| 2013年09月08日以降の記録・・八ケ岳概念地形図 2013年09月06〜08日.「第二回2013OSJ八ケ岳スーパートレイル100マイルレース」24:29:49.12位.30代3位 ・・車でサポート.M.松村 八ケ岳スーパートレイル.ポスター. OSJ Yatsugatake Super Trail 100 miles race (JPN)1週間前に息子から「2013OSJ八ケ岳スーパートレイル.100マイルレース」に参加するので.彼女と一緒にサポートして欲しいと希望があり. 八ケ岳連峰の長い裾野を大きく廻り.又横断することになる。又100マイルを33時間掛け運転することになる。 このレースの詳細は白樺湖「すずらんの湯」がスタート地点. 一エイド蓼科駐車場12km. 第二エイド岳麓公園5km. 三エイド自然文化園12km. 四エイド八ケ岳歴史館14km. 五エイド天女山13km. 第一関門サンメドドウス清里スキー場7km. 六エイド南八ケ岳林道出口ゲート18km. 第二関門松原湖公民館横15km. 七エイドNHK受信所19km. 八エイド大河原峠17km.第三関門白樺湖「すずらんの湯」17km. そしてコ蓼科湖プール平11kmがフィニッシュになる。累計160km.100マイルのスーパートレイル。 競技は白樺湖の湖畔をスタートし.彼の進む先々を先廻りする。サポート車は八ケ岳連峰の西麓を南下し.編笠山の南麓を廻り.杜から佐久穂へ北上。 松原湖から広河原峠へは再び白樺湖を抜け.北西側から峠をピストンし.蓼科湖プール平にゴールする。 運転しながらレースの流れをその場で判断し先々へ回ることになる。 7日11時頃から天気は怪しくなり.15時頃から崩れ,本降りと濃霧の重なる厳しい競技になった。 コースは林道が多く舗装された道も多く走る。その道中.裾野を横切る河川.街道を幾つも横切っていた。 2007年10月に「昭和40年代前半に大きく変貌した登山形態とその後歩んだ登山アプローチ」」の記載と重複することも多い。 今回は気侭にその場で気が付いた想いを綴ってもいる。 jr茅野駅北口前茅野市民館.6日14:499月06日(金)晴後曇 竹町9:45=神田IC=13:45諏訪IC=「そば蔵」.茅野市民館.大門街道16:40=17:15白樺湖「パイプのけむり」. レース開催の6日前.大月の市街から見上げられる花咲山に登り.下山の折見下ろしていた岩殿山の大月隧道口を今日は潜り抜け.中央道を西進した。 そして諏訪ICで降り.jr茅野駅北口前の市民会館で受付と説明会を受け終わるのを待つ。 市民会館が建てられてから2年目になるという。2005年08月に立教学院八ヶ岳環境ボランティア登山で再び山に目を向かるようなった。 その時の入山口が茅野駅だった。地元に住む先輩.後輩と駅前の喫茶店で再会した後.赤岳山頂周辺の清掃をし清泉寮に下りている。 又私の節目になるのか茅野駅でもあった。下車する都度.駅周辺の風景は変わっている。高校時代から点々とした経緯が時の流れを示していた。 大門街道を北上し.白樺湖「パイプのけむり」に開催日前日の宿を取る。 夜半湖畔を望むと厚い雲が垂れ込んだ湖面に映る灯りがおぼろに霞み漂わしていた。 宿前は先程綴ってきた大門街道.上田への道。佐久野沢方面からの大河原峠への蓼科スカイラインは1970年代の初めに,望月に下っている。 ただ最近は山道の運転に不慣れで.又夜道でもあり.危険を感じ西側の「町道夢の平線」から往復することにした。 その為麦草峠のメルヘン街道を松原湖から横断することにした。他のコースもチェックポイントに時間前に着けばルートは何処でもよかった。 白樺湖東湖畔 スタート地点「すずらんの湯」P.4:179月07日一時晴.11時頃より霧雨.雨後.濃霧・・車行程 「パイプのけむり」03時起床. 3:50=白樺湖すずらんの湯,スタート5:00=5:45二エイド岳麓公園=8:05道の駅「小淵沢」 =8:40四エイド八ケ岳歴史館=五エイド天女山. ⇔天ノ河原.散策=13:15第一関門サンメドドウス清里スキー場=16:00第二関門松原湖公民館横 =21:24八エイド大河原峠 9月08日濃霧後雨 =2:20ゴール地点の蓼科湖プール平. スタート・・2013年09月07日am5:00.スタートチェック5:00:16スタート地点 ゼッケン400番を腰の前後に付けスタート地点へ。夜明け前の白樺湖々畔.8日まだ夜半の5時にゲートを潜りスタートする。 そしてランナー達を見送り.二エイドステーションの「岳麓公園」へ先回りした。 昨夜の大門街道を戻り.新井上交差点を左折して.湯の道街道(渋ノ湯堀線)に入る。先は渋温泉への道. 1967年04月,残雪の高見石から白駒池・雨池を経て.新人養成の集中地を双子池予定し.現地に入り交渉。そのため鞍部からピストンした。 八千穂駅に下っているが大岳川は中流までて.残雪に覆われていた。 トレイルのコースポイントとしては天候も悪く.この東側の林道.山径のアップダンに泣かさせられている。頂稜の方が楽なコースだが。 当時渋ノ湯から入山しているがバスの運転手は投票日と重なり.途中で投票所に寄りていた。 又下山の八千穂駅では哀れに思ったのか? 私と仲間の大川に駅員からラーメンの差し入れを受け.駅事務所で食べている。 地図先を見詰めると何時も想いだす風景だった。 二エイド岳麓公園 7:00スタートからの累計距離17km 「岳麓公園」の近くまで来ているにも分からず.地元の人に教わり.右に回り込めばそこは目の前だった。 茅野市湖東,ここは市で3番目に大きな公園で.今年度からリニューアルの改修計画が始まると云う。車5:42着 二エイドの裏側は広いグランドがあり.通りに面してはテントが張られ.中継地点らしくなっている。 これからランナーがぞくぞく現れるだろう。役員が地元の人達を指図し準備を進めていた。 昨年トップに立った地元出身のランナーが今回もトップで現れる。 御両親によると彼は先週モンブランから帰り.舗装道路での特訓をしていたとのこと。 又息子も早い時間に到着. なんら注文もなくなく食糧の給付を受け.再び背を向け走りだしている。 唐沢鉱泉.夏沢鉱泉 まずは順調なスタートの一歩を終える。次の三エイドまでの間.地図の斜め下に記入されている尖石石器時代の遺跡を見聞する。 1本南側の角名川沿いに走る道路の広見交差点で.右折すれば遺跡にでる。左折すれば角名川を遡り唐沢鉱泉へ繋がる道。 2007年10月.地元先輩ガイドの下.4人が集い.鉱泉廻りで赤岳から天狗岳を縦走している。 硫黄山荘では主人の浦野氏に地酒「真澄」の差し入れを受け.悪いと追加すると又御馳走になった。 根石山荘と夏沢鉱泉も経営するR大OBだった。そして下山路の唐沢鉱泉ではガイドの顔だと無料にして頂き, 茅野駅までは奥さんの迎い車と贅沢な山行をしていた。地図から林道を追っている内.その時のエピソードを想い出していた。 又広見の直ぐ南側の上槻ノ木から繋がる林道は上流に夏沢峠越えがあり.夏沢鉱泉から松原湖へ抜けている。 広見の直ぐ南側.上槻ノ木からは学生最後の新人養成に参加,長い林道を歩かされている。 オーレン小屋から天狗岳.蓼科山越えをし.プール平にでている。その下山地点が今回の100マイルレースのゴール地点になっていた。 尖石縄文遺跡 改めて広見交差点で右折すると直ぐ先に.尖石縄文考古館(とがりいし)があった。ただまだ早朝で開館していなかった。 広場では大勢地元の人達が集い.なにやら騒々しい。聞くところによると明日.「八ケ岳縄文の里マラソン大会」が催され.その準備をしているとのこと。 「明日来れば美味い物がたべられるぞ!」と招待を受けるが丁寧に断る。 第7回マラソン大会はここ考古館をスタート.フィニッシュ地点として2kmからハーフマラソンまで5種類のコースに分けられていた。 助手席に座る彼女はまだ時間があるので道の駅「茅野」に寄りたいと問う。「いいよ!」と私は軽い返事。 彼女の手にする携帯アイフォンのナビで車を先導する。そのまま直進し.縄文の湯を過ぎ.17号線を左折.意気よいよく南下した。 本来なら原村に向かう八ケ岳エコーラインに戻り南下し.一番塚交差点で左折. 美濃戸への街道に入る積りでいた。 鉢巻道路に続く八ケ岳高原ラインを進み.立場川林道の入口を確認したかった。(立場川林道に入るには美濃戸から夜道になる。) そして四エイド「八ケ岳歴史館」(森の駅.小淵沢)にでる予定でいた。それが更なる外還の17号線に入り.南東へ走る。 立沢大橋 途中で河川の長さの割には大きな河原をもつ立場川を渡った。雄大さを思わす立沢大橋を渡る。 左岸沿いに下る眺望は立場川の広大な下流の河原景色が眺められる。確か? 源流の二俣も広い河原状の河川を創っている。 立場川源流には1966年04月.立場川林道が開通する直前に.美濃戸口から御小屋尾根を越え阿弥陀岳南稜に入っていた。 又頂に立ち.ツメの立場川本谷を下っていた。その折谷間は新雪に埋め尽くされ.漕ぐようラッセルで下っていた。 ぐるりと七里ラインを回り込み県境を越えると北杜市に入る。 北杜市は赤岳.甲斐駒ケ岳.鳳凰山.金峰山に囲まれた広大な山域で.地図を見るとjr小海線沿いに斜上し大きく横切るようなる。 直ぐ.八ケ岳高原ラインにぶつかり.左折すると道の駅「小淵沢」がある。8時05分 朝方の優しい日差しを浴びる森の中だった。ただここもまだ半ば開店前で人も疎ら。待つ身のそこに居た人々はテーブル右を囲み朝の日差しを浴びていた。 私達はセブンイレブンで新たに設けられたコーヒーを飲む。 四エイド「登山歴史館」・・累計距離43km 高原ラインを登りY字の大平交差点を右に曲った先が2度目の四エイド「八ケ岳登山歴史館」(森の駅.小淵沢)になる。10:30着 ここで又ランナー達が訪れるのを待った。ただ中々彼.息子は現れなかった。電話が入り指導員の勘違いから数人がエイドに入らず.先へ進んだらしい。 北側に入る観音平に至る林道に入ったとのこと。避難所があるので来てほしいと。 ただ電話では具体的な場所が伝わらず分からなかった。高原ラインを東西に走り回るが後になるまで分からないでいる。 待ち痺れた彼は直接八ケ岳横断歩道に入った模様。 五エイド「天女山」 累計距離56km・・in12:28五エイド天女山へ 四エイドをパスしたことで五エイド「天女山」に寄ることにした。高原ラインは緑の森溢れた明るい八ケ岳の麓を横切っていた。 清里へ蛇行しながら緩やかな傾斜の高原が伸び伸びと綴っている。 そして大分走り.初めての信号,天女山入口で左折し.天女山公園線に入る。 道伝いに天女山の裏側に回り込めば頂が五エイドになる。天女山は権現山三ノ頭から派生する南尾根の末端にあたっていた。 天ノ河原 ![]() 山中途中にあったOSJの目印 天ノ河原へ まだ時間があるので彼女と天ノ河原まで散策に出向く。まだ若草色の色合いを残す樹葉に.笹葉の密度が程好く茂り. 暑さを忘れさせている。涼風の森に覆われていた。 その山径を登る間にトップランナーが駆け下りてきた。ここは四エイドから続く八ケ岳横断歩道の最後のコブで天ノ河原。 ここから一気に下り天女山にでる。私達も雲に覆われて裾野のが見えぬ頂に立ち.早々にピストンした。 ![]() アクシデント この五エイドで蜂騒動からトラブルが発生. 先行した数人がこの先.再び山径に入った所で蜂に襲われた。 数人が刺され痛さを堪える者やリタイヤする者が現れる。 参加者に毒吸引器「ボイズンリムーバー」を持っているか尋ねる声が聞こえてきた。 見るも哀れで毛布を敷き,本部の対処を待っている。コースは急遽閉鎖された。 その間に息子も現れ.次第に留まるランナーの人数も多くなる。 コース変更 間を空けて.今までの山径のコースは閉鎖され,改めて私達が車で登ってきた公園線を下り.高原ラインからの林道にコースは替わる。 美しの森交差点を左折して.第一関門の「サンメドウス清里スキー場」(清里ハイランドパーク)に入るルート。 ここは赤岳真教寺尾根の末端北側に辺り.その裾野には美し森がある。 再び高原ラインに私達も戻る。川俣川東沢の東沢大橋を渡ると右下に清里清泉寮への道が続いていた。 3年前の9月.川俣川地獄谷二俣に.今だ出合小屋があることを知り.清里駅から清泉寮を通り.昔の道を辿っていた。 昔.積雪期の天狗尾根や赤岳沢を歩んでいた。当時は頂稜越しした立場川側二俣にある旭小屋より.立派な小屋だった。 ストーブは当然取り換えられていたが小屋は健全だった。一人.薪拾い水汲みをし.薪の燃える音に.風を聞き.昔を想い宿っている。 第一関門「サンメドウス清里スキー場」 ![]() 累計距離63km・・in13:50:26. out13:50:38. 走行時間8:50:26. 1000台を超すスキー場の大駐車場先.南側東端が100マイル第一関門になっていた。13:15着 直ぐ先を走る外人ランナー(ルプラスエルワン氏.総合8位)を見ると常にその後に彼が現れている。 その外人が関門を通過する。天女山からの距離は短く.間を空けず彼も再び現れた。 松原湖までは頑張るが後は来月の「北信スーパートレイル100マイルレース」が仕替え.力は押さえる考えでいるらしい。 それにしても凄い息子を持ったと.改めて知らぬ世界を初めて目の前で見聞きしていることになった。 一息し苦笑いして.私の前を通り過ぎた。次ぎの七エイド「NHK受信所」に向かい走り去った。感心するだけで見とれている私。 再びスタート.13:56それにしても彼女の内助の功も凄い。影の力あっての走行にもなっている。 昨年10月には3人で神ノ川ヒュッテから風巻尾根を登り.袖平山.姫次.黍殻山を越え平丸まで歩んでいる。 その時も登山とトレイルの思考感覚の違いを教わっている。ピクニック的要素を若干でも含む登山に対し.トレイルでは存在しない分野だった。 100マイルは自然を走る自己の持久力を如何に維持するかが一番大切だった。 昼食は会場のレストランにナチュラルランチバイキングがあことを知り.尋ねるが2時の入店まで.交渉するもスレスレの間で断られる。 他はリフトに乗れば山上レストランがあると云われるも届かぬ所だった。如何も間と云うかタイミングが悪い。 野辺山 戻り.美し森の信号を今度は左折し.ここから美し森清里線R615に入り.jr小海線沿いの国道141号.清里ラインに入る。 直ぐ山梨.長野の県境を越えるとJRの最高地点が脇の野辺山にでる。 県界尾根・・V 子供達が小学校の頃.1986年08月に赤岳を越え.子供達と県界尾根を野辺山へ下っている。 又2年間を掛け上野から日光白根山までの徒歩旅行進めている間だった。よく歩いた子供達。 その昔66年には妹と共に8人天を担ぎ.2人で清里に下りている。又2005年には立教学院八ヶ岳環境ボランティアに参加, 赤岳山頂の清掃を荷ない.清泉寮にでている。この山が眠っていた山から私を再び山登りを始める切っ掛けにもなていた。 南八ケ岳林道口 和食の看板を見て昼食を摂る。その食事中に彼女のクラブ仲間から電話ある。今野辺山でランナーを応援し.差し入れをしていると。 偶然にもこのレストランの窓越から見える場所だった。 100mほど手前の国道からランナー達は八ケ岳牧場を経て.南八ケ岳林道(一般車不可)に入る。 その入口直ぐの所に4.5人の人影が見えた。彼女の友達達だった。偶然にも電話の会話だけでなく.逢うことができた。 又少し前に彼の通過する姿も見ていた。 セブンイレブンで買出しを済ましたところで.本降りの雨に叩かれた。ワイパーが激しく回り.街道は雨雫の跳ね上がりが激しくなる。 その中清里ラインを北上し.松原湖入口を左折.南岸に登り詰めれば第二関門の「公民館前」にでた。16:00着 第二関門松原湖公民館横 18:44累計距離96km・・in18:26:57. 走行時間4:36:31. 黄昏の降り始めた湖畔の夕暮れは早い。日ノ入18時11分.ここで最初の仮眠を取る。 睡眠導入剤を1錠呑み.2時間否や1時間半熟睡した。頭はすっきりしている。 帳が落ち新月で今は雨降る闇の中.ビショ濡れで彼が現れる。温かいラーメンを掻き食い.慌しくサプリメント類をザックに詰め出発した。 私はライトを当て.二人の会話とその指図を見守っていた。・・一度18位くらいに落ちるがこの先で盛り返すと。 先のコース この先7エイド.「NHK外国放送八千代受信所」.林道ゲートまでは、途中まで6エイド前の松原湖高原線からメルヘン街道を登り.八千穂高原スキー場へ。 ここから小海町から佐久穂に入る。麦草峠へのゲート前を左に分け.スキー場から林道を北上した。 そして八千穂レイクの西側にある大河原峠林道口を左に分け.299号に入り.大石に下る林道分岐が7エイド「NHK受信所」になる。 ここから大河原峠までは右にjr八千穂駅に下る林道を右に分け.北上し.雨池の東の無名峰から八柱山2114.3mを経る北尾根と その支尾根の起伏を横断し大岳川に下り.源流へ左岸沿いに遡る。 そして湯沢の二俣を過ぎ.一度白樺平の山径に入り.再び支線を詰めた所がT字路の双子池東側にある鞍部になる。 大河原峠林道に突き当たり.左折すると先程登ってきた八千穂レイクにでて.右折すると直ぐ大河原に向かう登山道と合わさる。 峠へは双子山の東側を大きく巻き込むとゲートがあり.右手が鹿曲川林道口,左前方が大河原峠になる。 幾つもの尾根を登り返し.アップダンの激しいコースになっている。車両は通行止になっていた。 又車で大河原峠に入るに. 佐久側からの蓼科スカイラインは夜間の危険度を考え.麦草峠経由に諦めている。 1967年04月.双子池と雨池のほぼ中間から双子池ヒュッテへピストンし.八千穂へ下っている。今回のトレイルとほぼ同じコース。 白樺平を経て大岳川沿いに千曲川の出合まで下っていた。当時は半ばまで残雪に覆われていた。 後は雨に叩かれながら泥んこの径を下っている。10年「山と高原地図」ではこの登山道は末梢されている。 メルヘン街道 大河原峠で時間を取り.着いてからその先は考えることにして.早々に麦草峠越えをする。 坂道を走るランナーに気を付け.登ると小雨の天候は次第にガス濃くなる。道路中央の白線を頼りにハンドルを持つ。 ゆっくり焦らず.車を動かすのみだった。建物を見たのは昔と変わらず.今でも峠上のみだった。 松原湖からは1967年05月.新人養成合宿で稲子にでて.天狗岳から大河原峠を下り返し,蓼科山からプール平へ。 68年01月には稲子湯から白駒池.雨池.亀甲池を経て輪カンジキでプール平にでている。 八ケ岳に第一歩を踏んだ63年08月は車山から編笠山まで縦走している。その折は峠越えの車道はなかった。 入山は積雪期が多く.定かではないが60年後半に造られたと思う。峠にでて雪解け部分から舗装道路を見ている。 2001年07月には妻と車で秋葉街道から中山道を北上し.霧ケ峰に入り.この峠を抜けていた。 今回は逆方向で.峠越えすると更にガスは濃くなった。下りで道幅が狭まり白線のない所は更に酷く.停まりそうな減速になる。 車の擦れ違いは3台のみ。八ケ岳を横断し再び大門街道を北上した。小雨でホッとするも濃霧が所々で淀んでいた。 八エイド大河原峠 00:39累計距離132km 町道夢の平線(西蓼科スカイライン) 白樺湖を抜け大門峠で迷う。右から左へ抜けているのがビーナスライン.右折すれば蓼科湖,左折すれば美し高原へ。 少し変形した広い交差点に信号はなく.闇で分かりずらかった。後で分かるもそこはランナーが走っていた。 ランナーに沿い逆に遡れば悩む必要はなかった? 広い対面は行き止まり.左斜上が大門街道になる。 蓼科スカイラインは若干ビーナスラインと重なり.蓼科牧場で左折する。 女神湖を左に分け.蓼科交差点を右に入ると道幅も狭くなった。そしてランナーと擦れ違う回数が多くなる。 歩んでいる人も多い。100kmコースのランナーだろう。点々と続いて下っている。気を配り.ゆっくり離れるよう擦れ違う。 蛇行が激しく.それにつれガスも強く厚くなった。 大河原峠 そしてランナーも殆ど見られなくなると大河原峠にでた。21:24着 八エイド「大河原峠」にはテント類だけがライトに照らされ.峠上におぼろに浮き上げさせられていた。気温は14℃, ガス濃く流れる霧雨はもっと寒く感じられた。1時間ほどエンジンを動かし.カッパを着たまま車内で仮眠を取る。 駐車した車の目の前に「大河原峠」の大きな峠名標があり.最初は気が付かなかったがその右手に登山道を示し, 「←双子山.蓼科山→」の道標が立てられていた。道標に懐かしさを想うも真っ暗闇のガスの中.峠の全体像を知ることはできなかった。 レースの拠点のテント類の灯りが覗め.大きな照明機さえ10mも離れると幻に霞んでいる。 私が初めて大河原峠に立った時は山小屋は建てられていなかった。その後大河原ヒュッテが建てられる。 それも今は年輪を重ね古びれた姿に思えた。 準備に湯を沸かすと云うので,閉ざされた売店の軒下を借りる。ここはやや風弱くコンロを点けるのに助かっている。 団子のようなローソクは暫し消えるも.コンロは相変わらず.風にもめげず快調な音をだしている。 久し振りインスタントラーメンを摂る。温かさだけがましで.贅沢は云えなかった。 悲壮な顔で彼が現れた。登り下りが激しく.又滑り易い土壌で暫し転んだと。 そう云えば先行者も.下半身は泥まにれの者が多かった。ここは132km地点,残り28kmの距離になる。 愚痴もでるがまだ余裕を持っている。ただ体を止めた為寒い寒いを繰り返す。今コース最大のポイントを彼は今抜けた。 後は下るのみ。味噌汁を飲み.寒さで休む間もなく慌しく下りだす。 我々も往路を戻る。途中で助手席の窓を空け.彼を追い越す折.彼女が小さく「頑張って!」と声を掛けていた。 第三関門はスタート地点,白樺湖「すずらんの湯」.累計距離149km・・in8日02:51:06. 走行時間8:24:09. 後11kmで蓼科湖のゴールが待っている。車は留まらず通過した。 フィニッシュ 蓼科湖プール平.4:13累計距離160km ゴール地点「蓼科湖」へ 下るコースは車でも厳しかった。荒れた路面にガス強く,ヘッドライトは下向きにしても.前方を乳白色に変えるのみ。 先が望めないでいた。その上道幅狭い街道がくねっている。谷側の路肩に気を付け.下るランナーに気を使う。 このランナー達は100kmコースのメンバーだろう。 このランナー達は白樺湖の関門で時間切れで落とされる。それでも頑張っている。・・制限時間8日am0:00の規定あり. 驚かさないよう路肩を気にしながらゆっくり徐行し下る。踊るライトの光は走る姿.皆疲れ切っているような動作だった。 ビーナスライン通行止 一時ガスが切れだすも淀んでいる所が多い。白樺湖の信号で左折し.今度は間違えず直接蓼科湖に至るビーナスラインに入る。 ホテル街を抜け幅広く運転し易くなるが2ケ所で一方通行の路面改修工事が行われていた。 その先ピラタスロープウェーの手前で夜間だけか? 通行止になっていた。入口は広く開かれ.看板は暗く分からなかった。 戻る破目になる。 元の交差点に戻り.再び大門街道を下るしかなかった。今度は白樺湖西岸沿いに近ずくと全く濃霧で白線も分からなくなった。 湖の鉢底に溜った白霧は更に濃く.歩むスピードになる。車に2度.擦れ違うが交差するライトの光も鈍くしていた。 ライトは下向きの間々芦ケ沢にでて.ビーナスラインに左折する。後は道なりに最後まで本道を進めば蓼科湖プール平にでた。 ゴールの花道前で彼を待つプール平 8日02時20分,プール平に着く。車での全行程は終わった。後はゴールを迎えるのみ。彼のフニッシュまでにはまだ時間がある。 車内に仮眠するがうとうとの状態が続き.霧雨は小雨に変わり.時により雨激しくなる。 4時ゴールゲートで彼を待つ。真っ暗闇のゲート誘導ラインはガスが掛かり.照明の灯りが周りをおぼろにさせている。 上位を占めるランナーが時折ゴールするも迎える人は疎ら過ぎていた。そしてゴールして集まる人々も.又散り誰もいなくなった。 私と彼女.2人がラインを見詰め.ただひたすら待つのみだった。1時間経ち招待選手か? 外人ランナーが姿を現わした。 例の彼だ。「もう来るぞ!」と思うもその後が続かない。 ゴールは「蓼科湖プール平」 5:28フィニッシュ 夜明けと同時に彼が現れた。彼女と目を合わせ.ゴールに近ずく。人も出だした歓声に顔が歪み笑っている。 ゴールゲートを潜ると同時に記録がでる。8日05時29分49秒.そしてマイクロチップを受付に渡すと次に30歳代3位が記録された。 松原湖からはゆっくり歩む積りでいたが雨とガスが強く.荒天で早く走らざるえなかった。そして記録の更新が頭に浮んだらしい。 泥まみれ顔だが1つのことを成し遂げた顔になっていた。奮闘し汚れた顔は皆同じようだった。いい顔になっている。 ![]() 奥のタイム掲示板は今でも進行中・・60km.25.00.05. 100マイル.29.54.00. 100km.27:00:16と刻み続けている 10時に受賞式が行われるという。今から式典が行われるまで4時間半ある。それを聞き帰宅せず.表賞台に立つよう促す。 時間が余り過ぎていた。待つ間に雨は更に強くなり.車の屋根を叩いている。 会場南側脇にある日帰り共同風呂「小斉の湯」は明け方から臨時で開湯していた。2人に入浴を勧める。 信州では珍しい酸性の湯. 男湯の踊り場は泥でドロドロだという。冷えた体を温め流すだけ流させた。 受賞式 10時.横内正明山梨県知事が駆け込み.本降りの中.受賞式が行われた。 1位高橋・・20時26分16秒. 2位大作・・20時48分45秒. 3位稲次・・21時42分49秒・・6位までが24時間を切る. 12位松村・・24時29分49秒.及び30代男子3位. 100マイルコースの総合順位・・出走454名.完走154名.完走率33.9%. 出走者数は30代.40代.20代の順.参加費¥25.000 時間的なものだけを考えると五エイドでの蜂騒動なければ24時間を切ったことになる。 2位は本降りの雨に待てず辞退. 当日は3つのレースが組まれている。100kmコースはサンメドドウス清里スキー場. 60kmコースは松原湖スタート. 蓼科湖プール平・・・100M・100K・60Kゴール地点
式典を終え.往路のビーナスラインを戻る。 会場では朝9時〜13時まで昨日聞いた「茅野縄文の里マラソン」が開催され.大会周辺では通行止になっていると伝えていた。 そこを避け諏訪ICから帰宅した。ワイパーは動くも.雨は小淵沢を過ぎると止みだしていた。 懐かしいプール平のバス停.8日8:23駐車場の入口で味わいあるバス停を見付ける。 今日は目立たなぬ存在だがここからは路線バスに乗車.幾度も茅野へ通っていた。・・北八ヶ岳地形図,山行表 新人養成にストと。私の青春の1ページがここにある。 蓼科湖プール平11:00=諏訪IC=海老名AC=江戸橋IC=15:30竹町. 今回の八ケ岳スーパートレイルに付随する各道路は何処も道路名が付けられ舗装されていた。時代の流れを痛感する。 全走行距離は車668Km.・・レースと帰宅の復路の運転を担当. 全走行時間は白樺湖往復+復路で34時間30分.
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