| 会津只見三山Top 2010年10月15〜18日 L松村m見城.滝島.鈴木 八木原K邸・只見「いわさき荘」・六日町ダイヤパレスと宿を繋ぎ.改めて越後の山.只見二山を登る。只見の宿を起点にして会津蒲生山。 始発の列車で繋ぐのは浅草岳。八十里越から三国街道へは六日町ダイヤパレスに宿り.奥利根ゆけむり街道へでている。 10.16.五葉松と岩稜の会津蒲生岳・・カミキリムシ・カメムシ 10.17.奥会津最奥の浅草岳 10.18.奥利根ゆけむり街道と平川沼田線 安達太良山の同期会山行から東京に戻り.週を空けず3日目にして再び奥会津.只見三山へ出向く。 今年初めに同期鈴木から六日町での宿の提案があり.六日町を起点とした山行が企画した。秋たけなわの浅草岳を中心に考える。 会津最奥の只見へ 只見三山の二山.蒲生岳と浅草岳は田子倉から入叶津へ抜ける会津側からの入山コースからこの数年.密かに心に秘め調べていた岳だった。 郷愁誘うjr只見線に乗り.臨時停車場の田子倉駅から入山するのは一種変わった登り方で楽しみにしていた。 夏期には夜行列車があり強引ではあるが横断を試みることができるが華麗なる紅葉期の岳を仲間と浸りながら登る楽しさは別物だった。 その上三度渋川のK嬢邸にお世話になり..六日町の宿といい.3泊の優雅な山行を味わえられた仲間達にも恵まれていた。 浅草岳の裾野には江戸時代から越後と会津を結ぶ交易道として,六十里越と八十里越がある。優美な曲線を描く浅草岳と連聳して褐色の岩壁を 削立させていのが鬼ヶ面山。その両街道に挟まれた山塊にある。浅草岳は昭和に入ってからようやく登山者を迎えるようになり. 昭和46年に国鉄只見線が開通. 同48年には六十里越の車道も実現した。 それ以前は登山口の五味沢集落を含む北魚沼郡入広瀬村が登山口になってる。 五味沢集落からの浅草岳は関越道のなかった時代でマイカーのみの利用.下越五味沢からマイカーで詰め.同期大川と浅草岳の草原・残雪で遊んでいる。 その折は大変だった。車のバッテリ-が上り苦労した。越五味沢で油屋のトラックを見付け助かっている。 その後は只見線の開通を待って国鉄只見駅からタクシーを飛ばし.会津朝日岳に登っている。同期大川と会津只見線が開通したと只見線の始発と 最終列車に乗り.会津朝日岳に出向いている。この時は強引に日帰り2泊の山行だった。時期はどちらも1970年台の初めと終わり頃。 入広瀬からは卒業して直ぐ後輩達を連れ.天幕を背負い守門岳山スキーに出掛けている。当時はまだ只見線は入広瀬止まり。 貨物混合の蒸気機関車に乗っていた。改めて登る停車場からの浅草岳は長い間の願望の1つで今回叶うようになった。 中秋の関越道を北上し六十里越から奥会津へ・・まずは八木原のK邸泊,それから県境を越え.只見小蒲生へ。先ず蒲生山に登る。 夜明けの小持山 K邸の2階より.5:3010月15日(fri).晴 jr上野¥2.210. 14:00=高崎15:50=16:23jr八木原一「渋川スカイテルメ」=八木原K邸泊.終焉23:00. 10月17日(sut).小雨 K邸5:30=駒寄PA6:30=小出IC=R252.「六十里越雪わり街道」=9:20会津蒲生P:35一久保登山口. 仙ノ倉山〜谷川岳.国境稜線 関越道.駒寄PA〜小出IC越後三山 関越道六日町付近から.7:34帰路は小出から魚野川右岸の三国街道を六日町へ 6月の谷川山行と同様.駒寄PAでK先輩と私が加わり.滝島先輩に同期鈴木と全員が合流し関越トンネルを潜り越後へ。 早くも三国の国境を越えると今年はまだ錦秋の紅葉にはまだまだ早過ぎる魚野川を下っていた。 塩沢.石打ICを過ぎると関越道の右手に越後山脈が連なり望まれ.越後三山・只見国定公園内に入りる。 中越の魚野川沿うからは高速道を更に北上した。そして小出ICから六十里越えをし一気に奥会津へ走る。 六十里越 裾の里道では豪雪に備え家屋の土台を高くし.カーブ地点や橋粱橋脇にはそれぞれ高いポールを立て.周りの状況が分かるよう工夫されていた。 4隅に立てられたポールの高さから積雪量の高さを見せ付けられているようだった。 jr大白川駅を右手に見ると直ぐ破間川の二俣にでて.左手に本流を分けている。この上流は大白川・五味沢を経てる越後側の浅草岳登山口。 昔車のバッテリーが上がり.浅草岳から五味沢まで一度.空身で下りたコース。右手の末沢川沿いは街道とJR只見線が走る六十里越のルート。 この裾野はブナが広大な樹林帯を構成させている。二俣で右手に毛猛沢を分けると大きくUターンを繰り返す激しい登りになった。 体は左右に振られ少々酔い気味に.綴る街道をエンジンを轟かせ.車は高度げ峠を越えている。 六十里越は毛猛山からの越後山脈の主稜を横切り.鬼ケ面山を経て前岳から浅草岳にでている。 右手の谷間が只見沢.その対岸の中先尾根が今回選んだ登りのコース。六十里越隧道の両側に登山口がある。 高度差は殆ど変らぬが上流側の方が距離的には半分で峠にでられた。 隧道を潜って田子倉湖北岸沿いに東進し.只見沢橋(出合)を渡るとjr田子倉駅舎前で合わさる。ここは会津側の浅草岳登山口で明日登るコース。 今日は会津蒲生山を目指している。更に北岸を回り込み右下に田子倉ダムを見下ろすと一挙に急下降し.街道は只見の街並みに入る。 田子倉ダム 田子倉ダムは逆調整池(下流河川の水位変動を安定化させるために調節)で田子倉ダムの落差105.00mを利用した発電用ダム。 重力式コンクリートダムで堤高145.0m.堤頂長462.0m.奥只見ダム.御母衣ダムと並ぶ電源用のダムで1953年/1960年竣工 田子倉発電所(400.00KW)はタービンを改善し,奥只見発電所(561.000KW)に次ぐ国内で2位に位置していた。 阿賀野川水系水力発電施設の根幹として.首都圏及び東北地方の電力需要を担っている。1955年9月/1959年5月開始/1961竣工 夏の需要に対応して8年越しの1989年(h元年)には只見ダム.堤高30.0mの直下に.付設した只見発電所(65.000KW)が運転を開始 更に只見町の確実な水位調整の為.逆調整の為の滝ダムが下流に設けられている。重力式コンクリート.堤高46m.堤頂長264m.1959年/1961年 500KV只見幹線 上田発電所より上流の只見川については電源開発の幹線を利用して関東地方の電力を担い送電している。 本名発電所を起点に滝,田子倉,奥只見の各発電所の電力は尾瀬.赤城山東麓をほぼ一直線に南下し.利根川を渡河して埼玉県川越市にある 南川越変電所に送られ.ここから首都圏に供給され.更に町田市にある西東京変電所が送電線の終点になっていた。 ここで佐久間ダムなど天竜川水系で発電された電力も接続されていることにより.火力発電所との連携や緊急時の電力補給を担っている。 尚加賀野川水系只見川の電力配分は東電75%.東北電力25%となっている。 只見幹線は1969年6月竣工.奥只見湖から尾瀬七入を抜けて鎌田付近から赤城山東麓の東群馬変電所を経て.西東京変電所と結ばれている。 只見町の水力発電と只見幹線 「古,六十里越」 越後と会津を結ぶこの街道は田子倉只見町石伏から魚沼市入広瀬地区の新田まで六里の距離を結ぶ峠道。 六十里峠は難所が多く遠くに感じたことから六十里越えと呼ばれるようなった。 歴史的には上杉影勝が会津に移封の際に兼続と共に六十里を越え.会津に向かったと言われている。 国道252号線.六十里越えは1973年(昭和48年09月)に開通した。 78年の春に六十里越し沼田街道から御池にでて.会津大杉岳をスキーで登っている。帰路の安ヶ森峠を下り残雪が多く苦労した。 最近では平成18年度に「六十里越雪わり街道」という愛称を公募により決定。ただ積雪期は通行止となり.jr只見線が生命線を担っている。 別,「六十里越街道」 山形県寒河江から庄内の鶴岡,田麦俣へ綴られて街道。実際にあった難所の数から名付けられたという。 この街道に沿って走るのが左(あてらさわ)沢線で出羽三山参詣の道。現在は「月山.花笠ライン」と称し観光道路として賑わっている。 会津蒲生山へ 只見川に入ると緩やかな平坦地に変わり.只見湖左岸ヘチ沿いを綴れば只見の田園が広がり.街並に入りjr只見駅にでる。 アプローチは交差点で左に「只見駅」を見て.直進して.只見の街並を抜け一気に会津蒲生山へ。 この国道252号は新潟県四日町から会津若松の市中まで只見線と平行し走っている。 只見川左岸の河原道を北上すると左手に明日浅草岳から下る入叶津方面への道と分けている。八十里越の道.左折すれば下越への古道になる。 堅盤橋を渡ると車正面のフロントガラスからは蒲生岳の鋭い円錐形の山容姿を現し見上げられた。蒲生川を渡れば登山口の久保の集落に入る。 会津に聳える鋭角の小さな山・・・蒲生山 久保登山口一10:35鼻毛通し一10:55蒲生岳一12:45小蒲生登山口一13:00蒲生P=jr只見=13:40.民宿「いわさき荘」 会津蒲生山 9:33国道と会津蒲生の集落を抜けての会津蒲生山 ピラミダルに聳える蒲生山 会津蒲生山 企みは浅草岳登山の前にトレーニングを兼ねてもう1つの小さな頂.蒲生山から明日登る浅草岳を望もうと思っている。 標高は僅か828m.平均斜度は40度を超える山。登山道は南面の久保登山コースと西面の小蒲生沢コースの2つがある。 五葉松茂る蒲生山は久保登山口から入山し.奥から左に巻き込むよう小蒲生沢登山口へでるコースを取る。 国道から蒲生の集落に入り.左折して集落の中を綴ると会津蒲生駅脇の踏切まで車で入っている。ただその先は狭く渡れず.再び国道252に戻る。 国道沿いの蒲生集落集会所真向かいの駐車場は6.7台の車で満杯だった。同じようなコースを考えるハイカーが多いようだ。 その先左脇の待避所に駐車した。 集落からは今にも雨滴が落ちそうな霞む空を切り.蒲生山が見上げられていた。登山靴に履き替え.この尖がった山を目指す。 見た目そのままのこの小さな山は登ってから分かる馬鹿のできぬ.とんでもない馬力を必要とする山だった。 そして一味も二味も違う五葉松が茂る小山を詰める。 会津蒲生山の蒲生地区より 尾根末端より見る見る高度を上げる.9:41久保の集落から登り気味に道路をジグザグに切り.只見線の線路を横切ると森の縁に放水路が横切っていた。 その水路沿いに左手に折れ.50mも進めば登山道にでた。栗林を抜け右手へ回り込みながら尾根に乗ると次第に傾斜は増し. 五葉松林に囲まれたなるほどと思う急坂を詰める。 蒲生川沿いの段々畑 このブナ林の急登を詰めた上流に今日の下山口がある.10:07田園と集落 汗を掻き振り返ると高度は見る見る上がり.入山の時に仰いだ只見川対岸に聳える紫倉山とも高さを競うようなった。 只見川のうねりに色ずく田園と集落が里の風景を造っている。 山そのものは小さいが裾から突き上げる鋭峰は登り1本で.見下ろす農村の風景を箱庭の絵のような姿に変えさせていた。 只見川沿いに蛇行するjr只見線にデイゼルカーがエンジンを轟かせ.走り.鉄橋を渡っている。国道もそうだ。豆粒に見える列車や車はオモチャのよう走る。 只見川流域は今年.少し遅い紅葉に彩られ始めていた。刈り取られた田圃や畑は橙色や茶色の区画を作り.緑の大地をパッチワークで染めている。 その脇にコバルトブルーに染まる只見川の川面も映しだされ,天空は霞むも.大地は微妙な秋色のコントラストを描きだしていた。 上りのデイデルカーが走ってくれば列車は模型鉄道になる。山陰に入り見えなくなっても見詰めていたい気持を何時までも起こさせていた。 急な狭い尾根を登る小径は五葉松に被われた。 K先輩が「東京に持って帰れば1千万円はするぞ!」と云う五葉松が体裁よく枝を伸ばし.歩む先々に暫し現れた。 鼻毛通し.10:29久保登山コースは急峻だが変化に富み.上部で鼻毛コースと北岸壁コースに分けている。風穴.鼻毛通しと呼ばれる岩のアーチがあった。 衝立磐は過って岩間から松ノ木が鼻毛の様に顔を出していたことからこの名がついたらしい。 ここを過ぎると足場は狭まり.岩場のトラバースが続く。急登は更に強くなり息が上がっていた。 右手からもう1つの北面からの宮原登山道が合わさる。ここは2006年05月の新潟中越地震で崩壊し.通行禁止の処置がなされていた。 地形から見れば何処も納得いく状況だった。そして一息入れれば霧雨舞う蒲生の頂に立つ。 紫倉山と要害山 只見川上流側を見下ろす.10:48中央から手前にくねる只見川本流とカーブ地点が叶津川出合 遠く中央左に只見の街並みが眺められた。その奥右が朝方通った六十里越。 只見からは又田子倉湖に遡る只見川と桧枝岐に抜ける伊南川とを分けていた。その出合末端の尾根が朝日岳の頂へと綴られていた。 右手二俣対岸に聳える要害山は浅草岳から見ると東南東に延びる尾根の高積山から派生する東北東尾根の末端に位置する706mのピーク。 蒲生山を含めこの三山を只見三山と呼ばれていた。 叶津川は遡れば八十里越へをし下越へ。 要害山 「要害」とは守りに有利な険しい地形.又は砦を意味する。「要害山」と名を付けた山は全国に数多くあり.殆どが難攻不落の山域だった。 中世から戦国時代に豪族山内氏により築かれた3つの「要害山」がある。只見町(水久保城)の他に只見川沿い近くに金山町横田・金山町大塩と。 二荒神社が祀られた狭い頂には数パーティの登山者が陣取っていた。 展望が開かれ.360度望める筈だが明日登る浅草岳を始め会津朝日岳.毛猛連山など西方の遠望は霞みの中に閉ざされていた。 間近の浅草岳さえ望めない。ただここでも足元に広がる展望は田圃の中に只見川が流れ.国道や只見線が走り 何時までも飽きぬ絵地図として見下ろされていた。 蒲生山 大きな松が数本立ち.低い灌木に被われた頂に立つ。10:49頂に生える松は松食い虫に害されていた。枯れた枝々の茂みは赤く枯れた無残な姿を何本も現わしていた。 まだ元気な松も時間の問題らしい。手間は掛かるが放置すれば害は倍々に増えてゆく。 カミキリムシ 松の木に膨大な被害をもたらす松食い虫は「マツノジセンチョウ」と云う体長1ミリメーターにも満たない線虫が松の樹体内に入ることで. 引き起こされる。その線虫を松から松へ運ぶのが「マツノマダラカミキリ」というカミキリ虫。 春にカミキリ虫は羽化して.他の松の木にマツノジセンチョウを運ぶ。小枝の皮を食べる時,カミキリの体内から這い出したマツノジセンチョウが侵入。 夏になると増殖し松の木を衰弱させ.秋にはその弱った松にカミキリが産卵し繰り返される。 冬に樹皮下のカミキリの蛹室周辺に線虫が集まり.カミキリの羽化.脱出時にカマキリに乗り移るとのこと。 全国の被害量はここ数年減少傾向であるものの.被害は北海道を除く46都府県に発生し.引き続き的確な対策を勧める必要がある。林野庁. 山頂にて霧雨舞う昼食 紫倉山も霞み.11:10その脇でオデンの昼食を摂る。傘は如何にか差さずに済みそうだ。時折頬に雨滴が当たるも食器を持てば忘れるほどの雫。 ただ食事は汁の塩加減がやや強かった。豆なチェックを忘れている。 只見川の対岸に聳える柴ケ倉山 藤花峠への下り径で.1右奥が会津朝日岳.1:46只見川に架かる蒲生橋と寄岩の集落 頂から小蒲生川へ下る北側の山径。藤花峠までの眺望は右手に広がる只見川と寄岩の集落に限られていた。 突き上げる鷲ケ倉山とその裾野. 只見川を見下ろす展望も楽しい。国道に架かる寄岩橋と蒲生橋が寄岩の集落を結んでいる。 鷲ケ倉山の遠方右奥が会津朝日岳 頂から北側にコースを取る.11:46戸屋山787mと只見川を隔て霞む似蕪山968m 下山は藤花峠を経て小蒲生登山口へ。上部の下りは鎖の付けられた岩場とその下.樹林の中に付けられた固定ロープの下りが厳しい。 足場は確りしているが凄い傾斜を持っている。特にロープの下りは土壌の足場が横に掘られ.上から見えないほど垂直に落ちていた。 そして岩と根の絡む鎖場が続く。 どちらかと云うと久保登山道は鎖類の岩場に多く.小蒲生道は樹林に被われた北側に派生する切り立った尾根を下っている。 下る傾斜も表尾根よりも強い。そして北五葉松通りにさしかかれば藤花峠へ。 ブナの二次林の森 この先で巨木群が現れる.12:11中腹はブナの森の緩やかな山径に変わっている 大ミズナラ 樹齢300年の巨木.12:19ミズナラやブナの大木が聳える場所を抜ける。 巨木の番付表によると只見町で2番目のミズナラ(樹周4.9m.高さ23.0m)である。1番目は小川沢のミズナラ(樹周6.3m.高18.0m)のようだ。 他に蒲生川のサワグルミ(樹周5.87m.高さ24m)の巨木もあり.田子倉にはトチノキ.ミズナラ.叶津には大ブナ.ミズナラ等と番付を作り競い合っている。 樹周5m以下の巨木類は前頭とし蒲生から浅草岳に掛けて多く分布している。 その下に風穴があった。見逃してしまいそうな場所だがV字に折れる窪地の足元に小さな風穴がある。 案内板には昔麓の養蚕家が養蚕種を保存しておく為.ここまで上がってきたらしい。 蒲生川沿いの蒲生の集落 蒲生の里道.八十里越の裏街道.12:44対岸の紫倉山.鷹鷲ケ倉山 八十里越の裏街道 この里道は裏八十里越え真奈沢林道への道。蒲生川を遡ると左俣.真奈沢に入る。叶津川の芳沢に入り.裏街道から赤崩峠へ。 芳沢からは叶津川本流からフキ平を経て.国境稜線(会越国境)を越えてている。五右衛門小屋跡へと結ばれている。 今は踏み跡も間々ならぬほど廃道化し.稀にその姿が残されていると云う。 ・・「古道巡礼」高桑真一著.ヤマケイ文庫より 蒲生山西面 里道脇に咲いていたダリヤ.12:49jr只見線会津蒲生駅 小さな小さな駅舎とホーム.12:47人が大きいのではなく駅が小さい 急に傾斜が落ち小蒲生沢出合手前で小蒲生登山口にでる。後は緩やかになった里の道。 蒲生川左岸を10分も歩めば車を止めた国道の駐車場にでる。途中で左端にjr会津蒲生駅を見て.朝方の踏切を渡った。 可愛いい小さなホームだった。駅舎もゆうに云わず小さい。絵本から飛び出したような小人の国のホームと駅舎がある。 只見線は普通2車両編成の列車だが.時には臨時の長い列車も通う。その2両でもホームからはみでてしまう小さな無人の駅。 線路の向かいは山裾になっている。何処を探しても人家というより掘っ建て小屋もない。ここは只見線の本線でもある。 会津マッターホルンと言われる蒲生山 只見川の河原より振り返る.13:07西側のR252から正面の尾根が久保道.左の鋭く落ちる稜には小蒲生道がある。 小蒲生登山道は蒲生岳セラビーロードとして2006年に開かれた真新しい新道。 只見駅のポスターの題には登山家田部井淳子氏が命名したと言われる「会津のマッターホルン.見下ろせば只見川の流れ」とある。 この周辺の山々は滑り易い崖や窪地に低木が茂って高度感が感じさせるられるので要注意, 4月は吹雪.5月は雪崩.6月はブヨに注意.7月は豪雨.8月のアブにも注意とある。 jr只見駅ホーム ![]() ホームで何故か観光トロッコ列車を見送る 只見線田子倉駅は季節駅.13:21 蒲生岳から下山後.jr只見駅に寄り明日の浅草岳に向け.始発列車の時刻と駐車場の確認をする。 駅前の広場にはテントが幾つも張られ.JRが企画した「2010年紅葉の只見線」と題したトロッコ列車「風っこ会津号」が会津若松から7時間掛け往復する。 折変え地点の只見駅は土産店や弁当等とお祭り騒ぎだった。その戻る列車を駅員と我々だけが見送り.民宿「いわさき荘」に入る。 只見,民宿「いわさき荘」 ![]() まず風呂上がりで1杯. 明日の本番浅草岳に備え前祝い 夕飯17:52 「いわさき荘」 一応入館は16時.2時間前に風呂を沸かし歓迎して下さった女将。日帰り温泉の「只見温泉」へ出向く予定を中止して宿に籠る。 今日は13人が宿る。登山者は2パーティ7人.他6人は渓流釣り。 予約はビール1本と少し不満を残すが翌朝5時前には始発の列車に間に合うよう朝食の用意をして頂き.返す言葉もなくなっている。 又只見の米は新米の焚きたては何とも云えぬ美味さ。冷えたご飯だけで何もなしに食べられる絶品。 昔.越後魚沼地方で食べで驚いたことがあるが.忘れていたのを想い出すほど美味かった。珍しくお代りをした。宿¥7000+1700 上り列車 14時過ぎ北側の窓際から一日に4本しか通らぬ列車の1本を窓越に見て.会津線の上りか.下りかが問題になる。 私が会津若松が上りと伝えるも.返す言葉は全員が反対だった。東京まで直線距離にすると会津若松にでるより.小出の方が近く運賃も安い。 それでも東京まで¥4950といい運賃だった。女将に問うと上りは小出だそうだ。 これで一件落着したと思えたが翌朝只見駅の時刻表を見て.逆であることか判明した。 只見線と会津線が結合するまでには長い年月が費やされている。距離的には断ドツに長いのは会津線で上りになっていた。 ただし1971年08月の全線の開通に伴い.線路名は会津線を改称し全線只見線に命名され直されている。又翌2011年7月に新潟.福島豪雨に襲われた。 浦川口駅〜只見駅間が大崩壊を起こし不通が続く。赤字路線でないので復旧は難しいとか。バスが代行する。 カメムシ 会話の途中でカメムシを見付け騒動になる。潰すと臭いにおいが起きる。そっと捕り外へ放せと言うも雑で.捕まえて壁から落ちた。 T氏は1人.昨日孫と戯れ疲れたと横になっている。落ちたカメムシを苦労して探し.外へ放すも又カメムシは現れる。 それが室内に舞い幾匹も現れる。 放したカメムシが風に乗り.再び部屋に戻ってくる姿も見て笑いがでる。私は監督的な立場? S氏が1人頑張っている。そして又現れた。 K氏も協力するが見失うこと暫し。補助もなくなった。 一昨年尾瀬大清水で丁度今頃.下山の折カメムシの大発生と出遇わしている。 産卵を迎え路面は一面に点々と車に潰されたカメムシと黒くうごめくカメムシが群がっていた。 潰されると凄く臭い, 避け切れず踏み潰してはザックを探ると中にうごめくカメムシがいた。 その状況を知っていたので.部屋に入っても焦る気は起きなかった。それにしてもここでもカメムシは多い。 只見の動物は熊に猿.タヌキで猪はいないそうだ。今年は熊の出没が怖く.山菜採りは行わず購入したとのこと。 紅葉は秋に入っても寒暖の差が少なく1週間ほど遅れている。今日も夕方外にでて寒さを感ぜずにいた。 風呂は他の来客が入浴する前に2度入る。早くから沸かしてもらった大きな湯舟に蓋をするのも2度目。 頭を洗いすっきりして.出た後のビールが旨い。そして又夕食後.湯に浸かると言う贅沢さ。昨日の渋川に続き今日も呑み過ぎた? 日本酒は会津若松「花春」を呑む。 10.16.五葉松と岩盤の会津蒲生岳・・カミキリムシ・カメムシ 10.17.奥会津最奥の浅草岳 10.18.奥利根ゆけむり街道と平川沼田線 |