俣川東俣地獄谷Top                             .
風雨八ヶ岳.赤岳沢遡行

今回は出合小屋泊り

霧雨と谷風との争い

    渋い谷
          八ヶ岳.荒れる富士川水系川俣川地獄谷赤岳沢遡行
              s46年(1971年)09月04〜05日.L松村進(43卒)m内海勉.中沢康(4)田島幹久(2)

      地獄谷
   赤岳地獄谷へ入るのは2度目になる。学生の折.初冬に出合で木の穴倉に身を隠し野宿して天狗尾根を単独で登っている。
     それから5年を経てOBとなり3年目に現役の要望を受け.再び地獄谷に入渓している。
     今回も清泉寮の脇を抜け.前回見付けられなかった出合小屋に宿を設け.赤岳沢を詰め赤岳に立つ。

       9月04日曇. 新宿17:00=21:25清里:40.ク=22:00眞教寺尾根取付一23:00第二堰堤上一23:45出合小屋hc.
      林道
   清里駅前からタクシーを拾い川俣川を遡る。
     濃霧に被われヘットライトに照らされた林道はフロントガラスにへばり付き,よくよく覗まないと見止め難いほど先は分からなくなっていた。
     清泉寮の端を過ぎ,美ノ森に続く道は白線に導かれ進む。そして川俣川東沢沿いの林道を遡ると,見定めるものがなくなった。

   闇の中.ヘットライトの灯りは濃霧の漂う林道を乳白色一色に変え.運転手の通い慣れた経験だけが頼りになっていた。
     その運転手も.とうとう危険だと車を停めてしまっている。

      二俣へ
   地獄谷を遡るにつれ.分かったことに学生の時には見られなかった堰堤が2基築かれていた。
     車を捨てて早々に谷に入ってしまったものの.林道は堰堤工事の為,随分奥まで延びていた。

   5年前の4月.天狗尾根に1人で登った時は奥の堰堤はなく.この林道の雪径をラッセルし出合まで入っていた。
     その折は小屋が見付けられず,立木の根穴を見付けで野宿した。

   列車に揺られ.ちびちびウィスキーを飲んだ為か.千鳥足を引きずるよう蒸す涸沢を遡っていた。
     中一本の径.右岸.左岸を綴る径, 漸く流心が現れ闇深い森に包まれた出合小屋にでた。時計は11時45分を指している。
     造林小屋を改修した小さな小屋だが野宿とは違い.ストーブもあり居心地はよかった。

      赤岳沢
   赤岳沢はそれ程知識を持っていないが意外と明るく伸び伸びした沢を構成していた。
     主峰赤岳に突き上げる沢として期待していた割には平凡に思われる。ただその分荒天に襲われた。

   又地獄谷の頂稜に這い上がる各沢の中では以外と岩も堅いと聞いていたが脆さも充分味わさせられた。
     ホールドは豊富で楽だと思いつつ,微妙なホールドは手を掛けると同時にぽろりと抜け.
     岩そのものの脆さも十二分に知らされた山行だった。

   赤岳沢の構成は3つに分けられる。面白みではやはり核心で,中流にある滝は落差と深みに少し欠けている。
     山場は何と云っても最後のツメに連なる屏風の岩壁だろう。

   扇状に広がった前方を岩肌が一面被り.沢としての形を失い.不明瞭の4本の岩溝が薄く壁を分けていた。
     岩と云うかガレと云うか半ば未完成さで.上部は更に土壌が混り.ここが赤岳沢一番のポイントとなっていた。


   赤岳沢メモ
 




龍頭峰ウォッ地図

南八ヶ岳地形図 川俣川東俣地獄谷概念図

    9月05日曇
       出合小屋7:45一9:00岩小屋:15一10:35F8m上:45一11:40涸れ沢13:00一14:30森林限界:45一15:15赤岳通過
       一15:50行者小屋一17:15河原.渡渉地点:30一17:40美濃戸口18:25=19:00茅野.
      下からの雫
   昨夜に続き今朝も濃霧でガスが谷間を湧き上がらしていた。滝の様相は間近で目を凝らさねば分からないほど強かった。
     それに加え谷風が暴風の勢いで這い上がっている。

   それ故.滝飛沫も当然当たり前の考えでは落ちる所に落ちず.巻き上がった雫は塊りとなり下から襲ってきた。
     滝を攀じればと攀じる程.巻き上がった雫は.横殴りで目も開けていられない状態に起こさせていた。
     滝壷より滝口に登るほど.濡れるのも不思議な現象だった。この現象には誰もが不思議がる。

   4段ノ滝を終え一本取ると,急にルンゼ状に沢は競り上がる。ナメ床がうねうねと延び.滑り落ちる白糸がガスの徨徊を縫い落ちてきた。
     この左岸.頭上高くに大きな岩穴が口を開けていた。

    田島君.内海君.中沢君と私
      核心
   暫らく遡り7〜8mの滝に手こずるりだす。倒木を利用して水飛沫を受けながら直登したものの.
     中沢.内海.田島の三人は左を巻きバンドをトラバースし.滝口に出ようとひっひになっていた。

   バンドの途中がハング気味で手がでないでいる。
     内海が持っている40mザイルを利用し.私がハング下の残置ハーケンにアブミを懸け,滝上に這い上がらせた。

   チョウクストーンを持つ12mの滝は落差が小さいわりに.側壁のしっとりした岩肌が陰惨さを漂わしていた。
     ここは左のリッペを直登した。硬いホールドに恵まれ.真直ぐ攀じ上がる快さは申し分ないなかった。

   ただザイル40mを4人で結んだのには閉口した。
     早速.滝上に出て40mザイルをダブルにしT松村.M1田島.M2内海.L中沢のパートナーでコンテニュアンスを繰り返えす。

   核心上部8mチョックストーンを持つ滝は左へ大きくトラバースする。もうここは水量も乏しく涸れだしている。
     ここまで来るとさすが雫の雨もなく,ガスだけが前後を回遊しては.見境もなく湧き始めていた。


    大休止
   風.雨雫を避け

    
      大休止
   大休止しコンロをだす。田島が水汲みに行くがポリを落とす。コロコロ転がるポリを追い,掛けては又落とす。
     ポリに遊ばれていようだ。慌てれば慌てる程.ポリは落ちて行く。

   水を汲んで来るまでに手近の心細い水を食器に集め.うどんの準備ができ上がる。
     熱い汁が体を温め.うどんの喉通しも美味かった。

      最後のツメ
   何か手持ちぶさい核心通過には最後があった。
     正面やや右寄りを直上.左へトラバースして扇状岩壁の1番左ガリーに入る。
     チムニーが詰まり気味の上.岩が脆く体位の岩が落石となって落ちてくる。

   再びザイルを結び右へ10m程トラバースして.被リ気味のリッペを攀じった。
     細いリスに縦ハーケンを打ち込.残置ハーケンと連動させて40度前後の斜面を摺り上がる。

   上部草付の傾斜はそれ程落ちもせず.岩とは違った別の脆さがあった。
     草付ブッシュの微妙な登攀が続き.疎林にザイルを絡めては直上する。ビナがよく働いた。

   霧露に濡れた山草の青々しい斜面をザイルを上へ々と這い上がさせ,コンテでツメの藪を越える。
     そして一連に連なる這松帯にでると後はもうたいしたことはなかった。

   田島君が頂稜に出て,初めて怒鳴った。「出た!」と。
     稜線は物凄い列風とガスが巻う。赤岳の頂で腹の底から「頑張れ節」をがなり.石室道を駆け降りている。

      田島君・・s48年06月29〜02日.地獄谷遡行.L田島sL発知m羽崎

     地獄谷出合小屋
   昭和35年に地元高根山岳会が発足。当時第1次登山ブームが到来し,地獄谷周辺で遭難事故が相次いた。それまでは清里の消防団が.
     対処していたが次第に高根山岳会に救助を依頼するようになる。そして救助隊の安全を守る為にも現地に小屋が必要だった。
     行政を通し韮崎林務事務所へ懇請し借地が認められる。

   昭和38年に造林小屋を改修し兼避難小屋に。当時堤堰は1つもなく.人力で物質を荷揚げすることで3年掛け出合小屋が完成する。
     場所は川俣川地獄谷出合.標高1840m付近の河原で高根山岳会が管理している。

   1966年(s41年)11月.天狗尾根を横断した折は周りが暗くなり,出合が分からず手前で野宿している。
     清里に黄昏時着.20時に野宿.当時小屋はまだ建てられていなかったと思う。

   1971年(s46年)09月.赤岳沢遡行時,出合小屋を利用。
     新宿を夕方発ち23時45分に小屋に入っている。

   その後何度となく改修が行われ.使用不能になるも平成04年には屋根葺き換え工事.その後.
     40年近い歳月に土台が腐食し崩壊がまぐ得なくなり2009年の雪解けを待ち大改修が行われた。

   2010年09月.ツルネ東稜.阿弥陀中央稜断念.出合小屋を利用。
     改修されたと聞き.嬉しさと懐かしさで小屋に出向く。熊笹を綴ると奥まった所に隠れるよう.ぽつんと小さな小屋があった。

   土台だけ残し建て替えられた節がある。それも古く屋根と戸口の色だけが青く鮮やかに目立ち臨まれた。
     ストーブがあり1人宿る。満月を迎え夜半より小屋は強風に煽られた。