| 東北の山Top . 残雪の出羽山地.鳥海山スキー 上越線.羽越線.矢島線の旅.片道20時間 上野駅.車窓からホームへ飛び降りる 失われた裾野道 山小屋と野宿.冬師の部落と本庄の銭湯 「急行」から「鈍行」へ遠く北回りで羽越線車窓から鳥海山を廻り込む |
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| 春先の長閑な鳥海山スキー旅行記 s42年(1967年)05月02〜08日.L松村進(3).m西村博臣.竹永靖正(4) 飛騨乗鞍岳へ行こうともめた計画は小屋番常住の情報を受け.急きょそれなら東北鳥海山へと変更している。 東北に本格的な春が訪れるのは雪解けを待ちかねていたように麓の林道や幾つも交わる脇道に白いミズバショウが咲きだす5月に延びる。 群生とはならなくとも水溜まりがあれば何処でも何房かのミズバショウが咲き.湿原や水辺を多くもつ裾野を持つ東北の山々に抱かされていた。 萌えるような新緑のブナの森を綴り.頂には大きな雪田が現れ.残雪をまとった鳥海山を望み見るようなる。 その長い裾野を持つ魅力ある鳥海山へ出向く。数えば切りのないほどの珍道中が待ち構えていた。 鳥海山 鳥海山は山形県の県境北西にあり.地元では秋田富士とも呼ばれ.頂は山形県に属し奥羽山脈から連なる山波の西端.日本海沿岸に位置する。 背稜は2年前の夏合宿集中地.鬼首禿高原の北西から三境(秋田.山形.宮城県)に分かれた西背稜.神室連峰の先になる。 東方は鬼首峠より栗駒岳へ。西方は滝沢岳より奥州街道.雄勝峠越えをし.丁岳山地(ひとのだけ)を県境伝いに鳥海山まで延びている。 その西端の鳥海山を日本海沿岸から望むと広い裾野を持ち.独立峰的な山にも感じられる複式コニーデ型の火山。別名.山形側では出羽富士. 2500年前.山頂部で水蒸気爆発によると見られる大崩壊が起こり.その跡頂には巨大な馬蹄形の窪地が生じている。 文殊岳から行者岳を隔て七高山に至る稜線はこの馬蹄形カルデラの淵の部分にあたる。 崩壊により生じた岩屑雪崩は日本海に達し.浅い海に多数の「流山」を残している。これが象潟の起源で海中に島が散在した。 現在のようになったのは文化元年1804年06月の「象潟地震」で象潟が隆起したことによる。 陸地と化した象潟は南北25kmの地域に及び.象潟は180〜200cmほど隆起していた。 山頂付近は複雑な地形を見せてをり.長い裾野を持つ山容は見渡す限り続く豊かな残雪に一面覆われていた。 眼下の日本海が見下ろせる山. スキーを持ち.この山と海の雄大な斜面を滑降し.大きくシュプールを描くことにした。 一昨年の夏合宿は羽越線の大曲から生保内線に乗り換えて秋田駒ヶ岳から右下に田沢湖を見下ろし.遥か彼方に鳥海山を初めて眺めていた。 強い陽射しを浴びた暑い日だった。北方から望んだ岳。今回はそれに見習い.鳥海山の取り付きは秋田県側の本庄から矢島線に乗り換え. 鳥海山東側の矢島から一番長いアプローチからの鳥海山を目指した。メンバーはその時の2年生.竹永先輩と主将の西村先輩。 2尺2寸のザック.一杯の荷に段ボールを背負い.スキー板を持ち. 自宅の御徒町より夜道を出向く。 上野駅まで一駅..昭和通りを歩くも.もう汗が垂れ夜風が心地良かった。上野駅正面のネオンを見上げ.これから先輩との長い珍道中が始まる。 5月02日. 上野上越線= 3日. 羽越本線本荘.矢島線=矢島タ=鴬川事務所hc 4日. h1―祓川ヒュッテh2.3 午後スキー 5日. h2⇔七高山 6日. 祓川ヒュッテ⇔七ッ滝.―善神沼―野宿 7日. b4―谷地平歩道―冬師部落「三浦宅」ト=羽越本線西目⇔本荘.急行 8日. =上野 5月02日.上野上越線羽越本線22:03= 3日.14:50本荘(羽後本荘)15:52.矢島線(jr矢島線→由利高原鉄道鳥海山麓線)=16:34矢島17:15タ=18:00鴬川事務所hc1 羽越本線の長い長いアプローチの旅 上野駅ホーム.トラブル 列車の窓からホームに飛び降りる。 21時半上野発.上越線廻り青森行.急行列車に僕と西村先輩が乗り込んでいた。 発車前. 連休で立席も多く満員の車内は熱気付き.竹永先輩の一座席を確保して.何時来るかと陣取っている。 今だ現れない先輩.発車時刻が刻一刻と近ずき.発車を告げるベルに気が気でなかった。 見送りに来てくださった滝島先輩が発車1分前まで待とうと.連絡を取る為ホームを駆け回って下さった。 その効果もなく発車ベルがホームに鳴り響く。 列車の窓から大きなザック.段ボール.背負子.そしてスキー板をもホームに運びださなければならなかった。 満員で身動きが取れない。西村先輩と窓から共にホームに飛び降りる。 後で詫びる竹永先輩の顔。 西村先輩が僕の立場を考え憤慨するも当たり前のことが.滑稽な一場面を作っていた。 僕は笑い謝る先輩にもう諦めている。ここに得な先輩がいる。 鈍行列車 駅ホームに留まること5時間.その間に乗り越しをしている。 乗り換えた鈍行.秋田行も溢れるばかりの乗客を乗せ.漸くホームを滑りだす。 この夜行最終列車は尾瀬.上越国境へと目指すハイカーで常に車内は満ちている。 暖房の暑さと人息で車内は蒸している。吐き出すようハイカーを降ろした沼田駅.土合駅も過ぎた。 今まで泥雲としていた車内の雰囲気も谷川岳の登山者を吐出すと.急に静けさを取り戻し.今までの熱い活気が失われて行く。 越後に入り疎らになった乗客と車内に散らばった新聞紙。嵐の後の静けさが夜行の侘しさを注っている。 列車の旅 深い眠りの後.眩い日差しに起こされる。 車窓一杯に入った朝の日差しが座席を半ば照らし.学生が乗り込んできた。 見附.三条と通学.通勤のラッシュ時.楽しそうに語り合う女学生とじっと畏まっている男児がいた。 それも広い停車場のある新津に着くと.乗客は元以上の疎らさになってゆく。 新津から遠ざかるにつれ乗客は一人.二人と減り.車内は数える程の人も居なくなる。 羽越線に入り.海岸線を走るガラガラの列車。席を渡り歩いては僕等を子供のようにはしゃぎ出させていた。 暇を持て余し座席を跨ぎ車内を飛び回る僕等。瞳は狭い砂丘の白さを映し.日本海の深く明るい煌きを映し出させていた。 そして田園の静かな昼下り.もう僕等は山とも離れ.のんびりした旅人になっていた。 急行に乗り変える事もなく.鈍行列車がゆっくり走り行く。 海岸線にへばり付く農家.たった一軒しかない温泉のある小さな駅.各駅停車がまた先のホームに入る。 停車毎にホームを歩き回り.もう時間の観念もなくなっていた。 鳥海山 雲一つない紺碧な空に鳥海山の裾野が大きく広がりだす。漸く目指す山が見えてきた。 右手の車窓から三人が三人とも顔を出し「大きいな一!」と二十歳を過ぎた3人が眺めている。空は何処までも広い。 僕等の乗った車両は我々だけになった。乗って来る人の気配もない。 足を大の字に広げ.鳥海の広がった裾野を気侭に眺めるともなく眺めている。 海岸沿いの裾野に沿って.大きくぐるりと廻るため.仕舞いには鳥海の眺望にも飽きだしている。 景色も山も関係ない。全てにダルさを増し体は座ること自体に拒み始めていた。もう列車に乗って居ること自体が否になっていた。 支線の矢島線 座って居ても疲れ腰が落ち付かず.漸く本荘に着く。 昨夜から乗り続け.その土地.土地での風情に興味を持つも飽きていた。 実に17時間の長い列車の旅は本庄で終わらなかった。向いのホームに.古ぼけたディゼルカーが待っている。 矢島線に乗り継ぎ.海岸線と離れ.今度は鳥海山北側の裾野を巻き始めていた。 もう日も暮れ出した裾野. 本来なら山懐に入り.入山祝いとばかり長い宴会に活気だしているところだが.気欲は失っている。 後1時間の列車の旅.今までから思うと短い時間だが苦痛に満ち.だらけた格好で見るかに締まりがなくなっていた。 乗客が少ないことを良いことに.他人にも気にせず気侭な態度で終点.矢島にでる。 各々がひとボックスに1人.誰が見てもだらけた座り方だった。 上野駅で列び.待ったことを含めれば国鉄に縛られた時間は果てしなく長かった。 |
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| 北面から望む七高山.新山と外輪山稜 . , 矢島より遠いいアプローチ . |
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| 鳥海の裾野へ しっそりした終点矢島駅は人影も少なく既に乗合バスはなくなっている。 如何にかタクシーを確保した。今日中に入れる所まで入ろうと.タクシーの座席に又座ることになる。 道中.余りにも広い裾野は鳥海山を目指している感じさえ受けさせなかった。 幾つか集落を抜け.最も高い稲作地帯を過ぎると.潅木に混じりに黄昏の満開の山桜を見ている。 大きくうねる裾野道.次第に潅木色を強め.荒野の果ての先.ブナ谷地にでた。 乗物から開放され.西村先輩も竹永先輩も.先ずは背を伸ばしている。大きく大きく背を伸ばしている。開放された体に節々が軋んだ。 鶯川営林事務所前はブナの乱立し残雪が現れ.もう日没を迎えようとしていた。 鍵のない事務所.白紙の営林日誌は昨日だけは埋められている。 無断で宿を借りたい気持とそれを拒む気。それも10分程で帳が落ち決まった。 長い廊下の奥に板の間がある立派な大きな事務所だった。ローソクを点し.ラジュウスは快く響きだだす。漸く落ち付いた場所を見出していた。 ルート地形図 |
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祓川へ , |
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| 鶯川事務所(矢島)―祓川―七ッ釜―七高山―谷地林道 裾野の台地から鳥海三の頂へ 5月04日晴.起床.5:00.鶯川c1. 7:05一8:10(37):25一9:25小:50一10:30祓川ヒュッテ.h2.3 スキー足慣らし.12:00〜16:30 林道 豊富な食糧で夕べのすき焼が残っている。モチを突っ込み.人気のない内に.早く出発しようと外へ飛び出す。 林道を綴って行くと所々で道脇の雪解けした窪地に.小さなミズバショウの群生を見ている。 残り雪の脇に数株のミズバショウの花が咲き始めていた。 澄んだ水溜りに乾いた空気.新芽の緑が冴え.鼻は冷たいが春の兆しが残雪に見え隠れしていた。 ブナの原生林を縫う林道はまだすっかり残雪に被われている。下草も出ず潅木も裸木の間々の姿で残雪に埋もれている。 緩やかな斜面の尾根とも云えぬ尾根が広がり.ブナの森を形作っている。 タコのよう這う巨根は太い幹を立て.ブナの太枝を大きくうねらせ.その先を小枝が絡むよう広がっている。 この枝々を透し仰ぐ空の蒼さ。晴渡る朝の陽射しにブナの香る森を漂わさせていた。 鳥海山は形として望めぬほど大きく.その裾野一地点に居る感じさえ薄らいでいる。 余りにも広く緩やかな裾を広げ.山に入っている気さえ起こさせないでいた。 裾野を回遊しているようにも思え.ただより上へと雪原を求め歩む。 背負子にキスリング.スキーを乗せ.手には生卵の入った紙袋を持ち.黙々と歩む。 四合目.善神を過ぎ初めて山の全容が現れた。残雪に埋められた鳥海山は如何にも大きい。 丘の上にジャリを盛り.シャベルで削ったような大きな山容に.残雪に埋まる大斜面を描き出していた。 それは昨日車窓から眺めた長閑な西の裾野より.北面の為.深みと凄みをもたらしている。 陽差しが強くなる。踏む残雪が緩みだし.この辺に来ると雪の感触も朝方の「キューキュー」という締まった感じはなくなった。 残雪が抜かるみ出し「ズブズブ」鳴るようなる。ブナ林の密林からも離れだしていた。 距離は稼ぐも相変わらず緩い尾根だが.如何にか尾根と呼べる形になり.鶯川沿いの視野に入りだす。 疎林に残雪は深さを増し.白雪川の雪窪を遡った所で飯ヶ森にでる。森は僕等の向かっている雪尾根の右前方に現れ. こんもり雪を被せ樹林だけは雪を落とし.黒々とした裸林を浮き出させていた。 そして雪原を横切ると五合目.祓川ヒュッテにでる。 ヒュッテと鳥海山との吊り合いがよい。絵のような描写と全山容が望める雪窪の立体感が描かれ姿を現わした。 ここ祓川ヒュッテにベースを設ける。残念なのは仕方がないが小屋番が入っていた。 遥か彼方に頂が望まれた。 遠い雪田の向こうに頂がある。豊富な残雪が目の前を塞ぎ.早くもスキーと掻き立てられていた。 |
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七高山と新山祓川の雪田より頂を仰ぐ |
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| 初スキー ストーブを囲み昼食後.祓川ヒュッテ裏の雪原.滝ヶ原でスキーに興じる。 強い陽差しがベタ雪に変えているのも関らず.よく登り.よく滑った。転ぶと湿気を十分含んだ雪水がセーターやズボンを通し浸ってくる。 それ故.奇声を上げ転ぼうにも.なかなか転べなかった。 滑降中.撮ってもたった唯一の写真カメラを持ち出すと3人が3人とも意識しだし.滑るよりスタイルばかり気にし.撮れ撮れと騒いでばかりいる。 そしてカメラを向けるとよく転んだ。 僕なんかオールブラックに統一し.ズボンもセーターも黒一色で気を惹き付けるスタイル。 雪田の棚その頂は七高山 陽溜りでドンドン融ける残雪, 九合目の雪田5月05日晴. 祓川ヒュッテh2. 8:00⇔8:55七ッ釜避難小屋9:25一10:00七高山14:00一16:15h3. 鳥海山.頂へ ヒュッテからスキーを背負い鳥海山に向かう。 僕等が昨日付けた.シュプールの入れ乱れる滝ヶ原を横切り. 土手のように積もり上がる小さな斜面を越すと賽ノ河原にでる。 一段と広がる雪田代.雪質はまだ締まっている。凝る肩にスキーを右に持ち.左に掛け登って行く。 駄々広い斜面にタツチラ坂の長い堤も.田代にぽっんと1本立つ岳樺も過ぎた。 雪田代 上へ上へと続く雪田代の大斜面と柔らかな起伏. はびこむ這松の群.途中何度も足元に雪蜘蛛を見る。 どのようにして生きているのだろうか? この広大な雪原に.小さな小さな蜘蛛が雪のカップに動めいている。 強い日差しに汗が垂れシャツを濡らし.「暑い.暑い!」と怒鳴る竹永先輩。どうしようもない春の馬鹿陽気。 汗が垂れ吐く息までも熱い。雪原に居ながら熱い風がたむろっている。 御田を左に巻き気味に登れば.這松が両側から迫り七っ釜にでる。 まだ壁臭い匂いが鼻を付く.真新らしい避難小屋が在った。コンクリートとブロックのがっちりした小さな小屋だった。 (s40年.九合目.氷ノ薬師にあった避難小屋が雪崩で崩壊.使用不能となり.代わるものとして7合目に建設。矢島町役場.) 山頂からの滑行山頂 まだ続く大雪代の大斜面.視界がグッーと利きだした。 除々に高まって来た勾配に.氷ノ薬師から更に舎利坂を登れば鋭く切り立った岩峰2230mの七高山に立つ。 新山を囲む外輪連峰の最高峰. 本峰を隔てる深く切れ落ちた谷間はスキーにはむかぬ岩稜の急斜面を現している。 僕等を隔てた岩壁は雪と岩の側壁を築き.溝にはクライマーが攀じり.その姿がよく見下ろされた。 登攀しているパーティの赤ザイル.ヤッケの青い色が.よく映り側壁の雪白さにうまい色合いに染められている。 僕等は頂から3〜400m下にスキーをデポ. ツエルトを被ってトカゲした。 飛島 海岸線を走る列車から望んだ鳥海山は懐の雄大さを痛感させられたものの.鳥海山からの海岸線の眺めも捨てたものではなかった。 水平線の広がりは幾らか丸みがあるのだろうか? 大きく.並行するよう海岸線が帯をなし.裾野との境を創っている。 その先は蒼い海. 以外と小さい飛島が大きく望め浮かぶ姿。視界一杯に無限に広がる海岸線の先に飛島がある。 滑降 一気に滑る山スキーの楽しさ。鳥海の大斜面を自由に選び.気間々に滑りだす。 あっと言う間に過ぎた舎利.氷ノ薬師。格好を気にするより.でかい斜面を切る喜びが頼もしい。 大斜滑降の後は谷回り.細かくチェックを入れパラレルと。そして又斜滑降を切る。 六合目の賽ノ河原は既に湿雪で重く変わっていた。ザラメはベタ雪となり休んでは又ヒュッテに直進した。 ベースキャンプにした祓川ヒュッテ祓川ヒュッテ 滑降を終えヒュッテに戻るとワンゲル的な秋田大山岳部のパーティが占領していた。 新人養成らしく.下級生は薄暗い小屋を細々と動き回っている。 それを指図する上級部員女子の勇ましい言葉. それに従う新人のぎこちない動作が懐かしい。 僕等も次の山行では北八ヶ岳で新人養成合宿が行われる。 |
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頂より夕暮れの北側の山波 |
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| 夕飯 早い彼等の夕食.ひと段落したところで.今度は僕等が炊事に精をだす。 コッヘルの油に浮かぶ天ぷらが美味そうな香りを漂わしだした。 今日も贅沢な食事が並ぶ.山スキーも登山の部類に入るが.何故かスキーとなると炊事は常に贅沢だった。 もう小屋の小さなガラスの窓から漏れ込んでいた夕日も落ちた。 僕はほずれた縫いものに精をだす。ランタンの薄暗い灯で縫う僕と.先輩の食事の後かたずけ。今回はジャンケンで決めている。 不似合いの行動だが僕には嬉しい。決めたのは西村先輩.我がクラブの主将である。 そこに秋田大の女の子が針を持ち手を貸してくれた。勇ましい女の子にも優しさはある。 5月06日晴. 八合目付近で自由滑降.下山 祓川ヒュッテh3.17:20一19:25小:35一21:00ビバーク. 雑用 今朝だけは食器洗いを僕と西村さんが何も云わず遣りだしている。 雑用に関してはリーダーである僕と先輩の兼ね合いを.全てジャンケンで決めることにしていた。 それが勝っても負けても面倒なことになると.常に竹永さんが居た。もめて疲れる前に西村さんと手を動かし始めていた。 地元の話だと今年は例年より2.3m積雪が少ないそうだ。 と云っても見渡す限りの雪又雪で.春スキーを知らない人が可哀想に思える程多い。 今日は自由に春スキーを味わうことにした。 八合目付近まで登るが.だるさを増す陽差しはトカケに逃げるのが゙が一番よった。 |
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ブナの根元でビバーク , |
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| 遅い下山 ちょっとした言葉の弾みから小屋代の馬鹿らしさに遅い昼食後,小屋をでる。 調子に乗った僕等は不覚にも日没が近ずいている。 野宿 三合目まで下れると思ったのが運のつき.もたもたしたため日は落ち当然のようにルートを失っている。 善神沼を左に見留めたまでは良かったが.深い森林に月光の明かりはなく..左尾根に逸れ.高度844mを間近で北側をトラバース気味に滑り込む。 星のキラメキが雪面を幻しに照らし出し.寒気で身が震えだしている。雪面を避けブナの森.根元の窪地にビバークを決意。 ブナ斜面の根元は何処も雪解けの輪を描き.土壌を現していた。真近で一番平らで大きい所を選んでいる。 決意は早かった。否や見定めるべきルートを失い.闇で諦る方が早かったか? 西村さん.竹永さんは水を汲みに沢へ降りて行く。僕は闇の中,エレキを頼りにツエルトを張り床を整える。 一面に被う硬い雪斜面. 巨木が茂りブナの根元のみ.窪みに裸土を現し助かっている。 太い倒木に潅木の枯れ枝.背はゴツゴツしているが.どうにか三人がよじれるよう横になれた。 安易過ぎるがこのメンバーでは当然の成り行きかも。不安を抱く者もは居ず.竹永さんが言葉を吐くも無視した。 未知への下山 |
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林道の脇に咲くミズバショウ , |
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| 5月07日雨. bs4地点5:50一6:05林道.偵察:35一谷地林道一7:55廃家.数家8:15一9:50冬師. 迷い径 ビバーク地点から400m程下った所に現れた林道。何処へ行けばよいのか分からず.その都度偵察した。 谷地歩道に出て伐採跡のハゲ尾根を下り.小径から再び現れた林道にでている。 磁石に頼るも直角に交わる林道は感に頼る以外なかった。地図にない横道が幾つも走っている。 下山の目的地が何処かも. 今何処に居るかも分からない。ただ下りながら近くにある部落を探す。 山間に入ると林道脇にはミズバショウが咲き競っている。 道端の小さな流れ.ほんの少しの雪解けの窪地に15株程咲いていた。それは所々.林道のカーブの凹み毎にも見受けられている。 何処も小陣まりした株が残雪を割り顔を出していた。 山の迷いとは違っている。広大な裾野に先が見えぬ林道がある。現地点が少しでも分かれば如何でもなるのだが。 平行して走る林道はなお更分からなくなる。コブさえあれば幾らか方向が分かるも.今はブナの樹海に消えている。 その上.くすぶっていた空模様はとうとう雨粒が落しだしてきた。途方もない迷い道になる。
失われた集落 何処へ抜けるのか分からず下って行く。雨足が早くなり.廃家が軒を並べる所にでて雨宿りした。 峠の小さな集落は無人の家々が崩壊し.床.壁とわず全てが崩れ.重い雲に被われた冷雨に叩かれている。 先の分からぬ僕等には寒くて体の押さえられない震えが.不安を掻き立てていた。 荒廃した空家に雨が降り注ぎトタンを激しく打ち.侘しい音を鳴らすしていた。待つにも誰も通わぬ峠道。 分からぬ気配を一歩一歩踏み出し.足で探すしかなかった。 冬師部落 東北寄りの一本道を下るにしたがい牧草が広がり.牧柵が林道の両脇を挟むようなる。 運よくその下.分岐で山菜を採りに来たおばさんに出会う。想像していた方向に反し.矢島は左へ折れると言う。 念を押すと指を差し出してくれた。 可笑しい可笑しいと思いっている内.左手に鳥海山の雪帽子を望み冬師という部落に降り立った。 バス停まで15kmもある。最も奥の部落に着いたことになる。 三浦家 リンゴを売りに来たトラックの運転手が帰りに乗せて頂けるが.まだ回る所があると過ぎ去った。 再び本降りとなり大粒の雨が落ちてきた。 僕等は農家の三浦さん宅にお世話になる。囲炉裏を囲み.まずどの辺かを尋ね,.へ出る方法を考える。 車を拾うため電話を頼みに行ってくれた.おばさんが温い味噌汁を作って下さった。 若奥さんに主人が来て.二人の子供が集った。囲炉裏の周りが急に賑やかになる。 外はまだ激しく雨が降り注ぐも.今は暖かい団欒が家の中に居る。 帰りがけ車中で食べろとモチを揚げて頂いた。その上.蕨のお土産まで詰めてくれた三浦さん一家。 見知らぬ者の不意の来訪に大歓迎して下さった。 冬師に入り5時間.三浦宅に世話になる。囲炉裏に集まった家族とよく話し.遊び.よく食べた。 午後を回っても雨はまだ降り続いている。 5月07日.9:50冬師15:00ト=15:30羽越本線西目17:39=18:42本荘.急行「羽黒」19:53= 8日.=6:48上野. 迎えに来たトラックで僕等は小雨降る中.羽越本線西目駅に向う。西方へ向かえば象潟や金浦に半分の距離で着く筈である。 道路事情か運転手の用事か.分からぬが西目川沿いへ北上し.倍の距離を掛け西目にでている。 そして冬師を離れ鳥海山の懐とも離れた。 ・・三浦勝様.仁賀保町.師.62 風呂に入ろうと西目駅から一駅先の本荘に戻る。そして上野行.急行「羽黒」を待つ間に駅近くの銭湯に飛び込む。 最後は如何にか.全てをかなえ山を下りた珍道中の旅. 旅人は2人の先輩と私. 鳥海山の妖怪 下山した山形県側には妖怪「鳥海山の手長足長」の伝説がある。お話も全国に結構多く散らばっているようだ。 福島の磐梯山.鹿狼山.二岐山.信州の諏訪.高山の山車にも描かれている。 面白いことに姿は殆ど同じ姿だが中部.東北は手長が先で.関西.九州では反対に足長が先になっている。 祓川手前にて軽やかで調子のよい竹永先輩と.どんと腰を据える西村先輩.トンチを憶えるにはよいコンビだった。 47年の歳月は鳥海山の山麓に驚くほど変貌させている。当時は矢島駅からタクシーで林道終点の鷽川事務所まで入り. 疎らな残雪を踏みながら.延々と裾野の大地を歩んでいる。 今は祓川ヒュッテまでの登山口が極端に短くなり.ズーと奥まで登拝道と兼ねる旧登山道に象潟.島線が延びている。 途中の687.1m三角点コブの裏側(西方)には鳥海高原矢島スキー場が開設され.当時から有名なブナの二次林を抜けていた。 今では鳥海ブナ林施業公園が手広く管理し.駒ノ王子手前に広く開園されている。 又下山路で迷った谷地沢歩道は桑ノ木台湿原口まで.現在はシャトルバスが入っている。その奥冬師までのルートも驚くほど開拓された。 冬師自然環境保全地域として.幾つもの溜池が保全され.今はパノラマライン(冬師まで長岡冬師域内線).冬師西目線には路線バスが通っている。 北西側も仁賀保高原.巾山スキー場が開発され.こちらも驚くほど変わり.当時は何処も全く.手の付けられぬ自然のままの所だった。 まして冬師は地図で漸く探し読めた地名だが.今や大字・太字で示され.誰もが直ぐ分かるまでに開かれている。改めて地図を読み知る私。 車をフルに利用し最短のコースを選び.湯の台口の鳥海山南面から入山する予定でいた。前回と云っても昔のことで.新たな気持ちで挑んでいる。 避けられた真夏の鳥海山のゲリラ豪雨から岩菅山にコースを変更するが.更に本白根山の火山登山規制レベル2にぶつかる。 草津にでて芳ケ平ピストン.翌日は殺生河原から本白根山に登り下山している。・・2014年08月22〜24日. L松村m見城.滝島.鈴木. 再び鳥海山を目指したものの.岳を点々と変え.豪雨の予報が現実のものになった鳥海山から上信の岩菅山へ。 再び現地に入るも今度は火山規制に遭い.一度目は草津の入った当日に豪雪で通行止めとなり.岩菅山は三度目の諦めになる。 出羽.鳥海山とゲリラ豪雨 天候は貿易風の南下に伴い.太平洋高気圧の勢力は弱く.日本上空全土に前線が居座る気圧配置が続いていた。 日毎に変わるゲリラ豪雨は入山直前に.鳥海山の日本海側を大荒れになる見込みで.大雨洪水注意報が発令され.山行を断念させられている。 前日のことで日にちの変更ができず.それではとK先輩に草津の宿を頼む。昨年4月に現地に行きながら豪雪で現地に入りながら 叶わなかった岩菅山を改めて目指し.東北鳥海山から上信岩菅山に変更している。 豪雨災害 明日の天気予報と草津でテレビを点ける。映像は2日前に広島市北部を襲った豪雨の土砂災害を映し出していた。死者は40名. 続く報道は秋田県象潟の災害を報じていた。寒冷前線の影響で不安定になり.庄内地域.最上地域では局地的な大雨をもたらし. 洪水は床上.床下に土砂崩れ.交通は麻痺し.多大な被害をもたらしていた。 その映像が放映されている。鳥海山山麓を襲っていた。情報は現実のものになり.山行の変更は正しかった。 4人がテレビ画像を見詰めている。大雨どころか洪水で.大地は全て水びだしの映像が映し出されていた。 ゲリラ豪雨の警報が出て.K氏に相談し.草津に変更した経緯がある。今草津に宿っている。 旧hp.PhotoHighwayJapan.鳥海山スキー 山の経歴.経過Top |