山中湖々畔に聳える鹿留山と杓子山 ・・山中湖周辺の山々 道志山地支稜Top

   忍野を取り囲むナメクジの形をした平面図. 鹿留山北尾根の鉄塔尾根を詰め.杓子山.からは富士の原野を仰ぐ。
     道志山地最西の鹿留山のブナ.ミズナラの巨樹と杓子山からの富嶽大展望―「不動湯」から下吉田駅. 2010年04月10日.L松村.m長塩

      鹿留林道ゲートから鹿留山北尾根・・JR.富士急沿線の桜満開と244号鉄塔基部
      異色の景観の鹿留山と杓子山・老樹林と原野

    忍野
     忍野村を囲む山並の南側は山中湖村との境をなし.大平山から石割山へと続きく東側の都留市との境に石割山から鹿留山.及び杓子山が聳える。
   北側の富士吉田市との境界は杓子山から鳥居地峠という具合で.地図を開くと南西面が富士の裾野になり.広大な原野が開かれ馬蹄形をなしている。
   忍野村は明治八年忍草村と内野村が合併したと時に旧村の1字づつを取って名付けられ.忍野八海は忍草にある。

     鹿留山は江戸時代に鹿留村の過半を占める山地を「鹿留山」と総称し.取り囲む7ケ村の入会山であった。そのことから各村間で
   境界線をめぐる争いが絶えなかった。その頃の記録にはむしろ「穴富・あなとみ」と表示されてをり.
   「広辞苑」によると「穴」とは「猪や鹿」を意味することから「猪や鹿が豊富に生息する」ことが本来の由来のようである。・・松浦本

     「一日二日山の旅」河田槙著には1500mのコントロールルラインに従って彩るとその形があたかも北に頭を擡げ.西に尻を向けたナメクジの如き平面図を現し.
   鹿留山はちょうどナメクジの背の部分に位置する」とあり.地形的な特徴を簡素に強調している様で.鹿留山・杓子山の南面は急崚であること.
   二つの山の間は平尾根であること.そして子ノ神から鹿留山さらに北に向け延びる尾根は.これらの特徴が「ナメクジ」というイメージが直ちに伝わっている。

     幼なじみ長塩は体調を回復し.その後の検査も良好とのこと。
   本来は昨年師走に彼の希望を受け.2人で富士山撮影山行へと杓子.鹿留山から石割山を抜け.高指山(たかさすやま)に登る予定でいた。
   その時は中止なるも.彼は5月の連休を利用して百名山の紀伊.大峰から大台ケ原へ入山すると云う。その体慣らしに鹿留山北尾根に出向く。

   富士急行谷村町駅・・駅前の小さな広場はは満開の桜.8:10

     鹿留山北尾根は最近通う人が多くなっている。鉄塔巡視路から綴る尾根.ただまだまだ藪も少しはあると云う。
   藪山のよさを彼が少しでも判ればと入山した。うまくゆけば彼.これからは登山道脇の小尾根を歩むことができるかも。

     4月10日土.曇
       jr神田¥1450. 5:28=御茶ノ水5:45=6:38立川.甲府行:43=7:34富士急大月¥450. :51=8:08谷村町.タクシー¥3.140
       =8:30フイッシング鹿留釣場.鹿留林道ゲート:40.

     jr御茶ノ水駅ホームで長塩と合流し.富士急谷村町駅(やむらまち)に下車。中央線の高尾までは厚い積雲に覆われている。
   今にも雨雫が落ちそうな空模様の中.小仏隧道を潜り相模川沿いに入ると雨雲は途切れ.薄日が差しだすようになった。

     今年は春先の気圧配置が少し可笑しな低温が続き.又時折信じられぬ暑さにもなっていた。気温の折れ線グラフは激しい山を作っている。
   上野の山の桜は大分前に開花するも留まり続け..少しずつ咲き.今日満開を迎えた。

     山里では桜の開花が少しずつズレ.遅れているのは当たり前だが.東京でも遅れ.山里では早めに咲き始めると共に一気に桜は満開を迎えていた。
   jr相模湖・藤野・上野原・四方津・・・大月と。各々の駅舎周辺の桜は7分咲きから満開へと一斉に鮮やかに飾り立てられた。
   柔らかな暖かい陽差しに照り付けられ.春の風物詩.花見の季節が.東京から山梨県と繋がり一度に訪れる。

    鹿留発電所
     谷村町駅前よりタクシーに乗っている。予約者と間違えられたが運転手の気が利く手配で都留市からの配車が直ぐ現われる。
   車中で山梨に住む彼の山仲間からメールが入いる。鹿留水力発電所周辺の桜が見事だと。

     駅から桂川沿いに国道139号線(御坂みち)を下り.桂町の鹿留入口交差点を左折して.県道713号線・大野夏狩線に入っている。
   直ぐ右窓からは鹿留発電所が見上げられていた。今彼の友からの電話で聞き望む水圧管を囲む満開の桜. 新鮮な言葉に心が踊らさせ納得する自分.
   なるほど車窓から覗くと水圧鉄管の両側に広がる桜並木が鮮やかに映されていた。急斜面に飾られた桜は壁画のよう描かれ咲き競っている。

     鹿留水力発電所の敷地は広く.高みから一気に落ちる1本の太い水圧鉄管と長い放水路が特徴。
   水圧鉄管の周りには樹齢80年近いシメヨシノ300本の並木で被い.この時期は桜一色になる。都留市の観光スポットにもなっている。
   鹿留発電所は古く最大出力18.400KWで明治44年10月起工.大正02年06月竣工.引き込み線に東桂線1回線の送電線がある。

     その東方に熊野三社権現神社が位置し.146段の石段の参道を持ち.途中には根回り11m.樹高35mの大杉が聳えている。山梨県銘木誌より
   杓子山北尾根に乗る倉見山1256.2mと末端には238号鉄塔が建ち,倉見山への登山口がある。

     長泉院を見送ると今度は県道の反対側に.今宮神社が建立されていた。
   和銅2年(1368年)に創建され.境内にはケヤキの根回り9m.樹高30mの巨樹がある。都留市指定天然記念物

    林道鹿留線
     その先が砂原.林道鹿留線に入り.フロントガラスからは鹿留山北尾根の末端尾根が一面に枝尾根を扇状に広げ.我々の所まで迫っている。
   山腹には送電線西群馬幹線の241号の巨大鉄塔が驚くほど大きく臨まれた。

     タクシーは北尾根の山麓を巻く込むよう鹿留川左岸沿いを遡っている。
   大山祇神社を過ぎて.暫くして見逃してしまいそうな小さな赤い鳥居がある御正体神社を右手に見て.通る過ぎていた。

     地形図「都留市」の658m点の直ぐ北側の神社記号が御正体山。その直ぐ先に最近では珍しく釣人に人気のあるフイッシング鹿留釣場にでる。
   路肩は駐車する車で林道を狭め.閉ざされた林道のゲート口(12月〜4月末まで通行止)の起点までまで続いていた。

    鹿留林道のゲート
   鹿留川左岸沿い.8:29
   ゲート前方の看板.道標類の右の谷間が北尾根へ通じる巡視路ある

    鹿留釣場,林道ゲート8:40一9:25小尾根上:40一10:05小:15一10:25送電線244号鉄塔:35一10:05尾根合流地点
    一11:15小:25一12:25ジャンクションピーク.

     ゲートとなる林道脇の戸沢(ネズミ沢)右岸に湧水があり.巡視路の取り付きがある。地元の人が4L入りの焼酎大五郎のポリを何本も持ち現われた。
   このポリは一昨年.飯豊山で小屋番に借りたので覚えていた。水道の水と偉く違う美味い水だそうだ。
   戸沢は直ぐ先で伏流しゴーロ状の窪溝になっている。「ここから鹿留山へ!」の言葉に.「大変だぞ〜!」と言葉を掛けられた。

    林道
     鹿留入口交差点から大野夏狩線を約3kmに入り.鹿留オートキャンプ場を過ぎると1車線の未舗装になる。
   その約200mほど先に林道鹿留線がある。右手の「虹の木橋」に入る細野鹿留線を繋ぐ林道。鹿留川沿いの道先にゲートがある。

     舗装が進み未舗装区間は1.8km.途中幾つかの枝分かれするピストン林道。右手に別れる林道前ヨリ線は約2kmのダートが楽しめる。
   二十曲峠では富士山のビユーポイントでPとキャンプができた。石割山まで徒歩1時間弱.
   この峠から右手の立ノ塚方面に向うダートの林道が延びているがゲートで先は行けず。下りは舗装で忍野村内野の広い畑にでる。11下旬〜4月下旬通行止.

     県営林道細野鹿留線は起点都留市大字鹿留. 終点大字大野を結ぶ林道で延長7.941m.幅員3.6〜5.0m
   御正体山登山口付近からの県営林道鹿留線は鹿留から忍野村と都留市の間を結ぶ林道。延長9.511m.幅員3.6〜4.0m
   林道忍野村営鹿留線は内野から二十曲峠へと向かう林道で延長3.356m.幅員4.0mでどれもが完全舗装になる。

    杓子山と鹿留山
   256号鉄塔基部より・・2008年.12.29/14:35

     鹿留山から広がる忍野村北面の山並. 鹿留山に背が並ぶのが杓子.鹿留山の右後方が三ッ峠山
   左中央鞍部が二十曲峠.中央の低い山が加藤山.その先が立ノ塚峠で最高峰の子ノ神から直ぐ鹿留山。ガゴヤ山に建つ西群馬幹線の鉄塔基部より.

    鹿留山北尾根・・244号鉄塔尾根
   鹿留川対岸のハガケ山より・・2012.12.20/10:30

      鹿留山の各北支尾根に建つのが西群馬幹線の超高圧鉄塔群・・藪絡む244号鉄塔基部基部からハガケ山は朧に見えていた。
    2年後の春.細野から大沢右岸尾根を北上しハガケ山に立ち.鋸刃から文台山を経て930m圏峰・尾崎山を越えた折.撮影する。

      244号鉄塔尾根へ斜上
     9:20
    224号鉄塔のある尾根の西側の沢沿いに入り込む.9:08

    迷う出合
     ルートは242号鉄塔の基部に出る予定でいたがとんでもない先への旅となる。調べたルートとは異なるルートを歩む。
   鉄塔巡視路が巾広く確りしているにも係らず.地形図の破線路を行かず.戸沢を遡ればよいと入ったことが全てを変えてしまっていた。
   本来は標高770mで涸沢の右岸に渡り.770で再び左岸に戻る山径に入っている。左に243号鉄塔.右に242号鉄塔との分岐にでて右手の巡視路に入る。

     真新しい赤布のマーキングが枝に吊るされ幾つも目立つ形で示されていた。出合から徒歩5分ほどの場所だった。
   作業道に入ると傾斜を増し.右手に埋まる小さな堰を見る。それを確認し踏み跡は右岸.左岸へと登って行くと思われた。
   ただ扇状に広がる小沢の出合付近の地形がはっきに呑み込めずにいた。小沢を離れ確りした小径は隣りの沢へ入り込んでいた。

     巻き過ぎてはと古い赤布を見付けると細い小径があり.右へ回り込んでみる。確りした谷間(戸沢左俣)だった。
   崩れた黒い強化プラが埋まる階段があった。この巡視路は元の小沢へ戻ると考えられる。ただ後で思えば出合で対岸の尾根へと1本間違え入っている。

     本来の尾根と間違えた尾根の各々の末端が同じ河原に落ち.山懐に入るに従い膨らみを持ち.ジャンクションで又1つに結ばれていた。
   242号鉄塔尾根との間に2つの小尾根があり.その1本の北寄りが243号鉄塔尾根になる。
   1/2万5千地図の244号鉄塔の北側558m地点に落ちる尾根と鉄塔から130m程登り北北東側に延びる枝尾根の谷間に入り込んでいた。

     私達に誘われるよう先程タクシーを予約した男女5人パーティが後を付いてきた。ただ踏み跡に迷い場所が判らないでいる。
   初めは243号鉄塔尾根に間違って入ったと思っていたが分からず。沢底の傾斜が増す所までは赤布があった。

     その先はアゴの出る急斜面に谷間は荒れ崩れ.枝木に閉ざされていた。対岸の小尾根に登った方がよさそうだ。
   谷間で動けなくなる。深い落葉にずり崩れる足元。立木に寄り添いながら.疲れ馬力のいる尾根は乗れば如何にかなりそうだった。
   歩き始めて1時間45分.小尾根上にでた。追い付いた後続パーティと共に1本取る。

    小尾根
     踏み跡がある。彼女達を先に譲り.2人だけの山旅を味わう。気合のあった女子軍団は馬力もあった。皆山慣れしている。
   男子1人リーダーも落ち着いていた。全員が私達より若いが高齢者のぶるいで.道に迷えば各々が探す気力を持つている。

     尾根上に立ち,踏み跡は確りするも.殆ど歩む人のない尾根。赤布は途切れ落葉積る踏み跡が続く。
   踏み跡は浅く薄い.ぬかるみ崩れる径。径というより踏み跡残る径。ここも巡視路と思われるが辿る人は少ないようだった。

    枝尾根から支尾根へ最後のツメ
   岩壁に先を塞がれ右へトラバース.10:14

     1本取り.右手の谷間から入り込む踏み跡と合流した。ここには古い赤布が枝にぶる下がっている。
   尾根はやや広がり枯葉重なる尾根径が続く。右手の谷間を越え一直線に繋がる鉄塔が2基臨まれた。243号鉄塔と242号鉄塔だろう。
   この244号鉄塔尾根に間違いないがツメ近くになるも定かではなかった。

    244号鉄塔尾根
     そこからほど近くで尾根を塞ぐ大岩壁に突き当たる。頭上を見上げると送電線は私達の真上を走っていた。
   迷う場合は送電線の位置が素晴らしい威力を示してくれていた。大岩壁を左へヘズリ.高台に立れば僅かに下る目の前に鉄塔が現われた。

     藪で分かりずらいが50mも離れていない距離に西群馬幹線244号鉄塔が姿を現わしていた。不意の出現と大きな鉄塔.
   初めて磁石を取り出すと方向は間違いなく244号鉄塔を示している。

    後日の調べで
     第3番石像から244号鉄塔を直する場合は露岩が多く胸突く急登。鉄砲登りで岩場を回り込み.760mで一旦登り切った感じになる。
   そこから西北西に向きを変え.800mで右後方から尾根が合わさり.暫く歩き易くなる。
   910mで大岩の間を抜け.先が怪しくなるとテープを追いカヤトの中の244号鉄塔の基部にでられた。

     又第4番石像から245号鉄塔の巡視路が延びている。巡視路用階段が続き1033m点で245号鉄塔が建つ。
   わずか先で244号鉄塔への巡視路が分かれている。固定ロープが頻繁に現れ.石ゴロの沢を横切る際,先が不明になるが階段を追うようなる。
   後半は斜面に大岩を見ながら標柱「左上243号.後245号」にでる。僅かに下った所に244号鉄塔が建つ。

     244号鉄塔尾根に立つ
    
    枝尾根合流地点.鉄塔の背は文台山(大野山).10:17  鉄塔を見てその基部.尾根に立つ.0:30

     改めて臨む巡視路. 落葉に埋もれる黒色の強化プラで造られた階段が崩れ埋まる形で足元に覗まれた。
   この辺は刈り払らわれているように思われる。細い尾根が続き.落葉の枯草径は相変わらず深い。

     左手に御正体山の南側の頂稜に突き出した256号鉄塔がはっきり望まれた。一昨年の暮れ彼と2人で御正体山を越えて.
   こちらを望んだ地点である。左手には御正体山から延びる峰宮跡の尾根が手前に迫り.鋸刃尾根の荒々しさを見上げるようなる。
   霞むも地形図には表示されぬ鋭い稜の起伏を現わしていた。

    御正体山
   後方は鹿留林道.10:35

     10時40分.初めてひと間の隙間から鹿留川側の全体像が薄くなった冬木の樹間を透し眺められていた。
   送電線西群馬幹線が鹿留川を渡る248号.249号鉄塔も認められる。その先には御正体山から山伏峠に至る鉄塔も.雲を切るよう見上げられていた。

     先程臨んだ2つ鉄塔と今見る2つの鉄塔から考えると244号鉄塔に出たのは間違いないと確信する。
   ちょっとした裾野に掛かる里道の判断の違いが登る尾根を変えてしまっていた。

   石標」と補石標
    

     境界を示す小さな石標が目立つようなる。「103補石標」10:34に「101石標」10:40・・と。
   南西に延びる尾根を綴るにつれ.間隔を狭まめ数多くの石抗を幾度となく見るようなった。歩みながら考えるもナンバーの基準は判らない。

    243号鉄塔
   桂川と鹿留川の河原.10:49
    砂原.鹿留.東桂.谷村の街並

     243号鉄塔からの尾根と合わさって1本。静かな尾根だ。入山最初の取付きからこれ程大きく迷うのも初めてだった。
   彼には悪いことをしている。運よく悦ばそうと思った山行が悪くしていた。

     全く末端近くからの藪尾根。枝木に絡む荒れ藪はないが小尾根を越えた踏み跡を詰めてきた。
   逆の下山路ならば我慢もできようが彼の心境を聞くのも野暮と黙っている。藪は藪道.登山道ではないと云うだろう。
   彼も御正体山から見比べれば高度差でジャンクションピークが真近とは判っている筈だ。

    冬木の枯葉尾根
   1078m峰の尾根との合流地点コブ

    1078m峰
   243号鉄塔がある尾根との合流点.11:00

     傾斜が徐々に落ちてくる。そして東側の尾根に合わさって.緩斜面の尾根になる。もうジャンクションピークも近い。
   ただ緩くなっても深い落葉とぬかるみは変わらなかった。イノシシの掘り起こし場が益々多く見る。

      ジャンクションピーク
    
   恩賜石標148の境界見出し標.11:55            ジャンクションピークの立木.12:20

     山梨県の圏有林と「恩」と刻まれた恩賜標柱. 「県有林の基となったのが、明治44年に御下賜された御料林(ごりょうりん)です。
   明治末期に相次いで発生した大水害は.県民の生活を大変苦しいものにしていました。

     明治天皇はこの窮地を知り.県の復興に役立てるように県下の御料地(ごりょうち)のほとんどを山梨県に御下賜されました。
   現在でも県有林は恩賜林(おんしりん)の名で呼ばれています」とあります。 で、柱石の「恩」は恩賜林の「恩」。山梨県にしかない境界標です。

   ・・「奥多摩尾根歩き」氏の北方川西尾根に乗せられた「恩」につき.記載させて頂きました。「山梨県の県有林」

    ジャンクションピーク
   1584mのコブにでて.12:22

     12時半.ジャンクションピークに立つ。予定していた242号鉄塔尾根からの長い尾根とぶつかった。
   この尾根は合流点までは高度を低く抑えられていたが.ここで一気に登り詰めていた。
   初めてのコブがジャンクションピーク. 我々が登ってきた尾根の方が主尾根に思えるほど立派な尾根だった。

     杓子山,鹿留山北尾根ルート図
     鹿留林道ゲートから鹿留山北尾根・・R.富士急沿線の桜満開と244号鉄塔基部
     異色の景観の鹿留山と杓子山・老樹林と原野