南大菩薩連嶺東面の牛ノ寝通りから米代長峰を下り深城ダム・・桂川葛野川流域Top

   往路は最短ルートで長峰から国道へ. 長い葛野川線沿いのアプローチを歩む・・小屋平から石丸峠を越え.米代から長峰の末端の士室川拓道橋
     下山は深城湖の湖畔から国道に入り.葛野川線で.小金沢公園.竹の向.上和田.中風呂.松姫旅館からは日暮れから夜道を変り
     矢坪までは長いアプローチち.ここでヒッチハイクに拾われる。jr猿橋駅までわざわざ送って頂いた。  2010年11月04日.単独

      小屋平から石丸峠牛ノ寝通り.米代
      米代長峰から深城ダム・・松姫鉱泉.更に矢坪.H=jr猿橋

     この2年間ほどは東丹沢の東. 三峰.鍋嵐周辺の山々を意欲的に登っていたが.近頃は大菩薩周辺を主に歩むうようになった。
   初めて大菩薩小金沢連嶺に登ってから久しい入山だった。大菩薩湖が建設される大分前の昭和30年代に夜行「大菩薩号」で新宿から出向いている。

     当時は登山ブームに乗り大菩薩周辺は夜行日帰りコースの領域として.夜中に登山バスが国鉄駅から接続されていた。
   ただ当日は低気圧の影響で乗合バスは僕等を含め2組のみ。その1組が裂石に宿り.僕等高校男児3名だけが丸石峠へ出向いていた。
   薄いトレースにエレキを照らしながら登り.夜明けに春雪積る石丸峠にでている。そして小金沢連嶺を縦走し初狩に下りている。駅までは長い道中だった。

    大菩薩嶺へ
     今回の山行は3日前に好天の予報を知り.山へ行きたいという,心のうごめきから始まっている。会津浅草岳ではほぼパーフェクトに望んでいた。
   錦秋の紅葉美と深い蒼空に埋め尽くされた中での山行だった。その気持をもう一度味わいたいと文化の日を迎え.大菩薩長峰に挑む。

     米代長峰(ながね)は楢ノ木尾根の源頭近くで分れ.南側隣りに並行する短い藪尾根。牛ノ寝通りの米代から派生し.士室川と葛野川とが
   分水嶺を築き深城湖に没していた。一昨年暮れに牛ノ寝通りを下り.休みを取った新雪の雪線が米代だった。
   当時は目の前の足元に急激に落ち込む藪笹尾根を覗き込み.時を待たず訪れるだろううと考えていた。

     運よくjr甲斐大和駅から上日川峠まで紅葉期のみの臨時バス(甲州市営バス)が運転されるのを知り.利用させて頂いた。
   下山の交通の便を調べると深城.葛野川線は土.休日の午後に14時21分と18時17分発の2便がある。
   前便では日没が早いと云うものの.山を下りるには余りにも早過ぎた。又後便は日没を考えると遅過ぎ歩くしかあるまい。

     平日だと17時代にバスの便があることに気付き.それに便乗し平日の4日に出向く。
   牛ノ寝通りと楢ノ木尾根に挟まれたスズタケが煩いほど茂る長峰を歩み.深城へ下る葛野川沿いの集落を点々と尋ねる楽しみもできた。

   日川林道.旧道と交差する小屋平バス停.8:59

     11月04日.曇後快晴
       jr御徒町¥1.890. 4:44=神田5:00=6:06八王子.松本行:29=7:39甲斐大和.栄和交通県道大菩薩初鹿野線¥1000.8:10
       =8:59日川林道小屋平bs.
    中央東線
     立川市付近でおぼろに夜明けを迎えている。その空も小仏トンネルを潜り相模湖沿いに入ると.広く覆う層雲は途切れ.
   前日以上の好天に恵まれた。この2年間.度々通った中央東線を平日に利用するのも稀だった。

     高尾駅で長距離列車に乗り換えると休日の車内は中高年のハイカーで満ち.立席がでるほどの賑わいを示していた。
   それが平日は車内の客層は全く違っていた。鳥沢付近から甲府方面に向かう通勤.通学の人々で車内は混み合い.半ば眠っている人が多い。
   その中元気なのは常に学生達.3人集まれば声も高くなる。

     甲斐大和駅発の甲州市委託の路線バスは秋の行楽シーズンを迎え満席が連日続き.11月の土.日を過ぎると廃路線になる。
   文化の日前後だけは平日でも運行されていた。昨日はバス4台で往復したという。今日は13人乗りミニマイクロバス1台に2人ほどが立ち発車した。
   この上日川峠行の上日川線は一昨年の春から運行され.今年の5月にも日川尾根に入る折も利用させて頂いた。

    落葉松の若い林斜面
   石丸沢右岸源流
    小金沢連嶺西面の斜面も9時には陽を浴びていた。

     石丸峠越え
   8:59小屋平bs一9:15砥山林道.新石丸峠一10:00石丸峠一10:20牛ノ寝.米代:30一11:20長峰作業道一11:40作業道分岐.

    石丸峠横断
     今回は裂石からではなく.新な路線バスの旧道とのクロス地点.小屋平バス停に下車した。石丸峠(下峠)を越え牛寝通りから長峰へ。
   小屋平は大菩薩湖(葛野川揚水式発電所の上湖)の東岸の山腹を北上するとミヨシ沢橋を渡る。砥山林道が左から合流する上部に位置している。
   広く落葉松林に囲まれた中にあり.昔はここ小平地に小屋があったという。

     その落葉松の森を主稜線の斜面を登り詰めている。落葉松の森は石丸峠近くまで広がりを見せていた。
   小屋平から東方に歩を向け.俗に云う「八十八曲り」の古道を辿り.石丸峠への山道に入る。15分程登ると林道土室日川線を横切り新石丸峠にでた。
   タクシー利用の場合は上日川峠からここまで回り込んでいた。県営土室日川線の起点.終点は甲州市塩山萩原山になり延長2.753m.幅員5.0m

     旧登山口(新石丸峠)に立つ案内板には「ガレの崩壊が続き.右250m先に新しい登山道が造られている。」と示されていた。
   私は無視しスズタケ茂る落葉松の旧道を歩み.湿気を伴う笹藪の小径に入っている。山径は崩れ荒れているものの気にするほどもなく.
   案内板に示された巻き径と合わさった。ここまで丁寧な説明は登山道と踏み跡の違いだろう。

   石丸峠へ

     石丸峠への小尾根はまだ日陰の斜面.朝方の眩い陽光に向かい登っている。既に前方に峠越えをした陽が背に臨む.湖畔対岸の東斜面を
   一面に照らしだしていた。この先で樹林に覆われた頂稜にでる。先ほどの路線バスの車窓からは霧氷が広がり.
   白く煌めく逆光の美しさを存分に見せ付けていた。その背稜にでる。

     「八十八曲り」の古道が急登になるにつれ空は開けかれ.次第に明るさが増し.疎らになりだした落葉松,岳樺からの視界が開けだす。
   熊沢山の南西尾根にでると肩の草原が色ずき.枯れ白薄を見て分かるような微風を受けている。陽光は弾き煌めいていた。

    大菩薩南西面の壮大な山並
  

     小金沢連嶺西面の支尾根群と大菩薩湖を経てての日川尾根の上半・・背は御坂山地と右上遥かなる奥に南アルプス白峰三山。
   西面の各支尾根は手前から雨沢ノ頭先のミオリ尾根と雨ノ沢左岸尾根。その奥は川胡桃沢ノ頭先の間ノ尾根で.西群馬幹線197号鉄塔尾根になる。

    大菩薩湖周辺
     一昨年は牛ノ寝通りを歩み.47年振りに石丸峠に訪れていた。石丸峠から再び望んだ展望は足元に巨大な大菩薩湖.日川ダムが見下ろされ
   驚かさせられていた。葛野川揚水地下発電所の上池に当たり.他にも人造湖として楢ノ木尾根.大峰の北麓に下池として深城ダムが
   姥子山の南麓には奈良子ダムが誕生した。

   今回は甲斐大和(日野春)からバスを利用し石丸峠に出向き.長峰からの下山はもう1つの下池・深城ダムの湖畔に下りている。

     初めての大菩薩は新雪の小金沢連嶺を高校時代に縦走している。ダム湖のまだない時代だった。
   それから月日が経ち.一昨年の師走には裂石から牛ノ寝通りに入る為.ここからK先輩と再び残雪覆う山並みを眺めている。
   この峠も今回で3度目になる。そして今年も幾つもの山並みを越える秀麗たる富嶽を前回と同様に聡明な雄大さを抱き見せつけらていた。

     正面に望む日川尾根は今年の春先に南下している。冬木から発芽し新緑の若葉覆う尾根。
   重川左岸尾根を最後まで綴り.その変化を楽しんでいる。笹径を登ると次第に背方下に大菩薩湖が見下ろされるようなった。
   そして向かいには包容力ある日川尾根が湖を抱き.長く末端は日野春へ延びている。

     前回南下した日川尾根だった。迷い綴ってきた送電線鉄塔群が大きく目立ち眺められ.幅広い尾根は見た目より複雑に林道.小径を絡ませていた。
   その折は日川尾根を源次郎岳まで南下し.重川左岸沿いに恩若ノ峰南西尾根に回り込み.jr勝沼ぶどう郷駅に下りている。2010.05

     右上に飛び出しているのは送電線西群馬幹線192号鉄塔. 送電線は日川の谷間を越え大蔵高丸南西尾根を南下し.笹子山地から
   甲相尾根に乗り.西丹沢の新富士変電所と繋がれている。ダム上と左下の山腹には別に葛野川線と深城線と2つの送電線が架かっている。

    狼平から小金沢山
   石丸峠肩より
    狼平越しに大樺ノ頭.雁ケ腹摺山が顔を覗かしている

    石丸峠
     石丸峠は昔は下峠或いは小菅大菩薩峠と呼ばれていた峠道。道中に石マラ様があったころから俗に石マラ峠と呼ばれていた。
   その石マラ様は上日川峠から小屋平を経て八十八曲りを急登し.熊沢山の南西尾根にでた東側に巻く辺りにあったという。
   地図の石丸峠は鞍部より少し東の尾根上にあり.そこに昔の荷渡り場があったらしい。・・「甲斐の山山」小林経雄著

     石丸峠の草原を見上げると登り径の左端に6〜7m四方の鹿柵を見る。標板に「鹿による亜高山性植物の食害調査」とあった。
   柵外と比べる都笹の食害の程度を調べているようだ。

     一日ずらした平日にして誰も居ない石丸峠に立つ。来てよかったと云う実感に浸りだしていた。静かだ。
   もうこの高原には小鳥の囀りも聞こえない。風はないがやや肌寒い柔らかな陽射しを浴びるている。峠は草原に被われた都笹の原.
   望む天空はカラッとしていた。冷え込みの蒼青しさが一層心地よい。

    都笹
     石丸峠を覆うのは都笹.小型の笹で京都比叡山で発見されてこの名が付けられている。枝は殆どが枝分けせず1本立ちが多い。
   又節は球状に膨れ.表葉はつるつるだが裏葉には軟毛が密生している。

    石丸峠を覆う都笹
    
    1957mPと見えぬ左手が熊沢山へ掛けての登山道と古い道標.10:00    先5分ほど下ると牛ノ寝通りの分岐にでる

     バスに乗車していた男女.2人組が訪れて峠を後にする。バス停から離れてから初めて会ったハイカーだった。
   もう今日は擦れ違う人も居ないだろう。峠越えするとやや雲量が多くなった。そして見上げる都度その雲の1つ1つの大きさが膨脹し.
   更に大きく湧きだすよう思えた。

    米代長峰の全貌
   三森北峰より・・2011.01.18/14:10

     頂点は旧石丸峠. 牛ノ寝通りを下り直ぐ米代.長峰の分岐にでて深城に下りる。尾根を隔てるのは葛野川の二俣.
   右俣の土室川と左俣の小金沢。小金沢沿いには林道真木小金沢線が綴られ大峠を越えている。
   手前左の斜めの尾根は楢ノ木尾根の大峰北尾根で取付きは小金沢公園からになる。

    牛ノ寝通り米代
   前回から2年の歳月が経ち新たに造られた米代の道標.11:20.

    米代
     石丸峠より少し南側に登った旧石丸峠.牛ノ寝通りへの分岐にでて10分ほど下った所に牛ノ寝通りの米代分岐がある。
   一昨年の暮れには新雪被う石丸峠からトレースを綴り.牛ノ寝通りを下っている。そして融雪が乾きだした雪線で漸く腰を降ろした所だった。

     足元には「米代」と記した小さな木片が立てられていた。今は人の背丈もある大きく立派な道標が立ち.
   米代がここであることを示していた。道標の横板にはKのマジックで「道不明瞭通行注意」と小さく付け加えられっていた。

     もう少し年月か経てば踏み跡は普通の尾根径と変わりなくなってしまうのだろうか? 
   下る道中で真新しい道標はここだけだった。遭っても小さく古く読み取れ難いものが幾つもある。下山口に道標はない。

    奥秩父.飛龍山〜雲取山石尾根
   米代脇から北北東を垣間見る,
    牛ノ寝通りへ向かう尾根先に広がるのは丹波の尾根越えに一段と高く聳える奥秩父連山

     左上に目立つ突塔は飛龍山.雲取山と並んで大きく望まれる。その下の斜めに下る長大な尾根は前飛竜ミサカ尾根からの天平尾根
   懐かしい山々だ。若い頃.沢登で大雨に打たれたり.闇の丹波川を渡渉した因縁深い渓谷を幾つも備えている。

     中央が丹波大菩薩道が綴るノーメダワとサカリ山(今倉山).境界尾根で先の谷間は丹波川.手前は小菅川になる。
   牛ノ寝通りは小菅川と葛野川に挟まれた尾根.峠路の多く里山へ小菅.丹波の奥山が続いている。・・牛ノ寝通りTop

    大峠と大樺ノ頭.雁ケ腹摺山
   米代より右下が長峰
    左奥が大峰北尾根に乗る遠方は表道志の山々.右奥が大峠越えの御正体山

     米代を起点として下る長峰は正面に雁ケ腹摺山楢ノ木尾根が被さるよう大きく横たわり.南大菩薩.中央線沿線の山々はその山陰に隠されていた。
   大きく望める頂稜は大峰・泣坂ノ頭に大樺ノ頭と雁ケ腹摺山. 大峠の窪みが深く落ち込んでいる。・・葛野川上流の右岸の山並み
   右上に登り詰めれば黒岳にでる。ここから黒岳までは小金沢連嶺の東支尾根群が望まれてた。その先奥は南大菩薩連嶺へと続く。

     足元の長峰にはスズタケの笹原が尾根全体を被い分布していた。ここは雑木林に囲まれ色とりどりの紅葉美に飾られていた。
   深く密生する笹の踏み跡径.笹が被い深城湖へ真っしぐらに落ちる尾根。ここから一面に覆う笹薮を抜ければ晩秋の色合い深い黄葉美を味わう。

    牛ノ寝通りと長峰
   権現山稜の三森より

     牛ノ寝通りの米代から派生する長峰は上流側の土室川と葛野川を隔てる急稜な尾根で.長峰の末端はシオジの森.
   ふかしろ湖に没している。末端の.出合には松姫峠越えて桂川に至る国道139号線が横切り.葛野川線を日没が過ぎても歩き下山した。

     上流側の谷間は葛野川ダムに閉ざされた松姫湖が広がり.葛野川揚水式発電所の下湖をになっている。その又下流にあるのが深城湖
   鶴川の支流尾名手川を取り囲む尾根を訪れた折.三森から北西方面に向かい撮影した。・・211.01.18/14:10

    長峰最上部
   取付きから少し下った岩場上から長峰を撮る

     戻り左から巻き込む1770mコブと1370圏峰.
   中央奥が佐野西原峠から続く麻生山.右に連なる楢ノ木尾根は大峰北尾根(板小屋境)と泣坂ノ頭の北尾根(押沸ノ沢ノ尾)

    長峰
     米代から長峰に入る第一歩は尾根ならぬ山の腹を絡む下りから始まっている。地名標がなければ取付きに気を遣う場所になろう。
   その上取付きは凄いススタケの藪に囲まれている。背丈なすスズタケの薮を掻き分けて.踏みだすと云うよりズリ落ちる。そんな形容の合う場所だった。
   傾斜は一気に180mほど落ちている。その間も笹藪に閉ざさ先は分からず.途中から尾根がを起きるも藪は治まらなかった。

     取付きからツメを少し下り.右手の岩コブの尖ッ突きに上がると長峰上部のコブが見下ろされた。
   1970mコブと1371m圏のコブが頭を大きくもたげ.藪山らしき茂む絡みが見下ろされる。
   ここだけが上部尾根の輪郭を把握できる場所だった。時間のロスさえ気にしなければ尾根筋は痩せ.楽に下れる尾根でもある。

     下調べをしてスムーズに下ればそれに越したことはない。ただ冒険心は薄れる。その案配が大切だった。
   私はロスと無駄とは別物と考えている。ロスあってこそ.下山してから記憶に深く残されることも多い。

    笹藪に突入
    
    腰ほどのスズタケの藪径へ               群がる枝々と被うスズタケのジャングル

     牛ノ寝通りを左に分け.右下に延びる長峰の笹薮斜面を左へ折れ気味に南西の小さな起伏に踏み込め.はっきりした尾根が起きるのが分かる。
   傾斜が増し.手には軍手.ポケットの中身はザックに詰め込み.笹束を掴んでの急斜面の下りが続く。雨が降れば抜かるみ.
   笹節の滑りが加わって.危険きわまる所だろう。岩ゴロ混ざりの痩せ尾根を過ぎると背丈を越す笹藪帯になった。

   樹間からの小金沢連嶺黒岳

     心地よい藪漕ぎ
    1770mコブより背丈の藪径に入る

     
     足元目線から撮った笹藪              疎らに明るくなった場所で色ずいた落葉

  

     幾らか傾斜が落ち.笹薮が体を被い遮ぎられる。両手で笹枝を掻き分け進めばよい。
   踏み跡ははっきりして迷うことはなかった。靴幅ほどの細い踏み跡が丁寧に続いている。

     大菩薩周辺ルート略図
     小屋平から石丸峠牛ノ寝通り.米代
     長峰から深城ダム・・松姫鉱泉.更に矢坪H=jr猿橋