鹿留山のミズナラの巨樹群と間近に望む杓子山からの富嶽
     鹿留山北尾根を詰めた頂でミズナラの巨樹群と出合い.杓子山の頂では富嶽の大原野と対峙し.大権首峠から不動湯鉱泉へ

    鹿留林道から鹿留山北尾根
    異色の景観の鹿留山と杓子山・老樹林と原野・・「不動湯鉱泉」から大明見・富士急下吉田

    鹿留山の原生林
   ジャンクションピークより.12:26

    ブナ.ミズナラの原生林
     もう鹿留山の頂も目の前だった。頂の上をどんよりした霞みに覆われているのが判る。
   この北尾根は珍しく殆ど下部に至るまで喬木の生い茂る大地だが藪漕ぎを強いるほどは強くは見られなかった。雑木に潅木の薄い山域

     谷間も尾根筋も枝木が絡むも濃い藪漕ぎはない。積み重なる深い落葉とぬかんだ土壌.岩石の転がりも少ない尾根。
   ルートファンテングさえ確りしていればよく分かる山だった。どの尾根を詰めても時間的には左程変わらないだろう。そして最後に原生林の頂と出会う。

    北尾根ツメ.最後のひとコマ
   冬木の巨樹が寒々しい

     ジャンクションピークから殆ど傾斜のなくなった頂への稜。三角点石標1632.1mがあり.ブナ.ミズナラの原生林に覆われた快適な台地にでる。
   ここから南西へ300mほど進むと鹿留山の頂稜の一角に子ノ神がある。本来は鹿留山とは子ノ神の北側から東側の一帯を呼んでいた。

     ナラ・ミズナラの茂る超喬木林に被われ.ここでは展望がないのがよい。それが又幻想的な景観を創り上げていた。
   登った者だけが報いられる不思議な最後のひとコマが頂に創られている。

    鹿留山,太古の地
   巨樹に囲まれた頂

    巨樹の棲家
   裸林の不可思議な世界

   共に初めての山で味わう連れのパーティ.12:36

     突然現われた巨木林.ズナラとブナの巨樹が共に変った造形で絡み幹を太らせている。今までとは異なる別次元の境界を造りだしていた。
   覆い被さる暗い霞みが周りを包み.巨樹の精霊達の踊り場的な気配を漂わしている。

     何故ここだけに集中して生い茂るのだろうか。ミズナラとブナが混ざり存在する不思議なツメの世界がある。
   上手く写真で正眼できればよいのだが。

     食事は酒宴に?

    大休止
     予定より少し長く踏み跡を綴っていた。その頂で彼は直ぐコンロをだす。彼のザックから水2.000cc+500ccに角ウィスキーもでてきた。
   彼が水分を多く持ってきたと自慢しているだけの中身である。日帰りの山.私は1.000cc+500cc+焼酎360ml×2を持参した。

     食事は前回がラーメンだったことを考え生うどんに変えている。生卵と長ネギは常等だが数回の経験から今回は野菜天婦羅を買い込み持参した。
   私は焼酎を持ち込み歓ぶ彼と乾杯しウィスキーをも少々口にした。

     それが悪かった。終わりなき酒宴は巻き込まれる。彼と頂でウィスキーを1本空けることになった。旨い酒に酔っている。
   殆どストレートで呑んだウィスキー。それとも不動湯で呑んだビールが悪かったのか。下山ではそれらが徐々に利いてきた。
   その後はほろ酔い加減で下吉田の街並へ下りている。気は確りしている積りだが帰宅してから頭が痛くなる。彼は私以上に強い。

    杓子山の頭
   鹿留山より.13:29

    鹿留山・杓子山から不動湯
      12:25ジャンクションピーク一12:35鹿留山.大14:00一14:35杓子山15:10一16:35大権首峠一15:55小16:00一16:05ゲート
      一16:30不動湯17:35.

   子の神より杓子山へ.14:04

     子ノ神から左に折れれば立ノ塚峠・二十曲峠を越え石割山へ続く稜になる。
   立ノ塚峠の林道は内野から峠の東面の都留市分まで延びる林道は昭和30年代には盛んに炭焼が行われていた所。
   その当時から既に鹿留川池ノ平への峠路は廃道化し.二十曲峠は林道が内野から鹿留へ乗越してをり.水神と山ノ神の新しい石碑が建つ。

   3つのコブを越し

     長い時間を掛け留まっていた頂を去る。子ノ神から緩やかに上下するコブを2つほど越すと杓子山。
   長閑な眺望の散歩径になり.杓子山に立つとその裏側には南面の大展望が開かれた。

    杓子山
   忍野に続く藪は切れ.もう直ぐで富嶽の裾野を望む

    思わぬ方向からの鹿留山.杓子山
   富嶽の東麓
    大岳山南尾根から馬頭刈尾根に乗り・・2015.12.18/11:14

    杓子山々頂
  
   石割山の尾根と甲相尾根

     御正体山と鹿留山・杓子山. 御正体山の頂は周りの樹木が育ち展望はない。山陰の裏側が山中湖.
   鹿留山の裏はミズナラの巨木林.杓子は富士の原野.展望の優れた山。

    杓子山
     杓子山はカヤトの原が広大に広がる広場のような平頂だった。テーブル.ベンチが幾つも備えられていた。
   ここに来て鹿留山の太古の頂とも比べようのない明るさが開かれた台地。富士の怒気を越した原野を主る裾野は広大な景観をもたらし現わしていた。
   圧倒的な大きさに富嶽の裾野を隠すことのできぬ広大な大地。18キロほどの長大な距離を一気に見渡せる原野が.この頂から開かれていた。

     下りは不動湯経由に決め.杓子山でものんびり留まることにした。重く霞む雲が重苦しく垂れ込む富士の裾野を覆う。
   又処どころで雲がの切れ目から薄く大地の一部分を照らしていた。広大な荒地の北富士演習場も雲陰に隠れ気味で.目立たぬ存在だが馬鹿広い。
   富士の頂は雲の中.裾野は広く天空との境目を創り.原野から東方へ続く前衛の山々が山中湖の湖畔に延び.湖面を長く囲んでいる。

     最初に目に入ったのが山中湖。足元の麓.忍野の台地と比べると一段と高い所にあることに気が付く。
   彼に言わせると富士五湖の中で一番高い所にある湖だそうだ。その東畔には県境の丹沢甲相尾根が長く横切り遠望された。

     一昨年.彼と御正体山を越え山中湖の湖畔.平野で1泊。翌日は鉄砲木ノ頭に続くカヤトの原にでて.三国山から籠坂峠へ三国山稜を綴っている。
   ここから望むとかなりの距離がある。そこだけが残照を浴びて明るく黄金の色合いに照り付けられていた。

     黄昏のとき.周りは薄暗さを増さしているも.斜陽を受け煌き輝いている山稜。当時はもう少し明るかったが.日没前の夕陽を浴びていた。
   何処も懐かしい風景だった。時をそれほど経たずして.2人で望む回顧の山々も.見詰めていると互い.共鳴し嬉しいものだった。

     展望がよければ富士を始め天子山地の毛無山から竜ケ岳.南アルプス.御坂山地.奥秩父の金峰山.大菩薩嶺から雲取山などがぐるりと見渡される。
   杓子山の「シャクリ」とはザレ場や崩壊地を指す言葉で.富士吉田明見からは杓子山南西面にある大きなザレ場として望まれていた。
   又頂から西に大明見へ下る長い尾根がある。末端はやや紛らわしい。ただ私達は「不動の湯」に寄らなければとそのルートを外していた。

    高座山への尾根
   杓子山々頂.14:41

    忍野
     忍野へは大権首峠(おおざすとうげ)から車道にでて直ぐ左手の尾根上に高座山(たかざす)への登山道を分けている。
   高座山から忍野役場に下るには鳥居地峠にでず.真南にカヤトの原を下るコースが開かれていた。
   1130m峰手前から西側にでて.942m地点で鳥居地峠からの径と合わさる。長閑なカヤトの尾根径のようだ。正味徒歩1時間.

    裸林の稜
   大権首峠へ

     大権道峠(おおざす)への径.忍野の集落から賑やかな音色が風に乗り流れてきた。桜祭りか?
   笛や太鼓に混ざり.時折音花火の懐かしい響きも聞く。昔小学校の運動会で開催の合図として.よく打ち上げられていた昼花火の音も。
   今朝来る時.富士急行の車内で富士五湖桜祭りのポスターを何度か見ている。又下山した下吉田の大明見では大祭が催されていた。

   明るい檜林を抜け.15:22

     峠が近づくと大空に舞うパラグライダーが飛行する姿を臨みつつ下った。朝霧高原や箱根・・と意外と見ている筈だが常に空を仰いでいた。
   裾野に向かい緩やかな風に乗り.羽を広げ.大らかに飛ぶ姿。自分も試してみたくなる。
   彼の「度胸があるな!」の言葉で我に返るも優雅な姿に見える。

   林道を不動湯鉱泉へ.16:14

     大権首峠から主尾根沿いに高座山へ進めば間もなく東富士分岐線の鉄塔にでる筈だが.主尾根を分け林道へ。
   部分的には簡易舗装となる車道も殆どは裸土の道だった。大権首峠から裸土の林道に嬉しさが込み上がってきた。
   最近.山奥まで舗装道が多くなり.駅まで歩むのにうんざりしているところだった。

     谷間をうねる下山の林道が心地よい。下山は裸土道に限る。先程の鉄塔からの送電線を潜り.ゲートを過ぎた。
   里へ向かう道.雑木から杉林を抜け左手にログハウスからの道を合わせると「不動の湯」に着く。

    不動湯鉱泉
   嬉しいそうに満足感満杯の顔.16:41

    不動湯
     林道ゲートを抜け舗装された道に入ると「不動の湯」にでた。
   湯の霊水は腐らないと言われる無色透明の源泉。入浴ばかりではなく直接飲んでも治療力があるそうだ。
   湧水の特長は一般の地下水.水道水に比べ各イオンが非常に少ないらしい。1/5から1/7程度しか含有させていず.それがよいらしい?

     湯船はぬる湯とあつ湯があり数分づつ交互に入ると効果があると謳っている。
   私はあつ湯だけに入浴した。全く癖のない温泉は浸かっている気配を起こさせなかった。21時まで入浴料¥800

     「不動の湯」の歴史は古い。源頼朝公が富士の巻き狩の際.寄ったと伝えられ.今から100年ほど前に地元の人達により,湯冶施設として開湯されていた。
   戦後一時期,県内郡内地方で盛んだった染色業に携わった人々が染色助剤オクテックスにより悪性の皮膚炎に掛かり.大きな社会問題になっていた。
   医者が匙を投げ.不動湯で完治した事から多くの人に知られるようになる。s48年.公営施設不動湯として現在の形が整えられる。

     湯上りのビールは改めて言うこともなく旨かった。帰宅時に私も珍しく不動尊の水1.000ccを持参した。
   飲んでも淡白過ぎる水だがアトピーには効果があるとのこと。館内にあり不動尊の給水は昼のみ。

    黄昏落ちる富士と山麓
   大明見地区に入り.18:03
    鳥居地峠からの旧鎌倉往還と合わさり.左手の富岳を仰ぐ

      16:30不動湯17:35一18:25大明見.桂川一18:46富士急下吉田.¥930. :50=大月.快速19:53=21:45神田.
    里.大明見へ
     やはり山を下り,入浴すると体は和み.豊かな気持ちを抱かされる。その上アルコールが入っている。重たい足も軽い足運びに。
   ほろ酔い加減で不動沢沿いの道を進む。下るほぼ一直線に綴る里への道。日没まで30分.黄昏の山道を下る。ここも旧鎌倉住環と言われる道。

     途中で今日初めて富士の頂に雲が切れる姿が望まれた。薄暗くなっても富士の秀麗さは劣ることはない。
   裾野が更に広がり.家屋が現われ始めた地点だった。

   富士吉田大明見の大祭・・小室浅間神社の例祭.18:09

    大祭
     下吉田の街並,大明見(おおあすみ)に入ると道路は祭りの渡御で塞がれた。山車がでて大勢の人達が見物している。
   夕暮れに子供達も参加していた。東京下町では余り見られぬ光景だ。大人に混ざり子供達が先頭を歩み.皆大きな御菓子袋を持っている。

     神輿は大きい。我が町の倍以上ある。10尺もあるだろうか? ただ見るからに重みはなさそうだ。
   それも背負うのではなく肩を入れ静かに渡御しでいる。掛け声は一切ない。勿論もむこともない。地元風土.独特の祭は何処にもある。
   それが又よい。今日は7年に一度の諏訪大社の御柱祭.下社の木落しがあった。来月早々には我が街.東京下町の大祭も催される。

     ほぼ直進している国道139号線.(御坂みち)東町東にでると黄昏から周りは更に薄らぎ.帳が落し始めていた。
   目が慣れての薄暗さになっている。彼の声を聞きバス時刻表を見る。巡回線は右回り38分発とあった。まだ20分近くある。
   バス停に留まるには忍びず.再び歩きだす。

     日が落ちると急に闇が迫ってきた。明見入口交差点で彼が駅を訪ね右折する。商店街に出るも街路灯の明かるさも遠のきだしていた。
   この先.何処か左へ折れた所に下吉田駅があると思っていたら.歩む突き当りが富士急下吉田駅だった。
   もう広場も暗く閉ざされ人影もない。周りの灯が乏しい駅にでる。

     ここまで1時間強を費やした。朝からよく歩き.終えたと思う旅だった。
   彼は豆である。私より先に上り列車の時刻を聞き.もう列車がホームに入ると伝えに来た。タクシーの場合¥1.950

     不動湯の更衣室にトレイニングタイツを忘れる。着払いでお願いしたにも拘らず.普通便で送って頂いた。ありがとうございました。
   2010.04.06.改めてレスキュー保険に加入。国内での全ての捜索費として¥300万保障.保険料は年¥5.000
   ・・地形図「都留」.「御正体山」

     鹿留林道ゲートから鹿留山北尾
     異色の景観の鹿留山と杓子山・老樹林と原野・「不動湯鉱泉」から大明見と富士急下吉田