吾妻連峰Top                         .
吹雪西吾妻スキー

再び惨敗の吾妻山へ


米沢駅前で握り拳のような大きなボタン雪が落ちる
後に焼失した「中屋」と共同風呂

          , 晴れた日の西大嶺
                  荒れ狂う西吾妻.天狗岩スキー
                      s47年(1972年)02月26〜28日. L松村進.m見城寿雄

    2月26日雪 .
    2月27日吹雪

    2月28日   
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上野17:05,奥羽本線,特急=米沢,タ=白布高湯「中屋」h
中屋10:10=天元台高原ロープウェイ湯元=高原=第三リフト11:35⇔14:40ツエルト15:10,―17:10高湯,風呂
山形交通18:40=19:20米沢20:50
=4:35上野
      再びツァーへ
   昨年.東吾妻の野宿と云う苦い経験があるにも関わらず愚図ついた天気の中.再び吾妻へと列車に飛び乗る。
     昨日一日中.降り続いていた残り雪が斑雪となり.米沢への車窓から路肩にも積り臨まれている。
     重い層雲に覆われていた。米沢に近ずくと列車の外は早くも夕暮れの薄暗い闇が近ずき始めている。

      続く荒天とツエルト
   昨年は擬似好天に遇い野宿した。その二の舞だけは踏まないとツエルトを仕入れ.ローソク.地図.磁石と装備を万全に。
     食糧も行動食としてチョコ.チーズ以外は適当に我が家の駄菓子を持参している。

   天気回復の兆しはなく.何か重い空気を抱かせられていた。相棒は昨年と同じ先輩の見城氏。
     荒れても如何にかなる安心感を抱かせてくれる先輩だが完走するに越したことはない。

      八端君
   車内で偶然.後輩八端君に出隅わした。残念ながら退部した彼.私がOBとなってからよく共に山に入った後輩である。
     真夏の沢登から正月の後立までよく働き付いてきた。
     期末試験を終えたばかりで.これから蔵王に寄り.郷土の秋田へ帰ると語っていた。何処にも部属していないと聞き.余計残念だった。

      牡丹雪
   久振りに乗る特急に東北のスピード化は凄まじく.4時間足らずで米沢に着く。
     米沢駅前の広場に立つと激しく雪粒が降っていた。舞うのではなく雨の如く雪粒が落ちてくる。
     丁度帰りの通勤時間帯.駅前のバスタータナルには人の往来が激しく.皆背中を丸め家路へ急いでいた。

   大粒の涙のような雪塊が留めなく溢れるよう夜空から舞い降りる。.駅前の街路灯に映し照らされているのは流れ落ちる雪粒。
     疎らなスキー客や家路を急ぐ人達の肩にはボタン雪を見る見る積もらせていた。

   拳を思わす余りにも大きなボタン雪に驚き眼を丸くさせられた。初めて見る本当の大きなボタン雪。
     前に桁違いのヒョウが降ると聞いたことがあるが.信じられぬ大きさは正に似ていた。

   留めなく降り続き泡のような柔らかく.それでいて重く湿った雪粒は視界を完全に閉ざす激しさだった。
     舞うのではなく.カーテンのよう流れ落ちてくる。

   天候だけに掛かっている今回の山行は天狗石から歯ブラシ状の樹氷に被われた国境を西大嶺へ進み.小野川瑚の雪原へ突っ込もうと考えている。
     春しか味わえない積雪の径のルートは.積雪さえあればよく.天候のみで迷うことはない。眼下には小野川瑚が一面に広がっている筈である。

   磐梯山の素晴らしかったツァーを夢をもう一度。時間に寄っては郡山で同期大川に会おうかとも。
     晴天でのフル活動.荒れていたらどうしようもない。全ては吾妻の遠望できぬ霧に掛かっている。
     この時期.頂稜は90%がガスに被われていた。

   その上.東京を発つ時は上り坂だった兆候が.逆に崩れ米沢では雪が降りだしていた。
     私達はめげず白布高湯へと向う。


                   白布高湯,スキー場リフトから
      白布高湯
   高湯温泉の宿は「西屋」.「中屋」.「東屋」と三軒しかない宿に別館を含め10軒たらずとのこと。
     運転手に宿の世話をお願いしたら.全て旅館は満員だと無線を通し冷たい返事が返ってきた。

   米沢の町を抜けもう大分走っている。町へ戻りますか? と運転手は私達に返事を待っている。
     不安を注り.任しとけと云う運転手の言葉はなかった。難とでもなれ.「行けー!」とばかり入って頂いた。

      中屋旅館
   車はちょうど高湯の真中で停まった。当てもなく.まず宿の門を潜ったが玄関が分からない。
     迷いの末.乾燥室に居た人に導かれ.宿を頼んだら一発でOKになる。後でここが「中屋」と知ることになった。

   五色.宗川旅館と同様に古い木造屋敷で長い年季が感じさせられる館だった。
     黒光りする家屋に袋小路を思わす廊下.部屋の数と廊下の入り乱れ.それは増築を重ねた家屋ではない。

   二階なり遠くから見ると宿自体が調和の取れている.がっちりした構造になっている。
     湯治として古くから栄えてきた宿に五色「宗川旅館」を想い.懐かしさを感じさせられていた。

   一度では覚え切れぬ迷路の末.中庭の見下ろせる二階の6畳に通される。
     そこには炬燵と木火鉢があり.既に暖かく炭が加えられていた。

   石膏性の飲料湯になると云う高湯の湯は澄んでをり.気持ちのよい湯。
     豊富な湯は泉温も高く.お親父さんが自慢していた理由が分かるような気がした。
     呑めると云う湯はちょっと呑んでみたがアルコールが入って入る為か.味がなかったよう思えた。

      嫌な雨
   夜半.風が強くなり.これ幸いに荒天も峠を越せばと思うが擬似荒天に騙させられた。
     6時頃.障子の外は小康であったにも関わらず.目覚めた時は小雪は雨となり.時たま,激しくトタンを叩く。

   予兆は最悪の事態となった。まさかの雨の降る中.出発することも出来ず待機するのみ。
     「やめ!」.「やめ!」と炬燵で小言を言う以外することもなく朝風呂に浸かり雨の降る様子を見詰めていた。

      間抜けなロス
   9時半.待望の雪に変わった。
     早速.キルデング.オーバーズボン.オーバーシューズの完全装備で番頭に言われる間々.500m程下ったバス停に降り立った。
     雨で糠るんだ雪が道路を被い.凍りと混ざりよく滑り勝ちになる。

   待つこと30分.オンボロバスが低速の低速でノロノロやって来た。そして乗ること10分でロープウェー駅に着く。
     歩いた方が早いに違いない。

   ロスにロスが付き.遅い出発にリフトを第1.第2.第3と乗り継ぎ.ゆっくりした傾斜で天元台のスロープを登って行く。
     疎らなスキーヤーに勿体ない程の広大な斜面。緩やかな長いスロープが続き,風も弱くなってきた。
     西大嶺まで行ってしまえば占めたもの.ガスが切れれば目的は手中になる。


     西吾妻山
     晴れた日の頂稜
     白布温泉⇔天元台―中大嶺―西吾妻

   リストを繋ぎ終点から一歩踏み込むとそこは私だけの別天地が創られていた。久し振りのツァーにはやる気は押さえようもなかった。
     踊る心はスキーにも通じタンネの樹氷を縫い.本のトレースを築いて行く。

   空気まで街とは否やゲレンデとも違っているいう思えた。
     苦しいラッセルに息が悶えぐも懐かしい甘みを感じていた。ここまで来た安堵感に私も見城さんも酔い始めていた。

    霞は一瞬にして荒れだす

      シュラブカと樹氷
   12時10分.傾斜が落ち.タンネは低い潅木に変わり.列風の舞う稜線にでる。一瞬にして天候は一変した。
     濃いガスにツンドラのような雪原が半端氷化して背稜を被っている。

   最初から見定めるポイントもなく.磁石に頼る以外方法はなかった。西風が強く真ともに顔を上げられず.旗めく体を避けるよう進む。
     ぐるりと天狗石へ回り込んでしまったが直ぐ気付き.樹氷が群がるにつれ風は遮られた。
     なだらかな起伏の中.大嶺1963m峰を巻きながらガスに包まれた雪原を綴って行く。

      吹雪
   10m先の分からぬ濃霧に歯ブラシ状の樹氷.その間を縫い列風が吹き込んできた。
     眼も開けられぬ地吹雪に地図はバタバタ旗めき.磁石の針を合わせること数十回.気ばかりでなかなか前に進まない。
     数m歩いては又針を覗き込む。樹氷との起伏.屈折が多くなり無駄のような時間と労力が加わり始めていた。

   漸くして山形側の境だと知る。頂稜の端一辺の境を隔て急に落ち込む谷が.稜線の走る方向を示している。
     ここから南南西に向かえば西吾妻にでられる。
     晴れていればあっと云う間に過ぎてしまう吾妻の背稜も.吹雪けば陰惨きわまる山に変わっていた。


               樹氷の頂稜
          快晴での人形石
      西吾妻山
   雪原の鞍部の立木に空缶が留めてあった。
     本来の道標も樹氷化し分からぬものの.シュラブカの付た氷った空缶が変わりの役目を果たしている。

   濃霧でなかなか距離が捗らない。樹氷が迷路を築き重くなってきたラッセルと凍雪。
     樹氷の密度から天狗岩らしい。大岩が雪から顔を出している。西吾妻までもう直ぐだ。

   殆ど山形県側を巻くよう風雪に喘ぎ進む。
     アイスバーンの急斜面にシールを付けたスキーが捕らえがちになるのを堪え.顔を風から背けるながら進む。

   そして素晴らしい樹氷に出会っている。
     吾妻独特の歯ブラシ状の輝きがこの濃いガスの中でも.モンスターの如く浮き上がり.白さを増していた。 

     見城氏
      断念
   樹氷の美しさに見惚れるも.濃霧に加え時間が限られてきた。
     2時40分.若女平に下る分岐で道標を求め.樹氷林に被われた一大雪原を探る。

   全く手掛かりがなくなった。西大嶺に進むどころか下降さえ分からなくなっていた。
     大休止し北側の湯入沢寄りをトラバースしながら滑降。天元台スキー場に戻ることにした。

      滑降
      樹氷の森を縫う見城氏

     
                             風を避け樹海をトラバース
      森を抜け
   又もや完走は満たされなかった。シールを外し天狗岩直上より針葉樹林の境界へと滑り込む。
     出来るだけ高度を保ち.それでいて緩やかな滑降を求め.タンネに被われた雪の森を潜り抜けて行く。

   東側.側稜は風もなく雪が舞い.大人しすぎる程しっそりした森を築き.そこを縫い下る。
     独り言のように私が「いいな〜!」と言葉を吐くと反復するよう「いいな〜!」と見城さんの声が返ってきた。

   兎でも会わないかと思い.新雪を切っているうち突然.第三リフトが目の前に現れた。
     誰一人居ないタンネの森を恐らく今日初めてのスキーヤーが滑り抜けて行く。

   私と見城さん以外誰も踏み込まぬ森に自ら描いたシュプールが1本のトレースとなって刻まれてゆく。
     ゲレンデ゙に出ても人影はなかった。まだ時間は早いと思うがシュプールさえ消えていた。
     何と贅沢な遊び。数十分の滑行に満足感が溢れ.吾妻とは又切れ難い縁に結ばれた。

   憩う見城氏

      共同風呂
   高湯に前戻ったのが5時過ぎ.
     早速米沢行乗合バスを待つ間にビールとおでんを持って村営風呂に飛び込む。

   一日の行動を終え.冷え切った体に湯殿はビリビリ沁みた。
     湯舟が足先に触れるだけでジーンと沁み体が火照ってくる。我慢して浸かる湯に何とも云えぬ心地良さがある。

   共同風呂の玄関まで滑り込んだ快感も素晴らしい。
     小野川湖へのルートを断念し.初めてスキーのバッケンを外し.軽くなった足でスキー板を風呂場の脇に立てる。

   道路の向いには小さな雑貨屋らしき店があり.おでんを煮込んでいた。
     ビールを問い.串差しを何本も持ち,湯殿に飛び込む。
     変な話.湯殿壁沿いに着替る衣類棚があり.便利だが服を脱ぐのに苦労する。何故なら両手一杯におでんを持っている。

   置くことも出来ず苦労し.漸く湯船に入る。今度は無色透明の湯は熱い。浸かるのが大変だった。
     冷えた体に熱めの湯.そっと足先より探るよう浸かるが両手は塞がりバランスを要した。

   手入のいき届いた小さな桧風呂. 湯気が昇り.入れば熱くもあり.その我慢がまた心地よい。浸かりながら呑むビールも美味かった。
     二人で漸く我慢して浸かる。その一杯が喉を通る。言葉には出せぬ無言の快感が現れる。言うなれば旨い一言に尽きる。

   他の来客はいなかった。おでんをほうばりながら湯殿に浸かり.又出ることを繰り返す。
     贅沢でもあり.また忙しかった。手一杯とほうばる口.口はよく動きよく喋る。

   再び小野川糊へのツァーを試したい気持ちがある反面.この思いをそっとして置きたい気もある。
     まだ.この時期は天候だけに左右されていた。好天ならば呆気ないツァーもだった筈。降雨にも会い運に見放されていた。

   白布高湯の里を去った時はもう日もとっぷり暮れ.スキーヤーは大型バスに私達二人だけになる。
     バスの一番後ろに陣取り.誰も乗らぬ乗客に路線バスは雪降る中.米沢に戻る。


     白布高湯「東屋」

   中屋旅館焼失・・
2000年03月25日.夕
     中屋より出火.隣り東屋と共に全焼.300年途切れず続いた囲炉裏の火が原因らしい。


   中屋は軒を並べる茅葺き屋根の真中に位置し,約300年前の建物で客間や茶の間も昔のままの造りだった。
     囲炉裏のある座敷や黒光りする天井の太い梁など味わい深い。
     別館「不動閣」での営業し.火元の中屋旅館本館は再建される兆しは見られない。

   東屋は焼失前は茅葺きの2階建て母屋は江戸初期に建てたものといわれ文化財級だった。
     しかし新築となると消防法などの規制で茅葺き屋根の復元はできなかた。
     木造を強調した田舎風の新館で01年9月より営業を再開。

   西屋旅館は壁が一部焼けた。茅葺き屋根が残るのは西屋だけになってしまった。
     当時から「西屋」「中屋」「東屋」の三軒の旅籠であったが今は「西屋」と「東屋」だけになる。
     昔の面影を残すのは「西屋旅館」のみ。