独占した頂きの雪面を踏む。
     都民の森から三頭山西峰に立つ。笹尾根の避難小屋まではややラッセルは深い。南東進し大沢山を経て槇寄山へ。
   雪面はあるか.無いかの浅くなった窪み状のトレースに埋まり.膝下のラッセルする硬雪の上に淡雪が薄っすら乗る雪面がが続いている。

     頂からのトレース.その一歩を踏むとビシと云う雪の締まる音と共に.潜るラッセルがトレースとなり築かれる。連なるのは私のトレースのみだった。
   雪面を切り奇声を上げ.更に深みを持つ中.大沢山を越える。

     東肩の西原峠から1001m点尾根伝いの窪溝はスノーホールの如く壁を創り.ボップスレーの如く一面の雪壁で埋め尽くされている。
   鹿柵を過ぎると裸土が現れだすも本の一部で.周りは雪.又雪の世界で.周りは白い外形を見るだけだった。
   原集落から次第に路面の融雪が始まだすも..乾きだして裾野まではまだ先に話。・・県道上野原丹波山線の阿沢入口バス停へ.街道の擁壁新設現場4

      槇寄山南尾根
     2016年02月. 数馬から都民の森.ムシカリ峠を経て三頭山笹尾根西原峠―槇寄山南西尾根.右又の1001m点尾根を下り郷原
     2024年10月. 初戸の偏盃東尾根から中群に立ち.更に西原峠―槇寄山南東尾根を登り.錫ケ窪右岸尾根を下り.鉢指沢から数馬

    数馬bsからムシカリ峠を経て三頭山西峰
    西原峠から槙寄山南西尾根を下降.郷原 ・・全て埋まる宝珠寺と「つね泣き峠」・阿寺沢入口bs

   三頭山南面の尾根
   牛飼尾根と長作尾根.12:32

       三頭山から槇寄山を経て郷原
     三頭山12:12一12:41大沢山一12:55「深山の路」分岐一14:25槇寄山一14:30西原峠一15:09鹿柵扉
     一15:26郷原バス停16:05一上野原丹波山線.郷原バス停16:05一16:25阿寺沢入口bs.

    甲武相国境の尾根・・笹尾根
     奥多摩湖の南西に聳える三頭山から笹尾根を東進した。山梨県・東京都・神奈川県の都県境界を連なれる長大な尾根。
   三頭山から大沢山.槇寄山.熊倉山.三国山.そして陣馬山から高尾山へ。甲武相国境を更に辿るなら南高尾山稜から城山湖北の初沢山へと続く。

     過って三頭山から高尾山に.又大戸登山口に至る尾根を末端まで歩んでいる。
   その走りだし.笹尾根伝いに西原峠までだが.初めて尾根南面の明るい斜面を下り.郷原の集落にでることにした。
   「平成26年の豪雪」時には高尾山で積雪1mを越し.交通機関の解除と共に南山稜をラッセツしている。

    大沢山(大沢ノ頭.椈山.ブナ山.大ナギタ)
   右前方が飯尾の里.12:41
    左手は三頭大滝に向かい大沢山東尾根(ヒカゲ三頭ノ沢左岸尾根)を落している

     大沢山1482mはムシカリ峠の直ぐ先にロングハウス調の避難小屋を過ぎると積雪で緩やかに盛り上がる小さな丸味を持つ頂だった。
   南面には3つの尾根を派生させている。南西に延びる中尾根は長作尾根の末端付近に没し.大長作川の二俣から築かれていた。
   踏み跡が綴られ長作尾根の登降には便利なルート。南南西に延びるのが大茅尾根。大茅で南尾根と分かれ.牛飼,飯尾に至っている。

     南東に延びるのが高尾山に繋がる笹尾根。もう7年ほど前になると思が再び山登りを始めた頃に継ぎ接ぎで綴った尾根。
   この山行が切っ掛けになり.その後は東丹沢の送電線巡視路から経路へと藪山を求め歩むようなった。

    ハチザス沢ノ頭(金山.蜂巣沢ノ頭)
   散策路「深山の路」と笹尾根の分岐.12:55

     ハチザス沢ノ頭.分岐を左に折れれば「深山の路」は尾根伝いに熊倉山を経て.都民の森に戻るっている。都民の森の境界ピークのようだ。
   前回訪れたのは8年前の8年3月. 初めて「都民の森」を訪れ.鞘口峠から三頭山の三峰を回り込んでいた。
   この時は都民の森から鞘口峠にでて残雪を踏みつつ頂に立ち.再び山登りを始めた喜びに.踏み締める残雪の感触を味わい春雪と戯れている。

     そしてここハチザス沢ノ頭が当時の雪線だった。ここから尾根沿いに岩混ざりの急坂を下ると一片の雪塊りもなくなっている。
   当時は奥多摩の概念を掴むため.笹尾根を東進し.高尾山までの企画を立て.雪線を踏んだが.今日は新雪混ざりの春雪に覆われていた。
   都民の森を離れると雪面は急にトレースが薄れ.数日前の壺足が薄い踏み跡に変わり望まれた。

   目立って見えた赤テープ.13:09

     午後のこの時刻になっても雪質の状況は変わらなかった。凍った湿雪に樹林の枝々に付く氷板棒は.今だ崩れずに付いている。
   朝方に比べれば確かに純白の白みは失われつつあるようだ。ただ保たれている。枝に触れればまだ水雫でなく雪片が落ちた。
   それも強く叩かねば落ちぬほど確り付いている。積った積雪も下層が氷り.深く潜ることなく.薄ら乗る処女雪らしき雪面を踏み付けている。

   13:10

     薄日が差し始め裸林の木洩れ日が雪表を照り付け.尾根上の台地は明るさを増してきた。又居心地よい雪と戯れている。
   頂からは擦れ違うハイカーもいず.新たなトレースを築き.昔の雪山のよいことばかりが連想され.心を踊らせていた。贅沢に雪粒に触れては楽しんでいた。

   13:20

     冷たく凍り付く雪の台地に腿下のラッセルを切っている内に「クメタチタワ」と記しただけの道標を見る。案内板は古そうだがはっきりしていた。
   後の調べては笹尾根の1173m点と1159m点コブの鞍部.1140mに立てられていた。古地図には「クメチタケ」とあり.東側が「カメ山沢」とある。
   「槙寄山」は「牧寄山」と。肝心の意味は分からないでいた。風に巻き上がる雪片も絵になっていた。

   「←三頭山・西原峠→」の道標.13:26

     積雪は間々あるものの.10日前の大雪は雪塊となりザックを置いても潜らぬ状況になっていた。
   雪面を素手で触れ.ひと塊りを握り絞めると.それこそ以外と湿り気の少ない硬い雪質の感触を持っている。

     槇寄山との1つ手前.1155m峰との鞍部に差し掛かった折.数分と短い時間だが急に細かな氷粒の雨が樹冠から落ちてきた。
   枝多い樹林帯のやや痩せた尾根. 逃げるわけにもいかず.毛糸の帽子に当るのが判る。
   丁度この先で.下山のコースを槇寄山の頂と考えようとしていた時だった。気温はそれほど上朝方から昇してはいないようだだった。。

     槇寄山の登りで重くなった足は疲労困憊になっている。ただ今回はそれほど肉離れを気にもせず.その兆しもなかった。
   それが左足を斜め上に踏み込んだ折.安心して力の分配が崩れたのか? 急に肉離れを起こしている。体が一瞬にして動かなくなる。
   両脚を並べたいところだが片足が雪穴から抜けられず.痛烈な痛みは抜けるまでジッと我慢するしかなかった。

     そう云えば前回の大桑山北東尾根を下っている時も最後の小さな登りで.チョッとした力の加減で右足に肉離れをもたらしていた。
   気を抜いている訳でもないのだが。ただ知らずして緊張感が抜けた所で起き..変に力が加わってしまったのだろうか?

    槇寄山
   3等三角点標石のある山頂1822.2m.基準点名は「千軒平」

     この頃から融雪が進みだしたのか? 槇寄山の登りからはチョッとバランスを崩すと膝下まで潜りだした。
   右足が入ると左足も潜る。陽気的には一番気温の高い昼下がり.気にすると潜ること潜ること。

     西原峠から下山することにした。ただ北面か.南面に下るかで悩む。北面は雪深く.下山ルートとして好ましいが檜原街道に戻ることになる。
   又見るからに南面の明るい展望の山腹道. 春雪を求めてきた割りに.下れば当然残雪は少なくなるだろう。

     ただ頂から見た感じの麓の集落は周りの森だけでなく.畑も河原も.まだまだ雪田化して見下ろされていた。
   又南面の帰路は往路と異なりjr中央東線沿いになる。日が傾けば麓は一層寒さを感じさせられるものの北面と比べれば楽だった。
   それでも冬期は日が傾きだすとアッという間に日没を迎えるだろう。初めて下る地区だと理由が付けては楽な方に傾く自分がいた。

    権現尾根と大寺山尾名手尾根・坪山東尾根
   逆光で霞む里山.14:26

    逆光
     槇寄山の頂からは眩い逆光の陽射しはあるものの.直射しての光。時より差す弱い日差しより.雪白き大地に反射する明るさの方が強い。
   南方面の切り開きに権現山や坪山.大寺山などを山座同定するも霞む空に逆光の光が.尚更.霞みを強くさせていた。
   右手前のコブは郷原の集落に下りる南西尾根. 西原地区が一望し見下ろすほどに河川や集落の輪郭は確り見届けられていた。

    西原峠
    
    新旧2つの道標が立つ.14:31                        西原方面が山梨県.郷原にでる

    槇寄山北東尾根2つのルート
     西原峠(郡内峠)から北面の檜原側に下るには槇寄山を越し.北西側から延びる槇寄山北東尾根(篶ケ窪左岸尾根)に乗り.
   大平分岐965mでる。ここで2つの支尾根を分け.北側に延びる尾根を下れば九頭龍橋を渡り.ハチザス沢出合付近の大平にでる。登り50分.
   北西側の尾根(篶ケ窪右岸尾根)は槇寄山の西側から下り.ハチザス沢側と南集落を経て.仲ノ平バス停に至る踏み跡とに分かれている。同50分.

     再び東京近郊の山々を登り始めた頃.上平峠(数馬峠)に登るため檜原.南集落から入っている。南沢の橋が崩壊し.尋ねたが
   入山方法が分からず.仲ノ平に戻り.地元の老人から昔の登山道を教わっていた。道標類は遠の昔に取り払われていた。
   その折は南沢出合から南秋川を渡り.数馬峠北尾根の948m点を経て.笹尾根1121m峰西方コブに登っていた。

    槇寄山の南西尾根に乗る
   檜原街道数馬と上野原丹波山線郷原を結ぶ峠路.14:39
    もう1つの西原峠は都県界尾根の佐野の南側にある旧峠路で松姫鉱泉に下りている。大月市長が改名した新たな峠名.

    下山.郷原
     西原峠から鶴川沿いの西原方面に下る。右後方へ戻るよう斜下し.陽当たりのよい南斜面をトラバースして.槇寄山の西側からの巻道と合わさり.
   槇寄山南西尾根に乗る。トレースはなかった。頂直下300mほどの山腹はカヤトの原. 驚くにこの斜面だけが融雪され枯草が茂っていた。

     この間々地肌を現し続けるのかと思うほど残り雪はなかった。それが南西尾根に乗った途端.杉の樹林帯に入り.
   再び深い残雪に覆われ.里まで続いていた。2日前のトレースだろう。薄く1001m点尾根通しも雪白く残されている。

    槇寄山南面
   手前の山腹を横切り振り返る・・槇寄山南尾根

     緩やかに南下する檜の樹林帯にトレースが刻まれていた。足首程度だがトレースから外れると下腿以上に潜る。
   振る返ると融雪した茶色化した山頂の南山腹に裸土の疎らに望まれている。先ほどのカヤトの斜面.その上に大らかに丸味を持つのが槇寄山。

     ひと下りで1070m圏から左側に延びる南尾根の分岐にでた。地形図「奥多摩湖」には尾根に乗る破線が記され篇盃(へはい)地区に下りている。
   このルートははっきりした踏み跡が付いていず.下るにつれ歩きにくくなり苦労したとある。誰の紀行文だか忘れたが記憶に残されていた。

     新雪が結構残り.一人では危険.残雪期なら雑木の混ざる尾根筋を下ればよい。県道.阿寺沢入口バス停の1つ初戸側の篇盃バス停にでる。
   今日は分岐の右手を選び.1001m点を通る南西に派生する西側の支尾根に乗っている。又開放的な展望が得られてもいた。

    大沢山大茅尾根と手前が大星沢左岸尾根
   大星沢流域.14:48

    小寺山と坪山東尾根(阿寺沢左岸尾根)
   落ち始めた斜面から見下ろす原.郷原の集落

     短い尾根の割に高度差は600mを越え.緩やかな斜面は次第にうねり.急激にジェットコスターの如く高度を下げて行く。
   日当たりのよい南斜面.全ての陽光を受けられるような急斜面を下っている。山道は溝状の窪地に綴られた歩き易いジグザグ道。
   過って古道の峠路があった。谷間の集落を見下ろしながら一気に駆け下りる。

    1001m点南東尾根
   低い灌木の西支尾根.14:49

   冬木の山肌と日を浴びる杉林に入る
    途中に道標分岐があった。右手に地図にない「原」への道を分けていた。又下部は林道とし郷原とも結ばれているようだ。

   集落も真近になったイノシシ除け柵.15:09

     急斜面に入った山道は下るにつれ.木洩れ日の明暗を強く受けるようなった。それに従い残雪の融雪も進んでいる。
   途中でアイゼンを脱ぐ機会を見付けるのが又難しい。落葉径に変わり.不必要と思われるも.うねり返す毎に残雪が現れ.
   付ければ楽に下れられている。

     残雪に足場を求める方が気を使わず早足になれた。中々決められなかったが丁度猪柵が切っ掛けとなり.柵扉を潜りアイゼンを脱ぐ。
   雨具のズボンを脱ぎ.ザックの背にアイゼンを引っ掛け.里へと山道を歩む。薄日の高曇の空に変わっている。

   尾根下端から郷原の集落を見下ろす.15:16

    原・郷原地区を取り囲む坪山東・北尾根と大星沢左岸尾根
   右景・・郷原上部からの展望.15:21

     手前の尾根は大茅尾根南尾根と重なる大星沢左岸尾根末端で.右中央の手前の盛り上がりを見せるのが原上部(高見?)になろう。
   又大星沢出合の崖のような高台には凛々しい一ノ宮神社が建立されている。右上の尾根越しにチラッと見えるのが大茅1237mから南支尾根。

     ほぼ中央の鶴川の対岸には坪山北尾根が大きく競り上がり.原へと延びるのが東尾根。裾の飯尾の集落は尾根の裏側でた辺り.
   坪山の取付きには御岳神社がある。背は鶴峠から三頭山に綴られる稜線.右上端は小焼山(笹畑ノ峰)で枠外の先は三頭尾根になる。

   郷原集落の最上部に入る.15:20

    坪山東尾根(阿寺沢左岸尾根)・・869mと995m峰.1034m峰
   中景・・阿寺沢左岸尾根の北面

     手前の小さな631m点の雪山は川畔手前に聳え.小高い631m峰があり.
   鶴川はその南縁を流れている。この小コブは原地区を取り囲むよう広がっている。

    「つね泣き峠」
     民家の間を抜け広い舗装道路にでて.急坂を回り込むと道路脇に馬頭観音などの幾つもの仏石が並び.急に宝珠寺の大屋根が現れる。
   宝珠寺はおつねと相愛になった坊さん香蘭が在籍していたお寺で.そう云えば西原峠から下って来た尾根上に奥多摩情話「つね泣き峠」の由来の
   案内板がポツンとあり.何故かと気にはなっていた。確か大茅尾根にも由来の案内板があった。「つね泣き峠」は三頭山ヌカザス尾根にある峠で難所。


     広く開けた墓地の右脇を抜けている。段々畑になり一直線に県道の向かっていた。
   右下の屋根はは宝珠寺で先に郷原の集落を見渡している。集落正面に入り込むのが631m峰北面の雪斜面。

     左肩から郷原.西原小学校前に下ると郷原バス停がある。更に里道から県道にでて下城を過ぎ.下り続ければT字路の阿寺沢バス停にでる。
   その先が西原・篇盃で田和で尾根を越すと県道は初戸川沿いに変わっている。

    西側から望む権現山北尾根
   左景.鶴川阿寺沢地区.15:19

     権現山北尾根と右手の坪山東尾根とに挟まれているのが下山予定の大寺山尾名手尾根。
   左下の麓に阿寺沢への分岐.T字路バス停がある。

    阿寺沢入口バス停
     左中段が741.2m三角点峰. 山上は中群.右山腹(南側)に回り込むのが鶴川本流。
   谷間には腰掛林道が綴られ.権現山北尾根の取付き地点がある。鶴川支流の初戸川出合で.バス路線と合流している。

     正面裾から鶴川支流の篇盃川が左手谷間を遡り.西原峠に至っている。篇盃の集落の東端は峠越えになる。
   下る源流が西原古道沿いの鶴川支流の初戸川。篇盃川出合直ぐ上流側に上野原丹波山線の擁壁工事中の阿寺沢入口バス停があった。
   今回は里に下りて.そこまで街道を歩み乗車している。

    鶴川流域
   左景のアップ・・15:55

     鶴川左岸沿いには腰掛林道が初戸を起点に腰掛・阿寺川の集落を繋いでいる。街道との分岐が阿寺川入口バス停.
   中群と坪山東尾根に挟まれている風景・・背の北尾根の末端は腰掛に落ち.手前の尾名手尾根の広く広がる末端は腰掛から平野田へと。

    大沢ノ頭からの大茅南尾根
   右上は三頭山手前の大沢ノ頭だろう

     大星沢(方屋川)周辺は原の地区に辺り.右端の尾根下端が大星沢左岸尾根。
   大星沢の林道を下った県道との出合角には一段高い台地に一ノ宮神社の境内があり.県道から長い石階段で参道が延びている。

    笹尾根の槇寄山から延びる南支尾根尾根
   中央が1052m圏.尾根二又で里は篇盃地区

    槇寄山の南西尾根末端で.コブは1001m点峰
   郷原から下城地区へ.15:52
    左中央奥が大きな墓地を持つ宝珠寺の屋根。奥側に並行して西原古道が横切り.右奥には西原の稲荷社が祭られている。

    集落
     槇寄山から南方に派生する尾根は鶴川の支流.大星沢右俣カボーメ沢と扁盃川(へはい)を隔て.鶴川に没している。
   又尾根上の1080m付近から南西と南に2つの尾根を派生させていた。その中央を挟んだ山麓の河岸段丘にできたのが郷原の集落になる。

     西原峠から下る場合.槇寄山南西尾根の1001m点上で.南西と南に2つの支尾根を分けている。今回は南西尾根を選んでいた。
   1001m点から里へ急激に高度を落としていた。そして極端な平原状の広い台地にでている。

     又南尾根は少し変化に富む尾根で偏盃(へはい)地区に下りている。
   写真右向かいの途切れた小コブとしては丸山643mが南尾根の末端に聳える。その東側に偏盃の集落があった。

    
    隣りは県道18号.消防団詰所                           郷原バス停.16:04

     原・郷原集落の大通り.バス停に着くも1時間待ち.身支度を整えバスを持つこと1時間。
   20分過ぎて乗るべき飯尾行路線バスが下から登ってきた。運転手と目と目が逢い.手で合図している。

     帰路を待つようにとのことだろう。ただ谷間は黄昏を迎え.周りはまだ多くの残雪で埋め尽くされていた。
   40分待ち.我慢できず.里道から上野原丹波山線にでて阿寺沢入口バス停まで下ることにした。

    完成した路肩工事現場4
     16:25
    擁壁工事H618A043                            向かいが阿寺沢入口bs

     県道で直ぐ西原中学校に農協を過ぎると.過って牛飼尾根を下り.長作から阿寺沢入口バス停まで.この県道を歩んだことを想い出していた。
   鶴川本流から一時離れ下城地区に入り.再び近ずくと支流の篇盃川の右岸沿いになる。篇盃川を見下ろした所がバス停.阿寺沢入口。

     阿寺沢集落からの里道と合わさる県道のT字路には正面に5年前に造られ.この辺では一番新しい擁壁が設けられている。
   県道沿いには区画毎に造られた側壁が何基も連なり側壁として綴られていた。
   この新しい擁壁は道路擁壁工事中は何度か訪れ.その都度ここから路線バスに乗車した。

     16:25阿寺沢入口bs:28=17:15jr上野原:55=18:12高尾.快速:12=17:16お茶ノ水.

    完成した擁壁新設工事
     2011年1月.コンクリート吹き付ける為.その前に防禦壁を造る工事が行われていた。そして2週間後.再び訪れている。
   小菅川から都県境界尾根伝いに三頭山を南北に横断し.鶴川長作観音堂から阿寺沢入口バス停へ県道を下っていた。
   塗装のコンクリートの拭き付けが終われば撤去すると云う。少し小太りで黒っぽい服装のガードマンに再会する。前回ここで最初に出偶した人だった。

     直ぐ判ったらしい。「今日は何処の山に登ってきた!」.「山で人に会ったか?」.「富士山は見えたか?」と次々に質問された。
   私は今回もバスを停め.乗車できるようお願いしている。彼からは工事が終わる前に「もう1度,ここに訪れるよう!」と別れの言葉を頂いた。
   そして今回はガードマンも居ない.完成された擁壁を前に二度立っている。もう5年前になる。真新しい擁壁は既に年季の入った風格をもっていた。

   皮登山靴ハングワ.靴底張替え・・25669歩

     数馬bsからムシカリ峠を経て三頭山西峰
     西原峠から槙寄山南西尾根を下降.郷原・・全て埋まる宝珠寺と「つね泣き峠」・阿寺沢入口bs