東尾根末端の熊野神社と案下街道
     熊野神社本宮山跡の南東尾根から550m圏東尾根を下り熊野神社・・街道をを下り上案下から下案下道・・椚沢.川井野.下川井野

    関場から中谷山尾根.78号鉄塔と要倉山
    要倉峠から高茶山.本宮跡と南東尾根
    500m圏東尾根からは直接熊野神社へ・・陣馬街道.上案下

    本宮山と南東尾根
   便桜沢左岸尾根の伐採地跡から本宮山尾根

     本宮山732mと東尾根の南西尾根の550m圏の東枝尾根の二又。左に折れるのが本宮山の参道ルートで上.末端に降りれば陣馬街道の案下排水所にでる。
   其の儘.右寄りに東尾根を降れば熊野神社の境内に降りている。本宮山の背稜右の小コブは650m圏コブ。
   薄く尾根筋に重なるのが498m点峰を擁する東尾根。右下辺りが陣馬街道の陣馬高原下bsになる。

   南東尾根550m圏分岐の平坦台地
   立木と板の目立つ東に延びる尾根の取付き.12:49

    550m圏東尾根
     尾根筋は1本の直線的な尾根で下草は殆どなく楽で枝絡みはあるものの短い尾根。道標類は取付きの立木に平板が
   紐で結び付けられているだけ。他の印は尾根道中に全くなく.1ケ所あったが切り落とされている。
   急坂を2ケ所を越え.アッと言う間に熊野神社の境内に降りている。熊野神社は東尾根の下端の中腹に建立されていた。

   植林帯に覆われた東尾根を下る.12:58
   480m・・一度傾斜は緩む

   450m圏.尾根らしさを増し急下降.13:08

   間の緩やかな斜面.13:13

   見下ろされた熊野神社.13:15

     尾根の真下に下端にある熊野神社を見下ろしている。下山のアプローチとして東尾根を選んだものの時間的にはそれほど
   変わらなかったようだ。ただ登りでは一直線の変化の乏しい激斜面を登らねばならず.本宮跡と繋げば飽きる登りになるだろう。
   熊野神社からは裾野が広がり.上案下の集落を抜けて案下川沿いの案下街道にでている。

    上案下熊野神社の里宮
   見下ろす境内は本殿と相.13:16

   380m圏.相殿の左脇から境内に降りている

    御祭神と六社を祭る相殿
    
                                          御祭神の右奥に祀られた石碑

     熊野神社は上案下の鎮守社。明徳2年(1391),小沢石見が多摩郡小沢荘より当地に入植した際に紀州の熊野三山
   (熊野本宮・熊野新宮(速玉)・那智)のご分霊を遷し高茶山の山頂に祀ったという。

     祭神は伊奘那岐命 (いざなぎのみこと).伊奘那册命 (いざなみのみこと).大日靈命 (おおひるめのみこと)で.その後
   慶長年間(1596年〜1615年)の野火により.社殿が焼失したため,慶長14年(1609)に麓の上案下集落に里宮として移され再建されている。

   右前方下に案下街道を横切っている
   明和8年(1771年)奉納の狛犬はいずれも小型で阿吽形の区別はあるが.玉取り・子取りなどの形式は見られなかった。

   阿奈沢(穴沢.安那沢).13:22

     498m点尾根の南側を落ちる沢で本宮山が金森山と呼ばれていた時代には金鉱山があった山。
   そのことから穴沢の穴とは坑口のことであり.この沢の上流にあったと思われる。

     石段から鳥居を潜り更に石段を下ると左脇を流れる小沢にでる。左岸は498m点尾根で右岸道が綴られていた。
   民家の脇を抜け小道から案下街道にでる。街道から外れている熊野神社はその入口は民家の脇を抜けるが道しるべがないこともあり.
   初めてだと分かりずらい。ポイントは上案下集落の真裏(奥)に建立されている。

   小道にでて「保安林区域図」.13:24

    498m点尾根と重なる東尾根
   案下街道に降りて上案下と東尾根を見上げる.14:33
    写真の頂点が550m圏の分岐辺り.

     集落の上部.2本の大杉が熊野神社の境内にあり.左上へ延びるのが東尾根。案下街道は別名では
   恩方街道・佐野川往還とあり.現在は陣馬街道と改名された。陣馬街道は八王子市の追分交差点で国道20号(甲州街道)から西へ分かれ.
   和田峠を経て神奈川県相模原市緑区に至る街道。山梨県道・神奈川県道・東京都道521号上野原八王子線の一部。

    上案下
     戦国時代は案下村といい.江戸時代に恩方村に変化したそうです。さらに下村・上村と分村し今に至ったとか。また「アゲ」とは峠のことで.
   片方が急斜面(案下峠を指す? (和田峠)になっている所という意味があるそうで.そこから「アンゲ」と変化したと言う説やアイヌ語説もあり。
   戦国時代. 後に出家した大石道俊が案下城を築城しました。戸倉城に移るまで隠棲とか。

    陣馬街道を下る
     板塀や板張りの古民家が街道沿いに続き.上案下の集落の外れに石仏群がある。左から文政2年(1818)の二十三夜塔,次が明和7年(1770)の秋葉大権現.
   そして4体目は明和8年(1771)と刻まれた庚申塔。・・八王子さんぽ「陣馬街道A」氏より抜粋。・・日差しの明暗が強く写真は撮れず.

    富士子屋山北尾根末端の4500m付近
   バス停「陣馬高原下」の広場から上流側を見上げる.14:21
    オキサツルシ沢と案下川の出合

     高茶山の北側から東に延びる498m点尾根の手前から南に下りる枝尾根の末端が街道に落ちている。
   裏側の谷間の少し上部が熊野神社になる。498m点尾根を選べば下って以外と面白い尾根かも。

   広場中央の案内板をアップした絵地図.13:34
    下河井野バス停まで街道を歩む。

   バス停前の鞍骨沢左岸尾根の中腹道登山口

     広場の右手にある休憩所と蕎麦屋「山下屋」との間の細道に入るとと北高尾山稜に至る尾根に乗る。・・山下ルート20分.又右上奥に福源寺がある。
   背に横たわるのが鞍骨沢左岸尾根. 本来はここから北高尾山稜を経て大嵐山南尾根を下る予定でいた。今回は街道歩きに変えている。

    双耳峰の要倉山
   下案下より・・要倉山562mと三角点峰549.3m.13:49
   要倉山の左肩下中央が要倉峠. 左の尾根は本宮山北側の700m圏から東に落ちる498m点を擁する尾根。

案下の道しるべ
終点.陣馬高原下bsから下った一つ目のbs「下案下」前.7:36
路線バスは陣馬街道(案下街道)沿いに下る

    下案下の道しるべ
     下案下バス停に独り下車.バス停前の細道に入る右角に.古い四角柱の石標「道しるべ」が立てられている。今年に入り.
   ここから案下道や椚沢を遡っている。石柱には右.「八王子」.左は「和田」と刻まれ.後ろの山側には「醍醐・檜原」と刻字されていた。

    今回は先ず下案下から要倉峠を越え「醍醐・檜原」への古道を抜ける。
  細道から古道で椚沢林道を横切り.要倉山南尾根から要倉峠を越え.要倉沢を下り醍醐に至る。前々回の林道までは.古道の取付まで殆ど同じルート。
  醍醐の「道しるべ」は醍醐林道と支線のニニク沢林道の起点に立てられている。



    古道と作業道
     要倉山の左肩が要倉峠の古道が横切っている。正面が要倉山南尾根.及び右山腹からの作業道が椚沢林道に降りている。
   左側から落ちる雑木の尾根は498m点尾根で末端になり.下案下からの古道が横切り.椚沢林道を横切り繋がれている。

     案下街道を下り.下案下から川井野へ右岸沿いに下る古道.案下路は聞いてはいたものの忘れていた。
   過って子供達と路線バスを使い何度か通っていた路線路を歩むのは初めて.日差しを右後方から背に受け.のんびり街道を歩む。

   中谷山尾根510m圏からの470m圏コブ452m点コブ
   下案下から望む案下川の下流流域.13:51
    ここ下案下から右岸沿いに鞍骨沢と便桜沢を迎え川井野にでている

     東方の集落の高みの背を横切るのが便桜沢左岸尾根の末端で.街道は大きく左手から回り込む。又集落内を抜けているのが案下路。
   鞍骨沢左岸尾根は椚沢を過ぎ.右に鞍骨沢を向かえ.林道を経て末端の380m圏コブを越え.山下屋ルートの分岐から北高尾山稜に480m圏にでる。

    峠越えの古道
     下案下バス停の手前に古の四角い石柱の道しるべがある。「右八王子方面・左は和田方面になる。山側は醍醐・檜原方面」の文字。
   山側の小道を進むと民家にぶつかり.左墓地. 右折して直進すると畑から再び橋に。沢沿いの道を左に分け.物置小屋を左に見ると2分する。

     直進して笹薮になり.左上を見上げると道があり古道になる。右下に廃屋の老人ホームを見下ろし.峠状の場所で尾根を越える。
   これは498m点尾根で明瞭な道。右に2つの作業道を分けると椚沢は間近,古い苔むしる橋からひと登りで林道にでる。バックミラーが見印にも。
   この先で林道と分かれジグザグに登れば要倉峠にでる。峠越えも廃道だが要倉沢沿いに醍醐へ下りている。守屋氏

   案下街道とくぬぎ沢林道の起点ゲート.13:55

     380m圏コブを大きく北側に回り込むと椚沢の出合にでる。その手前に林道椚沢線の起点のゲートにでている。
   ここで2019年の19号台風の被害が大きく「最上部は無理」と語る里人と出会っている。頂稜の鞍部ではバラ系の枝木の絡みが多く諦めていた。

     林道に入ると左手に旧老人ホームがあり.小沢を渡ると左の民家から旧道の案下路が合流して来て.その少し手前の右に大きな石碑が建っている。
   これは昭和の初めに案下川左岸の新道(現在の陣馬街道)ができたことを記念したもので.ここから川井野までの新道を「鞍骨新道」と呼び.今の街道。

     椚沢橋を渡り直ぐ右カーブを折り返す所で右手から鞍骨沢が入り込む林道鞍骨沢線の起点にでた。
   入口は鎖で塞がれ.幾つもの標識類が立っている。そのなかに「遊漁証がないと釣は出来ません。恩方漁業協同組合」とあった。
   林道は便桜沢左岸尾根に乗り終えている。又このは路線バスの自由乗降区間になっているらしい。

    三本松山北尾根の末端
   川井野にでて.14:10

     この直ぐ先がバス停「川井野」. 右に集落に入る枝道を分けている。「鞍骨新道」が出来る前の旧道で下案下にでている。
   三本松山の北西尾根(528m点尾根)の北側の支尾根. 奥側の支尾根が77号鉄塔尾根で.踏み跡が綴られ案下川に小橋がある。

   川井野・・背に案下川が流れる街道より.14:11
    何となく撮る。畑は今は裸土.同じスタイルで春を待ち立ち尽くす案山子

     便桜沢と案下路・・畑の右角から枝道を分け.街道の直ぐ先にバス停「川井野」がある。
   右に折れ川井野の集落からは便桜沢左岸尾根と三本松山北尾根の取付きがあった。鞍骨新道前の街道で.
   折れた所に「スカウトの森」700mの看板があり.集落からは案下路を右に分けている。

     便桜沢右岸道(419m点尾根)の木橋を渡り.右手前の小道から鳥居のある天王様(3つの祠)でて右脇から便桜沢左岸尾根に取り付ける。
   左岸尾根の400m圏コブに乗ると急下降で.その先の鞍骨沢林道の終点にでられる。

     又林道を南西へ鞍骨沢へ下り.急カーブ地点から鞍骨沢左岸尾根にも取付ける。又三本松山北尾根は「スカウトの森」の手前.
   便桜沢の二俣490mの中間尾根から這い上がれば北高尾山稜三本松山の西脇にでる。植林帯で展望はない。

   川井野の集落を抜け.14:14
   左手が中谷山尾根

   下川井野へ.14:16

    419m点峰
   下川井野から上流を振り返る.14:27
    鞍骨沢左岸尾根の東側に並行して連なる便桜沢左岸尾根末端の419m点峰

   バス停「下川井野」.14:17
    正面が三本松山77号鉄塔尾根の末端

     関場の手前で街道歩きを止め.バスが来るまでの間に.左向かいの雑木業の宅か? 洗顔をお願いした。
   長過ぎるホースが庭先にドクロを巻き.蛇口から水が出るまで先から分からず。又以外と旨い水.お願いした価値があり。
   これで山行を終える。道中出会ったた旅人は陣馬高原下でバスを待つ数グループと.林道のゲートとここでお会いした里人は2人。

    猪通り尾根(中谷山尾根)と本宮山・熊野神社
  

     スマホに記録された標示・・バス停「陣馬高原下」を過ぎた街道で途切れている? 妻の制作で私は全く理解できず。
   ただ自宅で妻は私の行動が一目で知ることができるらしい。jr新宿駅はまだ通路の工事が続き.大江戸線の改札へ迷ったことも知っていた。
   山中でも分らぬ私.機械音痴に悩まされている。

    14:17下川井野bs:30=15:03jr高尾.中央特快:10=15:55新宿・大江戸線.

     「下川井野」バス停から乗車した。団体が乗り全員が座り.私一人が立っている。関場・夕焼け小焼けからの乗客はいなかった。
   ただ次第に車中は満杯になる。運転手が「奥に詰めて下さい!」との言葉とは裏腹に大久保バス停で座席を確保. 高尾からは特快で明るい内に帰宅する。
   翌日はやや体が重くなるも.二日目は平常に戻っている。まず暑さ負けに筋トレ不足があったものの.ズルしたような後味の悪い山行になっている。

   地形図「五日市」.20210216中谷山尾根略図・登山道明細図奥武蔵,奥多摩東編・・シリオブーツ.17.428歩
   テルモス400cc。茶500cc・妻のカツ弁当.ホタージュなめ.リンゴ.バナナ.大福

     関場から中谷山尾根.78号鉄塔と要倉山
     要倉峠から高茶山・本宮跡南東尾根
     500m圏東尾根から直接熊野神社へ・・陣馬街道.上案下