| 大菩薩連峰周辺の山歴と尾根ルート略図.山行表 奥多摩.陣馬山域・・山径山歴と地区別山行表 大菩薩連嶺と丹波周辺流域 丹波川から突き上げる鶏冠山から南下する大菩薩連嶺は北に柳沢峠を経て奥秩父連峰へと繋がれている。東側には鶴峠を経て権現山稜へ。 南側は中央東線の山々を境に笹子峠から御坂山塊の主稜線へと結ばれている。共に国中と郡内を分ける甲斐の脊稜山脈にもなっている。 西側は笛吹川重川を隔て.秩父連峰から南へ長い穏やかな丘稜が延び.果ては塩山・甲府盆地に至る。 大菩薩連嶺はそれらに囲まれた山域になる。ここではまず大菩薩連峰か.流れ込む河川を北から南へ分け.この山域の入渓ルートから区分した。 丹波川北岸流域・・奥秩父Top 1967年09月. 三条橋から 一ノ瀬川大常木谷遡行・・飛龍山からサオラ峠を経て丹波bsまで周回 1969年06月. 余慶橋から小常木谷遡行・・岩岳尾根.茅谷尾根から丹波bsまで周回 2015年09月. 落合hから墨川山東尾根.伝通院山へと水源林巡視路を綴る―倉掛山西尾根から峠沢左岸旧道・・天科bs 丹波川南岸流域・・多摩水源の山々Top 柳沢川右岸 2008年04月. 「ほったらかし温泉」から大改修中の青梅街道を柳沢峠越えして青梅へ.マイカー 2013年11月. 川久保から高指山南東尾根―大室川.大黒茂谷源流・・丸川峠を経て大菩薩の湯bs 2015年09月. 柳沢峠bsから黒川鶏冠山を囲む巡視路を周回―カネバ尾根から落合h 2009年09月. 丸川峠から藪被う大菩薩連嶺北尾根・・大菩薩登山口bsから泉水横手山林道.青梅街道.丹波bs 2015年10月. 牛首谷.エンマ御殿周辺を周回し.大黒茂谷流域を探索―中川桟道が崩壊し北尾根を迂回―小室川左岸道に入り.林道.街道から丹波bs 小菅川流域・・丹波川泉水谷.小管川絵図 丹波山村区域全図 上流流域 2013年11月. 冬木と紅葉を求め富士見新道から小菅川源流.アカドチ沢右岸尾根―小菅林道.県道・・大菩薩登山口から橋立下bs=金風呂bs 2013年11月. 紅葉を求め中指山南東尾根.丹波大菩薩道から2度の北尾根―小室川と大黒茂谷源流に丸川峠 2021年11月. 留浦浮橋から尾根末端.枯葉を蹴り大寺山・タナグチ山・大ヤマト山・鹿倉山・シロヨシ―大丹波峠から北面のイチ沢を下り丹波役場前bs 中.下流流域 2014年11月. 中黒茂沢から小管川左岸中腹道と丹波大菩薩道からサカリ山大指尾根・・橋立上bsからのめこい湯bs.水源巡視路を歩む 2011年02月. 新玉川橋から入小沢ノ峰シンナシ尾根.糖指尾根―三頭山牛飼尾根を長作に下降・・県道を阿寺沢入口bs 2021年11月. 留浦の浮橋から小菅川左岸尾根末端を縦走・・大寺山・タナグチ山・大ヤマト山・鹿倉山・シロヨシから大丹波峠にでて.イチ沢から丹波役場前bs 笛吹川重川流域・・重川上流左岸の稜絵図 2010年05月. 上日川峠bsから新緑と芽生え始めた重川左岸尾根・日川尾根から源次郎岳を越え恩若ノ峰南西尾根・・jr勝沼ぶどう郷 2014年11月. 柳沢峠から鈴庫山―藤谷ノ頭市境界尾根.赤岩御殿・・三富.笛吹ノ湯bs 笛吹川日川中流流域 1964年03月. 日川上流左岸尾根から笹子川真木川右岸湯ノ沢径路・・初春の裂石bsから小金沢連嶺を越え国鉄初狩 2010年11月. 小屋平から錦秋を求めススタケの米代長峰から矢坪へ・・日川小屋平bsから葛野川上流左岸尾根 2011年10月. 黄葉に染まる支流大蔵沢右岸尾根から滝子山浜立尾根・・日川中流右岸から笹子川左岸スミ沢径路・・・jr笹子 2014年01月. 水野田山―古部山とその南西支稜.勝沼尾根・・jr甲斐大和から初鹿野発電所.柏尾発電所を経てjr勝沼ぶどう郷 2010年12月. 冬木覆う小路沢ノ頭北尾根からお坊山東南尾根.4号鉄塔尾根・・jr甲斐大和からから笹子川北岸尾根・・・jr笹子 2011年03月. 徳並沢ノ頭から境沢ノ頭―宮宕山から甲州高尾山を経.880m圏峰西尾根.菱山・・深沢川を取り囲む尾根を周遊 笛吹川日川下流流域 2012年12月. 熊に唸られた日影雁ケ腹摺山から雲母山―京戸山から中尾根ノ頭中尾根・・jr甲斐大和からjr笹子 2016年07月. 大幡川から境界尾根を綴り大幡山.清八山.大沢山.ボッコノ頭―女坂峠.摺針峠を越え狩屋野林道・・jr笹子 桂川葛野川流域(かどのかわ)・・・松姫峠から楢ノ木尾根.長峰.牛寝通り絵図 牛ノ寝通り 2008年12月. 寒暖激しい師走の雪山から大菩薩峠牛ノ寝通りと猛暑の百蔵山・・裂石.大菩薩登山口から土室川左岸尾根と河口左岸のjr猿橋 2009年11月. 奈良倉山東尾根から葛野川左岸尾根―佐野の古道左俣道・・長作観音堂bsから八ッ田bs 2025年05月. 鶴峠から奈良倉山.佐野峠.坪山分岐.西原峠で林道と分かれ.小寺山.大寺山から三ッ森北峰鋸尾根を下り.小姓へ.H=jr猿橋 2010年11月. 錦秋を求めススタケの米代長峰から矢坪.H=jr猿橋・・日川小屋平bsから葛野川上流左岸尾根 2014年06月. 楢ノ木尾根.大峰北尾根から瀬戸境を尾根末端まで南下・・上和田bsから葛野川上流左岸尾根.上平bs=下和田bs 葛野川支流奈良子川・・周辺の集落絵図 奈良子川流域の青年学級・絵図 セイメイバン 2012年01月. 冬木に覆われたセイメイバン南東尾根から大垈山―宮地山・・田無瀬bsから葛野川右岸用沢川を周回 2014年01月. セイメイバン東尾根から鉄塔尾根を南下―葛籠峠.天神山から岩殿山・・林bsから桂川左岸.jr大月・・深沢線鉄塔全線 2013年06月. 泣坂ノ頭南尾根から雁ケ原摺山楢ノ木尾根―姥子山から林道奈良子線.真木小金沢線・・奈良子bsから真木川左岸へ横断.桑西bs 2013年12月. 宮地山タカズス右岸尾根から野脇ノ頭東尾根―吹切尾根鳥屋ノ丸.巡視路・・林沢戸bsから真木川左岸.桑西bs・・葛野川線鉄塔全線 葛野川支流浅川・・葛野川と鶴川に挟まれた流域地形図 権現山山稜 2011年02月. 権現山北尾根から権現尾根(葛野川支流浅川右岸尾根).尾名手尾根・・初戸bsから鶴川右岸尾名手沢を周回.阿寺沢入口bs 2013年01月. 曽倉山西尾根から扇山―800m圏コブ北尾根.浅川瀬戸線と葛野川左岸古道・・地獄谷周回と葛野川中流左岸尾根.葛野 2013年05月. 浅川大入沢670m圏二俣中間尾根から麻生沢730m圏中間尾根・・浅川bsから葛野川中流左岸尾根.奈良子入口bs 桂川支流浅利川流域・・真木川以東〜葛野川以西流域地形図 2015年03月. 土沢右岸尾根下半から遅能戸林道を周回し.葛籠峠越え日影地区へ・・能戸bsから葛野川右岸神宮橋bs 2015年04月. 鳥屋ノ丸南東尾根―御前ノ頭南西尾根・・間明野bs上.上真木.西大月小前.真木消防会館前bs 笹子川支流真木川流域・・滝子山を巡る南面の支尾根群・右岸流域地形図 右岸流域 2012年06月. 大谷ケ丸南東尾根から大鹿峠鉄塔尾根・・切目沢出合から日川中流左岸.田野へ下降,.r甲斐大和 2012年07月. 破魔射場丸南東尾根―雷雨に追われた米背負川・・ハマイバ前bsから日川中流左岸―真木小金沢林道から大蔵橋 2012年08月. 恵能野川から林道桑西線末端にでてアモウ沢乗越―滝子山南陵・・遊仙橋から笹子川左岸尾根.jr笹子 左岸流域 2013年08月. 猛暑の端倉峠から篠竹藪を前沢山を経て花咲山から浅利へ・・上真木bsから浅利川右岸.jr大月 桂川笹子川藤沢川流域・・笹子川流域観光絵図 2012年10月. 滝子山東稜と南東稜―北方川右岸尾根から天神山・・藤沢から笹子川北岸尾根を周回・・jr初狩 2016年05月. 藤沢川ウシロ沢左岸尾根から滝子山南東尾根―東尾根から沼ノ沢.コクトチ沢.恵能野川.真木川から甲州街道.花咲下宿bs 桂川笹子川北岸流域 2012年03月. トクモリ南尾根から小路沢左岸尾根(jr鉄塔尾根)左俣・・jr笹子から日川左岸笹子沢川径路.jr甲斐大和 2015年11月. 道証地蔵から75号鉄塔鞍部を経てオッ立南尾根―大鹿峠からお坊山東峰南尾根.公団10号鉄塔を周回・・jr笹子 桂川笹子川南岸流域・・甲斐,御坂山地Top 清八山 1963年12月. 国鉄笹子から三ッ峠山―豪雪で清八峠より敗退・・笹子川右岸尾根 1964年04月. 再び溝八峠越え.三ッ峠山水無山府戸尾根・・国鉄笹子から富士急河口湖駅 2016年07月. 宝鉱山跡から都留線を詰め清八山―大沢山.ボッコノ頭から摺針峠越えで狩屋野 2011年12月. 大沢山北東尾根から本社ケ丸―角研山北尾根下降・・jr笹子から笹子川南岸尾根を周回 2014年06月. 本社ケ丸東峰北尾根から鶴ケ鳥屋山北尾根を周回・・jr笹子から笹子川南岸尾根を周回 2015年02月. jr初狩から大幡峠西尾根.近ケ坂峠を経て高川山東尾根・・jr大月 2016年07月. 宝鉱山跡から都留線を詰め清八山―大沢山.ボッコノ頭から摺針峠越えで狩屋野川を下る 大菩薩連嶺東面の古地図 北大菩薩嶺・・各地点の絵図 北大菩薩連嶺(大菩薩連嶺案内図.小菅周辺案内図.松姫峠から望む富士山と小金沢連嶺) 南大菩薩嶺・・中央東線沿線絵図(梁川駅から甲斐大和駅間) 2014年09月.河口湖からの町会日帰り旅行の帰路.勝沼ICから甲州街道を上野原ICへ下る。 |
| 初春の大菩薩.新雪をラッセルし小金沢連嶺を南下 高校生男児.夜行列車.続バスと誰も入山しない山で雪と戯れる 裂石から丸石峠一小金沢山(雨沢ノ頭)一湯ノ沢峠から真木沢林道一初狩駅 大菩薩峠ウォッ地図 |
| 未跡の淡雪溢れる小金沢連嶺 s39年(1964年)03月. L松村m宮地. 国鉄新宿.「えんざん号」夜行列車.3月20日より運行= 塩山.接続バス=裂石一丸石峠一小金沢山(雨沢ノ頭)一牛奥ノ雁腹摺山一黒岳一湯ノ沢峠.林道歩道一初狩=新宿 |
大菩薩峠 |
| 晴.春山の旅 重く垂れ込んだ雲に被われ.闇からまだ薄暗い踏み跡の残雪を踏みしめている。 塩山駅からの山交バスの乗客は僕等以外は3人の登山者だけだった。終点.裂石バス停に降りるともう人影もなく.峠へとゆっくり登りだす。 覆う雲の中にいるせいか夜明けの明るさが.まだ闇の中に留まっている。薄暗さの漂う山道は次第に残雪に覆われ侘しい踏み跡をたどっていた。 泥径から残雪が混ざり.何時の間にか雪道に入っていた。 峠から大菩薩嶺へでる。雲が流れ視界はあるものの.遠くまでは望めなかった。 雪面の間から枯れススキが雑然と風に揺れ棚引いている。少し朝方の寒さもあり重い雲が垂れ込んでいる。 小金沢連嶺 広い雪原から南へ向い下りだすと雲は薄れ.明るさを取り戻している。そうなると気が落ち付くのも不思議。 闇への孤独感に怯えていたような気持ちは何時の間にか何処かに吹き飛ばされている。 積雪が増してきた。時には膝まで潜る。 冷たい風が頬を打つ。朝の明るさに気は晴ばれと.ようやく自分の山に入り込んだ思いがした。 新雪を踏み軋む音。連山は一面残雪に被われた雪尾根が広がっている。 振り返ると自分の踏み跡がトレースとなり.綴られていた。 |
熊沢山.狼平付近 |
| 高雲の薄陽が差しだし.休むと体が震えるものの適当に汗ばみ.触れる冷気が快くもなる。 峠よりカヤトの穂が突き出す原が続いていた。その上.尾根沿いは一面の雪の原に変わっている。 ちょうど歩き易い.ふくらはぎまで潜る積雪に.心は踊りはしゃぎだしていた。 蹴るよう雪は舞い.跳ねる雪粒が朝日を浴び輝きだしている。 陽差しと共に気も踊っている。友の笑い顔.もう全てが自分の世界に入り込んでいた。 |
.雪稜の熊沢山.丸石峠.狼平付近 石丸峠肩より・・2010.11.04/10:00 .狼平越しに大樺ノ頭.雁ケ腹摺山が顔を覗かしている . |
長閑な陽差しに恵まれる。宮地と ![]() 熊沢山より小金沢山越しの富士 手前の尾根が御坂山塊で裏側が河口湖 |
日川源流 山波の先を望む南アルプス尾根伝いに下るにつれ視界は開け雪粒が眩く煌く。 日川の谷へ落ちる斜面は何処もが雪面に覆われ.広がりを見せている。手前の切れ目から本流が現れ.真向かいに富士山も望む。 つづらの尾根は登り降りを繰り返し.次第に高度を下げていた。 春の陽差しを受け.小さなラッセルに歩む仲間達。雪面を歩むことが,こんなに素晴らしいとは。 トップを歩き雪面を切ると喜びが湧き上がる。同級生3名が交替しそれを味わっている。 山に入り.桂川沿いの国道に出るまで.丸山峠より誰一人会わぬ旅が続いていた。 静かな春先の山麓をも味う。 下山路は湯ノ沢峠より初狩へ裂石→焼山沢真木林道→真木沢林道→下真木→国鉄初狩・・丸石峠から南下したことで異なるが当時の資料. 夜行日帰り登山 国鉄臨時列車「えんざん号」が3月下旬より運行され.何時もの最終夜行列車が出た後で甲府着4時19分とある。 塩山駅からは大菩薩峠(裂石線)方面行のバスが接続され.北口から運行されていたと思う。山梨交通 と云うことは裂石から夜明け以前に歩きだしていた。裂石では既に斑な積雪に覆われていたと思われる。感じでは泥混ざりの山道. 過っては大蔵高丸には初鹿野(今の甲斐大和)を丑満刻に歩きだする夜行日帰りの山だった。 当時はまだ湯ノ沢峠から初狩への真木林道はなく.昭和40年代になってからで,下山は初狩まで歩き下りていた。 木材搬出の林道が焼山沢の源流近くまで達したことからアプローチは様変わりとなっている。 勝沼からタクシーを呼べは峠まで小1時間を余す地点まで運んでくれている。日帰りのあわただしさを嫌って麓には民宿があった。 裂石からのコースでも,僕等と共にバスに乗車した他のハイカーは裂石の民宿に寄っている。民宿泊まりの山行も営着している。 更なる年月を経て.焼山沢林道が湯ノ沢峠に達した今.峠の避難小屋で一夜を託すのもよし。峠近くまで真木沢林道が繋がるのは更にる先になる。 参考コースタイムは甲斐大和35分―田野25分―田野鉱泉1時間―焼山集落1時間40分―湯ノ沢峠40分―大蔵高丸・・「中央線の山を歩く」藤井寿夫. 山にはは五万分一地形図を常に利用していた。 今回は「丹波」を使用.地図は建設省国土地理院が発売.応急修正版 明治43年測図. 昭和4年要部修正測図. 昭和23年9月撮影航空写真平面図化 昭和27年応急修正.昭和24年11月現地調査により資料.昭和34年3月25日印刷.同3月30日発行.定価¥35 地形図は墨濃く漢字は旧字.横文字は左読み・・変わりゆく地形図 大菩薩連嶺に関する河川は大きく分けて富士川.多摩川.相模川に分けられる。 柳沢峠から小金沢連嶺を経て笹子峠まで西側は全て富士川流域の流れ。 小金沢連嶺の東側牛ノ寝通りは分水嶺となり北側は多摩川へ.南側が相模川の流域となっている。 河川東面は柳沢→丹波川→奥多摩湖→多摩川. 小菅川→奥多摩湖 南面は葛野川→桂川→相模湖→相模川. 各支流→笹子川→桂川 西面は日川→竜門峡→笛吹川→富士川 ・・大菩薩周辺Top ・・桂川葛野川流域Top 牛ノ寝通りと周辺 2008年12月. 寒暖激しい師走の大菩薩峠牛ノ寝通り.松姫峠―猛暑の百蔵山・・大菩薩登山口から土室川左岸尾根と河口左岸.jr猿橋 2013年11月. 冬木と紅葉を求め富士見新道から小菅川源流.アカドチ沢右岸尾根―小菅林道.県道・・大菩薩登山口から橋立下bs=金風呂bs 2010年11月. 錦秋を求めススタケの米代長峰から矢坪へ・・日川小屋平bsから葛野川上流左岸尾根 2009年11月. 奈良倉山東尾根から葛野川左岸尾根―佐野の古道左俣道・・長作観音堂bsから八ッ田bs 45年振りの大菩薩・・新大菩薩峠から牛ノ寝通りを経て甲州百蔵山 新大菩薩峠から石丸峠にでて牛寝通りを綴り松姫峠. そして翌日は南面の下端の百蔵山へ・・今年は寒暖差が激し雪山を越え.暖かい冬至と2つの山並を越える。 裂石から新大菩薩峠にでて牛ノ寝通りの松姫峠を下り―改めて権現山の南支尾根末端の百蔵山に立つ. 2008年12月20〜21日.L松村.m見城 12.20.新大菩薩峠から牛ノ寝通り・松姫峠・家族の野猿 12.21.下端の中央本線の山.甲州百蔵山 今年の春先には.三頭山笹尾根を縦走し.尾根筋の周りを囲む山々の山域を知り.地図を読めるようになる。その一因になったのが大菩薩嶺牛寝通りだった。 大菩薩峠の南.石丸峠から東方へ派生する多摩川と相模川とを分水するなだらかな尾根で.全体的には広葉樹に覆われた豊かな自然林に恵まれている。 尾根を末端まで綴ると大マテイ山を経て松姫峠から奈良倉山.そして権現山へ。南方の尾根に回り込めば扇山.百蔵山に至る。 夜行日帰り登山 10代の中頃.昭和40年代に初めて大菩薩山稜に登り,石丸峠から小金沢連嶺を縦走し湯ノ沢峠まで南下し.国鉄初狩駅に降りている。 当時の大菩薩周辺は「夜行日帰りコースの領域」だった。登山ブームに乗り.国鉄・私鉄は競い夜行の臨時登山列車を増発させている。 最終列車とは別に新宿駅発の「塩山号」には溢れるばかりの登山者を乗せ.塩山駅からは登山バスが接続されていた。・・丹沢号.河口湖号も ただ当日は低気圧の影響で臨時バスの乗客は僕等を含め2組のみだけだった。その1組は裂石に宿を取り.僕等高校男児だけが丸石峠を目指している。 薄暗い雪面トレースをエレキに照らされ登り詰めれば.夜明けに新雪積る石丸峠にでている。気勢を上げ.膝下のラッセルを築きながら湯ノ沢峠へ。 旧道から長い林道を初狩へ下りていた。 昭和40年代に日川では林道の延伸工事が始まり.東京近郊の山々でも同様に始まっている。それらはやがて日帰り圏内の山々の土台に変貌している。 それから45年の月日が経ち.今回は新大菩薩峠から石丸峠を経て.牛寝通りを下り松姫鉱泉に宿る。 翌日は尾根末端の百蔵山に葛野川出合から直接しJRの猿橋駅に降りることにした。 南大菩薩東面の尾根 南大菩薩連嶺北部には東側に顕著な3つの尾根が延び.最も北側の尾根は小菅川左岸尾根(丹波大菩薩道)で.延々と遠く鹿倉の尾根まで続いている。 石丸峠から東方へ派出する尾根は直ぐ2分され.牛ノ寝通りのツメの米代から南方に派生しているのが長峰になる。 北側の牛ノ寝通りは松姫峠を経て奈良倉山.遥か先は三ッ森.麻生山から権現山へと続き.南側に回って扇山,百蔵山まで続く長大な尾根を派生させている。 今回その一部分を歩むことにした。長峰は土室川と葛野川を分け分けている。上の米代から覗き込むと笹藪の難路のように思われた。 黒岳から大きくクビレ大峠越えている雁ノ腹摺山は東側に楢ノ木尾根を派生させ.大きく孤を描く瀬戸境は奈良子川出合まで南下させ延びている。 南側の吹切尾根は笹子川出合まで南下し.南東に延びる尾根は姥子山を経て.葛野川出合に聳える岩殿山の末端にでる。どれもが長大な尾根. 牛寝通りへ 11月丹沢山縦走から下山し.早々に翌月下旬に大菩薩山域と暮れの富士周辺と2つの山行を決っていた。先日丹沢を登り終えたばかりだが。 再び登場したのが見城先輩. 今回は大菩薩連嶺に惹きつけられたらしく私に便乗するハッスル振りで.共に登ることになった。 大峠を越える林道は既に閉鎖されていた。裂石から大菩薩峠越えをし.葛野川左岸尾根を下り.末端に聳える百蔵山を登り返している。 11月に入ると山麓を綴る各路線バスは冬期ダイヤに変わり.路線路の廃止も多い。更に大菩薩南面のルートも林道の通行止が続いていた。 入山のアプローチしては4案が持ち上がり.松姫峠からの下りは,今回は松姫温泉から「向い車」をお願いしている。 1案. 湯ノ沢峠から楢ノ木尾根を中風呂へ。松姫温泉で1泊,翌日は権現山,扇山よりjr四方津へ。 焼山沢真木林道が12/10〜4/25まで通行止となり中止へ。12月9日. 2案. 福ちゃん荘から大菩薩峠にでて牛ノ寝通りを西原峠へ。翌日は松姫温泉から百蔵山.扇山経由しjr鳥沢駅へ。 林道が12/15〜4月中旬まで通行止となり.塩山タクシーから中止の連絡を受ける。11日. 3案. 裂石登山口から丸川峠経由大菩薩嶺.峠介山荘泊りで西原峠経由で中風呂へ下山する。 9時台のバス2便で入山.現在一番ポピラーな企画を立てる。13日. 4案. 登山口から大菩薩峠経由で牛ノ寝通りを東進し松姫峠で松姫鉱泉の迎い車を待つ。翌日は百蔵山.扇山へ。 塩山7時35分始発のバスに間に合わせるべき.K先輩は自宅からタクシーを拾い.始発電車を利用する。17日. 結局4案となり.2週続けての山行としては実行するまでに疲れた草案だった。 結局砥山林道のみが上日川峠まで通行可.ただタクシー代¥10.000以上掛かり.裂石登山口から入山する。 又暮れの幼馴染山行は御正体山から山中湖を経て湖畔に一泊し.三国山稜から籠沢峠へ抜けることにした。 12月20日(土).快晴 私. jr御徒町.京浜東北線始発4:35=4:53神田.高尾行5:00=市ヶ谷合流=6:13高尾.松本行:14= 7:23塩山.山梨貸切自動車:48.¥30=7:48裂石登山口bs朝の弁当.バス代は私が負担.何故か疑問? K氏. 都立大前.東急東横線=自由ヶ丘.タクシー¥2.000=jr目黒=新宿⇔市ヶ谷合流. 夜明け前 家を出ると都道で早くも4時35分.見城先輩から電話が入り.タクシーを拾い時間通り出会えると。周りはまだ夜明け前の暗闇の中だった。 街は眠り新聞配達員もまだ動きだしていなかった。時折車の往来はあるものの街路灯だけが閉された路面を明らめている。 東急東横線始発では神田発5時の電車に乗ることは出来なかった。この電車に乗らねば塩山発始発の路線バスに間に合わない。 先日K氏がタクシーでリレーすることを考えだしている。そしてタクシーが拾えたと伝える電話だった。 私はjr御徒町で始発の電車を待つ。 ホームには何時もと違い.暮れの飛び石連休の花金. 酔っ払いにホステス.何時もの常連に加え今日は乗客の層も厚く目立つほど多い。 神田駅で再び電話あり。「新宿駅に着いたがホームは人で満ち.考えられぬほど人多く溢れている!」と。 私は座れたもののお茶ノ水では満席となり.立席の人が多くなる。電車がホームに入る都度.乗客は増し続けていた。 突然市ヶ谷駅で先輩が現われた。予想していなかっただけに不意に現れ驚きは隠せなかった。先輩の分刻みの行動には驚嘆させられた。 彼に言わせると「私は不動産屋である!」と。新宿で乗り換える乗客を好チャンスに.彼も私の隣に座席を確保した。 そして高尾で長距離列車.松本行ボックス車に乗り換え.無事始発の路線バスに間に合っている。 塩山で始発のバスを逃すと2時間は待つ。前の日に出れば大菩薩周辺で1泊せねばならなかった。その日の内に大菩薩を横断し松姫峠へ。 松姫峠には宿の迎い車をお願いしている。待ち合わせした時刻は日没の16時30分 千丈ケ岳・甲斐駒ケ岳 青梅街道(大菩薩ライン)より.7:52乗合バス 塩山駅南口に降りると改めて小春日和のような初冬の柔らかい陽射しを浴びている。明日は冬至.もう1週間経てば新年を迎える。 駅舎前の東空には明るい朝陽が昇り.頭上に下弦の弓なる月が半透明の白味を帯びた弧を描き望まれた。 その背を覆う空は何処までも澄んでいる。その蒼さは淡く深い。後に言葉を失うほど澄み切っていた。 待つバスの乗客は私達を含めて3パーティだけだった。運賃表は初めに30を示している。30円? バスが走りだすも判らぬ私。 ストップランプの脇には「運賃は10円単位です。」と表示されている。隣りに座る先輩に確認を求めるよう指を差す。 地元の叔母さんが2つ目のバス停で乗り込み途中で降りている。掲示はその間々30を示していた。 300円では高過ぎる。単位が異なれば彼女も怒るだろう。その後乗客はいず.終点裂石にバスは着く。 恐る恐る運転手に聞くと運賃電光の単位は30で.支払いは一桁違った300円だった。均一300円。 あの老女は300円で本当に乗ったのであろうか。短い距離.バス停4駅間である。過って昼間の市営バスは100円と聞いたことがある。 均一300円は可笑しい。バス20分程の距離では普通かも知れないが.私には理解できぬ何か不思議な気持を抱かせていた。 その終点が裂石登山口. 45年程前の高校時代に夜行列車「大菩薩号」に乗り.乗り換えバス停から雪降る真夜中に降り立った地点だった。 大菩薩峠へ 入山は上日川峠への小径を辿る.8:49裂石―大菩薩峠 大菩薩登山口bs7:50一8:15丸川峠への分岐.ゲート一千石茶屋一8:50第一展望台9:00一9:50上日川峠 一10:10福ちゃん荘唐松尾根分岐:25一11:05大菩薩峠.大:45. 入山 大きな高気圧に覆われ快晴無風に近い好天に恵まれる。今年最後の暖冬日になった。 大菩薩峠への登りは強い.陽射しを受け.ジャケットからチョッキを脱がせている。翌日の百蔵山は驚くことに肌着1枚の登行になった。 芦倉沢沿いに入ると丸川峠への分岐に上日川峠へのゲートがあり,林道は5日前に閉鎖されていた。今は路肩の補強工事が行われていた。 閉ざされたゲートに大型ダンプが何台も通り過ぎた。山径と車道を綴る道。守衛が工事車の注意を促している。今は廃業した千石茶屋で ジャケットを脱ぎ.山道の登山道に入る。県道201号.萩原裂石=上萩原上日川峠間6.4km.12/15〜4月中旬まで冬季閉鎖. 塩ノ山と塩山盆地を取り囲む街並 第一展望台より甲州市内と白峰三山.塩見岳.9:03手前が重川とその支流竹森川流域. 奥が笛吹川本流・・恩若ノ峰と塩山南部の街並 展望 途中の第一展望台は南西に延びる尾根が突き出し.その展望台からは塩山盆地から続く甲府盆地へと街並みが続き開かれている。 塩山盆地を踏み台に南アルプスと奥秩父連峰南部の尾根が二層の壁の丘陵を創り描き出されていた。 紺碧の空に描かれた南アルプス連山は雪白く煌く帯をなしている。その中.甲斐駒ケ岳や鳳凰三山は今だ雪乏しく雪稜としては寂しい姿だった。 独立峰的な北岳から白峰三山.広河内岳は銀色の世界に覆われ.その白く煌めく姿が一層顕著な輪郭を現している。 その南部に位置する中部山域の主格達.塩見岳.荒川三山,赤石岳の山並みは共に霞むことなく.肉眼でもはっきり望まれている。 塩山盆地の手前は開かれた台地は盆地中央の塩ノ山が街の展望台として見下ろされる。 上流の丘陵には果樹園が広がり.足元を横切り勝沼ぶどう郷近くまでフルーツ街道が描かれている。 手前を見下ろすと重川の下流は塩山. 山梨の街並みが広大な甲府盆地を埋め尽され.その中笛吹川が緩やかに蛇行し流れ込んでいた。 盆地に張りだした中央の丘稜からは奥秩父の主稜国師岳.奥千丈ヶ岳へと北側に延びる長大な尾根がある。 山麓を見詰め探すと白く描かれた笛吹川フルーツ公園が以外にも認められた。この丘の上には「ほったらし温泉」がある筈である。 今年4月に両神山に登り.西沢渓谷からの帰路に寄った風呂だけの丘。展望の利く露天風呂がある。あの時は同期鈴木に滝先輩が参加. 賑やかな山行だった。終えてからの風呂.強い春霞に遇い.見える筈の眺望は霞み.おぼろに映し出されていた。 今朝は富士を始め迫力あるアルプスのパノラマスクリーンがこの露天風呂から更にダイナミックに望まれているだろう。 又入浴後は青梅街道を同期の車で裂石にでて.柳沢峠を越え青梅で解散していた。 増してきた残雪を踏みしめ.9:31残雪の道中 落ちるだけ落ちた枯葉と残り雪が足元に混ざり山径を埋めている。先週14日は冬型の気象配置となり.頂稜は15cmの新雪が認められた。 その後17日にも雨から雪に変わっている。次第に新雪残る雪道を歩むようなる。 雪解け日向とミゾ沢源流側の岳.9:49一瞬だが樹間の隙間から大菩薩嶺が望められた。日差しの陽と陰を縫う。 その違いが寒さを呼び.陰に入ればない筈の風が吹く。それは日差しの暖かさに比べ.冷蔵庫に入っているようだった。 再び林道にでた上日川峠.10:03上日川峠付近で雪多くなる。 峠へは甲斐大和から砥山林道を抜けてきた車が以外と多い。ここだけはダムの完成で通年車で入山できるルートができていた。 勝沼観光タクシーから情報を受けていたが.タクシー代は1万円を超え.私には無理の料金だった。今年から無雪期に市営バスがここまで入る。 翌年5月には初めて利用.大菩薩重川左岸尾根を南下し.jr勝沼ぶどう郷へ抜けている。 初めての路線バスにビックリし.その後も11月にも利用し石丸峠.米代から長峰を歩んでいた。 「福ちゃん荘」前が唐松尾根への分岐.10:21南東斜面に入ると強い陽射しを受け.「福ちゃん荘」までの林道は新雪が既に溶けだしていた。丸っ切り溶けてなくなった乾いた路面もある。 ここからは大菩薩の稜を望むと斑雪を残した枯芝のような草原が目を引き立てて.山肌は何処も晩秋の草原の丘を思わせている。 それにしてもここは風も遮り暖かい。 大菩薩事件 「福ちゃん荘」は私が卒業した頃.日本の新左翼党派の通称赤軍派に巻き込まれた山荘。 政府への転覆を考える実践基地として集結し.内偵していた警察により逮捕される集団事件が起きている。 当時私は白馬のヒュッテや身近に居た仲間達に誘われ.散弾銃の使用許可を習得していた。だが浅間山荘事件を切っ掛けで猟を諦めている。 数年前に.その時の教材が本箱の片隅で発見され.中に許可書が挟んであったのを思い起こされ驚かされていた。 文章に「松村進殿.散弾銃の使用を許可する」とあった。 「福ちゃん荘」直ぐ先に唐松尾根への分岐あり。絵図・・北大菩薩嶺西面絵図. 新大菩薩峠 11:21背は親不知ノ峰,越えた先の右山腹が妙見ノ頭. 間の鞍部が賽ノ河原.旧大菩薩峠になる。旧道には東面に丹波.小菅大菩薩道が横切っている。 大菩薩峠に近ずくと再び残雪が増し.介山荘の横から大菩薩峠へでている。脇に中里介山の小説「大菩薩峠」の題名が付けられていた。 親不知ノ峰越えの大菩薩嶺へはここからは草原の丘の如く広がりある尾根が見渡させられていた。 陽射しは強く溶雪を進ませている。嶺への斜面は長閑な枯れ芝のコブとして望まれた。 ただその後に.大菩薩嶺北尾根へ訪れた時の印象は.その頂の部分だけが樹林に囲まれ.眺望は0に近かった。 大菩薩峠周辺は昔.塩山側では「萩原山」と呼ばれ.小菅側では「神部山」と呼び名を異にしている。 大菩薩の名前が生まれたのは源義家の弟新等三郎義光が奥州遠征の際に「北斗妙見菩薩」を唱えたことから名が付いたと云われている。 妙見ノ頭という地名と石碑が今もあり.昔から重要な峠の起点として丹波大菩薩道.甲州裏街道(旧青梅街道)として繋がている。 雷岩までは広大な眺望が楽しめる緩やかな斜面の尾根径が続く。妙見ノ頭手前のザレた荒涼たる賽ノ河原は明治の初めまでは大菩薩峠だった。 当時遭難事故が多く.迂回し現在の峠径が新大菩薩峠と付けられ.場所が変更され今に至っているている。 西南西に広がる甲府盆地と南アルプス全山 11:24左手が上日川峠からの日川尾根.右手が「福ちゃん荘」からの唐松尾根になる。 その鞍部が山陰で望めぬが上日川峠。左奥の尖突きが恩若ノ峰.盆地へと尾根末端下るとjr塩山駅前にでる。 西方の眺望が素晴らしい。第一展望台より更にスケールを増し.見渡す限りの山並が早春の天空に描きだされていた。 大きな御嶽山の麓から南アルプス全山の雄峰たる岳々が連なり.南部の聖岳に至るまで白銀をまとい続け見定められている。 その遥か彼方に聖岳までが.ここから見下ろす甲府盆地を取り囲むよう山々を台地として描かれていた。 そして真近な小金沢連嶺を越える御坂山塊の左奥には華麗過ぎる富士が雄大な裾野を広げ君臨し.何処から望んでも.その秀麗さは変わらぬ姿だった。 積雪 1964年3月.45年以上前になるか.高校時代に同級生が集まり.新宿から夜行列車「大菩薩号」に乗車。 夜明けと云うより夜半.雪径をトレースし上日川峠から更に石丸峠に登っている。膝下のラッセルで雪面を切り小金沢連嶺を南下している。 まだ大菩薩湖は存在しない時代だった。湯ノ沢峠から湯ノ沢歩道を下り.真木川の林道に抜けて延々と歩き国鉄初狩駅に下りている。 薄日とラッセルに意気揚々とした若い世代の山登りだった。今回はそれ以来の大菩薩山になり.残雪の春山に変っている。 2度目の大菩薩山.幼い時に比べ今回は師走でも.残雪は少ない。それでも初冬とは云えラッセルする冬山になる。 還暦を迎えた2人が西風にあおられ.雪積もる頂稜を南下し.牛ノ寝通りを松姫峠に向かい東進した。 深くなった残雪は.陽溜りでは溶けだし山陰に入ると再び潜り.防寒具を着ても肌寒い。前者のラッセル跡を踏みつつ.南へコメツガ林を登っている。 そして熊沢山の南面は日陰の樹海が切れ.明るさを取り戻すと尾根は詰り.雪煌めく南大菩薩の稜が姿を現れてきた。ここが石丸峠だった。 大菩薩峠―松姫峠 11:05大菩薩峠.大:45一12:15石丸峠一12:35米代分岐:45一13:20カヤの尾山:30一14:40大ダワ:50 一15:30鶴寝山:40一15:50松姫峠.迎い車16:00=16:25松姫鉱泉h. 頂稜の境 雪道を挟んで介山荘隣りの休憩所に入り昼食を摂る。介山荘には11時に着く。2.3日前までは今日ここに宿る予定でいた。 山の気象と地形が山径を極端に変えている。大菩薩峠から北側を望んだ大菩薩嶺の稜は長閑そのままの無積雪期の尾根筋を現わしていた。 反面南下する主稜.石丸峠への尾根筋は針葉樹林の森の中になる。行き通う人も少なく積雪は15cmを超えている。 陰る陽射しに林間を抜けると西風が流れ込み.樹林の陰となり肌寒い。ジャケットを被り革手袋を付け.氷床の積雪をラッセルする。 枝木に留まった雪粒が風に乗り煌き.巻き上げられた雪が頬に触れる。重く滑る冷たい雪粒だった。ここだけは冬の山を示していた。 再び訪れた石丸峠 天狗棚山1957m峰と石丸峠を見下ろす.12:23熊沢山の左縁を回り込み下るとツガの樹海を抜ける。石丸峠の笹原を雪原化させ.強い照り返しの斜面に変わっている。 陽光がでるもここはまだ氷点下の土表で氷り.積る硬雪が足元を滑らしている。 葛野川源流の山々・・石丸峠からの展望 左景・12:28大菩薩主稜の南東面 手前の天狗棚山から狼平.右手に続くのは小金沢連嶺. 黒岳は小金沢山の大きな山容に隠されている。 山陰にある黒岳からは大峠を下り返し楢ノ木尾根へ。更にに雁ヶ腹摺山.大樺ノ頭.大峰へと続く.葛野川の源流を囲む峰々に囲まれていた。 ここ丸石峠から望むと.その山容の豊かさに核心に入った気持を起こさせていた。 牛ノ寝通りは大菩薩峠の南.石丸峠から東に派生し多摩川と相模川を分けている。 なだらかな尾根全体を通して.広葉樹の自然林に恵まれてをり.これからの新緑や紅葉の頃は.又積雪期と異なる素晴らしい山旅を提供してくれる。 富士山を始め.南北の展望もよい。 遠く霞む山並は権現山と中央東線に綴られる扇山.百蔵山の稜. 大峠の先は表道志.西方の山並みになる。 遠く霞みに聳えるのは御正体山のようだ。写真の左.切れた枠外から天狗棚山の北側を回り込み牛ノ寝通りに入っている。 小金沢連嶺 中景小金沢山の南肩が黒岳で雁ヶ腹摺山へ延びている。過って湯ノ沢峠までラッセルし南下した尾根筋で.右下の大菩薩湖は存在していなかった。 小金沢連嶺西面の支尾根群と富嶽の裾野と囲む山並 中景・アップ南西面に広がるのは富士山を頂点とした御坂山塊。 富士の左手前が三ッ峠山.御坂山.富士の右裾が黒岳.大室山.王岳.雨ヶ岳の山々。 その下.間の山波が大菩薩稜と御坂山塊を結ぶ笹子峠の稜。相模川笹子川と笛吹川日川とに隔てさせられている。 笹子川北面.南大菩薩末端になる。 V字の日川流域の下流奥が御坂山地・・その裏側は富士五湖 中景右・アップ南大菩薩連嶺西面 手前の稜は大蔵高丸.位牌岳. 溝地は日川で塩山へ下り笛吹川に流れている。右下の蒼い湖面が大菩薩湖.その上が日川尾根になる。 中央左の鉄塔は大蔵高丸南西尾根に乗る203〜201号鉄塔。日川尾根上に乗るには西群馬幹線199号鉄塔。 その手前が小金沢連嶺西面の支尾根群・・川胡桃沢ノ頭先の間ノ尾根で.右手前に西群馬幹線197号鉄塔が建つ。 その手前で日川ダムサイトに延びるのが雨ノ沢左岸尾根。手前は雨沢ノ頭先のミオリ尾根。 風は強い。手前左下には今まで望めなかった大菩薩湖が大きな口を開け谷間を埋めている。 昔高校時代に春雪を踏み小金沢連峰を南下している。その折.日川沿いに下るも.大菩薩湖はまだ存在していない時代だった。 平成になり造られた真新しい人工湖.上池として揚水発電用に造られ.松姫湖(下池)へ落とし.今では世界最大の有効落差714mを持っている。 大菩薩湖が登る道中で見られなかったことを思うとよく雑誌などで見る「大菩薩湖と富士」の絶景写真は.上日川峠を抜けた 砥山林道上部から撮ったと思われる。日川尾根上に目立つ巨大な送電線鉄塔は500KVの西群馬幹線。 大菩薩湖は葛野川揚水式発電所の上池は上日川ダム(大菩薩湖)を形成し下池は葛野ダム(松姫湖)。 上日川ダムは東電の発電用ダムで堤高87m.堤頂長4949.0mのロックフィルダム。着手1991年.竣工1999年.現在の出力は80万KW. 完成時は160万KW.標高は1486m地点で揚水式では日本のダムの中で3番目に高い。(1位は建設中の南相木ダム.2位は野反ダム) 石丸峠 右景・先輩の頭裏が八ヶ岳連峰.12:27南西を望む釈迦ヶ岳.八絋嶺.大無限山.布引山 大菩薩牛ノ寝通り 三峰北峰より.2011.01.08/14:10左上が熊沢山.右上が奥秩父連峰 高校時代に残雪の小金沢連稜を初狩に下って以来.2度目の石丸峠。牛ノ寝通りを横断し松姫鉱峠から松姫鉱泉に下る。 牛ノ寝通りの稜線は古く甲州側の上萩野原と武州・小菅を結ぶ交易路に用いられ.一部は小菅大菩薩道と呼ばれていた。 牛馬の往来も激しく.しかも延々たる牛の歩は必然的の山中の露営を余儀なくさせられていた。 それが「牛ノ寝通り」と風変わりな名称になっている。又ゆるやかな起伏にも.なにやら寝そべった牛の背中を連想されるからともある。 牛ノ寝通りは長大な尾根で.牛ノ寝の米代から派生する長峰との間を源流とする相模川葛野川士室川と旧大菩薩峠を源となす多摩川小菅川との分水嶺。 尾根伝いに松姫峠にでて.奈良倉山からは旧佐野峠を経て権現山稜へ。或いは扇山.百蔵山へと尾根を派生させている。 今回はこの葛野川左岸尾根を松姫峠まで綴り.翌日は葛野川出合に聳え立つ.又は末端と云うべきか百蔵山からの展望を楽しむチャンスに恵まれた。 2008年12月. 裂石から大菩薩牛ノ寝通りと松姫鉱泉に宿り.甲州百蔵山 2013年11月. 冬木と紅葉を求め富士見新道から小菅川源流.アカドチ沢右岸尾根 牛ノ寝通り 上部はシラビソやコメツガの針葉樹が被う牛ノ寝通りを下り.13:03牛ノ寝通りに入る。丸峠から小金沢山方面へ僅かに進み.左に牛寝通りの尾根を派生させる分岐が旧石丸峠。 そのまま主稜を南下すれば小金沢連嶺に乗る。旧石丸峠から左手に折れ.足元の雪屑をずり落としながら朝日に煌く雪斜面を下ると雪線にでた。 丁度米代から長峰を尾根とする分岐点になっている。 この急激に落ちる尾根は段違いの取付きで.見下ろす限り.踏み跡は殆どが笹藪に被われていた。 松姫湖と深城湖に挟まれ深代へ下る踏み跡があり.新雪期か残雪期早期に.雪と戯れ登れば面白いだろう。2010.11下山 楢ノ木尾根の北面 16:13米代から望むだ楢ノ木尾根の北面.左から大峰・泣坂ノ頭と右に移り大樺ノ頭・雁ヶ腹摺山と下って大峠に至る。 手前が長峰ツメのスズタケの茂み 米代分岐で1本。眺望は殆どない。時たま裸林の藪枝を透し北面の楢ノ木尾根が望まれる。 極端にくびれた峠. ここから右真向かいに望む大峠越えは酷く抉られ.下り返しは見るからに苦労しそうだ。縦走すればここもポイントになりそうだ。 楢ノ木尾根 湯ノ沢峠からの雁ヶ腹摺山。姥子山からの金山峠はよく歩かれている。雁ヶ腹摺山から東方への踏み跡はまだ疎ららしい。 国土地理院の地図には破線の記入がなく.松姫旅館のHPによると大峰から上和田まで最近新しい径ができている。 落葉に敷き占められた尾根は.この時期が一番藪も薄く歩み易いようだ。ただ湯ノ沢から縦走する入山路が12月10日で閉鎖されている。 一日で越えなければならず.前日麓で1泊しても冬季は無理のようだった。 腰を降ろし周りの枝々を見上げると.どれもが一葉も残さず落葉していた。黄葉が終わると枝々の葉柄は基部を離層させ,冬に備えている。 脇の径に飛び出した枝先を見詰めると.その裸枝は既に小さな冬芽をだしていた。 これから冬を迎える大地は凍り.雪積る季節になる。もう春に備え枝々は小さな芽を膨らましていた。 この小さな弱々しい芽がもう次の季節.春に備えている。確り確実に待つ枝々が仄かな風に揺れ動いていた。 神懸岩の垂壁の直下を下り玉蝶山の小コブ付近.13:24 考え深けに最初縦走する筈であった大峠を指す.13:34榧ノ尾山 別山名は川入.本郷.ホンゴノ頭,1429m.13:46残り雪も疎らになると左後方から「荷渡し場」にいたる「作業道」の道標を過ぎ.榧ノ尾山(川入山)1429m三角点にでる。 玉蝶山から下り切ると大ダワまで顕著なコブもなく.起伏に合わせ緩い登り下りを繰り返していた。 擦れ違う人もいず.周りの広葉樹は裸林の茂みを造り.陽が裸の枝々を透し.私達の体を暖めている。榧ノ尾山にでて1本取った。 家族の猿軍団 休んでいるとその裸林の茂みに小菅川側から現れた猿の軍団がのんびり葛野川側へ右から左へ登山道を横切る。 小猿を見守る親猿.一回り大きな小猿はわんぱくに見える中猿が当てもなくその周りを駆け回っている。数にして10匹前後の家族猿。 やはり先頭は見るからに確りしてた。見つめる僕らにも又師走の温かい日差しと共に.ほのぼのした気分をもたらしていた。 榧ノ尾山から東北東に延びる本郷尾根伝えに下ると土室川支流のタマナゴ沢に踏み跡があり.左岸から土室川左岸の林道に下りられる。 又厳しい藪径になるが1364m地点先の水道局138抗から松ノ木尾で尾根沿いからは同じ地点に至る。 土室川への経路のあるボンゴ尾根がここから派生してをり.小菅側の人々には本郷.ホンゴノ頭と呼ばれていたらしい。 風はないが吹きさらしの尾根.前方が大マテイ山.14:00ペースはよい。石丸峠への雪積る一部分を除き.休みを入れてもコースタイムをやや縮めていた。 それでも計算すると日没は早く4時40分。その前に松姫峠に出ねばならないが.今回は迎い車がくる。その分ゆっくり下る。 日陰はまだ薄く残り雪あり.14:19狩場山手前で薄ら雪の残る山道に小型ブルのわだちがよく見られた。キャピタル幅は80cm程.延々と松姫峠まで続いている。 つい最近のようだ。この地区は東京水道局の用地境界の新しい杭打ちが行われ.よく手入され歩き易い散策路が整備されていた。 時たま交差する枝道を見と全てが小菅川沿いに下りている。 道標はないが確りした山径が続いている。作業道らしき径.先を知らず入ると何処へ行くか? 恐ろしいことになりそうだ。 大ダワ(棚倉小屋跡) 大ダワ分岐.14:52下る一方の尾根伝いの登山道は変化に乏しい径だった。素朴な山径だが左右の眺望は殆ど得られず。 小菅の山並も楢ノ木尾根の稜も.葛野川源流を並行する長峰や湖水周辺の山々も.灌木林の枝々に遮られている。 景色は望めぬが黙々と歩む径,変化に乏しく飽きる径.それも又好むよい径だった。何もないのが一番贅沢かも。 里山の裏道を歩んでいるようで.何も考えず歩めるのも又よい。正に名の如く牛の寝通り。暫くして大ダワ.小菅の湯への分岐にでた。 樹葉を落とし尽くした裸林と冬の空.14:23大ダワを過ぎると再び尾根幅が広がる。ちらっと深城ダムが見下ろされたものの.まだ先は長い。 野猿の軍団が20m程先を南側へ牛寝通りの尾根を横切り.ダイギリ尾根を下る猿。先輩が指を差し.猿群団に向かい叫ぶ。20匹はいただろうか? 深く何層にも山並が重なる樹林帯 鶴寝山手前で奥秩父北面を望む手前が小菅川. 丹波川はひと山越した奥側になり.上流は一ノ瀬川と柳沢川に分けている。下流は小菅川と共に奥多摩湖に流れている。 丹波大菩薩道はカカリ山の南側山腹を巻き.追分にでて北側の丹波へ抜ける尾根を下っている。その東側に延びる境界尾根に中指山がある。 その先は大丹波峠を越え.鹿倉山から大寺山を経て.奥多摩湖に没している。 鶴寝山 三頭山西峰より牛ノ寝通り.鶴寝山の南面ベンチでの笑い顔.15:47鶴寝山 最後の大らかなコブ.鶴寝山にでる。ここを下れば松姫峠。ベンチがあり.携帯電話で松姫鉱泉に迎え車を頼む。 繋がらないかも知れないから.4時半には松姫峠で待っていると昨日連絡を取っている。その時.「判った!」.「山で又電話してくれ!」と。 繋がらないかも知れないと言った宿主の言葉である。だから電話した。トンチのような会話を昨日していた。 娘さんの声は軽やかに「判りました!」と言葉短く返ってきた。続いて自宅にも連絡を。 先輩も習い彼女に電話している。清々しい笑い顔が見ていて.心地よく又1枚写真を撮った。 左下の鶴峠を迎えての奈良倉山 前方の窪地は松姫峠.落葉松林の中にある.16:01師走とは思えぬ暖かい陽射しを一日中浴びた。 又山稜の地形による変化が積雪に大きな変化をもたらし.冬山の雪積るトレースも味わっている。 斜陽した日差しが裸林の枝木を透し.最後の西陽が1321m峰の山肌を紅色に染め始めていた。 松姫峠,南面の葛野川下流を望む 16:02左方は都県界尾根に乗る佐野山から葛野川.中風呂へ下る尾根。中央奥が「松姫鉱泉」に宿り.明日登ることになったjr中央東線沿線の百蔵山。 明日偶然にも岩殿山から変えて登ることになった。 百蔵山の背を霞み覆うのが桂川越えての表道志西方の山々と主稜の御坂山地。霞む先の稜は御正体山? 右方に聳えるのが雁ケ腹摺山から連ねる楢ノ木尾根に乗る大峰。そこから南方に延びるのは西沢ノ頭と水無山.瀬戸境を連ね.小俣川出合に没している。 奥中央がオゴシ山1098.9mで水無山から派生する尾根に続く瀬戸境。この左麓は後日.長峰の帰りに歩くことになる。矢坪の集落がある。 左手が佐野山1260m峰からシオジの森ふかしろ湖へ落ち込む西の尾根.先に佐野峠.西原峠に至る。 右が楢ノ木尾根大峰からの水無山1139m峰。大峰から北東に落ちつ北尾根は又長峰と共にふかしろ湖に没している。 松姫峠 葛野川の谷間にある松姫湖,深城湖はここからも望むことはできなかった。 対岸は西陽で山陰となる楢ノ木尾根が墨の陰色の境をはっきり描き.特長ある山稜を現している。 黒岳からの大きな峠と雁ヶ腹摺山.そして泣坂ノ頭.大峰へと。松姫峠にはこの山容をその間々示した大きな絵図板が掲げられていた。 真新しい道標に新しいトイレ小屋。道路も綺麗に舗装され.峠路h小菅へと抜けている。 更に尾根沿いに葛野川左岸尾根をたどれば1321mコブを越え.奈良倉山へ至る。 予定の4時には到着したが出発前の考えでは1時間ほどの余裕があった筈である。計算違いか? 昼食の時間がその間々埋められてしまった事になり.予定時刻の1割も縮められずにいた。 西原峠までの山路はもはや軽量化し日帰りザック量でなければ難しいようだ。兎も角ご苦労さまでした。 国道R139線・・国道139号,葛野川線Top この峠は鶴峠経由で富士急山梨バスが春と秋.土日祝日に一日1便.jr上野原駅から運行されている。 その反面.南面のjr大月からの運行はダムより更に下の上和田止まり。その国道を中風呂に当たる松姫鉱泉まで下る。 待つ間もなく松姫旅館の迎い車が現われた。激しいジグザグの下りが続くも国道139号線はすこぶる綺麗で立派だった。 大トゲの東山腹を抜けた所で突然2車線に広がる。その先端は2012年の完成を目指し.峠を潜るスーパー松姫トンネルを掘削中だった。 谷底では膨大なスケールの工事が行われていた。 国道139号線は静岡県富士宮を起点とし富士吉田市.大月市.小菅村を経て東京都奥多摩町を終点とした幹線道路。 松姫峠下ではバイパス工事が行われている。急なツヅラ折と冬期通行止を改善の為の工事。 2001年〜12年に掛け全長3.800mの松姫トンネル(直線道路)が完成し.下流では集落周辺の拡張工事も行われるようだ。新しい道が造られる。 造る必要があるのかと思われるほど大規模な工事が行われていた。 完成すれば青梅街道.柳沢峠周辺の工事中の道路を含め.旧青梅街道も改修と名たる大工事が行われるであろう。 既に今年の4月西沢渓谷から青梅街道に抜けた折.柳沢峠周辺で八王子市を起点とした丹波山村から甲府市に至る, 国道411号の大規模な橋梁改築事業が行われていた。 2010年07月.鳳凰三山.大菩薩嶺に仲間達が登っている。私は私用で鳳凰山から途中下山していた。 S氏は大菩薩の帰路.柳沢峠から梅島へ抜けている。その時.柳沢峠で立派に完成された林道を通っている。 「見ると驚くぞ!」の言葉を聞いている。甲州街道の不慮時を考え第二の街道を目指していた。 河原縁に近ずくとループ式トンネルを2ヵ所潜り「シオジの森ふかし湖」の東湖畔にでている。素晴らしい2車線の道が続き.深城ダムを抜けると 竹の向で急に古い今までの国道に戻されていた。周りが改修されればここも後にバイパスができよう。 人里が近ずくと1車線の見透し悪い昔からの道路にでた。右岸に移り上和田の集落に出れば中風呂も近かった。 奈良倉山から西原峠へ続く葛野川左岸尾根 ・・2014.06.26/9:43ダム底を回り込むのが国道R139線で.大峰北尾根に向かい県道を歩み見下ろす。 深城ダム 山梨県営「深城ダム」は動力式コンクリートダムで提高87.0m.提頂長164.0m.洪水調節.不特定利水.上水道利用等の補助多目的ダム。 1974年予備調査が行われ.89年に補償交渉が妥結する。計画発表後26年を経過し2004年に完成。 ダム建設中に直上流部で合流する土室川に「揚水式葛野川ダム」が建設された。 湖畔には小金沢公園があり.公園入口は大峠を越えて.甲州街道へ抜ける真木小金沢林道の起点がある。 ここはトンネルを抜けた出口がゲートで.閉鎖時は人も通れぬ林道になるので注意を要する。 葛野川ダム(下部ダム) 葛野川ダムは相模川水系葛野川支流土室川に建設された東京電力の大規模揚水発電所。重力式コンクリートダムで提高105.2m 堤頂長236.5m.ダム湖は松姫湖。1991年(h03年)に着工し.1999年に両ダムが完成し施行された。取水は大菩薩湖から取っている。 又葛野川ダム直下には河川維持放流水を利用して発電する土室川発電所が設けられていた。 上日川ダム(上部ダム) 一方上日川ダム(大菩薩湖)は上池を形成する大菩薩主稜を挟んで西側に流れる富士川水系日川にロックダム形式で建設される。 揚水式水力発電の葛野川発電所の上池を形成。下池.葛野川ダム「松姫湖)とを結び最大160万KWの電力を生む 堤高87.0m.堤頂長494.0m.ダム位置の標高は日本一で天端は標高1.500m.ダム湖は大菩薩湖 ツメの上日川峠までは通年.甲斐大和から日川林道を抜けて.冬季を除き通行可 葛野川発電所 異なる水系間での往来させる揚水発電所としては世界で有数の落差714mを確保し.地中で発電所と繋がれている。 超高落差ポンプ水車を開発.採用した結果.これまで上部ダムと下部ダムの間に必要だった中間ダム建設を省き.建設費は15〜20%程度削減している。 上日川ダムから地下水路で5kの葛野川マシュ沢出合付近地点の地下500mにある。下部ダムの葛野川ダムまでは3k.延長8kの水路を持つ。 1999年08月に発電開始し出力は160万KW.発電所で発電された高圧電力はリニア中央新幹線への供給もあり.葛野川線500KV 33基で東山梨変電所の傍で西群馬幹線に給電されている。葛野川線は1994年竣工した新しい送電線 大月変電所から送電線深城線で葛野川発電所に送電されている深城線は笛駒線120号鉄塔から分岐した66KV.2回線の送電線 鉄塔番号は逆で1号鉄塔は岩殿山と稚児落としの間にある天神山に立てられ.葛野川線とは逆電で楢ノ木尾根を越えている。 2つの西原峠 昨年三頭山笹尾根を縦走した時.近くに2つの同名の峠があることに気ずき.気になっていた。 笹尾根の「西原峠」とその西側にある中風呂から北東に登り坪山へ抜ける所に佐野の「西原峠」がある。 共に鶴川西原の集落を挟んだ峠路。武州数馬から西原経由で甲州七保へ抜ける2つの峠路にあたり.同名の峠で不便はないのだろうか? 松姫旅館の主人は国土地理院に昔の峠名に戻すよう進言したと語っていた。 今の佐野峠が「旧松姫峠」.「小菅峠」で.後者の西原峠が「旧佐野峠」「小佐野峠」になる。旧佐野峠道の古道も残されている。 今の松姫峠はR139が開通した折.山梨県知事が命名した経緯があり.又もや混乱を起こしている。 「松姫峠」は武田信玄の六女.松姫(勝頼の妹)に因んだ峠でもある。天正10年(1582年)武田勝頼滅亡時.この峠を通り. 武州恩方(八王子)の里に逃避したと伝われる峠で.その由来を示した記念碑があった。 本来は佐野峠「旧松姫峠」から旧佐野峠道を下り.笹尾根西原峠を越え武州に逃避したと思われる。 又笹尾根西原峠も上野原町(現上野原市)が峠名を改名した経緯もあり.周辺の混乱は更に増していた。 現佐野峠を挟んで2つの佐野山(1.260m峰と1.254m峰)があるのも可笑しかった。 松姫旅館の主人の話は筋を通せばガテンゆくよう思えた。「山と高原地図」発行元の昭文社にも談判したがなしのつぶせだと怒っていた。 地名の改名は昔からその当時の権力者により変えられてきた。今回も市長による改名となれば生かしたがない。ただ丁寧な判断を求める。 佐野峠 峠道のコースは奈良倉沢の途中から奈良倉沢右岸の尾根に登り.奈良倉山にでて東尾根を十文字峠で横切ると市町界稜線の東面を殆ど水平に巻いて 「佐野峠」にでる。三角点峰(1.234.7m峰)から南へ派生するアシ沢右岸の尾根を下れば中風呂にでられる。 これが本来の佐野峠道であるがアシ沢右岸の道が急峻のため,いつの頃からか「佐野峠」から更に稜線を辿り,前述の西原峠にでて. アシ沢左岸の尾根を下るのがメーンルートになったらしい。そのため「西原峠」を「小佐野峠」と呼んだようだ。 中風呂の県道から葛野川の渓谷を渡ると民家が一軒あり.その左側に「左ちちぶこすげ道.右さいはら道」と刻まれた道しるべがある。 二つの佐野峠への分岐点を示している。どちらも地形図に破線が記されているが.左のこすげ道(アシ沢右岸の尾根道)の上部は 篤志家も音をあげる猛烈なバラヤブである。 新ハイキング社.平成4年 葛野川と鶴川とを分ける分水山脈一帯を佐野山と言ったことから名付けられた名前だと聞いている。 同様の記述は「山岳第15年代号」の「多摩川相模川の分水山脈」・武田久吉・大正9年8月)にも見られた。 この辺の山を佐野山と概称することから起こったもらしい。 s54年.民家の上の畑で仕事をしていた老人に「西原峠」のことを聞いてみた。「西原峠とはいわない。佐野峠だ。 昔は左の道を登った所が佐野峠だったが今は右の道を登った峠を佐野峠という」との返事だった。 「西原峠」という名は七保側の峠の呼称である。長作あるいは西原では何と呼んでいるか.なお調査する必要があるかも。 新ハイキング社昭和58年.小林経雄氏及びHP「峠のむこうへ」氏より 2009.11.奈良倉山東尾根の経路を取り.佐野山の古道を歩む。 松姫鉱泉 中風呂松姫旅館と「モミの木」.K先輩のラジオ体操.9:12松姫旅館 今回は珍しく山行前に気労する。入山コースが目覚しく変わり.コースと宿に七苦八苦させられた。松姫旅館も3度変更して宿ることになった。 21日は泊りから日帰り風呂。又20日に戻り.宿の迎え車を出して頂いたのが実行に繋がっている。 近くに大きな松姫トンネル工事現場が行われて折.土・日曜日は別館のカラオケ場は満杯だが.本職の宿としては寂しいものだった。 鉱泉の故泊り客が居なければ入浴できず。私達は久し振りの客らしい。大きな宿に2人のみが予約した。 入浴後はビールに始まり酒7本.持参のウィスキー.イモ焼酎で何時ものフルコースを綴り呑んベーになる。 豪快な山菜天婦羅とほうとう鍋. 宿泊¥8.000.(計¥19.305) 宿舎は葛野川小金沢渓谷右岸沿いの「中風呂」にある鉱泉で.本館.新館含め客室15室.収容人数300名. 宴会場300名収容.新館大広間52畳もある。旅館専用の渓流釣場あるが.渓相は単純だが自家養殖放流している。¥3000 鉱泉質は硫化塩素泉で透明で柔らかな湯.現在は日帰り入浴¥500 「鉱泉ですので湯や水を加えないで下さい。泉質が落ちます。」と湯殿には注意書きが掲げてあった。 モミの木 宿の玄関に並ぶよう「モミの巨木幹」が祀られている。昔は大月市の天然記念物として.周りを圧倒して君臨していたとのこと。 それが落雷に叩かれ駆逐され.土地の主である宿主が保存の為.奈良子から移すことで市と大分もめ.最終的に危険と考え許可されている。 樹齢1000年とも云われ.大型クレーンで吊しながら切断した。幹直径2.20m×1.80m.幹の中は空洞 鳥居があり松姫神社と記しているが社はなく.御神木として屋根を付け立派に祀られていた。 1/5万地形図「大菩薩嶺」.山と高原08「大菩薩嶺」. 三森北峰からの牛ノ寝通り写真・・2011.01 大菩薩峠より牛ノ寝通り写真・・2013.11 12.20.新大菩薩峠と牛ノ寝通り・松姫峠・・家族の野猿 12.21.中央本線の山.甲州百蔵山 |