小さな二人の旅X・・小さな二人旅 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2003年 2003年元旦.浅草寺 02月.チワワ 「ペコ」.飼育 11月.第三回墨田川ハゼ釣り大会 墨田川右岸テラス2004年 06月13日晴. 白山神社.紫陽花祭→ 小石川植物園(東大大学院理学系研究科附属植物園本園).徳川幕府の開設した薬草園「小石川御薬園」が起源 07月20日晴. 夜のデズニーシー 08月14日. 夜の上野動物園.日没に快走するドールの群れ.西園池之端の辺.ビヤーガーデン 10月16日厚曇. 中秋の日光周辺.日光横断と会津.赤城 宇都宮IC=日光杉並木本街道=日塩もみじライン=湯の香ライン(会津東街道)=上三衣.会津西街道=川俣温泉川治線 =奥鬼怒林道(山王林道)=戦場ヶ原.ロマンチック街道=湯ノ湖=金精峠=鎌田.沼田街道=白沢.沼田大間々線 =渡良瀬川下降=伊勢崎IC.北関東自=関越自.練馬. 距離523k. 初めは先週.連休を利用し出掛ける筈だった。 宇都宮より杉並木を抜け.会津西街道より塩原.伊南.桧枝岐へ。そして奥只見湖から守門の裾を抜け小出に出る予定でいた。 枝折峠.明神峠はまだ未舗装の国道だと聞く。 天候不順と台風22に襲われ.出発当日は暴風圏内に入り中止。一週間後.再び場所を変え出向く。 その1週間後.越後は中越地震に襲われた。 今市.日光杉並木本街道シャケの結飯 5時.家をでる。栃木で一度下りた。昔.子供と歩いた例幣寺街道を進むか迷うも再び高速の道を選ぶ。 宇都宮より一般道に下り.杉並木で朝食。三百年を越える杉の巨木林を仰ぎ結飯を食べた。 歩むとは違い.車は早かった。歩めば長い街道である。長い杉並木街道も,想い膨らみが大きいさせか? 尚更早く感じられた。 先を急ぐでもなく鬼怒川温泉を抜け.日塩もみじラインへ。 日塩もみじライン 白滝 龍王峡より塩原温泉郷を結ぶペコ 今回は愛犬.ペコを一緒に連れだしてきた。室内犬で外にはまだ数える程しか出していなチワワである。 白滝を見学。ペコはチョコチョコ歩き回り.周り全てが好奇心に満ち.見守るだけでも疲れる動きを示している。 富士見展望台より 左.男体山. 中央は大真名子連山と重なる白根山. 右が帝釈.田代山. 鶏頂山の西側の山腹を通る有料道路. イロハモミジやヤマモミジ等紅葉の名所で景観は抜群だが.まだ紅葉には早い。 連山,右谷より下り男鹿川沿いに鬼怒川へ抜け戦場ヶ原にでる。 峠 紅葉にはまだ早い。峠で見る日光.帝釈連山は大地に浮き上がるよう聳えるも.紅葉美は薄かった。 以外と遠方に望む白根山.今日の帰路はあの裏.赤城山を抜ける。 塩原での風呂を諦め.湯の香りラインへ。長い尾頭トンネルを潜れば会津の国へでる。 会津の脇 街道角.上三衣で茸満杯の味噌汁を御馳走になり.会津西街道を戻るよう回った。 そこではカジカとヤマメの燻製が路肩に並べられていた。 今.思うに購入すれば良かった。骨酒にもなり旨いかも.ただ妻は嫌がった。私を含め.林家の主人は喜んだ筈である。 会津西街道(戊辰の道) 会津西街道にでて.その間々直進すれば会津若松へ。左折すれば湯西川から五十里湖へ戻る形となる。 男鹿川を右.左へヘズる街道は,今までより道幅も狭く.まだ緑深い樹海の中。車の往来は少ない。 増して下りは少なかった。野岩鉄道と並ぶよう走り以外と大型車は見ず。 川治ダムに出て川治川俣線を上流に向かう。昔.白タクを拾い田代山馬坂沢を遡行した県道である。 道幅広くなるも車の往来激しく.時折交互通行となる。工事と河原から掘削したジャリトラが煩い。 川俣温泉で蕎麦を食べ.共同風呂.「上人一休の湯」@500.露天風呂に浸たる。 幾らか硫黄と湯の花が香る澄んだ温い湯に。初めは何か物足りない気が暫らくして汗が滴りだしていた。 日塩もみじライン.中塩原=湯の香ライン.会津東街道=(箒川←尾頭トンネル→男鹿川)=上三衣.会津西街道=五十里湖 =川冶ダム.川俣温泉川治線(←鬼怒川)=川俣.奥鬼怒林道(山王林道)=戦場ヶ原 戦場ヶ原へ 今日一番のポイント.奥鬼怒林道は以外に立派な観光道路になっていた。 尾瀬.大清水へ抜ける鬼怒川上流は通行禁止とされているも.山王峠への道は大型が通れぬものの拡張工事は進んでいる。 慣れない運転手が多い.高度を稼ぐにつれ樹葉は赤味が増してきた。 光徳牧場 落葉と同色のペコ山王峠を下った所が戦場ヶ原.光徳牧場で凄い人で溢れている。観光客が一斉に集まったような騒がしさだった。 その雑踏をも感じさせぬ程.白樺と枯葉のジュウタンが心地良い。ペコはロープ一杯に走り回っている。 昨夜の予報では快晴の筈が朝から重たい雲に覆われていた。 それでも人々は切れることなく現われる。少し肌寒いが濃厚なアイスクリームが人気で並ぶ人が多い。 湯ノ湖 日光元湯 幾らか赤味を増す湖畔1985.11.〜87.06日光歩き旅\中禅寺湖一湯ノ湖 金精峠 13時半.イロハ坂の渋滞を避け.更に奥.沼田への道「ロマンチック街道」を走る。 湯ノ湖を望み金精峠へ。紅葉にはまだ2週間程早かった。 綴らを下る裾野道は長い。その上.上越道は大きく迂回するようになる。初めての道,業と選ぶが。 裾野に入り.路肩に農家の土産屋が目立つ。ただ松茸を狙うもチャンスはなかった。 赤城の道 鎌田で沼田街道に合わさり白沢から沼田まで17k地点.ここで県道267を急に選ぶ。 皇海山塊を大きく左へ巻き込むよう下った。山道「沼田.大間々線」を南下して赤城山東側の峠を越え大間々へ。 金精峠→大滝川→片品川(白沢)←根利川←峠→小黒川→渡良瀬川 山岳ドライブ 山の裾を捲く運転に以外と同じような人が多い。好みで入る人と.地元近辺の慣れた者がいる。 今回は何処も車で溢れていた。関東近辺の観光地である事は分かるが.ただ中部山岳地域とは違っている。 今までの経験では,山梨西部を越えると.全てが疎らな道となる。観光地以外では擦れ違いも稀となり.道を間違えると大変な事になっていた。 今回は曇天の重い雲とラッシュ並の車. 外に出れば寒く何かが変わっていた。 2泊の旅行が日帰りとなり.それでも出向いた日光への道。予定が変り,今回初めて観光地周辺を目的に選んでいだ。 今までと逆の発想だった。今までは1つの目的を持ち.ついでに観光地を回る。 1つの目的が地域を決め.その周辺の観光を選んでいた。それ故.宿もその場で決断する事が多い。 今回は昔の徒歩旅行を想い日光杉並木を選び.後は何処へでも良かった。先への考えに何かが欠けていた。 渡良瀬川に出て今回初めて「道の駅」にでる。小さ過ぎ可愛い規模だった。 更に南下し北関東自動車道.伊勢崎へ。 日没 ジャンクション高崎への道.西へ一直線に進む高速道.夕暮れを迎え.素晴らしい自然の神秘を味う。 雲が水平に割れ.上層の雲と下層とを分け.赤き太陽が丸く大きく焼け現れた。 そして重い雲を縫い空全体が.水平の空間だけを白光混じりの夕焼けに染めている。 陽が落ち眩さを失うと残光が幻想的な雲を映し.壮厳な洛陽を迎えていた。 高崎まで斑な車.その高速道を.その洛陽中央に向かい車は走る。真っしぐらに走り望む妻と私。 最後に心に残る.素晴らし旅情を味わった。 翌17日.快晴となる。1ケ月振りに日曜日.晴となる。羨ましい陽に恵まれ.日光渋滞との行楽のニースが入った。 17時半.帰宅 11月07日快晴. 伊豆ミカン狩り 竹町=伊豆.大仁ホテル(昼食)=三津シーパラダイス=木負ミカン狩り=焼津=竹町. 町会バス旅行 妻からホッケのエサを待つオットセイ三津シーパラダイス 11月23日快晴 第四墨田川ハゼ釣り大会 12月26日.快晴 上野科学博物館 さまざまな環境に適応し.進化した魚達新館ができて2度目.生命の起源と進化を探る。以外とB3Fの天文と科学「宇宙.物質.法則」が面白い。 池之端を散策.もう湖畔にはカモガモ.カモメで溢れていた。 1004年Top 2005年 01月02日. 下谷神社 七福神がブームか.元旦人が溢れる。何故か.今回は30.31.元旦.2日と通う。 2日は24町会の新春の集いがあり.受付を任されるが.帰宅しても子供達が集まり酒宴は続いた。 02月11日. 映画「オペラ座の怪人」と湯島天神.梅祭り 30年程前.帝劇で「オペラ座の怪人」を妻と初めて観劇し.感動した。 そして子供に生を見せ様と.再び小学生4人と親を連れ訪れたドラマである。3度目.今度は映画を銀座で鑑賞する。 帰り丸善より湯島に寄る。何時もの夜の散歩道を昼間通った。進学と梅祭りで普段とは違い.人が溢れ賑わっていた。 04月10日曇後快晴水温む. 葛西臨海公園 今朝.早く浦安に向う。妻と小犬をつれ砂浜で朝食を取ろうと出掛けて来た。 朝方は雲に被われるも.切れた雲の割れ目より陽が漏れ.雲を押し出すよう晴れ渡る。 暖かい南風に霞む海.潮も春の香りで満ちている。 日向ぼっこをしていると親子ずれが潮し狩りを始め.カイトを揚げるグループも現れた。 私は何もせず寝転んでいる。 先週は鮒釣りに土浦.新川に出掛けた時は.まだ桜は芽を膨らまし始めたばかりだが.ここ岸辺の桜並木は満開となる。 陽が暖かくなるにつれ家族連れ.花見客で溢れだし.その賑やかさの中で昼食.帰宅した。 04月24日快晴. 根津権現と動物園裏道 ツツジ祭り.来週には下町の大祭の行われる。ウイルスバスターのトラブルからPCが固まる。昨日の朝より妻が奮闘するも原因が掴めなかった。 今日午後,回復し根津に出向く。風強いも陽射しは暖かい。まだツツジは咲き始めだが人の群に掻き回される。 カッパレ踊りが町をうねる中.大名時計博物館へ。敷地は広いが廃家のような所にあり.展示品も乏しかった。 珊瑚に潜るクマノミ家へは池之端を廻り込むよう動物園裏の道を選んだ。近いが初めての道.途中に熱帯魚店「ひかるアクアリューム」に寄る。 サメがいる大きな水槽が入口を塞ぎ.小さな水族館の感があり。 05月07〜08日曇. 下谷神社御祭礼 18年目を迎えた大人神輿3月,北竹会館開設にあたり.四丁目町会の大祭は神酒所が我が家の前となる。 祭でも幾らか静かな場所が.今年より急に賑やかさを増した。7日には山仲間.田中先輩に田沼夫婦が訪れる。 遊ぶ子供達.自宅2階より今年は陰祭り 31年前.s40年まで本社神輿は牛車で曳いていたが.その後は一年毎に渡行が行われている。 町会員.同好会260名 7日.竹町四町会連合睦.夜間渡御へ北竹睦会 昭和23年11月26名の諸先輩の創意で北竹睦会が発足する。 58年間の互る歴史と伝統を刻み平成18年10月.新たな経営方針で承継する事になる。 05月21日晴. 敦煌の「東千仏洞」 シルクロード仏教美術の源流と伝承. 三蔵法師.玄壯取経図.孫悟空のルーツ.秋本英雄. 日中友好会館. 小石川後楽園 08月09日曇後晴. 西秩父の山の湯を訪ねて 練馬IC=花園.彩甲斐街道=長瀞.高崎神流秩父線=吉田.黒海土バイパス=両神荘=三峰口.彩甲斐街道=大滝.大滝道路 =中津川.滝沢ダム=彩甲斐街道=雁坂トンネル.秩父往還=塩山勝沼線.勝沼IC=霞ヶ関. 320k 荒川長瀞 字の如く長い瀞は水深あり.岩畳より舟着き場秩父線,長瀞の踏み切りを越えたのが9時. 路地を綴るよう土産店が軒を並べていた。まだ時間が早いせいか閉ざされている店が多い。 岩畳の人影は疎ら過ぎ.牛蛙の泣き声だけが時折聞こえる。川下りの船を横目に見て.竿を出すもハヤ1匹で終わっている。 同年11月.町会の旅行で紅葉狩りに再び長瀞に出向いている。ロープウェイで宝登山(ほどさん)に登り.宝登山神社奥宮を拝殿した。 北に延びる尾根は長瀞アルプスと呼ばれる雑木林の美しい静かな山稜だ。 裾野の黄葉を隔て軍艦のよう聳えるのが両神山。霞に浮かぶ岳は以外に遠いい。山波を越えた向うに独峰の岳を見る。 今年の紅葉はまだ早く.見ごろは11月下旬のようだ。ラフティングしている渓谷とライン下り.SL. 両神山麓へ 県道37に入り.龍勢会館で現地の野菜を確保して.吉田に向い赤平川の県道から住宅地に入り山間を綴る。 何時の間にかルートを北に取り過ぎたらしい。吉田沢を土坂峠へ.群馬県境への深い峠道に入り込む。 今回は妻が地図上に眼くら鉄砲に指した場所.両神の湯に決めていた。迷い戻り宮戸より巣掛峠を越え.R299を横断して両神へ。 露天風呂下.赤平川小森川両神荘 埼玉県唯一の国民宿舎.檜の露天風呂,今月に新築したばかりで檜の香りが強い。小森川を見下ろし湯は無色で少し粘り気がある。 秩父は近年.道の駅と風呂が合体し.急激に多くの湯客を集めていた。ここはその騒々しさもなく.長閑な憩いの場を作っている。 泉質はメタほう酸.周年祝いで入湯料@600. 遠く熊倉山と酉谷山荒川中津川上流からの滝沢ダム工事 再びR140.大滝より荒川源流中津川を遡る。ループ橋で高度を稼ぐと滝沢のダム工事現場に出偶した。 ここは秩父湖の北側にあたり.川底は土砂崩れ防止の護岸工事が点々と行われている。 昔は北ア.梓川や高瀬川で工事現場の川底をダンプの砂煙を浴びながらよく歩かされた。 ここでは迂回の国道が開通し.上から仰ぐげるようなダイナミックな景観を覗かしていた。 雁坂トンネル 彩甲斐街道はここから滝川渓谷を遡上.ほぼ一直線に進むと7kの雁坂トンネルを抜ける。そして広瀬ダムが現れるた。 塩山から抜けた道. 勝沼ではもうブドウ狩りが始まっている。何処も街道を賑わいを見せていた。 雁坂トンネルは山梨県側.1987年05月12日着工。埼玉県側は90年11月08日着工し98年04月23日開通。 2008年04月.中津川神流川金山沢より両神山八丁尾根を縦走。中津川の滝沢ダムは貯水を始め既に完成していた。 下山後.大鹿野温泉で1泊。雁坂トンネルを抜け笛吹川西沢渓谷を探索し.青梅街道.柳沢峠を抜け帰京した。 ダイヤモンドキルト出展
リンダさんのアルバム. スーザンさんのアルバム,れいこのページ 11月23日快晴. 第五回墨田川ハゼ釣り大会 墨田川右岸テラス12月29〜30日快晴. 師走.伊豆の湯と酒 浅草サウナを変更し伊東の温泉へ。俊雄を混じえ鈍行列車の旅が.家の外に出て急きょ車で出向く。 海竿を揃え東海道を走る。凪の澄んだ海と暖かい陽差しが湘南の空を満たしている。 久し振りの国道1号線.下を走り小田原で渋滞に巻き込まれ.魚市場内で昼食を摂っている。刺身定食 東京を10時半に発ち.16時伊東「たいとう荘」に着く長い旅になった。 宿ロビーで伊東大川沿いの宿は無色無臭の熱き湯.庭は立派な東屋を持つ庭園がある。 海鮮がメーンの正月料理にビール.熱燗.焼酎と。追加に日本酒を買い込み.夜7時より1時まで年納めとばかり呑み干した。 池田20世紀美術館.開館30周年記念展.ルノアール.ピカソ.ジャガール.ノルデ.画家達の二の世界(絵画と版画展). 伊東.道の駅「まるげん」で再び丼と干魚(カサゴ.マイカ)で海鮮を完食. 今年4月開放されたマリンロードの浅場でボラの稚魚と小さな青紫の体に尾は黄色いソラスズメダイの群れを見付け.帰宅した。296k ・・1005年Top 2006年 02月11日快晴. 早春の高尾山 02月 再び黒メダカを飼育.5月上旬に産卵.6月初めに孵化。中旬には続々産卵する。 02月25日薄日. 花輪⇔金町=船橋アンデルセン公園
05月14日霧雨後曇. 都立神代植物公園. 国道20.甲州街道をケヤキ.銀杏並木と潜り通し出向く。70k バラ園バラの開花には1週間程早かった。スタッフよりマンツーマンで1時間半の観察.解説を受ける。 ムクロジの実 ![]()
08月15日小雨. 夜の上野動物園. ![]() 手の内で戯れるパンダマウス.尾を入れなければ身長10cm程. アフリカの動物達.裏舎寝床を見学. 10月15日晴. 富士山麓一周の旅 竹町=富岳風穴=富士国際花園=白糸ノ滝=竹町. 町会バス旅行 花と鳥の富士国際花園 ![]() ベコニヤと40種120羽のフクロウ.ショー 裏富士.大沢と頂に雪が少し残る朝霧高原 白糸ノ滝11月05日高曇. 第六回隅田川ハゼ釣り大会 墨田川右岸テラス12月17日.快晴. 大横川親水公園. 錦糸町に掛け散策. 12月23日.快晴. 隅田川左岸.厩橋〜桜橋と待乳山.聖天. ハゼ釣り散策と干潮の小川底に穴を開けるクロベンケイカニ。ダイコン寺から浅草寺へ.次郎猿と小猿の街頭芸。 ・・1006年Top 2007年 07年元旦. 下谷神社 01月16日快晴. 足立車検所と元淵公園 02月11日快晴. 三渓園. 開園を待っての入園.早朝の静けさも観梅会? 溢れる人の波となる。茅葺屋敷とカワセミ 上野=本牧三渓園=中華街=上野 全体的には7分咲きの梅林旧原三渓邸.生糸貿易で財をなし京都や鎌倉から歴史的に価値のある建築物を移築し.明治39年一般に開放した。 昨年100年目を迎え「国の名勝」に指定される。内苑と外苑があり。 大池.函花亭からの旧燈明寺三重の塔合掌造は岐阜県白川郷にあった江戸時代の庄屋の家を移築。囲炉裏に薪がくべられ,自然に近い灯りと燻す香りが心地よい。 暖かい陽差しの下.開花した梅を観賞.睡蓮池ではカワセミの漁を偶然観つけた。 入園者が多くなり.昼前に退園.元町・中華街へ。 03月26日晴. 鹿島と鹿島神宮.香取神宮 潮来道の駅で朝食.鹿島にでる。鹿島アントラーズまでの周辺は立派に開発され.昔と大分変わっていた。 帰路.大杉に被われ厳粛な雰囲気を漂わしている鹿島神宮と.落葉樹の多い明るい境内の香取神宮を参拝する。220k. 04月06日曇. 夜桜と浜離宮恩賜庭園 両国.船=浜離宮.築地より大江戸線.「汐溜駅」新設 両国から水上バスで出向く。切符販売所を潜ると「いらっしゃいませ!」の声。乗客は私達2人だけらしい。 今日から10日間.浜離宮夜桜臨時バスがでる。出船には間に合わぬが茶を買出しにでた。私を待ちもう1組が乗船する。 乗客は4名.@500で船員の方が多い。 屋形船では何度も墨田川夜景を見ているものの.ジット見詰めていると新しい発見がある。 川面と夜空との空間を高層ビルが隔てている。満潮で手の届きそうな橋げたを潜り.その中を下って行く。船はでかい。 乗船は団体割引きとのこと。船着場から菜の花畑を抜け浜離宮正門まで妻の足元をエレキに照らされ案内された。 数年振りで浜離宮周辺は大分変わっていた。高層ビル群の照明が煌き.光の壁を築き.月のない庭園をおぼろに霞ませている。 灯りが潮入り池周辺だけをを浮き出させている。ここは人が多い。葉桜になりかけた枝木が見事に散りだしていた。 ただ私には雪景色の方が好きだ。今年も雪積に期待したが出向くことはなかった。 04月26日晴後曇. 芝桜とツツジの館林 東武伊勢崎線.茂林寺前7:30一茂林寺沼湿原一野鳥の森フラワーガーデン=つつじが岡公園一旧秋元別邸一尾曳稲荷神社 一旧上毛モスリン事務所一田山花袋旧居一田山花袋記念文化館一13:30館林 朝方の茂林寺沼湿原ガラガラの列車も羽生近くになると通勤.通学でラッシュになる。 飽和状態の車内を見て改めて退職したことを感じ.何か不可思議な思いを抱かされていた。 茂林寺前で下車した乗客は私達を含め数人だった。今日は平日である。 野鳥の森フラワーガーデン 芝桜の丘早目に御徒町を発ったので.まだ人影は疎ら.茂林寺川を渡ると森に囲まれるよう芝桜の丘に出会う。 ピンクとブルーの色とりどりの愛らしい花が春を告げている。小陣まりしているが一見の価値はある。 それよりこの丘を囲む探鳥の森の方が心地よい。深い森が陽射しを閉ざし.木漏れの深い落葉の径に癒されている。 つつじが岡公園 ヤマトツツジの古木群.樹齢約450年の桔梗咲き霧島詰め込み過ぎていると思われるツツジの巨木が続く。大きさと云い.密生度と云い素晴らしい充ツツジの径を潜る。 江戸時代からの名所が圧巻するスケールで咲き誇っている。人も多い。7分咲き. ジャングルのようなツツジの群生地尾曳橋を渡り旧秋元別邸に入ると人も疎らになる。富山県井波の木彫展を催していた。 裏側には縄文巴住居があり.川畔の自然が生かされている。 尾曳稲荷神社 孫犬を引き連れた狛犬館林の資料館 尾曳神社を参拝後,第二資料館を訪ねる。旧上毛モスリン館は儀西洋風の木造二階建て瓦葺で何所かで見たような建築物である。 私達よりずっと昔の建物が何故か懐かしく思えた。映画で見たのか.昔の病院を想い浮かべた。 奥には曳と共に解体移転されたと云う田山花袋旧居があった。茅葺平屋造り。縁側には西日がいっぱい当たり心を和まさせている。 向かいには田山花袋の資料館があり.向井千秋記念子供科学館があった。 鶴生田川川畔で昼食。桜の時期は凄いらしい。原っぱは厚みのある芝とタンポポで広々した河原が続いている。 寝転ぶには都合がよかった。美味い空気をいっぱい吸う.私には贅沢に思えた。 帰り列車は通り雨と共に過ぎ.帰宅して再び陽が射しだした。 05月24日晴.陽射し強く26℃ 鹿島神宮とメロン狩り 竹町=鹿島神宮=サングリーン旭.アンデスメロン狩り=大洗「潮騒の湯」.太古の化石海水.=那珂湊=竹町 竹町地区連合レクレーション.バス2台 先々月に続き鹿島神宮を参拝する。前回は神池へ降りたので,反対側にある要石を見学した。 奥東へ通ずる径は鹿島の森が広がりを見せている。高木林を抜ける木漏れが地表に射す.触れる涼風が快い。 メロン狩りは今日が初日とのこと。ビニールハウスには1茎に3個のメロンが生り.以外と大きなメロンが転がるよう育っていた。その1つを選ぶ。 半分に輪切りしたメロン。実は熟し甘く.食べて蜜のようなベタベタさが手に残る。それをもう1つ追加した。 昼食は大洗の広い海原を望み宴会となる。年配者が多い中.話が弾み出発直前に風呂に飛び込んでいる。 07月10〜11日雨. 北陸.黒部渓谷の旅・・黒部トロッコとアルペンルート 今回の黒部峡谷の旅は今年の5月中旬に妻と娘が初めて上高地に旅したことから始まった。 京都へ行く予定を変更.宇奈月からのトロッコと黒四ダム散策する。梅雨期であるが盛夏の混雑を避け強行した。 7月10日雨.新宿,はとバス7:15=関越・北陸道=宇奈月.黒部峡谷鉄道.トロッコ.往¥2060⇔鐘釣. =18:00名鉄富山ホテルh 黒部峡谷鉄道.トロッコの旅は5年前の秋.妻と福光から北陸道を旅した折.急遽寄ることにしたが.混雑で当日券は1時間半待ちとのこと。 宇奈月で燃え溢れる紅葉を鑑賞しただけで.諦め白馬八方へ向っていた。今回はその再挑戦となる。 東京は梅雨の中休みを終え.うだる雨に悩されている。雨降る信越道を抜け.再び宇奈月にでた。 黒部川の電源開発黒部峡谷鉄道 宇奈月駅発・往復 新山彦橋と宇奈月温泉 右岸沿いトンネルを潜る
黒部第二発電所 今回の終点「鐘釣駅」・・軌道の終点は「欅平」軌道 霧雨と軌道.雨雫の黒部川を遡る。頭上はガスが舞い.広い河原は水かさを増した飛珠の流れを走らしている。 谷合いは雨雫に滴る樹葉で溢れ.両岸を覆う樹葉が青々しい。心をも清めさせる景観と澄んだ空気が心地よい。 トンネルが続き覗く峡谷と尾根。沢のツメはまだ残雪がヘバリ付いている。 小さなトロッコだが意外とレールを弾く軌道車のガタコト発する音色は煩いながら心強い。 トンネル坑内に入ると尚更響き渡り.まるでジェットコースターの如き音を耳にする。1時間程で鐘釣へ。 少し肌寒いく.昔のトロッコを想いだす。まだ関電が経営していた頃.剣岳東面の尾根と谷を登り欅平から下山した。 当日も雨が舞い.濡れた体は着替えする場所もなく寒さに耐えていた。揺れ動くトロッコでは着替えをする余裕もなく.早く宇奈月へ着けと。 カッパを着た妻がスケールの違う峡谷に喜び浸っている。トロッコはカタコト遡る。ただ鐘釣での観光用に設けられた万年雪展望台は みすぼらしい過ぎる。残雪が少なく.その上.雪上は枯葉の塵で埋め尽くされている。 ここまで入り.見なくてもよいものを見てしまった気を起こさせていた。 富山駅横「大黒や」の越中うまいもの膳白エビの掻き揚げと酢漬け.甘エビとサシ(カジキマグロ)の昆布締め.ホタルイカの魚醤油沖漬け.バイ貝と地元野菜の煮付け 7月11日濃霧. 富山7:40=立山,ケーブルカー.¥8060=美女平.高原バス=室堂.トロリーバス=雷殿.ロープウェイ=黒部平.地下ケイブルカー =黒部湖一14:06黒四ダム.トロリーバス=扇沢=豊科IC.中央道=19:00新宿 高原バス 弘法付近で立山黒部アルペンルートを横断する。相変わらず雨雲が行く先々に覆っている。乗り継ぐ事に雨雲が激しく動き.よくて霧雨が舞っている。 高原バスで一瞬の切れ目から富山平野が望まれた。町並みの先に岬と海らしかぬ海を望む。 路肩で蚤を捕る猿天狗平付近の雪層 今年は積雪25m.除雪に1億円を消費する天狗平付近から残雪が見止められだすとバスは雲の中となる。冷え込む室堂は10mも先になると妻の顔も分からなくなった。12℃. カッパ姿で湧水を汲みに。長く外に出られず.その為駅.売店は込み合っている。 ![]() 立山ロープウェイより黒部湖.対岸大スバリ沢と小スバリ沢 黒部川第四ダムサイド初めて黒四ダムに立ったのが1967年08月の夏合宿で.ダム構内に迷っている。当時は黒部川左岸沿いからダムサイドに出ていた。 ![]() 放流9t/秒
![]() 御前川より立山連峰と下廊下大ダテカビン ![]() ダムサイト 誰もが視界が閉ざされ諦めている中.黒四ダムサイトで雨が途切れ視界が開けだす。 陽は出ぬものの囲むどの岳も頂稜を望みだした。北面.東面は残雪が多いも.例年より少ないようだ。 岳々に昔の歩んだコースを顧み.どの岳も懐かしさが滲み出していた。右岸下展望台からダム放流と緑深い下廊下を望む。 本流はやはり濁りが強い。樹葉深い峡谷が谷を隔て深い側壁を築いている。 誰か晴女が居るらしい。幸運のダムサイド.ここだけは雨が止んだ。ホタルイカのいしり干しをライターであぶりビールを呑む。マス寿司弁当. ダムサイト右岸にある湧水は無機無臭で室堂の清水の方が薄っすら味があったようにも思えた。共に宣伝するする程でもない。 扇沢 再びガスの扇沢にでる。丸っきり私の記憶と扇沢は違っていた。1969年.勿論28年前とは建物の規模や駐車場も全てが違っているだろう。 当時トンネル脇までトラックで荷揚げした覚えはある。まだアルペンルートは営業していない時期だった。 大町への専用道路は路線バスが通り,舗装がよくなっただけではなく.路肩に茂る樹林が育ち.森のような街道に周りはなっていた。 吹きさらしの大地に道路が1本走り.雪嵐の道を下った覚えが甦ていた。 昔お世話になった黒四ホテルも過ぎ.安雲野(スイス村)へと道を分け豊科にでた。 茅野を過ぎ南アルプス前衛.霞む入笠山を望むと.左手には原村周辺に虹が掛かっていた。そして再び雨降るの中.新宿にでる。 13日〜16日.7月としては超大型台風4号.945hpaが沖縄より太平洋沿岸をゆっくり縦断.水不足は解消するが洪水の被害大 16日.新潟中越沖地震.M6.8.内陸型地震. 柏崎中心に新潟・長野県。信越本線及び高速道.信越・北陸道は当分不通 9月11日.隅田川蔵前テラス 雨上がり夕暮れの日が落ちる。川面は満水の泥水で満ちていた。右岸の雑木に早くも鈴虫が鳴きだている。 夜の散歩もやや減るが.心地よい風が頬を打つ。 10月23日高雲り時折陽射しあり 水元公園 ペコの散策にと水元公園に出向く。P前.ポプラの並木前にクラウショウの大木がある。実はまだ硬く緑色しているが枝木にはビッシリ付いていた。 光線によってはその実が連なるよう飾り浮きだされていた。溢れるばかりに実っている。 何年目かの裸土の径,ペコの歩みも軽い。5才近くなり.この1ケ月程前から散歩を始めた。 好奇心強く.よく脱線しながらも細々歩む。そして葦のザリガニ釣場を抜けると広い原っぱにでた。 チワワのペコペコは走り回るもここまで.40分程で抱っこをねだりだした。よく歩いたと感心する母親とペコ? 広い芝と土の径.もう疲れてしまったらしい。頭だけを出し布袋に納まった。 この周りのホソはフナ.特にタナゴの釣場となっている。地元の釣人が多く2〜3cmのオカメタナゴを釣り上げていた。 長閑に見える釣り風景も.自分で竿を持てば真剣になる。 イナゴロード川畔沿いの径では3cmと小さいがイナゴが跳ね回っている。久し振りのイナゴ捕り,居るは居るは。 もう明け方の露払いを終え.捕らえられず跳ねるイナゴ。それを追う人々がいる。 昼食は薄日が射す林の中.結飯とオデン。先週屋根裏から昔のコンロを見つけ出し早速持ち込んだ。 キャンピングコンロは古くかさ張るコンロである。それでも新しいボンベを付けると勢いよい炎を上げた。35年以上前のコンロ, その後購入した取り外しできるコンロは今だ発見されず。専用ボンベだけがある。P3時間¥600.11時半帰宅 12月02日快晴無風. 第七回隅田川ハゼ釣り大会 墨田川右岸テラス竹町公園 枯葉も半ば落ち12月上旬小さな二人旅Top |