八ヶ岳概念図.地形図

    北八ヶ岳地形図T.1966年(s41年)05月発行
    南八ヶ岳地形図U.2003年発行
     赤岳東面拡大図. 2003年発行

      変貌する八ヶ岳登山形態とその後歩んだ登山アプローチ
      変わりゆく八ヶ岳地形図

   北八ヶ岳地形図T

 
   s41年05月30日発行.1/5万分地図                                   南八ヶ岳地形図
   東面.北面. 各沢より千曲川→信濃川
   西面.    滝ノ湯川→上川→諏訪湖→天竜川

          唐沢→角名川→渋川→上川

   蓼科山. 縞枯山. 天狗岳ウォッ地図

   北八,概念図
   北八,雪の森と湖概念図
   s40年前半に掛け大きく変貌する登山形態図

   北八ヶ岳
     1963年08月. 車山と八ヶ岳全山縦走
     1967年04月.
北八.春の森と湖
     1967年05月. 新人養成.北八V
     1968年01月. 北八.冬の森と湖 
     1968年05月. 新人養成.北八W
     2007年10月. 鉱泉廻りの八ヶ岳

     1972年07月. 麦草.双子山
     2001年07月. 霧ヶ峰より麦草峠横断

霧ケ峰.大清水一車山一蓼科山一編笠山一小渕沢駅
渋ノ湯ー白駒池ー雨池一双子池ー八千穂駅・・新人養成偵察(金峰山から変更)
稲子ー天狗岳一縞枯山一雨池一蓼科山一プール平
稲子湯一白駒池ー雨池ー双子山ー亀甲池一プール平
上槻ノ木ー天狗岳一横岳一蓼科山一プール平
美濃戸口一赤岳鉱泉一赤岳ー天狗岳一唐沢鉱泉

模型飛行機と夕立の望月
秋葉街道から阿智.駒場への旅

    南八ヶ岳地形図U
                       北八ヶ岳地形図

 
   2003年発行.1/2万5千分地図                                赤岳東面拡大図

    沼郎兵衛沢→鳴岩川→柳川→上川→諏訪湖→天竜川
    北沢.南沢→柳川→上川
    立場川→釜無川→富士川

    大月川→千曲川→信濃川
    湯川→千曲川
    牛首川→湯川
    板橋川→西川→千曲川
    大門沢→須玉川→塩川→釜無川→富士川
    地獄谷→川俣川→須玉川

    硫黄岳 阿弥陀岳と赤岳 編笠山ウォッ地図

    阿弥陀岳南稜概念図
    川俣川東沢概念図
    赤岳東面概念図
    赤岳赤岳沢概念図
    s40年前半に掛け大きく変貌する登山形態図

   南八ヶ岳
     1963年08月. 霧ヶ峰一蓼科山一編笠山
     1966年04月. 阿弥陀岳南稜
     1966年07月. 八ヶ岳本峰群一県界尾根
     1966年11月. 赤岳天狗尾根
     1976年08月. 赤岳横断一県界尾根
     1971年09月. 赤岳地獄谷赤岳沢
     2005年08月. 赤岳横断一県界尾根

     2007年10月. 赤岳一硫黄岳一天狗岳
     2010年09月. 地獄谷出合小屋周辺

霧ケ峰.大清水一車山一蓼科山一編笠山一小渕沢駅
美濃戸⇔旭小屋一立場山と無名峰の鞍部bc. 一阿弥陀岳一立場川本谷
美濃戸口一行者小屋bc.⇔横岳一硫黄岳一赤岳鉱泉.一赤岳一県界尾根T.清里
清里一赤岳沢出合b―天狗尾根―赤岳―行者小屋c―美濃戸口
美濃戸口一行者小屋h一赤岳一県界尾根U.野辺山
清里一出合小屋h―赤岳沢一美濃戸口
美濃戸口一行者小屋h一赤岳―県界尾根V.美しの森・・立教清掃ハイク
美濃戸口一赤岳鉱泉h一赤岳一硫黄山荘h一天狗岳一唐沢鉱泉
清里:3⇔清泉寮一出合小屋周辺

   赤岳東面拡大図
 
                                                      縮小図
   1966年代は右下の林道は×までしか開発されていず。
     Bs1は天狗尾根.Hは赤岳沢遡行時。県界尾根は3度とも14年置きに行者小屋Ts.H.Ts


     赤岳沢→地獄谷→川俣川東沢→川俣川→須玉川→塩川→釜無川→富士川.


   八ヶ岳連峰開発予定図
  昭和41年04月
   s38年08月.車山と蓼科山〜編笠山縦走

      昭和40年代前半に大きく変貌した登山形態とその後歩んだ登山アプローチ

   蓼科牧場から夢の平経由で大河原峠へ.ここから鹿曲(かくま)川沿いに春日に下る鹿曲林道が開通。
     s40年にバスが小諸方面より大河原峠まで開業した。
     
s47年(1972年)07月.鹿曲林道は双子山よりマイカーで望月経由で小諸にでている。

   大河原峠から五斗水一タタミ石一大石一臼田に至るスカイラインや布施川を遡る三沢林道が計画されていた。
     
s38年(1963年)08月.霧ヶ峰から蓼科山への縦走中.白樺湖先の道路でビーナスラインの建設工事が行われ.その脇を通っている。
       蓼科山へ歩きずらいジャリ道に.現場を遠ざかるまで2日間.ダイナマイトの破裂音の響きを聞いていた。

     その後は
s42年(1967年)05月.43年05月の新人養成合宿で広河原から蓼科山越えをしている。
     s42年04月には合宿偵察でカラ沢分岐より八千穂駅に下山.大岳川と湯沢との二股にでて.径は大石林へ抜けた。

   白樺湖から西へ車山の脇を通り旧御射山に出る車道はs42年半ばの完成を目指し工事中であり.
     将来はそこから和田峠へのコースも予定されていた。名称は中央高原スカイライン.
     
s38年「1963年)08月.車山から白樺湖へ下るが.まだ着工されていず。
     スカイライン沿いに人造湖.女神湖はs41年夏に完成。

   横岳ロープウェーは横岳,通称北横岳が予定地で.第一期としで横岳山頂から南へ下がる坪庭まで.s41年度中に工事が着工された。
     第二期はヒョウタン平の下.ダズマ平付近まで延長し.白樺湖蓼科スカイラインの石臼台から自動車道と連結。
     ピラタス蓼科ロープウェーの名称でs42年07月より運行開始した。
     
s43年(1968年)05月.新人養成Wで横岳経由双子池に集中した。時期が早々のせいか工事の気配感じられず。

   麦草峠を越え茅野側と佐久側を結ぶ県道茅野野田線はほぼs41年07月に開通する。
     まだバスの開業申請は出されていないが.近い将来は運行の運びとなる。
     
s40年以前は当然横断する車道はなかった。s42年04月.新人養成偵察の折.雪上に現われたバックミラーで知る事になる。
     s47年(1972年)07月.八千穂より麦草峠を車で横断.双子山へ。八ヶ岳横断道路.
     
2001年07月には霧ヶ峰.車山より車で麦草峠を横断.佐久甲州街道へ。現在の名称はメルヘン街道.

   白駒池へは佐久環状線.ふるさとの森経由.諏訪門から及び同横断県道とり最短で入る事ができるようなった。
     又同横断県道は稲子湯から白樺尾根を横切り剣ヶ峰付近で営林局林道と合流しs41年度中に開通した。
     
s42年(1967年)05月.新人養成で稲子より本沢温泉へ。
     
s43年(1968年)正月.北八ヶ岳を北上する。入山は稲子湯より白樺尾根経由親湯へ。

   渋川の林道は古くから通われた道である。s42年(1967年)04月.新人養成偵察で雪残る渋ノ湯へ。

   鳴岩川左岸沿いの林道はs43年05月(1968年).新人養成Wで入山.バスは上槻ノ木止まり。河原のような径は先で山径となっていた。
     現在は夏沢温泉まで四駆で冬は雪上車で入山可。右岸沿いの道は桜平まで一般車が入れるようになり便利になった。
     
2007年10月には黒百合平から唐沢鉱泉へ下っている。

   美濃戸口は
s41年(1966年)07月〜2007年10月までに入山5回.下山は3回通っている。
     山小屋.ターミナルは新築.改築がされるも昔のままの状態をコースを含め維持している。又渋の湯登山口の同様であろう。

   立場川林道は立場川本谷二股までのルートでs41年,立沢からの工事は完成した。車は舟山十字路まで入車可能に。
     同年04月.阿弥陀岳南稜に入山した折は美濃戸口より御小屋尾根を横断する。立場川の河原はまだ工事中.二股広河原はまだ林道なし。


   信濃川上,清里はs40年(1965年)頃は素朴な長閑な農村地帯であった。s50年代後半より別荘.ペンションが急増。
     
s61年(1986年)08月.子供と赤岳県界尾根を下山した折.ガラガラの列車が清里でラッシュなみの混雑になった覚えがある。

   清里「清泉寮」も徐々に規模は拡大されたものの,s41年当時は小海線清里駅から西側は清泉寮以外何も建物がない所だった。
     
2005年08月.清掃ハイクで清泉寮で入浴している。驚嘆する群集と観光化された施設。関西方面からの観光客が多いと聞くも驚くばかり。

   山梨方面では清里から美くしの森山への車道を西に延長し天女山に繋げる工事がs40年完成。
     
s41年07月.赤岳県界尾根下山.清里へ美くしの森山の凸凹道を歩む。2005年08月.清掃ハイクで赤岳より下山の折は完全舗装されていた。

   清泉寮への砂利道は
2010年09月に40年振り地獄谷に入渓.大泉清泉線.俗に云うポール・ラッシュ通りとして立派になる。
     両脇に歩道ができ北側には並行して.森の散策路が造られていた。

   川俣川東俣林道はs41年11月.天狗尾根に(出合小屋なし).46年09月.にも地獄谷入渓している。
     林道は狭く短く.上流の堰はまだ無かった時代である。
     2010年09月に地獄谷出合小屋を訪れた折は.林道は大型ミッキサー車が入る程幅広く奥へ延び.堰堤は幾つも築かれ.更に増堤中だった。
     古い地獄谷出合小屋は一度使用不能となるも.幾度となく改修され.1009年の改修では懐かしい小屋に蘇っている。

   更に美くしの森山より観音平方面へ抜けるための工事が行われていた。
     s38年(1963年)08月.観音平方面への車道はまだなく.編笠山から棒道を幾つも横切り.直接南麓の国鉄小淵沢駅へ下山した。
     今は八ヶ岳公園道路.観音平が編笠山.権現岳への登山口。標高1500m.

   棒道は武田信玄が開発されたとされる戦の為の道路で三筋残されてをり,八ヶ岳南麓から西麓にかけ甲信国境を通っている。
     今は地元では信玄棒道と呼ばれ.それぞれ市.町の指定史跡になっている。

   八ヶ岳公園道路は茅野方面に連絡する計画の一部で八ヶ岳循環ラインの一端でもある。
     高根富士見線(八ヶ岳高原道路)=八ヶ岳公園道路=鉢巻道路=富士見原茅野線へと綴られ,
     それぞれ名称の各街道は八ヶ岳入山.下山のアプローチとして現在は中央東線.高速道に繋がれ利用されている。

   最近では2002年07月.原村より秋葉街道南下の折.及び2005年08月JR小淵沢駅へ下山で利用,マイカー,
     
2007年10月にも八ヶ岳公園道路から再び美濃戸口へ入山.「赤岳鉱泉」と「唐沢鉱泉」の鉱泉を廻りをしている。

   山小屋の新規建立には大河原峠に大河原山荘. 白駒池畔には青苔荘がs41年09月に完成,
     建設の許可が見込まれるものとして中山峠〜天狗岳間に予定されている山小屋がある。・・2007.10.記

   2013年09月06〜08日.「2013OSJ八ケ岳スーパートレイル100マイルレース」を車でサポート.
     白樺湖すずらんの湯Pをスタートし左回りで八ケ岳連峰の山麓.林道.山径を踏破し.大河原峠を経て蓼科湖プール平でゴール。
     幾つもの尾根に河川を横断し.その時の回想とレポートを綴る。


      変わりゆく国土地理院地形図
   5万分の1地図は陸地測量所が1890年(明治23年)から整備が始まり.大正05年に全国整備が完了した。
     整備開始当初から1910(明治43年)まで国の基本図であった。現在は2万5千分の1地形図を編集して作成されている。

   100年以上も同一の区画割で整備が続けられてをり.歴図としての利用価値は高くい。
     現在は空中写真測量によって作成され.2万5千分の1が国の基本図になっている。

      色刷5万分の1地図
   国土地理院は1960年(s35年)07月付改称で登山者やハイカーのため4色刷5万分の1修正図を発行。
     この修正図は@国立公園界.A登山コース.B小屋の位置(有,無人別).Cキャンプ場.D水場といったものが色別で記入されている。

   地域は日光付近.尾瀬付近.白馬付近の3種で36年に@50で発売。
     他に3色刷5万分の1地形図で「上高地」が6月に.「槍ヶ岳」は7月に@45で発売された。
     尚奥又白から前穂のルート記入されているが.これは危険に思われる。地形図は墨濃く漢字は旧字.横文字は左読み.

     1963年(s38年)04月.奥武蔵伊豆ヶ岳登山で初めて墨地図を購入。
       
1964年(s39年)以前に私が登山のため購入した5万分の1地図は八ヶ岳.南アルプスを含め関東周辺全てが墨一色刷である。
     
1963年(s38年)08月の霧ヶ峰から八ヶ岳縦走はs33年12月28日発行の「蓼科山」.「八ヶ岳」を購入.定価¥35.
     
1964年07月の千丈〜北岳へは「市野瀬」「幌河原」「鰍沢」「韮崎」を購入し定価¥35.
     
1966年07月の荒川三山〜聖岳縦走は.この下の地図「身延」を購入し定価¥60へ.

   三色刷5万分の1地形図の使用は
1965年(s40年)08月の「上高地」「槍ヶ岳」からである。この頃より修正発売が随時進んだと思われる。
     1966年02月の吾妻連峰東北部.春合宿では「福島」は墨で定価の記入なし.たぶん¥60だと思われる。
     西隣りの地形図「吾妻山」は三色刷5万分の1地図¥70を合わせて利用していた。吾妻連峰東北部1/50.000地形図


      2万5000分の1地形図
   日本測地系の国土地理院の2万5000分の1地形図は1963年(s39年)に始まり79年(s58年)に終了した。
     2万5千分の1地形図が国の基本図となる。
1991年まで登山は5万分の1地形図を利用.

      新2万5000分の1地形図
   2002年(平成14年)の測量法改正にともない.全ての地図の経緯度の数値が世界測地系に2010年を目標に移行する。
     新図郭の地形図は南北約45cm.東西約51cmの統一した図郭の大きさに変更され.従来より図郭の大きさが拡大された。

   日本測地系の地点が南東方向に約540m.(1/2.5万地形図では1.8cm)ずれた地点が世界測地系の地点である。
     従来の地形図は南北5分,東西7分30秒の経緯度に区切られる。
     東西の図郭の長さは緯度帯毎に5秒刻みで異なるため.図面によって多少長さに違いがあり。

   目に見える変更点は隣接図面と重複部があり便利. 図名のタイトル等が大きく変わる。
     地図記号が増え.文字は全てゴジック体となり「左傾斜体」といった特殊な書体が廃止された。新版は2003年11月より徐々に発売.

   図郭の4隅には青色と茶色の▽が8つずつある。
     青色の▽が従来の日本測地系地形図に於ける図郭の位置。新しい地図同じ合わせは茶色を利用する。


   国土交通省地理院カラー2万5000分の1地図はPCに試験公開される。
     
2005年08月.複写を利用.八ヶ岳県界尾根横断Vの清掃ボランテア登山に参加。再び岳へ。
     
2006年08月.白馬岳〜親不知登山以降は地形図を検索し複写.又昭文社の「山と高原地図」5万分の1地図と併用し入山するようなる。

   国土地理院は2008年04月より新システムの閲覧方法を取り入れ.随時移行作業中。
     電子国土Webシステムプラクインが試験公開され,これによりPCよりカラー2万5000分の1地形図は直接HPへの掲載が可能となった。
     図郭を取り除き縮小.拡大も自由自在となり.
2008年05月よりHPにウォッ地図を利用する。

   2009年02月.御徒町アネックスで国土交通省地理院カラー5万分の1地図.「大山」購入.
   2009年11月.神田神谷書店で国土交通省地理院カラー2万5000分の1地図.「七保」「猪丸」を購入.
   現在に至る。

     新地形図
   2011年02月1日より国土地理院の地図,電子国土Webシステムのサービスが向上し.カラーによる識別は多彩になる。
     境界線.交通関連とその地名.河川関係.・・・等と。細かく色刷りされ一般道から国道.有料道路も分けられた。

   2月2日誕生日に奥多摩三頭山を南北に横断。前日Webシステムのサービスで気が付く。見易くなった反面.慣れぬせいかしつこさがあった。
     好奇心を持ちだした送電線類が地図上で見詰められなくなっていた。反面「戦時中の改描を思わせる」と批判が強く.国土地理院から削徐した
     送電線や記念碑の表示を復活したいと電力各社に提供を求めたがテロを恐れ断られている。
     それ故2011年からインターネットに1/2.5電子国土基本図より独自に載せられ復活された。