南の甲斐側から追い迫る白雲の堤と頭上からは蒼空の広がる信州側の台地から入山した。
  昇仙峡は5月の新人養成合宿では何度も通っていた金峰山表参道だった。
     尾根筋に入り.幾つもの大岩を越え五丈岩へ。初秋の金峰山から懐かしい想い出の多くある大弛小屋に至る

   荒川の渡渉から始まる金峰山の旧表参道を登る・・2100m圏大岩
   隻手廻し岩から五丈岩を目指し金峰山・・下りは懐かしい大弛峠.大弛小屋

   第2の梯子.11:03
       鶏冠岩から金峰山に立ち大弛峠へ下る
    11:30鶏冠岩一11:10隻手廻し岩:20一11:20第1のガラ場一12:15アコウ橋の分岐一12:58五丈岩.大13:46一14:05金峰山
    一15:24朝日峠一15:45大弛峠bs.

   第3の梯子.11:06
    3つ目のアルミの梯子を渡ると石碑のある隻手廻し岩の真下にでる

    弁慶の隻手廻し岩
   おっきし岩.11:10小:20
    名は勝手明神の「勝手」が転訛した呼称と考えれられている

   隻手廻し岩の基部で

     基部の一角に小さな岩を石祠に見立て.その霊前には木札が奉納されている。
   平成22年10月22日.甲斐金峯山登拝修行之碑.成田山東東京別院深川不動堂と記されていた。

   右肩・・ケイオウ谷側の第1のガラ場.11:28
    ヘチ部分をトラバース.危険は感じられなかった

   左肩・・乾いているので容易に通過.11:29

    金峰山八幡尾根
   精進川の支流.伝丈沢・金石沢を隔て.11:30
    左端上の鉄塔はチョキ三角点峰の南側の尾根を横切る西群馬幹線の鉄塔

   甲府市の初めて見る道標.11:35

   蒼空は失われ富嶽は陰り気味に.11:32

   ケイオウ谷側の第2のガラ場.11:43
    アズマシャクナゲの群生地を縫い進む

  

   11:51
    ここには手の拳より大きな緑々した松ぼっくりが幾つも転がっていた。妻のお土産に.

   紺碧の樹間越しに開かれた五丈岩と金峰山.11:59
    一度針葉樹林帯を抜けて

     はや薄く色づき始めた樹々・・県境尾根を真近に望み雲1つない蒼空が広がりを見せている。ただ甲斐側に沸き立つガスは塊を膨らませ
   .パッチワーク模様のの隙間が次第に埋まり.更に押し寄せる雰囲気を持っている。前線が上がってきたのだろう。

     周りは低い灌木帯のジャングル. 吸水タオルを使っても汗は滴り.無風に近い快晴の青空に包まれる。
   灌木帯を抜けると五丈岩手前で森林限界を迎えた。越える踏み跡は這松帯のジャクナゲが混ざるり.足元の見えぬ落とし穴の斜面を巧みに縫う。

     先月の山行.北アルプスの栂池でゴロ石伝いに歩んでいたことを思い出していた。時には踏み跡を失い這松に行く手を遮られ強引に突き進む。
   大きなゴロ石伝えに直上し.ルートが分かりずらくなるも.目指す先は見えている。薄く消えかかる赤ペンキを探り.探り詰めてゆく。

    アコウ橋への分岐
   再び針葉樹林帯に入り.12:15

     第2のガラ場を過ぎた所で同じような派手なアコウ沢橋分岐の古い道標が目に入る。
   それは左側の立木に「黒平.アコウ沢橋一金峰」と逆のプレートで示されていた。

     このダケカンバの立木にプレートがあった分岐の左脇に.浅い踏み跡らしき跡が残されていた。
   先ほどの分岐と合わせ.共に三薙沢に下りているものと思われる。この分岐を抜けると森林限界へ至る。

    五丈岩南面
   20mは超す堂々とした風格の五丈岩.12:58

     金峰山の神体は五丈岩の巨岩で昔は御像石と呼ばれていた南基部にでる。五丈岩は約15m.標高は金峰山々頂と殆ど変わらない。
   基部で突然多くのハイカーに出会って.余りにも多く当惑させられた。五丈岩の裏側まで多くのハイカーが集い.展望を楽しみながら食事を摂っている。
   私も見習い.最前列で昼食を摂る。快晴に恵まれて展望はあるものの食事が進むにつれ.甲斐側は次第にガスが詰まり押し寄せている。

    五丈岩裏側の石祠と石灯篭
    
    金櫻神社の奥宮                       対の石灯篭

     五丈岩の基部に金峰山の奥宮があり.黄金の大黒天が祀られていた。ただ明治17年放火に罹い.本尊は盗まれたとか。・「奥秩父回帰」.
   金桜神社の奥宮には石祠が祀られ.その右脇には二基の石灯篭があり.又籠り堂があったという石積みがその土台として残されている。

     『甲斐国志』によると御像石の南面には蔵王権現を祀った方八尺の正殿と方三間の拝殿が建てられ.
   役小角が奉納したと伝えられる鉄杖と剣.唐銅(からかね)の経筒.薙鎌(なぎかま)などの神宝が納められていた。

     過っての宗教登山の名残が幾つも留められている。ここからの富嶽の大展望はご来光を遙拝するには最適の場所。
   胸のすくうような南面の展望が開かれていた。

     ここで甲斐側の展望を楽しみながら妻の手弁当を開いている。かつ丼に卵とじ.食欲はあり,冷凍した焼酎缶も適当に冷え.喉こしがよい。
   左正面には前回下った鳥ノ尾根のズーと下に乙女湖が遠望された。苦労して下ったこの尾根は高度差2000m。既にガスが掛かり始めている。

     もう一度見直した時.途切れ途切れのガスは雲の塊に変わり.見る見る雲に呑み込まれる。
   頭上にはまだ蒼空が残されているものの.秋霖前線が北上し.押し寄せた雲堤は谷間をアッと云う間に埋め尽した。

   五丈岩裏側・・籠り堂があったという石積み

   荒川の源流.13:14

     足元の旧表参道の突き上げた尾根を中心に右尾根が八幡尾根で.尾根末端は黒富士.茅ケ岳に至る。
   左に並行する尾根の末端が見下ろされた。鉄山から派生する平岩尾根で荒川と支流の御堂沢出合に没している。

    旧表参道が乗る尾根
   紅葉の始まった頂稜部分が見ろされた

     過って修験者の入峰修行の表参道があった尾根。御堂川とケイオウ谷に挟まれた表参道がこの尾根上に綴られている。
   左手は平岩尾根.右手は八幡尾根。下流が荒川本谷。遥か尾根筋下に小さく隻手廻し岩が眼下に見下ろされる。

  

    登ってきた左手を見つつ並行していた八幡尾根
   2333m峰

     甲信国境から南方に分ける大幡尾根。先は2333m峰に八幡山を経て木賊峠越をし.更に南下すれば金ケ岳.茅ケ岳へと綴られている登山道があった。
   山麓は韮崎になる。主稜を下れば砂払いが森林限界でコメツガ林の中を下る。又頂から大日岩を経て飯盛山を巻き富士見平へ。
   里宮へ下る道は金峰山西口の登拝路であり.今でも最も利用者の多い登山道になる。

    国師岳と北奥千丈ケ岳鳥ノ尾根
   手前は鉄山平岩尾根
    鳥ノ尾根の深い山腹を刻むのが上林道の川上牧丘線

     今年6月.梅雨前線を境にに大弛小屋を5時にでて鳥ノ尾根を下り.滝沢を経て10時間掛けて千野々宮に下山している。
   変化に富んだ長尾根を下り.ヒッチハイクで坪平へ。丸一日を費やし下り通した山旅だった。今回は休んでいる50分ほどの間に.
   この甲斐側の谷間は秋霖前線に呑み込まれている。信州川.境界尾根が展望の違いを極端に示していた。

    信州川上村側の流域
   何時までも明るい信州側の山並.14:01
    遠く沢沿いに白く見えるのは高原野菜ハウス

     金峰山の反対.信州側は今だ蒼空が広がり明るい晴天に恵まれ.歩めばやや暑い日差しを受けた。
   目一杯の日差しを浴びる小川山.その裾に金峰山川が大きく回り込み流心を谷に落としていた。
   このまま登山道を進めば蒼空が仰がれ.頂東側の砂礫帯の賽ノ河原にでる。ただ南側の谷間は既に濃いガスの中になった。展望は失われた。

   五丈岩北面と千代ノ吹上.14:05
    頂上から見た霞みの掛かりだした五丈岩.基部に鳥居が見られる。

    五丈岩
     五丈岩には2度目の新人養成合宿でサブリーダーとして入山。その折我がメンバー十数人が集中登山し岩上に立っている。
   初頂した時は残雪が多くラッセルに時間を要し.五丈岩を諦め旗手と騎馬になり富士見平へ駆け下りていた。
   今回は古希を過ぎ訪れたが遠慮する立場になり.登るハイカーを見守っていた。

    標高
     金峰山の三等三角点標石は頂の西側.岩の積み重ね囲まれた縦走路脇にポッンとあった。2595.2m.・・基準点名は「金峰」.
   過ってはこの三角点標の標高が金峰山の標高だった。実際の最高点は岩塊を踏んで北東側へ緩く登った岩の天辺にあり.
   岩から岩へと伝うよう登っている。今は4m高い2599mが金峰山の高さ。尚奥秩父連峰の最高の北奥千丈ケ岳より惜しくも2m低い。

     三角点標の大岩から戻る折.登る人と鉢合せになり,岩を跨ぐのに右足首を捻り攣ってしまっている。
   痛さで動けず中途半端な姿勢でいた。待つ彼に「攣った!」と1分ほど待ってほしいとお願いし,同じ姿勢で留まさせて頂いた。
   痛みが去り直ぐ動いたせいか.帰宅して数日は時折ぶり返すよう突っ張りがでている。何事も大事にせねばと考えさせられた次第です。

    雲堤
     この後急遽.陽当たりの頂稜に立ちながら南遠方にあった秋霖前線の雨雲が迫り.周りは強いガスに覆われた。
   秀麗たる富嶽の傍に雲が湧き閉ざされたと思う間もなく.見る見る前線の雲堤が追うよう迫り.甲斐側の谷間を埋め尽くす。

     そのスピードの速さ。頭上には雲塊と信州側の蒼空との接線が築かれ.ガスがさ迷い始めている。
   時には頭上に途切れ蒼空が覗くも.再び直ぐ雲に閉ざされた。それでいて信州側の明るさは不思議な境界線にいた。

   中木のシラビソ林.15:05

    朝日岳と鉄山
   金峰山の肩,賽ノ河原より.14:16
    朝日岳の山頂に補点と刻まれた標石がある。朝日岳・補点.標高2567m.等級はその他で.国土地理院の成果なし。

     賽ノ河原から磁鉄鉱帯にある鉄山の北側を巻き.シャクナゲと這松の低い灌木帯から樹林帯へ。
   立ち枯れのシラビソ林が多い中.小さな突起を越え朝日岳に着く。東京近辺の奥多摩地域と比べるとやはりコースタイムは甘くない。
   金峰山から2時間あれば大丈夫と安堵していたが.下りでも余り余禄はなかった。

     金峰山を大弛峠からピストンするグループに挟まれ.その会話から4時には十分着き.同じバスに乗ると知らされホッとしている。
   朝日岳を前にそれではと急に下るスピードを落としている。ブームに乗る金峰山の山波.やはりハイカーとのすれ違いは多い。

    朝日峠
   振り返り見下ろす朝日峠2425m.15:24

     朝日岳にでる。頂の南面は花崗岩が露出した斜面のため.展望ポイントとして休むハイカーが多いも濃いガスに覆われた。
   越えてガラ場の展望が利く大ナギ2530mにでる。この谷間も当然同じだった。更に下り朝日峠へ。

     大弛峠の西コルが朝日峠.或いは川端下峠と呼ばれ.シラベの林に囲まれ眺望はない。
   峠の中央にはガレ岩の大きなケルンが積まれ.「←朝日岳,大弛→」の道標が立つ。以前甲州と信州を結ぶ古道があった。
   甲州側は廃道になっている。信州側側には大雉沢を経て廻り目平へ下れる旧道が残されているとのこと。

   ぬかるむ大弛峠への登山道.14:47

    大弛峠
     大弛峠への手前.最後に下る泥濘で滑り.少々衣服を汚してしまっている。
   もう林の向こうは峠の駐車場.ベンチがあったので座り衣服を整え.靴底の泥を払いのけている。
   朝方バスの運転手から「厳しいコース.帰る時間に遅れないよう!」言葉を掛けられている。その運転手と再会.再び助手席に乗り柳平へ。

     高度差750m.アコウ平から大弛峠まで距離は短いが思いのほか余裕のない山行になった。
   沢に入り.岩登りと直線的なルートは以外に時間的に30分ほどロスしている。出発が9時と遅く.気にもせず登ったせいか頂肩は13時を回っていた。

     ゆっくり食事を摂り時計をみると14時。峠まで2時間.バスは待ってくれず.最後は少し焦ることになる。
   時間的には間に合う筈だが.気持ちは焦り.出発10分前に峠にでている。
   終わってみれば時間のリミットがあることは前回の山行.三頭山宝川の下降と極端に異なり.少々焦る山行になった。

   一日もった蒼空の大弛峠.16:00

    大弛峠16:00=16:30柳平:45=17:18塩山.特急「かいじ180号」¥1944+1340. 17:26=19:00新宿=大江戸線.

     柳平から予約のバスは1台と4名がオーバーし乗車できなくなる。分かっている筈が小型車1台出すのに揉めている。
   塩山駅に着きホームを見ると丁度.何時も乗る17:20発の列車が発車した。1時間待てぬとやむえず26分発の特急「かいじ」に乗車。

   地形図「金峰山」.金峰山表参道.山と高原2012「金峰山・甲武信」.・・シリオブーツ.20383歩
   ポカリ+茶=各500cc.コロッケパン.コーヒー.バナナ.カツ弁当.蜜柑.アミノバイ5000.ドライフルーツ.大豆
   9/25日・・中秋の名月. /26日・・来日した広島の竹永先輩と再会.

     荒川渡渉から始まる金峰山の旧表参道を登る・・2100m圏大岩
     隻手廻し岩から五丈岩を目指し金峰山・・下りは懐かしい大弛峠.大弛小屋
・・下りは大弛峠