| 齢も60代を過ぎ初めて「青春きっふ」で飯豊連峰へ ・・朝日磐梯国立公園Top 梅花皮沢石転び沢雪渓から憧れの飯豊山・・会津地方北部に入る。昨日からの豪雨で羽越線に乗り手前の上越線では既に遅れ気味。 羽越線に入ると停まりを繰り返し運行するようなり.米沢線は不通に陥る。飯豊山荘行の町営バスも運行は中止. タクシーで強引に飯豊山荘まで入って頂いた。 天狗平の山荘から飯豊山脈を南下する。石転び沢雪渓を詰め北股岳.梅花皮岳.烏帽子岳.大日岳.御西岳.駒形山.飯豊本山.三国岳.御前山から川入へ。 2008年08月03〜07日. L松村m見城.鈴木・・滝島氏には迎い車をお願いする。 梅花皮沢石転び沢雪渓・・豪雨警報と不通・無料の青春キップ 梅花皮小屋⇔北股岳.一大日岳 御西岳一飯豊本山一三国岳一川入 石転び沢雪渓 20歳頃だったと思う。雑誌「岳人」に記載された飯豊山石転び沢の紀行文を読み.登る切っ掛けに恵まれず.ズッと憧れ続けてきた岳だった。 自ら企画した二年強化合宿に参加するチャンスはあったものの身内の不幸で.出発直前でリーダーを降りている。 その後も山行するチャンスはあった筈だが零れてしまった幻の岳だった。 近年仲間に言葉を掛け続けること3年目にして.石転び沢に入るチャンスが訪れた。鳥甲山は2年云い続けて実っている。 山行には初めて青春キップを買い求めて.集中豪雨で列車が運休する中.入山した。今年は例年にない豪雪に恵まれ.雪渓の成長はそれだけ長く楽しむ。 入山2日目にして梅雨明けに恵まれ.山上満歩を味わっている。宿る山小屋周辺は何処も残雪に埋まり.雪上の宴を何処でも催すことが出来た 下山してからは滝島先輩による迎い車という.考えられぬ祝福をも受けている。嬉しさと感謝に堪えぬ山行になった。 飯豊連峰は磐梯朝日国立公園に位置し.越後山脈北部にあり山形県小国町.新潟県阿賀町.福島県喜多方市の3県にまたがる岳々になる。 又名だたる豪雪地帯にあたる東面の沢沿いは夏遅くまで雪渓が残り.長大な雪渓と広い裾野は原生林の深いブナの森に覆われている。 二重山稜で形成された背稜の主峰は飯豊山(飯豊本山)になるが.最高峰は御西岳から西へ外れた大日岳2.128m位置する。 そこには万年雪の雪田と多彩な高山植物が競い.広大なお花畑を創っていた。 最後まで石転び沢雪渓を詰め.頂稜をゆっくり時間を掛け歩み.残雪絡みで遊ぼうと思っている。 8月03日.豪雨 新宿.上越線「快速ムーンライトえちご」青春18キップ.23:10= 4日. 5:00新潟日新線快速:05=新発田羽越本線=6:00坂町.タ=7:00天狗平飯豊山荘. 豪雨 何故か夜行快速「ムーンライトえちご」は新潟に近ずくにつれ遅れだしていた。その上貨物列車待ちと訳の判らぬ時間とホーム待ちが多くなる。 山形気象台によると飯豊地方の天気は夜半から崩つき気味.午前4時には雨の領域が広がり.朝方6時頃には最も激しくなった。 それでも午後には雨が上がり.夕方に雲が切れると予報されていた。 アプローチ 上越線を下ること5時間.天気予報は当り越後見附を過ぎると左車窓に向かい雨粒が叩き.予想もできないことが起こりだしていた。 上越線の遅れに合わせ新潟発.始発の快速列車は裏日本に大雨をもたらし.列車は徐行を余儀なくさせられる。 前線の南下は羽越地方に集中豪雨をもたらせた。新潟から加治を過ぎると早足のスピードと極端な最徐行の運転に出くわす。 一直線の線路が海岸沿いを並行して走り.数年前の強風による坂町転覆事故を想いださせていた。 本来なら坂町駅から米沢線に乗り換え.小国で下車するものの.車内放送では大雨の為米坂線の不通を告げている。 米沢線小国駅発の飯豊山荘行の町営バスも運行中止に。 往路キップ 漸くjr坂町駅に下車。初めて使用する青春キップに疑問か起こり.改札で駅員と交渉。駅員も大雨トラブルで連絡が次々に入り忙しい。 仲間達は既に予約したタクシーに乗り込み私を待っていた。 キップトラブルから笑い顔になる。訳の判らぬ言葉が返ってきた。「もういい!」「皆さんがタクシーで待っている!」。その意味が判らなかった。 青春キップは降りた場所でキップを切る。その間々渡されたキップは新宿駅からの私の問題が.何故か全員が未使用の状態で私に渡された。 恐らくJRのトラブルはまだこれから続く状況で手の足らぬ駅員と私との判断の違うが分かり.私だけでなく全員に考慮してくれたのだろう。 運賃無料とホクホク顔で戻るも.待つ仲間からは遅いと怒鳴られた。この切符は下山してから競売され.滝さんを含め東京での反省会費として扱われた。 一級河川の清流として名高く.朝日岳を源とする荒川の清流は.今は見る姿もなく濁流に呑まれていた。 ドッ-と荒れ狂う怒号の波が押し寄せ.る河川に跳ね上げてはチョコレート色に染まり.揺れ動くうねりを波高く巻き上げ濁流化し流れていた。 車はその荒川沿いに並行して走る小国街道(米沢街道.越後街道)を東進した。そして小国に入る手前で支流の玉川を遡る。 林道に入ると時折雨が強くフロントを叩き.路上は幾つもの落石が多くなる。 それを避け大きな落石もなく.無事詰めるとそのドン詰りにが飯豊山荘。石転び沢へ入る登山口.山荘まで約20K.¥13.620 翌5日.更に南下したこの前線は関東地方にも及び.東京は一日中雷雨が轟く豪雨に襲われる。東京で死者を出す大きな災害をもたらしていた。 飯豊山石転び沢へ 大堰を越え梅花皮沢左岸の小径.9:078月04日雨後曇 7:00飯豊山荘:45一温身平.梅花皮沢出合一8:40小:55一9:20雪渓上一9:40滝沢出合一9:45小:55一10:30石転び沢出合11:00. 飯豊山荘 入山届を兼ね梅花皮川の状況を聞こうと飯豊山荘に寄るも.冷たい言葉が返ってきた。午後晴れるのは判るが今の天気は悪い。 まだ時折速足で雨が通る。朝7時の時点で.ここに泊り明日入山するよう薦められた。雪渓の状況は問うも知らぬを繰り返す。 早朝何人かの登山者がこの山荘から山を目指した筈である。私達は今日最後の入山者になるのだろう。 梶川出合では間違いなく渡渉がある。パンツ1枚の渡渉は覚悟して来たものの.この豪雨では渡れそうもない。 現場まで出向き.その場で判断する主旨を伝え山荘を後にした。 私達より前に立ち寄った登山者も同じことを言われたと後で知る。何故駄目か教えぬ宿主に改めて憤慨した。 以前は夏場だけ飯豊温泉は開かれていたが春から秋までの登山者を収容する為に飯豊山荘がs38年6月開設された。 玉川と湯ノ沢の合流地点.標高約400mにあり.天狗平に木造平屋建て.小国町観光協会経営.2食付¥600.素泊¥300 尚飯豊温泉は今までどうり存続し.現在の飯豊山荘は定員69名で2食付¥6.345〜7.920 泉質はナトリウム.炭酸水素塩カルシュームで熱めの塩化物硫酸塩温泉. 雪渓崩壊の始まった婆マクレ 雪渓末端.婆マクレ付近の巻き道より.9:17中央雪渓窪みが「ドーン」と落ちる。 入山 キスを背負うと同時に叩くよう降った雨も治まり.入山を祝すよう霧雨から高曇になる。 誰もが歓喜の声を上げ.気を膨らましていた。後は梶川の増水だけが気掛かりで.現地で判断する以外他に仕様はなかった。 温身平分岐を過ぎ大堰に登ると河原一杯に泥流の渦が鉄砲水の如く唸り落ちていた。二俣から梅花皮川沿いに入り陽が射しだす。 左岸沿いの巻道は強い夏の陽射しに変わり.樹林で遮られるものの蒸す暑さは額から汗を垂らし止まらぬ状態が続いている。 今年の残雪は異常に多いらしい。上つぶて石の巻き道を過ぎると雪渓末端が現れる。そこにはクレパスが幾つも大きく口を開け. その先は延々と雪原が広がっていた。雨上がりの左岸の泥径を詰めていると突然「ドーン!」と鈍い音と共に雪渓が部分的に割れ落ちる。 雪塊が真横で落ちた。足元から轟く音が重く響き.川面は大きくうねる波を起こしている。 谷間を左手に振り向くと足下の残雪が崩れ.15mにも及ぶ長い残雪の塊が落ちた。割れた大きな雪塊が幾つもでき谷底に転がっている。 今年は残雪が多く.例年より長く末端の雪渓を伸ばしていた。そこにクレパスを多く造りだし.その一部分が大きく崩れ落ちた。 北竹原の雪原 正面滝沢と西ノ峰尾根末端.本谷は右へ回り込む.9:28梅花皮川雪渓(かいらぎ) 北竹原辺より朝霧立つ梅花皮川の雪渓へ降りる。願い望んでいた待望の飯豊山の雪渓に踏み込む。 汚く硬い雪塊の感触が靴底に触れると硬く跳ね返してきた。漸く飯豊の雪渓の荒れた感触を味わう。 朝靄の湧き上がる雪渓はやや小さ目なスノーカップを造り.土砂や落葉で黒ずんで見える。 踏み跡のルート判断はしかねるが雪の厚い層が続き.滑り易い硬いカップを歩む。雨は上がりで時折ガスが流れ込んできた。 雪表から湧き上がるガスが雪上を徊幽し.夏径から離れると飯豊の沢に入った実感が泉の如く湧き始めていた。 梶川付近 梅花皮川雪渓.9:40左岸の梶沢出合と大きなクレパスは右岸をヘズる. 前の写真・・正面右脇の右岸の雪渓をへズる梶川出合 両岸をヘズる荒川出合の雪渓は溶雪し.出合には滝が顔を出していた。 その脇を抜ける。雪渓の流れが右回りに大きくカーブすると左岸にクレパスが大きく口を開けていた。 ここが梶川の出合だった。右岸の雪渓をヘズり.運よく出合で渡渉せず抜けている。 雪渓が切れていれば渡渉を強いられていただろう。パンツ1枚で膝上の雪解け水の渡渉を覚悟していただけに.幸運に恵まれる。 先週7/30日の情報では梶川出合は荒れ崩れ.パンツ1枚の渡渉をさせていた。今日の大雨で渡れぬ不安を強く案じていたところだった。 赤滝手前で下流を望む 右がくさいぐらい尾根末端とはっぽうはげ.9:55北股岳北東尾根と門内岳 石転び沢雪渓と門内沢雪渓.10:32門内沢雪渓二俣でいり門内沢.でと門内沢に分かれている赤滝手前で. 出合を見詰める石転び沢雪渓 10:30石転び沢出合11:00一11:45小12:00一12:45アイゼン着用:55一13:45草付き横:55 一14:10黒滝上雪渓最上部:20一14:40小:50一15:15十文字鞍部.梅花皮避難小屋hc1. 広く河原を埋め尽くす雪渓を詰めると赤滝手前から雪渓はズタズタき切れていた。左岸の夏径をヘズる。 黄色い布切れがルートを示している。雪崩の巣で巻道は現われていたものの残雪が切れれば.ここも厳しいトラバースになる。 ヘズり終えると急に目の前の空が開け.緑の山肌と白く煌めく雪渓の帯が夏山らしいコントラストを築いていた。反射させる煌めきが眩しい。 ここは石転び沢雪渓と門内沢雪渓から延びている雪渓帯が左右から合わさり.梅花皮川雪渓とも重なり雪原化させていた。 石転び沢の出合になる。山を覆っていた雨雲が割れ.蒼空が仰がれた。石転び沢出合で大休止. 漏れ始めた陽射しを受け空を仰ぎ.雪渓に連なる緑の尾根を見上げながら昼食の結飯を食う。 石転び沢雪渓 出合で昼食後雪渓へ入る.11:22左俣に折れ石転び沢雪渓に入いる。傾斜はやや増してきた。 卒業後何度も登りたいと願望していた雪渓が目の前に横たわり.忘れ掛けていた石転び沢に今入っている。 それも良き仲間に支えられていた。時折.雲の切れ目からの陽射しが覗き込み.雪渓に射し始めていた。 石転び沢雪渓 石転び沢出合を望む.11:54夏の陽射しが雪面を跳ね上がり.目のくらむ強さになりだしていた。夏バテの入山で体は重く.眩い陽光に滴る汗で息は弾んでいる。 周りは雪渓独特の深い緑が冴え.白く煌く雪面との色彩が目をも楽ましていた。 ![]() 本石転び沢出合と対岸 12:22本石転び沢出合. 対岸の小沢が切れていたので喉をうるをし顔を洗う。走り落ちる融水に冷たい感触がこの上もないご馳走になっていた。 何パーティか先を登っているも焦る必要はなかった。3人だけの独占した広い雪渓を歩んでいる。 ![]() ピッケルにアイゼン着用.13:03 ピッケル 時折落石の乾いた音が遠くに木霊のよう聞き.北股沢への中間地点でアイゼンを履いた。 何年振りだろう。足にはアイゼン.手にはピッケルを握っている。今年に入り1月.2月と山へ持参するも,使わなかった品物である。 初代は爺ヶ岳で紛失.2代目エバニュー製のピッケルがある。それも40年以上前の品物でシャフトは茶褐色に染まったヒッコリーで重い。 仲間達のピッケルは思いのほか軽かった。山道具は計り知れないほど進歩を遂げている。 3本で1本の目方。恋しい私のピッケルは共に幾つもの山を越え.時には助けられた私の宝物だった。又使えた歓びに湧いている。 スピッツを雪の斜面に刺し.爪が確り雪面を捉え,滑る足の動作を楽にする。冬山とは違うも登る気力は同じだった。 ピッケルを射しアイゼンを雪面に引っ掛けると雪屑が舞う。何か嬉しい気持が湧きだしていた。そこには我々だけの雪渓が横たわっている。 金属シャフトのものが約45年前に生まれ.1980年代に普及したことで.今では木製シャフトのピッケルは殆ど使われなくなった。 鍛造は手作りでシャフトが木製を製作する職人は世界で3人になったとされている。 傾斜は増すもカメラアングルが悪い.13:04辛しい直登.捗る登りに高度は見る見る上がり.周りの山々を低くさせていた。 もう北股沢出合も過ぎ.やや傾斜が増すと直ぐ黒滝が現れる。 雪渓と夏径の草付き 草付きと左岸に繋がれ割れる黒滝.14:21黒滝付近 やや傾斜は落ち穏やかさを増すと黒滝にでた。滝は見えぬが大きなクレパスが口を開け.右側から巻き気味に最後を詰めることにした。 雪渓下.底から響く轟音が響き.その先雪渓中央は口を開けている。雪層は薄い. ヘズり過ぎると割れる危険もあり.又上部中央には不気味な雪穴が雪面に開けていた。 雪表は腐り始めていた。それでも急斜面で滑ればクレパスに落ちる。雪質が硬く層が厚ければ難ともない所だった。 雪渓を最後まで詰める仲間達の希望を適えるには巻かずに直登する。間隔を空け.1人ずつゆっくりと丁寧に登ることにした。 探しだしたルートは1本.斜上して登る位置に私はいた。落ちても止められぬ場所。慌てず落ち付いて進めばよい。 ここの通過は今シーズン最後の登山者になるかも知れない。詰めた所が草付き.ほっと一息付く。アイゼンを外すとどっと疲れが現われた。 後はお花畑に被われた雪解けの夏径が峠の梅花皮小屋まで続いていた。 石転び沢最上部 雪渓を詰め終える.14:22雪渓 今年は残雪が多く雪渓末端は崩壊激しい婆マクレ。北竹原より梅花皮川雪渓に入っている。 梶川出合の渡渉は右岸に雪渓が繋がりヘズれたので.豪雨での待機止めもぜず登れた幸運に恵まれている。 赤滝左岸は夏径をヘズり石転び沢雪渓へ。傾斜は思いのほか緩い。北股沢出合下でアイゼンを付ける。黒滝は大きなクレパスを開けていた。 その上の斜上が雪渓最上部になる。草付き脇.雪は腐り始めヘチは薄く.中央にはクレパスができ.やや緊張した。ただ距離は短かった。 8/23日井上氏の報告では婆マクレ付近は右岸沿いに長い帯のような残雪が望めるも.雪渓末端は地竹沢付近まで落ちている。 地竹沢でいったん雪渓に上がるが.ルートが取れず再び夏径に戻っていた。 落合(滝沢出合)では何時崩壊するか判からない雪渓から左岸をヘズり夏道にでている。 7/27日確認された黒滝の亀裂は我々が通った8/03日にはかなり大きなクレパスになっていた。 8月23日には黒滝の雪渓は崩壊し途切れ.周りは残土が被い.滝は完全に姿を現している。危険だった上部の残雪も少なくなっていた。 シナノキンバイのお花畑 雪渓上部のお花畑.14:28左上角が十文字鞍部の今日宿る梅花皮小屋 今日最後の1本.14:55天候を考えると梅雨前がよい。豊富な残雪は何処でも歩むことがでた。 雪渓登りが目的で幕営できるなら桧山沢がよかろう。長い雪渓と広いツメ.目指す岳は大日岳になる。 見下ろす石転び沢雪渓上部 左から北股沢が入り込む.右下が黒滝.14:56頂稜十文字鞍部 雲海の彼方 足元の石転び沢雪渓から玉川の深い谷間の先に.帳の落ち始めた入山のアプローチ.荒川流域は雲海に隠れだしていた。 雲上を白く明らめながら朝日連峰の峰頭が望まれる。その右奥に大きく盛り上がる雲群には出羽三山が聳え立っている筈だった。 湧き上がる雲で朝日岳本峰は望めぬが.ガスの切れ目から以東岳が頭を持ち上げている。小さな小さな突起が岳であることを示していた。 その斜め奥の淡く流れる雲海の彼方に鳥海山が望まれた。遠いい岳が霞みながらも手に取るよう望まれ.湧く雲に薄日が射している。 私は先ほど小屋番から教わった地形を尋ねられる間々.他の登山者に聞かれ説明した。 待つ間もなく山上にも黄昏が迫り.雲海の下層は日没を迎えた。目の前の北股岳の山肌も西陽を受け焼けだしている。 頂に出向けば夕日の日本海が望められた筈だった。ただ登る気力より.酒の力が勝っていた。バーボンウィスキーを浴びる。 梅花皮小屋小屋と梅花皮岳梅花皮小屋 十文字鞍部は洗濯平を経て湯ノ平温泉への横断路. 今は廃道と縦走路の交差する鞍部にある避難小屋。 2005年に新築された2階建てで.北側に管理棟を持つ。又風道にあたり西側屋根は風抜けの緩やかな傾斜になっていた。 1,2階の板の間にはコンクリートの帯が何本か敷かれ.上手い具合に炊事台として造られている。寝床での炊事を可能にしている。 初めて経験する素晴らしいアイデアだった。各グループが自分で選んだコンクリートにコンロを置き炊事を始めている。 水場は小屋より東側50mと近い。治二清水と呼ばれる旨い雪溶け水。 密室性がよく.昔の薄いナイロンだけのシュラフカバーでも寒さを感せず。食糧.寝具なし.当日15名,2階は我々を含め3パーティが宿る。 7/1〜8/30日まで管理人が常駐.山形県小国町管理.清掃協力金¥1500. 購入せぬがビール350ml缶@900.ジュース@600 梶川尾根より石転び沢上部 雪渓最上部.その上の膨らみまで残雪あり今年9/01日現在.雪渓最上部は大分退き黒滝下まで落ちる。上の写真 中央の尾根が草付きで鞍部で点で見える小さな突起が梅花皮避難小屋 昨年は山開きを終え1週間後.7/18日の状況では黒滝に亀裂が生じ.石転び沢出合は雪渓どころか雪片しか認められず。 渡渉を強いられている。又梶川出合も膝上の渡渉. 今年は如何に残雪が多かったかを物語っている。 又翌2009年にはここ数年来積雪が異常に少ない年だった。 天狗平までの林道は雪崩による崩壊が激しく5月の連休後に開通。天狗平ロッジは5/16日にオープン 井上邦彦氏の4/03〜04日調査では既に下ツブテ石と上ツブテ石が完全に露出し驚いている。 婆マクレから斜めに河床脇まで下り.岩の間に落ちないよう進んだ。そして地竹沢を横断し中州の雪の上を進み地竹原に上っていた。 地竹原の末端まで進んでから雪渓に降りる。雪渓の量はかなり少ない。そのまま雪渓を横断して右岸を歩んでいる。 滝沢出合の上流から雪渓はなく.その手前で左岸に移っている。巻き道との境になっている巨岩が殆ど出ていた。 崩壊地の真下を横断して梶川との合流点まで行くと梶川出合の下流にも雪渓がなく.赤滝は雪崩の巣.直前で右岸に移っていた。 この年山域は異なるが北信.栄村では毎年4.5回行われていると云う雪下ろしが一度もなかったらしい。 翌年6月に鳥甲山を訪れた折.秋山郷「秀清館」の女将が語っていたことを想いだしていた。 梅花皮沢石転び沢ルート図 梅花皮沢石転び沢雪渓・・豪雨警報と不通・無料の青春キップ 梅花皮小屋⇔北股岳.一大日岳 御西岳一飯豊本山一三国岳一川入 |