崩れた天候の合間からの展望と久し振り雨粒に叩かれた山行

  雹に降られ高ワラビ尾根のツメから小持山を経て大持山
    雨露で霞む境界尾根からは展望は得られなかったが嬉しく.又懐かしい妻坂峠から下山した・・武甲温泉と寺坂棚田からの展望

    武甲山表参道から小持山
    大持山から妻坂峠を経て一の鳥居へ周回・・台地を跳ね雹と寺坂棚田・武甲温泉

   小持山1つ手前の小コブ
   「茶平」への古い道標ある分岐.12:41
    12:41小持山北肩一13:29大持山一14:36妻坂峠一15:16一の鳥居p.

     小コブに乗ると「←武甲山.↓武士平.小持山↑」の道票が立ち.「茶平」への古い道標を見て,高ワラビ尾根が合わさりのは間違いなかった。
   ここから僅かに登り返すと細長い平頂の小持山にでる。

    小持山(1273m.ソバツカド山,高ドッケ)
     小持山の小さな頂では色とりどりのカッパを身に着けたハイカーと擦れ違っている。頂はで立溢れ.体を寄せ合うよう休み.
   新たに足場が取れぬほど狭く飽和状態になっていた。総勢25名前後のハイカーが狭い頂で引き締め会っている。その上.雨が降り続いていた。
   そこを失礼してカラフルなカッパ姿を分けるよう抜け.頂を素通りした。

    大持山への露岩混ざりの稜
   12:49

    秩父側から望む長沢脊稜
   大持山の北尾根から.13:12

     途切れ途切れの降雨に秩父側は更に霞むも.初めて眺める都界山稜(長沢脊稜)の展望が得られただけで嬉しい感覚を持っていた。
   中央の3つの小突起を抱く三ッドッケ(天目山)から北側に延びるのシャクナイ尾根を一気に秩父側に落ちるのを見たのは初めて。
   ここ北尾根は昨年4月.新緑が覆う季節に仙元谷のグミの滝とカロー谷のカロー大滝を繋ぎ.小川左岸歩道へ回り込んでいる。

     手前は仙元尾根の南山腹にある枝尾根に乗る新秩父線の56号〜60号鉄塔。尾根末端の60号鉄塔.基部から浦山大日堂に下る踏み跡があった。
   右寄りの大きな谷間は細久保谷.大平山北尾根から東方へ峠ノ尾根を派生させ.尾根末端には新秩父線の61号鉄塔が建つ。

    浦山川と細久保谷流域
   左景アップ・・3つの尾根は時期相応に踏んでいる。
    南西方面・・蕎麦粒山.三ッドッケ.大平山.七蹴山. 右の山の3つ目が酉谷山。

     大栗山.七蹴山.坊主山.日向沢ノ頭に酉谷峠を越え酉谷山が連なり.七蹴山からは大クビレ越えの大ドッケ.その後方が大平山北尾根になる。
   正面を下る北尾根はジャンクションで2つの主尾根を分け.正面左に落ちるのが峠尾根.浦山川の細久保谷出合に没している。

     右下に長く斜めに延びるのが栗山.三角点峰を擁する尾根で.秩父さくら湖に没していた。
   その先は矢岳方面だろう。脊稜の更に奥は芋ノ木ドッケになるのだろうか?

     仙元峠仙元尾根・・枝尾根に乗るの送電線は真名井北稜から長沢脊稜越えてきた新秩父線56号〜58号鉄塔。
   三ッドッケ北尾根のシャクナイ尾根。昨年4月に細久保谷左俣仙元谷から詰めている。その上が七蹴山から大平山に延びる峠ノ尾根。
   その広い尾根の裾尾根に連なる送電線鉄塔群.

    小持山からの高ワラビ尾根
   右景・・右後方を振り返り

     浦山川を隔て浦山川左岸の大神楽沢流域を挟んでの展望。大平山.矢岳に続く上部(西)中央寄りが熊倉山.
   大平山北尾根.大ドッケから派生する尾根二又西方尾根末端は浦山川左岸の各支尾根に乗る新秩父線で.新山梨開閉所と結ばれている。

     小持山から大持山に掛けては細かい起伏に痩せ尾根と露岩帯を示し.アカヤシオの咲き競う稜とも云われている。
   ただ今回は殆ど全部と云えるほど蕾の間々で.咲き競い合う姿を見るには早々過ぎていた。まだカタクリの方は小さな可憐な花を咲かせていた。
   それも頂稜での点。点としても僅かでカタクリも同じ状況だった。群れと云うより疎らな1点に過ぎず。

     登山道脇に仄か珍しく姿を現したと思えば.足元の枯葉から覗く小さ過ぎるカタクリを見る。
   本来なら爽やかな風に揺れ動き.薫風の季節になったと肌で感じる時期だが.今年はまだその1つタイミングにも合わなかった。

     右手手前に延びるのが高ワラビ尾根. 巣山ノ頭1090mから南(左)に延びる支尾根はタワノ尾根。この下流で更に大塚尾根と分けている。
   仙元尾根末端の鉄塔は60号鉄塔だろう。基部から下ると浦山大日堂にでる。その上部に乗るの北尾根は三ッドッケに乗るシャクナイ尾根。

    浦山川大神樂楽沢東沢源流
   足元から湧き上がる谷雲
    山稜は大持山西尾根と右手の山稜は雨乞岩から西方に延びる905m点尾根

    大持山
   別名.赤原山.13:29
    大持山・・三等三角点標石1294.10m..基準点は「持山」.

     小雨が降り続く中.弱くとも風が流れ込むと素手では.微妙な寒さを感じるようなる。すると白い氷粒が落ちてきた。
   大地に跳ね転がる姿は雹。小さ過ぎる丸い小粒が風に押され崩れては大地に当たり跳ね上げる。最近では何時出会っただろうか?
   寒い筈である。

    大持山西尾根
     方向から見ると南西尾根。南尾根(山ノ神尾根)は1142m点コブから南尾根と分かれ.又カタクリの多く咲く尾根とも云われている。
   送電線安雲幹線342号と奥秩父線16号との基部を抜け.尾根が浦山川沿いに下りてから見上げると鉄塔基部の南西の支尾根を下りている。

     浦山川の市営マイクロの終点浦山大日堂.その1つ手前にある渓流荘前バス停近くに踏み跡は下りていた。
   又登り口には「古屋敷のヒイラギ」.秩父市指定天然記念物がある。

     以前は仙元尾根と大平山大ドッケ峠ノ尾根を下り.浦山大日堂や天目山林道口.川俣から西武秩父駅にでている。
   昨年は逆ルートを取って細久保林道から入り.仙元谷のグミの滝からシャクナイ尾根を詰め.カロー谷から日原川左岸歩道にでてもいた。

   奥武蔵の東南部を望む・・ヤシンタイノ頭.橋小屋ノ頭.滝ノ入ノ頭1070.9m
   右景.鳥首峠への分岐付近で.13:30
   分岐脇より殆ど見えぬ鞍部が鳥首峠。鉄塔は奥秩父線16号鉄塔。峠手前には1059m点コブがあり.手前(南)側には安雲幹線342号鉄塔が建つ。

    有間山稜
   中景・・手前は横倉山1197m
    有間山と滝ノ入ノ頭1070.9m・天神山1130m

     左手の谷間は山中入で.横倉沢.白岩入と合流する入間川の源流にあたり.眼下にある名栗の集落を抜け.
   名栗(名栗湖)から飯能市を横切り荒川に入る。目を沢筋に合わせ一直線に下流を見詰める.晴れていれば棒ノ嶺の頂と同様
   西武ドームの金色に煌めく屋根が見える筈だったと聞いていた。

    前武川岳南尾根と天狗岩
   左景.右上は伊豆ケ岳(虚空蔵山)と古御岳

     若き日に初めて山らしい山に入り.正丸峠から伊豆ケ岳に登り.前武川岳.武川岳から妻坂峠を経て名郷に下りている。
   その武川岳1051.7m(根古岳.風木平.幕平)が目の前に姿を現わしていた。

     武川岳から前武川岳1003mを通り.南に延びる天狗岩800m点尾根には登山道があり.名郷に下りている。所沢に抜ける県道53号線の終点,
   又鳥首峠越えの2つの送電線は名郷の集落を南北に挟むよう横切り.東方と南東に大きく分かれ回り込み.新所沢変電所と結ばれている。

     名郷の手前には白岩集落(廃村)の名前の元となった石灰岩の露頭が見える。JFEミネラス(旧日本鋼管)の石灰採掘が見えてくる。
   ここは昭和初期からの採掘場で.中断されたこともあったようだが1966年から再開され.50年になるが今は閉鎖れてている。

     この辺は石灰石の他は杉林の銘木産地として知られ,旧名栗村は江戸で「西川材」として知られている。
   大きな山持ちは「鳥居大身」.「新館」大身」と呼ばれ東京の下町.浅草に大店を構えていた。

   痩せ尾根を過ぎれば大らかな尾根に変わる.14:29

   頂稜は雑木.谷間は杉林,14:32

     Sはこの.山行の下山になると膝の不調を訴え.不自然な形で下りている。延々と続く下り。
   それでも平坦地に入いれば普通に歩ける不思議さ。何とも言いようのない姿.本人は大変だと思うが見守るしかなかった。

    妻坂峠
   峠路と野ざらし一里地蔵.14:36

    妻坂峠
     妻坂峠は別称.地蔵峠833m, 生川(横瀬町)と名郷(名栗村)を結ぶ非常に古い峠で.多くの人が秩父と川越を往還として使われていた峠路。
   この峠は10m四方にあたりは常に名郷側から風が吹き.冬日は急激に体温が奪われると云われている。
   又峠路の道中では山犬や狼に噛み殺される事件が絶えず起きていたらしい。

     山中の一兵衛と云う人は,これらの人々を供養しようと思い地蔵を作り自ら背負い.峠に安置したと云われている。
   古い地蔵で重さは100キロ.又地蔵の台石の下にお経が刻まれているとも云われている。

     高尾から秩父へと辿る鎌倉街道の山道。鎌倉武士の鑑.畠山重忠が秩父から鎌倉に向かう時.愛妻と別れを惜しんだ峠。
   源平合戦での大活躍.そして北条氏の謀略による二俣川での憤死。悲劇の主人公として秩父・奥武蔵の人々に語り継がれている。

    武甲山東尾根
   この峠から望んだ昔の武甲山を想い.14:37
    小持沢に大持沢.妻坂沢と生川流域を経て

   同期木原と武甲山の分岐で.

     54年前の1963年(s38年)4月28日に正丸峠から伊豆ケ岳.武川岳を越え.ここ妻坂峠に降りて.名郷へ下りていた。
   その折この峠から秩父側の生川を隔てた武甲山を望み.その雄大さに惚れ込み.翌月再び武甲山を独りで訪れている。そして今日,この妻坂峠と再来した。

     霧雨に朧に霞む武甲山と再会するも.冷雨に叩かれ.坦々と武甲山越をして.坂峠にでたせいか.振り返って眺める姿は昔の憧れの印象とは大分薄れていた。
   逆コースを選び.最初に妻坂峠から武甲山を眺めれば変わっていたのかも知れない。周りは時期外れの冷たい雨の中。

     小雨が舞う中.生川の源流を囲む山々を綴り.霞む武甲山を周回してきた。まだ周りの山稜を被う雑木は裸林に覆われたている。
   ただ妻坂峠から谷間を見下ろすと一見すれば判るほど.はっきりした裸林の境を示し.見下ろす里は青葉え満ちている。

     下ると次第に緑を増し.生い茂る若葉の萌える世界に変わってきた。
   .もう直ぐ山の上にも陽光に照りだされば.緑満つる世界が広がるのだろう。そして冷たい降雨も治まり.霞みが切れれば.本当の春霞が現れる。

    森林管理道二子線
   開通すれば林道生川線と北ノ入線を結ぶ.15:06

    県営管理道二子線
     妻坂沢沿いに下る足の一歩.一歩が.周りの大地を若草色に茂る若葉に変えていた。
   風もなく今度は暖かさが増し.そこを追う自分の姿が踊る形になっていた。

     大地は野草に覆われ.谷一杯に若葉が溢れると林道に突き当たる。林道の看板を見て.左手に折れれば朝方の作業道生川線との分岐にでる。
   右手は双子山付近を回っていた。左手に大きく回り込む林道のカーブをカットして.林道を横切り妻坂沢右岸道を直下する。出た所が一の鳥居横.

   森林管理道二子線
   黄色い線が二子線の完成予想図・・林道横断口にて

     二子線は生川地区(横瀬町横瀬)は二子山の西側を通り.国道299号線の正丸トンネルの北詰(横瀬町芦ケ久保)と結ぶ10.1kmのダート森林管理道。
   この管理道は木材の搬出や森林の整備のほか.災害時における迂回路や二子山や武甲山表参道口のアクセス道路として予定されている10.030mの林道。

     国道の向かい.北ノ入線とも繋がる予定で,国道側は通年ゲート規制がある。生川工区と芦ケ久保工区の両方から延伸開設工事中。
   ・・秩父農林振興センター.又二子線の東側にあるループ林道(焼山線.手喰線)とも結ばれていた。

   裾に下り妻坂沢右岸道.15:11

     二子線のカーブをカットして右岸道を下ると杉の植林帯を抜け.再び二子線にでる。更に起点へでるのをカットした。
   直ぐ下が一の鳥居の起点。改めて鳥居を潜り駐車場に戻っている。

   御嶽神社を守る狛犬四匹と一の鳥居.15:16

    帰路.秩父湯元.武甲温泉
     カーキャンプ場が広く設けられている日帰り風呂・・炭酸泉.単純硫黄温泉(低調性.アルカリ性). 横瀬駅下車.徒歩10分で横瀬小学校脇300m先。
   大規模だけあり人も多く.賑やかな温泉。静かな落ち付ける休憩所でもなく.少々騒々しい。山の湯と云うより大衆風呂。
   大手資本の京王日帰り風呂が高尾駅前に「極楽湯」が開湯している。又朝方の列車では真近な西武秩父駅前に西武系の「祭の湯」が開湯したと伝えていた。

     贅沢云えば言葉にはでた丸山鉱泉の宿がよい。ただ下山後の湯舟に文句を云うものは居なかった。
   疲れがどっと抜け癒される。運転する先輩には常に悪いが.気持ちを持っている。それほどビールは美味かった。Sと久し振り大缶を空けている。

    生川流域を遠望
   横瀬町の寺坂棚田より.17:15

     左手前は焼山(焼岳)850mと大机山「三角山)623m. 間.奥が蔦岩山(つたいわ)1004m.その真後ろの山陰に武川岳が聳える。
   ここは武川岳を源とする生川右岸尾根に当たり.各主尾根.支尾根には踏み跡が残されている。又この尾根の西山腹を管理道二子線が今延伸工事中。
   生川の上流.武甲山の左下裾に見える尾根は大持山から妻坂峠への稜。

     入浴後は直ぐ近くにある寺坂棚田へ。
   寺沢棚田は埼玉県内最大規模の棚田.縄文時代に造られたとされてをり,全体面積は約5.2ha.その内田圃は約4ha。
   武甲山までの距離はここから目安で約4.1km。武甲山を主にに連なる山並を背景に四季それぞれの棚田の風景が楽しめられる。

     この時期に入ると雑草の青さがもう絵になっていた。来月に入れば入水し田植えを迎える。夏には棚田に白雲を映し,蛍も舞うらしい。
   Tさんの話だと9月には畦道に赤い彼岸花が咲き競うそうだ。秋の実りもある。今月の耕伝から農作業の参加を募集し.各イベントを催しているともある。
   地元のパンプレットを見ると稲作体験の学校等.盛大過ぎて.長閑な田園風景そのものが失われてしまってわと心配する私がいた。

    武甲山北面
   同.17年04がつに撮影

     横瀬の上流側.手前の工場.街並に横瀬川が流れ.秩父石灰線が架かり.国道に西武秩父線が横断し秩父へでている。
   右手は三菱マテリアルのセメント工場. 幾つもの大手会社が山肌に埋まる石灰岩を崩し.即加工され出荷されている。

   二子山雄岳からの撮影・・2025.11.17/11:03

     西武秩父線の芦久保駅から兵ノ沢右岸尾根を詰め二子山の雄岳からの展望。快晴の清々しい陽差しを浴びての山行だった。
   昼食後は焼山林道を下り.松枝旧名栗街道を横断して川越山北西尾根を詰め正丸峠にでている。

     初めて武甲山に訪れたのが1963年の春.山登りで初めて伊豆ケ岳に登り.翌月には嬬恋峠で見惚れた武甲山を当時は単独で訪れていた。
   もう直ぐ傘寿になる。最後はヒッチハイクでR299線にでて.正丸駅まで徒歩した。

    山名のあれこれ
     武甲山と云う山名は日本武尊が甲兜を祀ったとの説。この辺りに領する武人.武光氏がをり「たつみつ」を音読みで「ぶこう」とした説。
   「向う山」(むこう)が転化して.ぶこう」とした説。又神戸の「六甲山」も.元々は「向う山」からみてをり.昔は武甲山と表されていた。
   ・・「ものかなり奥武蔵」

     何度見ても無残な姿。20年前に山頂部は1/3まで削られているが.今は半分まで採石されてしまっている。
   北側の側壁と云うより.頂からの絶壁は後30年ほどでなくなり.山頂部の南側半分を残し.今度は地底の露天掘りが行われるのだろうか?

    大机山
   R299号.根古屋付近から若葉へ.17:26
    一の鳥居15:20=秩父湯元「武甲温泉」=17:15寺坂棚田=鈴木邸.=18:42東武東上線.若葉:48=19:32jr池袋.

    国道299号189.3km
     299号線は長野県茅野市から群馬県多野郡上野村,埼玉県秩父市を経て.埼玉県入間市に至る一般国道。横瀬町から正丸峠を登り返し日高市へ。
   このルートは2007年6月に薄川日向大谷から両神山をピストンした折.同メンバーで通っていた。あの時は山を下りてから「薬師ノ湯」に寄り.本降りに遭っている。

     寺坂棚田から国道を横瀬.根古屋と過ぎ.横瀬川に沿いに遡り.正丸トンネルを潜ると飯能市に入いる。丁度市議会議員の選挙活動が行われていた。
   宣伝カーから掛け声が響いている。吾野から西武鉄道は池袋線になり.もう見慣れた武蔵横手駅を過ぎれば高麗でて.S邸のある武蔵台にでる。
   車を換え.軽トラで鶴島市に入り.30分ほどで.何時もの東武東上線.若葉駅にでて解散した。皆さん.ありがとうございました。
 
     奥武蔵山域は奥多摩周辺と比べると低山でもあり.谷間の里道は古来から生活とも結び付きが深く.里道に登山道.山道が多く交わり造られている。
   又古社古刹への参詣路が幾つもあり.甲州秩父往還が横切り.旧正丸峠(秩父峠)には鎌倉街道山辺の道が貫く山域で.山と係る人々も多い。

     最近では秩父から都県境界尾根を通う機会も多くなったている。その都度,削り続かれる武甲山を仰いでいた。今回で又身近な山にもなっていた。
   歴史と信仰.山村民族との絡みも低山ゆえ.山村には多くの昔からの言い伝えが残されている。

   地図「秩父」.zzz164武甲山表参道.生川源流流域. スカパ登山靴・・26745歩

     武甲山表参道から小持山
     大持山から妻坂峠を経て一の鳥居へ周回・・台地を跳ね雹と寺坂棚田・武甲温泉