴峠からの迂回路が設けられていた。現況は如何だろうか.歩程2時間弱とある。

   丸2日間降り続いた雨にも拘らず.土壌は秋の季節らしく乾きが早い。風もあり今まで殆どぬかるむ踏み跡は見られなくなっていた。
     ただここだけは枯葉もジメジメしていた。樹冠を仰ぐと雲1つない紺碧の天空が樹葉の隙間から広がりを見せている。
     煙草の煙が少し斜めに流れ.やや風がでてきたようだ。肌寒さを感じザックからチョッキを取り出している。ついでに空腹感を覚え結飯を1つ食べた。

   真近になった奈良倉山.11:03

   後は東尾根沿いを真っ直ぐ進めばよかった。再び奈良倉山の直下を巻く十字路に交差している。
     地形図に記されていないが右手が鶴峠からのトラバースした迂回路。

   ここからは奈良倉山の頂へは灌木帯を綴るとナラ.ヌクギが主体の雑木林になり.確りした登山道が変わっていた。
     尾根幅がドンドン広がり笹原が現われ始めれば落葉松林へ変わり.程なく奈良倉山にでて喘ぐ間もなく頂に立つ。

    奈良倉山
   山頂台地より.11:21

      奈良倉山
   頂は落葉松林・赤松に包まれた円やかな広い平頂台地で.冬木に被われているも展望は得られなかった。
     奈良倉山の大らかな頂の中央に2等三角点標石があり.落葉に半ば埋もれ土壌は殆ど見届けず。

   この景色も昭和の初め頃は明朗濶達なカヤトの峰だったという。「ナラ」は平坦状の緩斜面を指し.「クラ」は乗馬の時の「鞍」を意味するとのこと。
     優しい山容に相応しく.七保側の人々は「御坊主山」と言われ.昔は「茅平」とも呼ばれていた。

   七保を挟んだ対岸の南大菩薩連嶺の最南端にも同じ山名の「お坊山」と云う山並みがある。
     笹子雁ガ腹摺山の東側で米沢山の隣り.笹子川の北岸に位置し.やはり穏やかな頂を持つ山容だった。あり触れたようで変わった山名でもある。
     「雁ガ腹摺山」の山名が幾つもあるように.何か繋がりがあるのではないだろうか。・・2010年12月入山

   この頂稜を綴れば牛ノ寝通りにでる。昨年12月に石丸峠から松姫峠を経て中風呂へ下りていた。
     奈良倉山はこの松姫峠から東へ小ピークを越えた2ッ目のピークにあたる。

    奈良倉山と1238m峰
   奈良倉山南西尾根には踏み跡が西原峠には登山道がある
   大菩薩長峰を下りシオジの森・ふかしろ湖深城ダムからの奈良倉山・・翌2010.11.04/15:15

   奈良倉山のとりわけ西面は松姫峠から奈良倉山を過ぎて1238m峰まで延びるているのが市村界尾根(上野原市・小菅村)。
     1234.7m三角点峰では市町尾根(奥多摩町)に変わってる。その間に掛かわる広い範囲は新たに伐採され.
     展望の利く尾根に変貌している。林道に下りる途中で西南面の展望が開かれれる。小金沢連嶺から雁ケ腹摺山.

   楢ノ木尾根と瀬戸境.更に御坂山地を挟む富士の秀麗たる景観が広がる。藤井氏によると「近時.峠から山頂を過ぎ.
     1234.7m峰に掛かる範囲があらかた伐採され.林道までも通ずるに及び.昔の素朴な雰囲気はあらかた失われていた。
     もはや展望の尾根に化し.小金沢連嶺から雁ケ腹摺山・楢ノ木尾根更に御坂山塊を挟んで富士の麗姿と」.申し分ない。

   山頂から南下すること数分.前途の林道に下り立ち.1238m峰まで林道を歩む。その先.佐野峠(ベンチあり)を経て
     1234m三角点峰までは尾根通しか.巻道かの2ルートのいずれかを選ぶ。たどりつく西原峠直前の分岐点には七保・飯尾を指す.
     不釣り合いに立派な道標が設けられていた。「飯尾ハイキングコース」なるものが。」とある。

    高く抜けた秋空に富士と三ッ峠山
   頂の南肩から展望が開かれる.11:30

   手前が楢ノ木尾根.大峰に続く南尾根.瀬戸境が横切っている。
     三ッ峠山との間に出す頭が鶴ケ鳥屋山の山頂で麓に笹子川が流れ. 写真の富士の真下が富士吉田市になる。

   それでも近年.奈良倉山の西面のとりわけ松姫峠から山頂を過ぎて.1234.7m峰にかかろうという広範囲があらかた伐採された。
     林道まで通じるに及んで昔の素朴な雰囲気はあらかた失われたという。展望の尾根に化したという。
     小金沢連嶺から笹子雁ガ腹摺山・楢ノ木尾根.更に御坂山塊を挟んで富士の秀麗さは申し分ない望めだった。

    葛野川右岸の山並
   11:31
    対岸に見渡せるのが楢ノ木尾根と瀬戸境。尾根沿い上流側は牛寝ノ尾根になる。

   奈良倉山の頂から南に少し下ると肩から大菩薩連嶺の幾つも重なり合う大きな山並みが眺められる。
     中央本線沿線南側の山々から重なり合い.道志の山々と三ッ峠山の間には秀麗たる富士が絵葉書の如く華麗な裾を従え聳えている。

   その斜上には富士の大きな裾野が開かれていた。冬富士の姿を望むも.一度一面に被われた新雪は失われ.雪帽子だけが雪白く望まれていた。
     仰ぐ天空にはまだ雲が湧いていなかった。午後となり霞むと思われた頂も烈風に飛ばされている。

   楢ノ木尾根.正面の2つのコブは左から大峰.泣坂ノ頭の三角に盛り上がる山容は大樺ノ頭に続き.裏側に折れれば頂点の雁ケ腹摺山にでる。
     更に枠外になるが見えぬ先が大峠.先の頂稜が小金沢連嶺黒岳と牛奥雁ケ腹摺山。
     大峰から左(南方)へ延びるのが瀬戸境.尾根末端は小俣川出合に没している。

   作業道と葛野川左岸尾根
     奈良倉山11:30一11:40林道一11:55(1238m峰.林道北側に)一12:20佐野峠.
     葛野川左岸尾根,奈良倉山〜西原峠写真・・大菩薩峠より2013.11

   奈良倉山から南東側に延びる林道にでる.11:36

      市村界尾根を綴る作業道・・佐野峠
   まだ食事は我慢できる。慌てて食べるより風のない所を探った方がよさそうだ。頂から南側に降り立つこと数分.
     尾根伝いの日向の明るい林道を歩む。風は強く頭上にうなりを上げているが両側の茂みに遮られた形で頭上を抜けていた。
     「ゴーゴー」と時折風の強い叫びを聞く。それさえ気にせねば長閑に伏せられた散策路になっていた。この先1238m峰までは林道沿いを歩む。

   先佐野峠を経て1234m峰までは尾根通しに巻道に2つのコースが取れていた。風強く荒れ気味で.今日は左岸尾根を取る。
     山菜狩りの車は停まっていなかった。作業道の入口には松姫峠と西原峠口がある。

   松姫峠からの林道は佐野峠(小菅峠)と西原峠(佐野峠)との間にあたる林道分岐で.1238m峰辺りまで。
     阿寺沢ノ尾根の南側に入りる枝尾根があり.その先佐野峠を経て1234m三角点峰までは尾根通し脇道を分けている。

    幅広い尾根・・奈良倉山→1238m峰
   権現山へ続く広い尾根状の頂稜. 大月市.上野原市境界尾根.11:44
    正面.見えぬ谷下が西原峠付近.遠望は左手前の三ッ森北峰鋸尾根

   この山行の企画前には中風呂から入山し.西原峠から権現山鋸尾根にでて扇山へ抜けることを考えていた。
     大月始発のバスで仲風呂は8時半になる。短い日の遅い出発で.日没前に鳥沢へ下れるだろうか? ここから眺めるとやはり遠いい風景だった。

    大菩薩連嶺東面の山並
   11:51
    左の尖りは滝子山. 中央から左が楢ノ木尾根・・金沢連嶺.大菩薩嶺を望む. 右に並ぶ肩が牛寝通りの尾根. 奥の背稜は大菩薩連嶺

   右上が1238m峰.11:57

   奈良倉山から歩んで来た作業道は1238m峰の手前になる。この辺で左後方から十文字峠からの古道が入り込んでいる筈だが分からなかった。
     1238m峰までは甲斐の国の領分に属し.この先佐野山から西原峠を越えて権現山.扇山へと続く背稜は甲相国境(町村界尾根)になっている。
     所謂.奥多摩町に下る作業道がその間々.昔の国造りの上に造られていた。

   それを知るだけでも昔を想い.天下の境を独り占めして歩む気持は愉快だった。晴天だからこそ.と思える考えかも知れない。
     1238m峰から東へ延びる町村尾根は1238m峰東尾根から鶴川牛飼に下り.長作沢を遡って三頭山に至る。

    1170m峰と重なる権現山尾根
   奥右端が麻生山.三ノ森.11:59

   作業道は鞍部で一度.境界尾根にでて再び佐野山(1260m峰)の手前で東側を巻き(旧峠道)佐野峠「小菅峠」にでている。
     佐野峠とは七保側の山域を佐野山と総称していることからきている。
     佐野峠手前でこの先は一般車通行止の標識がある。もう1時間ほどのんびり歩いているが誰一人.ハイカーとは出偶わず。

   頂稜とは思えぬ日向の長閑な作業道.12:00

    坪山と1170m峰
   南の佐野山手前から.12:10
    中央右が1107m圏峰.北東に派生している尾根が小佐野峠からつづられた旧佐野峠ハイキングコース.後に二又の右.北支尾根を下っている。

   左奥三頭山笹尾根.笹ケタワ峰付近と奥が笛吹峠. 丸山と霞むのが生藤山.ゆっくり下って陣馬山。
     右奥の大きな山容が権現山北尾根で. 重なる手前は大寺山尾名手尾根.先の遠望になる。2011.01

      目指す古道
   1170m峰の右下が小佐野峠. 頂から左手へ長く延びる尾根が御嶽神社へ下る2本の北尾根。旧佐野峠道は右窪みの小佐野峠から
     中央へ平行気味に巻き.1170m峰下を斜め左下へ下る尾根に古道が通る。左端に分かれて急に落ち始めている場所が1000m地点.
     分岐で見えているのが南寄りの尾根で. 二又に分かれて眺められる北寄りの尾根は今日の下山道。

   おとぎの国に入るようなアーチを作る裸林のトンネル.12:1

   佐野峠道は高低差のないなだらかな道。右に折れ左に曲がり.道は常に尾根の腹を巻いて頂に立つことはなかった。
     この先も殆ど平坦な尾根道が綴られている。気にもならぬ高さの佐野山に気が付かず.巻けば西原峠に至る。
     展望はないといえば嘘になるが枯れ枝の茂る薮絡み。それでいて綴れば途切れ途切れに違う方向の山並が望まれていた。

    1170m峰と奈良倉山
   朝方奥が登ってきた東尾根を振り返る.12:21
    1170m峰の山腹を横切る枝作業道が大きく刻まれ望め.下ると佐野道登山口にでる。
    東尾根遠方は奥秩父の飛竜岳と葉陰に隠れた雲取山。

    西原峠・・佐野峠(小菅峠)の道.12:18
    

      旧佐野峠
   佐野峠(旧松姫峠.小菅峠). 七尾・飯尾を指す分岐先にある峠は七保側の西原峠.西原・飯尾・長作などは佐野峠と呼ばれている。
     この辺の峠は幾つもの峠名を持っている。改名されて元の名で呼ぶこともあり.佐野峠や西原峠のように重ねて呼ぶ峠もある。

   西原峠から南方へ下る古道は佐野山(1260m峰)南尾根から下る径と合わされば中風呂へ下りられる。
     昨年暮に大菩薩峠から牛ノ寝通りを通り.この峠から下る予定でいた。だが松姫鉱泉の主人の言葉に甘えて迎え車を得て松姫峠から降りている。

   この径は今までの峠越えの道と異なり.急斜面で中風呂に転がるよう落ちるほど傾斜が強く.後年に西原峠(旧佐野峠)からの旧道に変ってもいた。
     この2つの古道は佐野峠1234.7mと西原峠の南東に延びるアシ沢両岸の尾根に当たり共に登山道として中風呂.松姫鉱泉に下りられる。

   ただ道標の表示が可笑しい。奈良倉山から来た林道方向が「松姫峠」で正しいが脇に入る径方向が「西原.浅川.権現山」を指していた。
     浅川.権現山方面はその間々作業道を忠実に辿り.南の佐野山を越え進まなければならない。古道と混乱する形の表現で道標が設けられている。

    佐野峠の古道
   小菅村から甲州街道大月に出るには佐野峠を越えるのが最も近く.小菅・丹波・更に秩父の富士講の人々も.この峠道を辿っていた。
     鶴峠の北西.白沢沿いの県道上野原丹波山線から奈良倉沢に入る林道の入口に今でも「嶽仙元塔」と刻まれた大きな碑が残されていた。

   峠道のコースは奈良倉沢の途中から奈良倉沢右岸の尾根に登り.奈良倉山東尾根を十文字峠で横切っている。左に折れる旧道は廃道になり.
     現在は市町界の背線を東方へ殆ど水平に巻いて佐野峠にでる。三角点峰.1234.7mから南に派生する,アシ沢右岸の尾根を下れば中風呂。
     廃道から入るのが本来の佐野峠道。

   ただ尾根が急峻のため.何時の頃から佐野峠から更に背線を東方へ辿り.西原峠からアシ沢左岸の尾根を下るのがメーンルートになった。
     そのため西原峠を小佐野峠と呼んだのだろう。アシ沢右岸のこすげ道は上部に猛烈なバラヤブがある。・・「甲斐の山山」小林経雄著

     観音堂から奈良倉山東尾根と鶴川右岸尾根・・放牧的な尾根筋
     旧佐野峠道と1175m点の佐野古道