六十里街道から浅草岳を越え六十里街道・・浅草岳Top 会津只見三山Top 越後山脈Top

   jr只見線.田子倉の臨時停車場から始発の電車で浅草岳へ。
      田子倉駅から中先尾根を詰め浅草岳.叶津川へ下る・・対岸の鬼ケ面の大岩壁と浅草岳を越え天狗の庭の草紅葉

    10.16.五葉松と岩盤の会津蒲生岳
    10.17.奥会津最奥の浅草岳・・山栗
    10.18.奥利根ゆけむり街道と平川沼田線

     浅草岳は越後山脈の北部に位置し破間川を隔て対峙するのが守門岳。会越の国境の会津最奥の頂に出向く。
   浅草岳の頂は1586mと云う低山にも係らず奥深い山麓とアプローチの取り方で.面白い山容を誇る山に入る。

     下越側の前衛の山々は更に低い山地になるも交通の便は至極悪く.入山のアプローチとしては深い懐の中にあった。
   奥会津側の山々と同様に訪れるハイカーは他の山域に比べると見るからに少なかった。それを象徴しているのが八十里越街道と思われる。
   今だ見放されら街道になっている。今回の浅草岳は会津側から六十里越し.下山は八十里越に沿った叶津川に下るコースを選ぶ。

    夜明け前の只見駅上り線
   1日4本の只見線その始発列車を待つT氏.5:26

    10月17日(sun)晴後曇
       只見.民宿「いわさき荘」5:20=jr只見始発,¥200. 5:50=6:03jr田子倉一6:50水場を過ぎ7:00一7:25尾根.田子倉眺め:35
       一8:10熊会わせ一8:25重右衛門岩上:35一9:25浅草岳:40.
    只見線
     只見線と会津線とが開通する以前の1969年(s44年05月)に.守門山の山スキーに挑み.国鉄入広瀬から入山,大白川駅に下車した。
   小出から入広瀬までダルマストーブの蒸気機関車に引率された客貨混合列車に乗車している。
   その後はまだ関越道が開通したばかりの1978年08月に同期大川と車で大広瀬五味沢に入り.浅草岳をピストンしている。

     1971年08月に国鉄大白川=只見間が開通,只見線が会津線と繋がり.会津若松=小出間135.2kmになる。
   翌72年には只見まで開通したと只見線に乗る為に.この時も大川と2泊日帰りでの会津朝日岳に出向く。

     それは最初から時間との競争する山登りだった。当時は上野を最終列車に乗り.小出始発の気動車で六十里トンネルを潜り只見駅下車。
   1台しかないタクシーを拾い山懐に入るも復路を考えると岳の肩で諦めざる得なかった。そして只見発16時頃の最終に合わせて乗合バスに乗車していた。

     それから又数十年経ち,国鉄はJRに変わり.初めて只見駅から田子倉駅まで一駅だけでも只見線に乗れる機会に今回恵まれた。
   山行のキャッチフレーツは「只見線に乗り.秋たけなわの会津浅草岳に登ろう!」だった。
   最近共にしている仲間達が出揃う。初日は只見に宿り.只見駅始発小出行列車に乗車して田子倉駅から入山した。

    只見駅
     始発の列車に乗ろうとjr只見線只見駅の改札口には既に10人程の登山者が待っていた。私達と同じく田子倉口から山へ入るのだろう。
   念の為運賃表を見ると¥200. 駅員が発券機に田子倉と打ち込み.スイカと同じ大きさの大きな乗車券を渡された。

     ハンコウが押され改札は行らず.ホームに立つ。既に始発の2両編成のジイゼルカーは入線していた。
   発つ前の車内の照明は煌々と明るさを増し.外の闇夜とを隔てている。先頭車両には登山者が集い.幾つかのパーティが朝食の結飯を食べていた。

     遅れてきた登山者を待ち.始発の列車は定刻を少し過ぎて発車した。列車はまだ闇の中デイゼル音を轟かせ.直ぐトンネルを潜り轟音を撒き散らす。
   更に長い田子倉隧道が続き出た所が只見沢出合にある田子倉駅。 深い入り江の奥にあり.改札口は階段を登ると昨日通った街道口にでられた。

     2001年12月に臨時駅に改められている。その臨時停車場に下車した。その先は直ぐ六十里越隧道を潜り.越後へと貫けている。
   ホームを出るも改札口や切符を投入する改札箱も見当たらなかった。切符は各々記念にと持ち帰る。
   2013年03月に「田子倉駅」は閉鎖 ・・只見線と奥只見.登山アプローチ経緯

     翌2011年7月には「平成23年7月新潟.福島豪雨」の襲来で.沿線は大崩壊を起こし.それ以来甚大な被害は不通をもたらしている。
   只見線は豪雪の冬期でも観光のルートと知られ.そこそこの黒字路線。そのため国からの補助は難しく.改修工事には膨大な費用が掛かり
   東電と共にその後も復旧のめどが立たず.浦川口駅〜只見駅間は現在.バスが代行している。2016.12.30現在
   ・・その後改修の目途が付き21年の復旧を目指すまでに至っている。2018年12月現在.

    向かいは夜が明けた鬼ケ面岳
   白みだした駅前の国道より.6:00
    峠までの国道沿いの家屋はJRの駅舎のみ

     国道252にでて改札口を振り返ると大きな掘建て小屋のような駅舎があり.周りには何んの造形物は見当たらなかった。
   ただ脇に簡易トイレだけがポツンと1つある。

     昨日下った街道から只見沢出合に向かうと街道からは六十里越から綴られる主稜の尾根が望めている。
   まだ朧な明るさだが紺碧に染まった蒼空は白みを増し.頂稜付近だけに白雲を斑に棚引かせている。鬼ケ面山の奇峰群を見上げつつ街道を歩む。

     秋の遅い日の出はまだ谷間を薄暗くさせていた。広い駐車場を抜けた奥が登山口.只見沢左岸の緩やかな抜かるんだ小径に入る。
   二俣を迎える出合が浅草岳中先尾根の末端で右俣に入り.幅広くなった沢底を2本の丸太橋で渡ると左端の小沢に再び入っている。

     中先尾根末端の680m圏コブ北側を回り込むよう小さな沢を詰めればツメ近くで大久保沢の水場にでた。
   小径から本流の緩やかな沢底を200mも遡る。奥の二俣になり裏ノ沢と幽ノ倉沢に分かれ.裏ノ沢右岸尾根がこれから登る中先尾根にだった。

    巨樹の森
    
    尾根への登り.裾は大ブナの深い森が続く.6:35

     尾根に取り付く広い裾野の斜面はトチノキ.ミズナラ.ブナの巨樹の群生地で田子倉の裾には幹周4mを越す巨樹が幾つも集まっている。
   巨木林の包容力ある周りには高木林の空間が創られ.巨木過ぎる台地は他と異なる異質の明るさを持つ疎林の園を創りだしていた。
   1つの1つの巨木が大きく根を張る大地に安と感に安らぎを漂わし.巨木林の豊かさが不思議な力を持つ空気を包み込んでいる。

    左へ巻き込み浅草岳へ
   田子倉眺メより.7:18

     ブナ林の急登が続く。背後に田子倉湖を見下ろすようなると灌木帯となり.尾根上の展望が一気に開かれた。
   急斜面のジグザグ径を黙々と登り詰めると尾根の一角に突然飛び出している。視界が一挙に開かれ明るさが増しだした。
   この1地点を境にして尾根の肩に上がると両刃に深く切れ落ちた谷間が見下ろされた。雲上の尾根道になる。田子倉眺メにでた。

     突き出した中先尾根から見上げる山肌は色鮮やかな紅葉に染まり.その上には更に紅を増し燃え上がる浅草岳の大きな山容が君臨している。
   その姿はどっしりした岳が大きく翼を広げるように.左右に開かれ仰がれた。早く来いと我々を呼んでいる。

   中先尾根に乗る.7:40

    側壁と云う名に相応した鬼ケ面岳
   鬼ケ面岳の浸食された岩壁.7:40
    仰ぐ鬼ケ面の岩壁と深く抉れた只見沢

     コブのような剣ケ峰の痩せ尾根を登る辺りから起伏の激しい岩壁が望められる。更に抉り落ちた視界は見上げるよう開かれた。
   只見沢を隔て左手に衛星峰の鬼ケ面岳の南東面に連なる側壁が険悪なる屏風のスラブを垂直に抉られ.屏風の壁となり横たわっていた。
   その迫力は凄い。鬼ケ面岳の巨大なスラブの岩壁は火山に豪雪の雪食作用による険崚な岳の表情を現わしていた。

     そして大岩壁は西面のなだらかな非対称的な斜面とを分けている。
   はかなく微〃たる残雪をその谷底に残されていた。1600m足らずの標高しかない浅草岳だがここは高度差1000mを超す落差。
   登るにつれ次第にその全貌が現れだしていた。

    毛猛山と右奥が越後駒ヶ岳
    
    田子倉湖を覆う雲海.7:42

     振り返れば背後の景色もパノラマの如く開けだし飛騨山脈の岳々が。雲海の境.真下には只見川が流れ田子倉湖が見下ろせいる。
   越後核心の主稜の岳々が雲上を切り霞む山並の姿を現し.田子倉湖〃畔も次第にその広がりを見せている。

    田子倉湖と毛猛山
   越後山脈に囲まれた湖畔と雲海.7:51
    霞む左前方が田子倉湖の湖畔越えの至仏山.越後駒ケ岳.猿倉山で.手前が只見川お河口入江。

   染まった各々の秋色美.7:54

     中先尾根を詰める向い正面の浅草岳は益々大きさを増させ.山襞は何処も焼けるような紅葉に溢れだす。高雲の空一ケ所に蒼空が切れ望められた。
   重右衛門岩にでは明るい日差しに恵まれ.煌めく紅葉の中にいた。すかざす1本取る。

     右手は幽ノ倉沢源流を囲む山並が重なり.浅草岳から高積岳(たこうづみだけ)に繋がる東尾根も見事な紅葉にも酔わせている。
   腰を下ろし眺める姿は何処もが原色の濃い色合いに染まり.周りは何処も艶やかな紅葉美に圧巻させられていた。

    中先尾根を振りかえ見下ろす
   剣ケ峰より左上角が田子倉眺メ.8:01
    右上奥が六十里越え

    紅葉前線最盛期
   浅草岳の頂稜.8:31

     左手へ巻き込むようジグザグに切り.一等三角点の標石のある浅草岳の頂に立つ。
   歩んできた尾根筋とは異なり北側は緩やかな草原が広がる一辺に立つ。この草原の姿が浅草岳の名の由来でもあるらしい。

     登ってきた南面の只見沢.幽ノ倉沢流域を除くと.浅草岳を囲む越後寄りの裾野は伸び伸びとした草原台地に被われる。
   前岳へ延びる草原は登ってきた田子倉口とは対照的に緩やかな山並みを越える地形が波の流れるよう綴られていた。

   会津側より雲が湧きだした頂.9:32
   浅草岳・・一等三角点標石.標高1585.45m.基準点は「浅草岳」. 田子倉湖が見下ろす山頂には石祠と標石があり。
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    浅草岳
     広がりだした蒼空も頂に立つと北側は霞みに覆われていた。期待していた越後北側の山域は望めずにいる。
   破間川(あぶるまかわ)を挟んで対峙している守門岳を始め.下越地方の山並だけがガスの中に隠されていた。
   八十里越方面に目で綴ると矢筈岳.御神楽岳は既に雲に中で当然日本海の遠望も残念ながら眺められず。

     昔浅草岳に登った記憶は丸っきり忘れている。前岳に掛かる残雪脇に幕営し,広い草原を眺めていた憶えはある。
   あの時は同期大川と共に登っている。彼の言葉から少しずつ記憶が顧てきているが。

     林道終点まで車で入るもバッテリーが上がり.五味沢の集落に助けを求めている。そして偶然出会った燃料屋のトラックに救われた。
   宇都宮で彼を拾い入山していた。まだ只見線の開通せぬ35年前の話。

   山頂肩と天狗ノ庭・・草紅葉.9:45

    浅草岳より入叶津集落へ
      9:25浅草岳:40一10:00小屋跡一10:30小:40一10:50すだれ上.大11:45一12:35山神ノ杉一13:15入叶津登山口
      一13:35タクシー¥2.030=jr只見13:50=小出R17=R291=六日町.抜戸橋=16:30「ダイヤパレス六日町」9F.

     頂に着いたのが9時半.早いが5時前に朝食を摂って空腹感を感じ始めていた。「腹が減った!」と最初の言葉を出すのは常にK先輩だった。
   草原で昼食を摂ろうと天狗ノ庭へ下る。草モミジの素晴らしい憩いの場だが土壌は何処も抜かるんでいた。

   草紅葉.平石山の尾根に向かう.9:47
    右手の雲海下が只見. 中央の雲下が八十里越えで左の山並の先で越後地方へと結ばれている。

   北側の色淡く混ざる紅葉.10:11
    草紅葉から明るい紅葉賑やかな雑木の森に入る

     朝露でもないのに水はけの悪い土壌,.草原を横切り避難小屋にでても,まだ坐れる場所を探せずにいる。
   浅草岳避難小屋は老朽化のため昨年度撤去され.土台だけが残されていた。・・小屋跡は2010年撤去されている。

     探しに探しとうとう平石山の尾根を下りていた。そして漸く「すだれノ上」で地面に坐れる乾いた場所を見付けている。
   探して始めてから既に70分を費やしていた。

   
    すだれ上で泥濘を避けての大休止.11:23

     何時もの通り落葉の上にコンロを並べ食事を摂る。皆さんの希望は今回もうどん。野菜はT氏.調味料類はS氏が持参。
   定番の生卵と餅を入れ.T氏が長ネギを5本用意する。ネギうどんに柚と一味を添える贅沢さ.食後の口直しはコーヒーで落ち付いた。

   沼ノ平分岐を過ぎブナ平コースへ.11:51

     入叶津集落への下山径は登山口の八十里越林道にでるまでは何処の土壌も湿気を帯びていた。粘土状の土壌に被われている。
   華麗な紅葉溢れる頂から山を下ると紅葉美は失われ.赤や黄色の色彩も薄れ.樹葉は緑濃い森に覆われる。

     そして日差しも麓に近くなると秋晴れと云うより.高曇の薄日の明かるさに戻されていた。
   若葉のような青葉茂る色合いの山径とも出合っていた。

   山神ノ杉を経て下山.12:47
    裾野ではまだ紅葉には早い.猛暑による樹焼けした樹葉は見当たらなかった

    八十里街道
     入叶津登山口. 叶津川沿いの国道289号にでる。ここを遡れば八十里越から下越へ。
   古くからある街道だが車は通れず.人も歩けぬ藪径の廃道に今だなっていた。その直ぐ上部が工事用ゲートで拡張工事が行なわれていた。
   我々は逆に叶津川右岸の立派な街道を下っている。

    山栗
     国道を下っていると栗林に出会う。広く舗装された道路の足元には山栗の実がポロポロ落ちている。
   小さな実の山栗は登山靴の底で潰すが意外と殻から顔を出している実も多い。食べるにはひと房ずつ内膜を取り除く。

     K先輩と並んで歩む。栗の内膜は丁寧に取り除くかねば強い渋みに襲われた。やや白味の多い栗の実は早く落ち乾燥気味.
   パサパサして口当たりが悪い。昔会津朝日岳の白沢林道を下った折.アケビに続き.山栗を食べながら下ったことを想い出していた。
   裾野の黒沢の集落では里栗をもお土産に採ったと思ふ。

     「皆で栗を拾い.栗ご飯にしよう!」と先輩が言いだした。ただ米もなく.又宿に着いてからは外出し下山の宴を六日町ですることに決めた。
   誰もが黙り.聞くとなく聞いている。途中に「蕨採集禁止」の標識あり.

     車の往来はない。ここから叶津バス停まで徒歩で1時間20分程.集落まで下ればjr只見駅行バスが通っているが。
   漸く携帯電話が繋がり.歩きながらタクシーを呼びだした。駅まで頼む¥2030. そして再び六十里越しで中越六日町に戻る。

    八十里越道
   下山し.叶津川沿いを只見へ.13:25
    立派な道路も今だ越後と繋がらぬ街道は廃道. 途中でタクシーを呼ぶ

    国道289号八十里越
     国道289号は昭和45.,国道として認定された。新潟県新潟市を起点として福島県いわき市に至る総延長302qの道路。
   このうち新潟県三条市「旧下田村」大字塩野渕字御所から福島県只見町大字叶津字入叶津に至る県境部分が「八十里越」であり.
   八里32qしかないが余りにも険しく荒れて歩くこともできない難路。「六十里越」と同じで「八十里越」と呼ばれていた。

     通行不能区間の入叶津側の最初の橋粱(大三本橋)からは殆どが隧道と橋粱で御所まで結ばれることになる。
   ただ殆どの区間は部分工事は行われている。又半年は雪に埋まり.工事は思うようには進まずにいる。
   隧道.橋粱.スノージェット.基盤創造工事等は何処も施行中。峠下の最長の9号トンネル3.173mは本工事を持って平成24年09月に完成予定とある。

     八十里越は司馬遼太郎の小説「峠」の舞台となった歴史の道でもある。主人公は河井継之助.
   現在でも19.1qは一般車両は通行不能区間になっている。289号改築事業は広報活動を含め黙々と進められていた。2010.09

    河井継之助
     幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣である。戊辰戦争によってこの地で最期を遂げた長岡藩家老。
   薩摩,長州が勝ち.幕府が滅びたのは薩長に開明的な人物が多くいた中.幕府として河井継之助は内戦の勃発を見切ってをり,
   藩士の俸禄や藩の出費を整理して新鋭銃2千挺はじめ手回し式の機関銃ガトリンク砲等近代兵器の購入をはかっていた。
   長岡藩は奥羽越随一の近代軍事力を完備していた。直ぐ傍の塩沢に墓地と記念館があった。

     2013年の正月明けに八十里越と河井継之助に関せる資料を滝島先輩から送って頂いた。
   「浅草岳を懐かしむ」と題し.内容は「司馬遼太郎著「街道をゆく」の解説書の一節を送ります。四人で登った浅草岳
   下山時の林道がここに出てくる八十里越。河井継之助が傷を負って歩いた道とも知らず.のほっんと歩いてしまったのは残念至極。」とある。
   それに資料が3通が添えてあった。

     八十里越は国道でありながら今だに踏み跡の峠越えで登山道も間々ならず,人道は獣道に近く歩む人もいなかった。
   そこに今拡張工事と云う名目で大規模な隧道,橋粱工事が行われていた。極端に変わる工事に地元の長年の夢が叶い始めている。
   積雪量が多く一年の内で工期は短いが徐々に街道らしくなりつつあるようだ。

    三国街道
     魚野川右岸の道.国道291号.三国街道の下道を南下する。越後三山の源流に突き上げる水無川を渡っている。
   私が20年代半ば頃,デトノアイソメにベースを設け.北沢のスラブを途中まで遡っている。春の嵐に遭い雪上に閉じ込められた山行だった。
   スキーに三つ道具を背負い登った山。その水無川本流を渡る。出合付近は判らぬほど細い河川になっていた。

     そこから遠からずして大崎社務所脇にでた。水無川山行から前後するが八海山から下山している。
   その時は大崎社務所の娘さんに色々世話になり.六日町まで乗合バスに乗った街道だった。バス停「山口」の周りは当時一面の菜の花畑だった。
   見渡す限り黄色く花が競い咲いていたことを想いだす。今は街道沿いに家屋が並ぶよぷなった。

     今は越後交通から南越後観光バスに変わり.バス停も「八海山入口」に改名されていた。SとM嬢との初めての同期会山行だった。
   隣りに座るSとH嬢が一緒に山を共にしている。K先輩とは水無川BC山行で一緒だった。その好きな仲間達と共に今回も山を越えてきた。

     六万騎山の西麓に建つコンビニで軽食を摂る。アンパンを齧る店先の駐車場からは八海山ロープウェイにスキー場が見上げられ,
   霊泉小屋から女人堂に繋がる尾根の南面に延びているよう開かれていた。
   何十年振りだろう。山里も大分開かれ.畔のような田圃の中を綴っていた街道は今は両脇に家屋が建ち並び.ちょっとした街並を築いている。

     宇田沢を渡り改めて八海山の大きな山懐を見る。その先の十字路が下原。前に述べた八海山の登山口だった。
   六日町からタクシーを飛ばし山口の八海山神社里宮で野宿している。

     忘れていた街道に魚沼の山々。改めてアプローチとして通った県道や村道。小型トラックの荷台に乗せられ.山を降りた時を想いだす。
   三国川流域の広い穀倉地帯にでた。ここを抜ければ六日町にでる。Sのお世話で六日町温泉「ダイヤパレス六日町」に宿る。¥1000.

    六日町温泉・・六十里越し中越六日町へ
   六日町「ダイヤパレス六日町」出.16:28
    10Fのベランダから飯士山

     最近六日町温泉は西山.東山温泉と別けず総称して呼ばれているようだ。40数年前.OB山行で割引沢を登った折
   西山温泉「木ノ芽山荘」に宿っている。田圃の真中にあった小さな宿。今回はその境.魚野川左岸の河川敷脇の「ダイヤパレス六日町」に宿る。

     金城山の裾野でもあり.抜戸の宿,10Fからは六日町の街並みの全体像が望まれた。
   魚野川下流を遠望すれば下って来た小出右岸の山々が小さく望まれた。上越国境側に顕著に聳える里山は飯士山。

     午後からは曇り.陽を閉ざしていた陽が夕陽となり.西側の山肌を照らしだしていた。見下ろす六日町の街並も照り付けている。
   明日は奥利根川沿いを散策する? 天気は回復するだろう。

     山を下りての入浴は楽しい。特に大浴場での溢れる豊富な湯殿は何とも言えぬよさがある。石鹸を忘れたが浸たるだけでも癒される。
   夕飯は下山祝いにパレス前の居酒屋「海ぼうず」へ。前日開店したという北海道浜焼き料理.期待するもズレてガッかり.ホッケもなかった。
   ただ生ビールの後の旨い酒.鶴齢(かくれい)と八海山を呑む。そして・・・

     ここ六日町の紅葉は遅い。只見でもだいぶ遅れていた。一日の寒暖の差が弱く夕方でも冷たい風を感じられなかった。
   23日から3日間.息子が松本から平湯峠を越え高山へ旅をしていた。人だけが多く期待するもモミジ狩りする雰囲気ではなかったらしい。

     今年は何処も寒暖の差が少なく夜も暖かく紅葉はここ湯沢でも大分遅れている。
   山は紅葉と新雪が重なり合う所が多くなりそうだ。26日には草津白根山に新雪が降る。

     前半は腹の具合がよくなかった。K先輩も同じようだ。便秘? 途中で少し回復するも落ち着かず。久し振り体の重い山行になっている。
   又左足首の不快感は先月の八ケ岳地獄谷で足首の筋を伸ばしたことが原因と思われた。

     先週安達太良山から下山して違和感を覚えるも,季節の変わり目だと思ふ。
   靴底も擦り減りビブラムも平になっていた。滑り易い下山道で疼く気持ちが左足を庇っていたようだ。それにしても治りが遅くなっている。

    10月18日(mon)曇後晴
      ダイヤパレス六日町8:30=jr越後湯沢.大=三国街道.三国峠=猿ケ京.県道270.奥利根ゆけむり街道=水上.水上片品線
      =湯ノ小屋温泉.照葉郷ライン=11:30奥利根水源の森12:00=尾瀬戸倉.沼田街道=蒲田=幡谷.平川沼田線=背嶺峠
      =道の駅「田園プラザ川場」.大14:30=渋川IC.¥1.550=鶴ヶ島IC=16:40東武若葉.解散¥660.=17:25池袋.

     上越国境を越え迂回ルートで・・奥利根ゆけむり街道と平川沼田線
     
     週に2度の山旅.ご苦労さまでした          背の裏山は田代湿原.11:47

     六日町から戸倉への街道.三国街道から奥利根ゆけむり街道・・
   途中で寄った奥利根「水源の森」に惹かれ.3年後の晩秋には..ここ「水源の森」にベースキャンプを設け.同じメンバーで上州武尊山をピストンする。

     3年前の苗場山々行ではjr越後湯沢から三国街道R17号を越え.猿ケ京で1泊.沼田から赤城山にでている。
   今回もjr越後湯沢で駅ソバの朝食を済ませ.一般道を選び猿ケ京へ抜けている。
   途中では道路改修工事の為の一方通行が度々行われ.先導車に導かれることも2度になる。

     猿ケ京からは吾妻耶山の北側の森を絡み.県道270号で東西に横断し水上へ。川古温泉の道を左に分けている。
   川古温泉は1970年代初め残雪期に.土樽から国境稜線を越え赤谷川本谷を下っていた。

     磁石を忘れ放浪として川古温泉にでている。それからはタクシーで赤谷湖東岸のバス停.相股までお願いしていた。
   その後.後閑駅からこのルート沿いは社会人となり.赤谷川の右俣.左俣へと幾度か溯行を繰り返す。

     ここから先が私が初めて通る街道だった。「奥利根ゆけむり街道」を端から端まで廻ることになる。
   車は大峰山の北側を巻くようになり.緑々しい丘陵の森を綴っていた。支流の赤谷川を横切り利根川へ。

     仏岩隧道を潜る道。潜るとホケットパークと呼ばれる吾妻耶山の登山口があり.直ぐ仏岩峠(赤谷峠)にでて吾妻耶山,大峰山にでる。
   大峰山には今年の5月.このメンバーで谷川岳の帰りに南側から町営見晴荘を訪れ.一泊したが翌日は濃霧で諦めている。
   改めて12年5月に白毛門ピストンし.翌日は新緑の大峰山から谷川連峰を仰いでいた。

     仏岩隧道から水上に出る前に利根川の支流,阿能川沿いを下っている。この上流には南面から望む阿能川岳,三岩山の稜がある。
   まだここからの入山はしていなかった。先程の吾妻耶山の登山口が残雪期の取付き口にもなる。
   以外と深い藪山で残雪期によい山だ。まだ憧れだけが残る流域になっている。

     阿能川出合に出た所が水上で.今度は左岸沿いに利根川源流を遡る。水上温泉から尾瀬戸倉へと県道63号へ。
   今日は暖かい陽射しに恵まれている。車窓から見る紅葉は陽光を透し煌めき輝いている。
   藤原.須田貝と2つの大きなダムの壁を臨み.笠ヶ岳から西へ派生する尾根末端の湯ノ小屋温泉にでている。

     K氏が尾瀬からの登山道があると言う。jr水上駅行,最奥のバス停がここにある。
   昨年晩秋に金精峠から奥鬼怒山を越え.ここまで尾瀬を縦断する計画を立てたがまだ実っていなかった。

     右に回り込み枝沢の木ノ根沢沿いの道に入る。照葉峡ラインの紅葉は岩盤を走る瀬々らぎも.見事でモミジ狩に訪れるマイカー族がグッと増えていた。
   奥利根「水源の森」でお茶を沸かす為車を停めた。ここは国立で目立たぬよう自然を生かした公園があり.立ち寄る観光客も以外と多い。

     この先は鳩待峠からの坤六峠. 越えると戸倉へ廻り込む。今年はまだまだ青々とした樹葉の沼田街道を走り下った。
   途中の幡谷温泉には一昨年このメンバーで奥白根山の帰り宿っている。
   そこを右に折れれば前回と同じ.薄根川への県道.平川沼田線だった。最後まで奥利根ゆけむり街道を走る。

     目的は道の駅「川場田園プラザ」での昼食。ここも今年6月.谷川岳山行の帰路と重複している。コンサートに招かれていた。
   この2.3年の山行では街道を繋ぐ道を幾つも走っている。そして又新たに紅葉の奥利根の道が加わるようなった。

     K氏の地元で沼田.渋川周辺の街道を走り続けてきた。食後は国道を嫌い.沼田街道を外れ,渋川ICより東武若葉にでる。
   六日町からの休憩は結局.越後湯沢.奥利根水源の森.川場田園プラザの3ケ所で.下山してからの関越道は渋川ICから利用している。

   上州武尊山周辺の街道歴・・1967年10月〜

     10.16.五葉松と岩盤の会津蒲生岳
     10.17.奥会津最奥の浅草岳
     10.18.奥利根ゆけむり街道と平川沼田線