| 御西小屋に戻り.待望の飯豊本山に立ち.切合小屋に宿り川入キャンプ場へ下山する 大日岳ピストンし御西岳から大らかに開かれた尾根を綴り.駒形山にでて御鏡雪を縫い.赤トンボの舞う中.飯豊本山から切合小屋 四日目は三方境から三国山.剣ケ峰.地蔵山.御前山と抜け川入キャンプ場へ・・会津西街道を南下. 飯豊連峰T.梅花皮沢から石転び沢雪渓 飯豊連峰U.梅花皮小屋⇔北股岳.一大日岳 飯豊連峰V.御西岳.飯豊本山を経て切合小屋・・御鏡雪・赤トンボ 飯豊連峰W.三国岳から川入の集落・・ご来光・ブロッケン・川入で滝島先輩と合流 離れる牛首山と大日岳 駄々広い御西岳へ.8:138月06日.曇後晴 御西小屋7:55一8:50駒形山9:00一9:50飯豊本山10:00一10:15飯豊神社一御秘所一10:50姥権現 一11:15草履塚:30一12:00切合小屋h3. 草履塚と種蒔山 鞍部に今日宿る切合小屋がある.8:16大らかに広がる飯豊本山 実川源流に点々と連なる御鏡雪群.8:20御西岳から飯豊本山に重なる駒形山.御秘所.草履塚 広いなだらかな山波にお花畑.猛暑の縦走路を歩む。山腹には大きな御鏡雪が顔を覗かせ.時たまそよぐ風が雪田を切り寄り添ってきた。 額からの汗が止まらず垂れ続けていた。夏の陽射しの逆光も重なり.掛けるメガネがわずわらしい。 御鏡雪とお花畑 実川源流の大雪田.8:27緩やかな御西岳の特徴ある斜面. 遠くに大日岳の頭を覗く. 山上の湿原と高山植物の宝庫. 花の咲き誇る花園が丘のような尾根を埋め尽くされ.マツムシソウにマルバコゴメグサの群生に.ニッコウキスゲの草原が 御西岳の伸びやかな山肌を覆い.小さなきらめきが可麗な花々を彩っている。 花の名を知らぬ高山植物が多過ぎるがそれでもつい立ち止まっていた。山の上の丘陵が続いている。 飯豊本山の肩.駒形山々頂 ![]() 大日岳と並び何とも云えぬ顔のK氏 遠くなった烏帽子岳.8:58 顧みる御西岳 雲の湧き出した会津方面の下山尾根.9:29御秘所と今日の宿.鞍部より種蒔岳と霞む先の三国岳・・切合い鞍部を望む 山人 本山の手前.駒形山で1本取りコーヒータイム. 長閑な静かな山旅を味わっている。シーズンオフのように人気は薄い。 時たま擦れ違う登山者も,同じような仲間達だった。何か独特の個性と云うか.信念を持っている。ツァーメンバーとはまだ一度も会わず。 どの頂でも登山者は少なかった。否や居ない方が多い。飯豊本山で出会った登山者も1組だけだった。 飯豊本山 北側はガスに覆われる.10:03アキアカネ ガスは現われては途切れ.再び陽が射しだしている。飯豊神社ではガスが切れると秋を告げる赤トンボの大群の中にいた。 風に乗り舞うトンボ。風が弱ければ群れを成し流れるよう乗るが.少しでも強くなると群は流されバラバラに散る。 夏を山で過ごすアキアカネの大群を見るのも久し振り.山頂では初めてかも知れない。 雪田からの融水が多く.絶好の環境にあり.以外と暑さを嫌うアキアカネは里から避暑にここまで登ってきた。 狭儀でのアキアカネの赤い体色は気温と密接な関係があるらしい。22〜25℃で.アキアカネは秋になれば平地に群をなし出現する。 又色は赤でなく黄色である。それにも拘らず.夏の終わり頃から群をなし出現するウスバキトンが赤トンボと呼ばれていることも多い。 アキアカネの軍団はもう直ぐ里に下る。産卵は田んぼ. ヤゴに成長しミジンコを摂取し孵化しアキアカネになる。 本山から御西岳への南斜面は幾つもの広い雪田とお花畑で埋め尽くされていた。東北らしい豊かな山波が続いている。 下山尾根 一ノ王子(いちのうじ).御前坂とガレ場を下ると初めて岩稜帯にでる。痩せスパッと落ちた尾根だが距離はない。 そして御秘場所を抜けると草履塚の大突起にでた。 昔は神社があり下から履いてきた草鞋をここで履き替えさせたという。御秘所沢のツメ.雪田沿いを下れば切合小屋も近い。 草履塚と種蒔山の広い鞍部には広大なお花畑と雪田があり.一気に切合小屋にでられる。 夕暮れの飯豊神社の頂と切合小屋 この白いザレた丘で夕食.朝食とブロッケンを見る.8月06日4:16小屋の左背後が草履塚から派生する尾根. 飯豊神社の頂奥.緩やかな稜線の先に飯豊本峰がある, 切合小屋(きりあわせ) 小屋に着いたのが今日も正午。小屋前のテント場には雪田がはびこみ.今日は焼酎1000mlをロックで呑む。硬いザラメのシャベット状が丁度よい。 ピッケル代わりにシャベルを借り.ビニール袋に詰める。昨日は2度雪を取りを行ったことを考え多目に詰め込んだ。 ベンチを3人で占領し.酔っ払い3人組が今日も宴に付く。煮れば煮るほど硬くなモチの雑煮には苦慮するが旨い酒からは離れない。 切合小屋は私有地? 個人企業で収容100名,素泊り¥2.500 元はs37年に福島県の手で建てられs38年開設。夏期だけの季節小屋.収容2.管理は山都町役場で当時素泊り¥150 増築を重ねた切合小屋は現在は管理人室を中心に南側と北側の2つの別れた2階建ての構造になっている。 食事 又小屋は居間と言うか食堂もなく.寝床だけの山小屋。室内は昼間でも薄暗く灯は窓取りのみ。それでいて窓はそれ程大きくない。 穴倉の感があり。食事を摂る場所は自分で工夫するしかなかった。 広場のベンチに座れればよいものの.多くの客が座り場を求め.たむらうよう食事を摂っている。 我々は下調べした小屋から少し離れた見晴のよい高台の種蒔き分れまで出て.朝夕の食事を摂っている。 雨天の場合を考えると楽しい筈の食事は昼でも侘しく暗陰小屋内で明かりを求め摂ることになるのだろう。 食事は質素だった。主人は団体客キャンセルで不満気味。ここでの食事は自炊に限る。2食付き¥7.200.米三合持参¥6.200 一膳に1合の飯もなく.お代わりはない。夕食は軽くカレーが乗り.朝食は生卵と海苔,実のない味噌汗だけだった。 自炊を続け.小屋の食事を楽しみにしていた我々には望みが失われている。荷の軽量化が仇となっていた。 ここ切合小屋では食べさせて頂いたと感謝の気を持たねば愚痴ばかりでる。三国避難小屋の方が良いかも。 18時.迎えに着てくださる先輩滝島氏と連絡が取れる。12時に川入キャンプ場での出会いを確認.妻経由で連絡を取る。 擦れ違いの場合は50分程下った川入集落で合流.その時も妻に中継をお願いした。 南側2階東側奥に宿る。夜半まで人気でむんむんするが.高度が落ちている割に夜は寒さを感じさせられている。 古い木造の小屋, シュラフなしは我々のみ。夜半.防寒用雨具を身に付け外にでる。 満天の星が東の空を覆い.エレキを落とし.じっくり見詰めていると更に星の数が増した。明日も天気になるだろう。 8月07日快晴・・切合小屋から川入へ下山 翌朝はご来光を仰ぎながら朝食を摂り.滝島氏の迎い車が待つ川入キャンプ場へ下山 切合小屋5:45一種蒔山一6:50三国岳7:00一地蔵山⇔御前山8:20.迷う 地蔵山一8:35地蔵小屋跡:45一9:15横峰小屋跡一9:40上十五里10:10一10:45小:55一11:15御沢ノ杉.大白布川河原 一11:45川入キャンプ場ゲート. 種蒔山から三国岳.地蔵山.御前山へと綴り川入に下山し滝島氏の迎い車に合流 「いいでの湯」と山都蕎麦処「長谷川」―山都から会津西街道を綴り会津坂下.会津高田.会津田島を経て西那須野・塩原ICへ 西面を望む. 聡明な夜明けを迎えた飯豊本峰群 5:00阿賀野川実川西面源流の山々. 櫛ヶ峰.牛首山,大日岳 見えるか? 大西岳鞍部の点の大西小屋 東面を望む. 蔵王方面の雲海の彼方より昇る御来光 ![]() 白川源流右岸の山々.源頭は種蒔山 左手前の山陰は地蔵山. 下山口は右へ回り込んだ枠外に川入の集落。 山形と福島の県境.飯豊山と吾妻山の中間にあるのが飯森山周辺.その先の西大嶺直線上に大峠がある。 中央の雲海下が米沢市街地. その先が蔵王方面でご来光を拝む。 吾妻連峰から右側に繋がる磐梯山.安達太良山方面は山形県側と異なり.荒い雲海の波に覆われていた。 栂峰と飯森山 栂峰はこの山域の最高峰.飯森山1593mから北に3q離れた県境上に位置する平頂。栂峰の栂は針葉樹のツガを差す。 ただ山頂一帯はツガではなくオオシラビソに覆われていた。オオシラビソは吾妻連峰など奥羽山脈を特徴付ける樹林であるが飯豊連峰には自生せず。 その意味で栂峰は太平洋側と日本海側の植生を継ぐ貴重な山域になる。 種蒔山の分れから小屋上台地より北又方面.5:13朝焼けの逆光を浴びた地蔵岳と白川源流左岸の山々 朝食 昨日夕陽のブロッケンを背にオカリナの低い音を聞きながら夕食を摂った。小屋の下の台地に登り再び朝食を摂る。 食事は質素だが小屋の目の前には大きな御沢の雪田が横たわっている。ここを詰め入山するのも面白いかも。 三方境の三国岳(新潟.山形.福島県境) 種蒔山より三国岳からの疣岩山.巻岩山.鏡山.6:03三国岳は疣岩山方面に回れば弥平四郎登山口へ。三国山から地蔵山に回れば川入にでる。 下りとなると行程は捗った。ただ夏の陽射しを真ともに受け.蒸す暑さが身に堪える。朝から盛夏の強い陽射しを浴びている。 飯豊本山は快晴の青空に照らされていた。木漏れの日陰が恋しくなる下山に。 三国岳 七森の肩から天辺に見える三国避難小屋.6:33下・・避難小屋より逆に北方を撮る 避難小屋より最後の眺望 ![]() 手前のコブが七森. 重なる頂は種蒔山と草履塚.中央の円形が飯豊本峰. 中央左が御西岳.その先が大日岳・・7:02 三国岳 陸奥,越後,会津との国境.三国岳。雲1つない深い青空が頭上高くに開け.岳は強い陽射しを浴びている。 小屋裏から飯豊連山主稜の最後の眺望が開かれる。川入から入山するとここで初めて開け大日岳の雄姿が眺められていた。 ただここから南東に大きく望めるべき磐梯山は下りながら見える筈だがモヤの中。朝方から裾野の山波は何処もガスに隠された。 三国避難小屋は喜多方市産業課.山都町ガイド協会が管理.収容50名.協力金¥2.000 ただ水場は近くにない。旧地蔵小屋付近の水場を利用している。 この小屋の主人は他の登山者には突っけん度で言葉がきつそうだ。小屋を覗き込む登山者に「用事がなければ入るな!」といがっている。 今日は機嫌が悪そうだ。近よらぬに限る。小屋の庇に日陰を見付け1本取った。 3人で外壁に寄り掛かるが風は全くない。べた凪でべた付く汗.何しても蒸す。より小さな陰.軒下に身を寄せるようなる。 剣ヶ峰と霞む地蔵山 御前山の古い標識岩稜を下る.7:12 ロスのロス 1本で三国岳を越えると剣ヶ峰の痩せた岩稜が深く谷間へ落ちていた。残雪も失われ.その稜を一気に下界,会津へと降りる。 剣ヶ峰を下り地蔵山に登り始める辺りから樹林に覆われた。峰秀水の分岐で地蔵沢の巻き道を勘違いし.地蔵山へ更に入ってしまっている。 分岐からはやや山径が悪くなる。そして地蔵山にでて.コースが外れていることを知り.地蔵小屋跡確認した筈の下り径で再び間違える。 肩に戻ると道標あり間違いない筈だが? 先へ根曲がりの嫌らしい尾根径を歩んでしまっていた。可笑しいと思いながら御前山にでる。 ロスがロスを呼ぶ30分.御前山の古い標識を見付け再び間違いを知る。戻る労力は最後に喘ぐ登り返し登山道にでる。 血の池 地蔵山からの旧道を下ると地蔵小屋跡近くに物騒な名の血の池がある。飯豊山は昔女子禁制で地蔵山手前の血の池までしか入れなかった。 山都では血の池の雨ごいがある。「豊作祈願で雨ごいをしたが.それでも雨が降らなければ,そこにある地蔵を縄で縛って池に叩き込み. オシッコをしたり.馬牛の首を入れたりして.雨の神を怒らせ雨を待った。」と云う言い伝えを聞いた。 神様にお願いし祈るのでなく.怒らすと云うのが凄い。 池とも思えぬ藪の中.メーンルートから外れ地蔵山西分岐まで径は荒れていた。 ![]() ブナの森にでて最後の1本.10:58 川入キャンプ場ゲートへの道・・御池小屋跡付近.11:42 昼食を含め2本で笹平から木の根坂(上十五里.中十五里.下十五里)を抜け.御沢小屋跡に下山した。 溝状に抉られた長坂の下り.各標識が完備されているものの御沢の森にでるまでは凄く長く感じられた。 ここはブナの森.脇に山都町天然記念物「御沢の杉・栃」の標板があり.推定樹齢400年の杉と200年の栃の木が並んで聳えている。 仰ぐアゴの痛さ,デンとした構えが大き過ぎ.真下のせいか樹冠までの空間が余りにもあり過ぎ.実感がもてぬ程大きかった。 その脇の草付きにザックを預け.大白布沢で水を浴びる。流水に頭を突っ込むK氏に.私も見習った。 暑さでボ〜とした頭が冷される。汗も一瞬に止まり.癒しの興に暫く動けずにいた。3人しか居ない渓流で誰かが「天国だ!」と叫ぶ。 冷水に冷やされたタオルで拭く体が気持よい。冷た過ぎる流水に両足を浸けた間々.我慢する贅沢さ.下山の心地よさを十分に味わう。 釣人1人が現われた。手のサイズほどのヤマメを25匹ほどビクに持っている。夕方又仲間3人で釣ると言う。 我々は疲れた足の重さも忘れ清々しく山を下りた。傾斜も落ち緩やかな遊歩道の森を抜ける。 飯豊と朝日連峰は現在原則的に幕営は禁止. 小白布道は緊急避難扱いで通行不可。ただ民宿泊りは私用車の利用が黙認されている。本山ダイクラ尾根は未整備. 下山帰京・・川入より下道を塩原ICへ 11:45川入キャンプ場(T氏と合流)12:20=川入「飯豊の湯」¥500=山都蕎麦処「長谷川」¥7.650. 14:30=jr山都駅前 =会津坂下=会津高田=会津田島=西那須野・塩原IC=蓮田IC=19:45jr鴻巣20:07=21:00上野. 川入キャンプ場キャンプ場管理棟前で嬉しいT先輩のお迎え.12:25 遊歩道を下りゲートで待つ間もなく滝島氏と出会う。朝7時に鶴ヶ島を出発してきたとのこと。 下山届けを出している間に.テーブルには冷たいビールとチクワ.饅頭の肴が用意されていた。感謝に感謝の心遣い。 ビールを差し入れして頂いた広島の竹永氏にも感謝が耐えない。下山しての差し入れは特別の感がある。ビールの旨い渋みが喉を潤す。 T先輩は4日前.広島のT氏と信州高妻山に登り.今日は我々を迎いに来て下さった。 川入「いいでの湯」にて.川入温泉保護センター「いいでの湯」.ナトリウム塩化物.硫黄塩温泉.¥500に入浴後.集落にあるそば処「長谷川」へ。 ![]() 山都蕎麦処「長谷川」で.13:45 再び野菜を齧りビールをあおる。段取りして下さったT氏には3人共々返す言葉がなかった。満たされる気持に沁みるビールも.煙草も旨かった。 磐越西線 jr山都駅舎前広場にて米沢,会津西街道 米沢街道は山形県米沢市から飯豊山へ連なる吾妻の山々を越え会津若松と結ばれている。 南下する会津西街道(中奥街道.南通り.下野街道.南通り)はほぼ現在の国道121号線に沿いになる。 会津田島からの旧道はやや西側の山間地を通り.山王峠越えをし栃木県に入り.五十里経由で日光今市で各街道と合流している。 その先は宇都宮で奥州街道(日光街道に重複)と結ばれ.或いは例幣使街道から壬生道へ抜けている。 この米沢.会津西街道は奥州から会津と関東を結ぶ昔は重要な険しい街道だった。 私達は帰路を北会津から南会津へ縦断し南下する形を取った。米沢,会津西街道をS字状に避けるルートを選ぶ。 途中,北会津の北限から閑散とした磐越西線山都駅に立ち寄っている。T氏の心遣いからである。 強い陽射しに照らされ人影のない駅前の小広場にでる。本来はここから帰京する筈だった。 車は喜多方回りで会津坂下から会津若松の街並みを避け里道に入る。T氏もドライブ道を楽しんでいる。 ただ車の外は36℃の猛暑.蒸す暑さは道路にただずむだけで立ち眩みする。コンビニを探しアイスを放ばりもした。 磐越自動車道(新潟=郡山)とjr只見線を横切り.助手席のS氏と地図と睨めっこしている。 会津美里よりR401「くねくねの峠道」を会津高田から阿賀野川上流大川右岸沿いに会津田島へでた。 西の麓を縦断する旧会津西街道の途中には水玉峠があり.近年観光で賑わう大内宿がある。 この山間ルートは時間省略のため.国道を南下.塩原にでている。 会津鬼怒川線沿いに登り山王トンネルを潜れば懐かしい上三衣の三差路にでる。西街道を分け.後は塩原に入り箒川を下るのみだった。 17時台の通勤時間帯に西那須野・塩原ICに乗る。100k以内の格安高速道でjr鴻巣にでて解散した。 前もって計算されたT氏に又もや驚きと感謝。・・会津への鉄道.街道経緯
青春18キップ 普通列車の自由席が1枚のキップで5回まで利用できる。年齢制限はなく1人で5回利用でき.同一行程ならば5人でも利用できり利点もある。 1回は乗車当日限り有効。翌日にまたがる列車は0時を過ぎて最初に停車するまで有効。 ただ快速以外の列車利用は運賃も必要となった。3月.7月.12月の年3回に利用可能期間がある。夜行精算は下車駅 青春18キップを始めて使用,5回分で¥11.500. 御徒町駅で押してしまった切符が御徒町=新宿間で一切符と。 何が何だか訳が判らずトラブルになるが坂町駅々員の厚意で有効に利用させて頂きました。 結局坂町まで乗車するも使用した切符は1枚. 残り切符を換金し反省会をT氏を含め池袋「ライオンズ」で催す。 快速「ムーンライトえちご号」 新宿と新潟間結ぶ夜行列車。山手線.東北本線.高崎線.上越線.信越本線を結ぶ夜行バスに対抗して設定された定期快速列車。 現在は特急用車両を使用して運転。指定席¥510 jrボックス席 山行が1週間延び.座席予約は発行日当日になった。列車は1号車。3人ではボックスが取れぬと思われたが.満席でも用意されていた。 それを知らず.列べる席へと席を替えて頂いた事が失敗だった。終着新潟までボックスの1つの席は空いた間々になっていた。 JRの心使いが判らぬ私である。反省 高層天気図8月3日9時〜7日9時 飯豊連峰T.梅花皮沢から石転び沢雪渓 飯豊連峰U.梅花皮小屋⇔北股岳.一大日岳 飯豊連峰V.御西岳一飯豊本山一三国岳一川入・・御鏡雪・赤トンボ 飯豊連峰W.三国岳から川入の集落・・ご来光・ブロッケン・川入で滝島先輩と合流 |