吾妻連峰 ・・吾妻連峰東北部地形図.山行表 朝日磐梯国立公園Top

  東北部,春期ツァー合宿                                 家形ヒュッテ修理Top
   1966年02月. 春期合宿T.鉢森山.高倉山.一切経山. ボッカ隊           1966〜74年修理ボッカ→緑樹山荘Hc
   1967年02月. 合宿U.家形〜東大嶺縦走.高倉山. 偵察.縦走隊
   1968年02月. 合宿V.鉢森山.高倉山.一切経山.栂森山. 本隊執行部.(男女混合パーティ)
   1969年02月. 合宿W.一切経山.東吾妻山.鉢森山,.本隊.(女子パーティ)
   1971年02月. 春期合宿. 信夫高湯―惣八郎原b―赤岩・・豪雪で野宿.合宿に不合流
   1974年02月. 春期合宿.

   1972年02月. 牡丹雪.雨,地吹雪と変化に富んだ西吾妻山
   2011年10月. 新高湯温泉から中秋の東大嶺.明月荘.一切経山
   2014年09月. OB親睦会.五色温泉「宗川旅館」
吾妻連峰.春期ツァー合宿T

色温泉をベースに

鉢森山.高倉山.一切経山
家形山〜東大嶺,初縦走


      , 背は鉢森
                    前川を背に板谷より五色へ
           s41年(1966年)02月24〜03月07日
                cL田中.sL保坂.他29名.ob小林.鴨田.池津.青木.富山.井田
      春期合宿
   40年度春期ツァー合宿は吾妻連峰東北部,五色温泉で行われた。
     そして五回目と云う利点を生かし.自然条件は雪山と云う厳しい中でも.より深く,広く吾妻を知る為に.
     昨年度.不成功に終わった五色一家形山一東大嶺一栂森の縦走を再び計画した。

   栂森からの偵察成功に続き.縦走の成功は天候状態が良かったにしても.新しい足跡を未知の山々に残し.
     例え一部の部員だけでも印す事が出来たのは結局.部員全ての協力と.各自責任を果たした事に他ならない。

   やがて全員の足跡がその山に印される時が来るであろう。
     異例と云って良い程雪は少なく.好天続きであったが.安易な気持で望むことなく.更に準備を積み重ねていって欲しい。
                                                  田中記
       神徳,新津.中山.三輪(4)
       cL田中.sL保坂.長谷川.池田.本多.見城,吉永.松浦.林.榎本(3)
       西村.割田.藤井.根岸.上坂.保坂.竹永.日吉.狐崎.滝島(2)
       松村.三浦.和田,鈴木.野中.松本.田沼.辻.野中(1)
       小林.鴨田.池津.青木.富山.井田(OB)

2月24日,
25日,
26日,
27日,
28日,
3月01日,

2日,
3日,
4日,
5日,
6日,
7日,
8日,

偵察隊,(栂森一明月荘)出発
ボッカ隊出発
本隊出発
集合(五色温泉宗川旅館bc)
賽ノ河原偵察.ゲレンデ
家形山一東大嶺間,縦走
鉢森
高倉山
ゲレンデ
五色一家形ヒュッテ
家形ヒュッテ⇔一切経山. 一五色

運動会.納会
現地解散,板谷=福島三浦宅
=上野
L新津.sL保坂.m吉永.西村
L割田.m松村.和田.三浦.鈴木.田沼
cL田中.m他全員
午後.雪上訓練





hc
 家形ヒュッテ修理Top.1966〜74年修理ボッカ.→緑樹山荘hc



2月25日,
26日,
集合20:00,上野,東北本線22:40,学¥500=
5:47福島,奥羽本線6:15=7:05板谷
   始まったツァー合宿.山でスキーを持つ歓び,
     五色温泉にベースキャンプを設け全員か集合.同じ山域でパーティ毎に分散ツァーを行う。

     吾妻の山へ
    東北本線.前川沿いの左車窓から

          2月26日.入山ボッカ
      山国へ
   福島盆地を過ぎ.急に狭い山間に入り込むと積雪が目立ちだす。もう裸土より雪に覆われている所の方が多い。
     狭い谷間にヘバリ付くよう築かれた小陣まりした駅を幾つも過ぎた。

   除雪の為.線路脇に丁寧に積み重ねられた雪盛りを見ると必ず駅にでる。
     列車は除雪した雪盛りを過ぎ.スイッチバックして停車した。
     板谷駅のホームは新雪で埋め尽くされている。車窓からホームの雪盛りに荷を投げ掛けると荷は大きなクッションで雪片を舞き上げた。

      板谷駅
   改札口を潜ると小さな待合室になる。中央に置かれた赤々に燃えるストーブは,外気を隔て周りを暖めている。
     外との出入口は二重の戸で引切られ,間には便所に通じる廊下があった。
     板谷は小陣まりした駅だ。ただ鉱山の為この辺では幾らか人では多い。

      駅前
   駅前の間口狭い五色温泉連絡所に入る。奥に通じる通路にはクラブで頼んでおいた合宿用の燃料や食料が漠然と置かれていた。
     叔母さんが火鉢のヤカンから僕等に茶を勧めてくれた。

   段ボールを数個重ね.ザックを乗せた背負子は重かった。上野を発つ時.「無理するな!」と先輩が声を掛け嘲笑う顔が頭に浮かぶ。
     僕はバランスを崩しそうなスキーを除き背負うことにした。

   駅前の坂は狭い車道が走っていた。雪に埋もれた道はソリか人しか通れない。雪のない季節の裸道の駅前広場と比べれば丸っきり違うのだろう。
     スイッチバックのポイントあたりは掘建て小屋のような大きなドームのシェルターが被い.筒の先に線路が延びていた。
     その脇を通り.線路と防風林に挟まれた小高い小徑に入いる。

   足場が不安定で雪片が落ち.今にも自分が落ちそうだった。
     避けて山側に避けるとスキーが衝けかちになり.蟹のよう少し横バイに体をしなければならなかった。
     上りの列車が粉雪を舞い上げ通り過ぎた。

    左岸より板谷前川の吊橋

      吊橋
   峠に至るトンネルの入口で線路を渡り,対岸に渡るため.前川へ降りている。
     大きな杉林の径. 陽を閉ざしひんやりする冷気が漂い.気の休まる場所だった。

   前川には立派な吊橋がある。ロープに触れぬよう気を付け橋を渡った。
     ここで背負子にスキーも背負わされた。バランスが取り難くなる。

   トップの踏み足が吊橋にリズムを作り.後かから付いて来る者も自然とその緩いリズムに合わせるようなる。
     吊橋は歩調に合わせ大きく揺れた。
     足元の板の隙間を覗き込むと硫黄臭い鉄分を含む赤褐色の河原が.雪を溶かし湯気を上げ流れていた。

   ここから登りの始まりで,大きく巻く径の三ツ角を過ぎると,明るい林径にでられた。
     巾3mもある雪の並木径.急に折れ新五色の分岐にでる。

   古い板切れに赤ペンキで塗られだけの小さな道標が足元にあった。
     余りにも小さく簡単な道標に不信を抱くも.又周りに良く溶け合い,しっかりした道標にも思える。

      直登
   左脇で五色に通じる電線に沿い直登した。雪深く急に傾斜を増したボッカ径.
     息切れも激しく.寒いのに汗は途切れなく流れる。足場はしっかり踏み固めないと元にずり落ち.崩すと後の登りが大変だった。

   何処となく甲高い汽笛が背後から聞こえ.車輪の滑る音が聞こえてきた。
     風に乗って伝わって来たうようだ。風下を見下ろしたがガスで何も見えなかった。

   急登の終わりは巻き径と合わさり.尾根を迂回するよう林の中を抜け.開けると雪原にでる。
     前方に五色の大きな館が見える。原っぱは五色のスキー場で夏には畑にでもなっていそうな所だった。

   滑っている人も数える人しか居なかった。ただ一本のリフトが止まった間々,雪原に晒されていた。
     館は見えてからが思いのほか長い。軽くなった足取りもつい重くなり.何度も立ち止ては,館を見るようなる。

      五色.初日 ・・宿
   五色.「宗川旅館」は木造で,外形とは違った大きさがある。
     渡り廊下を潜り玄関に入ると右へ左へ.上へ下へと廊下が延び.僕等が案内された所は,その一番奥の一番高い山側にあたる。
     北側の館の山側にもう1つの棟があり.導かれた廊下から察すると3階か4階らしいが.それ程階段は登っていない。

   窓越しに屋根を見れば2階のようにも思え.向かいの窓は地下の脇にさえ見えた。
     中2階などとややっこしい言葉を使わなければ食堂から数えて5階に当たる。

      部屋にはコタツに火が入り茶が置かれていた。僕等は体を一度暖ため.再びボッカの為.板谷駅へ降りる。

   合宿中,殆ど来客はいなかった。偶に来る一般客は北側の館に.東側の館は冬期は使われていないようだった。


      五色 ・・湯
   湯殿に関しては温いと聞いてはいたが.これ程温いとは思わなかった。この湯が温泉なら鉱泉とはどんな湯だろう。
     岩盤を利用した湯殿は浸ったら最後.二度と飛び出すことはできない。
     暫くの間,じっくり体の暖まるのを待たねばならなかった。

   それでも先輩から何度も聞かされていたため.初めての風呂とは思えなかった。
     何か懐かしいものに触れているようだった。

      入山祝
   夜.ささやかな入山祝を偵察隊残りのウィースキーで行われた。
     今日は僕等と偵察隊だけだが.明日は本隊が入り活気に満ちることなる。雪降る静かな夜だった。

   寝床に入って.先ほど新津さんが「ツァーとは滑る楽しみより.スキーで歩く味わいこそ本当のスキーだ。」と云った言葉を思い出し.
     なかなか頭から離れない。僕にとって判かるような判からない言葉。

     大陸の高気圧が移動性となり日本を被っている。2.3日は好天が続くだろう。

                雪洞訓練
       , 五色温泉脇で
      五色 ・・ 一軒宿
   五色は吾妻連峰の東,米沢寄り前川と蟹ヶ沢に挟まれた高倉山から北へ延びている尾根の上にある。
     1673m峰から北北西へ派出する枝尾根の末端. 高度720mで板谷から2時間程で登り着く。

   二つに派出する尾根の窪地は狭いながらスキーに適しをり.ここから幾くえにも重なる山波が眺められた。
     山ヒダは白く埋まっている。そして唯だ一つ遠く松川の対岸に鉢森山が大きな雪庇を構え.顕著な釜の山波として眺められていた。

   五色から南に広がる賽ノ河原は藪で隔てられ.高倉山は裏山に閉ざされている。
     そしてその奥には吾妻の主峰が立ち並び.白嶺の憧れを我々にいだかさせていた。


雪洞とイーグル                                                                                              .
       五色の雪洞掘り                    
     2月27日.雪洞造り
        本隊が入山.午後より全員行動

   オーバーズボンにオーバー手.ヤッケに目出帽とワッパを履き.
     スコップを持って歩く姿はピエロより具が揃いすぎ.風袋は滑稽そのものに尽きる。

   特に後姿は漫画が踊った恰好だ。ゆっくり歩けば頼もしくもあるが.小切ざみに動けばタヌキやペンギンの踊りになる。
     女の子の格好は一層見られない。笑いを堪えても腹を抱え笑いだすだろう。

   スコップを持って雪面を切るとブロックが落ち,穴ができた。
     更にその動作を続けるならば.穴は次第に大きさを増し深くなっていく。

   僕は雪洞堀りの為,今モグラのように雪と戦っている。3つ道具はスコップ.ノコ.ポンチョを持って。
     雪中の空間では吐く息と雪を切る音以外は何の音も伝わらなかった。外と遮断された馬力のいる世界。
     力がなくなると交代させられた。

   外は騒がしかった。天候が崩れたのではなく雪と戯れている仲間の声だ。童心に戻り雪合戦,レスリングと
     僕も加わったが雪がなかなか固まらない。乾燥し切った粉雪の古い層が幾重にも埋め尽くしていた。

   再び雪洞に入る。急に目の前が暗くなりしんやりした感触が伝わってきた。
     こんな所で本当に寝られるだろうか。
   日課表
      4:00,     食当起床        16:00, 食当準備
      5:00,     全員起床        18:00, 夕食
      6:00,     朝食           19:00, 役員会
      7:00,     ツァー及びゲレンデ     19:15, リーダー会
      11〜13:00, 昼食,ゲ          20:00, ミーテング
      15:00,     ゲレンデ終了       21:00, 消燈


    27日. 日本南岸を通った低気圧1008は東方海上で発達する見込み。
          又黄海の高気圧1024がENEへ張り出しており天気は上り気味となると思われる。

    28日. 低気圧980は更に発達.銚子東方を東進する。
        満州地方にはNEからSWへ気圧の谷が走り.高気圧1021は名瀬付近を東進している為.好天が続いていた。
        28日6時.高層天気図

    Cパーティー.L本多義孝.sL池田昌史(3).m滝島静昭(2).松村進(1). 担当食糧.気象,
            3月01日.五色7:10⇔8:00登り口:15一11:00鉢森12:00一13:30板谷14:15一15:20五色bc(他)

    鉢森山へ

   鉢森山より吾妻連峰東北部
    前川を隔て高倉山と右栂森山


   朝の肌寒い冷気が体を揺さぶり,これから初めてのツァーが始まる。
     朝靄もなく旅館前のゲレンデからは昨日見た,目指す鉢森山が大きく眺められた。

     板谷の集落へ
   五色スキー場の末端は細い山径になっている。一昨日ボッカしたコースを下り.対岸に聳え立つ鉢森に向かう。
     大きく弧を描いてスキー場を出ると雪は固まりボップスレーのような雪径になっていた。

   昨日のボッカで硬く踏み固められた雪上に昨夜の粉雪が薄ら被い.一見して何の変哲もなく見える径。
     スキーの板は僕の意に反し溝に沿って走る。細かくカーブして進む溝沿いの滑行は面白い。

   直登した急なアイスバーンにでた。
     急ではあるが斜面一杯に取れるので大きく斜滑降を取り.山回りでキクターンと同じことを繰り返す。
     誤魔化しの斜滑降は谷側のスキーが落ち付かず.危うくバランスを崩しそうになった。

   山回りも踵の押し出しが強過ぎる姿勢でふん張って回り込む。それで如何にか停まることができた。
     倒れるとアイスバーンの為.落ち方が荒い。ズボンは目がなくなりそうになる。そして布地はザラザラに。

   林間の緩斜面を面白く滑った。停まることに失敗すると向かいの雪壁にスキーの鼻を突っ込まなければならなくなる。.
     時には前に突んのめて転んだりもした。
     ただ幾度も転びそうになったとは言え.数える程しか転倒せず線路に降りられた。

      鉢森へ
   南面は陽が差し暖かい。開拓部落に通じる林道を折れ送電線に沿いに登る。シールがよく利き高度を上げるにつれ.尾根上になってきた。
     対岸の背には五色のスキー場が見え出し旅館がはっきり見止められるようなった。
     数kと離れていて.ここから見える宿。ここからも馬鹿でっかく望まれた。

   大勢での登行は楽しかった。先に築かれたシュプールを外さないよう足を運ぶ。
     送電線を離れると鉢森山がナベを逆さにしたような釜の形で澪下られた。

   右肩には五色温泉から遠望した同じ雪庇が大きく陽光に煌き,輝いている。
     浅い巾白い谷間を辿り.タンネの森を越すと以外な程近くに鉢森の頂が現れた。

   自分のシュプールを見るのも楽しい。大雪原に2本のテール跡が走り.丘を越え谷へ落ちている。
     左へ尾根を巻き気味に.そして右手の雪庇の上に立つ。今まで見る一番大きな雪庇だ。雪庇の中ほどでスキーをデポ.頂に立つ。

      鉢森山
   頂は少し肌寒いが這松に寝転べば風を避け暖かい陽差しが体を包む。
     先に着いた慶応WCの人達が頂を離れてからゆっくり眺望を楽しむ。

   明日登る高倉山の以外なほど大きい山容が目に入る。
     北面を深く切り落とし.高倉山の西稜は急激な壁となりスカイラインを造っている。
     谷を隔てているせいか何処も高度の割に威容な高さで眺められていた。

   そしてコバルトブルーの空に飛行機雲の絵が描かれた。
     東より吾妻本峰に向かい.蒼空を一直線に白い雲を生み描かれてゆく。

      滑行
   雪庇を恐る恐る横滑りで降り.中腹から勢いよく滑った。一人一人が直滑行とばかり飛ばすが,間に見えぬギャップがあるようだ。
     大きくクッションして消え伏せ.暫らくして雪まみれの姿が現れる。

   みんな転ぶ度に腹を抱えて笑った。僕もそれに負けずにと突進する。
     バントば一度だけでなく二度あったのだ。上から分からぬギャップが幾つも走っている。アッと言う間に猛烈な勢いで弾き飛ばされた。

   頂稜が終わると穏らかな穏斜面が続き.小さな雪原あり林間ありのバライテーに富んだコースになる。各自.思い思いに滑りまくる。
     僕はタマゴ型になっつたり.スケーテングを真似をし.時にはクリシチャンを真似して滑べる。

   僕はどうも意識過剰らしく.仲間と出くわすとよく転びもした。
     変に転ぶとしゃくにさわるがハデな転びは心の底まで気を楽します。雪の方から戯れさしてくれているようだ。

      テスト
   暫らくは狭い林間を縫うと送電線にでた。登りよりずっと下である。そこでKWCに追い付く。
     彼等は僕等に径を空けてくれている。慶応パーテイは人数が多くルートの左右に分かれ僕等のスキーを見守っていた。
     まるでテストを受けているようだ。絶対彼等の前で転ばぬと誓った。

   送電線は殆どコブの上に搭を立てている。そして搭と搭の間は下り坂で幾分窪み.ここも例外なくコブがあった。
     彼等の間を潜り.搭の裏に出てしまえば彼らには見えず.転んでも良いとさえ思えた。

   先輩はその中をスイスイ滑って行く.僕もスキーを蹴って後に付いた。
     意識し過ぎから幾らか後傾気味になるがスピードに乗り.鉄塔裏まで踏ん張れた。

   送電線を外れ樹林を潜ると開拓部落が広がる。ここは牧場に適しているような自然の砦になっている。
     ここから深い樹林に包まれ.腐りかけた雪面に向い直滑行が続く。
     林道の唸りに合わせ風を切り.板谷の集落へと滑り込んで行く。

    昨日の高気圧1022は本州南方100kを東進し.本州以南,朝鮮半島まで被っている。
     その為晴天に恵まれ.雲量0.微風が続いている。前線はまだ.揚子江から九州南部に掛けて南東に降りていた。
     1日12時.高層天気図

     s41年02月. 初めて滑る鉢森山ツァー
     s43年02月. 再び快晴の鉢森山へ
     s44年03月. 春合宿,最後の鉢森山に立つ

        高倉山

                            滑川を隔て萱峠から裏の高倉山と吾妻連峰
      宿よりシールを付け高倉山へ
        3月02日.五色bc7:07一8:20高倉山手前ピーク:30一8:51高倉山9:47一10:15賽ノ河原:25一11:30五色bc.

   7時7分旅館を後にする。
     昨日.向かいの鉢森から見た高倉山の偉容な高度も.ここからは半分程に縮まっている。
     宗川旅館はちょうど松川の谷間から高倉山までの半ばあたりに在る。

      裏山へ
   裏山に向かうと山腹を横切って巾広い径が延びている。ここが高倉頂稜に続く弾丸滑行コース。
     普通.僕等は尾根沿いのコースを立教ルート.賽ノ河原から向かうコースを慶応ルートと呼んで.高倉山に至るコースを分けていた。

   今日はRルートからKルートに抜ける為,シールを付け弾丸コースを登っている。ペースはかなりよい。
     弾丸なぞと滅相もない名が付いているが直滑降する者は居ないのだろうか? スキーにしては酷過ぎるコース。
     途中より歩むことになる。シールを付けぬ者が居た理由が分かった。ここは手間が掛かるばかりで歩いた方が早い。

    頂稜立教ルート.左が賽ノ河原

   知らずして尾根に登っていた。急に風が出てきたよう思える。
     でも陽差しは強く壷足の眩しい一歩々々が続いていた。

   ここは半日コース。のんびりした気持ちになり.3のコブを越し.最後の頂手前で一本取った。

     頂まで数分だが池田先輩の要望が利いている。

    烈風と強い日差しで吹き飛ばされた高倉山頂
      
    滝島.松浦.保坂.本多.林.各先輩

    肩より賽ノ河原を隔て吾妻の主稜

      高倉の頂
   十字に背負ったスキーを降ろすと頂は素晴らしかった。今まで見えなかった吾妻の山容が目の前いっぱいに広がる。
     栂森山から目を尾根沿いに上げていくと東大嶺の広々とした頂に突き当たる。

   時折雪煙を巻き上げる雪の被うった稜線はコバルトブルーの空と合わさり.冴え渡り望まれた。
     縦走パーティは今何処の辺を歩いているのだろうか。

   東大嶺から目は左へ走らせる。薬師森.烏帽子.ニセ烏帽子の頂が目に入り.大きな家形山も望まれた。
     後日.あの真白い台形の山を登ると思うと目は更に冴えてくる。

   特性ビスは美味しかった。冬用に特別注文の硬いビスはカロリーが豊富だそうだ。
     三枚のビスは美味く,あっと云う間になくなった。行動中の昼食はこの3枚にあたる。腹8分目もない。否半分か?

   食糧が全部空になるとリーダーの本多先輩が.この分なら新記録を樹立できると言う。
     何のことかた思っていたら高倉ピストン.行程時間のことだった。食べる物は何もなくなった。「よーし!」と急いで腰を上げスキーを付ける。

      滑降
   賽ノ河原の急斜面は僕には斜滑降しか利かないが.大きく大きく切って滑る。後は真っ直ぐ飛ばすだけだった。
     直滑降となれば転ばぬ限りそう技術の差はでない。視界は見る々変わり弾丸滑降コースに入る。

   ここは一番難しいコースだ。右へ巻き気味の上.谷へ落ちる傾斜が激しく.スキーは段違いにして滑らなくてはならない。
     その上.コブの先は陰に隠れ全然分からない。目標を定め.スキーの先をそちらに向け一機に滑る。

   コブを大回りして止めるか.脇の雪壁に突っ込むだけだった。
     前に人が居るともなれば恐ろしいこととなる。ぶつかる恐怖はコブを越えるまで分からず.如何しようもない。幾度も転んだ。

   旅館に着いたのが11時半昼前である。そのお陰で又.停滞パーティの食事にあり付くことができた。

     s41年02月. 弾丸コースと立教ルートで高倉山
     s42年03月. 大部隊2パーティで高倉山へ
     s43年03月. シールを付け高倉山へ

      横穴雪洞
   高倉に登った晩.初めて雪洞に寝た。
     厚着の寝仕度で汗ばんだが雪床に横になるとひんやりした空気が体を包む。
     冷気の流れがよく分かり.ローソクの頼もしさを知る。又ローソクの炎が美しく思えた。

   朝の炎は幻しのよう思えた。一度目覚めれば明け方の冷えが雪洞に流れ込み.L字に掘った雪洞に忍び込んでくる。
     縮こまって.うとうとしていると起きるのが億劫になった。

   外は酷く冷えた。体を動かしていないと震えが停まらない。昨晩,踏み固めた足跡を頼りに闇径を旅館に戻る。
     廊下もひどく冷たかった。明け方は舘全体が死んだように冷たくなり.空気を凍らせ僕の体を凍らす。それに比べ雪洞は暖かった。

      朝
   宿の広い台所.その一部分を常に借りている。ナベやヤカンが雑然と並び.占領している部分は以外と広い。
     他に客もなく宿が動き出すまで.ローソクの炎が頼りになる。ここと食糧部屋前の廊下で炊事が始まる。

   移動性高気圧1022は銚子沖を毎時30kでゆっくり東進しており.東日本及び中部日本をまだ被っている。
     前線は日本海に入り.もう1つ前線は名古屋以西.太平洋沿岸に沿って中国まで延びている。

   ツァー中は快晴.頂でややSSEの風強くなるり.良く飛行機雲を見た。6本.
     午後.曇る。2日12時.高層天気図


                   賽の河原を越え慶応小屋付近より
      3月03日.宿止まり.ゲレンデ

      諸感 ・・食当
   今日は食当である。
     食当はパ-ティの編成でなされている為,メンバーの少ないパーティは大変だ。特に僕等パーティは4人の上.一年は僕一人である。
   食事ともなると食糧部屋に宛がわれた部屋を掃除し.食卓を作り炊事をし.飯を盛らねばならない。
   朝はてんてこ舞いになる。

   3時頃から起き火を起こし.炊事を始める時は息も凍る程の寒さで電気も停まっている。
     ローソクを頼りにジッと実の煮え立つのを待たねばならなかった。漸く廊下にも朝が訪れ.ローソクも不用になり飯を盛る頃.皆が起きてくる。

   その間テルモスに熱いミルク茶を満タンにし特性ビスを置く。特に栂森パーティは列車の関係で早く出掛けるので.二重の手間が掛かる。
     でも何杯もお代わりして食べる光景は嬉しくもあった。皆を送り出し漸くほっとする気分.これで休息と云えようか。
     合宿中どのパーティも一度は休息日があり.その日が食当に宛がわれていた。

   昼食は朝に比べのどかなものである。自分のパーティしか居ず.皆で味付けながら炊事をする。その時ほど.くつろぎ安らげる時はない。
     部屋に寝転びのどかな一時を過ごす。
     昨日は我がパーティのツァーは最短時間で昼食前に戻ったため.当番の食事にもあり付いていた。

   午後.外へ出るもツァーから帰って来るパーティに温かいものを作り.夕飯の仕度を考えると.ホドホドしか滑れなかった。
     それでも忙しい中に.のんびりした楽しさがあるのは素晴らしい。
     持米は1人.偵察隊2升4合5勺.本隊2升3合.

      諸感 ・・ゲレンデ
   宿はゲレンデ中央西側にあり.挟んで東側には一本のリフトがある。
     明治44年.民間初のスキー場としてオープンした古いいにしえを持っている。 

   ゲレンデは急なガリーから狭いコブを越え.宿前からなだらかな斜面が広がっている。
     変化には富んでいるが上手く滑ると1本でリフト末端まで滑ってしまう大きさである。ただ整地は全て滑る本人がすることになっていた。

   リフトは常に空いていた。否や停まっている。我々が催促しないと動かない。貸切.当然のリフトは常に停まっている。
     1パーティ5.6人の人数で動くことはなく,乗車券も有るには有るが.全て宿主.源ちゃんの気分しだいで動いている。

   リフトは全長の後半上部を除き.雪面に飛び降れる高さにあり.下は淡雪の吹き溜まりになっている所が多い。
     集合が掛かると皆一勢に飛び降り.ゲレンデ滑降は終了する。すると源ちゃんが宿からリフトを停めに現われる。
     ゲレンデリフト代は合宿中計¥910は高い? 管理人も居ず.リフトを動かす源ちゃんは暫しいなくなる。

      諸感 ・・風呂
   五色には2つの風呂がある。
     浸かっているだけでもぬるい温泉と幾らか暖かい沸かし湯風呂がある。小さいが白いタイルに白い壁.家庭用の明るい風呂は以外と寄り付かない。

   毎日々々入る湯は圧倒的に岩風呂の方が多い。一度だけ沸かし湯に入ったこともあるが二度と踏み入れることはなかった。
     沸かし湯に何か不吉な陰が漂っている訳でもない。
     都会と違って窓を挟んで雪が降り積もり.雪国の感じは十二分にある。それでも洞窟のような薄暗い.温い湯に好み皆浸かっていた。

   ツァーが終わり一日の疲れを安げる温泉に飛び込む。薄暗い湯殿はぬるぬるし足を取られがちになる。擦り足で入れば又.山の湯らしい。
     「ぬるい!」「ぬるい!」と言って入るのも乙なものである。仲間と一緒に騒ぎながら.又一人で浸かるのも湯は五色らしく楽しい。
     アルカリ性炭酸泉50度.源泉は大分離れている。

      諸感 ・・・摘み食い
   炊事を手伝っている時.面白いことに気が付いた。ナベをコンロに掛け.まな板を叩いていると廊下を行き通う仲間が.
     擦れ違う時ちょっと足を止め.「ご馳走は何だ!」「美味いのも作れ!」「肉が入るのか!」などと声を掛けて行く。 

   そして煮込みが始まると廊下の一隅に一人.二人と集まり始める。彼等.彼女等は急に手伝い始める。
     摘み食いの為.集まって来たのを知っている食当は.人手は間に合っていると言っても誰も耳を傾けない。
     味付けになると右や左から手が出て.肉など目星しいものがあると,どんどん減っていく。

   そして最もらしく「塩味が足りない!」「否や砂糖だ!」「微妙だな!」などと言い.摘み食いを繰り返す。
     それでいてコンロからナベが降ろされると,盛りを手伝うどころか.今いた連中が誰もが居なくなる。

   僕の手伝いも,その一面を持っているのは疑えない。
     激しいツァーを終え,一日の行動を終えてラジウスにみんなが集まるよう.コンロに集まり,炊事をしながら.のんびり雑談を楽しんでいる。

      諸感 ・・乾燥室
   僕の部屋の下は乾燥室になっている。
     乾燥室と云っても畳を上げ.床にトタンを張って部屋の真中にストーブが置かれているだけの場所だが。

   乾燥室も人のよう生きている。昼間.皆が山々に出掛けていると乾燥室は深い眠りに入る。
     そして夕昏が迫りだすと乾燥室は賑やかさを取り戻し色鮮やかな干し物で飾られる。
     今まで寝ていたストーブも.この時ばかりは赤々になって活動し始めた。

   乾燥室にも衣類をまとう順序がある。ストーブの極手近かな所にはシャツ.セーター類が干され.ヤッケが干されている。
     そしてそれを囲むようにオーバー手.オーバーズボン.シールが吊らされ,部屋の隅にはポンチョ.シュラフ.ザックと言った類の物が広げられている。

   ストーブの上には吊り網がある。そこにはもう手袋,帽子類に占領され.床にはスキー靴が漠然と列べられていた。
     これから乾燥室が充分働き始め.それに変わり山で働き疲れ切った道具類が休みを取る。

      諸感 ・・僕の部屋
   少人数な僕のパーティとは反対に部屋だけは大きく.人数も多い。
     又ミーテンヅに使われる僕の部屋は,それだけ人の出入りも多い。常に誰かが居た。部屋の奥くにザックが置かれ炬燵が一つある。

   炭火の炬燵は時には足でいっぱいになり.足を擦り合わしている時もある。
     炬燵がカンカンに起こっても誰も足を投げ出さない。熱い所に入り縮こまっている。それが灰になると入るだけ体ごと潜り込んでくる。

   背に畳を付け寝転ぶと天井が広がる。
     よく見ると黒ずんだ中に板の目が見えた。天井に吊された裸電球はスイッチを入れても点かなかった。
     替える人も.伝える人も居ない。云えば自分でしなければならないと皆判っている。

   高気圧は遠ざかり日本に気圧の谷が入る。
     前線が3本走ってをり太平洋沿岸.秋田沖から大陸へ,千島より日本海北部を通り朝鮮より大陸へと。
     霧雨の所が多い.日本海にある低気圧は1008ミニバール

     3日12時.高層天気図

                 一切経山,家形山へ
     , 家形山の稜線
    3月04日,五色―緑樹山荘―家形ヒュッテhc
   賽ノ河原から家形.薬師森の頂稜
     
      
家形ヒュッテへ
   五色温泉の裏コース, 弾丸滑行を再び登り詰め賽ノ河原にでる。今日は初めよりスキーを履いた。スキーがクッションのようはじき.又前に滑る。
     K大ルートとの分岐を過ぎると賽ノ河原は一層広々した原野になる。
     裏山の日陰を抜け陽差しが増してきた。パーティはそこを指導番に導かれ横切った。

      不安の賽ノ河原
   僕には時々番号が飛んでしか目に入らなかった。標識を気にしていないせいもあるが賽ノ河原を横切り樹海に入る。
     標識に導かれているが分からない。同じような入口が幾つもあり余計分からなくなる。
     サブではなくリックを背負ってのスキー。周りが見えず余裕が途切れているのだろうか?

   地図をある程覚えた積もりなのに。今まで一度もこのようなことはなかった。ただ付いて行く。
     合宿であれ個人山行であれ,分からない所を歩くことはなかった。先も後も分からない。

   今日のように好天なら問題はないが.ガスが掛かり標識も見定められなければ.戻る自信がなかった。
     そう考えると心細く怖かった。

      シールの面白み
   賽ノ河原を横切るともう心配はなくなった。シュールを付けた間々.沢を横切るのが面白く熱中した為である。
     沢底への急斜面は摩擦を利かせ,ズルズルゆっくり滑るだし,膝を深く折ると思い以上に滑る。
     そして柔らかい粉雪に摩擦は増し.前進姿勢で倒れ掛かっては停まった。

   急登も直登すると面白い。滑りだす.すれすれまで膝を深く曲げ,体重をできるだけスキーの中心に持って行く。
     すると急でも着実にシールは利いた。もう駄目だと思った時は慌てずストックに重点を移せばよい。

   幾つも沢の横断は続き緑葉山荘にでる。東海大が管理をしている。この上にも急斜面はある。
     どうした訳か直登できず.1度目は強引にストックで乗り越えたが2度目は駄目だった。
     「力が抜け!」.「頑張れ!」と言われる中.ジグザクを切って登る。

      初めてのトップ
   枯れ木のテッペンに赤い標識がある所で直角に右へ折れると.緩斜面のシラビソツの森にでる。僕は初めてトップをやった。
     スキーの板が適当に潜り.雪の締る音が森に響いて静けさを破る。

   僕の前にラッセルはない,深い森へ。
     雪白き白銀にスキーを流すとスキーの先端から雪面が盛り上がり.ビシっと割れシュプールになる。
     それを右も左も規則正しく行われた。僕は楽しんで雪面を切る。

   「標識に注意して進め!」とリーダーの忠告が耳に入る。そして滑らかにルートを取れと。
     先の標識が見えるとその先の標識を探し,出来るだけジグザグにならないよう気を配った。
     今の心配は交代させられぬことだ。全てが新鮮で嬉しく,気も心も爽やかだ。

   更に斜面は穏やかになる。深い森が続いている。
     何時までも進みたいと心は動く。静かな森と僕の足跡。僕は先を見詰め.自分で一歩でも処女雪を歩きたかった。
     何しろ嬉しく心がときめきがしょうがない。

   このような気持は鉢森でも感じたが..あの時は何だか分からなかった。
     今.その謎が1つ具体的なものとして現れたと思う。

   ボッカで五色温泉に入った日.新津先輩が教えてくれた言葉.「ツァーの楽しさは滑るより歩くこと!」。
     その実感が心から溢れるよう湧き出していた。もうヒュッテへの森も近い。

   傾斜が更に落ち明るさが増してくると樹海を綴るラッセルの足巾も大きくなる。
     一瞬視界が広がるとシラビソの森が切れ.家形山のヒュッテが現われた。
     雪に埋もれるよう現われ建つ姿に.気ははしゃぎ有頂天になっていた。木造の立派な小屋にでる。

   関東南部から揚子江流域に伸びる前線は.梅雨前線に似てナタネ梅雨になる。天気は悪い。
     又別の前線が日本海を通り996の低気圧に繋がっている。
     規則正しく崩れる。朝方.陽が出ていたものの昼前には曇る。午後ガスが掛かり.日暮れと共に風強く雨が降りだした。


     07:30. 高積雲.高層雲
     08:00. 晴
     08:40. 快晴.賽ノ河原.無風.se高積雲
     11:37. 曇
     12:15. 曇.ne層雲. 家形ヒュッテ
     15:00. 霧
     18:00. 霧.時々風強し
     18:30. 雨


       家形ヒュッテと背はガンチャン落し
       ヒュッテの管理は高湯温泉組合.庭坂7


      家形ヒュッテ
   玄関前.外にタタキがあり雪を振り払い中に入る。目隠しのような風除けの壁を右に避ければ小屋の1階全体が見渡された。
     スキー板を玄関に入って直ぐ左の壁に立てる。目の前が土間でストーブが南側中央にあった。

   先輩が火を入れる中.小屋を偵察する。ストーブから突き抜けた2階が寝床で.コの字の高床になっていた。
     北側.1階からは小屋の中心部に当たるところが今日の寝床である。準備している内.炊事の用意をするよう声が掛かる。

   燻る煙はもうもうと2階を襲う。目には泪を浮かべるも小屋に着いた安心感か堪えるが煙い。
     1階の中央には右に管理人室.左には個室があり.奥の突き当りには炊事場がある。トイレは反対側,左の奥にあった。

   薪を加えストーブが赤々と焼けると愉しい炊事になった。知らずして外は帳が落ちていた。
     ストーブ脇の窓から覗くと外は既に暗く雪が舞い.荒始めた唸る風が煙突から逆流して伝わってきた。全てが好奇心に満ちていた。

   ふと思うと先輩達から指図ばかり受けていた。まだ要領の呑み込みも悪く.判らぬことも多い。
     1年1人,全く効きにせず云われるままに動く僕。それも嬉しいヒュッテである。
     デンと構えるリーダーと中間的立場の2年生滝島先輩.分担もはっきりし.判らぬ私は細々動く。

   先輩が「起床!」と怒鳴る。暖かい寝床も、ストーブに火か落ちると昨夜の冷え込みは半端ではなかった。
     時折目を覚ます。否や,寒くて震えていた中で寝ていたようだ。明け方は特に酷かった。

   それがストーブに火が入り.いぶり出される中で寝る朝の一時が夢心地のよさになる。
     「起床!」の声に動けぬ私。シュラフの寝心地は頂点に達していた。
     少しその心地に浸っていると名指しで起こされた。もう起きるしかあるまい。

      3月05日吹雪. 家形ヒュッテ⇔一切経山―家形山.―五色bc

   昨日は午後は荒れに荒れた為.今日は忙しい。一切経をピストンし五色温泉へ下らなければならない。
     パッキングを済まし外にでる。

      ガンチャン落とし
   今回合宿でも話題に上がっていたが.噂ほど気にならず凄いと呼ぶ程にも思えなかった。
     ただ雪崩のことが頭を霞めるが気も心も落ち着いていた。

      頂へ
   上では風が強かった。叩き付ける横風が頬を打ち.沼へ落ちないよう一歩々々慎重に歩む。
     トラバースを終え幅広い尾根になると雪が飛ばされいた。早速スキーをデポ.

   ここから一切経まで妨げるものは何に1つない。風は一層激しさを増し僕等を脅かす。叩く風は痛さに変わり小石も飛ぶ。
     風に向かって息することさえ難しくなり.背を丸め,喘ぎ息を殺して登った。
     目出帽を無視して来る風に.ストックに身を任せることが多くなる。一歩一歩に苦しみを与え僕を脅かす。

   風に飛ばされた岩場も半ば過ぎた。
     一層留まることを知らない頂稜に今まで認められた小さい風の息さえなくなった。風を避け地面に這うよう岩肌を掴み々登る。



 一切経と五色沼      ,   
       烈風の頂
   丸びを帯びた頂はそれこそ猛威を振るっていた。
     風の重さが体を押し倒し,足はいくら踏ん張っても浮きズルズル後ずさりさせられた。
     体を縮め這う格好で進むが.一歩行くところ地に着く前に半歩下がり前進を阻んでいる。

   気を抜く暇などある筈もなく,町でこの風に吹かれたら完全に飛んでしまっただろう。
     山への自覚がそこに留めさせている。

   頂の道標は雪が氷り付き「一切経」としか読み取れなかった。風下の岩陰に身を寄せ腰を下ろすこともできなかった。
     岩にしがみ付くか,風に向かい這うよう歩いていない限り飛ばされてしまう。
     直ぐ下山に移った。留まって居る事はできない。濃霧に迷い再び頂を踏んだ径を戻った。


      回想
   僕は初めての山でよく山の洗礼を浴びる。
     新人養成の意外な程多い残雪に雪上幕営や.濃霧に明け暮れした中央アルプスの縦走もそうだった。

   僕はこのような山を憎まない。却って快晴,無風の時より頑張るだけあって.心に残ることが多い。
     残念さは残るが頂まで行けなくてもよい。白峰山では北岳しか登れず.三ッ峠でも吹雪で引き返したことがある。
     改めて頂を踏んだ歓びは更に大きい。

   今回小屋へ戻る途中.分岐手前で池田先輩がメガネを落した。
     その落ち方が如何にもゆっくり止まるような落ち方で.まだ拾えるぞとばかり落ちて行く。
     落ちるならサッサと落ちろ。勿論.不注意は人にある。だが自然は悪戯するような否らしい時もある。




            家形山とガンチャン落し,大石付近より
     吹雪の五色へ
   山も谷も荒れていた。吹雪の新雪は積もるばかりで同じコースを戻るにも膝以上潜る。
     もうシュテムも山廻りも何も利かず.滑るのは直滑降のみになる。

   スキーの上手い先輩すら転んで停まっている。時には木に抱き付くこともある。
     雪まみれになる方が多い。転ばぬのも手だが.この雪では無理するなとリーダーの注意が飛ぶ。
     谷底に一直線に行けば転ぶ回数は減るが.滑り出したら転ぶまでどうしようもない。

   吹雪の帳は早い。ようやく緑葉山荘に着いた頃,陽は暮れ掛かっていた。ここから賽ノ河原の難所が待っている。
     山荘で休まし頂き.直ぐ出発。薄暗い空は闇にならんとしていた。
     来た径をボンボン下る。下ると言っても転んでである。

   賽ノ河原は以外と楽だった。吹き飛ばされた雪面は凍り.ルートさえ丁寧に探し廻れば良かった。
      トップのリーダーが磁石を持ち「離れるな!」「離れるな!」と叫ぶ。こうして賽ノ河原を横断し弾丸滑行に入った。

   この裏山を抜けると五色にでる。弾丸滑行は淡雪に包まれ.前回のガリガリの斜面と違っていた。
     雪は深いが迷わぬ安心感に,出来るだけ転ばぬよう気を配る。
     それでいて転ぶとダルマとなる。体中が雪に舞い口からも雪が飛び出した。

   五色の玄関を潜った時.真暗闇になっていた。
     玄関には何時も以上の仲間が集まり.「良かった!」.「緑葉山荘に泊ると思った!」.
      「今.パーティを出そうと準備していたところだ!」.など段片的な言葉が聞こえた。

   厳しかったがツァー最後に相応した終わりになった。
      僕等だけのパーティでぬる湯に浸かっていると.今日の一日の苦闘がありありと浮び.湯はジンジンいいながら体を温めた。

   低気圧970が千島近海で発達し強い北風が吹く。黄河上流には次の低気圧が現れた。
     夜半より明け方に掛け強い風雨となり.6時半強い風雪に変わった。
     山は地吹雪で一日中風雪となる。

      夜中. 強い風雨,ヒュッテ
     05:00. 雨,強風
     06:25. 雪,強風
     07:00. 地吹雪,五色沼.nw強風
     14:10,. 雪,強風.青木小屋
     16:55. 雪.五色

     s41年03月. 初めての家形ヒュッテと一切経山
     s42年02月. 家形山〜東大嶺縦走
     s42年11月. 家形ヒュッテ修理U,偵察
     s43年03月. 混合パーティで一切経山
     s44年03月. 東吾妻山と家形山(女子パーティ)

      3月06日.一日中雪
納会
   今年度.最後の山行も終わり.昼間の運動会に引き続き.夜半から納会が催された。
     納会に仕立てられた広間の入口には一升ビンが何本も並び.徳利の数は数えられぬ程ある。

   納会は意外な程の厳粛さで始まり.主に4年生の送別に当てられた。
     今までとは又.違った厳粛の中で新津.中山.神徳.三輪各先輩を送る。
     答辞に目の潤む涙声。その感情が部屋いっぱいに満ちるにつれ.胸の詰まる思いが僕の心に押し寄せる。

   そして酒が酌み交わされ.甘い山形の地酒,東光で酒宴は明け方まで続いた。良いクラブだ。
     この納会の流れこそ.クラブ活動の縮図のようだ。そして最後に残る無我の郷こそ.大切なものを残している。
     僕も何時かあの席に立った時.この感情を導きだされるであろうか。淡い感傷に憧れを持ち続け始めていた。
                                               宗川旅館. 米沢市板谷五色温泉.023835一1
      3月07日.雪 下山
   解散後.福島市内の同期.三浦宅に世話になる。又もや田沼.和田.そして僕と同期が集まった。
     飛行機が羽田に落ち.四国にも落ちたそうだ。

   ツァー用シール,純毛目出帽@200購入.
   合宿中に国鉄運賃改正があり.行き学割5割,帰路は3掛けに。板谷=福島¥80,宿¥240×9+外泊¥120×2

   太平洋沿岸のナタネ前線は温度差が大きく.その上を低気圧が東進する。
     東北地方は雪の所が多くなる。

    裏からの望む吾妻東北部
  
東吾妻より烏帽子岳.家形山.一切経山

      前年度40年偵察. 五色⇔家形ヒュッテ―兵子
  昨年までの行動は,鉢森山.高倉山.栂森山.犀ノ河原の日帰りツァーと1泊コースとして家形山.一切経であった。
    これらのツァーコースは吾妻連峰の東部で,まだほんの一部分でしかない。

  吾妻連峰中心部にあたる東大嶺は我々の憧れであった。そして東大嶺,栂森コースを今合宿に計画した。
    しかしながら計画の不備から偵察を出したものの東大嶺,コースは中止した。
    このコースは天候をあてにして計画されたのが,そもそも不成功の大きな原因であった。 cL新津,

     
偵察隊報告, L中山m田中.保坂
  2月25日.雪
    板谷の連絡所で話をしている間に.慶大Wの本隊120名がラッセルをしてくれたのでゆっくり登る。
      五色温泉にて本隊のメンバー表.行動表等を作成。夜.食糧の交渉をする。
        峠8:20一10:25五色温泉

  2月26日.雪
    ゆっくり準備を終え出発。2時までに家形ヒュッテに到着の予定であったが,滑降コースに出るとラッセルは50cmとなり.
      ペース遅し.犀ノ河原で30cm.要所に赤旗7本。風は弱いが樹林帯のラッセルは50cmとなり.相当時間を食う。

    青木小屋3時。ここで調子の悪い保坂のシールを修理し,出発するが.1時間2〜300mの進度で小屋に引き返す。
      東海大Wの方が1人小屋番に入っておられ.泊めてもらう。夕方より雪止む。
        五色8:30一12:30昼食13:00一15:00青木小屋:50⇔17:00退却一17:15.

  2月27日.晴
    深かったラッセルも次第に浅くなり.家形ヒュッテの近くでは30cm程となる。ヒュッテは無人。昼食を終え出発した。
      家形のピークより兵子方面の樹林帯へと入るが.樹氷のため視界が悪く.色あせた赤旗と地図.磁石に頼り進む。
      時々背丈以上のシュカブラに出合い,巻く。

    約2時間後.兵子より東大嶺まで見通せる地点に出るが天候は悪化し.ラッセルも深くなる。
      進むのをあきらめ.18番の赤旗を最後に引き返す。

    家形では視界10m,ヒュッテの番人の方が入っておられ.夜この方面の情報を聞く。
        青木小屋8:00一10:30家形ヒュッテ12:20⇔15:00兵子を目標に進路を変更一16:20.

  2月28日.
    昨夜来風強く.朝起きてみると吹雪であった。10時頃慶大パーティが吹雪のため引き返す。我々も偵察を諦め下る。
      犀ノ河原では視界が非常に悪く,残った赤旗のほとんどを立てる。温泉に着いた時.ボッカ隊は2度目のボッカに下っていた。
        家形ヒュッテ11:10一11:45青木小屋一13:00五色

      偵察後記
   偵察の失敗の主の原因としては連日の悪天候で予想以上のラッセルに強いられ.又メンバーの力不足もある。
     つまり2月の吾妻連峰に対し.私達の研究不足していた点に尽きると思う。

   今後は出来れば家形までと峠より栂森までのサポート隊を出す様して.より安全なものにしたい。
     もちろん.好天に恵まれれば.さほど難しいコースとは思えぬが。
     あと1つは装備の軽量化にある。重装でスキーを使用し.50cmのラッセルを行うには3人の人数は余りに少なかった。

       
春合宿縦走に備え偵察山行
     s40年04月30〜06日. L新津.m保坂.上坂
     浄土平一鏡沼.避難小屋一明月荘一西大嶺一高湯. 偵察兼ね縦走

        本年度41年偵察.縦走隊報告
     偵察隊後記(峠〜明月荘). L新津.sL保坂.m吉永.西村

   東大嶺一栂森コース突破の計画は昨年春合宿より進められていたが,昨年はドカ雪と計画の甘さで敗退している。
     今年こそわと,5月の偵察を兼ねて家形より西大嶺までの縦走を計画した。

   その結果家形.東大嶺間はコース的に問題ないと確認,残されたのは明月荘一栂森間である。
     夏道のないこのコースは夏に入るより.雪が来てからがより効果的と決定され.今回の偵察行きが決定された。

   計画にあたり峠をベースに置くか,又栂森下に雪洞を造り.これをベースに東大嶺をピストンするか,色々な角度から検討し.
     小栂森に雪洞を掘り,これをベースに偵察することが最も確実と結論した。

   この決定を前に雪洞使用についての問題は.我々は少ない雪洞経験と資料を集めて研究し.充分に我々に出来ると確信を持つことがでいた。
     最悪の場合でも峠までのコース.距離からして安全は充分である。

   我々のこのような慎重な計画による偵察は連日の晴天と1ケ月も早い雪解けで.
     例年ではスキーを付けても膝までもぐるラッセルも,全くないと云えるほどの有様で.朝夕はガリガリに凍って壷足でも
     全くもぐる事がないほど例年には.考えられい異常気象により.偵察は何の問題もなく成功に終わった。

   又,雪洞生活の問題にしても,たった2日であったが.居住性はいたって快適で,
     冷え込みも少ないので雪山においてこれからもおおいに活用できるに違いない。
     これからは.ますます雪洞経験をつんで.雪山を縦横に歩き回りたいものである。
新津賢記,

       
縦走隊報告(家形山〜東大嶺). L新津.sL保坂.m吉永.西村.上坂
  3月02日.晴後曇
   連日の好天下.Bパーティと前後して,いよい五色を後にする。すっかり締まった雪,快調に壷足で登る。
     分岐から犀ノ河原へ・・・・。眩しく輝く高倉山の斜面を進む。

   Kパーティとすれ違いつつ,3つの谷を越せば程なく青木小屋。中山パーティに遅れて出発,これより樹林の急登が始まる。
     明るい日射しも何時か曇空となり,雪も一段とその白さを増した。
     1時間ただずの登りで家形ヒュッテに到着・・・・・一切経パーティの元気な顔が見えた。

   午後はAパーティの下山を見送った後.偵察に出掛ける。
     兵子のピークで,一切経に登ったBパーティとコールをかわし.家形の樹林帯にベンガラをまいてヒュッテに戻る。
     静かな山小屋に,夜遅くまでk大の明日の行動を打ち合わせる声が響いた。

       五色7:10一9:28緑葉山荘10:00一11:10家形ヒュッテ:30.偵察⇔13:50兵子14:15. 一15:30

  3月03日.曇後晴
   夜半の雨も止んで,生暖かい風の吹く早朝,Bパーティに見送られ出発。
     家形山よりスキーをつけ、兵子に続く樹林帯を進む。ラッセルもなく,昨日まいたベンガラで行動はスムーズ。

   程なく三嶺会の偵察隊に追いつくが,我々はのんびりと後に続く。
     ニセ烏帽子を通過.煩しい樹林の下りを抜ける頃より.日も射し始め,落ち付いた空模様になる。

   烏帽子.昭元山を交互にまき.先行パーティを追い越す頃,東大嶺に雪原が開け始めた。ガスっていれば分かりずらい地形である。
     穏やかなスロープを真っ直ぐ進めば東大嶺。来た道を振り返り全員でガンバレ節を歌う。

   シールをはずし明月荘まで快適な下り.20分程で小屋に到着する。午後は小屋に入ってラーメンの作り方に熱が入る。
     夕暮れと共に.明月荘附近は一面にガスがかかり.何時か屋根を打つ雨の音が響き始めた。

     家形ヒュッテ6:35一7:13家形山:23一8:17姥湯と兵子の分岐:37一9:30烏帽子一11:25東大嶺12:00一12:20明月荘.

  3月04日.晴後曇
   素晴らしい快晴の朝を迎え.のんびりと9時、明月荘を出発。連日の天気に雪焼けして.みんなの顔も一段と黒さを増してきた。
     東大嶺の樹林の裾野を横切るといよいよ下りが始まる。

   風もなく.強い日射し,遠く蔵王,朝日の山塊にかかる雲海を見て.先日立てた赤旗が栂森へと続く。
     小さな3つのの起伏を乗っ越し.一汗かいて栂森のピークで食。栂森を目指すパーティに声をかけるも返事はなし。
     ピークを下り始めると同時に.その元気な姿が現れた。

   下りは慎重に・・・・・重荷に堪えかねて.西村のバッケンは調子が悪い。
     小栂森斜面に掘った雪洞を覗くが.まだ使える様子。雲足も早まる中.途中より追いついたBパーティと共に下る。

   ブッシュが多いがスキーを使って渋とく峠のゲレンデまで下る。。
     縦走を終えて駅で一息.何故か足のマメがうずき始めた。温かい温泉へと・・・五色への登りにピッチを上げる。

     明月荘8:55一10:30栂森11:00一12:40峠15:04=一16:25五色. 保坂洋記

   今年は明月荘と西吾妻山荘は無人小屋であるが8/1〜31まで両荘に小屋番が入る。毛布¥50.素泊¥100.(米沢市役所)
     五色沼から五色温泉へ抜ける標高1300m付近にあった慶応大学吾妻山荘は火災で
焼失

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     旧hp,PhotoHighwayJapn.吾妻春合宿T
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