| 屋敷温泉「秀清館」と上信越自然歩道・・2つの聖平? と出くわす 北側の「聖平」は上信越自然歩道の登山口. その後戻り.下った先に現れたのが.もう1つの「聖平」だった。岩菅山登山口で.左岸沿いの旧道. 6.05. 湯上がる草津の里山 6.06. 華麗なシラネアオイと急稜の鳥甲山 6.07. 屋敷温泉と聖平奥から上信越自然歩道? 秋山郷屋敷温泉.「秀清館」 中津川の対岸左岸より左側の「かじや」.右の「秀清館」.5:41宿泊客 宿は我々だけだった。何を勘違いしたのか? T氏との連絡が悪かったのか? 女将は2組夫婦の入館を待っていた。 2間続きの宿.共に一部屋には既に寝具も用意されていた。驚きと共にホットする女将。尋ねると男だけだと気を使わなくて済むと。 又我々だけですかと尋ねると.こんな雨の中.来る人は居ないと言葉が返ってきた。ずぼらな言葉だが正直な人である。 2階に上がる階段の途中に燕の巣があった。今日宿るのは燕と我々だけのようだ。 宿のたたきを踏むと女将の次の言葉は山で他の者に会わなかったかと尋ねられる。 遭難騒ぎで昨日.一昨日とヘリが飛び回り,まだ発見されていないらしい。それも山菜採りで道に迷ったとか? 判らないでいる。山では今日.頂で1パーティしか会っていなかった。 内湯と外湯 部屋に入る前に風呂を勧められる。泥んこの体は湯船に飛び込めと。浴衣は更衣室に用意されていた。 玄関に置きっぱなしの濡れた衣類は乾燥室に納められ.他の道具類もザック.登山靴と全てが移されている。 ここも熱い湯である。内湯はやや熱め.硫黄分が多く草津温泉より随分白濁りしている。気候により湯気が変化する秋山郷唯一の硫黄泉。 窓越しに流れる中津川の瀬々らぎの音色を聞きながら湯船にゆっくり体を沈める。 T先輩と同期Sには済まないことをしている。隣家の宿「かじや」さんから軽トラを借用,ムジナ平へ車の回収に出掛けてくれている。 秀清館=ムジナ平間7km,往復約30分. 全てに感謝し,私だけがよい思いをしているようだ。湯に浮かぶ至福の時を得る。 湯殿でズボンのソデを水洗いした。濡れてもザラザラするソデの泥土を落とすが切りがない。洗濯機に放り込んで1回では落ちないだろう。 濯いでも濯いでも洗面器は泥水で埋まっている。下りで泥径に浸かり過ぎていた。乾けばよいと途中で諦め乾燥室に直行する。 聞けば皆も同じで見習っていた。 さっぱりした体に浴衣が似合う。 やや蒸し火照るも.畳に寛ぐ姿はこの上もない贅沢さ。テーブルにはビールが並べ大の字になる。そして後から入浴した仲間を待った。 夕方も朝方も曇天で霞み強く変わらぬ感じの外湯 朝も当然私達だけ6月06日18:51 外には玄関脇に開放的な露天風呂があった。民宿「かじや」との共同風呂らしく両端に入口があった。 道路側だけでなく何処からでも丸見えの混浴風呂。温い湯で夕食後と朝方に入ることになる。一般入浴外湯のみ¥500 秀清館はs45年のボーリングで成功.余った湯は河川に捨ている。源泉は和山温泉と同じ塩化物硫黄塩泉・泉温52℃ 日本名湯百選の湯に指定され.自己紹介では平家のかくし湯。露天風呂と山菜・岩魚料理の宿と広告マッチに記されていた。 長野県下水内郡(しもみのち)栄村屋敷. 秋山郷屋敷温泉.元湯「秀清館」.収容40名.宿泊¥10.500(各¥11.600) 最初予約をお願いした「かじや」は田圃が忙しく休業中 山菜ずくしの夕御膳.17:39御膳 草津では呑みが少なかったせいか.宿に着くなりよく呑んだ。ビールに始まり地元の判らぬ酒。 女将が知らぬと云うも口当たりがよい判らぬ酒である。テーブルには一杯並べられた小皿。 それは全てが生活の中から生み出された料理に思えた。山菜のフル・フルコース。 ウド.山ゴボウ.ネマガリダケ.葉ワサビ.フキノトウ.ジャガイモ.ジョウザニンニク.アケビの新芽.ゼンマイに似たコゴミと。 都会育ちの私には判らぬ山菜が並ぶ。咄嗟に知っているフキを名指せばフキではなかった。素朴過ぎる味の山菜が多い。 歯ごたえのないものや.食べて味が粗雑で無味に近いく感じられるものもあり.私には分らぬ山菜に食べられる山菜だと云う。 私以外は埼玉.群馬県育ちの先輩達である。考える彼等を見て.都会育ちの私に判る筈がない。 K氏が食べられる野草は何でも加えられているのだろうと説明する。ただ私には数多い山菜料理の中にはただの野草に思えるも多かった。 T氏が山菜の一番よい季節だと言う。Sも判らぬ山菜が多いとか。 私は繰り返し聞き食べるも,直ぐ前の名を忘れてゆく。教えてもらいメモした上記は一部. 殆どは判らず.食べているその場から忘れていた。 メーン料理を忘れていた。馬肉の刺身と具の多い猪汁.ご飯もいらぬ量がでる。イワナ1匹が入っただけの汁も素朴.そのままの味。 漬物は全て美味かった。それを摘みに宿からの差し入れの濁酒を呑む。女将の最初の言葉は今年は全てが不作.濁酒もそうだと。 旨いとは言わずに差し出した。それでも東京で買う濁酒より癖のない旨い酒だった。濁酒を空け.ウィスキーを空け.私の持参した角ビンも空ける。 不作は山菜にも及ぶ。今年は異常な暖冬で終えた。2m以上の積雪がないとこの麓の山菜はよく育たたないらしい。 岩盤に乗る土壌は雨水を吸収せず流れ.大木だけが根から吸い上げ.今年の山菜は育ちが悪いらしい。 毎年5.6回はする雪下ろしも今年は0。0である。この異常過ぎる天候不順はアルプスの氷河崩壊にも通じ,認めざる得ない事実だった。 除雪夫は雪下ろしと共に年間の所得を稼げられず.如何に生活せねばならないか。少しの棚田しかない土地である。 聞く程に寂しさが募り.語る言葉にを失いがちになる。 思いのほかきつかった鳥甲山。行動時間より地形急稜が下半身を疲れさせていた。終えた悦びより.終えた安堵感に酔っている。 明日は何処に登るのだろうか? リダーがT氏に変わる。私はこの地に着き.登れた山の満足感に満ちていた。 中津川を挟み朝方の屋敷温泉と屋敷山.6月07日5:28一瞬の陽射しを浴びた赤ー北峰 屋敷の集落と豪雪 屋敷の集落は平家の落人の里として知られているが.天明03年(783年)の大飢饉で滅亡した悲しい地区にある。 又日本有数の豪雪地帯でもあり.積雪量は日本史上最高の7m85cmを記録していた。 重なる豪雪に集落は閉ざされることも多く.つい数年前にも豪雪のため孤立し陸の孤島になっている。 そして1ケ月も何もできぬ状態が続いていた。56豪雪以来25年振りの大惨事だった。 除雪機器・暖房用の燃料が底を尽きかけ.ヘリコプターで燃料・食料品・医療等の救援が行われていた。 その後2001年以来工事は中止されたままになっていた広域基幹林道栄線工事は秋山孤立で再浮上している。 栄線は秋山屋敷の集落内,橋梁などは県による豪雪代行で対応されるがトンネルを含めた極野までの約2.2kmは関連事業費を含めると 100億円はかかるとされ,膨大な資金調達を国への働き掛け.徐々に工事は行なわれ始めていた。 今日.我々が下りてきた上の集落は80歳近い高齢者が多く.除雪や雪下ろしに莫大な費用が掛かり 栄村は現在飯山線沿いの地区に全世帯を疎開させ.屋敷の冬期間は無人の集落になった。 秋山郷は4年前(2006年)の大雪で積雪4mで国道が通行止となり.それ以来の豪雪になっている。 昨年の異常な暖冬も束の間.3mを超す積雪に覆われた。下の集落では65歳以上の高齢者が67%を超え.生活路も間々ならず。 学校の始業式から1週間遅れで通えるようなった。信州放送ニュース特集より.2010.01.15 疲れのせいか眠気もよければ目覚めもよかった。朝方4時半起床.外は明るくなるもまだ宿の誰もが眠っている。 渓流釣りを見学に河原に下りる。集落入口の1970年橋梁の屋敷橋に平行し.新たな橋の道路拡張工事が行われていた。 中津川左岸上を通る新国道と繋がる2車線の橋梁工事.今年には完成すると云う。 対岸に渡り国道を登ると川畔に宿った秀清館が霞む川畔に見下ろされた。その上の山が昨日下るのに苦労した屋敷山になる。 朝方の最初の陽光が鳥甲山赤ー北峯に照り始めていた。暗くガスに落ちた隠山はこの時だけは入山以来初めて望めた岳だった。 山は荒れていた? 深い霧に包まれ霧雨が舞う荒れた山だった。荒天でなくとも山の地形がそのように見せている山でもある。 昔は入山までアプローチに丸一日掛かる山だった。登山口までの裾野は長く山並が連なり.低山とは言え遠く幾つもの山並を越えて来た。 無雪期は日帰りできる山になるも馬力のいる山だった。残雪期.やや遅めの時期に黒木尾根からのピストンが面白そうだ。 落ち終えた残雪を踏み分岐直下の頭にでる。ピッケルとザイルさえあれば如何にかなろう。今回と同じ静かな北信の山を味わう。 帰路.T氏より小赤沢からの苗場山へ誘われた。中津川からの入山と贅沢過ぎる山に.私は又酔い始めていた。 天災 2011年03月11日東日本大震災が起きた翌12日に長野県北部地震.震度6強が起き.その後も余震で2度の震度6弱を観測した。 住宅の全壊.半壊が多く総人口の90%が避難し.壊滅的な被害を受けている。 その後も9月の台風15号で大雨となり.2012年02月には平成24年豪雪で地震で通行止めとなっていた橋が積雪で崩壊した。 岩菅山が上信越自然歩道散策へ変わる・・2つの聖平奥
行先 昨日酔いながら語った今日の行先は何処へ行くのだろう。今日は山開きの岩菅山を聖平から登る予定でいた。 語るだけで先が進まないでいる。私は岩菅が駄目なら秋山郷まで入った今.再び来訪するには遠過ぎる八剣山を考えていた。 鳥甲山の西側の満水川上流のカヤト平.深いブナの森と湿原がある。判らぬ間々,朝方和山へ出向く。今日は気儘に先を任すことにした。 霧が切れれば鳥甲山東面の全貌を望むことができる。遅い出発は和山温泉経由で再びムジナ平へと。 和山温泉 和山温泉は鳥甲山の登山基地として,その昔は名主が所有し秋山の村人が管理(湯守り)していたと言われている。 中津川を透し鳥甲山の屏風の風景が素晴らしく.中央岩壁がここからよく望まれた。つい40年程前までは中津川を渡る籠ロープがあった。 切明温泉 昔は電力会社の事務所だけで風呂に入りたい人は自分で河原の砂を掘る方法で入浴していた。 中津川第一発電所の発電中止に伴い来週.2009.06.14〜21まで放流されている。 不精な釣人 中津川を渡る切明橋上で面白い光景を見る。漫画の一画面である。手を抜いた釣人が中津川右岸の高い土手から竿をだしている。 腰を降ろし両足をブラブラさせながら長竿でアタリを待っていた。動かず.渓流にも入らず.不精な形でイワナを釣り上げようと考えていた。 その時右足だと思う。長靴が抜け落ちた。慌てる釣人をよそに.落ちた長靴は水流に乗り流れだしている。 土手上で追う釣人。下流にはイワナを狙う釣人が2人.水流に入っていた。土手上の釣人が助けを求め河原の彼等に声を掛け走る。 拾いホットするも土手は高過ぎた。長靴を投げては届かず落ちた。求められた釣人も真剣となる。 チョッキを脱ぎ腕を回し再び投げるも前回より低い場所に当り落ちた。私の隣りでは仲間達が声を抑え笑い続けている。 そして3度目で漸く土手上に飛ばされた。遠いいも動きがよく判り表情もはっきり判る気がした。抑え笑い続けたのは私だけではなかった。 上信越自然歩道 間違ったもう1つ上流側の聖平・・岩菅登山道口.聖平奥のアライク沢出合口のある聖平から明るい陽射しを浴び新緑の高原を歩む 聖平登山口. L滝島m見城.鈴木.松村.10:44車から望む満水川出合を過ぎ雑魚川本流を遡っている。奥志賀スキー場で左岸の林道に入れば岩菅山の登山口にでる。 天候は落ち着き始めていた。少々遅い出発だが5時間あればピストンできるだろう。 林道はカーブ毎に.カーブ地点番号が示され.12で聖平にでた。道標はないが案内板があり岩菅橋?への山径が綴られていた。 注・・2016年5月に再び訪れた折 清々しい梅雨前の森.10:59 アライタ沢を渡り戻る.11:54間違った岩菅山 ここから入山したのが又トラブルの原因となる。なだらかな麓に暫く入り.水場があり登りになった。 そこは又正に岩菅山登山道と同じ地形を感じさせていた。ただ延々と方向を変えず.登りも失い平坦な山道が続いている。 途中では双子平への道標があり.下り始めていた。双子平とは? 車のスパーキングの音を聞き山道が間違っているのを知る。進む先に焼額山(やけびたい)が聳え.コースは完全に間違っていた。 上信越自然歩道に入り込んでしまったらしい。聖平に戻るも狐に包まれているようだった。 再び確認した案内板には聖平とある。山道は他にない.1本道だった。枝道もなかった。 地元の人に会い尋ねる。(上流側11)から400〜500m先(下流)に登山道があると。志賀から入山するハイカーには直ぐ判る地点だった。 ただ反対の秋山郷から遡って来た人には判りずらい場所。又紛らわしい同じようなポイントと地名は同名の「聖平」になっている。 地名の聖平は点ではなく面のようだった。全く違った場所に同じような山径がある。 登山道入口から磁石で確認すれば判ったかも知れない。ただ聖平の場所を示された1本道。 もう少し丁寧な標識が1つでもあれば,何処から来ても判った筈である。せめて自然歩道たる印が欲しかった。 後調べでは下流側の「聖平」からアライタ沢右岸沿いにあった作業道を遡上し.北側の尾根を詰めれば尾根上で登山道に合わさり.ノッキリにでている。 上信越自然歩道 志賀高原には幾つも遊歩道が整備されている。その一番北側に属する又七山から岩菅山間の西麓を平行して造られている遊歩道。 車の便が悪さもあり.歩む人も疎らになる。 R502号線を挟み雑魚川左岸の源助沢出合付近より右岸沿いに雑魚川源流の一ノ瀬まで続いている。 道幅はあるも歩む人が少なく.被い茂る木々に閉ざされ道標も少ない。ただ吉川.中沢に架かる橋は立派だった。 少し荒れる径は里山の山の径として思えば静かな散策を味わえられる。距離にして1/3ほどで戻ってしまったが眺望はない。 綴る森はこの時期ではの若葉が被い.青葉の軟らかい重なりが陽射しを煌かせ.木洩れ日が森を若葉で明らめ差していた。 自然歩道はその森を潜り抜けている。 情けなく登山コースを間違える。地元の方は分かるも.初めての逆コースからの入山は.理解するのに難しいコースだった。 端理屈は云いたくないが.道標は当然.菅平方面から入山するとの考えて立てられていた。それがその直ぐ先に.同じように河川が湾曲し. 奥も似た感じの場所.似た地形で.同じ名の取り付きがあった。「聖平」とあるのみ。 岩菅山ルート 後日と云っても2014年になるが再び登る積りで調べると直ぐ下流側に同じ地名の一般登山道コースが綴られ,ここにも踏み跡からのルートがあった。 橋にでたらそのまま小径になり遡る。そしてアライタ沢とハシゴ沢の中間の無名沢を遡り.前のコース1739m上の1740m強で登山道に合わさる。 後はノッキリへ。コ-スタイムなし.ツメは難路? 信州霧峰山岳会石川秀規氏・・13年04月.豪雪で登山口に届かず中止.更に14年天候と火山レベル2で中止。 志賀木戸池,大休止 13:199聖平12:05=12:30木戸池,大休止13:30=14:20スパックス草津:40=榛名山=伊香保温泉=渋川・伊香保IC =鶴ヶ島IC=18:15東上線.若草=19:10東武池袋. 志賀木戸池々畔・・ジョウゴ2 山への諦めも早かった。T氏が勧める志賀の池畔で昼食を摂る。木戸池ボート乗場.日曜日でも遊船する人は居なかった。 昨日鳥甲山で食べる筈だったモチと生卵入りラーメンを作る。山越えした食材は生き美味かった。その後はコーヒーはゼザートと水羊羹が付く。 又S考案のジョウゴが披露された。前回妙義山では湯をフィルターペーパーに注ぐのに溢れてしまい.彼が即席のジョウゴを考えてきた。 1.8L酒紙パックの口元を残し切断した簡単なものだが彼は自慢しとうとうと述べていた。 それに加わったのがT氏. 共同作業でコーヒーカップに注いでいる。見ている方が2人仕事で煩わしかった。 ままごとをしているようで.細かい動作ゆえ1人でする方がよさそうだ。 2人でしたい仕草はほって置くに限る。後日聞くに更に工夫し.口を斜めに改良.より使い易くなったとのこと。 草津白根山の裏側に広がる茅ケ平 14:03茅ケ平の湿原は荒々しい白根山とは対照的に.約300種類の植物が自生する上信越高原国立公園の特別地域に指定されている。 中央奥は上州の山々.中央で霞んで浮かぶ浅間隠山と鼻曲山. 右が白根山と本白根山.左手前が芳ケ平湿原. 左上の山麓が草津温泉・・渋峠南側Pより 火山レベル2の中.裾より芳ケ平湿原と本白根山に入る・・2014.08 再び草津で一浴し帰京する。吾妻渓谷に架かる八ッ場ダム工事は昨年の北軽井沢山行の帰路に比べると工事も大分目立つようなってきた。 街道から臨むと谷間.山腹と渓流のあっちこっちで工事か行われていた。完成まではまだ大分先だが工事は着実に進んでいる。 T先輩が私とSのため直接街道に下りず.榛名湖・伊香保で回り道を選んでいる。 バイクのトローリングコースを登ると湖畔にでる。やはり人も車も多かった。 湖畔は真夏の陽射しを浴び.山映る湖面は煌き湧き上がる白雲が又素敵だった。 何年前に来たのだろう。中学の修学旅行と卒業後.昭和50年代に遊びに来た覚えがあるが。 山越の東側を望むともう赤城山の広い裾野が開け.麓へ下れば渋川ICから鶴ケ島ICを経て東上線若葉駅にでる。 今回は計画通り全てを実行することはできなかったが昭文社「山と高原地図」志賀高原を読むと南から北へ.北から南へと縦断して 地図を冥一杯活用した山行になっていた。 ・・土産はT氏のジャガイモ.S氏のお茶.「かじや」からネマガリダケの煮付け ネマガリダケ チシマササ(千島笹)はイネ科の大型の笹の一種。笹としては大型で丈は1.5〜3m程.稈の上部でのみ枝分かれする。 花は穂状で約60年に一度と滅多に咲かないが.咲くときは群落全体が咲き結実後枯死する。 山地に群生し稈の基部が弓状に曲がるのでネマガリダケ(根曲竹)の別名もある。 ネマガリダケは5〜6月に収穫でき,北信ではタケノコ汁(ネマガリダケ+水サバの缶詰+味噌)として地元に人気がある。 昔はニシンから今は手頃に入るサバに。当日07日は岩菅山開山祭で発哺温泉でタケノコ汁が振舞われていた。 歯ごたえがある美味いネマガリタケである。 8月13日の日テレ.「県民ショー」で北信だけの味噌汗として放映された。06年06月那須姥ヶ平で束で持つ山菜採りの人に出会っている。 又私は福島県藤原川でヤマベ釣りの折.時折採り賞味していた。何でも加えられ料理に便利。 草津の里山と鳥甲山 屋敷温泉と2つの聖平.上流口から上信越自然歩道 |