| 三頭山笹尾根完結Ⅲ⓷・・笹ケタワノ峰~三国山. ・・三頭山笹尾根Top 檜原街道の南地区から上平峠948m点尾根(数馬峠北尾根.西側支尾根)を詰め.笹尾根を東進し三国山と分かれ三国山字副尾根から名倉へ。 上平峠(数馬峠).笛吹峠(大日峠).小棡峠.日原峠.浅間峠.栗坂峠.三国峠(三国山)と字副尾根の佐野川峠。 数多い新旧の峠路を繋ぎ.3度目にして笹尾根の空白の笹ケタワ峰から三国山間が結ばれ.三頭山から高尾山までが繋がれる。 2008年04月12日.単独 三頭山笹尾根(三頭山~高尾山間)を完結させるには大羽根山分岐から笹尾根の三国峠間が歯の抜けた形で綴られていた。 そこを埋めるためにも.前回安易に笹ケタワ峰北東尾根を下ってしまった原因を突き止め.更に上平峠から笹尾根を東進するべき.3回目の入山になる。 桧原街道のバス停仲ノ平に下車.南沢林道に入るも現場は林道工事中で戻っている。南川塩地窪右岸尾根の948m点尾根を改めて末端から詰める。 上平峠(数馬峠)からは笹尾根に乗り三国峠で完結してから三国山字副尾根を経て佐野川峠へ下り.上岩林道から名倉にでて. 下山はバス待ちで石楯尾神社を見分してからjr中央東線の上野原駅にでた。 jr神田.中央特快6:09=6:48立川7:05=7:15拝島:35=8:00武蔵五日市.西東京バス:25.¥910=9:10温泉センター前bs. 立川駅ホームに居ながら列車に乗り遅れる。開閉ボタンを押す前に列車の扉は閉ざされ.予定より五日市に遅れること40分。 列車内で逆縦走の対応を考えるも.今日は土曜の登山日和.当然バスは増発されると予定し.其の儘.入山することにした。 訃報と春雪が多く残る三頭山を優先したため.今回で3度目になり.如何しても笹尾根を繋げねば収まらぬならぬ事情が起きている。 前回は地図を見ずに道標に迷い.下山をしていた。これ以上.アクシデントが起これば山の甘さに加え.自信喪失に陥るだろう。 今朝は仲ノ平より南集落を抜け.上平峠から甲相の境尾根を東進し.三国山で2月に高尾山から縦走し終えた地点と結ぶ積りでいる。 そして南側の相模湖石楯尾神社か連行峰の万六尾根を南秋川柏木野へ下る。前回は檜原街道から右手に見つつ下った山並にもなっていた。 路線バスは南秋川を遡る。jr五日市駅前広場では葉桜が散り始めた山桜は本宿で溢れるばかりの桜が.満開に枝々を飾っていた。 それに控え仲ノ平の槇寄山登山口ではまだ蕾を持つ7分咲きが多い。 笹尾根のと1157m点峰南沢尾根とと1150m圏峰 南沢左岸沿いに入る南沢林道と南沢尾根.南集落より.9:26南部落一上平峠(数馬峠)晴後曇 9:10温泉センター前bs一9:15南秋川南沢出合(南橋)10:00⇔南部落. 一南橋10:00一10:45ベンチ:55一11:10上平峠. 南集落 臨時の急行路線バスは仲ノ平バス停には停まらず.手前の温泉センター前バス停で下車。僅か先で南橋を渡り,左折し左岸の南沢林道に入る。 順調の入山だった筈の林道歩き。西原峠へ登る南集落への道を右手に分け.真っ直ぐ林道終点から詰めればよかった。 林道終点からから細尾根の南沢中間尾根に乗ると道形は怪しくなるがモミが乱立する870mを詰めれば甲武国境稜線の1157m点に至る。 田和峠を下り返した手前にある1157m点からの966m点南沢尾根。 この経路は買ったばかりの山と高原地図「奥多摩」には仲ノ平から数馬峠への966m点尾根ルートは末梢され表示されていなかった。 その上林道沿いの二又.南沢起点からは改修工事で通行止。崩壊され.南沢尾根への道は崩れ.土砂に埋まり.山道は閉ざされている。 集落の道標には集落を抜けて「西原峠」へ至る登山道のみが示されていた。 又下流.出合近くから南沢の右岸から取付く木橋は「山と高原・高尾」地図に表示されてるものの現実にはなかった。南隣りの尾根になる。 笹尾根に至る山径を尋ねるため集落に入る。集落は南沢左岸沿いの初っ端から滑り止めの急斜面の台地上を綴っている。 林道は生活道でもあり.日当たりのよい急な丘陵斜面に建てられていた。 家屋は住まいと云う棚田の上にあり.隣家ともひと登りせなばならぬ急な斜度の段々にある。このうねくねる村道を登り.道を尋ねている。 一軒ずつ近くの人家を訪ねるも.最初の民家は玄関.縁側は開けぱなしで.室内灯も点いているが人の気配はなかった。 急坂を登り3軒目の庭先に居た夫婦に出会う。地図を見せるも山径はないと。確認の為.崩壊林道に入って見たが奥はその間々だった。 村道をそのまま進めば「数馬の湯」の源泉を過ぎ.簡易ゲート脇に道標「西原峠.槇寄山」があり右折する。80m先.林道は行き止り,西原峠へ。 「数馬峠」の名も地元では使われいない言葉だった。地元では咄嗟には出ぬ言葉。普通互いに峠の向いの地名を呼び合っている。 南部落では「数馬峠」ではなく峠名は今でも「上平峠」で呼ばれていた。(南.数馬一峠越え一田和.上平) 南部落~上平峠ウォッ地図 数馬峠北尾根 対岸の尾根取付きにある古い道標と十字路分岐.10:12改めて入山 山径を教えて頂いた。南橋まで戻り.南沢出合の少し下流側の谷底に降り.小さな鉄橋から南秋川の右岸に渡っている。 又地元の老人によると昔はあったと云う街道沿いの道標は今はない。南秋川沿いに建つバンガロの廃墟から南秋川の鉄橋を渡り. 南沢と大楢沢との間の尾根を忠実に詰めることにした。 鉄橋を渡った右岸脇に真新しい道標が立つ。腕木の先は「数馬峠・温泉センター近道」とある。 「近道」は秋川の右岸沿いに築かれた細い里道で.街道が造られる以前に南集落と結んでいた旧道と思われる。 尾根に取付くと直ぐ確りした古い道標があった。東側の「山道」を示す道標は恐らく下平へ続く作業道だろう。旧檜原街道か? 進むべき南側の腕木は「西原峠」とある。メーンの峠路は尾根越の田和・上平へ。或いは西原峠から郷原へ抜けている峠路で. 南沢右岸尾根(数馬峠北尾根)になるのだろう。 西方は「南部落」を指している。ただ手前の南沢に架かっていた橋は流され.流心に浸かると本格的な渡渉になる。 昔の「山と高原地図」には腕木と同様に赤線で南集落との取付きが示されていた。部落を抜ければ大平分岐へ.槙寄山北東尾根へと登山道が綴られている。 直進して登る南沢左俣の塩地窪右岸尾根は下平からの左二又を合わせ笹尾根(甲武国境)の鞍部.上平峠(数馬峠)にでる。 峠越をした上平は初戸川流域になる。 南沢の右岸尾根・・上平峠948m点尾根 間近だが霞む夜月見山と御前山.10:24北尾根948m圏二又分岐 取り付く北尾根は上平峠の東肩1100m圏小コブから北北西に延び.南沢右俣の塩窪沢と大樽沢(大鳴沢)を隔でて.南秋川に没する尾根。 又地形的には甲武国境尾根を繋ぐ.西原峠の東方の南沢尾根(1157mコブ南尾根・南沢中間尾根)と笹ケタウワ峰1100m圏から 北東尾根の大羽根山を擁する尾根に挟まれ並行し延びる尾根。 948m点で左後方から仲ノ平から尾根の尾根道を合わせ.数馬峠からは北東側の下平へ下る2つの支尾根に分けている。共に作業道が綴られていた。 山と高原「奥多摩」には共に赤線が引かれているものの.その後出版された山と高原「奥多摩」では北東側コースは破線路で記されている。 下平バス停からは上野原大丹波山線の南側を並行する旧道に入り.民家の脇から取付く。分岐に「馬頭観音菩薩」と刻まれた石碑が祀られている。 私は北側の尾根末端から入り.南沢出合仲ノ平の南秋川沿いの鉄橋から取り付いた。 作業道が合わさると左手に建物の残骸や作業用のテーブルを見て下平峠(数馬峠)にでている。 1050m付近 幅広く明るくなった低い灌木林.10:29このコースは昭和の登山ブームだった時の登山道のようだ。顕著なコブもなく.だらだらの登り尾根。 入山者が少ないのか.登山口の道標は外され.南沢の橋も崩壊し抹消されている。 途中の山道には当時の残骸が残されているのみ。背丈の低い広葉樹に冬木の広がり.どんよりした重い空が一層寂しさを誘っていた。 肌寒い風が殺風景な感じを更に受けさせていた。 上平峠(数馬峠) 左窪地が展望の開かれる上平峠.10:48落葉松の植林に覆われた笹尾根 上平峠 日差しもなく低い灌木に疎らになった冬木林。殆ど直線で登る尾根筋は殺伐とした空間の斜面が広がっている。 明るくなるもどんよりした厚い雲が仰ぐ。 時間の割りに高度を稼ぎ.なだらかな幅広い尾根にでて1本取り.そう遠からずして右手の斜面から上平峠にでる。 2週間前に来たばかりの峠と再会. 南沢の集落では「数馬峠」を「上平峠」と呼んでいる。 又十字の峠路に立つ道標には「←西原峠・笛吹峠→」・「←上平バス停・仲の平バス停→」とある。 高雲の重い空,春の霞は前回以上に強く.真近の権現の山々も富士山も望められず。鶴川周辺の集落さえよく見定められずにいる。 そこに平服する単独行者が現われた。もの静かに憩う峠に.鈴にラジオの音量を高め.撒き散らしながら西原峠方面から下りてきた。 私は休む間もなく.擦れ違うよう腰を上げている。 笹尾根.上平峠→三国峠 大羽根山の稜に薄く「笹尾根」と読まれる.11:15上平峠から丸山.土俵山.熊倉山に三国山 11:10上平峠(数馬峠).前回到着時間12:35一11:30笛吹峠一11:55小棡峠12:10一12:30土俵岳 一12:45日原峠一13:20浅間峠:35一13:40東坂峠一14:20熊倉山:30一14:45三国山. 間違い径 コブの上に立つと先月.間違えた大羽根山への小径が綴られている。 大楢沢と大羽根沢に挟ま北側の支尾根には登山道が浅間尾根登山口バス停まで綴られている。 地図を見落とした不注意はあるが解明せねばと。疎らな熊笹の畑に分岐があり.左手が大羽根山への尾根径で右手が本来の笹尾根になる。 大羽根山への道標はなく.左の大羽根山への山道に入って直ぐ「笹尾根」を示す道標を見付けている。 大羽根山から笹尾根に登る人は.この先が笹尾根であると確信できるだろう。私は間違って.そこが笹尾根と思い誘い込まれていた。 その先に本当の森沢流域へ迷う踏み跡があった。笹ケタワ峰北東尾根(大羽根山東尾根)を下っていた。 コブ上は熊笹と杉林の林相の境径.11:18 小コブを越え笛吹峠へ.11:19 南側から突き出した薄暗い落葉松林を抜け.11:21今までの明るさと異なり.鶴川側からの落葉松林が押し上げるよう尾根筋を越している所で.一挙に薄暗さが漂い始めていた。 狭い間隔に伸びる落葉松林の植林帯. ここだけだが何故か? 必要以上に間伐を逃れ.植林は密生させられていた。 まだ午前中なのに黄昏の薄暗い山道が黒木の如く植林帯の中を綴っている。 笛吹(うずしき)峠 ![]() 「休猟区」山梨県の標識 峠の石導「大日」.11:31 笹尾根の両脇を熊笹が幅広い被うようなり.ゆったりした下り坂を歩めば笛吹峠にでる。 尾根の鶴川沿いの南面は植林された杉林. ここも尾根筋は背稜のみ伐採されず残され.縁の枝木と擦れ違うよう登山道が綴られている。 峠手前の1060m点の50m北西寄りの地点には前回大羽根山から下った森沢700m圏出合左岸尾根への踏み跡がある。 又登山道を笛吹へ300mほど下った「緑の資源」の看板付近からは左の踏み跡から右岸尾根を下れば共に前回下山した森沢林道にでる。 更に丸山1098mの北側を巻くと雑木の森が綴りられ.丸山の北東尾根の登山道と合わさり.笛吹の集落を経て檜原街道に至る。 笛吹峠は別名「大日峠」・・檜原街道笛吹と鶴川藤尾を結ぶ峠路で峠には道標類と古い石仏が置かれていた。 表面には「大日 右かずま.左さいはら」.裏面に「百番塔」と刻まれた石碑の道しるべがある。 丸山南西尾根の919m点南東尾根の古道との鞍部には「百番塔」と石仏群がある。 又笹松峠から南斜面を巻くと「大日」と刻まれた丸石があり.大日とは山岳信仰と深く関わりこの地方では「でえにち」と発音する。 鶴川沢渡.小棡.藤尾へは南側の尾根山腹を長くトラバースする西原古道へは笹尾根.藤尾分岐からの支尾根の933m峰を経て蔵春院へ。 他にも幾つもの支尾根と西原古道は結ばれていた。 巻道分岐 右が南秋川沿いの檜原街道.笛吹への径.11:57丸山の東地点 笛吹峠から10分強の登りで丸山の山頂1098.3mをかすめ.北北東に延びる尾根を50mほど下れば.巻道の分岐にでる。 笹尾根を登って来て檜原街道.笛吹に下る巻道で.丸山の北側を巻き笛吹峠手前で再び主尾根に乗っている。 その分岐の直ぐ下が小棡峠。 何の変哲もない緩やかな尾根筋で.径脇に小さな木片に「小棡峠」とあり.初めて分かるような窪みも見つからぬ峠だった。 過っては小コブの南尾根を下ると尾根の二俣から県道18号線.上野原丹波山線の小棡か.沢渡と結ばれている。今は踏み跡が残されていた。 更に主尾根を下ると「笛吹バス停」の道標があった。北北東に延びる924m点尾根に乗り.西川(笛吹沢)の河原にでれば笛吹の集落にでる。 924m点で笛吹峠からの登山道と合わさり.笛吹からは沢沿いに林道を下れば檜原街道の笛吹バス停に至る。 丸山南面? 丸山の右肩下が小棡峠丸山の山頂には二等三角点があり.基準点名は西原村(さいはらむら)・・中央高速道談合坂下りSAより・・2014.09.30 丸山1098.3m峰から北北東に延びる尾根を下ると小棡(こゆずり)へ下る919点南西尾根と合わさる。 919m点から二俣の南東への支尾根に乗れば小棡から上野原丹波山線.県道18号線の芦瀬にでる。飯尾に至る西原古道. 小棡峠 地図にない鶴川棡原への分岐.11:59小棡峠(こゆずり) 杉林と雑木の境径が尾根上を綴り.丸山を越える。距離は短いが無名の小コブを越え.入沢山から尾根筋が右手に折れると小棡峠にでた。 南側に鶴川棡原集落へ抜けている。ここも取付きは紛らわしい。別名は「大立峠」 ほぼ真南に下る小棡峠南尾根.850m付近で尾根は2つに分かれ.右手に折れれば十文字峠を経て日武連山のコブ.西進すれば小棡へ。 又左手に折れれば末端で大垣外(おおがいと).途中で下川を下り棡原にでる。共に登山道と西原古道・林道を繋いでいる。 先は中間のコブと霞む土俵山.12:18歩いて丁度よい気温だがガスだけが更に濃さを増している。 土俵岳を前に.12:19落葉が腐らず白みを帯びた落葉に茶褐色の色ずいた落葉があり.黒土と緑の杉の葉が混ざり.一見汚らしい下り径からコブを越えている。 鹿除けか? 今度は杉林の幹にビニール紐が何重にも巻かれた植林帯に入っている。 土俵山 三等三角点標石1005.2m・基準点名は「猪丸」.12:36ぽつんとあった3等三角点.別名「笹平」.古い地図では「土表山」になっている。 笹尾根と土俵山 「笹尾根」と云う名称が表舞台に登場するのは昭和30年代以降で.それ以前は「オサエ尾根」と呼ばれていた。 戦国時代は武田氏と北条氏の領地境界上であり.〈抑え〉として地形的にも重要な位置にあった尾根。 土俵山の土俵も.境目に立てられた道標が転じたもので.甲武国境稜線ではのものになっている。 南尾根 南側に下る古道があった。三角点標石からの820m点南尾根で.途中に石仏があり560mコブより.2つの枝尾根を派生させている。 東側の尾根は照峯神社を経て猪丸(いのまる)の集落から新山王橋(棡原中学入口)バス停へ。南側は城山510mを経て大垣外との間に至る。 城山は又「甲斐の山山」によると「烽火台」があったと記されている。又手前の鞍部50mがガレ気味で要注意・・下り2時間半. 南秋川には土俵岳の北尾根を下る。934m地点で尾根は2つに分かれている。右.東側は625m点を通る破線コース。 左へ真北に延びる尾根にも山道が綴られ.人里(へんぼり)と和田,上平に囲まれた事貴(ことづら)にでられている。 南秋川は橋の残骸を渡り.右上の坂道から西川橋バス停にでる。・・山と高原地図「奥多摩」2010年版までは人里バス停と誤記載があり。 土俵岳から縦走路を東へ下った鞍部.日原峠からは左後方へ土俵岳の東山腹をトラバースすると北尾根に乗るが 又土俵岳山頂東肩からも下れる明瞭な踏み跡があった。 12:44土俵岳前後から尾根筋は杉の間伐したばかりの山径に変わっている。 なだらかな尾根の登山道。幹15~25cmの立木が伐採されたまま.その場に残骸の如く放置されていた。 視界は間々望められた。尾根脇には途切れることなく熊笹が被い日原峠を越える。もう1ケ月経てば笹も深く生い茂るだろう。 日原(ひはら)峠 擦れ違う人もなく静かな峠径.逆側から写真.12:48写真の左は尾根沿いに「愛宕山の古池」を経て日原(ひぱら)の集落から甲武トンネルを潜ってきた。上野原あきる野線 右前方の山道は土俵岳の北尾根に乗っている。県道沿いに下れば猪丸(いまる)から鶴川に下りられる。・・棡原中学入口バス停. 左は人里(へんぼり)へ。 小広いコブの台地.917m峰 西側の鞍部が日原峠.12:56917m峰と877m峰・・12:57 ![]() 硬い土壌の平坦な落葉径.13:08疎林越え877m点峰と南西尾根 右下はレイク相模カントリークラブ.13:11 浅く根の這う尾根径.13:14笹尾根の841m峰手前ではこの下に上野原丹波山線の猪丸と檜原街道の上川乗を結ぶ.武甲トンネルが笹尾根の下を潜っている。 上野原あきる野線.県道33号線の峠路は浅間峠にでる。 浅間峠 ![]() 浅間峠 幾らか上下が激しくなり浅間峠にでる。この小平地は今まで以上に全体に熊笹が生い茂り,南斜面は更に深く被われていた。 ここからは連峰山へと続く「関東ふれあい道」にもなっている。(猪丸一峠一上川乗) 又立派な石柱に「右(指の絵)小宮戸倉ヲ経テ五日市ニ至ル 左(指の絵)山梨懸棡原村ヲ経テ上野原町ニ至ル」と彫られていた。 北側の道標からの登山道は尾根伝えに石仏から左の枝尾根をトラバースして末端にでて.檜原街道.上川乗にでる。 又石仏から東方に天マゴ沢左岸尾根を下れば荒れた踏み跡から熊倉沢林道に下りられる。 トヤド浅間への尾根に入るには浅間峠から上川乗の下山路を進み.馬頭観音の石仏ある所で右尾根に巻き込んでいる。2011.02. 尾根沿いにトヤド沢を右に回り込み.トヤド浅間北東尾根に入り.末端で北側に下ればバス停京岳にでた。 東側に下れば矢沢林道に下り郷原バス停に。前回桧原街道を森沢出合から歩き始め.途中でバスを停めたのは次のバス停.出畑手前になる。 主尾根の反対.南側の鶴川猪丸へは峠から西側を巻き.三二山川右岸沿いを下れば日原峠からの登山道を合わせ上野原丹波山線.棡原にでる。 更に上野原あきる野線と併合すれば用竹に至る。 栗坂峠 881m点コブと879m点コブの鞍部.13:45道標に峠名が掲げられていた縦走路「関東ふれあいの道」 浅間峠を越えると道標も多くなり.881m峰の北側を巻き.再び尾根に乗ると直ぐ小さな栗坂峠にでる。 大きな窪地でもなく.何の変哲もない場所だった。ただ道標がここであることを示していた。 北側の峠越えは浅間峠越えの他.峠の北側に薄い踏み跡があり.詳細は不明。古い厳しい尾根沿いになる。径の取付きは分からなかった。 鶴川棡原.小伏へは少し先で879m点コブを巻くように右前方の踏み跡に入り.栗坂ノ尾根に乗り.小伏沢沿いの林道を下りていた。 芦沢山774mを越え710m点で左の枝尾根から地形図の破線を綴り小伏へ。南秋川側から見ると丸っきり違う.緩やかな斜面が里へと続き. 右枝尾根は県道上野原あきる野線.椿の集落に下り.新山王橋バス停に至る。登り3時間とある。 坊主山851mのコブと熊倉山 熊倉沢西沢.13:51笹尾根のコブを2つ越す。向かいから仰ぐコブは大きな山として望めるも.以外と高低差は小さく距離を稼いでいた。 浅間峠から熊倉山間の稜線を甲府では「大ツイジ」と呼び.平坦で起伏の尾根でありながら.北側の熊倉沢は壁のように高まる地形 「築地」をなしている。 笹尾根860m圏平頂の頂点 南秋川矢沢を隔てた連峰山万六尾根.13:59甲武国境尾根.広河原沢源頭860m圏の平頂に立ち.檜原柏木野への尾根筋を望む。 道標の表面裏が熊倉沢が横切り.その対岸が枝木絡みに見えるトヤド浅間になる。 この直ぐ先で北側熊倉沢を遡行.尾根上に立った男女パーティに出会っている。登りついたばかりでまだヘルメットを被っていた。 私にとって沢登りは昔の話.よく判らないが熊倉沢左俣の西沢を詰めて来たのだろう。もうこの先が直ぐ熊倉山になる。 「関東ふれあい道」は確りした登山道で道標も完備されているも.この時期は通う人は少ないようだ。 素朴な裏山のような尾根径が綴られている。時折鶴川沿いの南側に面した集落が見下ろされるのがよい。 馬頭観音.14:18途中で大木に寄りそうにあった明治37年の道祖神と明治39年の山之神社碑 熊倉山と熊倉沢西沢のツメ 縦走路正面.14:23熊倉山南西尾根 縦走路の右裾.南西尾根を詰めている.2011.02・・14:24霞む井戸の集落と上野原カントリークラブ. 向かいが里の山.熊竹山と熊岳 丁度2ケ月前に高尾山から.この山の裏側を抜け井戸に下りている。その時の谷間はまだ一面の春雪に被われていた。 今回はもう1つ先の尾根を下る。上岩から名倉の里に下り.笹尾根を完結させようと思っている。 侘しい熊倉山々頂 今回は上平峠と小棡峠で登山者と擦れ違っている.14:27今日も擦れ違ったハイカーは数えるほど.その上重たい厚い雲に尾根筋は常に覆われていた。静か過ぎる午後の頂,ややモヤが取れるも霧の中。 笹尾根北面はずっと雑木に覆われ.前回歩んだ南秋川.桧原街道は,この辺からは一片も見下ろすことができなかった。 右手に赤いテープがある省武連指尾根(熊倉山南西尾根.2011.02.)の取付きを見付けると直ぐ熊倉山966mに立つ。 座る人のいないベンチが3つ頂を囲んでいる。まだ昼下がりだが頂稜を綴ってからは日が陰り.雲の下に入り次第に薄暗さを感じ始めていた。 後ひと登りで三国山。三頭山から高尾山まで結ばれる。先の樹間に雑木らしき山形が望まれた。 休む間に周りは更に雲が垂れ込み薄暗さを増している。 軍刀利神社元社.14:39軍刀利神社 程ほどにして腰を上げ熊倉山を下ると直ぐ軍刀利山の西峰.920m圏の小さなコブにでる。この峰から北に没する尾根が長尾尾根(なごう)。 熊倉沢と矢沢を分け.南秋川出畑にでる。ここは前半の急登を我慢すれば844m点で勾配は緩み自然林が美しい尾根。 西峰を越え.それ又繋ぐよう小平地の無名のコブ.小高い軍刀利神社にでる。鳥居と真新しい小祠と古い小祠が奉納されていた。 軍刀利神社跡(元社)が残されている。 木段を登り返し三境の三国峠(三国山)に立ち.高尾山からの縦走路と結び着き下山した。この辺は熊笹はない。 奥の宮.は軍刀利川(井戸川)源流に表参道があり.登山道と兼ね.本社は下流の黒田川沿いの中流に祭られていた。 今年2月には春雪積もる斜面を下り.奥社をお参りして.社務所から井戸.新屋を抜け井戸に下っている。三国峠は三国山の直ぐ肩になる。 三国山 左奥が生籐山と茅丸.14:49笹尾根を分ける 重く厚みのある雲が沈みかけ.頭から落ちる汗に時折雨の雫が落ち始めていた。小さな小さな雨粒が忘れた頃落ちてくる。 今日の予報は快晴の筈だった。太平洋沿岸の低気圧が予想以上に北側を東進し.予想は外れ曇天の霞む一日になっている。 カッパはあっても傘は持参せず。気になりだした雨雫に早足で三国山に立つ。 3度目の山行で再び三国山(幹に峠)に立った。前回訪れた時は.谷間は残雪で埋め尽くされ.頂にも疎らな残り雪が認められていた。 ここで1つの目的を終え.三頭山と高尾山が尾根伝いに結ばれたことになる。 今回は名のある頂やコブでも.擦れ違うハイカーと巡り会うことは少なかった。 前回は三頭山で.その前は高尾山と陣馬山で会うも.常に数人のハイカーしか会わず.登り終えられたことに感謝した。 何処でも静かな山旅を味わい.登りに飽き迷っても自分独りだけの世界。そこを一歩ずつ.歩んできた。 昨年川苔山に登った後.地図を買い.図幅下に延びる笹尾根に目が惹かれ.そこを今回踏破した。次回は甲相尾根か? 高尾山から入山した時は不幸の連絡を聞き.和田峠.醍醐川源流の雪原を踏み.最短距離で井戸へ下りている。 今回はコースを変え.笹尾根と別れてから武相国境尾根を下り.三国峠より上岩へでることにした。後は下れとばかり早足で駆け下りる。 三国山一上岩.石楯尾神社 14:45三国山一15:00甘草水明神分岐一15:05上岩名倉.上岩御霊分岐一15:45上岩林道一16:00石楯尾神社:40. 雨粒が落ち始めた上岩分岐. 道標の上岩というバス停はない.15:13上岩へ 歩き易すいやや湿り気のある土壌。枯葉のクッションが快く足を速めている。同じような重い空の下.三国山の巻き道の分岐にでる。 ここには狭野宮跡があり.石楯尾神社の奥の院とも伝えられていたが社は取り払われていた。 代わって石祠が昭和初期に建立されたが.今は台座と屋根だけが残されているだけだった。 931m点を左に巻き.右手に軍刀利神社への道を分けている。第一回目は三国山止まりで.この雪面化した谷間を春雪を踏みつつ下っている。 甘草水分岐(かんぞうすい)に着く。日本武尊が東征の折に発見したと云う湧水だが.私には涸れているとしか思えなかった。 付近一帯は桜の木が多く.春になると花見を兼ねてハイカーで賑わうという。4月中旬になるも山はまだ目覚めていなかった。 この尾根は地元では三国山字副尾根とも呼ばれ.佐野川峠からは下岩への径を分け.石楯尾神社.上岩バス停へ下る上岩林道に入っている。 下岩へは鎌沢の軍刀利神社下の三差路へ。庚申塔からくらご峠を経て岩神社.下岩から佐野川バス停にでる。 くらご峠は甲州街道裏街道が通り.東の八王子宿追分で街道と分かれのち.くらご峠を経て上野原四方で再び街道にと合わさる主要道だった。 綺麗に管理された杉の植林帯へと右手の谷間へ回り込む。 下るジグザグ径は杉幹20cm前後の立木が間伐され.綺麗に枝打ちされた丸太が径脇に数え切れないほど倒されていた。 登山道の整備に利用するらしく.程好い長さに切られ丸太が無造作に斜面に転がってもいた。その間を縫い山を下りる。 熊倉山.三国山南面の尾根 三差路とは佐野川道と桧原御嶽道を指す道標で.佐野川道とは「ふじ乃町の古道」に橋詰から鎌沢へ行く道路と云われている。 桧原御嶽道は日本武尊東征の道とされ.この後三国国.連行峰を経て柏木野に下りて奥多摩の御岳山(御岳神社)を目指していた。 伐採の始まる下山口 林道ドン詰まり.植林された杉林の伐採予定地.15:472人の木こり ドン詰まりの上岩林道にでて2人の木こりと出会う。下岩への分岐から間伐された杉林を見ながら下ってきた。 下方の杉林は幹が太く長い年輪を刻んでいる。50年は経つ直径50cm位の丸太の運搬を担ったと木こりは語っていた。 50年目としては細いそうだ。間伐は営林署が行い.その運搬は民間に委託されていた。 林道までの丸太運搬の為.鋼鉄のアミロープを絡まし下準備が行われていた。土台の基礎は立木や根元を利用し.主ロープの基盤を造っている。 メーンロープとサブロープが連結され.引力機で絞込み丸太運搬用の1本のロープを架ける。 ロープの末端は固定された鋼鉄のアミロープが飴のよう太い根元に巻き込まされ.変形され潰された姿は凄い力で固定されている。 これを支点に本ロープを架ける。そして補助ロープで丸太を運ぶらしい。 間伐された大木が倒木され転がっている中.奥斜面には白ペンキで奥の起点を定めた立木が設けられていた。 それは以外と遠くに見えた。そこから主ロープを張ると。 既に運搬用空間が綺麗に伐採されているが.まだ空間が狭く何本か切る必要があるようだった。 話好きが? 指導されるような会話で説明を受けている。 長老は80歳,弟子は60歳.弟子はブヨ除けに大きな蚊取り線香を腰にぶる下げている。なるほど留まっているとブヨの多さが分かる。 後数日で基礎のロープを張り終えると言っていた。それさえ通れば丸太を運ぶことができる。 ヘリの運搬は金が掛かり過ぎ.林道造りが一番よいが.手近な斜面からの運搬はロープが一番よいとのこと。 ただ技術的な後継者が少な過ぎると。神奈川県の要請で引き受けている。東京都は人材不足で山梨の業者に委託しているそうだ。 最後に長老の息子が高尾山で清水茶屋を開いている。高尾山に出掛ける折は寄って欲しいと告げた。 私は答える。今年2月入山した時は尾根伝いの全ての茶屋はまだ閉ざされていた。 下った名倉の里 石楯尾神社脇の生藤山登山口.16:0516:00石楯尾神社bs.富士急山梨バス:40.¥410=17:03jr上野原17:09=17:32高尾.快速:35=18:41神田. 山里 山道から上岩林道を下り.山ノ神で木祠と「生籐山.登山口約90分」の道標を見て.福祉施設からの林道が合わさると里道になる。 周りの薄暗さは変わらなかった。今にも落ちてきそうな雨雫が落ちずに如何にか留まっている。 そのどんよりした空模様でも南山麓の集落は満開に飾られ溢れるばかりの桜の花が裾野や庭先を飾っていた。 バス停前に流れる小川からは鶯の澄んだ甲高き鳴き声が伝わり.土手には生暖かい風に乗り.鯉のぼりがゆったりと泳いでいる。 石楯尾神社と大通り角のバス停を振り返る。今回も路線バスの待ち時間は40分と長い。バス停前が石楯尾神社.境内は奥行き長いく立派な本殿が建立されていた。 石楯尾神社の本殿は明治末期の建築になるが.創建は古く.応神天皇時代以前といわれる古刹。主神は神武天皇. 御神体は高さ96㎝の自然石。社殿は昭和12年改築されたが室町時代末期の建築様式を伝えてをり. この神社の山門は奉納などの時には仮説で山門そのものを舞台にすることができるとても珍しいもの。限られた境内ではの知恵がある。 二本杉(夫婦杉)と社叢.イチョウ 参拝するとすることがなくなった。バス停を陣取ってはウロウロしている。横にシュタイナー学園作のポスターが掲けてあった。 ここは標高410m.山梨と神奈川の県境で各々目的地までの距離が示されている案内図。 バスの到着する20分前に先程の若き木こりの車がクラクションを鳴らし.私の前を通り過ぎる。 私はバス停の重石に腰を降ろし.見るでもなく通り過ぎる車をただ見詰めていた。 更に10分後.今度は長老が大型トラックを運転し.通り過ぎる。共にクラクションを鳴らし同じことを繰りかえしていた。 「車を停めろ!」と言いたくなる心境だった。路線バスは5分前に道路の向かい側を終点,井戸へ通過。 2月に三国山から下山し乗車したバス停でもある。そして私の前を横切り戻ってきた。 予定より一日多く3回の入山になってしまったが三頭山笹尾根の分水嶺(多摩川水系南秋川と相模川水系鶴川)を完歩する。 又南沢.森沢は共に中途半端な山行にになってしまったが.改めて2019年の師走に西原街道を繋ぐ形で檜原街道から入山し. 森沢の源流尾根を詰め.戻る形で南沢中間尾を下り踏破した。 三頭山笹尾根上半~三国山間.ルート略図 桧原の峠道 |