浅草岳・・浅草岳,守門山概略図 会津只見三山Top 越後山脈Top

        1978年08月. 国道4号線.御徒町(竹町)=宇都宮=大広瀬五味沢から入山.残雪の浅草岳でキャンプ・・車のバッテリーが空に.
        2010年10月. jr上野=八木原.駒寄PA=jr只見.会津蒲生岳=jr田子倉駅―只見沢から浅草岳を横断し八十里越・・入叶津

         越後大広瀬五味沢よりピストン.s53年(1978年)08月30〜9月01日. m松村進.大川崇

     記憶から失われた中越,浅草岳・・下山時の車トラブルは記憶.
   上野御徒町からマイカーで遠征.宇都宮で大川を拾い.大白川から五味沢へ。ツメまで登り浅草岳をピストンする。帰りにバッテリーが上がったらしい。
   灯油を配達人は.後で大川に云われ想い出していた。

      資料なし
   一度.自宅を移転したせいか資料を全てを無くし.入山したことさえ忘れていた。
     マイカー登山. ムジナ沢から前岳を経て浅草岳へ。林道終点に車を停めたが.室内灯の電源が入れっぱなしでバッテリーが上がっている。

   部落.五味沢まで歩き.幸運にも灯油を配達にきたスタンドの車に出会う。なだめお願いし続け.現場まで出向いてもらい修理し.感謝してガソリンを補充した。
     高速のない時代である。小出より大白川へ入っていた。当時の五万分ノ一地図を見付けるも歩んだ赤線すら記入されていなかった。

      忘れていた登山
   私は全てを忘れていた。28年前の話である。2005年05月18日に.上野で大川と酒を交わし想い出している。
     偶然の会話から出てきた話だった。そこには語りだしても分からぬ頓珍漢な私がいた。

   テント内は寒さが強かったと大川は語るが丸切り記憶がない。記憶喪失の如く何故か分からずにいた。そして酒だけを浴びている。
     写真が残されていた。それが子供のアルバムに混ざってのこと。
     このページも3年前に記したが分からず.その間々写真だけを載せていた。

   話の中で思い出したことがある。蒸す暑さに残雪とテント.そして車のトラブルで集落まで一度降りたことを。
     細い糸が次第に膨らむようほずれ記憶が繋がれだされていた。

   昨年,田中先輩から同じようなことを聞いた。昔.見城先輩と3人で穴毛谷の登攀を目指したが豪雨の為.現地で中止し上高地から明神岳に登った。
     その時のことを全て忘れていたらしい。記憶以前に何かの繋がりが失われていたようだ。
     その頃は私も記録を付けず.何度か登ることは繰り返していた。その場の飛び入りで登った山も多い。まだありそうだな気がするが?

   入山日.コンロから見て昼食らしい風景

   前岳の残雪でて天張る
    赤天から見て冬天の外張りを使用

   段ボールがあることから背負子を使用か?
    コンロは見た感じでは旧型の一番古いコンロ

  

   浅草岳にて・・右下の残雪に幕営か?

   田子倉湖と右奥が越後朝日岳

   中越守門山と矢筈山方面

  


    守門山と浅草岳地形図

  
    守門山南西部地形図 守門岳
    登山道は本沢の台地から嘉平ヨノボッチの尾根を経て.前岳へ登り詰めている。山懐は豊かな残雪を抱いていた。


    浅草岳叶津川
  
 
1975年05月連休. 裏尾瀬大杉岳へ・・只見の叶津川出合付近から撮影
  六十里越し金町から沼田街道を御池へ.帰京は安ヶ森峠を越える。

2010年10月. 田子倉口から浅草岳
  下山は叶津川経由で只見から六十里越し六日町温泉へ

    翌年,s54年08月13日. 墨田公園で初スケボーで転倒.右足首2骨,複雑骨折。
      スキー.スケート.ローラースケートする油断が不幸を招いた。我が家のバブル期.家族.会社に大変な迷惑を掛ける。
      以後家族の反対強く山スキーを断念する。