川辺と山径
小さな二人の旅W
2002年01月〜12月
| 02年01月. 浅草寺 朝倉彫塑館. 日暮里一谷中一上野子供図書館.路肩雪残る 02年03月. 皇居.日比谷公園.銀座.菜の花. 02年04月01日. 旧岩崎邸庭園(旧岩崎久彌本邸).一上野公園.桜. 02年04月21日. 東京港野鳥公園と池上本門寺. 春の自然観察ツァー調査. 02年04月29日. ひめはるの里と九十九里浜. 蘇我=ひめはるの里=白里,日帰りに変更. 02年05月. 堀切,菖蒲園. 上野=菖蒲園. 02年09月22日. 浜離宮恩賜庭園(徳川家宣から徳川家の別邸). 仲御徒町=築地.水上バス浅草.発着所にハゼ群らがる, 富山,福光の旅 02年10月12日. 松本IC=安房道路=平湯=高山=古川=天任峠=合掌集落.白川街道=御母衣湖=相倉合掌集落 =五箇トンネル=福光.合田川温泉h1. 13日. 北陸道福光IC=黒部IC.R8=宇奈月=親不知=小糸川.松本街道=白馬八方池山荘h2. 14日. 八方尾根=オリンピック道路=善光寺=須坂長野東IC.信越道=練馬. 924k. |
福光から富山への高速道 |
| 松本から高山へ抜ける 平湯峠 松本より沢渡の渋滞を抜け.97年12月に開通したばかりの安房トンネルを潜り平湯温泉へ。 峠で早朝の露天風呂で湯に浸かる。平湯温泉発祥の地.平湯民俗館にある神の湯に。 いい感じの薄い硫黄の臭い。露天風呂から周りを覗むに.紅葉はまだ早いが.樹葉の重なり合いが緑の相を深めている。 1番深い松の緑に藍い緑.若葉のような清く淡い樹葉.陽差しを透し葉々が重ない煌いている。 湯殿に立つ.もみじは葉先を赤らか始めていた。湯質はナトリュム-塩化物.炭酸水素塩泉. 風呂上がりで冷水に冷やされたトマトが美味い。沢釣り用の餌にと.目立つ大きさのドングリを採り.さっぱりした気で高山へ下っている。 後日.大きなドングリ虫は38匹現われた。2003年5月.静岡.萩間川のヤマベ釣りではお陰様で釣果は上位を占めていた。 高山では蕎麦を摂り.町並みを見聞する。 35年前には豊橋から迂回して.新穂高から降りた時の.散策した薄い記憶が甦り懐かしさが募りだしていた。 合掌村.相倉 ロックダムの御母衣湖を抜け白川.五箇山へ.やはり旅人が多い。 ここも郡上八幡での中山氏.結婚式以来である。30年振りか。 東海北陸道は砺波止まりで工事中.高い橋梁だけが幾つも臨めた。 庄川の丘の高台に立つ合掌村. 相倉は深い鎮守の森があり.柔らかい陽差しを受け.夕日のススキの穂が緩やかに棚引いていた。 JR福光 駅に寄り.田村家の由来を尋ねる。今回は昔の妻の母.田村家の先祖を探る旅でもある。 その次男が東京に出て商いを広げ.竹町地区の大地主となり下谷区議員になっている。 若い駅員には判らなかった。丁度駅に居合わせた近所の老婆が知っていた。今でも何人か暮らして居るらしい? 電話帖を調べる。 福光の町外れ西側の合田川温泉に宿る。ここでも宿主が地区帳を取り出し一緒に調べて頂いた。 駅前で大きく商いをしていたと言う。次第に本家の田村家が判るりだす。 翌朝.福光駅近くで村田家本家を訪れる事ができた。昨日教えて頂いた何人も人も皆親戚だと知る。 妻の母方の父親.村田家は富山県福光で大きく繊維業を営み.長男嘉吉は家徳を譲り.旅がてら関西.名古屋.横浜と丁稚修行を続け関東へ。 そして勤勉に事業を伸ばし.竹町地区がまだ佐竹原の頃.大正の初めに地区整理がなされ初代竹町公園町会(今の佐竹町会) 会長等多数を歴任し下谷区議.参議員に指名されていた。 公園東側に広く土地を持ち金融業を営み寄付等.社会福祉にも力を注いでいた。上野では父方が呉服屋の暖簾分けを受け佐野仁に, その近くに長谷川の村田屋もあった。大正の終わりには井の頭へ隠居.家屋は下谷区からの功労金¥3.200で建てられたと言われている。 一つの目的を終え.北陸道にでる。 富山への途中.砺波で熱気球の大会に出会った。高速の前左右から揚がりだし気球は.時には田や境内から揚がり始めている。 気球は車を運転する私の目の前からも現れ.フロントを境に昇りだしてもいた。 北陸道を白馬八方尾根へ |
第一ケルンより杓子岳と白馬岳 |
| 気侭な道中.宇奈月に寄る。黒部川欅平までトロッコに乗ろうと。豪雨で土砂が崩れ出平止まり. 聞くところ予約制.当日は2時間待ちとの事。秋真った中の渓谷は団体客で溢れていた。 現地まで来て残念だが宇奈月でも紅葉は素晴らしかった。2007年07月再び黒部峡谷鉄道を訪れる。 北陸道 北陸沿岸の国道8号線に乗る。急な山稜が海に落ち.そこを綴る道.海岸沿えの厳しい景観が続く。 海岸線より国道を隔てた急稜の裾.そこに住む郡村の風景が.絶する凄みを抱かせていた。 誰もが思う.冬の厳しさが何も云えぬ凄みを持ち望まれた。 妻と望む里. 彼女も海岸線ではなく.陸地を見詰めている。 初めて見る地形.そこには厳冬期の過酷さが知らずして自然に刻まれていた。 2006年08月.白馬大雪渓から朝日岳を抜け.栂海新道よりこの郡村に下山.親不知のヒスイ海岸で登山靴を脱ぎ素足になっている。 親不知で昼食.日本海に素足を浸けた。細かい砂に丸い石.暑いせいかビールのせいか冷たく気持がよい。 凪の海.見る限り漁船は望めなかった。ただ小さな船溜.船道を塞ぐよう遊漁船が1隻キスを狙い竿を差していた。 関東とは違い疎ら過ぎる釣船.よく竿が上がり.陸釣りと競争するような釣り方だが.風もなくここからは長閑な風景に見えた。 その後.千国街道に入る。千国街道は糸魚川市と松本の間を結ぶ糸魚川沿いの街道で松本街道.仁科街道との呼び名があった。 日本海から塩の運ばれた塩の道でもある。 姫川温泉での宿を断念し小糸川を遡る。雪.岩除けのシェルタートンネルが左岸.崖淵を長く綴っていた。 今日は小谷温泉だったが? 後から思うと妻にはトンでもない山の湯になっていた。 温泉を諦め.山上の山小屋へ。 彼女は山となるとアレルギーとなる。登ることで. 歩かずとも登れる山.自然の神秘が味わえると車中説得し続け小谷を抜けた。ただ旅館ではないと。 八方池山荘 山荘と細野の里.3時半の最終ロープウェーイに間に合う。 日没.日出を見ようとケーブルを乗り継ぎ.八方池山荘へ。雲の沸き立つ白馬連山と陽を仰いでいた。 下界は半袖でも山では羽毛のジャケットが利いていた。 八方アルペンライン.八方駅⇔兎平=黒菱平=八方池山荘. 私には懐かしい峯々が連なり.ここも中年の登山者で満ちていた。 昔1966年12月に初めて訪れたゲレンデであり.その後何度も白馬岳へは訪れている。望む後立山は懐かしく素晴らしかった。 今.妻が旅館ではない山小屋で.自然の神秘を改め感じ始めている。彼女も2度.富士には登っているが。 八方池山荘ウォッ地図. 帰路は一番のリストで善光寺に回る。地図を広げ白馬から長野まで鬼無里街道(きなく)国道406も考えたが, 県道白馬美麻線から国道148へ抜けた。通称オリンピック道路で街道は出店も少なく素晴らしい山里に綴られていた。 銀杏が大分落ちていた善光寺を参拝.信越道を上る。軽井沢まで一車線で幾つもの長いトンネルが続いていた。 街道のポイントは北陸道.親不知付近とオリンピック道路。犀川笹平ダムの流域も以外と長く深く思われた。 娘に土産を届け帰宅する。 02年11月03日. 横山大観記念館と池之端,.蓮の茎.亀. 02年11月17日. 墨田川ハゼ釣り大会 小さな二人旅Top. 山径Top |