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  1968年04月.熊の解体と肉・・巻機山.民宿「雲天」にて

     熊の解体・・スキーツァーから戻り宿に着くとオヤジさんは約束通り.大きな熊を仕留めて戻っていた。宿の玄関前に証拠の大熊がデンと横たわっている。
   どう運んだのか大き過ぎる図体がデンと玄関前のタタキに横たわっていた。村人が集まると目の前で解体が始まる。
   手捌きよく皮が剥がされ肉塊りに分けられ.「美味いぞ!」と言いいながら.どんどん細かい肉片に変わっていく。

     僕はサンダルに両手をポケットに突っ込み.見る見るなくなる熊の肉塊りを見詰めていた。ヤジさんが熊のマタギナベをご馳走してくれた。
   ただ食べるにも最初の一口が大変だった。なかなか獣臭さが鼻に付き.口に付けることができなかった。メンバーの誰もが最初は勧められるも口に付けられず。
   肉切れを鼻先に近づけると凄い悪に悩まされる。直ぐ拒絶する強い刺激に襲われた。

     オヤジさんの食え々と云う言葉に拒むも.狩してきたばかりの熊肉を拒み切れず.鼻を摘むよう一口.口にした。
   強烈なアクの後.筋もなく思いのほか柔らかい肉と出会う。ニンニクと同じで.一口食べれば悪は薄れ美味かった。

     特産でしか食れない九州の特上の馬刺しの感触が口の中に広がり.今度は幾らでも飽きずに食べられた。一口で熊の悪は無くなっている。
   主人が一番良いところを出してくれたのも事実だが。酒がでた。5合徳利に肝を冷やすのも面白い。又酒を注文すれば一升ビンを持ってくる。
   若いだけで.それ程.豪酒メンバーに思えるのだろうか。

     前日は姉夫婦の結婚式披露宴でケーキを分けてもらい.子供達も集まりだすと話は弾む。
   酒を呑む私のヒザに.もう何も言わずに末っ子がちょこんと座っている。そして酒宴は終わることなく.夜遅くまで呑み尽くされていた。

     囲炉裏・・今日の疲れが1人減り.2人減り.とうとう僕独りになった。囲炉裏端には僕と女将だけになる。子供を混え陽気に騒ぎ.急にしっそりした為か.
   女将が自分の出家を語りだす。今でも残る村八分. それは血縁で固められた部落の.他人に対する嫁入りの哀しい話だった。
   女将は普段.誰にも云えぬ言葉を発散するよう静かに語っている。それは私とっては懸け離れた侘しい素朴な深みを持つ話。

     重たい言葉だった。無言で頷くのみ。今の時代でも.まだ残っている現実を。都会育ちの僕は素朴な感情に飢えている。だが現実は本人にしか判らぬ.
   きつい厳しさを持っていた。僕は慰める言葉もだせず.聞くのみでいる。そしてパチパチ跳ね上がる薪の音だけが妙に響き聞こえていた。


  1968年08月. 日高の野生の羆・・日高北部.コイカクシュ札内川からカムイエックカウシ山.幌尻岳と綴りエサマントッタ別川を下る。

     帯広駅でニペソツ岳に向かうDパーティと別れ.午前中に帯広営林署.十勝支庁に手分けして挨拶に出向く。北海道は殆どが国有林で形式ではあるが
   入山許可書が必要とされていた。現地の羆予防の解説書には「ヒグマや鹿は多いが騒がずやり過ごせばよい。日高の熊も鹿も危害を加えることは
   まずあるまい。」と述べている。本当なのだろうか? ヒグマは月ノ輪熊より凶暴と聞いているが。支庁で鈴を持参したと伝えると笑われている。
   ・・道内や内地という言葉が暫し会話にでていた。又道内では百円玉はまだ見かけず.全て百円札だけが出回っていた。

     幌尻岳から七ッ沼カールに戻る頂稜で.ガスの切れ目から東カールを横切るヒグマに見付け見下ろす。かなり離れているが広いカールの中央をヒグマが移動していた。
   親熊の脇を跳ねるよう敏速に動き回っている子熊。初めて野生の羆を見ている。遠くからでも見ても大きな熊だった。

     44年は学内紛争により山行は不能になる。cL関根. 翌々年s45年には男子3pが7月28〜14日に掛け日高山脈に入るも.ヒグマが出没する。
   福岡大WVは羆に出偶らしく.日高山脈の入山は全面禁止となった。我が日高3pは現地で急遽全員が帯広から大雪山系へ変更させられた。cL松本.

     福岡大WV.5人pが逃走中にヒグマに襲われ3人の命が失われる。7月25日.九ノ沢カールで夕方ヒグマに遭遇。キスリングの中の食糧を漁り.
   一旦姿を消すも.夜明けに再び現われテントにこぶし大の穴を開けて去っている。翌日出発の準備をしていたところ再び来襲。テントのザックを漁り姿を消す。
   もしこの時点で下山していれば全員無事里に下りられたのかも知れない。1時間ほど歩き稜線にテントを張り直し.翌日.山を往復するという決定を下す。

     その日再度姿を現したのが夕食を終えた午後4時半頃。テントを離れ様子を見ていたがクマが立ち去らない為.
   八ノ沢カールにテントを張った鳥取大WCに助けを求めることにした。稜線を下り始めた5人はクマに追い付かれる。
   4人は岩場に身を隠し一夜を明かした。逸れた1人は石を投げ如何にかテントに逃げ込むがテントの主は避難してもぬけの殻だった。

     翌27日朝.15分ほど下った所でクマに襲われる。2人は如何にか下山を続け救助を要請している。3人を襲ったヒグマは29日.10人のハンターにより射殺された。
   ここまで執着したヒグマはキスリングの中に美味しい食糧が入っていることを学習していた可能性は充分考えられた。
   彼等がヒグマに遭遇する前日の24日にも.北海岳友会pが現場近くで同じ固体と思われるヒグマに襲われている。3つのザックを奪われ九死に一生を得ていた。


  1972年10月. 那須の月ノ輪熊・・大峠への尾根道で

    月の輪熊に出愚わす。
     三斗小屋を上から見下ろし.小径の西側に同期大川と陣取っていた。静かな尾根径が続いている。北温泉への分岐を分けると通う人もいなくなり.
   三本槍ケ岳を越え大峠へと尾根上の潅木混ざりの山径を歩んでいた。秋の明るい陽差しを浴びながらのんびり下っている。
   眼の前に黒い獣が突然現れる。せいぜい10mか.15m先をツキノワグマが横切る。唖然と立ち止まる同期.大川と私。

     体が硬直し動くこと硬できず.眼が据わってしまっていた。ゆっくりした動作で目の前を黒い大物が横切った。
   私より一回り大きな熊.もう姿を消し大分達つが動けずにいた。目の前が真っ暗になり.何も分からなくなっている。熊か?

     互いに確認し頷く大川.彼もまだ言葉がでずにいる。ほっとするも気はまだ焦っている。言葉もだせず.息は治まらず.暫く激しく鼓動し治まった。
   真近で見え過ぎた熊の姿。又何時現れるか不安が募る。仕舞にはジヤンケンして.先を決めるも最初の一歩がなかなか出ずにいた。


  2006年07月. 真新しい熊の糞・・妻と梅雨期の尾瀬ケ原

     山小屋は満杯だったが長雨で何処もガラガラの尾瀬ケ原を妻と2人で歩む。2本の木道が並行し.並ぶよう歩み.花を見ては立ち止まる。
   終わり掛かったベニサラサドウダンの群生とカキツバタの群れ。池塘の浮き草に蛙がいると止まり.郭公の鳴き声で谷間を見詰めてもいた。

     そう云えば熊が出現したと注意の看板を見る。そして北側の立木.幹には熊の爪で摺り切れたような跡と木道に獣の真新しい糞を見て戸惑する私達。
   傍にあった注意看板には「熊は大人しい性格だが驚くと襲ってくる」。又看板には「会話しながら歩くよう」記されていた。

     本当にハイカーは少ない。交差する人も間々会うのみ。広い湿原に木道が延々と綴られている。
   ただ小雨とはいえ.降り続く雨粒は私達に休む場所も与えてくれなかった。ポイント.ポイントでも休むことなく歩む。ただゆっくりと。



  2012年06月. 熊の糞がデンと・・堂岩山南面の熊笹山腹で

     白砂山をピストンし堂岩山にでて1本取る。雨雲に追われるよう戻っている。堂岩山南面の山腹を回り込み.足も心軽やかに下山していた。
   尾根巾が広がり緩やかな起伏の笹尾根径を歩む。草原状の草地が広がり.左手は猟師沢が大きく口を開け源流を抱えている。

     源流帯は見渡す限りの熊笹で覆われていた。所々で認められる草付きも.呑み込む勢いで強く迫っている。
   熊の糞・・小径がやや広がる場所の真ん中に.熊の糞がデンと盛り上がり残されていた。
   真新しく黒ずむ艶のある糞が大きく盛られ.湯気を上げのて湿気に満ちている。今済ましたばかりの姿にも思えた。

     3人で「熊だ!」.「瑞々しい!」.「今日のものだ!」.「新しく黒光している!」.「堂々としている!」と感嘆詞が発せられた。
   縄張りを示しているのだろう。何時も一番目立つ道の真ん中に盛り上がりを示している。緩やかな鞍部でも長い木道や狭い山径では見たことがない。
   必ず周りより広く誰もが分かる場所に残されていた。神経質で大胆な熊。今回も周りをゆっくり丁寧に見定めてからソッとしたのだろう。


  2012年08月. 若く勝ち気な月ノ輪熊・・立山.太郎兵平からで

     太郎兵平の下りは針葉樹林から公葉樹などが続き.尾根道は急坂に変わっている。次はコーヒータイムにしようと再び三角点台地から急坂を下り.
   窪地のような小径で.両側を樹林の枝々が張り出す狭い所だった。300m程下った所で前を歩いていたハイカーから「熊だ!」と声が飛び散ってきた。
   そして下ったハイカーが登り返してくる。4人.5人と駆け上がってくる。熊の体格は大人ほどの大きさ。黒い塊が四ッ足で肩を揺しながら山径を登ってきた。

     我々も急ぎ戻る。つい先ほどまで熊防御用スプレーの話で持ちきりだったが.それが現実のものになる。
   幾らか広がりを見せる高台にでて.直ぐさまポケットから笛を取だし.命一杯吹く。そして三角点台地の降り口に立ち.更に腹に力を入れ吹いた。
   熊は前方15m程の所で止まることなく.径を塞ぎ更に体を揺しながら向ってきた。後がない。もう一度大きく息を吸い吹く。

     すると右に被さる樹葉に熊は方向を変え.藪の中に飛び込む。私のいる場所から距離にして10mもなかった。
   何故か心は落ち付いていた。熊は雲の道へ回り込み逃げている。私1人が降り口に戻り.自然の間々の動作で力強く.もう一度.笛を吹いている。

     今まで藪に入る時は一度か二度. 熊が出そうな鞍部に立つ前に笛を吹くか.大声を掛けている。3年前だったと思う大菩薩の藪尾根で.
   イノシシと出偶わしたと思ったら大きな熊に驚かされている。目線の右側前方の笹薮がそこだけを大揺れさせ.笹葉を揺れ動かしていた。
   最初は小笛から大きく笛を吹き.それが耳に入ったのか? 谷間の方に向きを変え逃げ去っている。熊と向き遭い笛で立ち向かったのは今度で2度目。

     今回は逃れる場所がなかった。私の後には.後から逃げてきた人達の壁ができていた。10数人の登山者に伝えている。ホッと尻もちを着く。
   そして「熊は右に逸れた!」と伝え.そこに暫く留まっていた。
   何故,そんなにも落着き.自分が逃げなかったは判らない。ただ三角点台地に熊が上ったら大変なことになっただろう。

     小熊もまだ親離れしたばかりと思われる。好奇心が大せいで助かったと思う。ただ残念だったのは仲間の1人から「笛を吹いたから
   熊が近寄ってきた!」と真面目に聞かされた時だった。英雄を気取っているのではない。それなら私の前に立ち止って欲しかった。
   ガイドと云いながら直前まで熊話で盛り上げていたのは彼。私の後輩である。その自慢のスプレーさえ持参していなかった。

     昔・・同輩大川と晩秋の那須連峰に入り.大峠付近の痩せた尾根筋で目の前に大熊と出くわしている。
   あの時は目線で遭っていた。驚きが先に立ち,2人は全く動くこともできなかった。

     手も足も硬直したまま.熊が尾根を横切り,見えなくなっても暫くは動けずにいた。逃げる動作もなかった。
   去っても暫くは動けず,動き始めはジャンケンし先頭を決めてもいた。
   又遭遇することがあり動ければ一番先に逃げ出すかも知れない。否や間違いなくそうするだろうと思ふ。

     改めてここでコーヒータイムを取る。暫くして振り返ると今下ってきた小径に熊が現れ.登り去るのを見ている。
   ここ三角点標の東側の藪に獣道が既にあるのだろうか? 再び折立へ下り始めた時には.熊が横切った所には獣道口が臨まれた。


  2012年11月. 熊の慣習・・檜峰神社前のスーパー「とみや」で

     熊の慣習・・黒駒釈迦ケ岳から檜峰神社を経て神座山林道を下り神社前で30分バスを待つ間.左斜め前のスーパー「とみや」で缶ビールを購入。
   その間,女店主と会話を楽しむ。熊に遇ったか尋ねられ.今年の8月に北アルプス折立の下りで熊に追い掛けられたことを話す。

     この地区では桃の季節になると必ず熊が出現する。それも同じ畑の同じ桃の木に食害すると云う。
   毎年のことで.その木が駄目になると改めて別の木を選び,また同じことを繰り返す。同じ熊だろう。

     このように熊が畑を荒らす習性は何処かで聞いたことがあるが咄嗟のことで頭にでず忘れていた。
   甲斐大和の古部の集落のやはり果樹園だったと思う。? バスで考えるも具体的に想いだすことはできなかった。


  2012年12月. 土俵際に立った月ノ輪熊と対峙した私・・笹子落盤事故現場と熊との遭遇

     北面を望むとこことは別に又紅葉美を増させている勝沼尾根が左の肩下がりで見渡された。樹間の隙間から望む左下の日川渓谷沿いの集落.。
   川底は朝方の柔らかい日差しを浴び始めていた。共和・長柿辺りの集落だろう。少し西側に目を向けると今度は植林帯との境目に勝沼尾根と
   その尾根越しに.甲州高尾山の山並が大きく姿を現している。山頂付近を横切る水平な林道が目障りに刻まれ.それが又特徴ある山肌を現していた。

     藪尾根を覚悟していたが尾根に立つと,尾根はすっきりして見通しは良く.朝陽の日当たりが明るい藪絡まぬ尾根になっていた。
   最初の急登で汗を掻き.羽毛からチョッキ.ジャンバーに着替えている。程よいペースで進み.尾根そいは幾らか平坦な傾斜を保ちつつある。

     ホッとするものの見上げる尾根の前方に.何か黒い塊が蠢いている。咄嗟に熊と判った。


   下を向いていた熊は首を捩じるよう頭をもたげた。それと同時に目と目が遭い.大きな顎口からは「ヴァォー!」と叫び声が飛び散る。

     大の字に背を伸ばす威圧的な鋭い叫び声だ。よく映像で見るライオンの叫び声に似ている。
   目が遭い.向い合わせの熊がゆっくり前進し近づいてくる。本当にゆっくりだが間違いなく.間は迫り近ずきつつある。目の前に大熊がいる。
   私は素手で立ち止った間々の姿. 如何すればよいのか分からず.見詰めているだけだった。熊は鋭い目を離さずにいた。

     更に距離は縮まってきた。ついに熊と向かい合い.土俵際に立つ。如何するべきか? 体は硬直し動けなくなる。
   熊との間隔が後数mに迫ると間を空けずして熊は大太刀になり.体中の毛が立ち.更に大きく見えた。直立不動に任王立ちし競り上がる熊を下から見上げる姿。
   咄嗟の私は何も考えられず目だけは熊から離さずにいた。それが自然の姿でとして熊の動作を鏡のよう真似する自分を後に知ることになる。

   如何に動いていたかは無意識の動きで後に知ることになる。熊の動きに倣て咄嗟に私も腹一杯に空気を吸い.大太刀に構え.見詰めた間々.
   両素手を大の字の広げ.「ウォー」と同じ声を腹一杯叫び返していた。無意識の動作で熊の真似をしていた。目は熊と見詰めあった間々動かさずにいた。

     少し体を屈め腹一杯に大気を吸い.両手を更に目一杯に広げ.腹の底から叫び返す。我ながら悠然とし堂々とした構えだったと後で思う。
   その叫び声が何故か? 勝ったと思えぬが大熊が私の目の前に両手を揃え.一瞬止まり.斜めに2本の前足を落とし横切った。右に逸れ谷へ消え伏せる。

     黒い背が見え.四つん這いでゆっくり肩をうならせ突進してくると思われた。それが幸いにも脇に避けてくれていた。
   動けぬ私は熊が見えなくなっても動けずにいる。そしてポケットから笛をだし.ひと笛小さく.大きく笛を吹く。

     今年は夏にも北アルプス薬師岳で熊に追い掛けられている。熊を刺激するなとよく云われるが咄嗟に自然と声がでた。
   何もせずジッとしているわけにもいかなかった。今ただ如何しようと思い続けている内に無になり.自然と動き出した姿だった。
   今回は晩秋と云う一番悪い時期に幸運にも如何にか最悪な事態から免れられている。

     人も生き物.動物である。圧巻の厳しい寒さの朝方は本能的に暖かさを求めるのは常に当たり前のこと。生き物は皆同じ動作を示している。
   人も同じだった。この時期になると一度荒天になり降雪になると積った雪は融雪することなく年を越すようになる。一日中.日陰の沢底なら尚更凍るだろう。

     痩せ尾根から大らかな鞍部にでる所などでは地表が雪原化すると獣の行動がよく分かる。
   兎も鹿も.獣たちは居心地の良い場所に集まり.雪表の大地に幾つも足跡を交わせ残されていた。

     日差しの通るよい条件の所には積雪期でも.無雪期の水場や日当たりのよい所でも同じこと。
   今回も雪中に熊は悠然と足跡を残している。それでも集まる生き物たち。厳冬期に入ればそこは尚更.楽園になるのだろうか?
   今回は今のところ.一番最後に足跡を残したのは私になった。


   2015年02月. 熊の糞・・高川山西尾根

     先に道標はないが里の裏山を歩くような平坦な起伏の山径。緑のスズタケに日差しが淡く照り付け.愛でる見慣れた自然の風景を創っている。
   そして大きな熊の糞を見た。先程通った清掃工場らしき敷地が小さく覗き込まれ.以外に奥深く見下ろされていた。

     この間にも熊の盛り上がりを2つ見付けている。1つはまだ水気を含んでいた。更に猪掘りの穴が2ケ所にあった。
   糞の距離と数に割に糞は多く残されていた。重なり合う山並みの深みから思うと熊の生存密度の濃い場所だと思われる。
   朝方は営林署の職員に「好きですね!」.「熊と猪が多いので注意して下さい!」と言葉を頂いていた。


   2025年08月. 知床の樋熊と月輪熊

     8/14日午前10時頃. 知床.羅臼岳付近で.「友人が熊に襲われ引っ張られていた」と警察の通報から.15日に午遺体で発見された。
   57年ほど前の8月.RHCは夏合宿で北海道の日高北部の山域に2年続けて入る予定だった。帯広営林署に入山届を提出. 熊対策に笛.鈴を持参したと
   伝えると笑われた時代だった。グマを恐れ笑われている。この時は幌尻岳北カールの遠目で眺めていた。ただ翌年は大惨事が起きている。

     私達が熊の恐ろしさを知ったのは翌年現地に入ってから福岡大の大惨事を知り.日高全山が即.入山禁止になっている。
   福岡大の5人パーティが日高のカムイエクウチカウシ山の九ノ沢で天幕を設営中に熊が現れたことから始まっていた。

     襲われてからは他校2に援助を頼み.戻ったことで災難を大きくしてしまっている。食料から始まり.3日掛け襲われ.
   3名は死亡.樋熊は八ノ沢で多くの猟師により射殺されている。マスの不漁の影響か? 縄張りを持つ樋熊の食の関心は他の動物以上に強い。

     それにしても国立公園内. 観光等に気を配り過ぎる傾向が強い中.もっと規制なり.罰そのものの必要があるのでは。
   観光でも釣船と同よう登山はある程度自己責任があった方がよいのでは。その都度云われるものの.その場主義に走っている傾向が強い。
   熊.以外にも山には猪に鹿.野猿もいる。まず「動物に餌を上げるな!」と云いたい。


  2025年09月. 本仁田山権指尾根で月輪熊の糞.2盛り

     築魔山を越えたこの先.続いて2ケ所で月ノ輪熊の糞を見ている。古いのとまま新しく積もる糞.今月上旬には醍醐の高茶山肩700m圏東尾根で.
   3頭の大鹿と出偶わす前に.後ろ姿だが谷間に遠ざかる熊を見ている。今まで何度が熊に遭遇しているものの.奥多摩手前のこんな都心近くで
   確認したのも初めてだった。東京都は絶滅危惧生物種として平成20年から保護の為.捕猟が禁止されている。期間は令和3年31日まで。