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  2008年08月. アキアカネ・・飯豊本山の頂で

     どの頂でも登山者は少なかった。否や居ない方が多い。飯豊本山で出会った登山者も1組だけだった。
   ガスは現われては途切れ.再び陽が射しだしている。飯豊神社ではガスが切れると秋を告げる赤トンボの大群の中にいた。
   風に乗り舞うトンボ。風が弱ければ群れを成し流れるよう乗るが.少しでも風が強く乱れると群は流されバラバラに散る。

     夏を山で過ごすアキアカネの大群を見るのも久し振り.山頂では初めてかも知れない。
   雪田からの融水が多く.絶好の環境にあり.以外と暑さを嫌うアキアカネは里から避暑にここまで登ってきた。
   狭儀でのアキアカネの赤い体色は気温と密接な関係があるらしい。22〜25℃で.アキアカネは秋になれば平地に群をなし出現する。

     又色は赤でなく黄色である。それにも拘らず.夏の終わり頃から群をなし出現するウスバキトンが赤トンボと呼ばれていることも多いとか。
   アキアカネの軍団はもう直ぐ里に下る。産卵は田んぼ. ヤゴに成長しミジンコを摂取し孵化しアキアカネになる。
   本山から御西岳への南斜面は幾つもの広い雪田とお花畑で埋め尽くされていた。東北らしい豊かな山波が続いている。


  2010年09月. アキアカネ・・八ケ岳.地獄谷の林道終点.流対物防御抗堰Wで
     堰堤は以外に多い。この上流にも幾つもの堰が設けられていた。200m程先には赤いパイプで組まれた流体物防止抗堰が出来ている。
   赤トンボの群がハエのよう煩くまとわり付く場所でもあった。この1ケ所のみ淀むよういる。

     先の話になるがこのところ暫し.PTT問題が世の中を掻き立てている。毎日新聞社の社説「赤トンボの村守りには」によると農村問題と共に
   赤トンボの関連を論している。「私の田んぼでは稲株三株当たりで1匹の赤トンボが生まれている。稲株三株とはちょうどお椀1杯分のご飯に当たる。
   日本の赤トンボの99%は田んぼで生まれている。

     福岡県糸島市の農業宇野豊さんは田んぼの持つ環境面の機能について語っている。NPO法人「農と自然の研究所」を設立し
   生き物の調査に携わっていた人だ。「1人が1年間で食べるご飯で守れる生きものはアキアカネが275匹.アマガエル12匹.メダカ10匹に必要で
   絶滅危惧種の1/3は田畑の生きもである。」と。

     明治初期に東北から北海道を旅した英国人女性イザベラ・バートは「日本奥地紀行」を著し.美しい田園を讃えこう書いた。
   [草ぼうぼうの[怠け者」は日本に存在しない].全国の農村に見られる耕作放棄地という「草ぼうぼう」をいったい誰がつくったのだろうか。
   国策で米価のバランスを考え減反させ.今は金銭で解決させている。荒れた水田は益々増えている。


  2018年08月. アキアカネ・・北アルプス.乗鞍岳東面の雪田を横切り
     雪田を横切る所で避暑に山へ登って来たトンボの群れを見る。言葉だけで伝えると優雅さが漂うトンボ達。
   この小さな体は上昇気流に上手く乗る知恵を持っている。風が途切れるとトンボは私の周りに絡みつくよう寄ってきた。

     そして風が流れるよう吹き上げると風に乗り.何処かへ舞い上がり消えてゆく。山麓から避暑地として登って来たトンボ.
   優雅と云えば優雅。雪田や広い谷間の上流の水溜まりを求め,夏によく見る群。9時半になる。まだ雪表の2.3cm下は凍り付いている。
   蹴っても硬い跳ね返し.融雪と氷化を繰り返してきた。危険はないが気を抜くとよく滑る。


  2023年07月. 草津の黄色いトンボ・・芳の平.上信越自然歩道にて

     黄色いトンボ
     今年の芳ノ平では春蝉が賑やかだったと云うも今は0。変わって避暑に訪れた黄色いトンボが尾根筋を途切れることなく舞っていた。
   蟻の塔渡り辺りから延々と芳ノ平ヒュッテまで.驚くことに1時間半以上の長い間.トンボは群団を作り.凄い密度で私達の歩く先々をも.
   私達の体に絡みつくよう舞う。それほどの大群に出会っていた。何故? 層が厚いのだろうか。

     赤トンボは和名では「○○アカネ」と呼ばれる赤トンボ25種類。アキアカネは1年に1回発生して卵で冬を越し.平地の水田や湖沼で羽化し.
   育った幼虫(ヤゴ)は梅雨期に成虫になると高原地帯に移動して夏を過ごす。秋になると山から再び平地に産卵のために戻ってくる。

     この時期まではまだ性的には未熟でオレンジ色をしているが.成熟するに従い赤トンボに変身する。
   又最近のトンボの減少は農薬で処理した苗の中にあるとか? 大きな群団としては2018年8月の北ア・乗鞍岳東面の雪田.
   10年?の八ケ岳赤岳沢の河原と08年8月の飯豊山の頂に群がっるトンボには特に印象に残されている。


  2019年06月. 北軽井沢のハルセミ・・朝食時のテラスで・・蝉の残骸

     朝方.別荘の中庭のテラスのテーブルの上には1匹のハルセミの残骸があり.その上には5.6匹の蟻が群がるよういる。5cmにも満たぬ小蝉の残骸と
   少し大き目の黒光する働き蟻。噛み合う動作でハルセミの体が微妙に揺れ動くも.30分ほどはこの姿勢から変わらなかった。

    ハルセミ
     夏に鳴く蝉とは別の種類で早いところでは5月中旬頃現れ.7月下旬頃まで鳴き聞くことができる小型4〜5cmの小蝉。
   20度近く気温が上がりさっと初夏らしい日差しを感じられると一斉に鳴きだす。肌寒くなった夕方にはぴたりと鳴き止み.森も静まり返っている。

     北海道から九州まで分布。主に落葉広葉樹(ブナ・コナラ・クヌギ・カエデ等)を好む。寒冷地を好み.北海道では平地に,東北地方では低山地.
   関東以西では800〜1000mを越える高山に生息。梅雨の頃にブナ林から聞こえてくる蝉の声はまずこの蝉だと思って間違いはない。
   この鳴き声が途絶えると北軽に本格的な夏がくる。

     蝉の大合唱・・詳しくは「ハルセミとエゾハルセミ」があり.鳴き声は図鑑などでは「ミューキン.ミューキン.ミューキン.ミキューケケケケケーーー」などと書かれる。
   言葉で表現するのは難しいが北軽のテラスからは途切ることなく鳴き続け.それに加え小鳥の囀りが絡み合い賑やかさを増していた。

     そして翌2に赤城に外輪山.天目山にハイキングした。その鳴くボリュムは更にる群団の厚みを増し.1つの塊りのが.響きとなり.
   聞き取れぬほど音量は高く.ボリュウムも増している。なる。湖畔からの高度差は200m強たらず.ただ別世界のハルセミの究極の地が創りだされていた。


  2009年09月. 昆虫採集家・・大菩薩登山口から丸山峠の尾根へ

     始発の中央線東線.下り電車が新宿駅ホームに入線すると座席はあっと言う間に埋まり.車内の空気は一気に酒酔いの臭いを漂わした。
   暮れに御正体山へ出向いた時と同じような雰囲気になっている。不況と連休で朝帰りする人達で賑わい.立つ乗客も多い。
   それに比べ塩山駅南口から大菩薩登山口行の乗合バスは拍子抜けするほどガラガラだった。

     今年は秋の5連休が続き.快晴の風穏やかな好天に恵まれている。それにも係わらず.路線バスの乗客はハイカーが9人のみ。
   その1人の方と丸川峠分岐まで肩を並べ歩む。彼の趣味は登山ではなく昆虫採集家。高度1000m付近にあるヤナギの軟らかい枝先に集まる
   クワガタを捕りにきた。彼の一番推薦する昆虫採取の場所は奥只見のブナの森. 蝶は西南諸島が種類も数も多くよいそうだ。

   後は桧枝岐の奥のブナの森と。彼は長い細い筒のケースを背負っている。網が入っているようだ。ザックにはケースが沢山詰まっているようで
     外から見てもデコボコしていた。今日の目標を尋ねると通が抜ければよいとのこと。


  2015年11月. クワガタのサナギ捕り・・大畑窪左岸尾根.稲村岩尾根へと繋げ.榧ノ根尾根から入奥沢中腹道に入る

     日当たりの尾根台地にでて.稲村岩尾根にでる。ここは昨年3月に鷹ノ巣山から女の湯へ下った折.最初に休んだ場所だった。
   当時.この尾根台地は新雪が埋まり煌めき輝いていた。反対側が鷹ノ巣谷に延びるカイキ尾根のツメに当たる所だろう。

     高校生らしきグループが片手にコズチを持ち.登山道から少し外れて何かを叩いては足元にはゴロ石はあるものの.周りを見渡しても鉱物らしき岩石はない。
   尋ねると昆虫の幼虫を探し求めているとのこと。成果を聞くとオサムシ.クワガタの親指ほどのサナギを見付けたと云う。
   根元にかがみ込むように姿勢を丸め.仲間達とコズチを振っている。登る途中で.同じ格好をした2組の学生とも出会う。同じクラブの仲間達だろう。


  2016年03月. 本仁田山のヒオドシチョウ・・花折戸尾根との分岐で

     尾根の分岐.風の遮る陽溜まりに腰を降ろし1本取る。翅表がくすんだオレンジ色をした蝶が南面の乾いた台地に乗る落葉に
   ヒオドシチョウが舞い降りた。地面の枝屑や落葉に触れるか.触れない距離から跳ねるよう舞い上がり.小刻みにZ字を描き方向を変え.
   又同じことを繰り返している。

     数年前の3月,笹子雁腹摺山の山頂で.同じように動き回る一対のヒオドシチョウを見ている。
   成虫として過ごす期間が長く.初夏に成虫として育ったヒオドシチョウは冬越をして.次の春まで生きのび産卵.孵化し成虫するサイクルを繰り返している。
   あの時も暖かい日差しの中だった。小さく大きく舞い.メスの蝶を探しているのかも。・・2012年3月29日.その折簡単に説明を記している。

     それにしてもここから4.5m先の茂みに入ると雪残る世界に早変わりし.樹林帯を北西側に進むと北側の斜面は一面の残雪に覆われた。
   一昨日の降雪.昨日は異常な暑さで積った新雪が融雪した名残りで.北面に残雪は多い.それが今朝は御岳山付近の北斜面にも望まれていた。
   ただ強い陽射しにも係らず融雪は遅い。溶けてベチャベチャになる雰囲気はなかった。その雪斜面に気をよくし一歩を踏み込む。


  2017年05月. 趣味のチョウとカミキリ虫・・高丸山ツバノ尾根への日原林道にて

     日原街道を歩むのは私を含めて4名.2名は小川谷へ。もう1人は釣竿でなく.長い筒の様なものを持つ若者と一緒になる。
   蝶を捕りに来た高校生のようだ? 春先のこの時期.日原林道沿いは蝶の捕場所として.よく知られているとか。彼は網竿を組み立てながら共に歩む。
   1台遅れの路線バスで仲間達が集まると云う。その前に1匹でも確保せねばと。「頑張って!」と励まし別れている。

     孫惣谷出合手前で2人の年輩者と擦れ違った。彼等も長網を持っていた。尋ねると先生らしい。一足先に入り.収穫があったとか。
   「〜だよ!」と云われたものの.私はその場で蝶の名をもう右から左へ忘れている。私には無理な趣味.
   生徒さんに会ったと伝えると「ほう そうですか!」と笑い顔。楽しんで下さいと先に進む。

     そして八丁橋のゲートを潜ると林道は一旦舗装され.左岸に移った所で不思議なことに.再び長網を持つ青年に出会っている。
   彼に「蝶ですか!」と尋ねると「カミキリ虫」一本ですと答えた。「それだけですか?」の言葉に.彼は殆ど立木の周りを探れば居るかどうか判るとのこと。
   もう5.6年前になるが.9月に裂石から大菩薩嶺北尾根に入っている。その折.昆虫採集する若者に出会っていた。

     彼はザックに幾つものケースを詰め.ザックは見ため凸凹だった。尋ねると高度1000m前後のヤナギの木の柔らかい枝先にいる「クワガタ」を捕ると。
   その時.通は超すだろうと語っていた。その話をすると彼もその場所は知っているとのこと。同じムジナか? 聞くと又驚く私。
   ただ今回は何時もの年より.余りにも花の開花が遅いとのこと。下流で探すと下って行った。

     そういえば一昨年11月の初め登った稲村岩尾根では小槌を片手に持ち「オサムシ.クワガタ」の幼虫を探している高校生グループに会っている。
   それぞれが自分の趣として.味わいある姿に浸る思いを感じ取っていた。


  2017年04月. 御牧戸山北尾根のシオドシチョウ・・旧秋山村東端の低山

     左手には池之上北尾根が併行して突き上げているのが見上げられた。その先で尾根筋中央に残された熊の糞を足元に再び見て.
   シオドシチョウが舞い踊る姿を見る。翅表がくすんだオレンジ色をした蝶が日当たりのよい乾いた小石に舞い降りた。
   峨のような蝶.今回は井戸沢ノ頭からの下り尾根でも遇っている。

     2度のチャンスがありながら,写真を撮る間もなく飛び去った。飛ぶ先はやや距離があり諦めている。
   数年前の3月に笹子雁腹摺山の山頂で.対で何組か確認し暫く観察していた。又昨年3月には本仁田山の権現尾根分岐でも対面している。


  2020年10月. 蒲生山のカミキリムシ・・会津只見三山の1つ

     頂に立つと生え茂る松は松食い虫に害されていた。枯れた枝々の茂みは赤く枯れた無残な姿を何本も現わしていた。
   まだ元気な松も時間の問題らしい。手間は掛かるが放置すれば害は倍々に増えてゆく。松の木に膨大な被害をもたらす松食い虫は
   「マツノジセンチョウ」と云う体長1ミリメーターにも満たない線虫が松の樹体内に入ることで引き起こされる。

     その線虫を松から松へ運ぶのが「マツノマダラカミキリ」というカミキリ虫。春にカミキリ虫は羽化して.他の松の木にマツノジセンチョウを運ぶ。
   小枝の皮を食べる時,カミキリの体内から這い出したマツノジセンチョウが侵入。夏になると増殖し松の木を衰弱させ.
   秋にはその弱った松にカミキリが産卵し繰り返される。

     冬に樹皮下のカミキリの蛹室周辺に線虫が集まり.カミキリの羽化.脱出時にカマキリに乗り移るとのこと。
   全国の被害量はここ数年減少傾向であるものの,被害は北海道を除く46都府県に発生し.引き続き的確な対策を勧める必要がある。林野庁.


  2022年08月. 昆虫採集家.3組4人と出会い小蜂はよし ・・送電線の北尾根から小下沢林道を下る道中

     林道旧幕営地の上流側の最後の堰堤を過ぎると直ぐ左手から枝沢と云うようなはっきりした細い流れでなく.何処からか.漏れ出てきたような
   浅い流れを横切る。ここで西経路で会った彼と別れ.初めて1人の蝶収集家と出会う。よく見る蝶用の長竿を両手で掴み.体は半姿勢で川辺を見詰めている。

     尋ねると成果は鈍そうな声。暑過ぎるのか林道を下っている間では.殆どと云うほど蝶の姿は見られなかった。
   彼は暑さで水を求める蝶を狙い.じっと姿勢を崩さず.待ち構えていた。

     次に現れたのは林道が少し膨らみ下草が茂る所だった。彼は蜂の収集家。大き網で短めの竿を振り回している。私にはその蜂が分らぬほど小さい。
   手応えは十分あり.既に何種類の小蜂を確保したと喜ぶ彼。趣味となると何でもその領域の深さに驚かされている。

     更に林道を下ること数分で親子連れに出会う。先方から先で.蝶が舞う姿を見たか尋ねられる。見ないことに省がないと呆れ顔。
   やはり駄目ですかと声が返ってきた。茹す陽気は暑過ぎるようだ。春先から夏に掛け.この渓谷は昆虫採取する人にとっては結構名の知れた場所らしい。

     春先には蝶の収集家とは奥多摩日原林道で以前何度か会っている。
   甲虫類は大菩薩の丸川峠の手前1000m付近.サナギは晩秋の稲村岩尾根下部で.立木の根元を小槌を打ち獲っていた。


  2023年07月.小仏山日影林道のちいさな蜂・・萩沢作業道口

     萩沢作業道を下り.日影沢林道が近ずいた所で足元に小さなトカゲが1匹.左側から右へ横切る。10cm強の大きさで痩せ細く.
   やや青み掛かっていた。最近見ることは少なくなった。達者な足取りで右のハルジオン(春紫苑)か.野紺菊(ノコンギク)?
   その茂みに潜り込む。形は菊に似ているか.山花の全く分らぬ私。黄色い円形に純白の房が周りを囲むよう付け.眩い陽差しを浴びている。

     その一輪に蜜を吸う小さな小さな蜂をもい付けている。当然蜂のどころか.をアップしなければ蜂とも思えなかった。
   私にはその蜂が分らぬほど小さい。昨年夏に小下沢林道で出会った一人の蜂の収集家を想いだす。大き網で短めの竿を振り回していた。
   手応えは十分あり.既に何種類の小蜂を確保したと喜ぶ彼。趣味となると何でもそうだが.その領域の深さに驚かされている。


  2007年10月. 羽蟻に注意・・日光澤温泉の2階5号室にて

     今個室にいる。湯上りで体は火照ってをり,炬燵の中では足が熱がっている。寒い筈が障子もガラス戸も開けぱなし,陽は陰りだしていた。
   陽陰になった玄関脇から弱い風に乗り,煙が木のぬくごもりを持ち伝わってきた。炊事が始まったらしい。きっと私の為の煙でだろう。
   部屋の入口.右側に「羽アリ注意」の張り紙が張ってある。

     内容は「7,8月の夜に年に3.4回大発生する日があります。7時から9時でピークは8時頃。灯油のような臭いがする。
   羽アリが部屋に入った場合は窓を開け電気を消すように。窓を開けておく場合は電気を消すように」とあった。
   又「温度が高く晴れていて雨の降らない日.風のない日が注意。」とも。


  2024年04月. 蟻・・郡界尾根の「ウノタワ」へ.山中・横倉林道から苔石の群生地にでて

     アリの飼育.収集家のHP「あんつべ」氏は苔むすこういう所は1年中湿度が高い証拠ですからアリもいそう。この山域ではいろいろなアリが生息しています。
   この日(2020年1月24日)はまだ涼しかったため.見かけたアリの種類は多くありませんでした。登山口付近で7種類.稜線付近で3種類。
   特徴あるアリの写真がHPに記載されている。分かり易い解説に人を引き付ける会話が面白い。・・HP「あんつべ」


  2020年08月. 赤杭尾根の黄金虫(玉蟲)・・三ノ戸山の頂で

     川井駅を起点に蝉沢左岸尾根を詰め.雑木から三ノ戸山の頂に立つ。三ノ戸山は小さなコブの狭い頂で数人が集まれば溢れてしまうような頂だった。
   小石に座った向かいの白帯の立木に「二者分収育林地境界木」と立つだけで.山名標もない.何の変哲もないコブだった。
   植林に囲まれ.西北面は雑木の.この頂で昼食のカツサンドを摂っている。

     私の座る左脇の小石にはカブト虫を小さくしたような3cm強の虫君が私の食事中.身動きせずジッーと我慢してか? 体を休めている。
   死んでいるかとそっと触れるも動かず。再び見た時は飛び去った後だった。如何なる気持ちでジッとしていたのだろうか?

     大桃定洋博士タマムシ新コレクション展のチラシによると「きらびかな金属光沢を持つタマムシ。生きた宝石は.
   その美しさから飛鳥時代には国宝・玉虫厨子がつくられ.筆笥に入れると着物が増えるという縁起物の言い伝えがあったりと.古くから人々を魅了してきた。

     この艶やかな色彩・模様は種により極めて多彩ですが.一見派手に見えても.実は敵から身を守るためのカムフラージュや雌雄が出会い為の識別など.
   タマクシの生存戦略にとっても大きな意味を持つと考えられる。しかも金属色の構造は最新の科学技術ひも生かされつつある。」と。


  2023年07月. タモを持ち黄金虫を捕る・・高尾山4号路の休憩所

     ここまでは伊能忠敬が薬王院を経て高尾山に登ったと思われる旧登山道を歩んできた。4号路の休憩所にでて.蝶を採取するような
   大きな網の長竿を持つ.中年の恰幅がよい男性にで出会う。彼はコガネムシ1本の収集家. 今日はまだ見ていないとのこと。

     4年ほど前の夏.赤杭尾根末端の峰戸山東尾根を登ったをり.三ノ戸山の頂で.私の座る左脇の小石の上に.カブト虫を小さくしたような
   3cm強の虫君(コガネムシ)を見付けている。昼食中は身動きせずジッーと我慢して体を休めていた? 

     他でも何度かで何度も見ている筈のコガネムシ。過っては上野に街の中.我ケ家にも飛んできた。そんな覚えがあるものの.
   何か切っ掛けがないと忘れることが多く.思い出せなかった。昼頃には捕れるだろうとロープを跨ぎ.私が歩んできた「大見晴の森」で
   採集して戻ると云い分かれている。・・コガネムは大きく分けて.葉を食べるものと糞を食べるものとで大きく異なるとある。


  2023年12月. .コガネムシの新種・・12/13日の「グットモーニング」放映で.化石から?

     「見事な昆虫が.しかもかなり大きいですね。2.5cmもある」と興奮気味に話すのは.小学校で理科を教えている相場博明さん。
   新種のコガネムシの化石です。慶応義塾幼稚舎 理科教師 相場さんは「アゴの先が丸く2つに分かれている。こんな形の大あごを持つコガネムシは.
   日本には全然いない」。発見のきっかけは2022年9月.系列の高校での地学の授業でした。

     化石採集の体験を行っていたところ.生徒の1人が昆虫の化石を見つけたのです。「ただごとではない」と考えた高校は.昆虫の化石を
   研究をしている相場さんに連絡。相場さんは海外の研究者の協力も得て調査を進め.外国の似た種と比べても前脚の形が異なることや
   「あごの先が丸く2つに分かれている。こんな形の大あごを持つ.コガネムは.日本には全然いない」。

     30万年前の新種で間違いないかと判断し.国際誌に論文を発表しました。「授業中に新種が見つかるという例は.おそらく世界でもないのでは
   ないか」と.新種のコガネムシは発見した生徒の名前が「八谷(やたがい)さん」だったことにちなんで.「ヤタガイツノセンチコガネ」と名付けられる。


  2023年08月. 笹尾根のコガネムシ・・茅丸の登りで

     先月.高尾の4号路のベンチが沢山ある休憩所で.蝶を採取するような大きな網の長竿を持つコガネムシ1本の
   恰幅がよい中年と出会っている。彼は体系とは似つかわしくない感じを受けるコガネムシ収集家。
   お会いして月を開けて笹尾根での昼食後.字福尾根を右に分けた山道で.細かい石片の隙間に小さなコガネムシがいた。

     這い上がってくるようなスタイルで.小さなコガネムシが蠢いている。カマキリやかカブトムシと異なり.何となく.可愛らしい動き。
   れっきりとした大人だろうが.番いなり.子連れを見たことがないが? 如何にしたものか? 何時もポッンと現れる。
   やはり趣味となると奥が深い。


  2007年11月. 尾瀬のトクサ・・沼田街道.大清水バス停にて

     物見山から大清水橋を渡り.大清水の大通りにでた所でタイミング悪く乗客0の路線バスが目の前を横切った。
   1時間程待つが染まり行く山肌の紅葉に酔い.それ程苦にならなかった。バス停付近はトクサ(カメムシの一種)が大繁殖。
   唖然とするほどの数がいる。道路には潰されたトクサが点々と跡を塗りつぶし..数える間もなく体にまつわり付く。

     絞めたザックの口や中にもトクサはいた。何時ものことか? 地元の人達は誰も全く気にしていな様子。
   バスの運転手は冬眠前の準備で大繁殖,「潰すと臭いぞ!」と声を掛けてくれた。秋の晴れた日に一斉に飛び冬眠の所に移ると云う。
   潰すと凄いやな臭いを発していた。

     今年最終便に
擦れ違う車はない。昨日の鬼怒川から女夫淵に抜けた満員の路線バスは立席の乗客も多かった。
   それが嘘のよう山を越え.今日最後のバスは私一人を運んでいる。唖然とするばかりの驚きの世界.錦秋の大地は満ちている。
   「凄い! 凄い!」と独り言のよう連発する私。バスの運転手はそれを聞き.自慢するようなハンドルさばきで黄葉の樹海を走らせる。


  2020年10月.浅草岳のカメムシ・・只見.民宿「いわさき荘」にて 


     只見米の新米は焚きたては何とも云えぬ美味さ。冷えたご飯だけで何もなしに食べられる絶品。昔.越後魚沼地方で食べで
   驚いたことがあるが,忘れていたのを想い出すほど。そんな会話の途中でカメムシを見付け騒動になる。潰すと臭いにおいが起きる。
   そっと捕り外へ放せと言うも雑で.捕まえて壁から落ちた。T氏は1人,昨日孫と戯れ疲れたと横になっている。

     落ちたカメムシを苦労して探し.外へ放すも又カメムシは現れる.。それが室内に舞い幾匹も現れた。放したカメムシが風に乗り.再び部屋に戻る
   姿も見て笑いがでる。私は監督的な立場? S氏が1人頑張っている。そして又現れた。K氏も協力するが見失うこと暫し。補助もなくなった。

     一昨年尾瀬大清水で丁度今頃.下山の折カメムシの大発生と出遇わしている。産卵を迎え路面は一面に点々と車に潰されたカメムシと
   黒くうごめくカメムシが群がっていた。潰されると凄く臭い. 避け切れず踏み潰してはザックを探ると中にうごめくカメムシがいる。
   その状況を知っていたので.部屋に入っても焦る気は起きなかった。それにしてもここでもカメムシは多い。

     只見の動物は熊に猿.タヌキで猪はいないそうだ。今年は熊の出没が怖く.山菜採りは行わず購入したとのこと。
   紅葉は秋に入っても寒暖の差が少なく1週間ほど遅れている。明日は始発の只見線で..臨時停車場の田子倉駅から浅草岳を登る。


  2007年08月. 上高地線のイナゴ・・バス「信州号」の車中

    1匹のイナゴ
     同期Oが時刻表を名指し強引に帰京を促した。又もやバス「信州号」の世話になる。外で慌しく着替え食事を抜き.酒を買い求め車中の人になる。
   低公害車のシャトルバスに1匹のイナゴがいた。Oの手の内にイナゴが握られていた。
   たった1匹のイナゴが私の手元にいる。長い足を折り立派な顔だちのイナゴだった。

     昔よく越谷や春日部の田園へ親子でイナゴ捕りに行った覚えがある。軽く煮付けると美味い素朴な味で.慣れると美味い。
   幼い子供達もイナゴ獲りに夢中になり.喜んでよく食べていた。イナゴは沢渡で車中に迷い込んだようだ。
   復路もその1匹がバスの中で跳ね回っている。最後列に座っている子供に「要るか!」と尋ねると体を硬くした。

     私は手を離し.イナゴは再び車中に舞い上がる。帰るには早い時刻.「信州号」の大型バスは21名とガラガラだった。
   出掛けと同じ最後部2列の座席を独占する。ただ夏休み最後の日曜日.大月付近で渋滞に巻き込まれ帰京はやや遅れ気味になった。


  2020年11月. ほうき窪の天道虫・・焼山峠と乙女高原自然観察路を下り

     車道歩きは1時間ほど.最初の飽きがでたところで右手に展望が開かれた。バス停名に「ほうき窪」とある。
   鼓川対岸にある漆川集落への分岐で.見ずらいが鼓川対岸に大樹に囲まれる集落が見下ろされている。

     てんとう虫・・ザックを開き.休んでいると黒にオレンジ色の斑点を持つテントウ虫がザックの肩に飛び降りた。オホーと見詰めると私の肩にも飛んできた。
   又目の前に3匹目が現れたと思う間もなく.開かれたザックの中に入り込む。一辺に3匹を見るのは初めて.そっと摘み上げザックから放す。


  1967年05月. 鳥海山の雪蜘蛛・・雪田で

     賽ノ河原のでて一段と広がる雪田代.雪質はまだ締まっている。凝る肩にスキーを右に持ち.左に掛け登って行く。
   駄々広い斜面にタツチラ坂の長い堤も.田代にぽっんと1本立つ岳樺も過ぎた。上へ上へと続く雪田代の大斜面と柔らかな起伏,
   はびこむ這松の群.途中何度も足元に雪蜘蛛を見る。

     どのようにして生きているのだろうか? この広大な雪原に,小さな小さな蜘蛛が雪のカップに動めいている。
   強い日差しに汗が垂れシャツを濡らし.「暑い.暑い!」と怒鳴る竹永先輩。どうしようもない春の馬鹿陽気。
   汗が垂れ吐く息までも熱い。雪原に居ながら熱い風がたむろっている。そこで又この小さな蜘蛛を見付けた。

     調べてみると「変温ぢう物なので暖かい日に冬眠から醒めた遥か西の暖かいところから飛んで来た蜘蛛は空を飛ぶようです。
   秋風に乗って空に舞い上がり冬眠状態で風に乗って旅をする。落ちたところが適していれば住み着く。」とある。


  2010年08月. 九竜山の蜘蛛・・送電線10号鉄塔を過ぎて

      蜘蛛の巣・・山径は確りした踏み跡だが下草が生え蜘蛛の巣が多く激しく絡んでいる。小留浦水源の森までは駅から1時間ほど歩いている。
   既にズボンもシャツも汗が滴り.パンツも汗でビショ濡れになっている。また体中から吹くでる汗は留まることなく.吹き出すよう続けている。
   その上.顔を拭き取る汗は.その都度サングラスを外せねばならず.それも我慢を強いられていた。

     サングラスの効果はてき面だった。蜘蛛の巣の白く煌めく微光の糸が見逃すことなく分かる。登る方向と陽射しの関係が噛み合っていた。
   樹林の枝々に絡む蜘蛛ノ巣はタオルで振り払いっている。切りって.汗でベタ付く手の甲に蜘蛛ノ巣が付くとヘバリ付き.取るのには以外と苦労する。

     陽射しは森の木陰で遮られるも.蒸す暑さに風はなく我慢の為所だった。ひたたる汗を拭き取っては黙々と歩むのみ。
   早くも1本取り.短パン.半袖シャツに着替えさせられていた。藪枝に肌が傷付くも仕方があるまい。擦り傷より暑さの方が勝っている。
   鞘口山の登山道まで幾つもの擦り傷を両腕.両足に生んでいる。これも猛暑トレーイングになるのだろうか?


  2025年09月. 中谷尾根の高茶山東尾根・・木祠を過ぎると2mほどの大蜘蛛の巣が重なる森

    大.多の蜘蛛の巣
     この尾根は蜘蛛の巣街道とも云えるほど巣が満る尾根。連続する蜘蛛の巣は写真を記録に撮れば直ぐ数10枚になるだろう。
   前回と日陰乗鞍北尾根と変わらぬ尾根だった。否.それ以上に規模の大きな尾根だった。

     前方をよく見定めずに歩めば.飛んでもない災害にぶち当たる。メーンとなる巣は張りが広すぎ.顔面を覆うだけでなく.上半身を包み込む。
   それは恐ろしいほどの威力を発揮する。細い割に糸は強く粘りけが強い。蟻地獄の如く.自分から飛び込むと後のホローができなくなる。

     両手を使い蜘蛛の巣の絡みを解すのは当たり前だが.それが丁寧に出来なくなる。両脇も粘り強い糸に窯られられ.安易に取れば残された糸は更に体に絡みだす。
   見えない肩に掛けても同じ。一度.二度だけなら諦めも付くが.この先.無限に張り巡らされた蜘蛛の巣を丁寧に取らぬと動きが悪くなる。
   大変と分ると猶更丁寧に取るしかないだろう。この蟻地獄にはそれを知らぬ深みを持っていた。
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     また繰り返され.如何にか慣れだすと避ける術をも持つようなった。ストックで2.3回大きく切れば.壊れる巣。
   すると余裕ではないが.凄い設計の蜘蛛の巣を壊すのがもったいない気持ちをも持つようなった。余りにもの回数で人情が出てきたのかも知れない。


     翌日午後5時頃偶然.NHK「へんてこ生物アカデミー」の放映を偶然見ることになった。・・蜘蛛の糸
   ヴァーオリンの弦と蜘蛛の巣. ストラディバリウスの音色に挑む。4本の弦のうち3本が蜘蛛の巣で.1本あたり.約1万5000本はオオジョロウグモの糸を束ねて作られた。

     鉄と比較するとその強度は同一密度で約4〜5倍あり.給水ホースほどの太さで旅客機2機相当の重さを支えられるといわれています。
   糸はたんぱく質を含む粘液が腹部にある複数の突起から空気中に分泌され.固まることで作られます。・・奈良県立医科大学.大崎茂芳氏

   帰宅した翌々日の午後.山で出会った蜘蛛が食卓の脇.ザック居座る蜘蛛を妻が見付けている。・・改めて「蜘蛛の糸」は子ども科学電話相談から抜粋

       「蜘蛛の糸」・・子ども科学電話相談からのダイジェストで
     結構身近にいるオオジョロウグモは大きなクモで多く蜘蛛の巣を張っているのだが.それが700mの糸を出すのが調べられていた。
   クモの糸のもとになるものもが.もともと体の中に液体であるので.その量を使い果たすと終わってしまいます。
   たぶん何十キロも出すことはできなくて.せいぜい1キロくらいじゃないかなと思います。

     沖縄には大きなオオジョロウグモというクモがいて.それは1000mぐらい出すと思う。クモは一回出した巣を食べて.また栄養にもしている。
   最初に作るときはお腹の先に「糸いぼ」という.穴の開いた「いぼ」みたいなものがあり.そこからネバネバした液体をだしている。
   それが外に出る時に固まって糸になる。納豆の糸って分かるでしょう。

     蜘蛛の巣は脇になる糸と中に縦糸と横糸があって.最初に脇になる糸を張って.それからまず縦糸を.時計みたいな感じでバッテンを繰り返す感じで糸をだす。
   自分の糸に引っ掛からないのもおもしろいしくみで.クモには縦の糸と横の糸があるけれども.縦の糸は体にくっつかないようになっています。
   ペタペタしていない。 横の糸だけがベタベタしている。だからクモはクモの巣の上を自分で歩くとき.縦の糸に足が乗るようにうまく歩いているんです。

     また蜘蛛の巣のほぼ中ほどにいるクモはそれほど目はよくないが.昆虫が掛かると大きさに関係なく.素早く近より.粘り気の糸をからめる。
   日本でも沖縄でシジュウカラがジョロウグモの巣にかかって食べられたというニュースがありました。


  2017年11月. ブナハバチの幼虫・・甲相尾根.雷木沢左岸尾根の1100m付近で

    ブナ類の衰退
     熊の糞を2ケ所見つけ,緑色の目立つアセビにブナの林.時折モミの木が混ざる尾根。
   モミの木の根元でカラカラの枯葉に緑色の濃い小さなミノ虫を見付ける。縮じんで1cm強.何故か足元をよく見ると3匹が忙しく尺取る動きをしていた。
   これは蛾の幼虫か? ブナハバチの幼虫だろう。 食葉性昆虫の仲間で5月頃に発生する幼虫だが.18℃という陽気で蠢きだしたのだろう。

     2004年から2005年に丹沢大山総合調査で.ブナハバチがブナの主要な衰退原因の1つであることが突き止められている。
   2007年は大規模発生の年になり.丹沢では1000m辺りからブナが見られ.そのほぼ全域で被害が受けていた。

     特に塔ケ岳など中央部から檜洞丸や大室山に至る西丹沢の1400m以上の主稜線部で.ブナの衰退が進んでいた。
   白石峠から蛇口丸に掛けての1100m付近でも枯死木が激しく.南に面した日射指数の高く.土壌の水分指数の低いほどブナの衰退は進んでいる。

     又衰退が進む地点ではブナ以外の樹種の樹勢低下も進み.モミは1960年代から大山で立ち枯れが生じ.大気汚染と峨の一種が大量発生し.
   その幼虫の影響を受けていた。ウラジオモミは1980年代以降.ニホンシカの樹皮による立ち枯れ現象を起こし進んでいる。

     丹沢のニホンシカは戦後一時.狩猟による減少がみられたが.保護と拡大造成に伴う伐採跡地などで1960年代には個体数が爆発的に増加。
   それでも1980年代までは積雪が多く.シカは越冬できないため.生息の高密度化は殆どなかったようだ。

     ただ暖冬少雪傾向が顕著になる1990年代中頃から主稜線部に越冬が見られ.集中的密度化が進み,ブナ帯でのスズタケは消失。
   シカによる林床植生の衰退が加速し.2000年代に入ると更に顕著になった。
   シカはブナ稚樹の若枝,若い葉.冬芽を採食するため.それらの植物の更新を妨げる要因となっていた。


  2008年08月. アブの一種.メジロ・・飯豊連峰.天狗ノ庭にて

     桧山沢天狗ノ庭沢のツメよりには人に壊された台地の後退が進み.裸地化した窪地には残雪と池塘が混ざり.厳しい状態に荒れ崩れている。
   草地より裸土の方が多く目立ち.その下には長く雪渓が繋がるも.保護の為細い紐で入域禁止が示されていた。
   1980年代までは幕営地として.溝切りや登山道の侵食による土砂の流失で裸土化が進んでいた。

     小国の飯豊連峰保全連絡会が中心となり各行政の保護団体・ボランテァ等が現在植生回復の為の行動を行っている。
   9月02日.保全連絡会が多くのボランテァを集め.梅花皮小屋を基地に人海戦略でここ天狗ノ庭で種採り作業と緑化ネットの保全事業を行っている。

     反対側の飯豊川寄りの窪みで.風を避けて昼食の仏パンを齧る。広いお花畑で大休止した。ホタージュあっての食。
   サラミ・ツナのサラダ漬けは乾いた口に合わず。又銀バエに似たアブの一種.やや小さな「メジロ」が煩く手足にまとわりつき刺される。
   数多くは刺されなかったが誰もが刺され.音なく近寄るメジロの痛みは痛烈だった。私は手の甲を刺され.喘ぐ我慢の痛みを受けている。


  2011年08月. 下山,小朝日岳のブヨとアブ・・朝日連峰を南下して

    ブヨとアブ
     中ツル尾根の灌木混じりの痩せ尾根になり.コブを1つ越すとブヨが多くなる。ブヨはパーティーの列.先頭から中間のSでやや多く.
   ラストの私はブヨに酷く絡まれた。煩く頭にまとわり付き腕の汗にも絡み付く。乱れたブヨ柱が私にまとわり付き.手で払いのけては叩く。

     煩く舞うブヨを叩き振り熊越にでる。ここから鋭く黒倉沢の側壁が落ち.ガスを切った谷底には雪渓が雪白く見下ろされた
   そしてタオルを腕に巻き防ぎもした。両腕に1ケ所ずつ刺されただけで済んだ。左腕は静脈の上に刺されている。

     腰の所が白い小アブの「こすじろう」の襲来は入山.下山時に凄いと聞かされていたものの.古寺鉱泉付近で数匹に気が付いただけだった。
   今回は用心の為.虫刺され軟膏を処方してもらい予防シートも持参するも.この天候では運がよいのか悪いのか? 最後まで使うことはなかった。
   この下流に朝日鉱泉がある。飯豊地区の小アブのことを川入の集落では「メジロ」と呼んでいた。


  2014年05月. 鍋割山周辺の蠅・・栗ノ木洞南西尾根から.三廻部林道に下りて振り返る

     蠅
     5月も半ばを過ぎ.念の為山ビル防止用ガムテープを持参するも.好天に恵まれ必要はなかった。
   ヒルに変わったのが蠅。先月までは殆ど気にならなかった蠅が.5月になると以外に多く舞っている。

     蠅の量を尾根順に比べてみると.やはり朝方とは言え.丸萱尾根では気に掛かりだし.多かったのが鍋割山北尾根.小丸北尾根の順で.
   玄倉沢の河原で食事を摂った時は蠅を払い続けている。鍋割山でも同様だった。それに比べ栗ノ木洞南西尾根では見られぬほど少ない。

     多いと云えば昨年の奥多摩タワ尾根も多かった。凄さでは時期にもよるが一昨年の御坂山塊.十二ケ岳から節刀ケ岳の河口湖側になる。
   蚊柱の如く群れで襲われている。碌に落ち付いて食事も摂れなかった。それでいて北側の上芦川側は1匹の蠅も見られなかった。
   東京では殆ど見られなくなった蠅が.郊外の山々では入山者数に合わせ増しているようだった。これも細かな残飯のせいかも?


  2017年05月. 高丸山ツバノ尾根のコバエ・・石尾根にでて

    春の虫
     喬木帯の急斜面の尾根に入り.薄暗さから明るさを取り戻した1354m圏。枯スズタケの茂り始める手前で倒木に座り昼食を摂る。
   今回も妻の作った牛丼弁当. ただ座ると同時.箸を持つ前に奥多摩特有の春先に現れる猛烈に繁殖したコバエに襲われた。
   コバエに蚊.アブが顔に首.手首へと素肌に這い付くよう絡み襲ってくる。手で払いのけて沈み込む相手ではなかった。

     食事も間々ならず.蚊柱の群れの如く.コバエが顔にまとわり付き.アブもいる。酷く小虫は耳や目.鼻の穴まで飛び込んできた。
   うっとうしさで.何時もなら食事を摂るのを諦めている。今回は妻が郊外用に「どこでもベープ1」を購入してきた。それを試してみる。

     払いのけては直ぐ戻るコバエの繰り返しで群がっていた。スイッチを入れファンを回し.足元に置くと虫達はやや間を空けるようなった。
   見えぬ壁を隔てコバエ達が群がるよう囲む様子が伺えた。食事を摂れば唇にも触れるハエ。顔当たりだけは避けられた。.食事に有り付いている。
   ただ経験とは云え.ここまで我慢して昼食を無理に摂る必要もないだろう。一度中断して風のある所に移ればよい。

     ただ妻が購入し感謝し試す必要があった。
   野外用電池式携帯虫除けで.基準は分からぬが世界最高水準の5倍利くと云う。5×5×厚3cm.ベルト固定.200時間.¥800


  2016年05月. 岩菅山の半端ではないブヨ・・山頂肩ののっきり

     雑魚川に下る聖平への下山路分岐にでる。獣達の足跡の次ぎ現れたのが刺すブヨ. 2つのベンチがあり.小さなブヨが人にまとわり絡みだしてきた。
   避ける間もなく後輩の立松君はブヨの塊に襲われ.私のベンチ近くに戻ってきた。ブヨは更に追ってくる様子で.早々に発つことにした。
   後は岩菅山までピストンするのみ。最後の胸突き八丁を登りさえすれば天空の頂に立つ。のっきりから岩菅山の頂に掛けて.ブヨが多い。

     これから夏に掛けて虫除けスプレーで効果がでるほど多い。細かな小ブヨだが纏わり付き.刺すというより食いを強く感じる痛さ。
   違和感を肌に感じるとブヨが食らいついてきた。蚊の痛さとは異なり.刺す痛さでなく.皮膚を噛み切りるブヨは.
   時には数日痛みが続くこともある。8月上旬に訪れたハイカーは下山して2週間痒み悩まされたとある。

     越後に類するブヨは越中でも同様だが関東・奥多摩方面のブヨ.小バエとは異にしている。
   頂からガレた急岩稜斜面を20分ほど下ってノッキリに戻っている。直進すれば入山してきた金山沢ノ頭からの登山道になる。
   右手に折れ小尾根の北側を巻くよう横切り.アライタ沢沿いに下りる。

     ノッキリを過ぎるまではブヨに手を抜けなかった。そして下るに連れブヨ騒動も途切れるよう納まっている。
   程よいスピードで30分ほど下って右手を見上げれば岩菅山の山容も大分高さを増し.ホッとし見上げられるようなった。


  2020年07月. 真名井沢ノ頭のブヨ・・昼食時

     防火帯状に石杭が続き.緩やかな斜面を詰めると群生する春蝉が突如一斉に鳴き始め.騒然とした煩さの中にいた。
   昼飯の場所を探しつつ登るも煩すぎて通過した。真名井沢ノ峰が見えだす手前で気持ちのよい所を見付けている。
   ただ南風で尾根越は無風状態で暑さをもろに受けている。休むには少々気掛かりで更に諦める。先は頂しかなくなった。

     弁当を開けた途端.物凄いブヨの大群が群がり襲われる。箸を持つも.余りにも小さくよく分からぬところから襲ってくる。
   口を開ければ唇に.耳の中へと突進してきた。やや強い北風に変わり.尾根裏の茂みに逃げ込んだものの.ブヨの大群に留めなく襲われる。

     このような場合は移動するか.食事を諦めるのが常だった。防虫器を忘れたが今回は居座ることにした。座った足元の下草を丁寧に取り除き.
   コブシ台の小石を探し出て.,両足の中央手前に置き.煙草を1本斜めに立てる。防虫用に用いてて耳はタオルで防御.
   小バエの場合は難しいが小ブヨに紫煙の効果は抜群だった。遠巻きにいるものの偶には触れる程度に変わっている。


  1968年08月. カムイエクウチカウシ山の藪蚊・・日高連峰北東部

      カムイエクウチカウシ山八ノ沢カール
   八ノ沢カールは札内川本流を右に分け.八ノ沢の源流を詰めるとカムイエクウチカウシ山東面に位置する八ノ沢カールにでる。
     北面は1903m峰に繋がる支尾根が延び.南面は山頂から連ねるm1853峰と1807m峰に囲まれている。 
     その谷間には九ノ沢カールと大きな八ノ沢カールが構えている。c5はカムイエクウチカウシ山を越えた九ノ沢カールの源頭に設けている。

      藪蚊
   八ッ沢カール草付の広がる壮大な台地. その中ほどに設営を終えると漸く晴だしてきた。
     カムイエクウチカウシ山の頂からは障害物もなく.何処からでも見上げられた。員すこぶる元気。午後の一時.トカゲに精をだす。
     ただこの山域は薮蚊が物凄い。本土では考えられぬ蚊が服の上から襲ってくる。全長5cmはある細い蜘蛛のような大蚊。

   長袖で顔にはビニール袋を被る。真とも立ち向かえる相手ではなかった。
     逃げ道は真夏なのにテントをびっちり締め.香取線香を焚くのみ。線香の効き目を知らぬのか効果は抜群だった。

   それ以外は覆面が必要だった。野外の炊事等の仕事には以外とビニール袋がよく利いている。
     息苦しいなどと贅沢な言葉を吐く者は誰もいなかった。北国の山懐に入り.これからが長い道中,悩ませ続かれることになろう。

    朝から晴,八ノ沢に入り快晴となる。雲湧くも高雲で視界は良好,
      日本付近は太平洋高気圧に被われ夏型の気圧配置となる。北海道東部では雲多いが全国的に晴れ。
     正午.八ノ沢二段目ノ滝.1100m.風力0.雲量3.絹雲.視界良.25.5℃.


  1967年08月. 立山の耳虫・・常願寺川.立山温泉分岐から五色原

     アクシデント2.転落で食料が不足し.次に耳虫の難には診察所へ・・追分から歩き出して直ぐ新崎の耳に虫が入るアクシデントが起きる。
   偶然2度目の災難に後輩の新崎は遭い.痛みが酷く歩行さえ困難になる。ライトを当てたり塞いだり.色々工夫するも.その効果はなかった。
   虫は暴れ回り.痛がる一方で這い回るよう体を踊らしている。入山間際でもあり.一度水頭と診療のため立山温泉まで降ろさせた。

     しかし如何にしようにも打つ手はなかった。耳に入った虫とは云え,新崎自信が判断し掻ねていた。戻った水頭.新崎を伴い.私も更に1時間程下った
   採石事務所の水谷診療所に訪れる。湯谷川下流.砂防用軌道が引き込まれている所で.大規模な工事現場で飯場があった。
   その間.他のメンバー4名は西村先輩にもお願いし.工藤指揮の下.少しでも高みへとピストン輸送させた。

    頑張る虫
     虫はかなり大きく鼓膜の傍で羽根を広げている為.如何する事も出来ず.無理すると鼓膜を傷付けるそうだ。
   殺虫を申し出たが断られてしまった。虫が自然と外へ出ることを願い.明日五色ケ原でもう一度診察して貰うことで引き返す。
   新崎に不安が募るが.耳虫が自然に出るか.死ぬのを祈る以外に方法はなかった。

    五色原山荘の夏山京大診療所で新崎を看てもらうが.やはり強引に取ろうと時間を掛けるも取れず。自然のなす間々にする以外なさそうだった。
   真っ青に晴れ渡った草地の大地, 体を寝かせ.目を瞑れば夢の心地に快い風が通っていた。皆.頂の草原で頂稜に出た喜びを体で味わっている。
   だが新崎はしょぼくれていた。早くと思うが新崎のショックは大きい。耳の虫と.もう笑えなくなっている。

     ザラ峠で昼食後,内蔵ノ助カールまでと思うも今日から歩き出したようなもので,気が落ち込みペースは乱れている。
   仕方なく龍王.鬼岳鞍部,黒部側雪渓上部に天張った。幕営地は未指定だが.のこ事情だけに監視員には説得している。

     朝方.耳虫の件は如何にか落ち着いた。彼の笑い顔で虫が耳から飛び出たか? 死んで耳から抜けたか分からないが.痛みがなくなったと。
   1年生新崎,頑張ってもらいたい。彼は今日から新たな気持で歩み続けるだろう。


  2009年07月. 耳虫・・会津駒ヶ岳キリンテへの下り径

     中門岳から戻り会津駒ヶ岳を越えキリンテへ。枯葉径は左手が山側となり.茂る枝木の雨雫を葉一杯に溜めて..過ぎればその雫を浴びることになる。
   シャツの左肩.袖がビショビショになった。大枝は左手で掴み庇い.雫が落ちぬよう工夫するも雫は度々落ちてくる。

      耳虫・・濡れる頭を避ける意味もあり.左手の甲で時々庇っていた。そのタイミングが左耳を庇う形となり.耳の中に虫を誘い込んでしまったらしい。
   手の内に当たった虫が逃げ場を失い耳の中に入り込む。暴れる虫にザックを放り出した。コヨリを作り刺し込んだり.片足でちんちんして落そうと試みる。
   だがどんな動作を加えても虫は耳の中でジッと堪え.これらの動作を止めると今度は暴れだす。虫の羽ばたきが耳膜を強く刺激した。

     雨が一瞬止み.陽光が樹冠を通し私の顔を照らしだす。早速耳口を陽光に向け.射し込む光を耳穴にに誘い込む。
   周りに誰か居たら無様な格好で体をよじる姿は滑稽そのものに思えるだろう。光が耳に入り込む姿勢を繰り返しえは耳口を塞ぎ.
   耳中を真っ暗闇にして又開けることを繰り返す。考え方はよいと思うも虫は出ず。

     耳たぶを引っ張りながらチンチンを繰り返している内.虫が出た。やはり手の内に当った黒い小さな虫も.助かったと羽ばたき飛び去っている。
   暴れた様子からは分からぬほど小さな虫だった。ホットする私.何処くらい時間を費やしたか分からぬものの安心して1本取り.腰を降ろしている。
   ブヨのような小さな虫でも体に入ると怖いもの。不思議と歩き始めた時は.陽は又閉ざされていた。


  2018年10月. 西丹沢西のダニ・・西丸・東丸を擁する尾根で

     マダニ・・鹿が増えれば寄生するヒルやマダニが増えるのも当然で.ヒルは東丹沢地区に多く.裾野の本厚木方面・市街地にも広く分布しだしている。
   又水ヒルは水郷へ鮒釣りに出掛ければ春先に水田でよく見かけているが.丹沢ではユーシン沢源流で見たことがある。
   この周辺は現在も藪漕ぎが行われる山域で.ヒルと更にマダニが生息するとのこと。

     マダニは日本紅斑熱.ライム病などの病原菌を媒介しているので噛まれたら.まず決してマダニの腹部を掴まぬこと。マダニの体液が血管に入ってしい危険。
   無理に引っ張ると皮膚内に口器が残ってしまうので.トゲ抜きなどで摘まんで回すよう抜くとよいらしい。
   少々動くには暑いがマダニの防止策として.今回はジャンバーでなく.薄いジッパー付きのカーデガンを用意し羽織っている。

     雨上がりの雫落しの尾根筋でひと安心するも.治まれば今度は行く先に蜘蛛の巣が幾つも張り付き.肌にピッタリ付き歩きずらくなる。
   藪ムチも治まりホッとするも.顔や腕に絡み付く蜘蛛の巣.ストックを刀代わりに振るうことが多くなった。逃し絡めば取りずらく更に憂鬱になった。


  2025年08月. SFTS「マダニ媒介の感染症」.NHKニュースより

     マダニが媒介する感染症.SFTS=「重症熱性血小板減少症候群」の患者数が過去最多となる中.4年前.ネコから感染したとみられる島根県の獣医師が
   NHKのインタビューに応じ「SFTSは命に関わる危険な感染症で.ペットを飼う人は正しい知識を身につけてほしい」と警戒を呼びかけました。

     感染すると6日から2週間ほどの潜伏期間のあと.発熱や倦怠感のほか、おう吐や下痢などの症状が現れ.重症化すると血液中の血小板が減少して.
   出血が止まらなくなったり.意識障害が起きたりして死亡することがあります。 厚生労働省によりますと国内でSFTSと診断された患者のうち.死亡した患者の割合は
   27%と報告されているということです。

     患者には対症療法が行われるほか.去年(2024年).抗ウイルス薬の「ファビピラビル」が治療薬として承認されています。
   感染を媒介するマダニは.主に屋外の草むらや畑.森の中などに生息していて.農作業中や、山の中を歩いている時に.かまれることがあるとされています。
   厚生労働省では、マダニに刺されないよう.農作業や登山で草むらなどに入る場合は、長袖や長ズボンを着用し.肌の露出を少なくするよう呼びかけています。