高校同期.初めてのアルプス珍道中 大樺沢雪渓の下降.遭難救助と特訓 ![]() 2001年07月,霧ヶ峰車山より南アルプス北部 |
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| 荒天で白峰を諦めた梅雨期の千丈ケ岳と北岳の旅 昭和39年(1964年)07月14〜20日. m長塩憲司.松村進 同級生長塩と梅雨の中休みを梅雨明けと間違って登山したところ,梅雨末期特有の豪雨に見舞われさんざんな山行になってしまった。 千丈ケ岳と白根三山は北岳のみ.豪雨で大樺沢雪渓を途中下山.又明峰山岳会の落下にともなる遭難救助に携わる。
高遠の町 昔,小学生時代の初め頃.高遠停留所近くで母方の親戚宅に夏暫く過ごしたことがある。 幼い頃,戸台まで入るには飯田線伊那北駅から路線バスは三峰川沿いの高遠で乗り換えていた。 そして右岸のヘチにへばり付くようあった高遠停留場で.乗り換える大学生のグループに憧れを抱いていた。 重いキスリングを背負う姿が印象に残っている。まだ.僕も幼く中央東線に蒸気機関車が走っていた頃である。 大きなキスリングを担ぎ.その勇ましさは夢のようだった。それが今.現実にされようとしている。 相棒は同期の長塩.大学進学を仕替え.初めてアルプスに入る。 雨と風に叩かれ高校最後の珍道中が始まった。 2001年を迎え,妻方の先祖を探る旅にでて.まず高遠を尋ねてみたが,木彫り師の親戚の家は既に建物すらなかった。 隣の醤油屋は町の民族資料館に変わっている。 町並みは変わらず.中央通りの急な坂道の上には何時もの鎮守の森があった。 1980年(s55年).芦安村と長野県長谷村を結ぶ延長57kmのスーパー林道がが完成.両村営は夏期にマイクロバスを運行するようなる。 戸台口=北沢峠間は長谷村営バス, 北沢=広河原間は芦安村営バスになり.その後甲府から夜叉神峠越えの広河原行バスが開通する。 その後は現在に至る。南アルプスス-パー林道 戸台川の河原バテる 戸台川の河原を順調に歩き.赤河原を抜け.北沢の登りに入ると急にペースが落ちる。 この所.体を動かしていないせいか.溢れるばかりの汗が出るのみで.足が上がらない。 次第に休みも多くなり.視界も利かず馬力もでず。 八丁坂の登りあたりから激しい雨に叩かれ.肉離れを起こし苦痛の連続が続いていた。 ガスの中.景色なぞは論外で黙々と歩むのみ。 仙丈ケ岳から両俣へ下り.北岳を越えて白峰まで行こうと思っている。入山で頑張るも.なかなか捗らず。 馬ノ背尾根と藪沢小屋千丈藪沢小屋 藪沢小屋は小千丈藪沢よりにあり.まだ高校生の登山は珍しいらしく.小屋に入ると皆親切に対応してくれていた。 自炊の僕等に差し入れもあり.小まめに見詰めてくれている。 グロッキー気味の僕等に.落ち着きが出始めても気を使って下さった。 小屋は空いていた。夕方.天気図を付けだす大学生を見て.凄いと思うのは僕だけかも知れない。 |
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天竜川源流ツメ.千丈対岸より |
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| 7月16日.藪沢小屋hc―仙丈ヶ岳―仙塩尾根―野呂川越―両俣小屋h2 雨の強行軍にも関わらず縦走のため頑張り歩む。 稜線はガスが立ち込め.本降りの雨に風が加わり.ピーク直下ではダウン寸前に陥る。衣類はずぶ濡れだった。ほほに当たる風雨が痛い。 頂直下の村営仙丈小屋に逃れる。ここで体を温め.一時止んだ雨をチャンスとばかり馬鹿尾根を下っている。 仙丈ヶ岳山頂仙丈を越え 仙丈岳を越し.なだらかな頂稜をだらだら下る。薄日が差しだし視界は良好に.左右に深い谷を落とし歩調も増してきた。 どんどん下り.体は温かさを保ち.軽く動けるようなる。 伊那荒倉岳を越え.野呂川越からは勿体ないほど下ると.野呂川源流の両俣小屋にでた。 両俣小屋 野呂川右俣と左俣の出合.350m上に小屋はあった。周りは深い森に包まれた巨樹林が生い茂り.ほっとすると同時,心も癒される。 緑の樹海は深く満ち.小屋の床に体を伸ばしていると.瀬々らぐ沢音が耳に付く.この憩む場が心地よい。 小屋番から.ここでも大歓迎された。「お願いします!」と戸口を潜ると小屋番の見る目が変わってきた。 「何処から来たか?」「何処へ行く?」とねほりはほり尋ねられる。 そして夕飯には魚を出して上げると.野呂川へ釣りに出掛け.本当に頭付のイワナが食卓にでる。 自炊の飯も空腹感か? 美味い贅沢な食事ができた。たらふく食べ明日への体力を養う。 又風呂を沸かしてもらい五右衛門風呂まで浸かる贅沢さ。 藪沢小屋も両俣小屋も,まだシーズン前.梅雨で登山者が少ないだけでは.なさそうだ。 |
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野呂川を挟み千丈.駒ヶ岳 . |
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| 7月17日.両俣小屋hc―北岳―北岳小屋hc3.4 野呂川源流左俣沢の小径を1時間程.沢沿いに歩き急登に入る。ガスが被い視界は1寸先も分からないほど強くなる。 大粒の雨粒が体を濡らし.休めば体は震えだす。 昨日下った分以上に登らなければならない。重い足を引きずるよう.踏み跡を頼りに上へ上へと登る。 中白根沢ノ頭にでると展望が開けれはずだが.ガスが更に白さを増していた。小太郎尾根にでてガスの流れは更に強くなる。 風雨に体温が失われだしていた。 北岳 ようやく北岳山頂に立つ。視界はない。風の強さは更に増し立っているだけでも苦痛になる。 崩れた天候は荒れ狂い.汗はみるみる体温を奪う。肌寒くなる中.膝が震えだした。 濃霧の渦に呑まれ,濡れた体は雨具を着ても間に合わず.浸み込んだ雨粒は下着まで濡れだしている。 寒さで歯まで噛み合わなくなっていた。 雫は雨粒に変わり風が巻き始め.休みもそこそこに逃げるよう北岳小屋に飛び込んだ。 本降りになった雨は先を断念させられた。午後.続々登山者が宿るようなる。 千丈ヶ岳から北岳へ 北岳とバットレス.間ノ岳より右奥は赤ヌケノ頭7月18日.北岳小屋hc4⇔中白根・・荒天で戻り停滞 山小屋の中 今日も直ぐ見渡せる狭い小屋は人で秘めあれている。 一向に止まぬ雨.時折激しく屋根を叩く。トタンが多いせいか音が又.拍車を掛けていた。 出発する者も居ず時折.風が唸り.掘立小屋のような山小屋を襲う。 昨日.昼前に着いた時,ガラガラだった小屋が何時の間に飽和状態になっていた。 何もする事もない。ゴロゴロ狭い占めた自分の陣地を動くこともできず.体だけを左右に動めいている。 午後.何パーティかは出掛けたが.僕等は中白根山から戻り.間ノ岳.農鳥岳への縦走を諦め明日.大樺沢を下ることにした。 夕方.窓からどんよりした雲を割り.富士の頭がおぼろに望まれた。 後日・・ 北岳小屋は中白峰への頂稜の直下.300mにあり.山側が入口.小屋の正面入口の右側が管理人室兼炊事場。 大広間,1つと言った感じの見渡しの利く.小さな小屋だった。 通路は真っ直ぐ進んで左へL字に曲がり.その周りが寝床になっている。寝床はコの字になる。正面東側中央が私と彼の寝床。 ズレながら寝返りできる程度が自分の陣地だった。頭側の正面東側の窓からは雨上がりの富士山が仰がれた。 外へ出て左下に降りると小さな便所がある。板塀の掘立小屋。足元からは直に谷底へ抉るよう落ちる.直接的な原始的な便所。 傾いた板床は滑り落ちそうで.手で支えていなければ落ちてしまう恐怖心に襲われていた。 便はそのまま岩壁に当り.広い空間から深い谷底へ落ちる。 大樺沢雪渓下山 |
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, バットレスと大樺沢雪渓 |
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| 7月19日.北岳小屋hc―八本歯―大樺沢雪渓―広河原.警察車=芦安温泉 7月20日.芦安bs.山梨交通バ=甲府=新宿. 大樺沢大雪渓 大樺沢,早くも八本歯を越え雪渓上に立ち.不安定な滑りそうな足場から初めて大雪渓を覗き込んでいた。 目の前には見渡す限り硬雪の塊がカップとなり広がり.帯をなし谷下へ続いている。 初めての雪渓に気は踊り.湧く心と滑る不安に満ちていた。残雪は多い。 残雪がこれほど大きく残るとは2人とも驚異のまざなしで見詰めていた。まして7月に。 遭難救助 バットレスから転落したパーティの遭難救助を頼まれる。 雪渓上.一人で歩くのも覚束なく低調に断るが,延々と説得される。 長塩と見詰め会い.半ば中途半端な返事が手伝うこととなった。 4人パーティの1人が怪我をした。動けぬ仲間を前にリーダーは凄い。 何も分からぬ僕等に救助を依頼し.あっと言う間に基礎を教え.指導しだしている。人手が足りぬのは事実だが。 まず雪渓の歩き方を教わる。硬雪を踵で切るには度胸がいた。滑りそうな不安が付きまとい空身の方が怖くなる。 それから枝を合わせタンカーを造り.怪我人をザイルで下ろす。 本番なので真剣になる。真っ青な遭難者を前に実戦が始まった。 ソリを吊るしたザイルが肩に食い込み.手は締まるがステップは上手くなる。 休憩.1本がこんなにも気持良いとは.全てを放り出し体を休めた。雪渓上で大の字となる。 蒼い空と息ずく体,開放された体が心地良い。そして又.同じ事を何度も繰り返す。肩に食い込むザイルに雪渓は長かった。 薄暗くなり救助隊が現れた。警察が中心になり動きだす。 雪渓から左岸径沿いを出合に出た時.既に帳を迎えていた。 警察の車で駅へと頼んだものの芦安の宿「 酒以外は何でも飲食を勧められた。飯が美味く.又よく眠った。 翌朝.甲府駅で学割が切れる。延長を申し込んだが受け付けてくれなかった。倍払う事になる。 芦安 2004年03月14日.芦安で岩魚釣りの折.地元の人と深夜,焚火を囲んだ。 その時.この遭難の話が出て宿は「岩園館」だったと知る。 芦安,夜叉神.2000年03月.御勅使川上流渓流釣り 2003年3月〜08年03月,御勅使川渓流釣り, 2009年.渓流釣りは芦安主催から南アルプス市に移り釣場の下流へ,渓流釣りは断念する。 又.世間では当時,登山ブームを呼び.国鉄はそれを目論む列車を増発させていた。 ただ当時,高校生だけのアルプス登山は皆無に近い状態のようだった。 それ故,驚く小屋番が多く.親切な接待に感謝したのも確かである。 北岳小屋. s40年10月に白峰三山縦走中に.棟上したばかりの新築中の北岳稜線小屋に寄る。 窓から見下ろすと懐かしい北岳小屋の赤い屋根が見えた。 そしてs41年10月に再び北岳に入り.塩見岳への途中で荒廃した北岳小屋.脇に天張っている。 稜線小屋は営業,昔の小屋はゴミ捨て場化していた。山行歴と北岳小屋経緯 藪沢小屋, 3,4年前,長塩が再び千丈ヶ岳を登山した折.藪沢小屋に寄っている。 山小屋としての形は残るもののボロボロに荒廃し廃墟化していたと語っている。見るも無残な姿は北岳小屋と同じ運命を持っていた。 又2007年07月,長塩はMACのOBとなり白峰三山へ.大門沢の下りが素晴らしかったようだ。 大樺沢雪渓幼馴染み長塩氏との山行歴 1964年05月.小田急秦野=ヤビツ峠bs―塔ヶ岳表尾根―大倉尾根―大倉bs=渋沢・・塔ヶ岳で出会う 1964年07月.梅雨末期の南アルプス.千丈ヶ岳から北岳と大樺沢雪渓・・荒天で中白峰で中退し山岳救助作業・・桃ノ木鉱泉 1969年03月.幼馴染みと学生最後の泥酔卒業山行.北アルプス鹿島より爺ヶ岳東尾根・・鹿島館 1971年06月.梅雨の横尾定着・・屏風岩の登攀は悪天候のため中止・・涸沢散策 2007年12月.三ッ峠駅から達磨石.屏風岩を経て三ツ峠山(表参道)―府戸尾根から木無山.カチカチ山を経て富士急河口湖駅・・三ツ峠山荘 2008年02月.雲取山・・・「雪が降った!」と新雪を求め.鴨沢から「登り尾根」を詰め雲取山をピストン.溜浦に戻る 2008年12月.道坂峠から御正体山ヤラ尾根―山中湖からパノラマ台.甲相三国峠.三国山稜を経て籠坂峠・・4つの峠路と平野,わかさぎ屋 2009年10月.冷雨の戸隠山を諦め.戸隠神社奥社から「ささやきの小径」を経て.高妻山を目指し.六弥勒から新道を下り戸隠牧場・・神告げ温泉 2010年04月.鹿留山北尾根の巨樹群と杓子山の富士大展望―不動湯から春祭の下吉田駅に回る 2011年02月.戸から熊倉山省武連指尾根(南西尾根を詰め大ツイジの浅間峠―春雪残るトヤド浅間北尾根を京岳bsへ・・瀬音の湯 2012年04月.西西丹沢自然教室から西沢流域の大滝.下棚・本棚を見て.畦ケ丸.屏風岩山を南下―ミツマタの群生地から二本杉峠を下る・・上ノ原 山の経歴.経過Top |