越後.八海山(第1回同期会) 鈴木.日野原嬢と私 汗滴る新開道と越後の山に酔う 林間学校のような八海山神社.泊 八海山.屏風道より |
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| 猛暑の越後.八海山.s44年(1969年)08月02〜03日. m鈴木輝雄.松本弘美.松村進 s43年度同期会 卒業後.初めてのRHCs43年度同期会を八海山で迎える。 大川は職場上.和田は休職で.更に田沼は長期休暇で妙高へ.結局3名で一週間の延期の末でもあり.崩ずく天候を突き決行した。
8月02日.上野=21:14六日町.自炊となり買出し.タ=22:05山口.八海山神社里宮hc. 山口の里 車窓から眺める土樽から庄内平野へと続く魚野川の流域に流れは緑一色の水田に埋め尽くされていた。 その河川の帯の中に上越線を挟んで国道が走り.魚野川が穏やかに流れている。夏場で閑散とした湯沢を過ぎと静かな田園の里駅.六日町に降り立った。 駅員に山宿を尋ねると親切にも隣りの駅まで連絡を取り.自炊を条件に城内山口の里宮を紹介して下さった。 駅前で食糧を買い込み.拾った車は雨上がりの夜道を跳ねを上げ.闇道を矢のよう里宮へと走る。 三国川の鉄橋を渡り.新堀新田では明るく照らされた盆踊りの賑やかなを右手に見て.宇田沢川沿いの山道を登って行く。 漸く小型が擦れ違える程の細道をボンボン飛ばしていた。 今日は殆どのハイカーが巻機山へ向かったそうだ。私達にも巻機山を勧めていた。 商売柄.巻機山の方が割りに合うからだろう? 山口には昨年の夏.後輩二姫を連れ枝折峠から駒ヶ岳.五龍を越え.広掘川沿いに降りた下山口。今回は祓川沿いの里宮に入る。 以外なことも聞いている。里宮には官職が不在であるばかりか.寝具もなく畳だけが敷かれているそうだ。 大崎なら宿も湯もあると言う。ただ大崎は今回の下山口にあたり.運転者の言葉を無視し山口分校を左に折れ.鳥居前で車を停めて頂いた。 薬師岳.八海山.入道岳 |
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, 八海山.阿寺山下降点より.1969.08 |
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| 薬師岳.八海山(地蔵岳.不動岳.七曜岳.白河岳.釈迦岳.魔利支岳.剣ケ峰.大日岳).入道岳 参道 車の去った参道は静寂と云うより.森閑とした重々しい雰囲気を漂していた。闇暗いせいもあり.参道は威圧的な感じを受けさせられていた。 巨木の蔭に並木が構え.見上げるも星1つ望めぬ深い森。真っ暗闇の参道をランタンを頼りに歩む。 生暖かい漂いが化け物でも出そうな雰囲気をかもちだし.何かが出そうで.身を一層引き締させられている。 八海神社はどんな本殿なのだろう? 古ぼけ朽れたような神社だろうか。 動く都度.軋む床だろうか。好奇心に満ちている。私達の砦になりそうだ。 サブには短いながらローソクも入っている。楽しさが湧きだし足取りも軽くなっていた。 ふとを見ると被い茂る樹海の先に漏れる灯りが見届けられた。十数人がここで夜を明かすと云う。 明日八海山に登る地元青年団の人達とここで寝泊りし勉強に励む小学生達だった。 八海山神社里宮 神社の本堂は正4方形に近く.正面には神前が葬られ.右端には真新しい時計が懸けられている。 左上の棟には八海山の写真が掲げられている。かなり川下から撮ったようだ。頂は新雪を抱き初冬の風景らしい。 本堂の真中にはローソク燈が置かれていた。 電線から引かれた灯は燈の役目の変わり蚊取り線香が何本も焚かれている。 紫煙が薄黒い天井に幾つも柔らかい曲線を描き昇っている。 そして天井を囲むよう奉納,寄贈の札紙が隙もなく限りなく貼られ.読むだけで一日が過ぎてしまいそうだった。 敷石から木材.建築に至るまで各種.資材.労力を奉納し.更に鈴など備品に至るまで先歳万物の品々の奉納が記してある。 子供達は寝静まり.地声が高い青年団達も気を配っている。 地.ここ魚沼の怪談話に耳を傾けるも又面白い。セイター1枚でも快い睡眠が得られていた。11時の鐘を聞き知らずして眠り込む。 ![]() 8月03日.起床4:00 八海山神社里宮hc5:15一6:05三合目一9:35八合目一10:40不動岳一12:20千本檜小屋一12:20五合目一13:45三合目.昼寝 一15:00大崎八海山社務所一18:00公民館前. 境内 スリッパを引っ掛けて境内の水場に洗顔にでる。明け方の涼しさもなく朝ぱらから蒸すような暑さから始まっている。 今朝は丸山上部がだけが見えるだけの一面の高曇.天気は今にも崩れそうな気配だった。 再び本堂に上がり.ブドウと寿司との不似合いな朝食を摂った。 蒸す汗 登山道の新開道は神社より指導標に導かれ.東側に里道を横切って行く。後越鉱山を左へ巻き気味に登ると堰堤できた溜池が望まれた。 私の前にはサブに麦わら帽子をちょこんと乗せ.小間々に動く松本嬢.そしてその前はすっきりした服装の鈴木が歩んている。 新開道は二合目の鳥居で山径に変る。景色が閉ざされたいるので尚更暑く感じられた。 これでお陽さまが出ていたら如何なることだろうか。朝方から蒸す暑さは風もない灼熱の登りになりそうだ。 700〜1000mに掛けての急斜面は地形図を読むほど急坂が認められなかったのは幸いしている。 それでも4合目「水場30m」の標識に飛び付き.後は一合1本のペースになる。 蒸すような暑さに水分を補給.すれば更に湧き出す汗は拭けども拭けども留まることを知らず。湧水の如き流れでる。 そして窪溝を抜け稜線にでて.直接照り付ける強い陽射しは暑さの最高潮に達している。 八ツ峰.入道岳手前より頂稜 樹間を縫い続けて行くと谷間からクラクションの響きが聞えてきた。路線バスが細い道をうねり山口の集落に入る。のどかな眺めだった。 漸く1260m付近まで登ったようだ。茹だるような汗を拭きながら六日町の裾野の方に目を走らせる。 谷間一杯にへばり付いている稲穂が.芝のよう美しい。水田地帯の中には色合い豊かな屋根が幾つも集まっては散るのが眺められている。 1266mコブを越えたガレ場からは三国川源流に連なる峰々が眺められる。早いが早速腰を降ろし展望を楽しむ。 高倉山に続く尾根を越え.国境稜線の大兎山の荒々しい山肌が望まれた。 そして山波の流れは丹後山から越後沢山へと続き.雲に隠された下津川山で消えている。 霞が掛かっている越後沢山はよく望められなかった。あの向こうには平ヶ岳の山並がある筈だ。昔藪漕ぎで奥利根源流の山々を汗を掻き登っていた。 巻機山は金城山を前衛として.かなりはっきり見留められている。ここから望む巻機山も以外と立派な山容で聳えていた。 来春のツァールートを考え目で追っている。飽きることのない眺めに白く盛り上がる積雲が.次第に大きさを増し湧きだし始めていた。 八合目.九合目は早かった。もう八海山連峰群が目の前に見上げられる。 大きなブロックを形造っている巨峰群が手を伸ばせば届きそうなところに聳え立っていた。 千本檜へのトラバースは梯子あり.鎖ありで.延々と巻き続き.何処から稜線に出るのか分からなかった。 漸くしてコルに出ると縦走路と合わさり.ホールドの細かい岩肌は頑丈な鎖に導かれX・Yのコルにでる。 右が大日岳.左に不動に続く峰々が続いている。通称.八海山はこれらの峰々を総称していた。 強いて云えば不動と思われるのは高さで大日岳が勝っている。バットレスの上に駒ケ岳が聳え,桧ノ廊下に続く稜線も望まれる。 三山を一望し.その1つに私達が今立っている。日帰り山行にしては夢のような眺望に出会っていた。 快い風に肌寒さをも感じ.風を避け不動で昼食とする。 深く切り落ちた高倉沢の沢底は残雪が大きく崩壊し.真夏の残骸・残雪の多さを示していた。 そして八海山の頂稜からの壁を逃れた巻く縦走路は急斜面には名も知れぬ小さな高山植物が白く花を付け一団となって咲き競っていた。 10時40分.稜線を西沿い進む。昨夜一緒に雑魚寝した青年団が屏風道を1人,2人・・・と登って来た。 そして千本桧手前で彼等と擦れ違い再び再会する。 八海山は信仰登山で名高い名山でもあり.各峰々や径筋には霊を司る為.信仰の対象となる.あらゆる物が数々奉納されていた。 千本桧でも白衣を纏った老婆に会っている。 女人堂 小雨が降り始めた所で浅草岳を越えている。しょして尾根を横切る窪地を過ぎ.樹林が切れた所で女人堂にでた。 3年前の冬.仲間が豪雪に沈滞し,じっと堪えた小屋である。千本桧のよう大きくなく.小陣まりした小さな小屋だ。部屋も1つしかない。 扉の左端に「栄一.二回目」と書き残しがあった。風雪に耐え.いらいらした仲間が書いたのだろうか? 後で彼に聞くのが楽しみだ。 落書き 2007年01月22日.マタからのメール.(忘れられた山行). 「八海山への同期会山行を帰ってから調べたら.昭和44年の8月でしたので卒業した年の夏です。 従って日野原さんはまだ結婚してなかったので.すんなりと参加できたのではないでしょうかね」。 「それにしても全く記憶にないとは不思議です。 もっとも僕が女人堂の山小屋に残した落書きも,書いた記憶が全く欠落していますので.そういうものかもしれません」。 「落書きの『栄一2回目』というのは例の遭難騒ぎの半年後の5月に.ザイル等の装備を回収に行ったので2回目ということかもしれません」。 「それにしても残雪が多くて稜線まで一面の雪だったのと天気が良くて越後三山を縦走して. 越後駒のくだりでは顔が日焼けでぼろぼろだったことを思い出しました」。マタ |
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大日岳より入道岳.中岳 |
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裾野への径 再び樹海を抜けて.だらだらした径を下る。大倉部落への分岐を過ぎ.五合目付近で一本取った。 相変わらずの蒸す暑さは水の中に漬かっているよう汗の掻き方だった。 休むと程なく汗も止まり心地よくなる。 それで話が弾み.「喫茶店に居るようだ!」と彼女が言い出すまで.山に居ることすら忘れれていた。 里の川字 880m付近で急に視界が開け.魚野川沿いに群がる里が限りなく続くいている。 丘を超えた向こうには十日町の一角だが.千曲川の流れも望まれていた。 宇田沢川を眺め.松本嬢がこれが「川」だと言う。 「河」とは水を意味し,この「川」はうねりに主の意味があるそうだ。だから棒を3本引いてうねりを表している。 彼女は文学部卒業の才女である。 昼寝 強い陽差しに大きな木陰を見付け.視界の広がる台地で昼寝をした。 ミーミー蝉.アブラ蝉.ヒグラシと蝉一族が一大楽章を始めた盛夏の昼下がり.その鳴き声は尚更暑さを感じさせていた。 その合間を看て鳴く.鴬も不似合いで面白い。 里宮 霊泉小屋は掘建て小屋の感があるが.直ぐ下にプレハブの真新しい小屋が建てられていた。 そして茹るばかりの暑さはバテも手伝い.歩行を10分に一本のペースに落とさせている。それでも大崎は次第に近ずき.大きさを増す。 村の中央に築かれた白い城.竜安寺も骨格がはっきり分かり始めている。 大崎は里宮である。ここで山径も途切れ.里道に変わり.道端では小学1年生位の女の子が水遊びをしていた。 18:00公民館前=18:30六日町:34=21:34上野. 大崎八海山社務所 長い一日の暑かった山旅も社務所で1つのピリオドを打つ。 ビールの快い苦味が舌を包み冷たさを運ぶ。肥満気味のニジマスも運ばれた。外は暑さを解すよう夕立に変わり.涼しさを呼んでいる。 汗を流した後のこの快感こそ.山まで足を伸ばした褒美になっている。 帰りは社務所の娘さんが気を使って.六日町行のバス便を何度も連絡してくださった。 ![]() 春の里スキーに向け 丹波山から巻機山に掛けての国境稜線は重い雲に被われ十分観察できなかった。 もう一つの目的である里道を歩いたことで.かなり肌でその地形を知ることができた。 冬の里道スキー2月〜3月の三国川はやはり地形図でも分かるよう.帰路の滑降を味わうことはできない。川自体も長過ぎる。 宇田沢川は適当なアプローチであるが.周りはまだ知らぬ山径が多く調べが必要あり。 又往復歩行となるが水無川は中流まで。 五十沢及び700m少し欠ける峠を越え.信濃川に出る横断コースがあるが3月〜4月下旬 山の経歴.経過Top |