白馬岳栂海新道・・白馬岳三山Top
                         同期大川と白馬岳2932mから親不知ヒスイ海岸・海抜0mへ
                         北越急行・「ほくほく線」と中央東線
   回顧の白馬大雪渓と未知の日本海へ
      白馬岳から栂海新道を綴り.三方境から北アルプス北端の親不知ヒスイ海岸に立つ 2006年08月19〜23日.m大川.松村

    猿倉から白馬岳大雪渓―朝日岳
    再び朝日岳を越え栂海新道を北上―親不知

    猿倉→白馬岳
   三度.猿倉を尋ねる

     再び北アルプスへ
   再び山に登り始めたのが昨年の赤岳清掃ハイク. その後大川と中秋の会津帝釈山.田代山を共にしている。それが切っ掛けとなり.白馬岳へ出向く。
     40年前の女子夏合宿では妙高山から白馬三山に入り.朝日岳から蓮華温泉へ下る予定が後輩の体調不良で.三国境から途中下山していた。
     又翌々年の晩秋には卒業を前にして.彼と後輩達を連れ.白馬大雪渓から針ノ木雪渓へ繋ぐ縦走をなしている。

   現役,OBと後にもパーティを組み.又2人でよく珍道中の山に入っている。彼との山行を述べれば切がなかった。
     再び山に登り始め.彼の最初の助言はゴアテックスの雨具を備えることだった。彼の希望で今回は朝日岳から北又へ下る計画を立ていた。
     それが実り北アルプスを北上し日本海の小石混ざる砂浜親不知で登山靴を脱ぐことになる。

8月19日.
20日.
21日.
22日.
23日.
新宿=
白馬(旧信濃四ッ谷)=猿倉.白馬岳雪渓一白馬岳肩.白馬山荘h
h1一雪倉岳一朝日岳一朝日平.朝日小屋h
h2一朝日岳一黒岩山一犬ヶ岳.栂海山荘hc
h3一白鳥岳一尻高山一親不知.ヒスイ海岸=親不知=小糸川=越後湯沢=上野

    8月19.新宿「快速ムーンライト」0:50=
      宮元町会「ふるさと祭り」に参加.修理した皮ハギ竿を幡谷氏から受け取り.急遽自宅を発つ。

   荻窪で人身事故があり遅れる中央線。中央東線も定刻に列車は新宿ホームに入線しなかった。
     11時57分発.「快速ムーンライト信州」は1時間遅れ.それでも長野県内に入ると時刻表通り.遅れを取り戻している。
     小糸線に入線すると夜明けのおぼろに霞む山並が.沿線に姿を現わだし.再び山に登る高揚は依然と変わらず.ジワジワ湧き始めていた。

      8月20日曇後霧. 小糸線白馬=猿倉6:30一7:40白馬尻.朝食8:05一大雪渓一12:00大休止一2553mお花畑一14:35「白馬山荘」h1
     腰痛
   登山靴を履き始めて2年目.今年になっての山行は高尾山に那須.尾瀬ヶ原のみ。昨年は八ヶ岳を横断しているが体を維持できるだろうか?
     2週間前.長男と末っ子の引越しが同時に行われた。その折腰をネジリ.午後は歩くことも難しくなっていた。

   妻からは毎日.腰のサポーターとアミノサン粒の服用を勧められ.ストックも購入した。
     初日は膝がパンパンに張るだろう。6時間の登行.雪渓を越えて耐えられるかが今日の課題になる。

    白馬岳主稜
   昔共に登った白馬尻への径
   正面の谷間が大雪渓(杓子大沢).主稜の右手が白馬沢
   鑓ケ岳への径を分け.長入川付近で初めて白馬を望む

   白馬尻

   目の前の白馬尻の河原には覆い塞ぐよう懐かしい雪白き雪渓が谷間一杯に広がりを見せていた。
     心地よい冷気が山風となり降りてきた。朝食も間々ならずヤッケを被り.今朝は憧れと期待に満ちていた。Oの顔も清々しい。

   彼はポリにポカリの粉末を加え.相変わらずアンパンを主食にしていた。
     私は自家製ハンバーグサンドを。彼の分と差し出すも.2つ目のアンパンをほうばっいる。

    大雪渓
   ベンガラルートに列をなすハイカー

   大雪渓に一歩踏み込む。
     忘れていた硬い雪の感触が体に顧みる。何十年振りにスノーカップに触れる。表面はザラメ状でザクザクと懐かしい踏み締める音がした。
     デブリから始まる雪渓は谷間を埋め尽くし.緑濃い谷底を遡り.雪渓は岩稜のヘチまでへばり付いている。見るどの場面も私には全て新鮮に思えた。

   知らずして高度を稼ぎ.蹴れば雪片が飛び散って行く。そして雪渓に冷やされた.冷気がた山風となり清々しさも呼んでいる。
     雪渓の上部が霞む。その中.雪面に撒かれたベンガラの印が雪径を造り.雪渓を大きく蛇行させ登って行く。

   時折霞が切れる。その山風の道の間を抜け.現られる一片の蒼空が頂稜を綴り.岩の御殿を生み出していた。
     雪渓は白く煌き鏡のよう映し出し出されている。よい景観だ。あの覗み込んだ蒼空に向い一歩.一歩.歩む。

   右下,今年崩壊した落石モーレンの末端
   今年は雪多いわりに融雪・崩壊が激しく.小雪渓からのルートは早めの秋径のルートに変わっている。

    昼食時.脇の高山植物群
   ミヤマオダマキ

   シラネアオイとシロウマタンポポ

   シナノキンバイ

   盆を過ぎるとやはり登山者は少なくなる。長い列になることもなく.静かな山の息を楽しんでいる。
     そこに偶然.大川が入会をほのめかしていた「ハシタ登山会」のメンバーと出偶わした。

   宇都宮周辺の中高年が集う山の会.歩みはバラバラだが統制は取れている。又.休む時の元気が心地よさを誘っていた。
     我々と同じ中高年.昨夜は麓で1泊し.白馬岳を越え蓮華温泉へ抜けるそうだ。

   「青年将校」と声を掛けられた。私のことらしい。「ハイ!」と返事をすると宿から差し入れのリンゴを丸ごと1個頂く。
     リンゴの水っ気が美味い。ただ下界では味不足の部類に属するだろう。文句はないが。

   遅い夏が全ての高山植物を一勢に咲かしている。

   雪渓上部に真新しく建てられたお花畑避難小屋を右横に見て.溢れるばかりに咲くお花畑に出会う。
     2553m地点.大勢の登山者がホットした気持で憩んでいる。休むには広く丁度よい場所だった。

   ガスの切れ目から頂稜が顔をだし始めていた。左上岩峰裏が1968年9月下旬のキャンプ地点.以外と昔の記憶がはっきり蘇ている。
     彼と後輩を連れ.後立連峰を針ノ木雪渓まで南下した折.雪渓を直上した場所に当たる。66年08月のTs地点はこの上の村営頂上ホテルの幕営地。

   お花畑避難小屋は今冬季に土台だけを残し全壊した。原因は雪崩によるものと推測されている。2007年07月現在撤去作業中.
     再建については今後検討するとのこと。立派な小屋が1年経たずに崩壊してしまっている。


           秋径上部より大雪渓
      足筋
   雪渓を抜けネブカ平に出ると久し振りの荷と登りの連続で.両足に負担が強く掛かりだす。騙し騙し一歩毎に高度を稼いで行く。
     以外とダイレクトの登りが続いていた。足筋のみに気が掛かるようなる。
     そしてちょっとした下りでも.気を抜くと肉離れの兆しか現れ? 足筋の筋肉がうごめき始めていた。

   崩壊
    2004年.ネブカ平右岸寄りから大きな崩壊があり。
    2005年8月.谷中央.ネブカ平付近上部の雪渓で.登山道で落石・崩壊事故あり.8名が死傷。
           本流の流れが左岸寄りに変わり.融雪が例年より早まる。
    2006年7月.左岸寄り崩壊.モーレンの如く雪渓上に落石を積み重ねている。複数の死傷者がでた。
    2006年8月28日.白馬鑓.鑓沢雪渓で崩壊あり.下山中の登山者2名が死傷
    現在.午後2時以降の大雪渓は入山が禁止になっている。

   白馬山荘
   旭岳を背にビールと焼酎で乾杯

   夕暮れの杓子岳

      白馬山荘
   白馬山荘は村営の稜からでも見渡すよう見える.どでかい山荘で頂の肩に横たわっていた。遠くから望むと砦か.大きな軍艦のよう構えている。
     1000名以上が宿泊可能な恐ろべき山小屋で日本一.村営が3番目になるそうだ。唖然と思うと同時.時代の流れを感じ取っていた。

   とうとうアルプスへ来た。不安定ながら如何にか腰も持ち堪え.腿の引き連れや肉離れも押さえられていた。
     幸運だったかも。湧き上がるガスをぬい.間近に霞む旭岳を望み.アルプスの稜に出たと祝福し彼と乾杯した。

   ガスが切れる一瞬.遥か彼方に剣岳が望められた。余りにも小さく.立山は低く確認する間もなく雲に閉ざされている。
     山荘前では更にガス濃く流れ込み.手前の杓子岳や旭岳さえ完全に見えなくなる。
     それ故,期待に満ちた富山湾に浮かぶ漁火は.夜になっても見える筈はなかった。先へと期待を繋ぎ.これから日本海を目指す。

   昔と違い山小屋は町営の方が頂から離れていることもあり.ダントツにサービスがよいらしい。
     白馬山荘は頂上直下.標高2832.2mにあり.s34.08.に全焼失し再建されている。収容人数は1500人.日本最大の山小屋
       宿泊料金は¥8500+弁当1100. 40年前の66年当時は村営テント場に宿るが.宿泊料金は1/10の¥850(米持参)だった。
       高層天気図19日9時.20日9時

    8月21日雨・・日本海からの遠雷を聞きき北上
       白馬山荘h1. 6:50一7:05白馬岳一7:25白馬池分岐一雪渓横断8:25一9:30雪倉岳一11:15燕岩
       一12:15水平歩道分岐一14:25朝日岳一15:30朝日平「朝日小屋」h2
      部屋
   東西に長い中廊下が続き両側に10畳ほどの部屋が幾つも長屋のよう連なっている。北側の薄暗い部屋が指定されていた。
     布団が12組ある広い部屋だが一日中.日差しの入らぬ少し湿気の強い部屋だった。

   部屋の入居者は5名.布団を目一杯敷いた贅沢さが仇となる。折った布団は重く段違いで背が息苦しく.時折起きる破目になった。
     敷き直すには隣りを起こせねばならず諦めている。

   4時頃夜明け前の闇の中.遠く雷鳴の轟く音を聞く。部屋の窓を叩く雨足には波があるものの.轟く音は途切れなく続いていた。
     海岸沿えの金沢地区では早朝から「大雨注意報」が発令され.私達の今日の行動をも揺るがしている。
     共に寝た3名の登山者は雨の中.白馬三山を越え鑓温泉へ。我々は雷鳴に向かい雪倉山を越える。

    白馬岳より日本海.親不知への稜
  
    快晴.無風に恵まれた高妻山々頂より.2009.10
    白馬岳.雪倉岳より窪んだ先が朝日岳で.長梅山.犬ヶ岳・・右端が青海黒姫山

    白馬岳―雪倉岳―朝日岳
   ガスに霞む白馬山頂
    新田次郎著「強力伝」に登場する方位盤

   白馬岳に立つ。降雨は小雨となり明るさを取り戻すも.視界は悪く0だった。
     後立山の山波はこれから目指す隣りの雪倉山さえ望めずにいる。記録にと白馬岳の頂で彼の姿をカメラに収めた。

   今回は調子がよければ.最後まで北上しようと思っている。ここからは目指す岳々が望めるられる筈だった。
     佐渡と能登半島の間にある親不知に向かい.白馬の頂から北上する。再びガスが流れ込み.意に反し先は閉ざされる。

    1966年08月の白馬岳〜朝日岳概念図メモ
   女子夏合宿.当時2パーティ全員が途中下山した。

      コマクサとライチョウの親子
   二重頂稜の馬の背からガラ場を抜けると三国境にでる。左側に広がるガラ場にコマクサの群生が見られた。
     この周辺はコマクサを大分大掛かりに移植したと言われている。Oは粗過ぎるガラ場に.よく移植すことができたと感心を寄せていた。
     頬に冷たく当たる霧粒が痛く.激しく流れ落ちている。そのガラ場には見るからに弱々しいコマクサが.疎らに孤高の如く咲き添っていた。

   小さな花を震わせ,風に耐える姿は生命力の強さを感じさせ.それを考えると更に華麗な花に思えた。
     又.「グェーグェー」と低い声を連発するライチョウの親子.番も.この場で幾度となく出偶していた。這松に身を任せ.幼鳥はチョコチョコ可愛らしく歩む。

   一晩過ぎ仲間意識の生まれ始めた「ハシタ会」のメンバーに追い付き再会した。互いの健闘を祈り三国境で別れている。
     ここは学生時代に後輩が病後の体に立ち向かえず.朝日岳を前にして縦走を諦め.途中下山した地点でもある。

   今その地点に年老けた私達が立っている。多くの登山者が白馬大池方面に向かう中.ここから私達の第一歩が改めて始まる。
     その先未知の径は遠く.まだ雷鳴が轟いていた。

    雪倉避難小屋手前
   鉢ヶ岳東面の雪渓横断

   朝方の雪渓は雪表を凍らせ.カッテングに苦労し.横断に不安を抱かさせられた。滑れば止まらぬ滑落が待っている。
     前に通ったであろう人はアイゼンを付けていた。

   ふと.学生時代.南ア荒川岳で同じような状態に陥り.別のパーティからザイルを借用したことを想いだしていた。
     後続パーティを待ちステップを切て貰うことにした。間を空けず続々集まる登山者を待機させ.若者にステップを依頼する。

   ガス濃い雪倉岳山頂

    雪倉岳北面のお花畑
   ハクサンコザラのお花畑

   一面に群がる華麗な花達

   夜半より鳴り続けた雷鳴は常に前方,日本海側から遠く響き轟いていた。11時頃には雷雲は東寄りに移動し治まった模様。

   晴れていれば丘陵のようなお花畑の頂稜が足元から続いている筈だった。
     両脇に深い谷を構えるも山上の楽園は尾根筋を広め雄大でなだらかなうねりを伴っていた。

   歩む左右一杯に穏やかな起伏が広がり.2000mを越すにも係らず.丸味を帯びた大らかな尾根筋は雪田にお花畑を抱いている。
      ニッコウキスゲも咲き誇り.ガスが途切れば申し分ない憩いの場所になっていることだろう。

   水平道分岐
   右に折れ朝日岳を越える

   ガスで見定められぬものの赤男山を捲き込むと木道が現れる。
     池塘が散りばめられた長閑な草原には遅れた残雪に高山植物が一勢に咲き競っている。混ざり合う高山植物に時折足を停めている。

   12時.朝日岳との分岐に立つ。長い木道が続いている。
     池塘が点在し.周りには雨に叩かたトリカブトの紫の花が群をなし.見ているだけでも清々しい。又.ミズバショウの大きな葉が露を集めてもいた。

   大休止
     共に食欲が落ち.食い気はなくなるも食べねばと。彼はハシを付けず.強引にオカズだけでもと互い口へ運んでいる。

      水平道を断念
   2度.」朝日岳を登ることはないと山腹の水平歩道に捲くよう薦めるが.30代に来た彼の記憶が強く残されていた。
     厳しい捲き径だと悟るよう説明されると断ることができなかった。「山と高原地図」の解説書にも同じような記載がなされていた。
     ただ年毎に山道は改善されている筈である。彼の強引さもあるが.事前に白馬山荘ではっきり確認を取らなかったことが失敗だった。

   朝日小屋には我々を越す筈のないメンバー達が1時間も前に到着していた。彼等.彼女等は朝方の雪渓トラバースで一緒になったメンバーだった。
     驚きの顔で迎える彼女達。山越えは小屋番にも無言で笑われた。
     7月24日現在まで水平道は雪多く安全が確保されないため通行禁止の処置が取られていたが下旬には開放されていた。

    朝日岳山頂
   一時のガスが切れる

   朝日平へのイブリ谷

      朝日岳
   水平道分岐より朝日岳まで直登と急坂が続いた。初っ端から階段状の根が這う径に遮られ.馬力のみが必要になる。
     径は常に霧雨で濡れ抜かるんでいた。また雨が降りだしたて.1本取っている。

   晴れていれば樹林に風は遮られ暑く蒸し.枯れ草の腐った匂いが漂うような場所だった。
     今日最後の登りと小豆入り水羊羹とアミノ酸錠を共に口に運ぶび踏ん張る。

   潅木から視界が開かれた頂は広い台地状の湿原に突然変わっいる。そして粘土状の台地にを綴る木道を詰めると朝日の頂に立つ。
     頂には白馬岳と同じような大きな指示盤があるものの.道標はなかった。雲天の中.霧が流れ込み展望はない。

   朝日平への径.古い木道に×が幾つもペンキで塗られている。廃道かと思うも他に径がなく.時間をロス。
     少しガスの切れればシャッターチャンスとばかりカメラに納めた。今だ日本海は望めずにいる。


    朝日平
   朝日小屋前より前朝日の黄昏

   洛陽を迎える

   帳を迎えたゼンマイ谷を隔てた丸山

   親の管理権を引き継いたと云う清水ゆかり嬢から.見えぬ眺望の素晴らしさを解かさせてくれていた。
     南側には今日歩んで来た白馬連峰が雄大に聳え.北面には日本海が広く望めると云う。その日本海は今も雲海の下に埋ずこまっていた。

   朝日小屋
   朝日小屋の夕膳

   朝日小屋はアルバイトも含め全員が女性。嬉しいことに以外と料理に手が込んでいる。酢ものに揚げもの特に肉じゃがが美味い。
     前酒もあり.酒.焼酎.ワインと選ぶこともできる。また明日.五輪尾根を蓮華へ下る隣りに座った山仲間から日本酒の差し入れを受けた。

   管理者清水ゆかり氏は女性でもあり.部屋も布団も清潔感に満ちている。その上.水洗便所で云うことなし。
     ただ全館暖房施設が整い過ぎ.贅沢だが少し暑過ぎる感があった。弁当含@9000.

   朝日小屋は6月22日開設.夕日ヶ原方面の登山道は全く残雪多くで露出せず。北又林道は除雪.崩壊箇所補修工事を終え7月8日に開通した。

     高層天気図 21日9時
     白馬岳周辺〜朝日岳地形図.山行表

     猿倉から白馬岳大雪渓―朝日岳
     朝日岳から栂海新道を北上―親不知