| 中谷山尾根(猪通り尾根・要倉尾根) 要倉山から更に主尾根を綴ると伐採地から案下川側の展望が広く開かれる。要倉峠.御堂窪山.高茶山から本宮跡に寄り.南東尾根へ 関場から中谷山尾根.78号鉄塔と要倉山 要倉峠からは本宮山.本宮跡.南東尾根・・石祠 500m圏東尾根からは直接上案下の熊野神社 要倉山から更に主尾根を西進 頂から南西の植林帯の中.立木の白帯を追う.10:13頂を直角に左に折れ.そこそこの巡視路で急斜面を下り要倉峠へ 要倉峠の伐採地から南面に変わった展望 要倉山南尾根 要倉峠から左景の左・・要倉峠の伐採地が開かれる,10:19要倉峠から林相の境を下り.尾根を右へ.右へとくぬぎ林道へ下る作業道・古道がある。 古道の峠路 植林が途切れ開かれた伐採地の鞍部.要倉峠515mにでる。薄暗い植林帯を下ってきたせいか.急に明るさを増させている。 煌めき眩い展望が開かれた。峠の北側は案下から醍醐・戸倉.原へ至る峠路が要倉沢沿いに醍醐大橋に下りている。 道形はなく廃道化している。下り1時間10分. 南方は尾根から椚沢林道にでる廃道で.林道からは古道と縫ぎ.バックミラーの少し先で 林道と分かれて.古道から椚沢へ降り下案下にでて.又案下道と結ばれていた。 歩き易い作業道は460mで急激に落ち込み.小尾根を分けて左に植林をジグザグに下る。 又薄く消えて小尾根の右側をジグザグに下ると345mで林道にでる。 林道まで35分・砂防ダムから古道の案下路は林道を横切り.498m点尾根の末端を越え.下案下バス停辺りにある古道の道しるべの分岐へ。 35分. 又下案下から川井野間には椚沢橋を経る鞍骨新道が新たに綴られていた。・・今の陣馬街道 中央の奥高尾縦走路と堂所山から連なる北高尾山稜 峠の南面の左景・・斜めに下るのが要倉山南尾根.10:26堂所山北尾根が扇状に手前に広がり.明王林道に落ちる西尾根がはっきり眺められている。 右上が堂所山. 堂所山西尾根はのの沢林道へ。明王林道の終点から回り込む南尾根は堂所山南尾根に乗る。 又北高尾山稜に下ると北側に落ちる2つの北尾根が眺められる。便楼沢左岸尾根と鞍骨沢左岸尾根は次回横切り登った尾根群。 山稜を更に進む左方は三本松山。右下の尾根末端は高茶山肩からの498m点尾根から下案下に下りている。 陣馬高尾山縦走路の673m点コブの奥を横切るに奥多摩線の72号・71号鉄塔 左遠方に71号・70号鉄塔? が望まれた山並.10:26逆光で見ずらい中段が北高尾山稜の関場峠附近で.右下が鞍骨沢左岸尾根。 高茶山の肩.700m圏から東に延びる498m点尾根 右景・・北高尾山稜と奥は陣馬山540mの日当たりの峠.右に中谷山尾根が延び.谷間は椚沢流域.10:18 498m点尾根は椚沢右岸尾根に当たり.地図には破線路が記されてをり.498m点尾根の南東尾根を下った449m圏の平坦な台地で途切れている。 高茶山(本宮山)の正面下の窪地は熊野神社.本宮跡。下れそうな尾根の末端には案下道が横切る。尾根筋の踏み跡が残されていた。 小尾根は高茶山からの南東に延びる尾根で.尾根の末端は上案下の熊野神社が祭られている。尾根裏側の阿奈沢を隔てた裏側の沢沿いは 又本宮山の参道ルートで陣馬街道の上案下排水所に下りている。今回は末端の里宮.熊野神社に向かう。 573m点コブ 植林帯の中.10:38一度植林に入るもこの先に伐採地が広がり.椚沢を隔てる大展望が再び開かれる。 高茶山と椚沢のツメ 明るい台地と点々と続く伐採地.10:41右端の小コブを右に折れるのは本宮山北東尾根で.本宮山の北方へ尾根を下ると三ッ沢林道の終点に下りられる。最後は劇斜面とか? 一時の薮絡み.10:43御堂窪山(本郷山)650m 11:02主尾根の630m圏分岐は伐採地と植林との境でもあり.北側に離れ「本郷山」とも呼ばれる「御堂窪山」をピストンする。10:57. 本宮山の別名でホンゴウがホンゴウに訛った聞き違いかと? 当て字された山名。又周りの杉林は綺麗に手の入る私有地。 徒歩5分の距離. 頂は四方同じ雰囲気を持つ薄暗い杉の植林帯の中にあった。足元はすきりしていた。気持よい手入れの入る植林帯. 本郷山北尾根はオニナクボ右岸尾根の640mで右の尾根を下ると左側が雑木になり雰囲気が良い。 600mで右の東北東側に要倉沢へ落ちる枝尾根を分けている。両側が植林になって560mで左の北西へ尾根を下る。 右はやや急だがこれを下れば醍醐川.要倉へ下りられる。・・醍醐.勝負先の350m. 470mで尾根を分け.左は緩やかだが地形図を見ると 沢沿いの付近の等高線がかなり詰まっている。右の北北東へ急下降する。鹿柵を乗り越える。許可?・守屋氏 主尾根の分岐に戻ると再び南方の伐採展望が開かれる.10:06 左景.度々望み大きさを増す高茶山.10:59 右径.640m鞍部・・椚沢のツメ分岐.11:11椚沢のツメ鞍部・・地形図には450m圏まで左岸沿いに椚沢林道が綴られている。上部は踏み跡なくイバラの藪. 椚沢に薄い踏み跡らしきトラバースする踏み跡が見受けられた。途中下山で時間があり下れればと少し偵察するもバラ系の爪が絡む斜面。 数m進むにも苦労する。未知のルート.強引に進むルートでもあるまいと諦めている。 椚沢から案下・北浅川流域 鞍部から高茶山よりで坂東平野を一望する.11:13左が中谷山尾根.右は高茶山の隣り肩700m圏コブ東尾根。案下川と椚沢出合は要倉山南尾根の末端になる。 八王子・東京.新宿方面の展望・・椚沢→案下川→北浅川→浅川→東京湾. 椚沢の沢沿いは椚沢林道終点から450m圏まで破線路があり.伐採地にでる。 鞍部からの登りは直ぐ植林帯が頂まで続く。高茶山 小広く雑然とした頂・・金森山.高茶山.本宮山.11:30左手の小さな立木に「本宮山(高茶山)七三二m」とある。 本宮山 本宮山732mの直下に昔. 「この山の高さまで茶が自生していたこと.から高茶と呼ばれ.上案下では「高茶ノ峯」と呼ばれていた。 後に頂にある間伐記念で立てられた標柱に「高茶山」と記入さたため.「静かなる尾根歩き」に高茶山と紹介され.一般的な呼び名になっている。 その後.小さく「本宮山」の文字が書き加えられた。 植林の前は日当たりのよい小広い平頂だったのだろう。旧名は「金森山」とある。 「森」とい名も不思議。茶とは似合わない風土。過って山頂にあった熊野三社大権現が祭られ.熊野信仰の参拝道も通っていた。 山頂に元々あった熊野三社大権現は慶長14年(1609)の野火のため焼失したため.その後山麓の案下に移設されている。 この高茶山にあったことを記憶に留めておけるよう里人により.山名を「本宮」と称しされるようなった。 以前は小さな池があり蛙が大量に産卵し.古代の鏡が出土したともいう。今は南西面以外は植林に囲まれていた。 北高尾山稜 南西面に堂所山高茶山は植林に覆われ南面だけが切り開かれていた。それも雑木が満ち.冬季だけの展望になる。 この右側に延びる山道は高岩山へと更に続く中谷山尾根の山道。 北西に延びる尾根の踏み跡は登るに醍醐川三ッ沢橋を渡って三ッ沢林道に入り.左に踏み跡?を分ける。北西尾根の末端を僅かに回り込んだ スロープから取り付く。作業小屋520mの残骸があり.小笹の中の踏み跡をたどり高茶山にでる。関場から三ッ沢橋1時間・頂1時間15分.松浦本 新型コロナウィルス感染症の影響で山に釣り・ボランテァと中断して.丸3ケ月振りの山行は筋トレも疎かになり.バテている。 計画のミスはこの先.鞍骨沢左岸尾根から大嵐山北尾根を下り返すにはキツく.諦めざる得なかった。 無理して日没に下山するも苦しいだけの山行になる。急遽.上案下配水所への参道を下り.街道を散策して帰宅することにした。 2つの尾根を越えること自体が今は不可に思われた。それを現地で気が付く愚かさ。 ここまで来れば尾根通しに縦走できるが.この山域に留まりたく中谷山尾根と分かれ.本宮跡から上案下配水所への道を選んでいる。 所謂.少し戻って本宮跡を探索し.後は気儘に下山する。 本宮跡へ この先の南東面に本宮跡がある?山頂のこの下.南東60m先の小低地に本宮跡があるしい。眺めると藪絡みで窪地を抜けるのが厳しいかも? ルートがあることでますそこから歩み.難しければ頂に戻り考えることにした。 本宮跡の分岐.12:00頂から直接.本宮跡に入らず.守屋氏の「登山明細図」を参考に頂の東山腹へ回り込む。 幾らか登ってきた山道を北東へ戻り.3本の立木に古い透明とピンクの紐が巻かれた地点から右(東)の薄い踏み跡。 周りには薄い幾つもの踏み跡が残されていた。周り全てが踏み跡に思え.謎って下るのは無理。 前方の緩やかな起伏から更に右(南)に折れ.小さな溝筋を越えると平坦地にでている。 中央に踏み込むと目の前に「熊野神社本宮跡」の石柱が突き当たるよう立てられていた。脇奥に「熊野神社」を綴る板碑が添えられていた。 高みに囲まれた小平地は以外と藪草が切り開かれている。ここまで踏み跡はあるようでない。近くとも探索する気持ちがなければ分らないかも? 熊野神社本宮跡 12:07熊野神社本宮跡の石碑(高茶山) 熊野神社本宮跡には氏子建碑者名を刻んだ石碑と熊野神社の由来記が残されていた。 明徳2年(1391年)小沢石見が多摩郡小沢荘より当地に入植した際.熊野本宮・熊野新宮・那智三山のご分霊を遷し山頂に祀ったという。 山名は「高茶ノ峰(高茶山)である。慶長年間(1596〜1614年)の野火により山頂にあった熊野三社大権現社殿が焼失したため慶長14年(1609)に尾根末端の麓. 上案下集落に移され再建された。(元々の熊野三社大権現)はこの高茶山にあったことを記憶に留めているようにと.里の人が一般名詞として「本宮」を使ったに過ぎない。 八王子上案下の熊野宮旧蹟についての付図 多摩地域史研究会26回発表要旨の山道山頂から南東60mの小平地に.熊野神社本宮跡と氏子建設者の名前を刻んだ石碑.熊野神社の由来記が建てられている。 南西面以外は植林であるが.かっては小さな池ではカエルが大量に産卵し.古代の鏡が出土したという記録も残っている。 南東尾根の上部 笹の生い茂る本宮跡からの分岐.12:13今回は前半で山行を諦めた為.時間は十分残されていた。地図を読むと程よい距離の裾に「鳥居」の記号を見付け.上案下熊野神社だと判断した。 又下れそうな尾根と思い下ってみることにし.まず南東尾根の550m分岐まで下り.改めて探索を考えることにした。 下りは元の地点まで戻らず.平坦地の北東側に踏み跡を見付け辿ってみることにした。すると直ぐ笹原の大地に変わり.トラバース気味の踏み跡に入る。 そして主尾根から降りてきて踏み跡と合わさる。直ぐ現れ.探る必要のない楽なルートだった。尾根筋に変わり.笹薮の真中を綴り下るようなった。 幾から右に回り込み東から南東尾根へ.12:13 傾斜が緩むと確りした山道に変わる.12:13笹薮は膝程度から浅くなり.最後まで尾根筋を下ると笹も途切れるようなる。尾根筋から外れぬよう一直線に下る。 ただ嫌らしい急下降は短いながらあった。登りが嫌になる尾根だろう。距離はそれほどなくとも,迷うことはない。 地図を開けば直ぐ分かり.550m圏の分岐にでられる。 立木に点々とある白帯.12:19この後651mで下草がなくなり大地は見通しよい地肌へ 上案下配水所への尾根分岐 560m・・沢沿いへルートする分岐.12:32尾根筋の右端にあったトラバースする分岐。幅広い尾根の右端にある。下草が生い茂れば見過ごすかも? ただ直ぐ下は広い平坦地で.戻ればよい。ここから現実とは異なるが参道のルートを分けている。右に折れトラバースし. 550mで沢沿いに下れば街道の上案下配水所にでられる。その700m下が陣馬高原下バス停。時間的には30分ほどだろう。 他に下るルートがないかと地図を開き探ると少し下った所で.東に延びる小尾根があり.裾には運よく「神社」の記号を見付けている。 恐らく熊野神社だろう。焼失した本宮跡から新たに建立された新社.地形的には問題もなさそうだ。 名無しのルートから熊野神社に直接下ってみることにした。 下る筈だった西側の谷間.12:36分岐から右にトラバースし左の谷間に入り込りみ.左岸道を下ると配水所にでる。 幅広い550m圏の尾根台地 550m圏の末端近くの東に延びる小尾根の取付き.12:40立木に寄りかかる平板とテープがポイント. 一ノ峠・・尾根の更に下肩にあった石祠.12:42平坦な台地の先を見定めようと更に下ると崖縁手前で.真南の案下を向く石祠が祀られていた。 最初は三合ビンが祠の真中に1ビン奉ってあるだけだった。酒土器を少し離れた所で見付け.更に探すともう. 一つ見付け.改めて対に備えている。そして杉の葉枝を奥に添えカメラに収めた。 取付きの樹冠.12:52東尾根に下ることを決めた取付きに戻り.再び直ぐだが1本取り.寝転び天を仰ぐ。樹冠まですっきり伸びる幹の立木林が蒼空に染まり見事。 それにしても2月下旬になったばかりだが暑い。冬用の肌着にシャツの姿。行動中は丸首が少し煩わしいが休んでいると丁度良い。 寝転んだ右脇の緑に寝転ぶ関場から中谷山尾根.78号鉄塔と要倉山 要倉峠から本宮山.本宮跡.南東尾根・・石祠 500m圏東尾根からは直接.上案下の熊野神社 |