| 雲取山Top 奥武蔵山地南部Top 奥多摩.奥秩父東部概念図,山行表 雲取山都県界尾根の踏破録
雲取山都県界尾根(秩父・奥武蔵)側とその周辺
霧藻ヶ峰にでてから北面から和名倉山へ掛けての視界が開かれる。 東西に延びる2つの尾根の裾下には見えぬ秩父湖と奥秩父もみじ湖がある。その先に両神山が顕著な輪郭で独特の峰を築き望まれた。 両神山は昨年.滝さんの誘いで薄川日向大谷から両神山をピストンし.今年4月には見城先輩も参加して裏側の金山沢から八丁尾根を周回している。 山塊は西に大きく裾野尾根を持ち.東側のくびれた神流川流域は荒れた頂稜が三国山へと綴っている。 その奥に広がる山域が西上州の山々。秩父からも近く.群馬生まれの仲間もいる。これから登る山域になろう。 和名倉山東面 ![]() 和名倉山(大滝では白石山).二瀬尾根と手前右尾根がナシ尾根.左尾根は仁田小屋尾根 仁田小屋尾根は最近径が整備され始める.登り5時間半.下り4時間.長い雲取林道の歩きがある,, 和名倉山 真向かいには大洞川を隔てどっしりした和名倉山が大きな二瀬尾根を秩父湖に落している。 ナシ尾根と挟んで和名倉沢が遡上し.朝日を浴びる和名倉山はここから眺めると私を魅了する藪山を築いていた。 二瀬尾根は今回の昭文社地図には難路として初めて記入された。将監峠から横断できれば素晴らしい山行となるだろう。 ただ白岩山から望むと.奥秩父背稜から頂への尾根上はあまり変哲を持たず高度を保っていた。そこが微妙で欠点でもあるが。 お清平(お経平)からの登り.14:31原生林 この登山道はコメツガ.シタビソの原生林に森が覆い尽くされているものの.1960年代の荒川水系は伐採で相当の被害をもたらしていた。 稜線付近だけが伐採を免れ.現在自然林のよう見える森の大部分は伐採後に「勝手に生えた」と云われる二次林として成長したものようだ。 それでも晩秋に訪れると落葉のラッセルは心地よく.蹴る音色がカサカサと響き.楽しましてくれている。木の太さは大きくても一抱き程度になっていた。 長沢背稜では日原川本流左岸の長沢谷は伐採されたが.その以外の上流部は都内最大の原生林が残されている。 又巨木の山としての雲取山は富田新道を通る野陣尾根の上部は落葉松の植林帯に替えられていた。 七ッ石尾根や三条ノ湯周辺の後山川上流部にも林立する原生林がある。それらは埼玉県側から入る多摩川水系の上流に限られている。 尾根が痩せるとコメツガ.シラビソの原生林に被われ樹葉はその瑞々しさが美しく.大洞川の支流.鷹ノ巣沢のツメに向け.カメラに収めている。 少し長い登りとなる。ペースは落ち気味になり.慣れぬ体にゆっくり小まめに休みを取っている。 白岩小屋では屋根に布団が干していた。長閑で懐かしい風景を見ていた。木造で10人収容の小さな可愛い小屋。古さを保つ小さな小屋だった。 芋ノ木ドッケ(芋木ノドッケ) 原生林に被われた長沢背稜分岐.15:27気にはしていなかったものの.語る言葉を耳にする。初めて秩父から奥秩父.所謂武州.奥多摩へ抜ける境に立っていた。 白岩山と芋ノ木ドッケは双耳峰で昔は合わせて白岩山と呼ばれていたらしい。 芋ノ木ドッケから南東に派生しているのが二軒小屋尾根。日原川の源流である大雲取谷と長沢谷とを分けている。末端近きを大ダワ林道が越えている。 三峰から歩むと芋ノ木ドッケはコブにも満たい所で樹林に被われていた。芋ノ木ドッケの中腹で長沢背稜からの登山道を左手から合わせている。 道標や抗木など人工的なものがなければ.ただの小平地で見過ごしてしまう所だった。 自然そのままの雑木が絡み合い.枝木は周りを大いなる藪で閉ざしている。 陽が射せば素晴らしい樹葉に洗われるだろう。重く垂れ込んだ雲塊りが帳近しと早めていた。 そこから大ダワを越える。穏やかな傾斜となり脊稜の静かな散策路が続いている。峠への径.落葉も深まり.遊び気分で足も軽やかに。 大空は何時の間にか淀みだし.層雲は次第に厚みを増している。 大ダワへの径 傾斜を失った深い樹林の森を縫う.15:35 雲取山荘北側の手前がテント場.16:31大ダワ寄りの旧雲取ヒュッテ.16:25 雲取山荘 2階の西側の個室.9月26日20:00雲取山荘 今回は2月に使用した部屋の対面.西側の個室5畳部屋に入る。小さな炬燵テーブルが部屋中央に備えられている。 文句は言えぬも春に来訪した時の部屋は広い。2人で宿った部屋は大きな炬燵に広さも8畳はあった。 宿主親子がハイカーの世話をしている。小屋番の皆川さんとバイト達だろう中年女性は陰の仕事に専念している。 挨拶だけで中々話す機会はなかった。朝方も炊事場の隅で黙々と手を動かしていた。帰り際の挨拶は「又平日に入山してください!」と。 冬期と同じ2食付¥7500 トイレに一言 山荘内の便所は使用禁止,今年の冬は使用していた。手洗いのため雪の詰めたバケツも用意されていた。 無雪期は閉鎖され.広場の向いにある都の公衆便所を利用する。宿泊約100名で今日は少ないというも,トイレの数が少な過ぎた。 あるのに使用できないのが不思議に思えた。個人所有の山荘で他人のもので褌を取っている。その理由は判らないが。 後日判ったことに夏用水洗公衆便所が1996年05月完成.99年10月には雲取山荘が新築されている。 又2002年11月に牡蠣殻の浄化槽を利用した冬季用水洗トイレが完成される。誰もが使用でき小屋からも直接入れるそうだ。 9月28日曇 雲取山石尾根から赤指尾根を下り峰谷へ.更に下り峰谷橋からタクシーを拾っている 雲取山山荘から2日目にして雲取山に立ち,石尾根から七ッ石山を経て.赤指尾根を下っている。 下見の資料が不十分で峰谷にでても湯舟たる建物さえなかった。それではと青梅街道.峰谷橋まで下り.「鶴の湯」へ偵察するも閉館している。 更にタクシーを氷川の「もえぎの湯」へ飛ばしたがここは満杯で入浴できなかった。結局.駅前の食堂で解散の運びとなった。 雲取山―七ッ石山―赤指尾根 山荘6:15一6:40雲取山:50一7:50ブナ坂8:00一8:20七ッ石山:30一8:55峰谷分岐一9:35赤指山分岐:45一10:45小:55 一11:45原.峰線作業道ゲート一11:35峰谷渓流場:50一12:25青梅街道.峰谷橋. 朝靄の雲取山への径・・9月28日6:44朝発ち 前回は膝上のトレースを踏んでの登りだったが朝靄の湧き立ち舞うツガの森を登っている。 山道の脇に備えられていた鹿柵はボロボロに崩れ倒されていたが.真新しい確りした資材で立て替えられていた。 穂のかな風に乗り緩やかに動く霧影。木々を優しく濡らし.湿り気が多く含んだ公葉樹林は次第にその色合いを濃く染め始めている。 足元には岩苔が群生し.深みある緑の大地が瑞々しく.そこに山径が綴られていた。モヤが緑の色彩を引き立ててもいる。その粒が登山靴を濡らす。 肌寒くなると共に風を感じ樹海を抜けると雲取山々頂に立った。今回はガス濃く視界には恵まれぬが.雪のない地肌の三角点を初めて踏む。 霞み舞う雲取山 6:51飛龍山どころか身近の三ッ山すら見えぬが方位盤を囲む仲間達. 広い山頂には一等三角点ともう1つ.原三角測点があった。 後者は地形図作成と地殻変動計測の為に1882年(m15年)設置された三角点。以前のもので.同じように並んで設置されている。 前回は1mほどの積雪に埋もれていた。北側を除けば展望は申し分ない筈だが.今回は更に濃いガスの中になる。 和田倉山やその肩の向こうに見える筈の甲武信ケ岳の頭も霧中に閉ざされていた。 頂から続く石尾根の防火帯を下る。コブとも思わぬ小雲取山を越えヨモギノ頭へと。広くなったガラ場を下れば奥多摩小屋にでる。 霞はまだ解けず.下界の視界は全く望めなかった。落葉松林が日原川側の斜面を広く被い.モヤが幻想的な雰囲気を掛ちだしてもいた。 小雲取山の残景 石尾根上はガス強し.7:18積雪期に唐松新道を下るのも面白いだろう。谷間に被さる樹林は積雪に覆われ雪のトンネルが日原へ続くようなる。ただ下ってからの距離はある。 今年春先に新雪をトレースした仲間の姿を想いだす。防火帯は雪原化し.眩い登りとガス舞う小雪のトレースが続いていた。 あの時は鴨沢へと登り尾根を下りている。 七ッ石山 最後の急登を越えた七ッ石山々頂.8:26平将門の伝説は七ッ石山の山名の由来にもなっている。平貞盛による追撃を逃れるため,ここで影武者7人衆のワラ人形を作り奇策にでる。 追手は矢を放ち勝鬨を上げている間に逃れられたという。そして7つの人形は7つの大石に化身した。七ッ石山の将門伝説である。 印象的に残る石尾根と防火帯 七ッ石山の頂よりヨモギノ頭とブナ坂(ブナダワ).右奥は小雲取山.8:29下部のブナ平は登り尾根と唐松林道の十字分岐で.見た目は以外に七ッ石山の登りは楽だった。 上方,鴨沢への登り尾根分岐を横切る この先.千本ツツジ南方分岐から石尾根を分け赤指尾根を下る.8:47石尾根から小袖川流域を見下ろす 8:55赤指尾根(あかざす)と小袖川を隔てた登り尾根. 重なる右手が七ッ石尾根の赤指山. その背に横たわるのが大平尾根。 正面向いには大寺山.鹿倉山の村界尾根(小菅村と丹波村)が連なり.丹波峠の右先が中指山になる。 赤指尾根とは赤指山付近が赤土でなだらかな地形であることから由来とされていた。石尾根の七ッ石山コを越え赤指尾根へ回り込む。 赤指尾根ツメの伐採地帯から下降.9:07赤指尾根 赤指尾根は小袖川を隔て登り尾根と並行して延び.石尾根の千本ツツジから奥多摩湖の湖畔.麦山から先へと岬にを綴く緩やかな長い尾根。 名の由来である赤指山は.1/2.5万図に示されているピークではなく.その下の1333mの三角点峰であるとされている。 コブを越え緩やかな登りで三等三角点峰に立つ。過って「奥多摩」宮内敏雄著では「3882mあたりが赤指山. 1332.5mの三角点峰は ネドウチノ山ノ神」と記されていたるただ地形図「奥多摩湖」に表示され.現地の山名標もこの三角点峰を赤指山をさしている。 赤指尾根を下ると尾根幅が広がり.そこには伐採された倒木がゴロゴロ転がっていた。その中を縫うよう山道が綴られている。 頂稜の石尾根から続く植林帯は峰集落の上まで広がり.峰谷川左俣流域は浅間尾根まで扇状に植林されていた。 背稜の分岐より20分ほど下ると1400m材木運搬用モノレール軌道が左から接近し.登山道と平行して走る。.確りした土台に乗る引込み線もある。 この軌道は単軌道の茂久保線. 尾根筋の東側を並行して走り.1364m点の豆八小屋跡から東尾根を下りている。 モクボ谷右岸の支流.白仁田谷(しろぬた)左岸尾根を下り出合にでている。出合では.山葵田脇の峰谷林道の終点と結ばれていた。 赤指山.三角点標石のある頂の北側. 赤指山コブの更に北側鞍部にあるのが赤指尾根の分岐1290m。 尾根と離れ.赤指山の東山腹を並行して下り.一度.峰線作業道(林道)を横切り.再び峰林道(峰線作業道)に入っていた。 手書きの道標がなければ全く分わからぬ所だろう。 峰谷で風呂に浸かる計画がなければ.本来なら尾根末端の奥多摩湖峰谷橋まで下り.留浦か小留浦へ下るのが常道だった筈だが.これも又よし。 赤指山からの眺望や1228m付近のなだらかに開かれた尾根筋の地形や. 或いは急斜面にへばり付く山上集落の絶景ポイントを知ることができた。 今回は登山道としては尾根通しの破線路を通らず.峰谷川の「下り」から「峰」の山上集落を経て峰谷に下りていた。それがよかった。 峰線作業道(林道) 峰線作業道を少し進み横断し峰林道から峰谷林道へ.10:36警告ポスター 一度林道を横切り.再び杉林に入り下ると峰線作業道のゲートがある。潜って林道沿いに下ると留浦(とずら)の峰.峰谷の集落にでる。 麦山峰線林道は峰谷から入江の西側山腹を綴り.「峰」を過ぎ峰線作業道と繋がり.峰谷川の支流.クゴウリ沢の手前をUターンしていた。 更に赤指尾根の1228mコブ南から主尾根筋を北上して.林道の終点は赤指山の南鞍部まで延びている。 ゲートには熊出現の真新しい警告ポスターが貼られ.又登山者向けのニホンジカ捕獲実地ポスターも並ぶよう貼られていた。 これらのポスターはこの山中2日間でよく見掛けている。登山道の通行には影響はないとと謳うが.対象は奥多摩町管内全域に跨っていた。 今年3月笹尾根大羽根山で2人の猟師に出遭っている。猟犬の吠える声で判ったものの沢から登ってきた。今朝.鹿1頭を仕留めたと聞きゾーとした。 今でも鉄砲に玉が込められているのでと。 不遇にも道に迷い下る途中だった。久し振りの藪漕ぎで猟師達に出会っている。私は1人故,尚更目立たない。 下山は猟師とは反対側の沢を下る。踏み跡ない沢沿いのルートを自ら開き.獣道で仕掛けを見付け.森川林道にでてホットしたのは言うまでもなかった。 許可標識によると2008年04月~09年03月まで奥多摩地区の散弾銃.ライフル銃及びわなの1年間の使用許可が下りている。 「峰」の集落からの三頭山 谷間には峰谷林道が綴られ.下流に峰谷の集落がある.11:03左岸の尾根波は水根山南尾根と榧ノ木山で西側に分かれたポリ尾根.右肩が赤指尾根の山腹 峰の集落 登山道は作業道を一度横切り.再び合わさった所で,再び杉林に入るとその先で舗装され生活道を兼ねた峰林道に合わさり.「峰」集落に入る。 急傾斜ををジグザグに刻む道に下ると深く落ち込んだ谷間の斜面に「峰」の集落が見下ろされた。ここでも素朴な1文字の地名が名付けられている。 この峰谷川上流の集落「奥」.「峰」.「下り」は峰分三組と呼ばれ.留浦(とずら)本村の分村に当り.素朴な地名だった。 又「峰」にある集落は険しい急稜の崖フチにあることを意味していた。峰谷川の対岸に認められる「奥」と共に標高は東京都の最も高所にある集落。 「峰」は江戸時代から続く集落で2017年現在. 山葵の栽培を主に19所帯が生活している。 それぞれ「山奥深」.「高峰の峰」.「両集落が落ち合って下った所」と判り易く.「峰」.「下り」を抜けて峰谷地区に下りている。 又同じ奥多摩の「峰」でも鳩の巣の峰の集落は林道の衰退に合わせ.日常生活の特に何より水の確保が不便で昭和47年に廃村になっている。 淡いピンクに色添えられて蕎麦の実 「峰」の集落・・家先の小さな空地を利用している.11:13東京都下で最高所の山上集落というだけあり.急斜面に石積みを組んだ民家が点々と綴られていた。 棚田さえ強いることのできない家屋と小さな庭先。猪避けの柵に囲まれた空家も多い。ただ人々はそこに住んでいる。 庭先の狭い畑には蕎麦が植えられていた。丁度白い花に混ざり珍しい桃色の花を咲かせていた。 その狭い蕎麦畑の下.深く抉られた本谷下流の谷間を隔て.遥か彼方に霞み三頭山が独特の山容を誇り.裾野を広げて望まれた。 後日調べで蕎麦の花がピンクから赤色に変わる美しいヒマラヤ生まれの観賞用蕎麦だった。「高嶺ルピー」と云う品種. 大規模な赤蕎麦畑としてはjr飯田線の伊那田島駅.直ぐ近くにあるようだ。 林道 「峰」の集落を抜けと林道峰線を右手に分け.その間々長い急坂を駆け下りて.峰谷川の河原に下り立てば林道峰谷線にでる。 そこからは上流二俣の三沢まで遡ると右手に支線林道奥沢線(舗装された生活路)を迎え.鷹ノ巣山浅間尾根末端上にある「奥」の山上集落に至る。 「峰」の集落から林道を下る折.遠く対岸の山上に孤高の「奥」の集落が同じ高さで望まれた。 山肌にへばり付き.しがみ付く姿は遠くから望むと尾根壁の中にあった。ここ「峰」も別の場所から望めば同じように見えるのだろう。 その奥には更に頭上に延びる短いダートの林道.坊主線がある。 峰谷集落 道幅が広くなり林道を下る蛇行も緩やかになると林道の起点.峰谷の集落にでる。ここまではjr奥多摩駅からの路線バスが通っている。 上部に比べると大分雰囲気が異なり.家屋は風格を持ち.庭もやや広く猪用の囲いもなくなっていた。 滝島氏が道端で瑞々しい茗荷を見付けた。私は3房ほど土産に持ち帰る。 池田氏の体慣らし山行は計画通り終えた。ただトラブル続きの山行はまだ続いている。 茅野から入山.前日に秩父に入るも予約した宿は日にちを間違えて予約していた。そして宿を改めて探す破目になった。 今日の下山場所.峰谷では事前からの宣伝文句で.入浴と食事を楽しみにしていたが「清流荘」は廃業し.今はその建物すら存在していなかった。 古過ぎるガイドブックで確認がもされずに入山している。今11時半.路線バスの乗車は16時発になる。待つと4時間半と長い時間になった。 缶ビールを購入した雑貨屋で情報を仕入れ.期待して電話して頂くも状況は変わなかった。 又ここは今年2月に下山した登り尾根末端の溜浦と同じ地区にあたり.その時も日曜日に係わらず湖畔の食堂は全て閉店していた。 時期を問わず店は閉ざされ.過疎化が更に進んでいるようだ。 タクシーに乗ろうと云う池田氏を退け.青梅街道まで歩み.バスを待つことにした。峰谷より雲風呂.坂本と抜け.峰谷川の広い河原を蛇行し.そのヘチを歩む。 半ばで入り江の湖畔道に変わり.出合手前には氷川小学校があり.正門前の左電柱上にスズメバチの巣があるのを見ている。 峰谷川出合.峰谷橋 青梅街道.左手の入江から右に奥多摩湖湖畔が広がる.12:40突き当たりのT字路を左折すれば留浦.峰谷の集落にでる。峰谷橋を渡ったT字路右脇が麦山林道の起点 12:25峰谷橋.京王ワゴンタクシー¥3960. 13:00=13:25奥多摩「もえぎの湯」一JR奥多摩「奥多摩ホリディー号」¥1210.15:25 =中野=神田=秋葉原=17:20御徒町. 出合峰谷橋 街道沿いは路線バスの便が多いと言うもののjr奥多摩駅行は14時25分発。まだ2時間も待たなければならなかった。 風呂も食堂も街道沿いにはない。滝島氏と同期鈴木が対岸に渡り.「鶴の湯」へ偵察に出るも.古い館の反応は鈍かった。 その間を待たずに昼食を摂ってしまった池田と田中先輩達。腹が減ったからと言われれば.その場で挟む言葉も失っている。 鈴木が昼食を忘れ.朝小屋に頼んでいた。皆で分けるから断わるよう忠告した本人2人が.鈴木が居ない間に食事を摂ってしまった。 奥多摩駅から呼んだタクシーが迎えに来るまで.3人で侘しく私の昼食を分け合っている。情けない話である。 ワゴンタクシーには他に登山者1人が便乗.駅で降ろし奥多摩温泉「もえぎの湯」へ。割り勘にするとバス料金と変わらず徳した気を起こさせていた。 奥多摩温泉「もえぎの湯」 ただこの「もえぎの湯」も満杯で外で待たされる。秋のシーズンを迎え,ロッカー不足で入浴を終えた人を待つ。 建物の割りに湯殿は小さいが人気があり.慣れた手付きで整理券を差し出していた。 1998年07月開業のまだ新しく湧き出した温泉。駅より徒歩10分ほどで新氷川トンネル手前を右手に入る旧青梅街道沿いにある。 日本列島最古の地層と云われる古成層.奥多摩の地下深くから豊富に湧き出した温泉で無色透明のアルカリ性フッ素泉. 湯はトロリとした感じで指で擦るだけでヌルヌルとしていた。源泉は19℃.2時間¥700. 満杯の館はここでも食事は摂れなかった。奥多摩駅で時刻表と睨めっこ。今の様子では駅前の食堂で済ませるのが無難と思われた。 吊橋を渡り河原から国道への道。信号待ちをした出合橋上で.峰谷発14時25分の路線バスに擦れ違う。 よく見ると橋のたもとのやや大きな館には日帰り風呂の看板がが掲げられていた。 名が知れだした「もえぎの湯」. 東京からわざわざ訪れる湯客と同様に考える必要はなかった。日帰り風呂ブームとは異なり反省させられた。 バス発着所奥の食堂.今年2月に雲取山へ登った時と同じ食堂に寄り食事を済ませている。 大分昔のことだが広場を挟んだ駅前.角にあった食堂「丸花」の女将さんには大分世話になっている。 奥秩父大常木谷を遡行し連日3日間雨に叩かれ.最後は下山して豪雨になった。暖かい食事に風呂を世話して頂いている。 その店先のガラス戸に閉店の張り紙が貼ってある。勝気な女将さんだったが.もうよい歳だろう。暫く店を閉じているようだった。40年前の話 雲取山を往復して私鉄とJRの運賃の差.違いを改めて認識させられた。帰宅の途中.御徒町駅で改札を抜けると雨粒が舞落ちてきた。 久振りの雨. 飯豊山行では下山しても難でもなかった足腿が.今回は重く引きずる感じを抱かさせた。 9/30日.富士山の新雪化粧化宣言を山梨県が発表。初冠雪は8月. ・・山と高原08「雲取山.両神山」 池田氏ガイド山行は10月26~27日.雲取山(三峰神社一雲取山一三条の湯) |