| 私のとっては異色の山域. 御坂山地南側の境界尾根. 毛無山.十二ケ岳に節刀ケ岳を綴る ・・甲斐.御坂山地Top 河口湖北岸から突き上げる毛無山東尾根を詰め.町界尾根を縦断し.北側の上芦川へ 大石プチペンション村から毛無山東尾根を経て十二ケ岳.金山―節刀ケ岳北尾根を下降し新井原 2013年06月09日.松村 大石プチペンション村から淵坂峠を越え毛無山東尾根・・アプローチは高速.河口湖から路線バスで上芦川 十二ケ岳から金山を経て節刀ケ岳北尾根を下り中芦川.新井原 湖畔北岸の山並み・・鬼ケ嶽.十二ケ岳.毛無山と節刀ケ岳 路線バスの車窓より.8:40天神峠から毛無山東尾根.裏側から重なる根場(ねんば)から綴られた山陰になる鬼ケ岳・・河口湖大橋 河口湖南岸の路線バスの車窓から北岸を眺めると湖畔から緩やかに高度を上げながら毛無山へ突き上げる尾根が目の前に入る。 地形図「河口湖西部」を読むと東尾根には峠路・脇道に破線が記されている。尾根筋には名のある天神峠・淵沢峠が横切り. 古くからの山道があるのだろうか? 近くの若彦路は過ってはなかったトンネルで繋がり便利に。 今回は1050m圏コブ.西側のコブに突き上げる大石プチペンション村の林道から取り付いている。後は毛無山東尾根から十二ケ岳・金山・鬼ケ岳へと 町界尾根(芦川町・富士河口湖町)を進み.節刀ケ岳から裏側の北尾根をたどり芦川へ下って新井原へ。境界尾根を横断する。 県界尾根.鬼ケ岳〜御坂山・・北竹町会旅行で河口湖南岸.六角堂から撮影・・2014.9/30 鬼ケ岳.十二ケ岳と毛無山東尾根. 右奥は主稜の節刀ケ岳・金堀山 左景.ホテル「みずのさと」前の湖畔で入山経緯 御坂山地の芦川町地区には昨年の11月.日尻山から初めて芦川北側山稜に入り.黒駒釈迦ケ岳を周回している。 今回は御坂山塊の主稜.ケ岳を南側から横断し.鳥坂峠から芦川北側山稜の末端の甲府市側へ下る積りでいた。 切っ掛けは先月.上芦川の「すずらん祭」のHPを偶然見て民宿「すずらん荘」があることを知り.一泊お世話になる予定でいた。 JRを始発4時36分に乗り.河口湖大石プチペンション村から歩みだすと如何にしても8時半になる。アプローチにの乗物に実に4時間費やした。 遠いい山だった。それが息子の一言でガラッと変わっていた。新宿発6時の高速バスを利用すると富士急河口湖駅には7時49分に着く。 そして9分違いで芦川農産物販売所行の路線バスと接続していた。短時間になったアプローチ.嬉しい山行になりそうだった。 ただ民宿「すずらん荘」に宿を求めるも留守電ばかりだった。 夜半電話があり.「すずらん里祭」が開催中で人手がなく.18日.月曜日まで休業とのこと。高速のキップはもう予約してしまっていた。 そもため毛無山東尾根から入り.節刀ケ岳北西尾根を下る前半のルートを日帰りに変え.「若彦路」を取り囲む山々を歩む。 又先の芦川北側山稜はやむ得ず延期することにした。 節刀ケ岳.金堀山.大石峠.不逢山1562m峰 湖畔中景.2014.09.30/11:55大石峠と大石プチペンション村 湖畔 北岸の大石地区には過って1965年3月の高校卒業した月に夜行列車「河口湖号」に乗車し.旧御坂峠から主稜の黒岳を歩み. 大石峠から湖畔の大石集落に下りている。当時は当然トンネルどころかプチペンション村も存在していない時代だった。 第二次登山ブームに乗り.一人.湖畔に映る富士を眺め驚嘆した覚えがある。 その以前にも春雪の大雪に阻まれたが同級生と登り.翌月の山行では国鉄新宿夜行列車に乗り.笹子から三ッ峠山に立ち. 府戸尾根から河口湖に下りている。河口湖には小学生の頃.義理兄に誘われ姉とワカサギ釣り・スケーテングをしに訪れた覚えもある。 又この写真は2014年9月に町会旅行で「西湖いやしの里根場」を訪れた時に撮影したもの。既に50年の月日が経っていた。 右下は浮島にある六角堂. 富士五湖最大の「うの島」は右手の上流側沖合にあり.頭上の山々に想い更けていた。 河口湖 富士五湖は大昔.西から「せの湖」,「河口湖」.「明見湖」.(あすみ)「宇津湖」(うづのみ)と並んでいる。 度重なる富士山の噴火の溶岩流は凄まじさく.「せの湖」は分断され本栖湖.精進湖.西湖になり.明見湖は押しつぶされ沼となって. 湖名もなくなり.「河口湖」は瓢箪形にゆがみ.「宇津湖」も三日月形になって.湖名も河口湖に変わり.一千年前に現れた現在の姿。 御坂黒岳南稜〜御坂山 湖畔右景.湖畔は広瀬新道峠.破風山.スズラン峠.黒岳.御坂峠.御坂山.旧御坂峠 黒岳南稜の下部は烏帽子岩と末端が馬乗石山・・2011年06月には黒岳を南北に横断している。広瀬.「天水」. まず毛無山東尾根に登る 路線バスのフロントクガラスから望む毛無山東尾根と節刀ケ岳.8:16御坂みちを分け.県道719号富士河口湖芦川線の大石付近 2年前に黒岳北稜から南稜を下り.広瀬の馬乗石山の隧道口前で路線バスに乗車.河口湖駅にでている。その隧道を潜り湖畔道を走る。 この路線は富士急富士山駅からの芦川農産物直売所線で.今までに大石bsと久保田一竹記念館bsを利用していた。 50年ぐらい前になるが高校時代に旧御坂峠から御坂黒岳を縦走し.記憶は定かではないが大石峠から大石集落に下り.バスで河口湖駅に戻っている。 6月09日快晴後本曇 大江戸線新御徒町5:12=5:31新宿西口京王bs.高速バス河口湖駅行¥1700. 6:00 =7:49河口湖駅bs富士急山梨バス.上芦川行¥430. 7:49= 8:21大石プチペンション村bs. ほぼ満員の乗客を乗せた高速バスはその殆どが富士急ハイランドで下車。残る4人が河口湖までで出向き.登山者は私1人だった。 関東平野を横切る間に層雲は散る梅雨の中休み.湧く雲も消え快晴の空に恵まれている。 富士急河口湖駅着は数分の遅れが命取りになる。接続する芦川農物産直売所行バスの発車まで9分.遅れるとタクシーになる。 この時期.朝方の出発は殆ど正確に着くと云う。発着所は駅前広場の中央にあり.案内板には「上芦川,大石プリペンション村」とあった。 バスのヘッドには行き先を示す「農物産直売所行」と異なり.バス停名は上芦川になっていた。初めての者には紛らわしい行き先名。 若彦隧道 この路線は笛吹市上芦川と南都留郡富士河口湖町の大石を結ぶ県道719号・富士河口湖芦川線。 若彦隧道が2010年03月に開通. 路線バスは大石プリペンション村線が延伸して新たに開業している。 路線バスの終点は富士急平和観光バス路線上の上芦川. 見知らぬ者には同名の方が分かり易いと思われるが異なっている。 路線バスは湖畔を走り.御坂道を右に分けると御坂黒岳南稜末端の馬乗石山を潜っている。 ここは2年前に北稜から.岳を縦断し.雨激しく濃霧に遭遇馬乗石山まで下らず.近くの野天風呂「天水」に寄り終えている。 フロントガラスを透し.毛無山東尾根を真正面に迎えていた。その右奥の頂稜に突きでた角状の顕著な頂が節刀ケ岳になるのだろう。 見る見る近づく裾野.乗客は私を含め2人.彼は大きなカメラを持ち大石峠に出向くと云う。私はおぼろな昔の記憶を掘ぐ起こしていた。 彼はプチペンション村から出向くと云う。それなら運転手にお願いすれば日曜日でも.トンネル手前で停めて貰えると彼に伝え.私は先に下車した。 プチペンション村から登る毛無山東尾根 毛無山東尾根登山口.8:33車道は行き止まり.右手から山径へ 毛無山東尾根から節刀ケ岳 8:21プチペンション村一8:33登山口一9:07淵坂峠一9:55小10:00一10:40毛無山:50 一11:08鎖場11:17吊り橋一11:43十二ケ岳:50. 広い河原状の台地から奥川沿いの森に入るとプチペンション村に入る。別荘地は狭く区分されペンションが建ち並んでいる。 茅野の原村のように狭い区画で造られていた。終点は小さな待合室のあるバス停だが山への道標は見付けられなかった。 路上の陽射しは陽炎が立ち.真夏のよう暑い。村の高台へ上へ上へと綴ってゆく。 途中にあったペンションの案内板は幾つもあるが道しるべにはならなかった。ここまで来ると東尾根まで高度もなければ距離も短い。 山道が分らなくなれば何処か適当な枝尾根に取付けばよいと思っている。東尾根を末端から登る場合は県道が途中で湖畔道と分れるので. 吉原のバス停で下車.奥川の橋を渡った所から取付けばよい。距離はないが尾根上まで藪がある。 プチペンション村の中をジグザギに突っ切り登るとT字路にでた。そこで初めて「←富士見平.毛無山.十二ケ岳」の道標を見付けている。 左に折れると直ぐ舗装された路面で行き止まり.右手の山道に入る。ここが東尾根の取付きで木漏れの山道に変わっていた。 東尾根富士見平 プチペンション下り口のテープ.8:531053.7mコブと1099mコブの間 右の尾根には確りした踏み跡があり.枝尾根はやや窪状の急斜面を詰める。 汚れた白抗に石抗.赤プラ.赤帽灰プラ柱と短い間に色々な標抗があり.無くてもよい長いロープが谷側に張り付けられていた。 そして取付きから20分ほどで本尾根に突き上げた。左手に赤と黄色の長テープを見届けて東尾根に乗る。 ここは今は新緑の樹葉に覆われ富嶽は望めぬが冬木には枝木を透しに見定めることができる。富士見平と名付けられていた。 又「←こくら公園.天神峠. 淵坂峠.毛無山.十二ケ岳→」の道標があり.尾根を下る道は「こくら公園」へのハイキングコースになっている。 下山後知ることになるが山と高原13「富士山.御坂.愛鷹」には新たにこのコースが赤線で追記されていた。 淵坂峠 奥川側より切り通しの峠路.9:07右へ西に向きを変え.落葉に枯枝の尾根筋を歩む。赤松にミズナラが混ざる雑木の尾根筋。 左手に赤松林が目立つと小コブを越え.更に右手に枝打ちされた明るい赤松の高木林の斜面を見ている。 富士見平から15分ほどで.切り通状の淵坂峠にでられた。ここも眺望はない。 淵坂峠 県道で奥川を渡り左に入り.プチペンション村からの作業道が大淵谷右岸沿いの砂防工事用林道からの径と合わせ.ここ淵坂峠に結ばれている。 少し荒廃気味.藪と渡渉があるらしい。峠の10mほど先の立木に「至天狗岩」と「至大石」と別々に釘で打ち止められた道標があった。 その「至大石」には「旧若彦路」と付け加えられていた。やはり破線路は古道のようだ。 若彦路 中世において甲州から他州に通じる古道は九本あり.その起点は全て酒折(さかおり)になっている。 このうち御坂山塊を越えているのが御坂路.若彦路.中道往還の三本でになっていた。 若彦路は甲斐国と駿河国を結ぶ街道で「若彦」の呼称は日本武尊の子.稚武彦王に由来するという。「甲斐国志」によると 甲府盆地南端の奈良原を通り.鳥坂峠を越え芦川村に至り.更に大石峠を越え大石村を経へている。富士北西麓(富士北麓若彦路)から 上井出村(富士宮市)に達する甲斐国と結ぶ古道。又異なるルートも考えられ.「中の金王路」の存在を記されている。 若彦路沿いに広がる集落として上芦川.新井原.中芦川.宿という4つの集落があるのが芦川村。戦国時代には上芦川諏訪神社の東側に 関所(国留番所)が置かれていた。現在は甲府市芦川村になり.大石峠直下を貫く若彦隧道が近年開通している。 甲斐国からは他国へ向かう九筋の1つで.駿河国に向かう街道は「若彦路」の他に富士川沿いに南下する「河内路」や甲府盆地から 右左口峠(うばくち)を越え.富士東麓を南下する「中道往還」が存在している。右左口峠は国道356号の砂利道. 1972年に甲府精進湖有料道路の右左口隧道が開通して.鳥坂峠と同じような運命を持つ。 毛無山への踏み跡.9:50淵坂峠を過ぎると落葉松林が多くなり.テープのマーキング類も多くなる。 右手には幾つもの薄い踏み跡が見られ.恩賜林コンクリート標はこの辺を点々とかたまるように設けられている。 疎らな零れの道だが射す陽射しは強く.陽溜まりは鏡のよう反射させ眩しい。 赤ヤシオを綴る踏み跡.10:10赤ヤシオも先程登ってきた淵坂峠付近では全ての赤ヤシオの花ビラが落ち.大地に散らばり.その足元を踏んできた。 それが少しの高度の違いが満開の花を枝々に咲かせている。ここではまだ落ちた赤ヤシオの花ビラは一房も見られなかった。 それが毛無山に立つと改めて蕾を持つ赤ヤシロに出会い.短い範囲のこの違いに驚かされている。 この上では紫赤色のミツバツツジは終わりを告げ.殆どの花を落下させていた。スズタケは淵坂峠付近ではまだまだ疎らで初々しい。 青葉の笹葉も.この先の分岐辺りでは年越しの焼けかすれたスズタケが腰あたりまで伸び茂っていた。 裾野も山も霞みに覆われる 分岐と毛無山々頂.10:15富士山北東方面で.左側中央は山中湖.背は三国山稜 広大な裾野・・自衛隊演習場と北富士演習場と富士パノラマライン沿いの集落群 河口湖西岸の長浜と西湖東岸との間を隔てる文化洞トンネルの毛無山登山口1088mからは山道が尾根道を北上し. 東尾根の分岐で合わさっている。この尾根は鳥坂峠を経て足和田山(五湖台)に延びている。 分岐からは足和田村の道標に変わり.赤土の露出すると直ぐ毛無山に至る。 北面は落葉松林.開かれた南面の端に一輪だけ咲くアヤメを見た。そして草地の毛無山に立つと南面草付きからは. 見渡す限りの空間から大展望が開かれた。改めれて広大な天空が足元下の河口湖の湖畔へと.更に遥か彼方へと続き. 富嶽の広大な裾野へと大パノラマを見せつけていた。又足元の間近には足和田山がどっしり腰を据えていた。 富士山と弓射塚.長尾山.大室山・・と十二ケ岳 ![]() 富嶽と足和田山1355mの麓 毛無山から下る尾根に登山道が綴られている右手前は湖畔北西側の文化洞隧道付近 富嶽の山麓.大室山手前の裾野が溶岩台地の青木ケ原樹海。手前.足和田山(五湖台)との鞍部が天坂峠. 峠下は文化洞トンネルが潜り毛無山登山口。左(東)方に下れば長浜口の登山口になる。 西湖 富士五湖は山中湖を除いては内陸湖で,河口湖.西湖,本栖湖はそれぞれトンネルの人工放水路で繋がれている。 又西湖.本栖湖.精進湖は過って「せの海」と云われる1つの大きな湖だった。いずれも富士山の噴火により溶岩で. 猛威で分断された堰止湖になった。水面(標高900m)が連動している為.地下の水脈は共有していると考えられている。 世界文化遺産 1990年代前半.富士山を「世界自然遺産」としてユネスコに登録を目指すがゴミの不法投棄環境問題等が障害となっていた。 2011年富士山の「世界文化遺産」を前提に五湖を含めた文化財指定を申請.12年に調査し「文化遺産」として指定される。 13年06月24日.カンボジア.プノンペンで開催中のユネスコで「世界文化遺産」として.三保ノ松原を含み登録された。 西湖々畔 草付きの台地.分岐から西湖地区を見下ろす右手前の尾根は雪頭ケ岳.県界尾根の鬼ケ岳に繋がっている. 湖畔 今まで閉ざされていた東尾根と異なり.南側の草付の斜面からは明るく展望が開かれる。 秀麗たる富士山の裾野は長い曲線のスロープを描き.大分融雪した残雪が山肌の広い窪み沿いに雪溝を残し望まれた。 その手前には足和田山の山並みがどっしり横たわり.左右には河口湖と西湖を従える雄大さ。 又右方.西湖西地区の北側には根場があり.鍵掛峠への登山口. 頂稜の西側には王岳が構え.東側の稜は鬼ケ岳.十二ケ岳へと続く。 時計の針はまだ10時を回ったばかりだが薄い層雲が広がり始めていた。周りはまだまだ明るい高曇だが霞みはより強くなり. 富士山の裾野は更におぼろな姿に変わり描き出されていた。 十二ケ岳と1519m峰 四ケ岳からは久し振り.ハイカーに混じり頂を綴っている.10:36十二ケ岳は一峰の山名ではなく.毛無山近くまでの峰頭の総称で呼ばれていた。西へ一直線に延びる頂稜の毛無山から 十二ケ岳の間に12のコブがあり.各コブ( ケ岳)には山名標のプレートが下から正番で示されている。 P1を過ぎ,P2はプレードが分から.P4からは十二ケ岳が望まれ.急斜面を下るロープが設置されている。P5〜P9間はミズナラの美林を潜る径。 P7のプレートは大岩の横にあり.P9のプレートから先の岩頭に立つとP11が聳えている。P10は痩せた鞍部にあり.左後方にある。 P11からキレットへの下りは何本ものロープが付けられていた。又P12へはキレットに金属製の吊橋が架けられていた。 まずはミズナラの森を綴る.10:45 11:02背を振り返ると綴ってきた各ピークが望まれた。遠方に霞むのは黒岳に三ッ峠山府戸尾根だろう。 十二ケ岳 キレット.11:10十一ケ岳より見上げる。キレットの下りは何本ものロープが付けられていた. 十一ケ岳はツガにアセビもう遅いミツバツツジ咲き終え.キレットの下りではその手前の岩隅の切れ目にコイワカガミを見る。 一輪づつ.狭い間隔で離れて咲き.三輪だが華麗な小さな花を咲かしていた。岩陰に慎まし早くも少しだが咲き始めていた。 紅色の花びらが日に当たり輝いている。この辺は一大群生地なっているのだろうか? ![]() オクモミジハグマ 十二ケ岳の登りのキレットと吊.11:16 P11からは2本のロープで捩じるよう岩場を下る。ここは注意を要した。 この辺が今回のハイライトになる。キレットには金属製の立派な吊橋が架けられていたが高度感はない。 御坂山塊東面の主稜 ![]() 御坂支稜黒駒釈迦ケ岳. その背の霞みは大菩薩連嶺 大窪谷を隔て大石峠.中藤山1665.5m.新道峠.破風山1674m.黒岳1674m.三ッ峠山 大石峠から節刀ケ岳南面に掛けてはモミの木が一面に植林されている・・キレットの登り切る直前で.右手前は十一ケ岳.11:27 支稜十二ケ岳 11:432つの祠 十二ケ岳 吊橋を渡ってからは鎖で左側を巻くよう登り.ロープや鎖で登高し.左から西湖桑留尾から登ってきた山道を合わせると十二ケ岳にでる。 登りの途中でP11越えには主稜の黒岳.御坂山の山並みが望められ.節刀ケ岳の右肩奥には支稜には釈迦ケ岳も顔をだしていた。 十二ケ岳は小さな露岩が多くあり以外と狭い小さな頂だがった。ここも南方の展望がよく.西湖の全景を足元に望め. 湖畔には桑留尾の集落が見下ろされる。ただモヤは濃く.富士山の頭は雲の中に消え.周りの山々もおぼろに消え始めていた。 又頂には石祠と赤い木祠と2つの祠が違う方向を向い祀られていた。その真ん中に円柱の山名標が立つ。 昼食を兼ね大休止する。久し振りのお茶漬け。妻の手弁当箱を開けるとご飯の上にシャケとタラコ.梅干しのフルセットが用意されていた。 それに海苔茶漬けの素と茶を加えればできあがる。喉通しはよいがここにも蠅が煩く寄り添ってくる。 煙草を吸えば舞う蠅はやや遠巻きに逃れるが食事に気が散り.嫌らしさは変わらなかった。 大石から淵坂峠を越え毛無山東尾根・・アプローチは高速.河口湖から路線バスで上芦川 十二ケ岳から金山を経て節刀ケ岳北尾根を下り中芦川.新井原 |