| 八ケ岳地獄谷. 40年振りに訪れた出合小屋・・川俣川東俣.地獄谷Top 昔を懐かしい地獄谷と憩う出合小屋 清里から出合小屋に宿り.翌日のツルネ東稜から阿弥陀中央稜を断念. 留まり地獄谷周辺を探策 2010年09月21〜22日.単独 ふとした切っ掛けで川俣川東俣の地獄谷出合にあった造林小屋が改修され.残されていると聞き出向いてみることにした。 高根山岳会が管理する山小屋で.昔通った時はまだ林道も短く.上流に堰堤も少なかった時代だった。 天狗尾根.赤岳沢へと夕暮れ迫る頃.清泉寮に寄ってから訪れ.野宿なり小屋泊りをている。今回も清里から入山し.出合小屋でー泊し 広河原立場川林道を下る積りでいる。昔.山越えの立場川に入るには美濃戸から入山していた。ここにも広河原に同じような小さい出合小屋がある。 コースタイムとしては10時間.原村ペンション上の最終バスに乗らなくてば。 異常気象 梅雨明けと共に北海道から西日本に掛け.日本全土は異常なスーパー猛暑に襲われている。 東京では21日.22日にも30℃を超え.今年通算71日目の真夏日となり.熱帯夜が続き観測史上最多記録している。 気象庁によると半年前の赤道付近での海水温の上昇が大気に蓄えられたため.三海洋.特にインド洋に高温をもたらせ.偏西風の蛇行を大きくさせていた。 その上ロシアで強く発達した高気圧が偏西風のブロッケン現象を起こさせていた。その為.太平洋高気圧団が大きく張り出し. 盆を過ぎてもブロッケン現象を留まさせている。 先月訪れた北アルプス後立山行では夜半でも上着を着ぬ暖かい夜を迎えていた。例年に戻りつつあるも残暑はまだはび込み続きそうだ。 その残暑も彼岸までとその境の前兆が現われだしてきた。連日日本海に延びる前線が烈風を起こし.この出合小屋でも夜半は猛烈な風に襲われている 夜半地獄谷の小さな山小屋はうなる風に襲わ.窓どころか小屋本体を揺れ動かしている。風音の唸りに小屋の軋む音が不気味に響いていた。 私と同じような考えで小屋を訪れたハイカーと来る途中で偶然にも擦れ違っていた。同じような仲間がいると互いに笑い別れている。 その彼が昨夜は谷を通る抜けた烈風がこの小さな掘っ立て小屋に襲い.不気味な夜を過ごし怖かったと私に伝えていた。 10月21日火. 晴後曇 jr神田6:07=新宿.「スーパーあずさ1号」7:00=8:54小淵沢9:57=10:21清里:30一11:10清泉寮一11:20R11とR615の交差点 一11:25小:35一11:50林道一11:55天女山分岐一12:30避難所(13):40一13:00赤い堰堤一13:50出合小屋. 大泉清泉線 真教寺尾根と重なる赤岳県界尾根0T字路.11:14清里 昔は清里駅の西側は広く牧場が開け.駅から見える建物と云えば清泉寮のみだった。 それから国鉄はJRに変わり.ペンションブームが起きると駅舎や駅前もモダンに建て替えられ.駅前の風景も驚くほど変わり.今では人多く乗降する駅になる。 時代の流れにつれ清泉寮も拡張.発展を続けている。最近立教学院の清掃ハイクに参加.それが切っ掛けで再び山に入るようなった。 昨年は区の連合レクレーションで観光目的で山以外でも清泉寮を訪れている。その脇を通り.川俣川東俣に入る。 今回のアプローチは昔を忍び.JR清里から歩むことにして北杜市民バスを敬遠している。昔の里道は整備され大分変っている。 駅前の舗装道路を抜けるとジャリ道が清泉寮へと続いていた。地獄谷へは常に清泉寮への1本道を抜け入っている。 今は大泉清泉線.俗に云うポール・ラッシュ通りと云われ.名無しの道までもが近代的な名が付けられていた。 両脇に歩道があり北側には並行して森の散策路が造られている。昔はただ牧道への1本道だった。 ビジターセンターへの二俣を左手へ入った積りが散策路へ入り.先は展望テラスへの道を示していた。 慌てて県道に戻りR615(八ヶ岳高原ライン)とR11の交差点へ。T字路の先が山道になっている。 標識には「キープ.オオヤマツツジの小径」とある。径幅は広いが蜘蛛ノ巣が多い。東俣左岸の道は落葉松林の丘陵へとゆっくり登っていた。 川俣林道に入り.12:33林道 途中で1本取り林道にでる。直ぐ天女山(八ヶ岳横断自然歩道)を横断した。ここで今日初めて.否や山中で初めての単独登山者に出会う。 彼も昭和40年代の初めに地獄谷を随分通っていたらしい。出合小屋周辺を歩き回ったが昔の面影とは掛け離れ.殆ど記憶に留まっていなかったと。 又もう1人の登山者と宿を共にしたとも。夜半は強い風に煽られた。今日は小屋に宿るのは君1人になるだろうと嬉しい言葉が返ってきた。 霞む権現,旭岳,ツルネの頭 昨年完成した堰堤から.12:44左下に瀬々らぎの音を聞き.木漏れの林道を歩む。木漏れと木蔭とのバランスのよい明るく整備された幅広い林道になっている。 1台の大型ミッキサー車と擦れ違う。車の交差には大きな避難所が所々あり.bェ立木に打たれていた。 この川俣川東沢左岸沿いの林道はまだ駅前から西側に「清泉寮」しかなかった時代の初冬にトレースし.河原の木の根穴に野宿した道になる 又晩秋に赤岳沢を詰めた折りは二俣に出合小屋を見付け.宿った道でもある。今は奥へと堰堤が延び.大型車が通る林道になっている。 林道終点では冶水の為堰堤新築工事が行われ.作業員が休憩を取っていた。 現場監督からここから対岸に小屋への小径があると教えて頂いた。先へ続く林道は通行止めらしい。 天狗尾根.竜頭ノ峰 林道終点,流対物防御抗堰Wより.12:53アキアカネ 堰堤は以外に多い。この上流にも幾つもの堰が設けられていた。200m程先には赤いパイプで組まれた流体物防止抗堰が出来ている。 赤トンボの群がハエのよう煩くまとわり付く場所でもあった。この1ケ所のみ淀むよういる。 先の話になるがこのところ暫し.PTT問題が世の中を掻き立てている。毎日新聞社の社説「赤トンボの村守りには」によると 農村問題と共に赤トンボの関連を論している。「私の田んぼでは稲株三株当たりで1匹の赤トンボが生まれている。 稲株三株とはちょうどお椀1杯分のご飯に当たる。日本の赤トンボの99%は田んぼで生まれている。 福岡県糸島市の農業宇野豊さんは田んぼの持つ環境面の機能について語っている。NPO法人「農と自然の研究所」を設立し 生き物の調査に携わっていた人だ。「1人が1年間で食べるご飯で守れる生きものはアキアカネが275匹.アマガエル12匹.メダカ10匹に必要で 絶滅危惧種の1/3は田畑の生きもである。」と。 明治初期に東北から北海道を旅した英国人女性イザベラ・バートは「日本奥地紀行」を著し,美しい田園を讃えこう書いた。 [草ぼうぼうの[怠け者」は日本に存在しない],全国の農村に見られる耕作放棄地という「草ぼうぼう」をいったい誰がつくったのだろうか。 国策で米価のバランスを考え減反させ.今は金銭で解決させている。荒れた水田は益々増えている。 上流側から2番目の堰堤 伏流した河原を歩む.13:20堰を越えると右岸沿いの小径になり.直ぐ上の堰(s58年完成)を左岸から越えるようなる。 沢沿いの小径は次の堰で河原に降りていた。 その上の2つの堰は左岸.右岸へと丸太梯子で越えれば川幅も狭まり.伏流したゴーロの河原歩きになる。 流心が現れだすと小屋はもう直ぐだった。地獄谷出合手前で右岸の熊笹帯を進めば青い屋根の出合小屋を見出した。 地獄谷出合小屋 昔の雰囲気を残す熊笹に被われた出合小屋.9月21日8:45出合小屋 熊笹を綴ると奥まった所に隠れるよう,ぽつんと小さな小屋があった。土台だけ残し建て替えられた節がある。 それも古く屋根と戸口は青く塗られ陽を浴び鮮やかに目立ち臨まれた。新たに入口上に「出合小屋・高根山岳会」の看板が掲げられてた。 見た目より中は広い。谷間に向かって建つ出合小屋は左角が入口。入ると壁際にストーブがあり.切り株の幹30p程のイスが6つほどある。 その1つに蝋跡が幾つも残されていた。たぶん誰もがローソク立てとして.贅沢に利用しているのだろう。 土間から逆L字に通路があり両側が板床で銀色のシートが全面に張られていた。20人は寝られる板床.その中央東側を私の寝床にした。 マットとシュラフを出せば寝床はできあがった。清潔感ある小屋.戸口の右脇には警察の登山届箱が設けられていた。 偵察.小屋14:15⇔ツルネ東稜取付き2度.一16:20. 上ノ権現沢出合と東稜末端.14:37右奥にもう1つ大岩があり.そこがツルネ東稜取付け口 小屋に落ち着いて偵察にでる。地獄谷を上ノ権現出合まで谷底を忠実に辿った。釜なりトロがあれば竿を出そうという考えもある。 ただ上ノ権現出合でツルネ東稜の取付き点が分からず。大分時間を費やし遭難碑を埋め込んだ大岩が出合にあるも取付き点が分らなかった。 地図と磁石は岩魚釣りに気が引き込まれ.忘れ小屋に置いてきてしまっていた。 ツルネ東稜取付き地点私も先程会った登山者と同じだった。昔の記憶は薄れ.雪山とも違い.生い茂る樹海に顧みるも記憶は戻っていなかった。 小屋内しか覚えていなかった私。それを考えると当たり前のようだった。 焦り再び小屋に戻り.地図と磁石で登り口を探りだす。場所は間違いなかった。その奥50m程.本谷側の岩下に道標と踏み跡があった。 もう少し広く探せば戻る必要はなかった。分かれば時間のロスも報われた。又出合まで時間が掛かり過ぎると思ったら右岸に捲く踏み跡がある。 この捲き径も踏み跡が散り.径ならぬ径になっている。よく見き分ける必要がある。崖縁上にルートあり. 途中で水量の多そうな釜で竿を出したがアタリはなし。岩魚は居そうもなかった。イクラを捲きジッと見詰めるもアタリはなかった。竿2間半.ミャク 結局小屋まで2往復したことになる。小屋に戻り.帰路に拾い集めた薪を加えるとストーブは赤々と燃えた。 ![]() 昔から変わらぬ形の改装された小屋.16:30 出合小屋 瀬々ぎの音が遠く静かに聞こえる。風の流れる声はない。 薪を集め持参したパンフレットを潰し小枝を乗せ.やや太い枯れ枝を重ねれば1回のライターの火で薪はよく燃えた。 日没まで戸は開けぱなしにしている。薄暗い部屋には外の明るさが差し込み.奥までもおぼろな明るさを忍び込ませていた。 小屋前には熊笹の茂みがが茶畑のよう広がり.長閑な風景を示し.煙突からは白煙が緩やかに陽炎の如く空に昇ってゆく。 ストーブの周りにくすぶっていた煙も収まり.パチパチ跳ねる音色が小屋に響く。 ひと株の大き目の薪を放り込めば火の消えることはなくなった。 赤々と燃える炎を見詰め,か細く燃え残る小枝から煙草に点けると戸口からあるかないかの風を受け.紫煙はゆったり揺れ動き 昇った煙はモヤのよう薄れ天井に消えた。ストーブの鉄板にメザシを乗せた。 部屋は直ぐメザシ特有の焼けた香りが立ち込める。片手にコップを持ち.ウィスキーをちびりちびり呑むのも乙になる。 馴染みある無人小屋はよい。懐かしさの方が先に立つが吾妻家形ヒュッテを想い出す。ヒュッテは如何にしたことだろう。 カマボコ型の小さな避難小屋に替わり崩壊の一途を辿っている。県では何処に再建するか考慮中とのこと。一度は管理を任された小屋だった。 山径は既に廃道化されている。無くなる前に切っ掛けを見付け.一度は訪れるべき小屋のよう思われた。 黄昏が谷を埋め闇になるも寒くはなかった。風はまだでていない。笹の揺れる音色も閉ざされている。 来てから小鳥の囀る鳴き声もない静か過ぎる小屋の周り。無言の世界でもないが静かだ。何するでもなく手だけは口へと動いている。 持参した270mlのウィスキーはもう底が見えだしていた。 大き目のステンレスの食器しか持参しなかった為.コンロで雑炊にした。ご飯に細切れの野菜を加え.味噌で調理する。 美味いがナイフ付きスプーンでは小さ過ぎ食べずらい。食べた気を起させず.箸はもっと悪かった。スプーン1つでも舌触りの不向きを改めて痛感させられた。 同じ場所にあったストーブ・・以前のストーブか.懐かしさだけが偲ばれる.16:53帳 陽が傾くと帳は早い。東面はあり間もなく闇になる。ローソクの炎が周りを明らめ主役となり.断トツに逞しくなった。 もうストーブの赤々と焼けた色合いも失われ欠けていた。ストーブの中の薪だけがポロポロ燃えている。 食事も終えローソクの炎が揺れ動くこともなく.ゆっくりした時間だけが過ぎてゆく。 久し振りに味わう何もすることのない贅沢な時間だけが過ぎていた。 夜半 7時には横になる。窓から月光が流れ込み,室内は淡いブルーの世界に包まれる。時計を見ると9時半を指していた。 外へでると樹冠の隙間からまん丸い満月と2つの星が大きく煌めき仰げられた。丁度1ケ月前も北ア船窪小屋で満月を迎えていた。 今晩も暖かい。風が全く出ないのが不思議でもある。エレキを消し暫く空を仰ぐ。 0時を回り急に風がでてきた。「ゴー」とうなる風が上空に流れている。それが次第に谷へ降りてきた。小屋が揺れ軋みだす。 風が起きるや烈風になる。山は季節の変わり目を現わしていた。 ひと眠りし目覚めるも風は治まらず.更に強くなる。夜明けの出発が心配になりだした。その場主義にならざぬ得ないだろう。 3時起床,風は治まるどころか強さを増していた。4時朝食を済ますも風は渦を巻き.小屋を叩きつけていた。出合小屋. 10月22日(水).快晴. 夜半より風強し.稜は一日中姿現わさず, 出合小屋5:45⇔6:45大一8:55 3.4.5の積りで起きるが1人の為2時間ほどで全てが整い.夜が明けるのを待つだけになっていた。外は暗く荒れている。 強風が夜半から益々強くなり狂いだしている。直ぐ出られそうもない。再びパッキングを済ましたばかりのシュラフを広げ入り込む。 5時夜が明けるのを待つ。風を閉ざす最適な場所に建てられた小屋まで風のうねりは及んでいた。 もう少し待つか.それが悪かった。起きている積りが寝てしまっていた。 地獄谷1920m付近 再び沢に入り込み時間をロス.9月22日6:43 旭岳東稜と天狗尾根末端の側壁.6:49前日も1度遡った地点だが山越えを諦める 続くミスが諦めに 慌ててパッキングを済まし小屋を出るも.焦り昨日確認したばかりの右岸迂回ルートに迷い.時間を再びロスする。 それは寝過ぎとルートのミス。沢を遡ってしまっていた。そこで左足首を捻じる。 すっぽり10pもない岩窪に左足を突っ込み上げた時.靴の爪先が被る岩角に掛かり筋を伸ばしてしまった。痛みよりロスに驚く。 下りは巻道で東稜をピストンしようにもサブザックを用意していなかった。往復4時間.空身で登るのも忍びず先を諦める。 今回はやや厳しいコースを選んでいた。時間がかかる上に最終バスがある。10時間行程で1時間ほどしか余裕を持っていなかった。 三度ツルネ東稜取付きまで行き諦めた。気分直しにコンロを点けコーヒータイムを取っている。 横断を諦めるなら釣りをとも考えるも朝方の水量は少ない。下流は伏流している。竿を出す切っ掛けも失っていた。 往路を下山 出合小屋8:55一9:10伏流先左分岐.20分ロス.一9:50(2つ目の堰先10:00一10:50天女山分岐一10:58林道分岐11:15 一11:40清泉寮12:10一12:35jr清里14:01=小淵沢.「あずさ20号」14:36=16:36新宿. 再び前日の河原を下る.8:55再び来た道を下ることになる。小屋から下り伏流し始めて直ぐ.新林道か? 分岐に立つ。 ケルンと赤テープがあり.真教寺尾根へと詰める踏み跡があった。今回は何してもミスを生み.気は絞りがちだが再び本流から離れてみた。 何しろ下山を決めてから時間は十二分にある。 左岸の支流 出合は窓の渓相を示し急登の後.鉄鋼で大きくH字に形度った造形物が谷間に放置される形で置き去りにされていた。 人の力では運びきれぬ家のような大きさである。2つある間にもやや小さい鉄物があった。治水工事の物であろう。 ここは行き止まり.やはり20分程ロスして戻ることになる。 左岸より上3つ目の堰Yを見て小休止.9:53新たな堰堤工事 ![]() 流対物防御抗堰より200m程下流側で新たな冶山工事が行われていた。山留めを終え.左岸側の堰堤の本体骨組工事。 頭上の上流側には旭岳とツルネ東稜が見上げられている。・・10:10 堰堤を幾つも越えた。どれもが昔.天狗尾根.赤岳沢を遡った後に造られ.林道も更に奥へと延びていた。 上流から5つ目の流対物防御抗堰から堰下200mもない所で新たに堰堤Vが左岸の肩から造成中だった。 昨日は入山で拡張された林道を大型ミキサー車が下って来たのを見ている。 林道にでて直ぐ.下流に昨年完成されたばかりの白く眩しい堰堤Uを右手に見送っている。林道は昨日と同じ木洩れ日が踊り続けていた。 分岐の落葉松林 高い空に突き上げる林道分岐.11:15天女山の分岐を過ぎ.キープ自然歩道の分岐点にでる。林道をそのまま進めばオオヤマツツジの森,美しの森にでる。 ここで裾野の強い陽射しに備え着替えをし.清泉寮にでる。紺碧の空だが.ここから見る本峰はガスの中だった。 平日の為か連休後で観光客も疎らな清泉寮に12時ジャストと着く。 ソフトクリーム@350の売店前に清泉寮から新宿行直通バスのポスターが掲げれられていた。 常時15時30分新館発.よいと思うも待ち切れずJR清里へ。 清里駅前広場より.12:47清里駅正面玄関の高台からは金峰山から茅岳に掛けての山並が濃い空と緑溢れる山肌を映し出していた。その上に富士山が望まれる。 ここでも2時間待ち。構内の土産屋でビールを問うもなく.知らないと釣れない言葉が返ってきた。時間は十分ある。 街を歩こうと表道りにでた。駅前の土産屋で.スーパーも兼ねているのかビールが低価で売られていた。 小海線ワンマンカーはボックスシートが2列と1列.車両の両脇は長イススタイルの2両編成で.やはり無人駅では先頭車両が改札を行っている。 反省 ルートの選択には気を配った積りだが手違いが多過ぎ間の抜けた山行になった。 調べて決めた交通機関も.小屋でゆっくりしたいと思う考えが仇となり.早朝発つが清里に着けば同じ列車になっていた。 又往路を戻るという中途半端な下調べが下山して小淵沢発立川行列車に接続しているにも拘らず.特急に乗り込む。 ただ平日で往復とも自由席は取れた。7時発「ス‐パーあずさ1号」は中距離通勤列車で甲府.大月を過ぎるとガラガラだった。 又アプローチは昔を思い.バスに乗らずJR清里より清泉寮を通り往復歩くことにした。 ただ単独の気侭さが尾を引き.何も行動せずに小屋を利用できた事だけに満足してしまっていた。 竿を持ち山に入るどころか進歩がなかった。ただ1人山小屋で薪を集めウィスキーを片手に炎を見詰めていた。 外出する都度薪を拾い.又水を汲んでいる。ストーブは小屋にいる間はず〜と炎が燃え続けていた。 谷は水量が少なく釣りができなかったのは残念だが欲が多すぎ.全てが中途半端になるった。 それでも出合小屋は1泊だけの小屋だったが文句もなく.懐かしさの滲み出る小屋で満足している。 それに比べjr清里駅.清泉寮の変貌ぶりには驚くばかりだった。 出合小屋を守り続けてくれた地元の高根山岳会の方々には感謝して使わして頂いた。 懐かしかった小屋 この出合小屋は「岳人」2006年10月号の特集「知られざるいい道を探せ」の中で紹介されていた。 「バリエイションハイキング」2012年1月発行の著者.松浦隆康氏は気になったルートですと写真入りで,その後出合小屋を紹介されている。 素朴な掘っ建て小屋のようでもあるがこの先.利用し過ぎ返って荒らされないよう更にお願いしたい。 八ケ岳の主稜を越えた反対側の立場川と広河原沢との出合に旭小屋がある。林道ができる前までは入山は美濃戸口しかなかった。 広い河原にポツンとあり.ファイト山岳会が管理していたが今は崩壊し.如何にか原形だけを留めている。 何時崩れるか分からぬ状態に憐れみ.忘れられつつある造林小屋だった。 昔吾妻山の家形ヒュッテを一時我がRHCで管理していた時代がある。 雪崩で崩壊し避難小屋になり.その避難小屋も自命が近ずき.今は新たに場所を変え再建の話が進んでいる。 一時でも修理を続け守ってきた者には聞かされると悲しさばかりが募りだす。大事に大事に皆で守ってほしい。 今日22日に大川は同期会の下調べに安達太良山へ出向いている。風雨強くロープウェイは運行中止.変わって那須に向く。 |