北面・・成木尾根・都県界尾根
      南面・・高水山南・東尾根からノボリオイゾネと吹上峠

  間野大仁田山から成木・都県界尾根の末端へ
    細田の集落を探索し後.愛宕山・大仁田山から成木・都県界尾根・・切れる境界尾根は正木入側の境界脇を抜け安楽寺から下畑

  北面

   青梅市北の尾根と峠・・高水山東尾根

  平溝川流域の伐採地V・・高水山南・東尾根からノボリオイゾネへ
    平溝通りから高水山与津ノ沢右岸尾根を詰め.東尾根を延々と綴る。旧伏木峠.松ノ木峠.ノボリオイゾネ.夕倉山.稲詰峠から成木街道にでて吹上峠

  南面
 2020,02,04,
  右上は成木・境界尾根の末端.下畑まで概念図

  右端図の赤線は2024年9月に成木四から歩んだ青梅中央アルプスと裏青梅丘陵の黒仁田川流域。
    2024年09月には成木(四)から指倉峠・旧吹上峠と越え.青梅丘陵を少し齧り三方山をピストン。難路の裏丘陵コースから青梅・裏コースの青梅の杜.こぶしの森)を南下した。
    ・・吹上峠Top

 成木林道と小曽木山稜
HP「多摩ジョッキングの道」氏より記載させて頂きました.

   成木街道
    青梅街道の東青梅から分岐した成木街道は小曽木山稜を横切る吹上峠を越えて.成木に入り.成木川を遡上し秩父と境の都県界尾根の小沢峠.
  その手前で街道は終えている。成木は古くから良質の石灰岩を産し.又豊かな山林からは西川材と呼ばれる銘木を産出していた。

    こうして出来た道筋は成木往還と呼ばれたが.後にこ れが青梅街道と呼ばれる様になった。
  石灰の白い粉の通り道であったことから「 石灰の道」(イシバイノミチ).あるいは白粉道(オシロイミチ)などとも呼ばれていた。
  ・・HP「多摩ジョッキングの道」氏より

    慶長11年(1606).江戸城の大規模な増改築の漆喰の材料として.上成木村.北小曽木(おそき)村に石灰の供出が命じられ.
  その石灰を運んだ道が成木街道。北小曽木村で産出された石灰は険しい小曽木山稜を避けて.北方の主に笹仁田峠経由で運ばれていた。

    文政11年(1828)吹上峠が開削されている。以降は吹上峠を越えてで黒沢.根ヶ布(ねかぶ).師岡(俵を詰め替える会所がありました)
  経由で青梅街道に接する経路が使われるようになった。


    jr東青梅駅のホーム西方の最初の踏切の北側T字路に「成木街道入口」の道標がある。起点から西方へ。先に立ちはだかる様に小曽木山稜が横たわると
  「黒沢2丁目」交差点にでる。南西角地には石仏石塔5基が佇んでいる。内3基が庚申塔とあるが.分からず通り過ぎている。
  小曽木山稜の吹上峠越えた西側の北小曽木川の枝沢出合には4体の石仏が祀られていた。

    成木八丁目で北小曽木川沿いに入り.成木五丁目で成木川沿いに入る。北側は都県界尾根が延び.南側は今日下ってきた
  夕倉山を擁する尾根(高水山東尾根)に挟まれた成木川渓谷を綴り.梅ケ平・大指(おおざす)を過ぎると成木集落に入り.新大指橋の袂でT字路にでる。
  左手は松ノ木トンネルを抜けての道は旧鎌倉街道。又ここから成木街道の終点までは鎌倉街道と重複していた。

    伏木橋を左に見て.ほどなくY字の分岐点に至る。左の分岐道は小沢峠へ向う鎌 倉古道.黒山や棒ノ嶺にも通じている。右は小沢トンネルを抜ける現代の道筋だ。
  また分岐点には東青梅からのバス路線の終点「上成木」がある。又成木街道の終点は小沢トンネルの入口になる。その手前には白い上成木橋があり.
  橋の下には先ほどの鎌倉古道が走っている。 また橋の袂の分岐道の直ぐ先で橋の下をくぐってきた鎌倉古道は小沢峠を越えている。

    過っての鎌倉古道は小沢峠を越えて秩父へ向ったのであろう。分岐道の入口に「小沢峠.昭和49年6月開通記念」と刻んだ大きな石碑が立つ。
  又先の新大指橋から松ノ木トンネルを抜けるか.成木橋から旧成木峠越えはていわゆる鎌倉古道を辿って.榎峠から平ら溝川沿いにJR青梅線軍畑駅にでられた。