| 戸倉.醍醐.庵下.高尾の里から三頭山へと都県界尾根から市界尾根周辺へ 秋川盆堀川左岸・・戸倉地区・・秋川流域周辺概念図 2014年03月. 残雪を求め和田bsから草木尾根を経て醍醐丸―吊尾根から市道山を経て臼杵山グミ尾根・・荷田子bs 2016年11月. 沢戸橋bsから盆堀川流域と石津窪山大萱尾根をピストン―再び林道を辿り.入山尾根610m圏コブから美山採石所=美山町bs 2016年12月. ニニク沢林道起点⇔冥加沢右岸尾根から通り尾根―オリゾクナイ沢右岸尾根から弾左衛門ノ峰南尾根・・関場から周回 2021年12月. 篠八窪尾根から日陰本田山―石立ノ頭南尾根から採石場跡にでて刈寄山に立ち.舟子尾根・古愛宕山北東尾根を経て今熊コース 2026年02月. 恩方アルプス.高留沢ノ頭⇔展望台. 恩方山.盆前山から力石峠―興慶寺山.天神山.小津峠.先の鞍部で下山。⇔伐採地―千手山前と恩方中学校bs 北浅川右俣.醍醐沢左岸・・峰見通り.醍醐道と熊野神社古道・・醍醐道と熊野古道概念図 2016年12月. 関場bsから醍醐路.林道を散索し.冥加沢右岸尾根から通り尾根―オリゾクナイ沢右岸尾根を詰め.弾左衛門ノ峰南尾根を下り周回 2019年09月. 払沢ノ峰北東尾根を詰め出野沢左岸尾根―檜原街道から嫁取坂を経て旧醍醐峠え.古道を綴りニニク沢林道から醍醐の集落へ・・関場bs 北浅川中流左岸・・陣馬街道北側の山々と採石場 2026年02月. 恩方アルプス.高留沢ノ頭⇔展望台. 恩方山.盆前山から力石峠―興慶寺山.天神山.小津峠.先の鞍部で下山。⇔伐採地―千手山前と恩方中学校bs 2026年03月. 下社.今熊山から独標.遠野谷戸山を越え石灰工採石所からイチッ石山北尾根―入山尾根.向山.390mP.370mP3.琴平神社から美山トンネル.川原宿大橋 北浅川左俣.案下川左岸・・中谷山尾根 2021年02月. 中谷山尾根尾根から78号鉄塔.堂所.要倉山.要倉峠.御堂窪山.高茶山―本宮跡.南東尾根から510m東尾根の熊野神社・・下川井野bs 2021年03月. 椚沢林道から高茶山北東尾根を下り.三ノ沢・醍醐林道にでて.漆ケ谷ノ頭南東尾根を詰めて.吊尾根から小坂志林道を笹平bsへ・・林道の崩壊 2021年04月. 椚沢林道から椚ノ沢にでて本郷山北西尾根を下り三ノ沢左岸道―二俣中間尾根から再び中谷山尾根.メシモリ岩山南東尾根を下る・・陣馬高原下bs 2021年09月. 下案下から椚沢林道を横切り峠越をし醍醐道.要倉―真峯嶺峠の北尾根を詰め熊野神社参詣古道と堂所510m圏・鉄塔巡視路を下る・・関場bs 2024年02月. 陣馬高原下から南郷林道を抜け南郷山北東尾根にでて陣馬山―中谷山尾根のメリモリ岩山.本宮山を越え.650m圏北支尾根から醍醐林道・・夕焼小焼 2025年09月. 2025年09月. 椚沢橋bsから高茶山東尾根..高尾陣馬縦走路.明王峠南尾根.吉野矢ノ音南尾根から甲州古道.与瀬神社・・jr相模湖 西浅川小仏川左岸・・北高尾山稜 2021年03月. 川井野から便楼左岸・鞍骨沢左岸尾根から関場峠―74号鉄塔から小下沢・逆沢林道を経て逆沢ノ頭から景信山東尾根.木下沢梅園・・崩落の林道 2021年05月. jr相模湖から底沢.69号鉄塔尾根と堂所山―鞍骨沢中間尾根から鞍骨沢ノ滝.下案下に下り.案下道から再び鞍骨沢左岸尾根を下る・・川井野bs 2023年02月. 陣馬高原下bsから明王・七久保林道と七ッ窪ノ頭北東尾根―富士小屋山オキナツルシ沢左岸尾根から堂所山西尾根.680m圏鞍桜沢左岸尾根.沢井野bs 2024年04月. 下川井野bsから三本松山北尾根.77・73号鉄塔.北高尾山稜南側経路.狐塚峠〜富士見台.分岐コブ西尾根から矢倉沢.木下沢林道.日影bs 2024年11月. 摺差bsから経路を綴る。北高尾山稜.南ドッケ南尾根.逆沢ノ頭東尾根.景信山南東.南.西経路.ヤゴ沢ノ頭西尾根.68号鉄塔西尾根.坂沢林道.jr相模湖駅 西浅川小仏川の小下沢・・景信山東尾根 2022年03月. 北高尾山稜.茗荷沢左岸尾根から小下沢を下り返し大久保山北尾根から景信山東尾根に回り込み・ヤゴ沢本流を下降 2024年04月. 下川井野bsから三本松山北尾根.77・73号鉄塔.北高尾山稜南側経路.狐塚峠〜富士見台.分岐コブ西尾根から矢倉沢.木下沢林道.日影bs 西浅川小仏川源流のヤゴ沢流域 2022年01月. ヤゴ沢右岸尾根から小仏城山北東尾根を下り.小仏川.高尾梅郷歩道から東高尾山稜.金毘羅山を越えjr高尾・・伊能忠敬の道 2022年02月. ヤゴ沢左岸尾根・逆沢ノ頭東面作業道・逆沢林680m圏北尾根・明王峠南西作業道―吉野矢ノ音から貝沢川・与瀬神社を経てjr相模湖 2022年03月. 北高尾山稜.茗荷沢左岸尾根から小下沢を下り返し大久保山北尾根から景信山東尾根に回り込み・ヤゴ沢本流を下降 2026年01月. 小仏峠から西側水平経路とヤゴ沢ノ頭西尾根の十字で砥石沢右俣を下り.左俣を上り.水平経路から中俣を下って林道起点からR20号線.底沢jr相模湖 小仏峠渡り 2014年02月. 「平成26年豪雪」とカンジキの世界・・小仏峠から小仏城山南尾根を経て.南高尾山稜の草戸山東尾根と大地沢青少年センター 2019年01月. 小仏bsから景信山水平古道を経て白沢峠―明王峠を経て奥高尾へ。矢ノ音・イタドリ沢ノ頭を越え奈良本林道と吉野.jr藤野 2022年08月. 城山北側の北東尾根(宝珠寺尾根)から城山北側の作業道を抜け.小仏峠から景信山の西側経路を直進し.鉄塔尾根から小下沢林道を歩む 1988年05月. 京王高尾ケーブルから高尾山を越え城山西尾根を経て.65号鉄塔から東海自然歩道をjr相模湖へ・・妻と末っ子と私 三頭山〜高尾山・陣馬山周辺と醍醐・戸倉 高尾山〜三頭山・・西浅川.小仏川〜南浅川.案内川流域. 三頭山笹尾根 三頭山笹尾根下半 奥多摩.陣馬山域 西浅川小仏川南岸と案内川西岸・・高尾山.陣馬山〜醍醐・倉戸〜高尾山付近・・絵図・古地図 奥・北・東高尾概念図 小仏川右俣ヤゴ沢流域 1956年頃. 義兄弟と登る高尾山 1984年04月. 初めて子供達と小雨舞うピクニック・・京王高尾.ケーブルから森と水コースを周回・・親子で 1988年05月. 京王高尾ケーブルから高尾山を越え城山西尾根を経て.65号鉄塔から東海自然歩道をjr相模湖へ・・妻と末っ子と 2006年02月. 朝のコーヒーを飲みに妻と早春の高尾山・・ケーブルから稲荷山尾根を下る・・蕎麦とマイカーPは薬王院有喜寺 2008年02月. 高尾山稲荷山尾根から雪残る陣馬山―鶏冠尾根から生籐山三国峠を経て甘草水分岐を下り井戸の集落・・笹尾根縦走1 2022年04月. 宮ノ台bsから雷岩山南尾根・大平・高尾林道・高尾山北尾根・日影沢・蛇滝林道・北側径路・金毘羅台北尾根・旧登山道より落合.jr高尾 2023年01月. jr高尾から落合むかし道.比羅台尾根.蛇道.蛇滝コース.大晴台東尾根.高尾山.逆沢作業道.日影林道.旧道.高速道側道.旧道.jr高尾 2023年06月. 高尾天満宮から蛇滝林道と千代田御荷尾根.萩原作業道からF沢を経て.城山西尾根から66号鉄塔尾根と北西尾根を下り再び東海自然歩道へ 2023年08月. 日影.カツラ林遊歩道から日影沢林道の三本杉―蛇滝林道の終点から金毘羅台北尾根の下部の右又支尾根を選び.「きらぼしの森」 2024年11月. 摺差から北高尾山稜の高ドッケ南尾根.逆沢ノ頭東尾根から西側径路.景信山南東.南経路を経て.西側水平径路から69号鉄塔西尾根・・径路を繋ぐ 2025年08月. 小仏bsから日影乗鞍北尾根.南尾根.NTTゲートから白沢右俣に難渋戻り.逆沢作業道から高尾山北東尾根を末端まで下り.小仏川遊歩道.jr高尾 案内川東岸・・東高尾山稜 2024年07月. 法政大バスターミナルから穴沢右岸尾根. 城山湖を西側に回り込み榎窪山.草戸山.拓大分岐.更に南高尾山稜に入り.四辻から京王高尾山口駅 2024年12月. 法政大から小松トレイルと龍籠山金比羅宮.航空神社―城山湖.本沢ダムから境川源流と初沢川を下り.金比羅尾根コルから西浅川.両界橋.jr高尾 南浅川案内川南岸・・南高尾山稜 2014年02月. 積雪1mの豪雪.小仏bsから小仏峠から小仏城山を越え大垂水峠―南高尾山稜から草戸東尾根.大戸h=jr高尾・・カンジキの世界 2022年12月. 大垂水bsから大垂水林道・中沢川左岸尾根・南高尾山稜・榎窪川左岸尾根・地蔵分岐から東高尾山稜・拓大尾根から初沢・浅川.jr高尾 2022年01月. 裏高尾から東高尾・・小仏川の源頭を越え―小仏川右岸尾根から小仏川の河原へと繋ぎ初沢へから金毘羅山・・jr高尾駅 2024年08月. 大垂水bsから分岐線4号鉄塔.終点から北側の410m圏コブから東尾根を下り.貴布施橋にでる。路地から里道.国道へ.高尾山口駅 2025年03月. 旧大垂水林道から大垂水林道を経て大平林道を登り返し一丁平。城山北東尾根446m点コブ北東尾根を下り.日影キャンプ場から旧街道の西浅川 相模川・・.津久井湖北岸の三井 2024年10月. 再び高尾山口駅から入沢川北東尾根.南高尾山稜裏側の三井水源林を周回・泰光寺山南東尾根から三井にでて沖ノ薬師・・城山高校 2025年02月. 法政bsから穴沢左岸尾根から根.西沢峠南尾根.三井中段.下段歩道.廃林道.中沢山南西尾根から中沢林道.南浅川.国道20号線から京王高尾山口駅 相模川・・小仏城山 1988年05月. 京王高尾ケーブルから高尾山を越え城山西尾根を経て.65号鉄塔から東海自然歩道をjr相模湖へ・・妻と末っ子と 2008年02月. 京王高尾山口から稲荷山尾根から雪残る陣馬山―鶏冠尾根から生籐山三国峠を経て甘草水分岐を下り井戸の集落・・笹尾根縦走1 2014年02月. 「平成26年豪雪」とカンジキの世界・・小仏峠から小仏城山を経て.南高尾山稜の草戸山東尾根と大地沢青少年センター 2022年08月. 小仏山北東尾根(宝珠寺尾根)から城山北側の作業道を抜け.小仏峠から景信山の西側経路を直進し.鉄塔尾根から小下沢林道を歩む 2023年06月. 高尾天満宮から蛇滝林道と千代田御荷尾根.萩原作業道からF沢を経て.城山西尾根から66号鉄塔尾根と北西尾根を下り再び東海自然歩道へ 2024年11月. 摺差から北高尾山稜の高ドッケ南尾根.逆沢ノ頭東尾根から西側径路.景信山南東.南経路を経て.西側水平径路から69号鉄塔西尾根・・径路を繋ぐ 2026年01月. 景信山西側経路から白沢川砥石沢流域の右俣.左俣.中俣と3本の支尾根を登降し.甲州街道.底沢に下りjr相模湖. 孫山と矢ノ音・・相模湖北岸の奥高尾の山並 2019年01月. 小仏bsから景信山水平古道を経て白沢峠―明王峠を経て奥高尾へ。矢ノ音・イタドリ沢ノ頭を越え奈良本林道と吉野・・jr藤野 2020年10月. jr相模湖から小原宿を経て孫山東尾根から矢ノ音.イタドリ沢ノ頭へ。竹ノ沢右岸尾根を下り.中里の大日野原から小渕丘陵を越えjr藤野 2022年02月. ヤゴ沢左岸尾根・逆沢ノ頭東面作業道・逆沢林680m圏北尾根・明王峠南西作業道―吉野矢ノ音から貝沢川・与瀬神社を経てjr相模湖 2024年01月. jr相模湖から周回. 大明神山を越え栃谷坂沢.白沢.第一林道で砥石沢から小仏峠を挟む.68号.67号鉄塔へと繋ぎ.小原の郷から弁天橋.相模ダム 2025年09月. 椚沢橋bsから高茶山東尾根..高尾陣馬縦走路.明王峠南尾根.吉野矢ノ音南尾根から甲州古道.与瀬神社・・jr相模湖 都県境界尾根・・陣馬山 1985年04月. 京王八王子駅から高原下bs.和田峠から陣馬山―底沢峠と山王山奥ノ沢左俣の右岸尾根を下り坂沢林道.「美女谷温泉」・・国鉄相模湖・子供達と 1987年05月. 高原下bsから陣馬高原.奈良子尾根から栃谷坂沢林道.陣渓園・・落合bs=jr藤野.家族全員・4/1.国鉄分割民営化によりjr東日本旅客鉄道 2008年02月. 京王高尾山口から稲荷山尾根と雪残る陣馬山―鶏冠尾根から生籐山三国峠を経て甘草水分岐を下り井戸の集落・・笹尾根縦走1 2024年02月. jr高尾駅北口=陣馬高原下bsから案下川と左俣のキサツルシ沢流域を含めた奥高尾縦走路北面の4つの小尾根を8の字に綴る 2025年02月. 陣馬山原下bs.富士小屋山北尾根から陣馬山一ノ尾尾根590m圏北尾根を下り裏甲州街道.倉子峠.矢沢峠から鷹取山北尾根と藤野台からjr上野原 鶏冠尾根 2008年02月. 京王高尾山口から稲荷山尾根と雪残る陣馬山―鶏冠尾根から生籐山三国峠を経て甘草水分岐を下り井戸の集落・・笹尾根縦走1 2012年08月. 鎌沢入口bsから鎌川尾根を経て連行峰―連行峰万六尾根から万六ノ頭北東尾根・・檜原街道笹平bs 2014年03月. 和田から草木尾根を越え醍醐丸―残雪に覆われた市道山.臼杵山グミ尾根から荷田子峠・・初めての戸倉山地・・秋川流域周辺概念図 熊倉山と生籐山 2008年02月. 京王高尾山口から稲荷山尾根から雪残る陣馬山―鶏冠尾根から生籐山三国峠を経て甘草水分岐を下り井戸の集落・・笹尾根縦走1 2008年04月. 南橋から948m点尾根を経て上平峠―三国山字幅尾根から佐野川峠を経て上岩林道.石楯尾神社bs・・三頭山笹尾根2 2008年04月. 笹尾根を繋ぎ踏破. 南集落から笹尾根上平峠―三国山字幅尾根―佐野川峠から石楯尾神社bs・・三頭山笹尾根3 ・・熊倉山南西尾根(含東面写真)と三国山南面略図 jr藤野駅北面の絵地図 ・・2008年04月の笹尾根踏破まではs36年7月30日発行の1/5万地図「上野原」を使用.以後.各1/2.5万地図に変更する 熊倉山の北面 2016年08月. 熊倉沢右俣の陸軍滝.トヤド沢出合を経て.広河原沢の源頭.千ケ尾沢右岸尾根から笹尾根軍刀利山長尾尾根を下降・・南郷bsから周回 2023年03月. 林道終点から熊倉沢右俣から千ケ尾沢左岸尾根―大ツイジ.栗坂ノ尾根から芦沢山を経て下伏.八幡神社から間道.旧道を経て新井bs 2023年08月. 終点から熊倉沢左俣右沢から熊倉山北尾根―大ツイジ.鶏冠尾根を通し高岩山東尾根からメシモリ岩山南東尾根を下り陣馬高原下bs 2024年05月. 南郷bs―熊倉沢―陸軍滝―千ケ尾沢右岸尾根―850m尾根―小棡峠南尾根―日武連山―西原古道―威王院―沢渡―寺尾H=.―新井bs 裏高尾陣馬山・・高尾山から続く近郊の笹尾根 |
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子供達と陣馬高原 |
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| 和田峠から陣馬山に立ち.裏山を越えて底沢峠から美女谷温泉に下り入浴.相模湖にでる s60年(1985年)04月28日. 私.真佐子9歳.隆史.博史8歳 陣馬山 陣馬山は秩父山地の東縁に位置し.広く平坦な頂のため陣馬高原と呼ばれ.八王子市と相模原市緑区との境界線にある標高854.8mの山。 三等三角点標石があり.基準点名は「陣馬峰」. 従来は「陣場山」の字が使われている。北条氏の滝山城を攻めた武田氏が陣を張った「陣場」説。 カヤ刈場であったことから「茅場」から音が変化した説。馬の陣を張ったことから「陣馬」の文字が使われた説等がある。 明王峠への陣馬高尾縦走路の幅広い山径曇一時薄日. 陣馬山―底沢峠―美女谷温泉―相模湖 三筋6:00=国鉄新宿¥490=京王八王子bs.京王バス(多摩バス)¥560=陣馬高原下bs. 陣馬高原下bs一和田峠9:30一11:00陣馬山12:30一明王峠一底沢峠一山王山(やまのうやま)奥ノ沢左俣の右岸尾根一坂沢林道.日陰橋 一14:00美女谷温泉15:30一底沢一甲州街道中板橋一相模湖駅16:43\1000=高尾=立川=御徒町一19:00三筋. 美女谷温泉 2階の部屋で寛ぐ 泉質は炭酸水素塩泉陣馬山から底沢へ 朝方.新宿駅で昼食の予約を美女谷温泉に入れ.息揚々と出掛ける。 陣馬山から明王峠を越え.底沢峠から南東の尾根を下るとハイカーも疎らになる。否や.私達以外いなかった。 緩やかな下りの歩き易い径.ほど良く湿った小径に子供等はしゃいでいる。 道標を見て南側の枝尾根に分かれ急斜面を下ると西入沢沿いの栃谷坂沢林道に下りられた。 里への径 柔らかな陽差しに新緑の色彩が冴え.下る程に谷間が開け更に明るくなってきた。 急な取付き地点を下ると狭い谷間に里道が延びていた。水溜りにオタマジャクシがうじょうじょいた。 瀬々らぎの音が聞こえ尾根から谷間に下るに従い.里道らしくなり.山道は砂利径から狭い簡易舗装された路にでる。 そして車道にでた。開墾された狭い台地に緑に染まる畑が開け.雑木林の中を綴る道は集落へと続いていた。 駆け足で下った足元も自然に歩調を緩め.周りを見るようなり,里道を親子で軽やかに歩む。 そして中央高速道を見下ろし見え出すと目指す一軒宿.「美女谷温泉」が山間にひっそりただずみ現れた。 美女谷温泉 木造2階建てだが階段を幾つか.越え越え奥の部屋に通される。 一つ山場を終えた喜びに.子供ははしゃぎ.小さな幾つもの部屋を廊下をと探検しだす。 なめらかな湯で湯殿の雰囲気がが良い。総檜で古い木の温もりが伝わってくる。 高い天井に窓を開ければ.沢を隔てた山肌が新緑の壁となり.春の水々さと香りを伝えてくる。 隆史.博史が窓越えに顔をだし.女湯の真佐子と話し出している。私は湯殿に浸かり子供の会話を楽しむ。重曹泉5℃.加熱. 子供料理でよいと云う宿の薦め通り.頼んでおいた料理は贅沢だった。 手を抜かぬ料理が子供達の前に並ぶ。テーブル一杯に並ぶ皿の数だけでも多い。 実際.大人との差は鹿の刺身のみだった。程よく飲み.程良く食べ食事を愉しむ。 ラッシュ 満足けに意気揚々と相模湖に甲州街道.R20号線を下るがjr相模湖駅からの列車はきつかった。 夕方の時間帯が悪い上.連休で上り列車はラッシュ並になる。 多分子供達も初めての経験だったと思う。息苦しく浅草酉の市のようだった。狭い車内と云う箱の中にとじ込まれていた。 高尾駅で臨時快速に乗り返るも.一駅でも甚疲れた。・・風呂.食事.奉仕料込み\12.300.04268一4一2010. 陣馬山の山頂に立つ「白馬」は宣伝用に昭和44年に京王電鉄の寄贈でできたもの。 入山は案下川→北淺川→多摩川.下山は底川→相模川。 底沢峠から美女谷温泉 底沢峠.南脇の赤岩山721mから奥ノ沢の左俣の右岸尾根を下り.白沢第二林道の終点にでる。 右後方から赤倉沢林道を合わせ.白沢の左岸沿いに入り底沢浄水所を過ぎ.左岸支流の砥石沢に架かる日陰橋手前で白沢第一林道と合わせている。 直ぐ白沢橋で右岸に渡り.玉簾橋(たますだれ)で戻り返すと左の台地に美女谷温泉を見る。小さな道標のあった山径. 底沢と上案下とを結んでいる為案下峠とも呼ばれている。美女谷温泉からは白沢沿いに下り.中央高速道を潜って.中央東線沿いに底沢川を下る。 そして大垂水峠から下ってきた甲州街道.底沢バス停にでて.相模湖北側のjr相模湖にでる。・・2016年02月に記入 陣馬山.高尾山Top 春の陣馬高原U・・陣馬高原下から板谷川.鉱泉宿へ |
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奈良子尾根を下り栃谷川へ |
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| 家族で春の高原を散策する。国鉄よりJRの分割民営化・・jr東日本 s62年(1987年)05月04日高曇. 家族全員 三筋6:13一6:30jr御徒町=6:59新宿=8:00京王八王子bs:29=9:22陣馬高原下bs 陣馬高原下bs一11:15陣馬山.昼食ラーメン12:25一奈良子峠から奈良子尾根一栃谷坂沢林道一13:50板谷川.陣渓園16:10 一落合(陣馬登山口)bs16:40神奈中バス(津久井神奈交バス)=jr藤野17:33.臨時快速=神田=御徒町一19:05竹町. 俊雄.陣渓園まで19350歩. 今回は家族全員での行動. 京王八王子にでて.路線バスで陣馬高原下まで入り.陣馬高原へピクニックに出向く。 晩春の高原は陽射しが踊り清々しく又暑い。草原では元気に走り回る子供達とシートを広げての食事。 下山は奈良子峠から奈良子尾根を下り陣馬登山口バス停に至るコースを選ぶ。 急傾斜だが短い奈良子尾根を下り.栃谷底沢林道を一度横切って.栃谷川(吉野沢)沿いに降ると陣馬の湯「陣渓園」にでる。 日帰り風呂に入浴し寛いだ後.落合バス停からjr藤野にでている。 春うららかな陽差しと陣馬高原富士山を始め丹沢.秩父.奥多摩.相模湖を一望する 栃谷坂沢林道 奈良子尾根から板谷川沿いに下山板谷川→沢井川→相模湖 奈良子峠 奈良子峠は藤野の落合から八王子へでる古い峠路。峠の由来は藤野町教育委員会「ふじ之町の古道」によると栃谷川と吉野沢の間の尾根道に 大きな楢の木があり.通行でよく休む場所でもあり.楢の大木から名付けられたと説くものもある。 又奈良子とは大和の奈良.吉野に由来しているとも考えられていた。 奈良子峠の西の小コブには「馬牛」を頭に入れた「観世音菩薩」の石塔があり.観音とは衆生の苦難を救うため.さまざまな姿で出現する仏。 「馬牛」の表示は家畜にも及んでいる。 そのなかに馬頭観音の石塔が立てられていた。峠道に倒れていた古い案内には「明治から大正にかけて.栃谷の人たちは馬に炭俵を背負わせ. 栃谷の集落から奈良子峠を越えて八王子まで.奈良子峠を越え八王子に運んだ」と云うことが書かれていた。 「陣渓園」にて陣馬の湯 陣馬の麓.沢井川左岸の支流の栃谷川右岸の渓流畔に「陣馬の湯」と呼ばれ.「陣谷温泉」.「陣渓園」.「姫谷」と3つのアルカリ性単純泉の宿。 泉質は無色透明.無味無臭で全く癖のない冷鉱泉。沸かし湯. 子供のひとこと 真佐子. けむかった。(砂) 隆史. 下りのときがたのしかった。 博史. 上りが少しきつかった。 俊雄. たのしかった。 jr東日本 日本国有鉄道(国鉄)の財政破綻は1987年04月01日.JRとしてして6つの地域別の旅客鉄道会社 (JR東日本.JR東海.JR西日本.JR北海道.JR四国.JR九州)と1つの貨物鉄道会社(JR貨物)に分割.民営化された。 陣馬山高原下=八王子間.多摩バス路線は廃止。2006年09月01日に陣馬高原下=高尾駅北口間が新設される。 陣馬山,高尾山Top 三頭山笹尾根を繋ぐ・・三頭山笹尾根.上半・下半地形図 多摩川秋川南秋川と相模川鶴川の分水嶺を成す.三頭山から延びる長大な尾根・・末端は高尾山 奥多摩三頭山笹尾根の幾つもの由緒ある峠を訪れる 三頭山笹尾根 2008年02月. 笹尾根T.京王高尾山駅―(高尾山―陣馬山―醍醐丸―三国峠)―軍刀利神社奥ノ院.社務所―井戸bs 2008年03月. 笹尾根U.桧原都民の森bs―(三頭山―上平峠)―笹ケ峠ノ峰―大羽根山東尾根―森沢林道―桧原街道,笛吹―出畑先 2008年04月. 笹尾根V.温泉センター前bs⇔南集落.―948m点尾根―(上平峠―熊倉山―三国峠)―佐野川峠―石楯尾神社前bs 2016年02月. 数馬bsから都民の森.三頭ノ大滝.ムシカリ峠を経て三頭山笹尾根―槇寄山から西原峠を経て南面の里,郷原・・阿寺沢入口bs 2018年09月. ハチザス沢と三頭沢との中間尾根から日陰三頭ノ沢を横断―大沢山東尾根を越え三頭山玉川を下降・・峰谷橋bs 笹尾根を縦断・・陣馬山・高尾山周辺 2011年02月. 新玉川橋bsから入小沢ノ峰シンナシ尾根,糖指尾根―三頭山牛飼尾根・・長作から街道を阿寺沢入口bsへ 2011年02月. 井戸bsから熊倉山南西尾根(省武連指尾根)―雪残るトヤド浅間北東尾根・・京岳bs 2012年08月. 藤野佐野川bsから鎌沢尾根―鶏冠尾根.連行峰からは万六ノ頭南東尾根・・笹平bs 2014年02月. 豪雪の旧甲州街道・・小仏bsから小仏峠を経て城山―大垂水峠から南高尾山稜,大戸・・町田街道=jr高尾 2014年03月. 和田bsから草木尾根―鶏冠尾根.醍醐丸を越え臼杵山グミ尾根.荷田子峠・・荷田子bs 2016年09月. 数馬bsからハチザス沢と三頭沢との中間尾根.石原小屋窪右岸尾根―ハチザス沢ノ頭から大沢山大茅尾根を直接.飯尾に下る 2019年12月. 森沢橋bsから森沢700m圏出合右岸尾根・丸山南尾根・西原古道・アッチ沢右岸尾根・南沢中間尾根・数馬のノ湯bs・・日没と競争 2020年01月. 鶴川.久野本bsから丸山を経て土俵岳南尾根―北尾根から大伐採地と南秋川を渡渉し人里bs・・古道.廃破線路.丹田沢林道 三頭山笹尾根T・・高尾山稲荷尾根〜三国峠 三頭山笹尾根U・・三頭山〜笹ヶタワ峰と上平峠(数馬峠) 三頭山笹尾根V・・上平峠〜三国峠 高尾山から陣馬高尾縦走路から武甲国境尾根を三頭山の頂まで2回の日帰りに分けて繋ぎ.地形.概念を掴む予定でいた。 稲荷山尾根から詰めていたが.醍醐峠辺りで.不幸の連絡を妻から受け下山する。一日で繋ぐのは無理だった。2回に分けるもトラブル続き. それが却って地形を掴むのに助はかっていた。迷いもあれば藪絡みもあり.猟師に農夫.作業員にも出会い.本では得られぬ情報を得てもいた。 最初は高尾山を末端として陣馬山から春雪覆う三国峠へ 京王高尾駅から稲荷山尾根を経て.春雪残る陣馬山・生籐山―三国山字福尾根から甘草水分岐を経て黒田川へ下り井戸地区 2008年02月29日.単独・・スイカ発初使用 笹尾根 三頭山笹尾根は昨年の4月に奥多摩御前山を目指した折に.山と高原2008「高尾・陣馬」を購入する。 この地図の斜め下に延々と綴られている笹尾根に目が奪われ.気に掛けていた尾根の1つだった。 そして昨年11月に.池田先輩の高水三山.下見山行に同行した折.田中先輩から高尾山から陣馬山まで歩き.心地よかったと勧められている。 それではとコースを練り.2度の日帰り山行で三頭山笹尾根を縦走する企画を立てている。 高尾山から浅間峠まで歩き.三頭山笹尾根を2分割で詰める積りでいた。それがタイミングの悪さと選定ミスが重なり.3度目の山行で繋ぐ形になった。 登行時間9時間半.日原峠に立つには17時を少し過ぎる。最終バスとの絡みで.桧原村側は無理かも。地形的な感覚と時間はまだ掴めていなかった。 北相模境川か.鶴川へ抜けることにし.道中どれくらい時間を縮められるか.その場で下山路を決めることにした。 快晴.無風霞強し.低山の冬枯れの裏高尾を歩みたく.1人陣馬の尾根道に出向く。 春の兆しは低気圧の移動と共に6日周期の天気図では.26日は再び低気圧が連なり.夜半は強い北風に襲われていた。 27日東京は西高東低の強い冬型に変わり快晴風強し. 28日も春の北風に強調され.翌日は冬型が崩れ.関東は高気圧に覆われた。 春の暖い陽差しに恵まれる。ただ低気圧の前線が連なり.霞みは強し。 東高尾山稜 稲荷山尾根より案内川を隔て.7:15案内川対岸の向かいの丘は四辻.金毘羅尾根と東高尾山稜が並ぶ. 笹尾根慨要 奥多摩の三頭山に発し遠く陣馬山・高尾山と結ぶ甲武相国境尾根から三国山を越え.城山で笹尾根と南高尾山稜とを分けている。 笹尾根の名は以前.宣伝用に作られた言葉らしく.起源は昭和30年以降.それ以前は「オサエ尾根」と呼ばれていた。 戦国時代には武田氏と北条氏との領地の境界線にあたり.「抑え」として地勢的に重要な尾根を担っていた。 又桧原の浅間尾根は小河内と五日市とを結ぶ交易の為の「歩くための尾根道」だったが.この甲州.武州を分けるカヤトの尾根は歴史的には 「越えるための尾根」になっている。そのため笹尾根上の各々浅い鞍部にも幾つもの峠路が作られ結ばれていた。 笹尾根上部は武蔵.相模.甲斐との国境境界線上にあり.地形的には北側の多摩川水系南秋川と南の相模川水系の鶴川との分水嶺を成している。 又陣馬山あたりから尾根筋が幾つも膨らみを持ち.末端の高尾山からは八王子の丘陵へと抜けていた。浅川流域. 笹尾根の「笹」は笹やカヤトが多いことに由来するのだろうか。 熊笹の繁殖は獣の食害と都心から近いせいもあり.近年通う人が多く.上半分を除くと衰退の兆しは禁じえない状況になっている。 特に私が通ったこの時期は2月とはいえ.笹の根付きは薄過ぎていた。それとも周期的な衰退期を向かえているのだろうか? 地形図は猪丸・上野原・与瀬・五日市 高尾山X〜陣馬山V jr御徒町4:36=神田4:41=4:58京王新宿.新線¥370. 5:20=6:33高尾山口一7:15稲荷山:25一7:40六号分岐 一7:50高尾山8:00一8:45小仏城山:55一小仏峠一9:40景信山:50一10:45底沢峠一11:00奈良子峠一11:30陣馬山12:00. 先々週登った雲取山は奥多摩駅始発の路線バスに合わせ.自宅をでている。そして中野あたりの車内で夜明けを迎えていた。 それから2週間ほど経ち.今回は府中付近で東空をピンクに赤らめ白みだし.八王子市付近で日の出を迎えている。暖かい陽差しと紺碧の天空. 雲1つなく北風も治まり.暖かさが霞み多き山旅をもたらしていた。 稲荷山尾根 幅広い山道の稲荷山尾根より振り返る.6:49左前方下がエコーリストの山麓駅と高尾登山電鉄のケーブルカー.清滝駅があり.その駅前から入山している。そして4差路を繰り返し高尾山の頂にでていた。 高尾山ロープエェー駅舎前には2日前の残り雪が集められ積っている。その横が登山口とアプローチは京王高尾山口駅からは近い。 沢筋コースは積雪が凍り付いていると思い.稲荷山コースを選んでいる。一昨年同じ頃妻と頂でお茶をと登り.下った尾根径。尾根幅の広いコースを歩む。 前回と天候は少し異なり.歩めば蒸す暑さ.風も途切れていた。一汗掻くと背の案内川沿いに連なる東高尾山稜は早くも競り上がりを見せている。 そして八王子市内の町並みが見下ろされた。まだ朝7時であるにも拘らず霞みは濃さを増している。 左手には北山稜から連なる南高尾山稜の山波が樹間を透し真近に迫り望まれる展望台に立つ。 4つの保護石に囲まれた二等三角点標石は基板ごと切り落とされ.山頂中央に置くような形で立てられていた。基準点は「高尾山」599.15m. 又薬王院から高尾山に向かう登山道の脇には二等三角点石標599.15m.基準点「高尾山」と料局三角点.573mがある。 相模原市・・相模川南岸より連なる山並 ![]() 高尾山頂の南側.大見台園地より南方面.7:55 南〜南西方面全景・・背は丹沢山塊.間が津久井湖と相模湖に挟まれた相模川南岸の低山群. 仙洞寺山から石老山に至る。手前は相模川北岸に当たる南高尾山稜の中沢山。 稲荷山で1本取り高尾山に立つ。既に霞み始めている丹沢山塊.そして背後には一段高く秀麗たる富士が雪白く煌きを見せている。 南高尾山稜と石老山稜. 相州大山とヤビツ峠の窪み.右に登り丹沢山.蛭ヶ岳の主稜からは姫次へ下り.大きく抉れて檜洞丸と大室山。 そして富嶽. 左上は大山に重なる三峰山と鍋嵐。 今年11月から30年振り丹沢山塊を再び登りだす。丹沢主脈,主稜.甲相尾根に続き.12月に甲相と三国山稜. 年が明け東丹沢.大山周辺山域へ。 この1年で今まで踏み込むこともなかったパノラマ写真を端から端まで歩めるいうなった。 丹沢山塊と道志山地・・綴られたヤビツ峠.丹沢山塊Top 右景アップ.手前は石老山の山並.7:56大室山.加入道山.鳥ノ胸山・・御牧戸山.赤鞍ケ岳.朝日山 富士山の右麓の頭は御正体山. 道志山稜を越した真下が阿夫利山. 丹沢山脈・・丹沢三峰〜袖平山 中景アップ.南高尾山稜高取山〜蛭ケ岳 左景アップ.右端は石老山南高尾山稜の後.中央が仙洞寺山.左上が権現平展望台.その奥が相州大山. 仙洞寺山の奥が二ノ塔.三ノ塔. 右に中央の小コブが新大日. 更に右に本間ノ頭.太礼ノ頭.丹沢山.離れて蛭丹2.蛭丹1.蛭ケ岳 仙洞寺山の右隣り一コブ越して515m峰と茨菰山. 手前の南高尾山稜は焼山の手前が大洞山.仙洞寺山の手前中沢山.仏果山の手前が秦光寺山になる。 振り返る高尾山 裏高尾.一丁平付近より高尾山599mの右(南)端は今朝入山した稲荷山コース。右奥が南高尾山稜. 小仏城山570.3mから裏高尾山稜を望む。左手に城山北東尾根が延び.中央右手は高尾分岐線9号鉄塔が建ち.jr八王子・大月線からの分線線。 裏高尾山稜・・間の谷間が日陰沢。出合は景信山東尾根末端の小仏川との合流点になる。 右手は休業中の城山茶屋.右奥が無線中継所. 左端に寄ると相模湖が見下ろされている。 ここ城山で奥高尾への武相国境尾根に乗っている。左後方の首都圏自然歩道を下れば国道の大垂水峠を越え南高尾山稜に乗る。 国境尾根の先はは東高尾.城山湖へと綴られている。西側の東海自然歩道を進めば相模湖々畔に下りられる。 小仏城山々頂の茶屋.8:56小仏城山.四等三角点標標石670m.基準点は「小仏城」. キツツキ 25年振りに奥高尾へ。大地は霜柱から雪氷る斜面に迎えられていた。右手前方からキツツキ.コゲラの木穴を掘る澄んだ響きが「トト・・」と聞こえてきた。 残り雪を踏む久し振りの感触にガリガリ踏み潰す足音が高く響き.朝の静けさを破っている。それにしてもコゲラはよくも飽きずに叩き続けている。 余ほど空腹か? 虫が多くいるのか? 過ぎ去り後方に回り込んでも聞こえるのは同じコゲラのようだった。 テレビ所さんの「学校では教えないトコロ」の放映でキツツキの突っつく回数を計算したのを放映していたことがある。 回数は1秒で23回.0.03妙に1回と驚異のスピードが記録として残されていた。枯木の幹にいる虫の幼虫を食べるために。 又頭の保護には反動に対処し.キツツキは舌骨(ぜっこう)と呼ばれる柔らかい骨があり.鼻から頭の後ろをグルッと通し.舌の先まで繋げられている。 周囲の筋肉が縮むと舌骨が伸びて.舌を長く突き出すことが出来き.クッションの役目を担っているようだ。 そういえば「火の鳥」.アオショビンが居たっけ。沖縄表西島に繁殖するクチバシが赤い鳥。 体全体の体重を支えに幹に突っ込むようクチバシで穴を掘り住処にする凄い鳥がいる。世には自分の知らぬ不思議なものが多い。 裏山を抜ける間.キツツキの叩く.否掘る音色だけが妙に響いていた。 景信山727.1m三角点峰 陽射し当る主尾根の樹間から.9:07景信山からの東尾根ば大久保山581m点コブを越え長く延びる尾根で.小下沢と小仏川の合流点.日影に没している。又末端には小下沢梅林がある。 正面の右肩下に南東に延びる尾根は茂みに隠れてをり.バスの終点.小仏に下りている。 写真の真横に延びるのが小仏城山北東尾根は日影乗鞍を越えて.72号.73号鉄塔を通過して.日影林道から小仏線の日影にでる。 麓は高尾山の北側.裏高尾方面になる。 陣馬山への主稜 高尾・陣馬山縦走路の中間部は城山. 景信山.堂所山と並び.多くのハイカーで賑わっている。ここは戦国時代に武田氏と北条氏の二大勢力が この支稜で拮抗し.幾つもの戦略拠点が設けられていた。それぞれの山名もそれに由来しているものが多い。 城山は北条氏の居城である八王子城の出城となり.北条氏の武田軍に対する戦略上の重要拠点にされ.今でも内堀や外堀の遺構跡が残されている。 かっては「富士物見の関」と云う関所が設けられていたが.江戸時代になると小仏峠に移されている。 景信山は八王子城の警備にあたった横地監物景信の名に由来し.戦国時代には北条氏側の烽火台があった。 逆に堂所山には鐘音で情報を知らせるための武田側の鐘撞堂がある。・・「新バレーションハイキング」松浦隆康著 青木小屋 小仏峠手前の茶屋跡.9:11L字の山小屋の間.角を潜る縦走路・・この姿の風景は間を開けず失うことになる。 小仏峠 小仏峠は武田信玄が北条氏と戦った古戦場で.その後笹子峠と共に甲州街道の要衝に。登り口の小仏には口留番所あった。 当初は江戸城と甲府城を結ぶ軍事目的を主眼とし.街道の四谷には鉄砲百人組が配置されている。 江戸中期から流通の道として重要視され.甲府番や八王子千人同心.富士講.お茶壺道中として.江戸100万人の生活を支える動脈に発展。 近世に入り東海道は緩い丘陵を越える大垂水峠に移された。 それまでの旧甲州街道は八王子方面から小仏峠を越え.底沢の南部にでて小原宿に通じている。 jr小仏隧道2.574mは1901年(m34年)08月に官設鉄道により造られた。複線に伴い1964年(s39年)09月に下り専用の新小仏トンネルが開通。 旧隧道はトンネルの断面が小さい為.パンタグラフの折り畳みの高さ制限があり.更に大きな車両の通行には不可のため. 現在は特別の低屋根車で中央本線は編成されている。 青木小屋 2014年2月の「平成26年豪雪」の時は路線バスが小仏まで開通すると同時に.小仏峠から南高尾山稜へとワッパを持参して出掛けている。 その折.峠で茶を勧められた。早朝からの膝のラッセルに気を良くしていたことで.丁寧に断っている。それでは近くで富士山が眺められると案内して頂いた。 樹間から霞みの中に望まれられた狭い空間からは富士. 踏み跡のトレースは店の主人と私以外は0.峠までのトレースも朝方主人が築いたとここと。 それを利用して私が2番目に立っている。 先は私一人がカンジキを付け.トレースを刻むことになる。今日は君に会えて充分だと嬉しい言葉を頂いていた。 後は景信山西側の経路を教えて頂き分かれている。その後は再び出会いことなく山小屋の茶屋は閉ざされた。 陽射しあるも凍る霜柱.9:33景信山.山頂から遠望の高尾山 高尾山々頂も.ここ景信茶屋も開店するもまだハイカーは0.9:41景信山には三等三角点標石717.14mが立ち.基準点も「景信山」. 又標石は何故か赤く塗られていた。 左前方は650m圏コブ.このコブから南東尾根と東尾根を派生させている。 右上が城山北東尾根.日傘屋根辺りが620.9m三角点コブ. 又高尾山を振り返っている。 北高尾山稜下部と右端は景信山東尾根に乗る大久保山 右(北東)のコブは景信山東尾根にある大久保山.9:42景信山は過って北条家臣.桜町景信が築いた武田軍に備えての遠見場。 景信山(影信山.かげのぶやま)南面の遠望はここからは反対側の高尾山. 正面は左方(西面)の堂所山から連なる北高尾山稜下部になる。 景信山の頂東面は杉の植林で被われている。先月伐採が行われたらしい。そのため都心以北の眺望は川崎.三浦半島まで一望できるようなった。 さいたま副都心の先に筑波山も望めると云う。ただこの大展望も移動性高気圧に覆われ.霞が強過ぎ諦めている。 早朝か冬山気象で風が強ければ空気も澄み.素晴らしい眺望が得られた筈である。 景信山北西面 笹尾根696m付近より.9:43景信山の縦走路を越え.696m点コフを過ぎてからの展望。左端が北支尾根に建つ72号.73号鉄塔 潅木の枝越え甲武国境の東脇に建つ送電線新多摩線は更に北上し.醍醐.戸倉からjr武蔵五日市駅近くの新多摩変電所と結ばれている。 その先が奥多摩の山々を見る三頭山より雲取石尾根. 中央が御前山.離れ大岳山.右は馬頭刈山.手前つの字に連なるのが笹尾根。 新多摩線72号鉄塔からは南方に白沢左岸沿いの支尾根を鉄塔群が点々と伝わり.美女谷温泉へ下る巡視路がある。 北方は送電線鉄塔と浅間尾根の間に北高尾山稜が横切り.案下川と共に渡った送電線は市道山から右手端の刈寄山に沿って東麓を北上した。 白沢峠への径.9:58陣馬山を挟み栃谷尾根と和田峠 陣馬山の東面の奈良子峠に続く山道.10:37萩ノ丸.陣馬山.堂所山.連行峰 左下の尾根が栃谷川白左水沢と案下川ナマケ沢を隔てる笹尾根.下り返し陣馬山を詰める。 陣馬山の右肩上が連行峰万六尾根。和田峠の先が醍醐丸から北上する吊尾根.市道山。その上に重なるのが奥多摩大岳山。 又和田峠の北側から高茶山に入り.要倉山を経る中谷山尾根は末端を関場に下りている。ここから眺められるのは陣馬山の肩に乗る権現山。 右手の和田峠上に乗るのは生藤山。これからS状に尾根伝いを綴り生藤山を目指す。 10:41北高尾山稜と刈寄山 堂所山731mより.右上奥が多摩の市町界尾根.11:44手前が案下川と醍醐川に隔てられた要倉山尾根。要倉山の伐採地が大きく望まれる。 醍醐丸の吊尾根から市道山. 峰見通り.上部の臼杵山は市道山の山蔭になっている。市道山峰見通りを右側に綴れば刈寄山にでる。右端. 戸倉の山々・・市道山と臼杵山730m圏コブ(裏が通り尾根) 背は霞む奥多摩.御前山から大岳山の稜.10:45ニニク沢で吊尾根川鞍部が旧醍醐峠 左側が漆ケ谷ノ頭南東尾根。730m圏コブからは冥加沢左岸尾根と西支尾根が醍醐川へ没している。通し尾根を東進すれば栗ノ木沢ノ頭にでる。 和田峠の北側に入り.右方に回り込めば高茶山732mに立つ中谷山尾根。要倉山を経ての尾根末端は北浅川の二俣に没している。 醍醐沢出合と案下川との合流点で関場にでる。手前の谷間は案下川.陣馬街道が通り.左へ遡ると和田峠越えに。 右手の大伐採地は椚沢の椚沢林道(きぬぎさわ)から入り.作業道から主尾根にでいる。 左手は醍醐丸から吊尾根を北上し.市道山と臼杵山へ。市道山手前からは東方に峰見通りの尾根を延ばし入山峠.刈寄山に至る。 底沢峠 底沢.美女谷温泉と上案下を結ぶ十字分岐.10:411985年(s60年)4月に子供達と初めて登った陣馬山。前年度は高尾山,富士山.霧ケ峰を共に子供達と歩んでいる。 はしゃぐ子供達.陣馬高原下から陣馬山を越え.底沢峠から奥ノ沢左俣の右岸尾根の山径を下り美女谷温泉へ。 朝方出掛ける折.新宿駅で子供3人と私の昼食をお願いしている。2階の小部屋に通され檜風呂に入り宿で寛いでからjr相模湖へ抜けた。 明るくなった尾根径.10:58.峠路 小さい峠路が多くなり.又北斜面の残雪を多く踏むようなる。 2人1組となり木こりが枝打ちと間伐を行っていた。電動鋸の騒音が響き渡り,途切れることなく点々としたリズムで聞こえてきた。 杉の森に絡む雑木林.視野はすこぶる悪い。時折木洩れ日が射すも単調な歩行になった。ただ空は次第に拡がりを見せていた。 1987年5月には家族全員で陣馬高原下bsから陣馬山を越え.奈良子峠から奈良子尾根を下り.板谷川の陣渓園に入浴する。 年度が替わった前月4月1日には日本国有鉄道(国鉄)の財政破綻で分割.民営化が進み.jr東日本旅客鉄道が誕生している。 陣馬山(陣場山) 11:35扇山と権現山から雁腹ヶ摺山.小金沢山.大菩薩嶺と離れ三頭山. 生籐山に重なる連行峰.遠く雲取山.御前山.伸びて大岳山と小さく御岳山。 右手前が醍醐丸と重なる市道山・・右端は信玄茶屋で右下のベンチで昼食を摂る。左側の白馬の像裏は清水茶屋. 西面一杯の展望 今倉山より富士, 真下が御正体山.高柄山.上野原町. 右手前が倉岳山. 三ッ峠山と本社.黒岳.本社ヶ丸. 白く赤石岳と悪沢岳 右手前扇山と権現山.その間が滝子山と大蔵高丸. 右奥は黒岳 中央本線沿線は倉岳山.高畑山から右へ延び九鬼山から桂川へ落ちる. 丹沢の山並 富士見茶屋より南面陣馬山 陣馬山854.8mは八王子市と藤野町との都県境界尾根上にあり.近年伐採を増し.頂からの眺望は更に良好になったという。 雪解けのぬかるんだ草原のような頂に立つ。 高尾から歩み,尾根上には幾つもの茶屋を見ているものの何処も閉まり.人影はどの頂でも見られなかった。擦れ違う人もいず。 テーブルのあるベンチに腰を降ろし.結飯を食べる。風はやや肌寒さを感じさせ.防寒具を身に付けた。霞は更に強くなる。 雪被る遠方に望める南アルプスの山並をジッと見詰めていると.過って登った山々を想いだし.山型を比べてはパズルの如く付き合わせている。 以外と見詰めている忘れていた記憶が蘇る。思い浮ぶ山名と繋ぎ合わせると1つの山並が形をなしていた。 一段遠い白い峰は赤石岳と悪沢岳. 煌き輝く白銀の白さだけが岳の大きさを示し望まれた。ここで30分ほど大休止している。 大菩薩連嶺の右手端に三頭山から大岳山への山波が大きく帯状に望まれた。その奥.三頭山の右手には奥秩父連山の金峰.国師岳が霞む。 入学と共にクラブに入部.最初の新人養成合宿がこの金峰山域で行われていた。雪上設営に雪を溶かしてのキャンプ.厳しい山行だった。 御前山の右肩には雲取山石尾根が延び.前回登った七ッ石山,鷹ノ巣山も小さく小粒のような姿を現している。 そして東側の裾野の先には関東平野の広大な大地が開かれ.見え隠れしていた。そのおぼろな地平線が又よい。 陣馬山 陣馬山は「陣場山」とも書く。日本武尊が東征の折.人馬と共に苦難して山越えをしたので「陣馬山」と呼ばれ.又八王子の案下では武田氏が ここを陣地にした事から「陣場山」と云われている。元は武田氏と北条氏が争っていた所で「陣張山」だったとの説もあるようだ。 「陣張山」から「陣場山」に転訛し.最近では「陣馬山」が一般的に呼ばれている。 国土地理院地図では明治43年発行では「陣馬峰」.私の持つ昭和32年発行では「陣場山」.最近は両方を併記し.表示されている。 1950年後半には和田峠から案下街道.陣馬高原下バス停まで.京王八王子駅から路線バスが通っていた。当時は春先に家族で何度かピクニックし. 藤野側の陣谷温泉や美女谷温泉に尋ねてもいた。今は廃線となり.新たにjr高尾駅北口から路線が新設された。 連行山万六尾根は右.北面に派生する 南面に派生する鎌川尾根と草木尾根遠方に望めたのが最終目的の三頭山。左上は権現山稜・・これから和田峠から醍醐丸南尾根を詰め連行山を越え生藤山に至る 和田峠を横断する陣馬街道を横切り.高岩山への山道に入る高岩山の頂から東に延びる尾根を進めば中谷山尾根と繋がれる。案下川と醍醐川を隔てる尾根で.最初の鞍部には醍醐林道が通る。 向かいの山がメシモリ岩山になる。陣馬街道を下れば本宮山熊野神社脇を抜け.陣馬高原下bsにでられる。 更に案下川沿いに下れば醍醐川と合わさり.北浅川の落合にでる。 逆の北面からの陣馬山 南西方面.和田峠を越え高岩山への登りで陣馬山を振り返る.13:25笹尾根.生籐山と三国山 11:30陣馬山12:00一ロス.12:30和田峠一12:55醍醐峠一13:15尾根上に出る一13:35和田への分岐:45 一14:30連行峰(連行山)一14:55生籐山一15:05三国山一15:35水場一節刃尾神社一16:00井戸bs. 和田峠(案下峠)へ下るのは初めてで.思いのほか高度を落していた。子供と歩いてから25年振り.その上は今春雪に覆われていた。 雪径を下り.間違えたのかと登り返しては又同じコースを下っている。そして時間を少しロスした。 和田峠から関場へ抜ける尾根 和田峠から林道醍醐線を5分ほど進み.左へカーブする所に看板や立て札があり.この角から右手へ入る踏み跡は高茶山へ入いる。 東側へ派生する要倉の尾根を下ると新多摩線78号鉄塔が尾根末端にあり.バス停.開場にでる。jr高尾にでられる。 閑散とし残雪と薄日差す小広い和田峠に下りる。峠より封鎖されている和田林道を横切り.北側にはやや狭い車巾の林道醍醐線が繋がれている。 林道の新設工事が行われていた。醍醐丸直下までの延伸工事のようだ。終点先は山道となり.吊尾根との登山道.道標裏に合流する。 この積雪の中.融雪を待てば何時始まるか分からず.除雪しながらの工事。 その左脇を抜けて笹尾根を辿る。峠を越えると尾根径は残雪を深め.古いトレースは歩む人もいず.改めて雪面にトレースを刻むようなった。 鷹岩山を過ぎ醍醐峠(篠窪峠)にでたのが1時.急に足が重くなってきた。午後の疲れが現れだしたようだ。 この辺は深い山陰に辺り.積雪深く.残雪が一番多く残されていた。醍醐峠は道標も登山道も埋まり.雪面も白さを増している。 尾根沿いにトレースは見付けられなかった。南側に絡む巻き径は40〜50cm幅.尾根筋の南面を絡めば深い樹林に被われ積雪は増している。
醍醐丸と連行峰のほぼ中間に大蔵里山837mの峰がある。ここから南方へ和田に没する尾根が大蔵里尾根と呼び.山径が綴られている。 蔵里は焼畑を意味するらしい。その先連行峰の東寄りコブ920mには鎌沢地区から突き上げる鎌沢尾根が延びていた。 又その東方には草木地区.和田から草木尾根が並行し.後に猛暑と大雪との係りで何度か入山を繰り返すことになる。 市道山 小坂志川を隔て主尾根より.14:30再び巻き道から尾根にでて.時折南秋川側方面から谷風が吹き抜けた。 雪面から撫で上がる風に肌寒さを感じ.そこを抜ければ又柔らかい陽差に恵まれた。長袖を捲くっては降ろし.手袋が欲しくなる。 手袋は裏高尾に入り.付ける積りだったがザックから出すのが億劫で.まだ出さずじまい。既に6時間が経っている。 ポケットに手を突っ込んでは登り.ベルトに手を掴んでは喘ぐ不精な登行が続いている。 生籐山 柔らかい陽差しに春雪残る尾根筋.14:34笹尾根と呼ばれるこの尾根も,殆ど熊笹の群生は認められなかった。暖かくなれば茂るだろう笹尾根は今はその種さえ見られずにいる。 雪疎らな径となり連行峰にでる。尾根上の残り雪が溶けた場所にはドングリが転がる径が続く。 山々の頂で繋がらなかった携帯電話。灌木の茂みの笹尾根で.ベルが鳴る。妻より連絡あり.ザックの中から鳴り響く電話。 「隣りの奥さんが亡くなった。」 「下山はと?」。 生籐山まで進み下ることになる。 茅丸と連行峰 生籐山々頂から振り返る.14:58茅丸1019m・藤野町十五名山.展望はないが頂に2つのベンチがあった。 生籐山 短い上りに喘ぎ.登ると平坦となり又登る。生籐山(しょうとうさん)の手前では既に陽は幾らか西へ斜陽し始めていた。 3時.急にゴツゴツした岩稜を少し登ると待望の生籐山の頂に立つ。小さな突起ある山が生籐山と三国山。 広くない平頂だがベンチがあり.二等三角点標石があった。視界は三国山を含め枝藪枝に遮られている。 和田峠からの道中は冬木林が続くが展望はずっと見られなかった。霞む樹間から漸く望めた陣馬山.思いのほか遠きに望められている。 生籐山(せいとうさん)は「きっと山」と呼ぶのが正しいと言う説がある。 又「きっと山」の山名は境界をはっきりするために木々を伐採しない「切り止め」があったとも。国国境のため「切り止め山」と呼ばれ.. それが転訛し.その発音に対し生籐の字が当てられ.山の名になったといわれている。 陣馬山一ノ尾根ノ尾根 生籐山より振り返る.15:08南東方面・・相模湖へ注ぐ沢井川を隔てる生籐山 写真の陣馬山からの尾根は栃谷川出合と沢井川との合流点の末端は没している。昔家族で.この尾根の裏側の陣渓園に出向き. 山の湯を愉しんでいた。沢井川沿うには陣馬街道(案下街道)が通り.和田峠越えをして案下川沿いに下っている。 その途中に陣馬高原下のバス停があった。当時は4月1日に日本国有鉄道(国鉄)は財政破綻を起こし. JRとしてして6つの地域別の旅客鉄道会社に分離され発足され.JRとして乗車していた。 権現山稜・・雨降山・権現山・大寺山 三国山より西方の権現山稜を望む.15:09熊倉山南西尾根と大菩薩嶺牛寝通り尾根末端.2008.12 左上が霞む扇山. 中央左が三本松.直ぐ右上が雨降山と権現山北尾根.2011.01 右奥が三森からの葛野川左岸尾根で大寺山を経て奈良倉山へ.2009.11 手前が黒田川で鶴川に注ぐ.熊倉山南西尾根が没している.2011.02 三国山の南尾根より熊倉山南西尾根 三国山より北西側.15:10生籐山と三国山 奥多摩三頭山笹尾根は何処までが.この名称で呼ばれているか判らぬが.生籐山は三頭山から続く高尾山との丁度真中あたり. 神奈川県境最北端に位置している。 並ぶ三国山(三国峠)は甲斐.相模.武蔵三国の境をなし.頂にはテーブルにベンチがあり.直ぐ西側には上野原と五日市を結ぶ三国峠がある。 日本武尊の東征の言い伝えが残る古い峠で.黒田川沿いの裾には日本武尊が祀られてをり軍刃利神社が建立されている。 又三国峠から反対側の北側のツメ沢は何故か軍刃利沢と名付けられ南秋川へ落ちている。 三国峠の呼び名は「新編相模国風土記」には三国峠として.「甲斐国志」には三国山として記されている。 又1/2万5千地形図「五日市」には三国峠と記されていた。・・三頭山笹尾根.上半〜三国山
根を上げ始めていた足。1時間ちょっとで更に熊倉山を越えれば浅間峠にでられた。 高尾から綴られた「関東ふれあいの道」.尾根径のコースは浅間峠で右に折れ北側へ下っている。 日原峠まで行かなくとも.ここから南側の鶴川へ降りられる。ただ眺望はこれからも得られず。 下山 三国山から佐野川峠へと南尾根を下ると甘草水分岐(かんぞうすい)に着く。この辺は桜の木が多く.花見に多くの人が訪れるという。 甘草水は日本武噂が岩を鉾で打ったところに水が湧いたという伝説が残されていた。水場は左へ数分の所にあるが枯れている。 佐野川峠の手前で谷間に下れる分岐にでる。直進すると下岩方面へ。尾根と分かれ右の上岩へ.黒田川へ回り込む滑り易い. 雪斑なトレースを下ることにした。谷間に入ると源流は雪白き雪原に覆われた。西側の谷に入り.春雪の踏み跡から雪凍るトレースへ。 途中で雪面が切れた水場でラッパ飲みをしている。帽子とメガネに雪粒が当り.外して呑んでいる。 這うような姿勢で飲んだ沢水は雪面を割り岩盤にチョロチョロ流れていた。テルモスやお茶と違い.雪塊りの割れ目からの冷水は喉を潤す旨い水だった。 奥の院との分岐.軍刀利神(ぐんだり)元社へ続く男坂(表参道)は積雪に埋まり雪原化され分からなかった。 約300mの古い石段が残っているらしい。ここを左に折れるとトレースされた雪面を綴り軍刀利神社奥の院に下る。 トレースを外すと膝まで潜り.以外に深い春雪に埋もれていた。又日陰の谷間を覆う雪表は以外と木屑類などの飛び散りもなく. 雪白く綺麗な新雪の形で残されていた。ただ下腿まで潜るトレースは続いている。 軍刃利神社奥の院と大カツラ小さなの社には大ツガが御神木として聳え.参道は又登山口も兼ねていた。その下に幅広い舗装された林道が綴られ横切っている。 半ば凍った残り雪を絡めるようズリ滑り小走りで下っている。幾つもの鳥居を潜り.黒田川左岸の軍刃利神社の参道にでた。 そして左肩に軍刀利神社の社務所を臨むようなると井戸の集落も近かった。 軍刃利神社は1049年(永承3年)の創立され.当初は三国山の山頂にあった。 武州檜原郷.相州佐野川郷.桐原郷の総鎮守と称されたが野火に遭い.延徳年間に現在の場所に遷座されている。 熊倉山南東尾根の取付きはバス停井戸方面から見ると軍刃利神社の大きな鳥居の手前を左に折れ.長泉寺の本堂裏からになる。 熊倉山は笹尾根にでてから縦走路を右へ折れた所にあり.更に越えた所に軍刃利神社にでて.更に三国山にでる。 下って来た参道口に建つ軍刃利神社の青銅製鳥居.15:53井戸.新屋の集落 最奥の集落のその奥に厳かな軍刃利神社があり.本殿,奥社.元社と参道が続き.幾つもの鳥居を構え.その簡易舗装道を下りてきた。 集落口には青銅の大鳥居が構えていた。その左脚には天然記念物の「サイカイの木」.雄木18m.幹4.12mが植裁されていると後で知る。 立派な道路と豊かさを示す家屋が新屋の集落を埋め.バス停まで立派な家並が続いていた。 バス停「井戸」では浅間峠を越えてきた3人の女性軍に迎えられた。 そう云えば生籐山で擦れ違ったハイカーも単独行の女性2人だけだった。中年女性は何処でも強い。 明治の森.高尾から城山へ。そして奥相模の山稜を最後まで詰め三国山から笹尾根を下る。井戸からjr上野原駅への路線バスを利用し 相模の境を越え.境川を南下して山とも別れた。次回は多摩三頭山からの笹尾根上半が残されている。 新屋地区より熊倉山南西尾根と井戸の里 黒田川下流流域の集落.15:57尾根左端にある長泉寺裏から笹尾根を横切りトヤド浅間へ.2011.02 熊倉山南西尾根の上部 井戸バス停まで離れて黒田川上流を振り返る.16:20580m圏.758m点.910m圏. 黒田川の右岸沿いに並行する熊倉山南東尾根(省武連指尾根)の末端の途切れる境がレイク相模CC。棡原藤野線から黒田・上野原棡原線にでて. 栗坂峠からの小伏の道と合わさり.聖武連山の麓から鶴川の左岸沿いの上野原丹波山線を綴ると新田にでる。 このアプローチは大分先になるが25年4月に熊倉林道の陸軍滝から訪れている。又23年3月には栗坂峠越をして新田にでていた。 16:00井戸bs:38.富士急行山梨バス¥410=17:00jr上野原¥1.110. :09=17:32高尾.中央特快:35=18:17神田. jr上野原駅 上野原駅は1つの島形ホーム。切符売り場と売店はホームを挟んだ中央の構内にある。当然上りホームと下りホームは1つのホームだが別々の改札口から 出入りでき.初めて利用する私にとって駅に不思議な感覚を覚えている。同ホームの両脇は結ばれていた。 jr藤野駅 柔らかい夕陽を車内にいっぱい受け.列車が藤野のホームに入線する。卒業式か? 花束を持った女高生がゾロゾロ車内に入ってきた。 「キャ-キャ-!}と黄色い声は賑やかだ。発車時間が過ぎるもゾロゾロ集まる女学生。扉が閉まるのを抑える子.叫ぶ子。 次から次,仲間達が駆け込み.一度扉は閉まるも車掌は再び扉を開けた。それを目指し.又駆け込む女学生達。 車内は急に騒々しさを増し.漸くして扉は閉ざされた。「今日の車掌さんは親切!」と感謝する女高生達。 明るい奇声に.車内の誰もが.怒る者はいなかった。その先の駅で特急の待ち合わせがあった。それを計算しての車掌さん, 中途半端な残雪に苦労させられた。雪解けのぬかるみはなかったものの午後になると雪解けの泥道に悩まされている。 北面はもう少し積雪があれば却ってボコボコ進めたものの中途半端に氷が張り付き否な滑る場所が暫しあった。 又茶屋は高尾山に始まり通った全ての場所で休業中だった。ただ低山の1人旅はよかった。程好い残り雪が.その味わいをも深めてもいる。 今月より富士急バスもpasmoの利用可能となる。JR.京王.富士急と全て現金を使わず.初めて電子マネー「スイカ」でカード登山を通す。 下腿は昨年秋の穂高岳以来腫れ.下山してから少し痛みを覚える。 三頭山笹尾根U |