籠川.鹿島川周辺ルート略図 後立.籠川流域Top
     後立山.爺ヶ岳
   s43年(1968年)09月. 残雪と秋霖前線に飲水を求め.白馬大雪渓から針ノ木雪渓
   s44年(1969年)03月. 幼馴染みと春の泥酔卒業山行.爺ヶ岳東尾根・・鹿島より
   s46年(1971年)01月. 白銀煌めく雪壁に最後のトレースを求めた正月の爺ヶ岳南尾根・・下山してから地吹雪
   h26年(2014年)07月. 回想の八方尾根から五竜岳.鹿島ケ岳.爺ケ岳三峰・・1968年のルートを辿る

春の爺ヶ岳東尾根


立教大.明治大は今日卒業式.学生最後の山へ入る

彼と卒業証書でなく学割を求める

酒漬け山行
歩き始めて一歩.一升ビンを割る
       大町の郊外から
 爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳・左が爺ヶ岳南峰南尾根.中央が主峰東尾根
           春の泥酔山行.爺ヶ岳東尾根
                s44年(1969年)03月25〜31日. m長塩憲司.松村進
                                          春の爺ヶ岳東尾根1.鹿島から爺岳北峰
                                          春の爺ヶ岳東尾根2.頂,その後
    . 3月25日.    新宿=
       26日.快晴 信濃大町=鹿島一東尾根1420m地点b
       27日.快晴.c1一1840m地点s
       28日.晴   bc2⇔爺ヶ岳北峰s
       29日.晴   bc3.停滞
       30日.雨   bc4一鹿島=信濃大町
       31日    =新宿

      高校に続き大学.最後の岳
   同期大川.後輩関根君の見送りを受け.新宿駅ホームを発つ。学生時代最後の山へと残雪を求めた。仲間は長塩憲司
     彼とは高校最後の山を南アで過し.今は明大山岳部主務を終えたばかりの私と同じ若いきOBだった。

      学生証
   今日3月26日は明治.立教両校は大学の卒業式。だが欠席し最後の学割を貰い山へ入る。
     前日学生部で私は最後の学割の交付を受けていた。職員の最後の言葉がキツく印象に残された。

   「式に出ず学割か!」君は大学の記録に残るだろう。4年間で現役時代に使用した学割は独りダントツに多かった。
     1年の時.多いと注意を受けた。2年になり乱用だと悟らさせられている。

   そして3年になりクラブの主将として行かざる得ないと逆に説得する立場になっていた。
     この時点で個人としては大学初まって以来.団体とは別に個人で学割は60を越える使用数となっている。

    4年になると学生部は何も云わなくなった。学生部長の葛藤さんには返す言葉もない。
     1年の時の5割引きから始った学割。3割引きとなると更に私は多いに利用させて頂いている。

   その差の甲府までの距離で,届出さえすれば駅弁が買えている。親の下.東京に住みながら小遣いの殆どが運賃に消えていた。
     それでいて同輩は私が居ない時でも.我が家に遊びに来ていた。

     3月26日快晴
   最後に学生部より.卒業しても帰京するまで学生証は利用できる。返還は卒業証書と交換に来校するよう促された。
     その同類が長塩である。彼も明治大学で同じことを云われているだろう。

    鹿島川を隔てた暑い入山
   籠川周辺地形図

ブナ尾根を抜け      ,
      アプローチ
   信濃大町駅からの乗合バスは我々二人だけだった。コンロの燃料を手に入れようと駅前を探し回る。
     早朝の故.分からず案じていたらバスの運転手が「乗れ!」との言葉。バスは国道を抜けガソリンスタンドに停車した。

   僕は手にポリを持ちスタンドのシャッターを叩き.店のまだ開かれていない店主に石油を顧う。
     人情溢れる運転手ではあるまいか。バスは畦いっぱいに残り少なくなった雪田を車窓から眺めながら縫って行く。
     鹿沢橋を渡っと処でアルペンルートを左に分け.鹿島川沿いにバスは二人を乗せ.終点の鹿島の集落に入り込む。

      鹿島の集落
   鹿島にある尖がった山頂は飛騨山脈南部の槍ケ岳に対して.集落では「鹿島槍ケ岳」と呼ぶようなっつたと伝えられている。
     近代登山の対象になったのは明治の終わりで,大正から昭和初期にかけて大学の山岳部により登攀ルートが開拓されていた。

   1930年(s05年)08月.冠松次郎らが東尾根を初登攀。同12月18日には立教大山岳部が信州側から厳冬期鹿島槍ケ岳初登頂した。
     翌31年02月.加藤文太郎が厳冬期に登頂。
     翌月3月には立教大.堀田弥一氏らは宇奈月から入り.富山県側から厳冬期の鹿島槍ケ岳初登頂を成し遂げている。
     更に同年秋には京都大学パーティがカクネ里から北峰に登攀。翌1932年八峰キレットにキレット小屋が建てられた。

   日本のアルピニズムの歴史に貴重な一頁を築き.積雪期の登山の艘黎明期のフィールトとなり.後のヒマラヤ.マナスルの登頂に繋がることになる。

      酒
   登山口の鹿島は昔から11戸あり.集落はまだ一面の積雪に被われていた。
     バス停で降り.ザックを向かいのベンチに置いた途端.鈍い「ヴァリ!」という音と共に1升ビンが割れる。
     タッシュに突っ込んでいたビンがベンチの背に当たったのか? 割れ.酒がザックから滲み出る。

   長塩は怒るがしょうがない。雪達磨のよう積っていた雪がベンチに積もっていた。
     その上に乗せた所が悪かった。残念に尽きる。買い増しとも考えたがアルコールだけは充分ある。ウイスキーも3本はある。我慢することにした。

   雲一つない晴天に恵まれた。僕等は「鹿島館」で朝食を御馳走になった。
     明大びいきの館だった。我々学生最後の山をを祝い.下山の折も寄るよう薦められる。

   眩い陽差しを浴び外に飛び出した。道端を一面に被った春雪に暖かい陽差しが包み込み.雪解け水が路面の雪を溶かし始めている。
     今度は偶然.立教びいきの「鹿島山荘」狩野の婆さんと出会う。

   古人の登山記録「登高」があるので宅に寄るよう勧めて頂いたが.入山を前に丁寧に断り山へ入る。
     この記録帳の存在は近代登山以降の集落に係る鹿島ケ岳の登山史として深く刻まれていた。

   朝の陽差しは強さを増すが人の往来はない。私が「立教」と吐いた言葉に喜び,立教びいきの彼女は直ぐ戻ってきた。
     お婆さんが押し込むようリンゴを手渡したので,私の手は一杯になった。6つも手の上にリンゴが乗っている。
     感謝して好意に甘え.取付きの堰堤で2人でまず齧った。硬い噛み味で小さなリンゴは美味かった。


    鹿島―1.420m地点.b1
   ジャンクション.真近か
     信濃大町.松本電鉄バ=鹿島9:35一9:45堰堤:55一10:10小:25一11:55小12:10一12:45(1420m地点)b1. 消燈18:00

      春山へ
   薄すら淡雪を乗せた斜面の登りが続く。下の雪は硬く.それ程ラッセルの苦はない。
     汗を流し休み々々樹林を抜けた。気侭に登れば3時間程で尾根筋にでる。

   彼の言葉はマイペース.後からゆっくり付いてくる。
     見詰める雪面が眩い。腰を下した途端.暗黙の幕営地になった。

   陽はまだ高々と昇っている。時間が早過ぎるがブナの巨木帯を抜け.私達はしゃいでいた。
     ワッパを付けても膝まで潜る雪。雪表はザラメ状になった湿雪。それらは一層.春らしい明るさと暖かさを感じさせていた。

    予定地手前.1420m地点c1
   日暮れまで続いた宴会場

      
      雑だが呑む場所には確りブロックを築く

      酒宴
   早くも寝支度を整えた。「馬鹿じゃないか!」と云うも彼は自慢げだ。これで呑めるぞと。
     山は二の次の感がある。入山祝いだと.この時だけはだけは手早い動きを示していた。

   ツエルトの脇でウィスキーを, コンロを挟んでマットを敷けば即席の宴席ができあがる。
     春の強い陽差しを浴び.裸になってゴロゴロしていた。たらふくある摘まみと酒.舞台は出来上がっている。
     カップに雪を添えロックだと偉ぶる彼.見る々々ビンは空になる。

   彼は我家に来ると.必ずウィスキー1本では済まない呑んべーだ。その彼は断ってもよく来た。
     ウィスキーを1本持参したので2本呑もうと。そして最後は氷も入れず互い.グラスの中はストレートに。

   陽は山を越え西陽となり.我々にこれでもかと斜陽した陽射しを浴びさせていた。それでもよく語らい飽きることなくよく呑んだ。
     歩くより呑んでいる時間の方が長い。腰が固まり痛くなる。トイレ以外は時間を忘れ.動かずマットに居続けていた。

   気侭な山行と酒.今日から学生ではなくなった。理屈ができたと又呑んだ。
     今日明治も立教も卒業式が催されていた。学生最後の日.授業の如く卒業式を抜けだし.山へ2人で来てしまていた。

   呑めや呑めで消灯を知る筈もなかった。
     予定では今日は1766.9mマイナーピークまで行く筈が。

    1.420m地点―1.840m地点.s2.3
   bs1より白沢のツメ

   まだ先の鹿島槍ヶ岳
   3月27日快晴.起床8:00.
    1420m地点b1 10:10一11:30(1500m付近):45一12:30(1640m)13:20一13:40ジャンクション:50一14:20(1840m地点)sh2.3.4

      前進キャンプ
   今日も素晴らしく晴れ渡っている。真に春の陽差しを思う存分受け.昨日に続き汗まみれの登行が始まった。
     汗が額から流れシャツを濡らし.蒸す暑い吐く息が漂っている。
     昨日の酒が全部.染み出しているようだった。目に入る汗が沁み痛い。


   中峰.北峰冷尾根.赤岩尾根.鹿島槍ケ岳
  
    ジャンクション・ピークより

   視界が開けた東尾根山稜
   左より中峰.北峰冷尾根.赤岩(長ザク)尾根
   2411m峰から手前2198m.1978m.ピク先コブ1840msh地点

   仰ぐ雪と岩

   爺ケ岳からの鹿島槍から五龍への頂稜

     ジャンクション
   痩せてきた尾根にピーク近くを知り.追う遠見尾根に樹間が切れて広がりだした。ここの微風は暑さを忘れ快い。
     ただ木陰はまだ寒い。直ぐ肌寒さを覚える憩の場でもある。

   鹿島槍の双耳峰も素晴らしく大空に突き上げ.聳える姿は純白の山肌に強い陽差しを跳ね返り.紫紺深まる大空に煌いていた。
     眩く鹿島川を隔てる遥かな裾野に鹿島スキー場が見下ろされた。

     Bc2,3地点.雪洞を掘る
  
珍しい真面目な姿の長塩                                        ,

   陽当たり陽蔭の温度差が激しいのは.春の一面にもなっている。
     今日は2000m付近にベースを設ける予定であったが.どうも計画通り進まなかった。

      雪胴
   遅い発ちと気侭な行動がジャンクション.白沢天狗尾根合流点を越えた1840mにベースをこしらえた。
     積雪はあまり多くはないが雪質の良い雪洞を掘る。

   もう呑むことを考え.先の登行より優雅な憩いの場を彼は造っている。
     こういう時は頑張る彼。 疲れて交代すると真面目にしろと.今度は私が怒られた。

   漫才のような会話が続き.手だけは伴に動き以外と立派な雪胴が掘れた。
     場所と雪洞の設計は私が決めた。彼は馬力のみ使っている。それ故,思い以上に素晴らしい雪洞ができ上がる。

   ローソクを点けるにはまだ早い。今日も寝仕度は万全だった。
     コンロを組み立てる前に酒がでた。先に呑ませると譲る彼.それを呑んでしまう私が又避難の的になる。
     何もせずに呑んだ。「お俺も飲むぞ!」と.

    1.840m⇔爺ヶ岳主峰
      3月28日晴 1840m地点bc2. 10:55⇔12:40ジャンクション:55一13:30主峰14:30. 一15:10小:20一15:45bc3

   望む鹿島槍ケ岳

    爺ケ岳北峰

    
    真近になった頂稜               東尾根ジャンクションのツメ

   矢沢ノ頭.2198m付近から見た尾根上部爺ヶ岳

   休む1本の顔がよい

   爺ヶ岳東尾根.北側稜線より

  

   爺ヶ岳東尾根P2リッジ

   東尾根末端先は鹿島谷
    急な雪壁を登って2411m白沢天狗尾根との合流部に到着。

   小冷沢を背に.雪壁を攀じる

      頂稜へ
   崩れそうな天気は持ち続け.ゆっくり朝食を済まし爺ヶ岳のアタックにでる。
     2150m峰の手前でアンザイレンした。ナイフエッジ気味のスノーリッジをカメラで覗き込みながら進む。1本でジャンクションにでる。

   急に幅広くなった尾根,右に大きな雪庇を構え.小冷沢に真直ぐ抉るよう落ち込んでいる。
     目の前に白稜煌く頂が聳え.ゴーグルを通しても煌き輝く頂は眩んでいる。
     快いラッセルが雪面を切り.尾根沿いの雪庇にトレースが刻まれた。

     春の爺ヶ岳東尾根1.鹿島から爺岳北峰
     春の爺ヶ岳東尾根2.頂.その後