市道山から植林を縫い.残雪のぬかるんだ臼杵山. グミ尾根を北東進し荷田子峠からの馬頭刈尾根下半の展望と荷田子地区

   和田から草木尾根を詰め鶏冠尾根に乗り醍醐丸
   醍醐丸からウルシガヤノ頭―旧醍醐峠.峰見通り分岐から市道山
   ぬかるんだ残雪の臼杵山グミ尾根から荷田子峠を下り荷田の里・・檜原街道と醍醐丸を過ぎ多かった立木の屋号

   市道山の西尾根696m
   市道山北側の肩より.13:45

     右上は市道山から西尾根に派生する696m点尾根。
   この先の分岐を左に北側の尾根を下り.尾根伝いに北西に回り込んで小坂志川に没するのが古道の嫁取坂。五日市と檜原を結んでいる。

    臼杵山グミ尾根から荷田子峠
      13:10市道山:25一14:40臼杵山一16:05荷田子峠:20一16:48電気棚一16:49秋川街道.荷田子bs

     市道山からすぐ先の分岐. 市道山北側からはカナメ沢左岸尾根の嫁取坂を下ると小坂志林道にでて.南秋川を左岸に渡り檜原街道笹平でる。
   一昨年に鎌川尾根から笹尾根を横断し.万六尾根から藪絡む万六ノ頭北東尾根を下り.対岸から笹平にでている。当時は猛暑のトレーニングだった。
   汗滴る山だったが今は毛糸の手袋をはめている。笹平への分岐をほぼ直角に左に分け.更に臼杵山に向かい北上する。

     嫁取坂とは明治から戦前までは八王子や恩方村に多数の機屋があって.檜原村から多数の男女が頻繁に出稼ぎにきていた。
   その時この尾根を登り.市道山から醍醐峠を経て醍醐に下っていた。

     所謂.五日市鉄道が大正十四年に開通する以前は檜原村から八王子へ出るにはこの道を利用していた。
   旧恩方村は養蚕が盛んで製糸工場が多く.野麦峠のように雇われた娘たちはこの峠を越えて往来していたようである。
   急坂を女達は着物の袖をしょって登り.同行の男達と接する機会を得て恋が芽生え.結婚するのが多かったと伝えられている。

    トヤド浅間
   上の画像をアップ・・右奥が浅間尾根松生山.13:45

     以外と大きく望められたトヤド浅間。正面の南尾根末端は矢沢と熊倉沢が回り込んでいる。
   手前の斜め右へ落ちるのが連行峰万六尾根だろう。南秋川支流,小坂志川との出合に没している。嫁取坂は左がわの尾根を下りている。

     この辺には野生のニホンザルの群れが生息し.現在100匹以上になると云われている。それにしも今日の雪面に
   獣たちの踏み跡は余り見られなかった。吊尾根で兎と鹿の足跡を何頭が見付けただけで.人の踏み跡も薄いスノーシュだけだった。

    木の屋号・・市道山を越え
       民有地が続く
   13:33                13:52                 14:09

     今回は歩む道中.幾つもの屋号と出合い.その幾つかを下る順に記してきた。ただ次第に数は多さを増し.その数は驚くばかりになる。
   木の屋号の数と間隔から個人が単独で所有しているとは考えられず.又団体.法人としての所有ならその名を示すのが普通だと考える。
   又どう違うのかは分からない。

     又近くでは連行山万六尾根から以西に至る矢沢流域に掛けての広大な範囲が「公益地」になっていた。それは万六尾根にも云える。
   「木の屋号」は今思いだす中では奥多摩御前山の湯久保尾根.西丹沢高松山南西尾根などにあった。

    朝陽を浴びる高萱山と臼杵山グミ尾根
   北尾根404m点峰の南肩より

     沢戸橋から新久保河原の集落を抜け刈寄山北尾根の登りで.盆掘川を隔てての展望・・2021.12.05/8:16
   2年半後の2016年11月に盆堀川流域と高萱山大萱尾根をピストンし.入山峠から入山尾根に乗り.芳村砕石所を経て美山に下りている。
   12月には醍醐から峰見通りの冥加沢右岸尾根から盆掘林道に一度降り.リゾクナイ沢右岸尾根を詰め.鉄塔尾根を下り醍醐に戻っていた。

   杉の植林帯を何度も登り返す.14:08
    木の屋号「フタバ」と同じでも.付け加えられた別の屋号も現れる

   14:19

   14:26

   14:36

   14:37

    臼杵山手前の道標.14:41                   臼杵山々頂
     14:57

    木の屋号・・臼杵山前後
      
   14:29                14:39         臼杵山14:41    15:06

     前半は「木の屋号」に間隔が見られたが.後半になり裾野が近ずくと乱立気味に現れ.トレースに従い綴ってきたが
   「木の屋号」も,ここに来て交互に.又同じ屋号が現れだしている。又細かく数も増えだしていた。
   切りが無くなりだしていた。更なる新たな屋号も現れるが記載は諦める。

     立木は土地があってのもの.土地は所有なり借地.又貸しと色々あると思われるがここまでこまく細分化しているともは思えない。
   経済的には不合理である。この山域全体に云えることだが他に何か理由があると思われる。

    日陰本田山628mと刈寄山
   臼杵山東肩の伐採雪原より.15:04
    コの字形の主稜の支尾根上に乗る日陰本田山の地形に繋がる刈寄山. この山域はJPSの利かぬ私有地が続く。

     日陰本田山と石立ノ頭と刈寄山との間奥には古愛岩山509mが聳える。
   この後の山行では日陰本田山に立ってからは石立ノ頭南尾根を下り.沢沿いから広く禿山の鞍部になった採石所へ移り刈寄山に立っている。
   又石仁田沢を隔てた対岸手前が石津窪山高萱尾根.奥が峰見通り

    展望
     南秋川の支流,盆堀川が左側から回り込み.中央には支流の石仁田沢を遡らせ刈寄山が源をなしている。
   ツメの採石所上部の山並は入山峠を隔て.左側が横に延びる舟子尾根.右側が縦に連なる峰見通りが横切っている。
   右手に聳える石津窪山高萱尾根の手前の谷間は臼杵山を源とする伝名沢になる。

     遠く刈寄山の裏側に送電線新多摩川線が横切っている。霞んで見ずらいが87号.86号が建ち.85号〜83号は刈寄山に隠れ.
   一度入山峠に下りてから.峰見通りの南端乗る弾佐衛門ノ峰の西肩に82号鉄塔が尾根に乗る。

     盆前川と広く抉り取られた山腹は砂利採石場。グミ尾根に入り直ぐの肩下の伐採地跡から.私の踏み込んだことのない山域が続く。
   グミ尾根から荷田子峠.戸倉城山に掛けての山塊が盆堀川を隔てて.日陰本田山と向かい合っている。
   戸倉城山には15世紀に築城された戸倉城址(都指定旧跡)。麓の光厳寺には樹齢400年の白山桜(都指定天然記念物)がある。

     又盆堀川と刈寄川は沢戸橋付近で秋川に合流するが二俣から刈寄山に高度を上げるのが篠八窪(しのはちくぼ)尾根。
   過っては篠八窪尾根から刈寄山に通じていたが.途中にある採石場が広がり.今では通行不能になっている。
   ・・2021年12月に篠八窪尾根から古愛宕山北東尾根を経て今熊コースを綴る。

    臼杵山
     残雪と奮闘し最後の頂.「鹿ン丸」の名を持つ三等三角点標石のある臼杵山.南峰842mに立つ。展望はよくない。
   「うすき」の言葉は周りの常緑樹の黒木に対し.落葉樹の薄木から名がきたものらしい。
   又山名の如く鹿が多い山で一帯には荷田子.畔荷田.猪畑ノ峰(刈寄山の別称)などヌタを思わす地名が多く動物達の楽園だったのだろう。

     臼杵山は双耳峰で少し下ったグミ尾根への分岐先に臼杵神社(臼杵権現)を祀る北峰がある。越え尾根伝いに下れば街道沿いの元郷にでる。
   ここ山上の神社に石猫の狛犬がある。麓には養蚕農家が多く.毎年初牛に守護神・焼物の猫をお借りし.翌年倍返しする風習があったようだ。
   日の出山の琴平神社の狛犬も猫と同様にある。

    盆堀川を隔てる日陰本田山と石立ノ頭
   上の左景・・上流側の採石された平坦地.その右上が刈寄山。
    左上の盆堀川下流で秋川に合流し.里の戸倉から先が五日市の市街地.中央奥に霞む八王子市街地が何となく望まれる。

    採掘場
     日陰本田山を囲むようU字に蛇行する秋川の支流.盆堀川の流れが左手から回り込み.ここからはっきり分かり見下ろされた。
   コの字にUターンする支流の石仁田沢上流にも採石所があり.上部を横切る尾根が舟子尾根で.新多摩川線86号鉄塔が乗っている。

     日陰本田山を挟む2つの大きな砕石場も目立ち望め.その爪跡は痛々しいまでに山肌を蝕み.今でも抉られた山肌は失われつつあるようだ。
   市道山を過ぎた辺りから発破やブルの騒音を聞くともなく聞いている。

     臼杵山の檜林の中の急斜面はやはり積雪があり.午後の腐った残雪に体重を乗せると急斜面の雪を踏み抜き腿辺りまで潜る。
   ただグミ尾根に入ると次第に積雪も薄れ.メーンは雪径だが斑に裸土を踏むようなった。

     臼杵山北東山腹の下りで.南に面した伐採地にでて.雄大に連なる戸倉三山の一つ.刈寄山が姿を現した。
   八王子市との合併で戸倉村は消滅.名残り欲しい戸倉三山になった。奥は篠八久保尾根か? 更に霞む遠方は日の出町.八王子市方面になる。

    撮った逆側から見る白杵山グミ尾根
   入山峠手前の盆堀林道より・2016.11.18/13:40
    上の2枚の写真を逆に白杵山の肩から撮っている。手前が高萱尾根で谷間は盆堀川.右遠方が大岳山馬刈尾根

    臼杵山グミ尾根
   右手下が盆堀川左岸伝名沢.15:13

     前方の樹間から聳え立つのは780m圏峰と737m圏点だろう。南面に日が当たり.見上げるコブが若葉に見え.重なるグリーンが美しく思えた。
   尾根径を下る雪傾斜の残雪は地面を被う障害物が雪に隠れ分からぬものの.残雪は徐々に少なくなり.歩みは早足になる。

    グミ尾根の木の屋号群
   15:15

   ルートを選ぶポイント.15:26

     565m点を巻き終えた所にL字の道標と残雪の切れ目から「戸倉山ミグ御前」の石柱と石柱の乗せる台座が姿を現していた。
   由来につてはこの山に幽閉された姫を弔ったと云われているが正確なことは分からない。

     尾根筋の道標に従い,左(北側)へ尾根筋から一度離れ回り込むと再び尾根に乗るようになる。
   回り込んで振り返るとガレ下に着いていた。はっきりしたトレースが綴られ.悩まず進められ助かっている。

     「木の屋号」は登山道沿いにあるとは言え.立木に並ぶ3つの異なる屋号が記されているのを見る。複数林が暫し現れた。
   地権者が団体で1本ずつ名貸ししているとは考えられず。巨木でもなく.理解に苦しむ姿を見ている。
   それは荷田子峠を過ぎ.下り終えた登山口まで続いていた。

   並ぶ屋号と交互に現れる屋号.15:28

     随分歩き易くなる。ほどよい加速で.壺足の穴を避け.雪面を踏み付けるよう下ると少しずり滑り.
   足の運びがよい調子になっている。無雪期よりここ辺は早足になれた。

   15:33

   15:35

    馬頭刈尾根下半
   左景..16:11
    馬頭刈尾根の南面・・鶴脚山(東側の916m点峰)北東尾根と馬頭刈山南尾根(泉沢尾根)の末端.愛宕山

     左手の北側から見上げる馬頭刈尾根。馬頭刈山南尾根と高明山(光明山)・・左奥が大岳山
   左端木の陰が三頭山.仏岩ノ頭1019.2m.御前山1405m.1つ空け鶴脚山916m.馬頭刈山884.0m.高明山798m

     正面左に望むのが馬頭刈山肩から手前.南に延びる泉沢尾根と末端に聳える380m圏コブ。
   あきる野市と檜原村との境界尾根で臼杵山から市道山へと連ねている。
   路線バスが檜原街道を抜ける折.次のバスの停「和田向」と告げると同時.あきる野市から檜原村に入りことを告げていた。

     右尾根末端。正面は沢と云うより壁。頂中央が高明山からの長岩尾根.
   末端は長く荷田子の北側を横切っている。東尾根の稜並びの峰は740m圏峰(右).末端は養沢川.怒田畑辺りに没する。

    秋川中流.本流沿いの山
     大雪が切っ掛けで出向いた山. こんな形であきる野市の戸倉山域に入るとは思っていなかった。
   30年ほど前.幼い子供達と北側の黄葉溢れる御岳山に登り落葉径を歩み.上養沢川に下りている。
   近年では昨年の春先.幼馴染と熊倉山南西尾根からトヤド浅間に抜けて.十里木「瀬音の湯」に浸かり.山の疲れを落としていた。

     市界境尾根や笹尾根を登るアプローチとして通い続けていた山域だが.この五日市周辺にある山並としては初めてだった。
   南面の山並を望むも歩んだことのある頂は殆ど見当たらなかった。あっても遠く霞む山並になる。荷田子峠にでて.
   南側からは初めて霞む日ノ出山を認めている。もう大分前になるが猛暑トレーイングで鞘口山北尾根から日ノ出山北尾根を下っていた。

    馬頭刈山南尾根716m点の2つの枝尾根に挟まれた末端台地
   左景下アップ・・上部は秋川左岸のU字の川畔
    秋川街道沿いの畔荷田地区の上部に秋川が横切るよう流れ.奥側のが青木平までU字に抉り取られた秋川の流れが地形が面白い。

     河川段丘と山裾末端の植林帯との境界線上に秋川が流れている。一番顕著なのがその境を流れる秋川.
   河川で云う畔が狭い尾根末端を挟む台地に食い込み.秋川はU字状の流れを創っている。

     U字状の奥は馬頭刈山南尾根716m点の2つの枝尾根に挟まれた末端台地にでる。2019年の師走に左脇の鶴脚山泉沢尾根を末端まで下り.
   青木平へ抜けている。植林帯の下藪絡むルート。近年秋川の左岸沿いに真新しい新道の計画があるとか? その下見調査ではモノレールが利用されてとか.
   その掘り起こした後地が残されていたのを見ている。最短で川畔へ降りられたがその後の踏み跡はなかった。

    荷田子峠の分岐
   足首潜る最後の雪コブから振り返る.16:18
    盆堀山.戸倉城山への分岐

    荷田子峠
     雪径の急斜面を下った所で荷田子(にたご)峠にでる。予定より少々時間を短縮していた。
   ここで見る限り.先は急坂で残雪はなくなった。裸土の登山道が戸倉城山へと続いている。戸倉地区に聳える城山は.過って戦国時代.上杉氏の庶流で.
   武州一揆の所要構成員であったと伝らる「戸倉城」があった由緒ある場所で.頂からは都心まで見渡すことができる。

     峠でオーバーズボンにスパッツを外した。荷田子峠はあきる野市のjr武蔵五日市駅の西方にあり.秋川の荷田子と盆堀川の盆堀集落とを結ぶ峠路。
   道標には「←城山1.9km.荷田子0.6km.秋川渓谷瀬音の湯1.7q↓.臼杵山→」とある変形十字路で.盆堀の集落には確りした道が綴られていた。
   戸倉山グミ御前から25分程.臼杵山の頂から1時間20分。

     荷田子の「ニタ」は獣が泥浴びなどした所を「ヌタ場」と云ッていた言葉が「ニタ」に変化したものと云われている。
   地形語として水の湧きだす湿地をさす。周辺には畔荷田.本仁田山.大仁田山.笹仁田峠.仁田山峠などがある。
   又この峠の下で.獣除けの電流棚が集落脇に連なるのは獣が多い証拠でもあり.ヌタ場も多くありそうな雰囲気を持っていた。

    北側に望む養沢川下流流域
   右景.荷田子峠・・残雪の盛り上がりに立ち

     左手から下りるのが馬頭刈尾根末端の高明山東尾根.中央の背奥がが市町界尾根。左から日の出山・高峰・三室山.
   日の出山から斜め手前の延びる2つの送電線が連なるのが金比羅尾根。その枝尾根の長岳尾根が手前の麓まで延びている。

     正面に張り出している尾根は金毘羅尾根531m峰付近から南西に延びる尾根で.末端に349mコブ。
   養沢川はその西麓を回り込み.秋川左岸の落合付近で合流している。中央の樹林の茂みに隠されいた。

     その手前は山陰で分からぬが天明山からの長岳尾根が大きく入り込み.やはり末端に326mコブを麓に広げている。
   それ故養沢川の出合は大きく右(東側)に回り込み落合の下流.十里木近くになる。

     地形的には秋川左岸の支流.養沢川流域になり.上流では大岳沢と養沢川に分かれている。
   源流は霞む境界尾根は檜原村と日の出町.奥多摩町を分け.「関東ふれあいの道」尾根道でもある。大岳山からの頂稜.御岳山.日の出山.麻生山.
   又.金毘羅尾根の東側はあきる野市に当り.この辺は境界線が複雑に混み合っていた。

     荷田子峠に下ると残雪は殆ど失われ.峠の東側に小さな雪被る盛り上がりを見付け.上がると一段高くに藪を切り裾野の広がりが見下ろされる。
   夕暮れ迫る中.持参したビールを呑みながら.初めて見定める方向からの市界尾根を望み愉しんでいる。

     麓には幾つもの集落が貯まり.山裾の肩よりに添うようにある。寺岡・下部が乙津地区.
   馬頭刈尾根.高明山798mの裾野に広がる乙津の集落. 手前に隠れた茂み下がこれから下る荷田子の集落になる。

     中央の萩ッ平尾根の左端は日の出山からの竜ノ髭768m.高峰855mに梅野木峠.そして三室山794m. 主尾根を越えた裏側が多摩川流域。
   目立つ雲は湧き上がらなかったが日差しはずっと弱かった。黄昏が降り始めた大地。薄暗さが下山と共に追い駆けてきた。

   荷田子への峠路の下り口.16:18
   逆側は盆堀林道側の峠路になる。

    追分・荷田子地区
   バックは馬頭刈尾根の末端.16:43
    棚の後ろ側に電獣避けフェンスあり.抜けると県道にでてグミ尾根.荷田子峠への登山口がる.

     左手が高明山長岳尾根末端の青木平と乙津. 右手が326mコブと追分地区。
   正面手前はミグ尾根の北側にあたり.荷田子地区。裏側の背が荷田子峠.手前に秋川が流れ.並行して秋川街道が横切っている。

    荷田子の里
     日没まで1時間半.夏とは異なり戸倉城山までのルートを諦め.グミ尾根とも分れ荷田子の集落に下る。
   杉林の小尾根を急勾配を下ること25分.目の前に乙津.荷田子地区の集落が見下ろされ.手前に獣除けの電流棚が横切っていた。

     棚扉はポールネットの開閉式.脇に「通りかた」の説明板がある。「固定されたポールは電流が流れグリーンのネットに絡み.触れないこと。」
   オレンジ色とポールを手で移動して開閉する。単純だが読まなくては先に進めなかった。

     出た所が李の果樹園. 真っ直ぐ園内を横切ると里道で旧道にでる。ここが荷田子峠登山口だった。
   道標には「←荷田子bs0.2km.瀬音の湯1.2km」とある。十里木まで距離は近いがもう日は落ちる。
   その間々旧道を横断し.荷田子の家並みの中を抜けると県道33号.上野原五日市線.秋川街道の信号のある荷田子・十字路に突き当たった。

    旧戸倉村
     戸倉三山に囲まれた旧戸倉村. 現あきる野市は八割が山林で林業の盛んな所。杉.檜を植林し無税の村を作ろうとしていた。
   大正期に戸数二百の村は医院まで建て.又教育にも熱心で.地方から来た教育者の墓も光厳寺に葬られている。
   現在は日曜日以外は採石でのダンプの往来が激しい。

    臼杵山グミ尾根と荷田子地区
   秋川街道.荷田子bs.16:49
    左端が荷田子峠とグミ尾根を振り返る・・656m三角点峰.737m圏峰.臼杵山842.1m三角点峰

     道路を測量していた作業員に路線バスのバス停を尋ねる。
   バスが遅い場合は停留所を2つ歩けば十里木にでる。養沢からの街道が合わさり.便は多くあると教えて頂いた。
   数年前.幼馴染と熊倉山南東尾根からトヤド浅間に下り.十里木で「瀬音の湯」に入浴している。この辺の地形も少しずつだが分かりだしてきた。

     感謝し交差点を渡り右に折れ.秋川を渡れば交差点から70mほど先がバス停だった。直ぐ左脇の道路から「瀬音の湯」へでる看板がある。
   時刻表を見ると後9分で.武蔵五日市駅行バスが来る。

     バス停から振り返ると荷田子峠下の雪原化した果樹園と荷田子の集落に夕暮れが訪れ.霞もなくはっきり望まれた。
   その背後には歩んできた臼杵山へ続くグミ尾根が大きく横たわり眺められている。

     又反対の五日市方面を向くと.十里木の先に2つの巨大送電線の鉄塔群が真近に見上げられた。遅れること4分.路線バスが来た。
   5.6人のグループが後の座席を占め.大いに賑やかだった。バスは遥かなる高さの送電線を潜り.里へと山を後にした。

    グミ尾根末端に建つ鉄塔群と戸倉城山434.1m
   荷田子bsより

    十里木(トヤド浅間を下った折寄った「瀬音の湯」がある先. 秋川北岸の340m圏コブに乗る超高圧送電線鉄塔
    並行する送電線は新秩父線10号鉄塔と新所沢線の7号.8号鉄塔。

    送電線類
     五日市駅の南側.ミグ尾根末端の城山,南面の戸倉地区から逆川を遡れば1.8kmほどで新多摩変電所に着く。
   入山峠北東尾根の末端でもある。変電所から金毘羅尾根を乗り越える2つの送電線. 新秩父線と新所沢線の巨大鉄塔が望まれた。
   並行していた2つの送電線は金毘羅尾根530m付近の枝尾根で離れ.それぞれ北上している。

     415m点の左右に連なり.金毘羅尾根を北上し.暫くは離れず.近づかず並行して.境界尾根の大室山で東西両側に分かれていた。
   左側の鉄塔.新秩父線は梅野木峠側の680m圏峰に建つ19号鉄塔を経て.jr御嶽駅東側を跨ぎ.県境の日向沢ノ峰脇を越え.
   新秩父開閉所と結ばれる。又右手の新所沢線はjr軍畑駅西側を跨ぎ.高水三山の東側を抜け.新所沢変電所へと結ばれている。

     16:45荷田子bs@310. 17:00=17:10jr武蔵五日市@890. 17:20=17:55立川.快速:58=17:48お茶ノ水

   山行にあたり.HP「峠の向こうへとHP「良太郎の自転車で街道をゆく」各氏の資料を参考にさせて頂きました。
   地形図「与瀬・武蔵五日市」.山と高原08「高尾.陣馬」.07「奥多摩」. 市道山〜臼杵山zzz34.醍醐丸周辺zzz35.臼杵山〜戸倉城山zzz36.
   軽アイゼン.テルモス. 革登山靴ハングワ・・27.353歩

     和田から草木尾根を詰め鶏冠尾根に乗り醍醐丸
     醍醐丸からウルシガヤノ頭―旧醍醐峠.峰見通り分岐からと市道山
     残雪の市道山から臼杵山グミ尾根を下り荷田子峠から荷田子の里・・檜原街道と醍醐丸を過ぎ多かった立木の屋号