シラビソの森と荒涼とした台地・・更に40年の月日で成長した灌木帯を抜け.吾妻連峰を更に南下
  変貌した弥兵衛平小屋から東大嶺を経て烏帽子岳・家形山へと綴り一切経山を越え.人形石と浄土平へ

   新高湯温泉―人形石から弥兵衛平小屋
   東大嶺から一切経山・浄土平・・寝坊で遅れた出発と中秋の日本晴

    雄大に広がる東大嶺
   小屋前の明月池畔より懐かしい風景.7:57
    右上.西斜面には昨日歩んできた人形石からの縦走路があり.木道を左手に回り込めば東大嶺手前を迂回して東側の稜線にでられる。

     10月08日(sat)晴一時雲
       弥兵衛平小屋7:50一8:45谷地平分岐:55一9:40小:50一10:30小:40一11:00烏帽子山:05一12:00姥湯温泉分岐.大:50
       一13:55五色沼鞍部14:05一14:35一切経山一15:40浄土平.

     頂から手前の湿原に延びている尾根を下れば冬期ツァーの栂森へのルート。ここは顕著な非対称山稜になり.尾根末端は板谷峠(峠駅)にでる。
   1967年02月偵察の末に尾根西ガレの縁を滑り.旧明月荘泊りで峠へ下っている。偵察では例年栂森山に雪洞を掘っていた。

     5,6,7の出発で遅くとも5時半の起床が6時になる。小屋の窓からは昨日とは打って変わり.朝の眩い陽差しをサンサンと浴びている。
   差し込む陽光が寝床を明らめ.室内に照り付けていた。外に出ればこれから登る東大嶺の大きな山稜が早く来いと呼んでいる。
   昨日の暗い陰惨な灰色の霧の世界からは想像もできぬ明るさが漸く澄み切り渡る蒼空を生み出していた。

     炊事する間に昨日遅く訪れた単独行の彼は小屋をでている。焦る気はないが朝の素晴らしい時間が逃げてゆくのが勿体なく思えた。
   私達も早々に部屋を片付け出発したいがガンと起きぬ先輩。昨日は13時過ぎに小屋に着きゴロゴロしていただけだが起こすのを諦める。
   彼女に促されても無視続けている。炊事を始める気にもならず私は外で彼が起きるのを待つ。

     彼の言葉は「走ればよい!」とのこと。何故だか分らぬが彼女が可哀そうだった。2人だけなら如何にもなろうが。
   「朝のウトウトしている気持が何と云えず心地よい」と。彼女と阿吽で待つ身.の時ばかりは無言を通している。彼女を喜ばすための旅だそうだ。
   如何したのだろうか? 先輩とは云え呆れるばかりだった。

     大分陽は高くなった。気を取り戻し分岐までシラビソの樹海を縫う木道を歩む。所々で木目に樹液が漏て.滑ることこの上もない。
   樹林の開けた先に弥兵衛平の湿原が広がり.又人形石を背にした藤十郎平の広大な台地が見下ろされた。
   覆われていたガスが切れ.もたれていた雲もすっかり取り除かれた。雲1つない晴天に恵まれる。

   明月荘付近から栂森方面に広がる湿原.8:11

    東大嶺
     灌木樹林を綴る壁の山道から頭上を見上げると蒼い天空は更に開かれ.一気に東大嶺へ。窪溝のようなゴーロ状の根の絡む径を登る。
   山頂への分岐があり.登る間もなく頂に立つ。狭い空間の頂は視界を閉ざす灌木に囲まれていた。

     2度目になる頂. ツンドラの大きな丘のような頂に立った昔の山頂からは想像できぬほどの違った風景を見せていた。背丈を越す灌木に被われている。
   四方に眺められていた眺望は見えぬ姿に変わり.東大嶺からの壮大な台地は眺められず.45年の差が灌木を育てさせ.違和感を感じさせられていた。
   積雪で今は全てが埋まる頂ではなくなっていた。風雪が雪積もるも吹き飛ばされ.小さな露岩が臨める頂だった。時代が全てを変えさせている。

    シャクナゲ
     東大嶺を越えると山道の両側にシャクナゲが目立つ。後日調べたところヤエハクサンシャクナゲと呼ばれ国の天然記念物に指定されている。
   無論この時期的に花を見ることはできないが一見してみたい花になる。

     木道は谷地平の分岐まで続き.ここで1本取った。南面に見下ろす谷地平は背稜から東吾妻山.中吾妻山と四方の山々に取り囲まれ.
   吾妻の奥懐にある湿原を創っている。ここから見る谷地平末端の大倉川は両脇には鋭い廊下が築かれ顕著な姿で見下ろされた。

     その谷地平から裸土の小径を登ってきた単独者に出会う。
   昨日は風雨強く一切経山からの縦走を諦め.浄土平から酢ケ平を抜け谷地平で1泊。私達が宿った明月荘にこれから向かうそうだ。

    吾妻連峰北東部に連なる山々
  
                                                       東大嶺東側の湿原より.8:36
     ここから望められる展望は1966年2月から2月になるとスキーツァーのシーズンを迎え.10年近く通い続けた山々になる。
   合宿に個人山行・又は現役に合流.会えずに野宿したこともある。RHCとしては20年近くなる。

    RHC
     クラブの初代が初めて五色温泉「宗川旅館」に宿り.毎年繰り返されたツァーはその行動範囲を山から山へと広げてきた。
   当時はスキー場脇に皇族の館があった。最初は鉢森山にも登れなかったことを考えるとその後は五色と家形ヒュッテとの2ケ所を起点に
   素晴らしい我がクラブの開拓と数々の記録を残している。

     ヒュッテは一時県の委託を受け.高湯温泉観光協会と合同でヒュッテの管理・修繕を行っていた。
   私も先頭に立ち通ったこともある。今回はその回想の山行にもなっていた。

     分岐裏から下る径.漸く吾妻連峰北東部の山々が姿を現わしだす。今朝は四方何処を見ても展望はよい。見詰めつつ歩む正面がこれから綴る山並。
   手前は1860m圏コブ.右側から左奥にずれて昭元山.烏帽子山.家形山が霞む並ぶ。先は一切経山と東吾妻山
   雨上がりの紺碧の蒼空がその上に広く開かれていた。広過ぎる天空があり.これからその一番高く見える一切経山の裏側の浄土平を目指す。

   昭元山.烏帽子に繋がる山々.8:35

     ここは吹雪になると大変な所.又なければないでホアイトアウトになる地点。又先に樹林帯に入れば樹氷に覆われ.
   深いラッセルに悩まされている。そのため偵察では赤旗とベンガラを活躍した。

   樹林帯に入りヨシアブラ? 頭だけ枯れた葉が残されている.9:39

    更に近ずく懐かしい山々
   昭元山の北肩より.10:00
    烏帽子.ニセ烏帽子.家形山. 右に並び一切経山.前大嶺.欠ける蓬来山.

     ぬかるみの径
     ここから縦走路は吾妻山らしい平原状のぬかるむ藪漕ぐ難路が家形山まで続いている。
   連日南下しては北上を繰り返した秋霖前線が山懐を被い.ぬかるみの径を延々と創りだしている。そこを歩かされていた。
   ぬかるみに確りした足跡を見る。今朝明月荘を発った彼の足跡だろう。

   昭元山頂.10:00

    懐かしい山々
     地図を読むより深く感じる下り道が昭元山の鞍部まで続いている。
   昭元山手前で1本取り.樹海に包まれた平頂を過ぎる烏帽子山にでる。西大嶺は望めぬが西吾妻からの山々が綴られていた。
   人形石からは先程登った東大嶺の大きな裾野を綴ると手前にはコブのような昭元山が現れる。

     ここから東大嶺に至る景色は見覚えがあった。雪原化した昔その間々の景色が映り出されていた。
   兵子から烏帽子山への樹氷を福島県側を絡め抜けていた。そして雪と氷のはび込むツンドラの大地をシールをかませ歩んでいる。

     兵子では吹き溜まりが多く.前日の偵察で付けた赤旗や赤ベンガラを目印に東側を巻き.烏帽子を巻き込んで前方の東大嶺を目指していた。
   東大嶺の広大な大地に荒れだした烈風.シュラブカを割り進んだ僕等。もう東大嶺への縦走は手中にあった。

     薬師森と大日岳
   昭元山北肩から.10:10

     薬師森と右後方が高倉山
   薬師森と大日岳との間の谷間には姥湯温泉があり.薬師森の左谷間には滑川鉱山がある。
   中央奥に霞む高倉山. その裏が五色温泉.右側が賽ノ河原になり.更に東北本線の北側奥が鉢森山になる。
   左上に霞む尾根が東大嶺から栂森越えての峠に至る尾根.

     昭元山の裏側に回ると更に間近になった家形山に続く一切経山の山々が一回りも.二回りも大きく望まれた。
   雪氷の世界とぬかるみの世界とどれもが同じ大きな山だった。天を仰ぐと山上には早くも白雲が湧き始めている。

   稜線上には米沢市側の道標が立つ.10:12

    ナナカマド
     木道を被う樹林帯はまだ緑多い中.ナナカマドだけは紅色鮮やかに染まり.目を惹きつけさせている。枝一杯に実を付けていた。
   ぬかるむ藪に綴られる登山道の小径。笹が被り閉ざされば根曲りが径を塞ぎ.そこを跨ぎ潜り抜ける径。
   背を曲げた姿勢で見上げると時折藪に絡みに真っ赤に染まる枝を見る。目立つ紅の強さ.それは常にナナカマドだった。

   灌木の狭い縦走路から仰いだニセ烏帽子岳.10:18

    烏帽子山
     11:13
    藪の切れ目から仰ぐ烏帽子山.10:18       烏帽子山の小山しか読めぬ古い山名標

   烏帽子山手前から中津川河口の展望.10:39

    烏帽子山からの眺望・・中津川流域
  
                                                   昭元山と烏帽子山の鞍部で.11:05

     中吾妻山と西吾妻山に囲まれた湿原。右手前が東大嶺からの継森.奥が西吾妻山から連なる姥森,
   左手が中吾妻山を越えた裾で.霞んで見えぬが遠方は秋元湖。過って先輩と米沢の高湯温泉から入り.西吾妻山から秋元湖へ
   抜けることを企画したことがある。その折は地吹雪に遭遇し.頂に立つも諦め下山した。

    並ぶニセ烏帽子山と兵子山
   11:18 

     手前は丸いお椀型のなだらかなニセ烏帽子山と兵子山.重なる上が家形山・大きく望める昔シールを付け歩んだ山々。
   右奥が一切経山.手前に見えるのは前大嶺と東吾妻山。

    ニセ烏帽子山
   11:18

     ペースは間々よい。彼女も頑張っている。ただ一日2本しかない浄土平の乗合バス。最終バス15時40分発に乗るにはスレスレの時間になっていた。
   彼女を休ませねばバテて動けなくなる。ニセ烏帽子山を越えた鞍部の姥湯温泉への分岐で大休止した。何か食べさせねばと。

    兵子山
   泥だらけになった新調の登山靴.12:46

       兵子新道入口で大休止
      
    姥湯からの最後の壊れた道標50/50と径を挟んだ道標.兵子新道分岐.12:50            又直ぐ東脇に現れた堀田林道入口.12:56

    昼食
     径筋は何処もぬかるんでいる。分岐にでて周りを探すも切りがなく.気休めに笹葉の多き所で腰を降ろした。
   素早くコンロを点け.素麺のような棒状のラーメンの麺を茹でる。

     具は沖縄産ソーセイジと長ネギ.一昨日吾妻屋旅館で朝食にでた温泉卵を加えた。その炊事の間に彼女は少し寝たようだ。
   彼女に食欲もあり安心する。ラーメンも思いの他美味かった。大勢で小さなコッヘルを利用せねばならない場合は素晴らしい食材になる。

     1人と異なり早く勧めた積りがパッキングするまで40分を費やした。その上カメラマニアの登山者が現れ,会話で少々止められた。焦ることはない。
   ただ遅い出発は初めから時間を追うようになってしまっていた。まだ時間はあるが機敏に物事を進めるべき心構えが大切になっている。

    新しい登山靴
     直ぐ滑川温泉への分岐を過ぎ.足の動きも軽やかになる。ただ泥沼の難路は続いている。時折笹が径を隠し.
   明るく広がる空間は泥溜りの径が続く。飛び石伝いに上手く行く所もあれば泥沼に踏み込まねればならない所も多々あった。
   相変わらずの泥道に新しく購入した登山靴が少々可哀そうだった。スパッツは昨日彼女に貸してしまっている。

    懐かしく大きく見える高倉山
   兵子北面から.13:00
    高倉山・・立教ルートの稜線.山腹を巻き頂に突き上げるのが慶応ルート・・一度後輩がスキーで切り表層雪崩を起こしている。

    昔のイメージと変わる家形山
   前方が滑川温泉.高倉新道分岐.13:20

   家形山の肩で見た「五色温泉.東大嶺.一切経山」に至る高倉新道へ.13:30

    家形山
     家屋の屋根を思わす家形山は森の中.道標がなければ何処が頂だか分からない所だった。
   吾妻の山々は標高2000m近くの頂を持つも何処も樹林に覆われ眺めはない。幅広い山稜に火山の古い土壌が積もり.根を張る条件が揃っている。
   そして冬ともなると深い積雪とそこに突き出すツガの大木は西風に叩かれ.常にスノーモンスターに変身していた。

     東肩でT字路にぶつかった。初めて五色温泉の文字が読み取れた。昔の通いなれたルート。舗装されたような確りした山径になる。
   南側肩にでて五色沼を見下ろすと対岸は既に高曇になった重い空を隔てられている。黒ずむ一切経山が姿を現した。

     ここが昔のスキーデボ地点,家形ヒュッテから一切経山へのルート。荒天の場合はここで家形ヒュッテなり,五色温泉に引き返している。
   クラブの歴史をそのまま刻み込んだ径だった。常に春期ツァー合宿は五色温泉にベースを設けている。初代は高倉山も登れぬ時代から始まっていた。

     準備山行,偵察を繰り返し.一切経山に登頂するまで5年掛かり.7年目に東大嶺への縦走を成し遂げている。
   一切経山から東吾妻山へも前大嶺経由で立っている。その時は地吹雪からホアイトアウトに遭遇.厳しくなった山行だった。
   慶応大W.東海大Wと競うことなく.その先にスキーを滑らしていた時代でもある。

     ただガンチャンの雪崩で家形ヒュッテを失ってからは遠のくようなる。県,高湯温泉組合からの委託を受け,我がクラブが管理し修理していたヒュッテ。
   それ以後から合宿は行われていたが,今はこの地域から現役が離れてしまったことが今更ながら残念に思われる。
   家形ヒュッテはその後,家形避難小屋として建てられたが.径は廃道化している。県は新たに建て替えの避難小屋を模索中・・ヒュッテ平面図とその歴史

    顧みる昭元山と重なる烏帽子.ニセ烏帽子岳. 右の鞍部が昼食場所と兵子.手前は家形山からの裾
   14:16
    五色沼から一切経山の登りで

     今まではシラビソ.コメツガ等の針葉樹林帯と湿原の山々を越えてきた。この先は低い灌木帯の森林限界を持つ
   荒涼たる砂礫帯と這松の大地になる。形成年代後の山々が東吾妻.磐梯へと続いている。
   それにしても五色沼に下ると空は一変し.雨雲に覆われ真っ暗闇になった。

     五色沼と一切経山
  

    五色沼.13:39
     小粒の雨が舞い始め風がでてきた。湖面は濃い藍色に染まるさざ波とは違った.小刻みに窪む溝を造る不思議な波紋を見せている。
   まだ紅葉には早いが手前北西側の湖畔斜面は紅葉に染まった.その中を下る。そして湖畔を右に巻き込めば最後の登りになる。

     一切経山を見上げると重く垂れ込んだ雲が天上を覆わい.山陰になった山稜との間に白い隙間の空間を走らせている。
   その境の雲下の岩稜に登山者が立つ姿がこの遠方からでも.小人のよう小さいがはっきり望まれた。

    一切経山越え
     彼女の忍耐力は凄い。ペースがやや早くなる。登りでも足がよく動いている。灌木帯を抜け荒涼とした山肌の台地にでる。
   今も噴煙を上げる一切経山. K先輩の希望はこの頂で「ガンバレ節」を怒鳴り.レモンを齧ろうと考えていた。

     「ファイト!」,.「立教!」と掛け声が大地に響き渡らせる積もりが時間切れ。頂での「ガンバレ節」は残念だが次回に延ばしてもらうことにした。
   浄土平から15時40分発最終バスがでる。それに間に合わせねばタクシーになる。それも呼び出しに1時間以上掛かる。

     山越えで人多くなり.ガレキ火口礫帯の幅広い山径を歩む。左手には優美な姿の中央火山丘の火口が大きく目立ち,吾妻小富士を見下ろされている。
   周囲1.5kmの周囲には点々と人の群がり山上へ登っている。蟻の如く人の影が望まれる。何処もが懐かしい風景だった。
   思い綴る風景が次々と押し寄せてくる。

     そしてやや南に火山丘を巻き込むと酸ケ平の先に火口原湖の鎌沼が姿を現した。火口岩礫の緩やかにうねる大地が延びている。
   手前には酸ケ平の平原端にある酸ケ平避難小屋も見下ろせるようになった。

    鎌沼と酸ケ平
   湖畔右上が前大嶺.14:52

   左下に小さく見える酸ケ平避難小屋.14:56

    酸ケ平避難小屋
     下ったこの山小屋も新しい。入口から室内を覗くとコの字に50㎝程の板の間が敷き込まれ.横に寝袋に入っている人がいる。
   昔.一切経山から東吾妻ツァーの帰路.ルートを失い浄土平へ下りてしまったことがある。地吹雪に遭いルートが判らず.急に私がリーダーを任された。

     視界0.家形ヒュッテまで鎌沼へ向かうか.スカイラインを下るか迷う? そして磁石と地図.自分の足を支えに風雪に立ち向かい鎌沼に下りた。
   鼻水はツララになり凍る髪の毛に固まる顔。眼は開けられず2m離れると分からなくなっていた。

     隊が離れないようリーダーをラストに付けさせ一歩.一歩に長い時間を費し前進したと思う。そして偵察の折.立てて置いた
   赤旗を鎌沼で見付け.小屋にでてホッとし小休止した覚えがある。旧明月荘の如く小さな小屋だった。

    前大嶺と酸ケ平
   浄土平への木道.15:03

    テレビの反射板がある高山
   左下の河原が浄土平.15:10
    手前の台地が栂平.高山の裏から先は安達太良山へ繋がる

    1969年02月のルート写真
   浄土平から東吾妻と蓬菜山.15:29
    典型的な形成年代後の山肌

    酸ケ平小屋の端を抜け.昔のルートを横切り浄土平へ。バス止めに先発したK氏と合流.出発5分前に浄土平バス停に着く。皆さんお疲れさまでした。
       15:40浄土平.¥1.290=16:45jr福島.つばさ148号.¥7.990. 17:11=大宮解散=18:42上野.

    磐梯吾妻スカイライン沿い
     一切経山は2008年の噴火で前大嶺への頂稜は登山禁止.旧火口付近から今尚噴煙を上げている。帰路車内から観光案内が流れ.
   つばくろ谷の下流側に新たな橋が架かったと伝えていた。その直ぐ脇に賽の河原経由で旧家形ヒュッテへ向かう登山口がある。

     昔トラックに便乗し何度もヒュッテ修理や春山準備に通った登山口。
   家形山東麓には東海大緑樹山荘(旧青木小屋)と頂直下の家形小屋だけだったがこの道中の南に近年慶応山荘が建てられた。

     OBとなりK先輩と吾妻スキー場を抜け.家形ヒュッテに向かったこともある。風雪に負けビバークしている。
   その折,荒天で「止めて風呂に入れ!」と忠告を受けたのが高湯温泉協会の会長「ひげの湯」の親父さんだった。
   バスは高湯の温泉街に入り.直ぐ右脇に今は息子さんが経営する「ひげの湯」を見る。通い続け.風呂に食事と何時も御馳走になっていた。

    裾野
     信夫温泉を過ぎると県道70号線沿いはリンゴ園が多くなる。今年は震災の影響が酷く.放射線による被害は甚大だった。
   今年は諦めてもそれどころか来年の為.売れぬリンゴを丁寧に世話せねば来年はよいリンゴが育てられず自滅する。

     その県道の先に広がる田園では稲穂が寝た田圃を幾つも見ていた。如何することも出来ない自然の大きな力を改めて知り.jr福島駅にでた。
   磐梯吾妻スカイラインは3月11日の東日本大震災で今年の冬期閉鎖まで通行料金は無料となる。ただしバス路線の料金は変更なし.
   6時から20時半開通.夜間は通行止.山は全山天幕使用禁止.

     前半は紅葉の色ずきも薄かった。ぬかずみ続けた径.又タオルを使わぬ汗があまり出ぬ山行だった。
   少し昔について綴り過ぎた感がある。ただ懐かしさばかり滲み出ている。情景に楽しさも加わり.忘れえぬ山旅になった。

    管轄
     人形石から家形山までの縦走路の道標は米沢市のものが多い。営林署の標識も山形県.時折何故か秋田営林署の標識を見る。
   又人形石から東大嶺東側の平原状の尾根までは自然保護の保全がよくなされていた。

     鞍部から家形山までの山道はまだ不十分でぬかるんだ径が延々と続いていた。家形山に入り浄土平までは福島市の管轄に。
   形成年代後の砂礫帯が多く山道は整備されている。ただ淨土平手前のコースは初期に整備された間々で改修はされていなかった。

     入山に当たり.新たに購入した新登山靴とぬかずみ続けた登山道。皮製と汚れの取れぬ繊維の組み合わせの登山靴.
   新たに購入したスパッツは彼女に貸している。新登山靴に可哀そうな気もするが.これからは自分の為に使いことのする。シュラフも。
   兎も角.疲れた山行だった。もう一度と云われれば.2人で注意して出掛けるよう云うしかなだろう。情けない話であり.山行だった。

   09/26.登山靴(scarpaイタリヤ製).ゴアテックスライニング採用.ナイロンとレザーとラバーランド.#621M.カイラッシュGTX¥26.250.アートスポーツ
   11/17.ハングワ(ドイツ製)・・ゴアテックス修理とビブラム張替修理.¥15.300
   10/03.キャラバンスパッツM.無雪期用¥2.680.多慶屋

     新高湯温泉―人形石から弥兵衛平小屋
     東大嶺から一切経山・浄土平・・遅れた出発と日本晴